建物修復支援ネットワーク  新潟県中越地震・能登半島地震・中越沖地震から学ぶもの

 阪神淡路大震災では、被災した多くの木造建築が、直せば使えるということを考える間もなく解体されました。 なかにはいくつかの貴重な洋館建築から、日本古来の伝統的建築物まで失われたと聞いています。  再び同じ悲劇が繰り返されぬようにとの思いで、新潟県中越の被災地から始まった私たちの修復支援活動の輪は、昨年能登半島へ、中越沖へと着実にひろがりました。   阪神淡路大震災からはや14年目。懐かしのわが家に戻れぬ人々のいまだ癒えぬ心を思いながら、いつどこで起きるかわからない震災被害に備えて、建物の修復に関する情報発信をしています。///////////////////// 【たてもの修復支援ネットワーク】http://shufuku.com/

築120年の古民家修復再生(5)

 前回に引き続いて架構計画である。
長年住み継いでいくうちに、柱や梁、大切な通し貫などが抜かれたり切られたりするには、それなりに理由があろう。 家族構成や生活スタイルの変化、また昼行燈の薄暗い部屋を何とかしたい等、実際に住んでみての不満など、創建当初の思いや意図を忘れたころに手を入れることはよくある。 また建築知識が建築の「商品化」とともにブラックボックス化し、家づくりをしたことのない次世代に代わって、道理の見えない中でのはじめての改修ということもある。 これらの危うい改修工事は、そこで生まれる当然の帰結とも言えなくはない。
 
 古い家の縁の下を見れば、写真のように仕口の傷んだ大引き(土台)を無造作に角材で受けるというのは決して珍しくないこと。 この家でいえば、浴室ひとつとってみても、薪風呂の時代から、バランス釜、そして今の電気温水器給湯まで、最低2回の水まわりの改装があったようだ。 少なくとも前回の改修工事から30年以上。 大きな地震に見舞われていなかったのが幸いだったが、コンクリートブロック積みの上に胸高で切られた隅柱が、無造作に乗せられた姿には慄然とする。 幾星霜を経て世代が代わるうちに、建築に手を入れる必然。 なかでも一本の筋が通った建物が、用途向きと架構計画の折り合いをつけながら、きちんと手当てされることの大切さを痛感する瞬間であった。
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 建て主(住まい手)の要望をハイハイと聞いて、言われるがままに危うい改修をするのではなく、ここではNOと言うことも、あえてせねばならないこともある。今回の改修工事では、水廻りを中心とした家事動線の整理と、パブリック〜プライベートのゾーニング再計画、そして古民家に不可避とも言える段差を積極的に解釈し、バリアをバリアと感じさせない、新たな試みによるバリアフリー化である。 架構計画と仕様書ができたところで、いよいよコストバランスという課題に立ち向かう。 概算の目星をつけながら、様々な要望との折り合いをつける、要の部分でもある。

 石場建てとなっている基礎・礎石の部分を耐圧板施工として、沈下傾斜を修正し、腐朽した土台・大引き・柱等を取り替えるという、基本的な構造補強対策を施しての、これからの暮らし向きを見据えた修復。 新しく建てるわけではないので、着地点は自由といえば自由。 しかし、構造補強というテーマと向き合うことなくして、よい改修はありえない。 予算計画の中で、これまで建物として生きてきた道を戻るくらいの寿命を目指せるか? それはこれからのすり合わせになるのだが、耐久性と耐震性、そして耐用性と求める水準は、新築と変わらないのが、単なる古家のリフォームではない、修復・再生なのである。

築120年の古民家修復再生(4)

