20年以上にわたって女性だけの出演者により、 上質で極めて馬鹿馬鹿しくブラックなナンセンス喜劇を生み出してきた 喜劇団「げんこつ団」団長・一十口裏による妄想サーカス。

第45回 手遅れ

手遅れ1

わたしは痛みに鈍感だ。

転んで足を切っても、血が流れ落ちるのを見るまで気づかなかったし、

虫歯も痛くならないので、顔が腫れ上がって初めて病院に行くことになる。

高熱があっても盲腸でも腎盂炎でも、ぶっ倒れて救急車で運ばれるまで不調に気付かない。

たいした病気でもないのに、危うく手遅れになるところだった。


心の痛みにもおなじく鈍感だ。

ブスだデブだバカだハゲだと、正直に事実を言ってはいけない理由がわからなかった。

友達がなんで泣いているのかわからなかったし、母がなんで怒っているのかわからなかった。

どんなに泣かれても怒られても、わたしの心は痛まなかった。


だから大人になったわたしは、心療内科でカウンセラーをしている。

その痛みのしくみに興味を持ったし、実際、何年勤めても興味は尽きない。

研究熱心で冷静に的確な診察をこなすわたしの評価が、上がらないはずがない。

勿論いまはもう、ブスだデブだバカだハゲだと言わない。それだけで、仕事は順風満帆だ。


「翔子、お父さんが交通事故にあったの」

母が真っ青な顔でそう伝えてきたときも、どんな顔をすればいいのかわからなかった。

「翔子、お姉ちゃんから上空でお父さんを見たと電話があったの」

母がよくわからない表情でそう伝えてきたときも、どんな顔をすればいいのかわからなかった。

ただ、そう伝えてきたときの母の下唇がぷるぷると震えていたことは興味深かったので、

わたしはうつむき、テーブルの下でこっそりメモをとった。

そして翌朝、太陽が昇る前に、散歩に出た。

誰も居ない早朝の散歩は、ここのところ気が向かず、とても久々だった。

なので今日は、太陽がハリボテになって、初めての早朝散歩だった。

そういえばわたしはこの夜がどう明けるのか、見たかった。


姉は大学を出てすぐに一人暮らしを始めたが、わたしはずっと実家暮らしだ。

満員電車は嫌だったが駅から近い我が家に不満はなかったし、

小学五年から書き溜めた父と母に対する研究ノートを中断するのは勿体なかった。

いつも帰りが遅く、あまり話をしない父の顔をわたしがじっと見ると、

「そんな怖い顔すんなよ」と、父は顔を背けて、すぐにどこかに行ってしまう。

だから父のノートは母のノートの、10分の1ほどしかなかった。

だから父の顔は、正直あまり覚えていない。


まだ真っ暗な道の先で、丸い灯りが灯っていた。

仕入れのあと仕込みをして、一旦休憩してから店を開けるというシェフの朝は早かった。

一旦休憩するのをやめれば、そのぶん眠っていられるのにと言うと、

山のような身体を揺すって、シェフは笑った。

シェフがわたしのために置いてくれた小さな丸椅子に座って、

わたしはぼんやりと、仕込みの様子を眺めた。


近所の「ヴォルカン」というビストロのシェフは、

何年かの間、時折こうして朝の仕込みを眺めていたわたしに、何年か前、付き合おうと言った。

それから何年かして、やっぱり別れると言った。それから何ヶ月かして、やり直そうと言った。

わたしはその度、頷いた。ということは、わたしは今、シェフと付き合っているのだろう。

わたしの気持ちはいつも、刻まれる野菜や焼かれる肉、

そしてそれらに振りまかれるスパイスの香りに、半分以上、向いていた。

わたしはシェフを、「ヴォルカン」のシェフとしてしか知らないし、

シェフはわたしを、たまに厨房にやってくる女としてしか知らない。


「それで。今日は謝りにきたの?」

わたしたちは喧嘩をしていたのだろうか。

「俺はすごく傷ついた」

わたしはシェフを傷つけたようだ。

「ごめんなさい」

「うん」

わたしたちは仲直りしたようだ。


実際なにかあったのかもしれないし、少なくともシェフの中ではなにかあったのだろう。

シェフもわたしも仕込み中の料理から目を離さないまま、

