2016年10月

2016年10月25日

病床メモ 2016.10.25

体調は良いのですが、怠け者になってしまいました。


10月18日(火)
7:15/35.7。晴れ。
ここのところ睡眠期にあるようで、良く寝る。が、今朝は悪夢で目が覚めた。どういう経緯かは憶えていないが、大きな街でスマホを掏られてしまう。一緒に居た武田のスマホを借りて家内に連絡しようとするのだが、当然家内の電話など登録されていない。じゃ、家の固定電話に掛ければいいのだと思いつくのだが番号を思い出さない。ギャーとパニックになって目が覚めた。草臥れた。
徳新が生前退位の有識者会議のスタートを受けて「政権、当座しのぎに傾く・陛下の思いと擦れ違い」という評論を載せている。そもそも「陛下の思い」というのは何なのか?この筆者はどう解釈しているのだろう? 明治以降と思わえる仰々しい大喪や即位の儀典を望まれていないことは分かったが、根幹的な皇室のありよう、即ち万世一系に固執されるのか、女系天皇を選ばれるのかというテーマに関する「陛下の思い」は受け止めることが出来なかった。言及されなかったのではないか。それよりも私は、「お言葉」の折りに記したかとも思うが、政府は「象徴」を具体化することを怠って来た。だから勝手にと言えば不敬になろうが、今上陛下は憲法に沿って独自に色々な「活動」をなさってきた。それを公的に「象徴」を具体化した恒久的制度として認めるかどうかが今回の肝だと思う。今上陛下としては自分の人生の正統化を望まれているのだ。個人的には「元気で活動する天皇」という天皇像は、なにかアスティカの太陽神の様で気持ちがわるい。それに皇太子様はまた別の形で「象徴の表現」をなさりたいかも知れん。時代も変わる。が、政府としては圧倒的に「生前退位」を支持する国民世論を受け、陛下の「思い」を文字通り「生前退位」とのみ解釈して、今上陛下限りの特別法で「当座しのぎ」しようとしているのであろう。しかし、女系天皇の問題は「生前退位」と切り離してもいい、いや切り離すべきなんであろうが、今上陛下の下で結論を出しておくべきテーマであることは人情として当然ではなかろうか。
午前、ブログ定期更新。
午后、短歌教室。先日はメンバーのHOさんの御母さんが105歳で亡くなったのだが、今回はHTさんの御母さんが亡くなったという。84歳だそうだ。少し遅れて本人が見えたので、お悔やみを言う。坂本君の御母堂も亡くなったし、母を亡くす話が続く。私の母は当分お呼びじゃないが。
今日の題詠は「紙」だった。それぞれ工夫が見られたが、萩野さんの「白紙」というアイデアが良いと思った。思いつかなかったな。
途中でブログを見た坂本氏から電話があり、休憩時に折り返し掛ける。「喧嘩した坊主は死んで代がわりしているのでチャンと呼びました」と言う。結構結構。
帰宅してお八つを食べて、ソファーに沈没して復習。日下さんの二句目「紙ヒコーキ一つ」というのは9音なのだが破綻がない。「コー」と延ばすことでリズムをとっているのだろう。巧みだと思った。
17:00頃からケンタと大岡川へ散歩に行くと、鴨が二羽渡ってきていた。
再度沈没して、人の歌をあれこれ弄っていると、坂本氏がやって来た。トシの結婚祝と御母堂の葬式のお供えの果物のおすそ分けを持って来てくれた。彼の家は浄土真宗なのだ。香典も包んでいないのに、恐縮しごく。
23:50/36.3。

雲珠の題詠「・・・の秋」。自分で出しながら詠めずに困っていたがやっと一首浮かんだ。
  新米と旬のばうぜで姿ずしすだちを添えて徳島の秋

「徳島の秋」と詠んだ後で、この題詠を思いついたのは無意識の内に下記の歌があったのかなと思ったりする。もちろん歌の重みが全然違うのだが。
「ここにいたここにあったと思い出が泣き声上げる東北の秋/気仙沼高校・今野莉奈」