DSCF2218'  昨日は、宮城県建築士会よりお招きいただき、杜の都仙台へ出かけてきた。 「建築士の日記念事業」として開かれた講演会のタイトルは、「愛着ある古い建物と、そこにある暮らしを守るために」。 過去宮城県沖、宮城北部、岩手宮城内陸と、幾度となく大きな地震に見舞われてきた宮城県は、新潟、中越、中越沖と3度の大災害を経験した新潟県と共通体験をもつ自治体でもあり、これからの建築のあり方を多くの皆様と語り合う場にもなったように思う。 とくに県都仙台市の地震防災意識は、極めて高いことを以前から伺っており、行政と一体となった建築士会の耐震診断、耐震改修への取り組みには注目していただけに、小生にも意義深いものとなった。 そして、特別ボーナスともいうべき「ベガルタ仙台7年ぶりのJ1昇格」の喜びまで、ともに分かち合うことになった。

 さて、古民家の修復再生プロセスの第4回は、構造材の腐朽・劣化状況の調査と、架構の再検討である。
 伝統的な構法で建てられ、世紀を超えて暮らしを守ってきた民家は、家族の歴史を見守ってきた一方で、同時にその地での災害の歴史をも物語る。 今回修復再生のはじまったこの茅葺き民家も、1964年の新潟地震時には、震源地にかなり近かったこともあり激烈な地震動に見舞われ、その痕跡と思われるものも見られた。
 まず建物の沈下・傾斜であるが、重心から隅角部にむけて最大で6cm近くの沈下、1/28RADの柱の傾斜があった。 そして雪国特有の課題として絶えず付きまとう、屋根の「抱き」と呼ばれる谷部分とその直下の柱・土台などの構造体の腐朽は進行しており、放置できぬことは一目瞭然であった。 天井裏に上がれば、チャノマ裏上部の小屋梁の枘の仕口の緩み、建物西側には雨漏りによるものと思われる柱頭部の腐朽などもみられた。また昭和に入って浴室を設けた際に行われたと思われる大規模な構造材の中途切断や、その後の処置の不具合など、仔細に調べれば、よくぞここまで何事もなく、建ち続けていたとも思える状況であった。
PICT0698PICT0728 平時ならば鉛直荷重に耐え、吹きつける風雪への考慮さえあれば、建物は保持できても、地震による上下動を伴った水平動に対しては、無邪気とも言えるその後の改造。 竣工当初の施主と大工との信頼関係も、代替わりとともに消え去り、後年に行われる施工には、構造的に注意を払ったとはとても言い難いことが起こることは、残念ながらしばしばである。 新築当時の工人の思いと手技、施主の期待と現実、そしてその後の生活スタイルの変遷など、長く維持されてきた建物は、経年劣化という建物側の都合のみならず、住み手の都合で手を入れることは不可避と言える。しかし、手を入れるところで、竣工当初の造りの読み取りと適切な対処があったか、それとも場当たり的な言わば「木を見て森を見ず」的な発想でいったかは、いざというときに重大な結果の差を生むことになりかねない。世代がわりなど、建物維持の上で迎える大きな節目における、大規模な点検と手当てが構造的な再検討を含め、適切に行われることの重要性を改めて認識させられる。

 架構計画であるが、抜かれたり切られた柱や梁などは、当然のことながら鉛直荷重だけでなく、水平力など地震時の各方向からの応力による変形、部材の引き抜けなどを想定しながら、無理なく建物全体にその力が伝達・分散されるように再検討を行わなくてはならない。 そして破損劣化部位の根接ぎ、添え梁などはもちろんのこと、極端に細い部材にも添え物を施したり、接合部の補強を現場と照合をしながら進めていく。 土台入れ替えや柱の新設などの具体的な方法についても、施工手順を踏まえた計画でなくては、理想的な修復も、絵に描いた餅で終わる。 埃と煤の中で懐中電灯を持って行う調査と検討そして、大工さんとの綿密な打ち合わせは、責任を伴う仕事ながら、技量に裏打ちされた智恵を出しどころともいえ、頭で汗をかく新たな発見もあり楽しみな瞬間でもある。

築120年の古民家修復再生(3)