わたしたちの会話は、だいたいこんな感じだ。

付き合うことになった理由も、別れた理由もやり直した理由も、わたしにはわからない。

でも大抵頷いていれば勝手に物事が進むので、シェフと居るのはとても楽だ。


シェフはひととおり仕込み作業を終えて、珈琲を出してくれた。休憩だ。

わたしはシェフの休憩を邪魔しないよう、珈琲を飲んだら店を出る。その間、いつも会話はない。

しかし今日は、シェフが口を開いた。

「いややっぱり許せないや。もう二度と来ないでくれる?」


山のような身体を見上げて、わたしはシェフの目を初めてしっかりと見た気がする。

多分シェフも、わたしの目を初めてしっかりと見たのだと思う。

ああ、なんだかよくわからないけど、終わりだ。

理由を尋ねたら、理由もわからず謝ったことがバレる。わたしは黙って頷いた。

そして「それじゃ」と、いつものように珈琲カップを置いて、わたしは店を出た。


すると街灯の灯りの下で、親指ほどの大きさの父が、隊列を成して行進していた。

隊列の後ろは闇に紛れて、何人居るのかわからない。とにかく大勢の父だ。

笑っている父、怒っている父、泣いている父、真顔の父が、手を振り足を振り、行進していた。

楽しそうな父、苦しそうな父、疲れた父、元気な父が、手を振り足を振り、行進していた。

そのままわたしの前を行き過ぎていこうとするその隊列に、わたしは思わず声をかけた。

「お父さん?」

大量に居る全ての父が、わたしの顔をいぶかしげに見上げた。

「誰だ?翔子か? 悪いがお前の顔はよく覚えていない」

足下の父がそう言うと、全ての父が一斉に、わたしから顔を背けた。


わたしは走った。住宅街の向こうには山がある。暗くて今は見えないが山がある。

山のようなシェフはわたしのなにに傷ついて、わたしのなにが許せなかったのか。

街灯の当たらない暗い道にはまだ小さな父の行進が続いているかもしれないし、

父を踏みつぶしていないか不安になったが、まああれだけ居るのだから、とも思いながら走った。


そうして家が近づいてくると、灯りのついた二階の窓に、母のシルエットが見えた。

妙に高い位置に、妙にうつむいて、母は居た。

気味が悪いほど真っ直ぐな一本の、線の影の下に、母は居た。

ということは、あれは多分、吊るされた母だ。首を吊っている、母だ。

わたしはぶっ倒れた。


ぶっ倒れたわたしの耳に、サイレンが聞こえてきた。サイレンが近づいてきた。

ああ、あれは、我が心療内科の救急車だ。


隊員は素早く車を降りるとキビキビと言う。

「心療内科救急、これより応急処置にあたります」

わたしの前で五円玉を揺らして言う。

「はい、あなたは今5才です。なにが見えますか」

わたしの肩を揺すってぴしゃりと言う。

「はい、心を開いて」

わたしの目を見て優しく尋ねる。

「はい、なにが見えますか?」


さすがの手際の良さに身を委ねるも、ハリボテの太陽はなかなか昇らない。

陽が昇らなくては、なにも見えるはずがない。


わたしは笑った。笑いが止まらなかった。

わたしはどうやら、手遅れのようだった。

手遅れ2
 


【著者プロフィール】
profile
一十口裏

いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長

げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。

意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。

また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。

【公演予定】

げんこつ団最新作 2017年11月29日〜12月3日 駅前劇場


※次回は2017年2月27日(毎月第4月曜日)更新です。


お得なチケットいろいろ発売中です!
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第44回 安全なフライト