10月19日(水)
7:35/35.3。晴れ。
徳新に「点検・徳島市政・遠藤市長就任半年」という連載記事が載っており、今日は「ホール整備」だ。記事の後半で、遠藤市長は旧動物公園跡地案を選挙中は候補案としていたが、その後言及がなくなったのは、その後旧動物公園跡地には「多くの足かせがあることが分かったからだろう」と書いている。それは、(1)都市計画上建築が出来ない。(2)駐車場に費用がかかる。(3)交通渋滞が起きる可能性がある。の三点を上げている。大嘘だと思う。こんなことは昔から言われていたことだ。そして誰もが納得していない理由だ。本当の理由は動物園跡で議論が進められていた諮問委員会が、秘密会で計画放棄を決して後解散してしまったことで封印されている。遠藤新市長にもパンドラの箱は開けれなかった、というのが正しい報道だろう。また徳新は隠蔽に手をかしてしまった。
先日借りて来た川島博之の著作である「データで読み解く中国の未来」を手に取ってみる。これはなかなか面白そうだ。
晩のニュースを視ていると、来日しているIOCのバッハ会長は、ボートはそのまま東京開催で、野球の予選を福島で行うことで復興五輪の名目を立てる様にサジェスチョンしているようだ。これって、私の邪推だと良いのだが、ヨーロッパ人に人気があって大勢集まるボートは放射能汚染が心配される東北でやりたくない。何か代わりが要るのなら日本人やアメリカ人、キューバ人が集まる野球にしたらどうか、というレイシズムじゃないんだろうか。ま、五輪なぞ先の話で、対岸の火事の感じで視ているのだが。


10月20日(木)
6:52/35.6。晴れ。
昨晩は検温もせずに眠ってしまったようだ。
今日は家内の誕生日でもあり、20日は父の月命日でもある。いつもより少々早く10:00に住職が見える。Uも焼香に飛んで来る。住職が母の様子を聞いてくださる。「絶好調です」と答える。
今日はまたケンタの厄日でもあった。近所の神社で狂犬病の注射なのだ。家内が連れて行った。室内犬で、狂犬病が移る環境ではないのだが。
で、体調が悪いなら散歩は止めようかなと思っていたのだが、行きたいと言うので近所巡り。今日は鴨は不在だった。帰路、JCのシニアの忘年会に「欠席」で返事を投函する。
今日は暖かいのだが、鼻水が止まらなかったりしたので、風呂はパスして寝る。
23:40/36.0。