DSCF4960圧縮 昨日は「新潟の住まい&まち」実務者研修の講師に呼ばれて、古民家の修復再生の意義と技法についてお話をしてきた。住宅新築需要の減少は、今や覆いようもない事実であり、これからの新潟県の建築行政施策において、地域独自の価値ある建築を見直し、それらの保全、修復、再生を通じて、伝統建築技術の継承をはかりながら、県民生活の向上に寄与していこうということのようだ。
 
 災害色を完全に抜いた「平常モード」のプレゼンテーションを新規に構成し、スーツ姿の県市町村レベルの行政職の方々を前にしての話は、いささか緊張したものだが、それでも越後の古民家の利活用をどうするかという夢のある話題。それなりに、新潟ならではの古民家の暮らしを楽しく、修復再生のポイントは、ココ!という要点をお伝えすることはできたかとは思う。 ただ古民家再生・改修の促進のためと思っても、なかなか地震色は抜けないもの。 耐震改修の話は別の機会にお話しをと前置きしながらも、ついついその方面に触れないわけにはいかず。 やはり古くなった家をどうするか?の話には「不安」を取り除き、「いざ」というときに備えてどうするかは、やはり欠くことができぬものとなった。 

 後半では、200年住宅という新しい施策もさることながら、これまで200年生きてきた建物から、何を学ぶかを伝えることも意図しての話も展開。 ついでに、これからの木造住宅を考える連絡会で唱えている、足元フリーの伝統木造を認める法整備を!とも思ったが、これはやめて・・・ それでも、ちょっとてんこ盛り状態になってしまった気もしている。

DSCF1569圧縮 さてさて民家修復再生のプロセス3である。

平面図を起こし、通り番付をしたら、今度は建物の損傷調査と並行して、沈下・傾斜量の調査である。パチンコ玉やビー玉などを床に転がしてというのは、体感調査のようなものだから、このさいはやめよう(笑)。

 まず平面図の上で、ベンチマーク(基準レベル高さ)を決めたら、そこを起点に沈下量を測る。 周辺の地形や建物の様子を見て、主要架構(骨組み)のいちばん高いところを、基準に持って行った方があとあと整理しやすいだろう。

 そして、柱の傾斜を梁間方向、桁行き方向それぞれに確認し、図面上に記していく。 日本の古民家は、建具の収まる鴨居高さが東日本、西日本を問わず、標準で決まっているので、ここを基準に測るのが盲率的である。 鴨居がない場合は、回り縁、あるいは、天井アラワシの大引き天井ならば、横架材からということもある。 例えば鴨居の高さで2センチある方向に傾いていたら、内法高さ(敷居から鴨居までの長さ)との比較で「20/1757」というように記す。

 こうやって各通り番の柱ごとに状況を把握して、実際の損傷状況(構造体の腐朽劣化、接合部の外れ、割れ、ねじれ等々)と照らし合わせコメントを入れ、それらを各階ごとにまとめていくのである。

築120年の古民家修復再生(2)

DSCF5048圧縮  シンポジウム、講演会が続いたこの一週間あまり。 そして今日は新潟県中越地震から五周年を迎える。 被災地外での建物修復、建物リフォームでは、より強くすることの意味の大きさ、まさかの時に備えることの重さがなかなか伝わりにくいと思うこともしばしばである。 しかし、災害に遭って「こんなはずじゃなかった」と言わせないためにも、しっかり手を入れ、もう100年生かすための修復としたいところ。 今日は、進め方 その2を続けていこう。

建物の平面図を起こしたら、つぎは通り番付けという作業である。

 写真は、縁の下にもぐって、柱の足元に墨書された通り番付を見たところ。「ほノ二」と書いてあるのが読める。 建物の梁間方向、奥行き方向の部材の交わるところ、つまり各柱、土台や梁・桁の交点に、それぞれ「い、ろ、は、に…」「壱、弐、参、四…」と、通りと番号を振っていく。 よく言う「いの一番」は、その起点にあたるわけですね。 これで平面的に部材の配置を振り付け、整理することによって、明快に計画ができるのです。 そして建築という現場の作事にあたっては、それをもとに各部材を調達し、割り付け、ひとつひとつの交点(接合部)の仕口を刻んでいく。 

