shussan1

ふと見ると、どこかで見たことのある、前髪のやけに短い男が、
二人並んで、アコースティックギターを、少し高めに抱えいてた。
そして二人は、遠くを見つめたまま、静かにギターを奏で始めた。
その音はとても覚えのあるもので、そう、すぐにわかった。
サウンド・オブ・サイレンス。私の好きな曲だ。
私は思わず身を乗り出した。
しかしその透き通った歌声は、とても聞き覚えがあるものの、
聞き覚えているものとは、まったく違っていた。

「ハロー、ダークネス、マイオールドフレンド…
 アイヴカムトゥー、トークウィズ、ユー、アゲイン…」
単調な低音パートだけが、淡々と響き続ける。
メロディがない。
私は思わず二人に尋ねた。
「ねえ、ガーファンクルは…?」
二人は歌うのをやめて、憂いのある目で私を見つめた。
「ねえ、ガーファンクルはどうしたの…?」
サイモンとサイモンは、私を見つめたまま何も言わない。

私は少し怖くなった。
そこに別の声が聞こえてきた。
「ね、玄米」
「え?」
「だから玄米が、いいんだってさ」

そうだ、私はこの道で、美希と立ち話をしていたのだった。
「あと、穀物の種とか皮とか糠とか?
 ビタミンとミネラルと、食物繊維が豊富だからだって」
「あ、そうなんだ」
「玄米って普通に炊くとちょっと食べずらいんだけど、
 でも圧力釜で炊くとさ、全然硬くならなくて、
 むしろもちもちになって、すごく美味しいの!」
嬉しそうに紅潮する美希の頰が、誇らしげに膨らむ。
いつのまにこんなに頼れる顔をするようになったのか。
昔から知っている美希とは、変わらないんだけど、確実に違う。
「ね、紗季もやってみて。
 全然ムリなく食べられるから」
そう言うと美希は、自分のお腹を優しく撫でた。
うなずいた私も、つられて自分のお腹を撫でた。

小さい頃から、くだらない事で笑い合い、
ふざけ合ってばかりいた美希と私が、共に母になる。
それはいつまで経っても信じられないことで、
でも、紛れもない事実だった。
私もこんな、頼れる顔をしているんだろうか。
未来への期待だけでなく、正直、不安もある。
なんせ、初めての出産だ。
でも、それはきっと美希も同じで、
それでも、いやだからこそ、
こんなに活き活きとした目をしているのだ。

「でも紗季、偉いよね。
 毎日、運動もちゃんとしてるでしょ?」
「まあ、すべては我が子のためだからね」
私は美希に負けじと言った。
すると美希の顔が、私に負けじと、更に頼もしくなった。
きっとこうして私達は、競い合うように、母になるのだ。

「私も、今日は3時半から定期検診だから、
 その時に適度な運動を、先生に習うつもり」
そう言って、美希は私に対抗するように、
鞄から分厚い母子手帳を取り出した。
それは百科事典ほど分厚くて、
しかもそれが三冊にも渡っていた。
「あー、美希は何週目だっけ?」
「あたしは今週でちょうど、2000と80週目かな」
「あ、もうそんなか。あたしまだ1006週目だ」
「ウチの方がお兄ちゃんだもんねー。
 そう、最近すごいんだよ、よく動いて。
 なんかね、暴れてるみたい」
重い母子手帳をなんとか両手で開きながら美希が言うと、
背後から低い声が聞こえた。
「別に私、暴れてませんよ」

振り返ると、よれたスーツのマサくんが、恥ずかしそうに立っていた。
「あれ、マサくん、今日は早くない?」
「あ、定期検診の前に、名古屋出張の準備もいろいろありますので」
そう言って視線を落としたマサくんの片手には、
濡れたヘソの緒がしっかりと握られている。
それはとても太く、力強く脈打って、
美希のスカートの中へと、続いている。
私はそれを見て笑った。
「まー、マサくん。肺呼吸もまだなのに、出張なんて偉いわね」
「いや、それほどでも…」
「早く臍帯(さいたい)切って、
 ママのおっぱい沢山飲めるといいね」
「はい…!」

顎を引きチラと上目遣いに美希を見つめるマサくんを見て、
私は思わず自分のスカートを捲った。
自分の股の間から伸びる、太いヘソの緒を握った。
そうして、それがとても暖かく、熱いくらいに暖かく、
しっかりと脈打っているのを確かめた。
ああ、私の栄養が、私の体温が、私の命が、
もう一つの新しい命に、続いている。
私の息子。私のシゲちゃん。今頃はまだ会社かな。

「早く物心が、つくといいね」
私は自分のヘソの緒を握ったまま言った。
「はい、楽しみです」
「お母さんも、楽しみよ」
美希はちょっと背伸びをして、マサくんの頭を優しく撫でた。
撫でられてマサくんは、真っ直ぐに前を見つめた。
まるで自分のまだ見ぬ未来を見つめているようで、
いつか離れてしまうんだなと思うと、やっぱり寂しい。
でも、そのいつかは必ず来るのであり、
それまでは自分に出来ることを、精一杯やるしかないのだ。

「じゃ、お互いに、頑張ろうね」
「うん、ビタミンだよ、
 ビタミンとミネラルと、あと食物繊維、
 しっかり摂ってあげてね」
「わかってるよ、美希もちゃんと運動してね」
「わかってるよ、我が子のためだもん」
「すみません、お願いします」
すまなそうに言うマサくんの頭を撫でると、
ちょっと髪の薄くなった頭頂部から、
新しい命の温もりが伝わってきた。
「じゃ、失礼します」

美希はほんとうに頑張っている。
美希の後ろ姿とマサくんの頭頂部は、
未来への希望に満ちて、輝いている。
負けていられない。私も早く帰ろう。
玄米を買って帰って、日課の運動をこなそう。
なんせ初めての出産だ。
日々を慎重に。日々を大切に。
そう思って振り返ると、
サイモンとサイモンが、まだこちらを見ていた。

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【著者プロフィール】
profile
一十口裏
いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長
げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。
意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。
また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。

げんこつ団公式サイト



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