10月21日(金)
7:10/35.5。晴れ。
今日は生命に危険を感じることが二度あった。
まず、昼食。メニューは固焼きそばと餃子だった。私はカレーや丼といった具と主材が一緒になっているものはグジャグジャに混ぜてから食べる。固焼きそばもそうだ。で、混ぜているうちに家内が「この麺すっぱくない?」と言い出した。で、「あかんあかん」と言って私の皿も回収してサッさと廃棄する。さては、と思い、「賞味期限は何時までな」と聞くと残っていた袋を見て「15年7月。一寸古すぎたな」と言う。まさか平成ではないと思うが、スリリングな食卓なのだ。
次。14:07、スマホがけたたましく鳴る。緊急地震速報ってやつで、鳥取で地震だという。遠い、と即断し、退避活動はせず。やがてP波が来て続いてS波が来た。グラグラとかなりスリリングだった。S波までには机の下に潜り込める時間は十分あり、これはJ-アラートやスピーディーと違い役に立つシステムだと思った。やはり練度が違うのだ。
16:00過ぎからケンタと近所巡り。大岡川の水が澄んで来た。水温が下がったと言うことだと思う。近所中の金木犀が一斉に咲いたのだが、匂いは一緒でも花の付き方に種類があるのが分かった。わがやのは葉の陰に隠れる様に咲くのだが、著しいのは簪の様に賑々しいにもある。まあ、鼻の効く犬なんかだと一本一本匂いも違うんだろうな。(後記;木作りの腕ってことかもしれない。家はシルバーなので刈るだけだ)。
「データで読み解く中国の未来」(川島博之著、2015)読了。とてつもなく面白い。正に示されたデータ(グラフ)に説得力がある。詳しくは感想を言わない。読み易い本なので是非一読することをお勧めする。と、言いながら結論を言うのもなんだが、副題の「中国脅威論は本当か?」の答えはYES以外の何ものでもない。しかも日本として打つ手はないのだ。まともに張り合ってはいけない、ということだ。誰かが言っていたことだが、「戦後日本の発展は一にかかって毛沢東が蒋介石に勝ってくれたからだ」、というのは正しいと思う。蒋介石が勝っていたら焼け野の日本はスルーして資本は中国に流れ、アジアで先進国に仲間入りしたのは日本ではなく中国だったであろう。日本の復興は永遠に難しく、内乱に明け暮れていたかもしれない。おまけに毛沢東は文化革命までやってくれて、日本に高度成長を成し遂げる時間をたっぷりと与えてくれた。そのモラトリアムが過ぎたのだ。そう考えて今の力を賢く使うことだと思う。
そもそも著者に興味を持ったのは日経の連載記事だったのだが、それは農業がテーマであって、「地方再生は、農業と切り離す必要」という結論だった。具体的には(1)「ドイツは連邦国家ですが、日本も道州制の検討が必要でしょう」。(2)「日本では地方創世というと、オランダ型農業や一村一品運動、そのための技術開発などが挙ります。しかし、食料の生産が容易になった21世紀の地方に必要なのは農業ではなく、食料を消費する都市です」という2点だ。で、本書を読むと、その「都市」といっても「工業」は既に中国という世界の工場には太刀打ち出来なくなっている、ということが分かる。じゃ何をしたら豊かな生活が出来るのか。川島は答えないがヒントはくれる。「21世紀のキーワードは、「もの余り」と「少子高齢化」である。このことを中心に据えて21世紀の産業を考える必要がある」と。もうそれは団塊の世代が考え得る世界ではあるまい。ただ、「もの余り」はデフレを意味し、「少子高齢化」は個人あたりGDPの増加を意味する。先日電通の新入社員の自殺の折りの、「お金を貯めるべき理由は二つだけです。一つは、やりたいことをやるため。もう一つは、やりたくないことをやらないためです」という中嶋よしふみ氏の言葉が頭に残っている。日本人は「やりたくないことをやらな」くてもよいだけの資産は持っているのではあるまいか。変にバタバタする必要はないと思う。特に地方は。昨日の日経の「大機小機」に、「列車に乗って地方を旅してみると、地方の疲弊ぶりが身に染みる。欧州旅行で感じる地方の美しさとは格段の差がある」と冒頭に示し、「地方の最重要課題は、住民が満足する生活を地方だけで完結できるためのインフラ構築である。在来の鉄道網の複線化やバス路線の維持、病院の整備などを指摘しておきたい」と載っていた。私は民主党は政権運営に拙かったが、マニフェストに掲げた「地方分権が一丁目一番地」というのは正しかったと今も思っている。自立した姿が均衡のとれた美しさを生むのだ。
晩、「女医・倉石祥子」というドラマを視たが、ベテラン患者としては視るに堪えないお粗末な作りだった。
23:50/36.2。


