上回る程度でであったが、御家人と陪臣を含めれば、約八万騎であった~
(三省堂・大辞林)
しかし、ここに使われている言葉自体が分からない人も少なくはないはずだ。
場に参列できる「御目見」以上の家格。
できない「近衛兵」。
実はこれとは異なる見解もある。
大坂の「八百八橋」、はたまた「八百万神」などと同様に、単に
「メッチャ多い!」ことを「八」で表現しているもの~
との解釈だ。
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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)、歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) どちらが正しい数字なのかよく知らないけれど、でも純粋な「旗本」に
限れば、たかだか「五千人」。
なんぞのメリットがあるの?
歴) 実はある。
それなりに意味のある数字になるからだ。
史) なぁるほど、おそらくは外様大名だって「旗本」については、ある
程度の情報把握はしていたでしょうが、それでもやっぱり公称
「八万騎」ともなれば、幾分は腰が引ける思いも働きそうだものね。
というところよねぇ。
歴) デモの参加者の人数を警察側が一万人と踏んだのに対し、デモ主催者側が
その数を十万人と発表して気勢を上げるようなものだったかもしれん。
史) 人間のやることは、今も昔もあまり変わりがないのかもしれないね。
清河八郎
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困窮を極めるようになり、その中には「旗本株を売る」者も登場するように
なった。
具体的には「旗本」が金満商家の次男坊などを養子に迎え、家督を譲るという
方法が多かった。
まっとうできるはずもない。
事態だ。
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史) 将軍家にとっては、第3代家光以来実に229年ぶりの上洛だったそうね。
またその上に、尊王攘夷の熱に浮かされた世相だから、まさしく
「危険がいっぱい」といっていい状況よね。
歴) その通り。 幕府としたら、
~ヒョッコリ、将軍が危害に遭おうものなら、幕府のメンツは丸潰れ。
幕府に近づきこんな言上をした。
連中を組織して将軍護衛に当てたらいかがでしょう~
史) 「痒いところに手が届く」あるいは「渡りに舟」って、こういうこと
かもしれないね。
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ともかくも、この点清河はよほど弁の立つ人物だったようで、結果として
幕府はその提案に乗った。
浪士を集めて京に入った。
さて、その際に清河から発せられた言葉が、
ことなのだッ! よろしく頼むゾ!~
グループを脱会?したのが、近藤勇(1834-1868年)たちで、この後
「新選組」結成へと動いていくことになる。
~幕府は一浪人・清河八郎にまんまと騙された上に資金までかすめ取られた~
この頃の江戸幕府がいかにボロボロだったかがよく分かるエピソードとして
いいのだろう。
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日本史探検隊 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三/研修隊員・記録係
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