 古民家には何度か移築再生を経て今に至っているものも多いが、これも、通り番付があってこそ。 膨大な部材をバラバラにほぐして(部材の仕口継手を傷めずに取り外すことを「ほぐす」という)、また組み立てることができるのも、また曲がった部材をどう木組みしていくかも、すべてこのおかげ。 古民家再生の前段階となるこの調査も、平面図を起こした次は、通り番付をみていくことからというわけである。

 調べて行くうちに、だんだん建物の創建当初の姿も見えてきて、その様式などから、同じような古さに見えても、「ここから先は、増築されたところ」「ここから先には、かつて大きな間(建物)あった」などということも、読み取れてくることもある。 100年、200年という歴史の中で、建物は数回の大きな修繕や改造を重ねて今に至っているということを、静かに語るいわば、歴史の生き証人でもあるのだ。

DSCF4915圧縮 平面図に通り番付を振ると、さらにそれに準じて、どの部材がどこにあったものか、通り番と記号をつけて、各間の呼称を確認する。 そしてようやく各部屋境の建具、またタタミ、再利用予定の下地板などにもさらに小間割りされた番号がふられ、取り外しの準備が完了する。

 おっと、忘れてはいけない。
 再生にあたり、古い家具家財を運び出すのも、この番付をもとに記録をしたほうがよいだろう。 そして各部屋のスッキリしたところで、各方向4面の写真を必ず撮っておこう。
 
 モノが整理された空間を今に改めて眺めつつ、もしかして100年前のおもかげが・・・などと、その当時の姿を想像するのも楽しいかもしれませんね。

築120年の古民家修復再生が始まりました。

 新潟県中越沖地震の被災地では、来年9月の基金事業の節目を前にした神社の修復がはじまろうというところも多いようです。 何件かご相談をお受けしている氏子さんのお社も、間もなく工事に取り掛かろうかというところもあるですが、ここしばらくは、10月からはじまった被災地外にある築120年の古民家を取り上げて、そのプロセスを追いながら、修復の進め方をご覧に入れたいと思います。

というのも、体育の日をかけた3連休。 「古町どんどん」という市民祭りで古民家クイズを出題してのお楽しみイベントを催してきたのですが、木の寿命が「30年」、家の土台に使うわれる木は「杉」といった、笑いたくても、ちょっと切ない珍回答も続出。 あらためて伝統民家のみならず、木の建築に関するきちんとした知識普及が必要なのかなとも痛感してきたところです。


 さて本題に戻り、今日はまず建物修復の第一ステップ、民家の調査から。
DSCF9597野帳
 まずお住まいの方に築年や、その後の改修・改変の経緯を伺いながら、また当時の図面や普請の記録があれば、それらを拝見しながら、まずは野帳(やちょう)と呼ばれる白図に手描きで現況平面図を落とし込んでいく作業に取り掛かります。
 人一人の寿命よりも家の寿命が長いのが当たり前だったかつては、お抱え大工さんとのやりとりや建物の維持管理の記録を書き留めた「普請帳」とよばれる帳面があったものです。 そう、お医者さんでで言うところのカルテにあたる、建物の記録です。 旦那の普請道楽はともかく、大事な建物を数年〜10年に一度程のペースで大きく維持管理計画を立てて、守り受け継いできた時代が、つい最近まであったことを伺わせる歴史の生き証人みたいな存在感があるものです。
 普請帳が見つからなくても、古い図面や最近改修した時の申請図が出てきたりすると、それと比較して、それらも記録に書き留めて行きます。 家主さんが、それらを見ているうちに、「ああ、ここは新潟地震の後で直したんだ・・・」とか、「お風呂をつくったんだ」とか、色々なことが、幼い時の記憶とともに蘇ってくるようで、これが修復調査の手がかりになることもあります。
 平面図を起こしたら、今度は断面図、立面図、展開図などを必要に応じて起こしていく調査の下作業が、これに引き続きます。
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