10月22日(土)
7:07/35.8。曇り。
午前中から雨が降り始める。冷える。
午后は洋間にエアコンを入れて籠る。ソファーに沈没して、アガサ・クリスティーがメアリー・ウェスコットというペンネームで書いた「春にして君を離れ」(1944)という小説を読む。家内が先々週かの日経の読書欄で見つけた本だ。途中までなのでこの本が推理小説なのか、純文学なのか分からない。ただ、描かれた時代は大英帝国の時代だ。主人公の御夫人の息子はローデシアに住み、娘の一人はバクダッドに住む(そこからの帰り道での話だ)。御夫人は堂々と一人で旅行するのに不安など感じていない。この世の主人なのだ。
坂本氏から電話。明日とその次の日曜日の坂本便は欠航と言う。やはり御母堂が亡くなって後始末に忙しい様だ。
雨が止まずケンタの散歩はパス。
晩、NHKで「スニッファー」というドラマを視る。阿部寛と香川照之が出るという力の入れようだ。原作はウクライナと言う。視ているうちに、民放が向井理が主演でやっていた、舐めると事件が分かるというドラマが、この「スニッファー」という、嗅ぐと全てが分かるという話の下手くそな盗作だったのだと気付く。せこいなあ。
23:50/36.3。


10月23日(日)
6:55/35.6。曇り。
ヒコ達は紅葉を観るといって剣山へ行った。山は雨だと思うんだが。
昨日、何か忘れているような気がしていたのだが、日経土曜版のナンプレをやってなかったのだ。奇跡的に思い出したので引っ張りだしてやってみる。今日は調子が良く30分の制限時間をクリア出来た。最近にしては珍しいことだ。
坂本便が欠航だとどことなく暇な感じがする。いや、いつも暇なんだが。ずいぶん出不精になってしまった。
「春にして君を離れ」読了。推理小説ではなかった。「自己中」の「つまらない女」が、旅の途中砂漠の真ん中の鉄道宿泊所で足止めを喰らい、暇をもてあましてあれこれ思い出し考えている内に、自分の正体に気付いてしまう。が、鉄道が動きだし、自宅に帰ると、何もなかったかの様に自己中に戻ってしまう、という大団円だ。が、今度の自己中は仮面なので、もう元の様に幸福にはなれまい。アガサはその姿は書かないが、第二次大戦という大英帝国の崩壊が近づいて来ることで、暗示しているのだと思う。
17:00頃、家内が日曜の恒例にしている「母巡り(家の母と里の母を見舞って来る。それぞれ施設は違うが同地域の施設に居るのだ)」から帰って来たので、ケンタと散歩に出る。今日は大岡川の鴨が四羽に増えていた。
散歩のときヒコ達のアパートの前を通りかかったが、まだ山から帰って来ていない様で駐車場にスウィフトはなかった。が、予定通り夕食までにやって来た。ガスで眺望がないので頂上まで登るのは止めたと言う。「真田丸」を視て引き揚げて行った。ヒコが「真田丸」のテーマソング(バイオリン)は「真田太平記」へのオマージュだと言う。チェロだったそうだ。なぜか「真田太平記」は視てないな。「徳島テレビ祭」でも取り上げられなかったように思うのだが。(後記;なかなか名作として評価が高い様だ)。
23:50/36.0。

余談;日経の「かがくアゴラ」という囲みに、一杉裕志氏(産業技術総合研究所・人工知能研究センター主任研究員)の「大脳は確率計算で考える」というインタビュー記事が載っている。大脳の働き方について、「興味深いのは、脳がベイズ統計に従って動いているらしいということです。ベイズ統計では、ある原因からある結果が起きる確率をデータとして持っておき、起きた結果から原因を判断します。例えば「芝生が濡れている」という結果から「雨が降った」とか「スプリンクラーが動いていた」といった原因の確率を計算します。因果関係をこのように記述するモデルをベイジアンネットワークと呼びます」と言う。これって、私は統計なんてまるで門外漢だが、「理屈は後から貨車で来る」というプラグマティズムと一致するってことでいいんだよね?