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はい死にましょう!と、走り来る車に体当たりし、

はい成功!と、ドーンと気持ちよく跳ね飛ばされたことは確かだった。

ドーンとなって、どこまでも吸い込まれそうな空にひとつ満月が見えて、

これまでの人生が走馬灯のように、頭を巡った。確かに巡った。

しかし私は今、何事もなかったように、道をスタスタ歩いている。 

気付いたら、道をスタスタしていたのだ。
 

私は普段のスーツを着て、いつもの鞄を持っている。

ということは、私はこれから出社をするんだろうか。

駅に向かうその道には駅に向かう人達が、あちこちの道から合流してくる。

その流れに逆らって一人だけ足を止めようとは思えなかったし、

何より『反対』とだけ書いたプラカードを持った人々が、

路地の向こうからこちらを伺っているのが、チラッと見えた。

しかし彼らは私に気付かなかった。なんと気が付かなかった。

しめた!と私は更にスタスタと、駅に吸い込まれ、電車に吸い込まれた。
 

そうしてギリギリ閉じられたドアに押し付けられながら見た窓の外には、

幼稚で安っぽい芝居の書割りのような空が広がっていた。

無料のイラスト素材をテキトーに引き延ばして貼付けたような青空。

いや「ような」ではない。あれはフリー素材そのものだ。

あれはどういうことだろう、なにがどうしたというんだろう、

車に衝突した衝撃で奇妙な世界に迷い込んでしまったのかと、一瞬わくわくしたものの、

着いた駅は相変わらずの駅で、着いた会社も相変わらずの会社だった。

ただ空だけが嘘っぱちだった。
 

いつもの椅子に座ると、ようやく初めて首を傾げた。私はなぜ死んでいないんだろう。

ざわざわと出社してくる部下たちを斜めに眺めながら、

走馬灯の後半に交互に巡り続けた、妻の笑顔と娘のしかめっ面を思い出した。

表情は真逆だが、とてもよく似た顔だ。それが物凄い早さで延々と、交互に現れた。

なんなら一人にまとめてもらっても構わない気がした。

そうしたら娘の笑顔が見られた気がしたかもしれない。
 

そう思って窓に目をやると、ペタッと空に貼り付いた雲のイラストとは別に、

太陽のイラストが東から西に少しずつ、移動しているのに気付いた。

はて。あれはいったい、どういう仕組みになっているんだろう......。
 

「皆さま、まもなくフライトです。

座席のリクライニングは離陸後シートベルトサインが消えてからご使用になれます。

皆さま、今一度、シートベルトをご確認くださいませ。

皆さま、今一度、私たちは飛べる、と、念じてくださいませ」
 

旅客機は滑走路を滑り始める。羽田発、名古屋行き。
 

「もっと強く、念じてください。もっと深く、信じてください。

この飛行機は、皆さまのお気持ち無しでは飛びません。

はい、もう少しです。あとちょっとです」
 

旅客機はふわっと滑走路から浮かび上がる。そしてそのまま順調に高度を上げる。
 

「ありがとうございます。只今水平飛行入りました。

シートベルトをお外しになり、リラックスしてお過ごしください」
 

飛行は順調。平常通り。恭子は一通りアナウンスを終えると、あくびを噛み殺した。
 

どの国のどの航空会社においても、ここ二十年程、大きな事故はない。

各国の技術者達が、改良に改良を重ねた結果だ。

まず、この旅客機にはエンジンがない。

エンジンどころか機械らしいものは何もない。燃料も一切積んでいない。

本当は翼も尾翼も要らない。なんなら機体自体もいらない。

つまり操縦士も、もちろん副操縦士も要らない。

その方が確実に、安全なのだ。

そうして事故の原因となるものは全てが取り除かれた。

そしてそれでも飛べるということが立証された。

全ては気持ちの問題だ。

しかしそれらしさがないと、なかなか気持ちは伴わないことも判明した。

体裁を整えることで、信憑性が増す。信憑性が増せば、人は物事を信じやすくなる。

そういうわけで、ハリボテながら機体っぽいものに、

操縦士っぽい者と副操縦士っぽい者と客室乗務員っぽい者を乗せることにした。

そういうわけで、恭子は客室乗務員っぽいことをしている。

そのリーダーとしてそれらしくすることが、恭子の仕事だ。

おかげで飛行機は、今日も飛ぶ。
 

今どき飛行機が空を飛ぶことに疑問を持つ者はほとんど居ない。

それは飛ぶものだし、それは目的地に着くものだ。そう思えば、そうなるものだ。

今日は、日本上空が巨大なソーラーパネルに覆われて初めてのフライトだったが、

政府は全ての空路を計算し、むしろこれまでよりも安全であると宣言していた。

それを疑わなければ、それは安全だ。恭子はそう教えられていた。
 