10月24日(月)
6:55/35.4。晴れ。
今日はよい天気で寒くはないが、午前は洋間、午后は南の縁側と陽射しを追って移動する。
昨日の「ベイズ統計」というのをネット検索してみたがさっぱり要領を得ない。
元のベルクソン路線に戻る。急ブレーキでつんのめる程ページが動かなくなってしまった。校閲ガールになったつもりで一字一字集中してペースを作らねばいかん。
16:00からケンタと散歩。大岡川の鴨が12羽に増えていた。命あるものが増えるのは良いことだ。
晩、プライムニュースで年金を弄る話を視るが、不信・不安を募らせるための番組だった感じがする。物価スライドを賃金スライドに変更する制度修正の話とマクロスライドという年金財政の話がごちゃ混ぜになっているし、新しく出て来た「賃金」というのが何を指すのか、働き方が多様化するなかで宙に浮いたままだ。おまけに賃金が何%下がったら年金がどうなるか、一々シミュレーションしていては切りがないという。嘘だ。計算式がない訳がない。その場その場で都合が良い数字が出るまで計算式を弄ろうという魂胆なんだろう。結局税金投入ということになるんだろうな。いや、逆に国家財政を悪くしてしまってその手が打てないからドタバタしているのだろうな。
24:00/36.2。

  大気冷え大岡河に鴨帰る二羽五羽十羽と日々数増せり


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2016年10月18日

病床メモ 2016.10.18

昨日は三週間ぶりの日赤外来でした。変化は見られませんでした。
この時期、テレビの新番組が始まりましたが、テレビドラマは限界に達した感がします。


10月11日(火)
7:30/35.6。晴れ。
ブログ更新。
風邪気味で腹の調子が悪い。と、見て来たが、ネクサバールの副作用である嗄声と下痢復活の兆候と見た方がよいのかも知れない。思えば先日の雲珠短歌会の司会あたりから声が詰まって出にくいと感じて来た。嗄声までではなかったのだが、今日あたりははっきりと掠れている。
16:30からケンタと散歩。大岡川のプロムナードに差し掛かると、高原君と会う。「どこの年寄りが老犬と散歩しよんか、と思たらお前か」と言う。どちらも同じ枯れススキと思うんだが。
19:00過ぎ、ヒコ達が山から帰宅。予想通りUは筋肉痛でヨチヨチ歩きだ。一緒に夕食を食べながら話を聞く。蝶が岳に登った日が一番天気が好くてラッキーだった。徳沢から登って横尾に下り、風呂のある横尾山荘に泊まるのは計画通りだったらしい。まあ、下りにコースタイムの倍掛かってしまったそうだが、初心者には良くあることだ。山の話が一段落して、ヒコに家作の裁判の件を報告すると、家内との間でギャーギャーになる。よくあるパターンだ。あ〜あ、一退いた、と思いながらサッカー観戦。フとUを見ると平然とサッカーを視ている。神経が太いのか、慣れているのか、ま、結構なことだ。食後に写真を見せてくれる。ヒコは相変わらず山では良い顔をしている。Uがそれを「カッコ良かったです。素敵でした」と言うの聞いて、「こんな日があるとは思わなかった」と感激した、と家内は後で語った。
晩、吉田羊と新垣結衣の新ドラマを続けて視る。前者は今までのドラマのパッチワークで×。後者は、相変わらずガッキーがかわいいので○。相棒の星野源のエンドロールのダンスがキレキレで凄い。
23:50/36.2。


10月12日(水)
7:05/35.8。晴れ。
日経の「やさしい経済学」に9/3から連載されていた、川島博之(東大准教授)の「農業の効率化と地方創世」が今日で終了した。分かり易く面白い記事だった。筆者は大衆の思い込みを正しかったのだ。もちろん私は大衆の内だ。それは日本と言わず、窒素肥料が発明された御蔭で世界的に食料不足から解放されたどころか、慢性的に生産過剰状態になっているということだ。昔は米は希少性があり、日本では通貨にもなっていた。生産者優位で、日本の富裕層の多くは庄屋だったのだ。が、それは昔の話。生産性の向上により農村は豊作貧乏化したのだ。世界的にもそうで、穀物は貿易で国際的押し付け合いになっている。こういう下部構造を理解した上で、農業離れした地域振興を構築しなければいけないという話だ。もう今更刺激を受けてアイデアの湧いてくる脳ではなくなったが面白かった。
著者は准教授という肩書きなので若い人かと思ったが、ネットによると1953年生まれで東京水産大学卒業という異色のキャリアのようだ。何か一冊著書を読んでみたい。
晩、寝転がってテレビを視ているうちに、右脚が痛くなる。痺れた神経痛のような痛みだ。右脚には二ヶ月ぐらい前から攣ったり足首がぐらついたり違和感を感じていた。風呂で暖まると痛みは解消したので本当の神経痛かも知れないが、癌は基本的に痛い病気だということを思い出して気がめいった。まさか脚が痛くなるなんてことはないのだろうが、どういう風に痛みは出て来るのだろうか。私も知識がない。痛みも表現しにくい感覚でもあろう。
痛いのは嫌だ。人間は嫌なことに目を塞ぐ。ハンセン病が恐れられたのも、もちろん外見が大きな要因だが、痛みが強い病気だったこともある。が、そういうことは隠されていて、家内などは、「真田丸」で大谷刑部が痛がっていたことのをハンセン病と結びつけて認識していない。愛之助の演じ方は(例えばものを書こうと筆を取ると激痛が走る)は裏打ちがあってのものなんであろうが、電波に乗るのは(古い表現だな)珍しい演技だったのかも知れない。癌でのたうち苦しむ場面はあるが、身体の一部が痛む場面はない。そうなんだろうか。
23:50/36.1。


10月13日(木)
7:32/35.5。曇り。
夜中にとうとう下痢で起きたし、寝る前に嫌なことを考えていたせいか悪夢を見たようで、起床した時から草臥れている。
「新訳ベルクソン全集(2)」の再読完了。前に言った様に、全く分からないのではないか、と危惧したが、そんなことはなかった。何時かの機会に読んだベルクソンが正に持続していたのだ。そしてそれは坐禅をすることにしたことが大きい。坐禅を「自己の認識を取り戻す」方法として私は行動したのだ。で、今は、ベルクソン先生は坐禅を知らなくて残念だったね、と思ってあげる。第二巻は発注したし、全巻読んでみようと思う。ベルクソンは進展したはずだ。
16:30からケンタと散歩。自宅近くまで帰ったところで、後ろから「お父さん」とUに声を掛けられた。家に用事があって向かっている途中だった。だいぶ脚の筋肉痛は治った様だ。
晩、「ドクターX」を視る。マンネリもいいとこだが、手術帽をかぶりマスクをして、部分で切り取った米倉涼子を視ると「老けたなあ」と実感した。全体だと雰囲気で視るから変わらないのだが。
23:50/36.0。


10月14日(金)
7:10/36.2。晴れ。
ここの処良い睡眠が取れていない。
昼前、北島君と長電話。その間に森君からメイルを貰った様だが気付かなかった。
今日は寒く、とりあえず電気ストーブを出してもらった。体調の所為かもしれんが、ともかく寒い。朝のうちは洋間で過ごした方が良いかも知れん。
「新訳ベルクソン全集(2)・物質と記憶」に取り掛かる。
不動産屋から電話。駅前の借家でトラブル。家内GO!
お八つの後になって森君のメイルに気付く。「人間晩年図鑑(2)」を届けてくれると言う。有り難く借りていた(1)と交換。森君はいつもペアだ。当方は格好悪いほど家内不在だ。
やがて家内が帰って来て報告を聞く。
今日は元気がないので、ケンタの散歩はパス。
晩、「砂の塔」なるドラマを視るが、やたらCMが多くて段々腹が立って来た。初回で少々放映時間が延長されているのだが、それは丸々CMに使われている。視聴者ファーストではないのだ。まあ、理屈からして文句は言えないのだが。それにしても幾ら値段が高いと言っても、見晴らしだけの狭い空間でしかも経年劣化して行くタワーマンションになんの価値があるのかね(自分で使わずに運用益を考えると別だが)。今でも地価は上がると信じている都市住民と田舎者の感覚の違いなのかも知れないが、値段が価値を生んでいるような話で、なにか違うんじゃないかと思うんだよね。
23:50/36.3。