窓の外に見えるのは、いつもの空とは似ても似つかない、ベッタリとした水色の青空。

よく見るとその青空には東西にレールが敷いてあり、そこから太陽のイラストがぶら下がっている。

近づいて行くとそれは思ったよりも巨大であり、その装置は小刻みにギクシャクと震えていた。

恭子はそれをもっとよく見ようと、窓に身体を近づけた。
 

「ほう、こうなっているのか」
 

恭子がそう思ったとき、恭子はそう聞いた。その声は父のものだった。

いつの間にか巨大な太陽を覗き込むように、巨大な父の間抜け顔が浮かんでいた。

眉と目の間が離れていて、鼻と口の間が離れている、もともと間の抜けた顔が、

いつもの何十倍も間抜けに見える。恭子は条件反射的にしかめっ面になった。
 

「お。恭子」 
 その巨大な目がぎょろりとこちらを向いた。

と同時に、機内には老若男女の悲鳴が轟いた。

乗客達は皆、進行方向に向かって右側の窓の外に浮かぶ巨大な初老男性の顔に、

何をどう思って良いのかわからなかった。

ただ悲鳴をあげて、仰け反ったり立ち上がったり口をあんぐりと開けたりした。

恭子も何をどう思って良いのかわからなかったが、その顔は父である。

「落ち着いてください、大丈夫です!父です」
 

恭子はマイクをONにすると、とりあえずそう言ってみた。  

乗客全員の顔が恭子の方を向いた。その全ての表情は、どういう表情ともつかない表情だった。

強いて言えば「キョトン」だ。いやこれぞまさしく本物の「キョトン」なのかもしれない。

そう思う恭子の顔を見て、乗客達も一様に同じことを思った。

マイクを握ったままの恭子の表情もまた「キョトン」という言葉でしか表せないものだった。

そしてここの誰にも見えないが、操縦室に居るであろう操縦士や副操縦士も、

同様に「キョトン」としているであろうことが想像できた。
 

目前に突如現れた柴崎清文(62才)の巨大な顔に、乗員全員の心が真っ白になった。そしてその巨大な顔は、楽しそうにも見える表情でキョロキョロと辺りを見渡しながら機体に近づき、嬉しそうにも思える声で小さく言った。 

「やっぱり父さんは、死んだのかな」
 

そう言った唇は不必要にぬらぬらと濡れていて、恭子は思わず更に顔をしかめた。

と同時に、機体は太陽のイラストにめり込んでいった。

めり込むや否や「そら見たことか!」と、

乗り込む時にはヨボヨボしていた老齢の男が、甲高く叫び、勢いよく立ち上がった。

それを合図に機内は騒然となった。

「やっぱり政府の言うことなんか全部嘘っぱちだ!」「どうするんだ!」「どうなるんだ!」

男達の怒声の合間に、合いの手のようにリズミカルに女達の悲鳴が挟まる。
 

「落ち着いてください、座ってください、信じてください、信じてください」

一応そうは言ってみたものの、とてもじゃないけどムリだと恭子は悟った。

じっさい予定の空路の先に太陽はあったのだし、じっさいまんまとぶつかった。

政府の宣言は嘘だったし、翼は割れるし、機体は崩壊する。彼らはそれを目の当たりにしている。

物事を信じるには最低限の体裁が必要だ。それが目の前でことごとく壊れていった。

ああバラバラに砕けていく、と思えば思う程、機体はバラバラに砕けていった。

それでも唯一、最低限の冷静さを保った恭子は、

シートベルトを閉め、訓練で教わった通りに脱出ボタンを押した。
 

父は崩壊していく機体を見つめたまま、口をぱくぱくさせていた。

「恭子、恭子、恭子、恭子」という声は音にならないまま、大量の息を吐き出していた。

崩れゆく機体から一人、シートに座ったまま飛び出した恭子は、その生臭い息を全身に浴びた。

恭子の顔は、ますますしかめっ面になった。
 

父の黒目ほどの大きさの恭子は、父の目の前に制止した。

その恭子の姿を、父の目は真っ直ぐに捕らえた。

その目は徐々に、潤んでいった。
 

「恭子、よかった、恭子は助かるんだね。

 恭子、やっぱり、父さんは死んだんだね」
 

しかし、しかめっ面の恭子は、父の黒目の先に、目的地の名古屋を見ていた。

ペッタリとしたイラストの青空は、どこまでも続いている。

どこまでも吸い込まれそうな青空は、もうどこにも見ることが出来ない。

私はどこにも吸い込まれない。天候の心配はなにも要らない。私は安全なフライトを信じる。
 

恭子は潤んだ父の目から涙が溢れ出るのを待たずして勢いよく前進し、

父の右の黒目に突き刺さり、父の後頭部から飛び出した。
 

そうして恭子はただ一人、シートひとつで予定通り、名古屋に向かって飛んでいった。
 

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【著者プロフィール】
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一十口裏

いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長

げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。

意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。

また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。

【公演予定】

げんこつ団最新作 2017年11月29日〜12月3日 駅前劇場


※次回は2017年1月23日(毎月第4月曜日)更新です。


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第43回 短針

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僕は初めて任された開店準備を、完璧に成し遂げた。

完璧に成し遂げたはずなのだけど、確実な自信が持てないまま二時間が経過していた。

それを確認し評価してくれるシェフが来ない。


この店はシェフ一人僕一人の小さな店だ。シェフが来なけりゃ店は開けられない。

携帯電話も自宅の電話も誰も出ない。自宅の場所は知らないし他の連絡先も知らない。

つまり僕にはやることがなくなった。

僕は、何のために置いてあるんだかわからない小さな丸椅子を厨房から持ってきて、

店内の灯りをつけ、壁にかかった白い盤に黒い数字と針だけの簡素な時計を、眺めた。


スラッとした長針とヒョロッとした秒針に比べて、短針のなんと短いことか。

しかも短針の刻む距離は、秒針の刻む距離と長針の刻む距離に、遠く及ばない。

僕の手足と胴と首と、指と爪と顔と鼻と、そのどこにも長針や秒針はなくて、

その全ては短針でできている。それはまるで奇跡的に。他にそんな人間がいると思えなかった。

短針は、長針や秒針に比べてちょっと太い。それが絶妙に短さを強調している。

僕も同じだ。身体の全てにおいて実際の長さよりも、絶妙な太さで短さが強調されている。


ずっと時計のカチカチ音だけが店内に響く。まだ静かな外からはガチガチ音が聞こえてくる。

ここのところどこに居ようと、耳を澄ますとガチガチと、何かが動く音が聞こえてくる。

どこから響いているのか分からないけど、静かに耳を澄ますと必ず聞こえる。

カチカチガチガチ、カチカチガチガチ。短針の僕は、追いつかない、追いつかない。

僕はそのリズムでタンゴを踊った。タンゴの踊り方は知らないけど、タンゴを踊った。

そうして二時間ほど経って短針が辿り着いたのは、やっと60度先の午前8時。

僕は踊り疲れて、また椅子に座り込んだ。


そこに人がやってきた。人はドアを軽く叩いた。僕はそれを無視した。

なのに人は何度もドアを軽く叩いた。僕は苦い顔をして舌打ちした。

ドアを叩かれても、僕だけじゃ店は空かない。

僕はそれを無視して厨房に戻り、休憩用の小さいテレビをつけた。

「では、次のニュースは雰囲気でお伝えします」

灰色スーツのアナウンサーがそう言って雰囲気を醸し出し始めたので、

短い腕を組み片眉を上げて、その雰囲気を感じようとした。

なのにまたドアを叩く音が聞こえて、僕は天を仰いでため息をついて「ジーザス」と呟いた。

僕は別にクリスチャンじゃない。白人のように首を振りもしたけど、別に外国かぶれじゃない。


「すみません。そこの角に住んでる、柴崎ですけど」

仕方なくドアを少し開けると人は言った。人は女だった。僕は焦った。

女とは話の通じないことが多い。僕の短さじゃ女には届かないのだ。意思も言葉も何もかもが。

しかもその女は、昨夜、交通事故で夫を亡くした女だ。

無理な化粧や服装をしているわけではないのに、自然と見た目は40代くらいに見えるが、

実際はもっといってるだろう。

「いかにも礼節正しいお悔やみの言葉」とか、「いかにもお気の毒そうな顔」とか、

そういうのが絶対に必要な相手だ。

でも女は、喪服を着ているでも取り乱しているでも、一晩中泣いて目を腫らしているでもなかった

むしろニヤニヤしていた。


「ちょっと。なんか。夜が明けないんですけど」

ドアの隙間から柴崎さんはそう言って、ニヤニヤ笑った。

やばい、僕の苦手な「比喩」だ、と思って一瞬身構えた僕の腕を、

ドアの隙間からスルッと伸ばした細長い腕で掴んで、柴崎さんは僕をドアの外に連れ出した。

「比喩」じゃなかった。夜は明けていなかった。


僕が空を見て「あ」と言うと、細長い柴崎さんは、秒針のようにクルクルと喋り出した。

「あのね、私ね、昨日は旦那がなかなか帰ってこなくて心配で眠れなかったの。まあ朝帰りもないわけじゃないけど連絡も一切ないなんてちょっとあれだし。だから朝になったら色々連絡してみましょうと思って、でも色々お電話するにはまだちょっと時間が早いと思って、その前に駅までの道を確かめてみましょうと思って、それで家を出たんだけど。なんだかね。一向に夜が明けないのよ。」

と、またちょっとニヤニヤ笑って柴崎さんは続けた。

「私、ちょっと駅までと思って出ただけだから時計もケータイも持ってなくてね、でもいくら歩いても夜が明けないから自分がおかしくなっちゃったかと思ってね。でも違うわよね、だっていま何時?あなた時計ある?あ、お店にあるわよね?だって道を歩いている人もいないのよ。家の灯りもついてないの。おかしいなあと思って一旦家に帰ったら、案の定ウチの電気もつかないの。停電なのかしら?なんなのかしら?だって街灯とか信号とかもね、ほとんどついてないのよ、ほら」

暗くてよく見えない腕時計を見ようとしたまま、顔をあげて見渡すと、町は夜より暗かった。

「で、また駅の方まで戻ろうとしたら、ここだけ明るかったのよ」


この店の屋根にはソーラーパネルがついている。シェフがエコとか言って設置したやつだ。

「あ、エコで」

「エコ?」

僕が続きを言う前に、柴崎さんはそう聞き返したから、僕はとりあえず答えた。

「ええ、エコで」

「まあ、エコで夜が明けないの?」

大きな目をまん丸く引ん剝いた柴崎さんを見て、僕は面倒臭くなった。

きっとテレビのニュースでやっているだろうから、それを見ればいい。


僕は柴崎さんの手を取った。店内に連れて行こうとしたのだ。

でもそのほっそりとした手は、予想に反してとても暖かく柔らかだった。

その肌は初めて触れる滑らかさで、その皮膚は繊細で儚げで、僕の鼓動は勝手に早まった。

それに呼応するように、ずっと聞こえていたガチガチ音は、これまでになく大きくなった。

僕のタンゴのリズムだ。僕はゆっくりと振り返り、逸らしたはずの柴崎さんの目を、また見た。

その目は更に大きくなっていた。吸い込まれそうな目だった。

その二人の視線の間には、繋いだ手があった。

短い腕と、長い腕。白い時計の盤の上に、束の間、寄り添う針と針。

ああ、僕はこれから、柴崎さんとタンゴを踊るんだ。


そう思った瞬間、一気に目の前が明るくなった。


『お待たせしました!

 クリーンなエネルギーを最大限に利用する、世界最大のソーラーパネルが、遂に完成です!

 日本は世界に先駆けて、ただいま日本上空にその巨大パネルを設置。

 日本全土を余す事無く、すっぽりと覆い尽くしました!』


いきなりの眩しさに目を瞬かせて見上げると、

空一面に、安い芝居の書割りのような空が見えた。

そしてピヨピヨチチチという、これまた安い効果音が鳴り響いた。

空でドデカい鳥が一羽、鳴いているようだった。


『今後はこのソーラーエネルギーで、日本の全ての電力と、昼間の明るさを賄います。

 もちろん夕方には夕焼け空も演出!季節によっては入道雲やうろこ雲などが見られます。

 そして秋にはなんと!ちょっとだけ空を高くします。』


柴崎さんは、なんの名残もなく僕の手を離して言った。

「まあ!やっぱりエコなのね」夜は明けた。

人々が続々と家々から出てきた。

出勤、通学、犬のお散歩。いきなり日常の風景が始まった。

「まあ奥さん、昨夜のニュース、ご覧にならなかったの?」

「ええそうなの、だからびっくりしちゃって」

柴崎さんはすでに日常の風景の中で、ご近所さんと立ち話をしている。


僕はやっぱり置いてきぼりだった。

僕は来月で四十六になる。でもまだ五歳くらいの気分だ。

僕はやっぱりシェフが来るのを待つことしか出来ない僕だった。

厨房に戻るとテレビでは、まだアナウンサーが雰囲気を醸し出していた。

僕は再び腕を無理やりに組んで、それを感じ取っているふりをした。

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一十口裏

いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長

げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。

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