10月15日(土)
7:05/36.0。晴れ。
昼前、母を「エクセレント」に見舞う。丁度風呂を済ませたところだそうで、すこぶる快調の様子だった。係争中の不動産につきヒアリングする。やはり過去を知ることは現在を知ることに通じる。
午后、「ベルクソン」は置いておいて、「人間晩年図鑑」に手が伸びる。
坂本氏からtel.。明日の坂本便の連絡かと思ったら、御母堂が亡くなったという話だった。ここの処容態は悪く、施設で看取るか病院に移るか考えている様子だった。傾眠状態の様に聞いていたが、「最期は急だった」と言う。結局病院での最期だったようだが、病院に居ても、死ぬときは急なのだ。私の父のときもそうだった様に、見舞いから帰ってすぐ急変の知らせがあった様だ。「家族葬で送りますから」とのこと。寺の坊主と喧嘩している様だから、坊主抜きの直葬になるのかも知れないな。御母堂は女学校で母と同級生だ。
家内から17:00に電気釜のスイッチを入れてくれと言われていたので、それまでに散歩を済まそうと、16:00から戸締まりをしてケンタと近所巡り。明日は近くの小学校は運動会だ。準備が整っている。で、帰宅すると電気釜のことはスッカリ忘れている。17:10になってフッと気付きバタバタとスイッチを入れる。思い出しただけ上出来、とする状況になってしまったということだ。
夕食はヒコ達と四人で食べる。「今日はチャンと味見した」と家内は語気を強める。
Uは風邪で体調が悪るそうなので、「片付けはしなくてよいから早く休め」と言って先に帰し、ヒコを残して母の話をレポートする。ヒコが水曜に弁護士と会うことになっている。

  半纏に黄色の手ぬぐひ目につきてゆきずりの町は秋祭りなり


10月16日(日)
7:15/35.7。晴れ。
昨夜は検温もせずバッタンキューで寝入ってしまったようだ。付けていたメモ帳が隣のベッドに転がっていた。
日経に「日本会議の実力」という特集が載っており、その一隅に「青年会議所とも連帯」とある。ジェジェジェ、かつてのわが道楽はかくも醜悪なものになっているのか! やはり存在意義(目的・使命)を確認していない団体は腐ってしまう。徳島JCの徳島JCたる所は「of徳島、by徳島、for徳島」ということなのだ。日本会議の運動は「for日本」、それも明治レジームという限られた日本(幻想の日本)への回帰ということで、今の徳島、未来の徳島とは懸け離れた話だ。実は何十年も前の話だが、日本青年会議所の「北方領土問題委員会」に出向したことがある。その当時私は大阪営業所長をしておりJCは休眠状態だったが、ある日大久保次年度理事長予定者がやって来て、「うちのLOMから誰かに出向してもらわなあかんことになった。あんたが東京に一番近い所(大阪)におるけん、あんたに行ってもらいたい。なに、適当にやっといてくれ」と言う。東京JCの人が委員長で、日本JCの愚劣さと醜悪さが凝縮されたような委員会だった。で、2,3回行って後は行かなかった。大久保さんは何か言われたかも知れないが、そんな話を私にするような人ではなかった。ああいかん。また昔話になってしまった。
ヤフーニュースに「「生前退位」来年中に法整備へ、30年11月に大嘗祭」と載っておりビックリ。こんなにことが簡単に進んでしまって良いのであろうか。これで今上陛下の独断で行われた、忙しく公務をこなす姿を国民に見せることが象徴の意味(だから老人には無理)という定義が、既成事実化したことにならないであろうか。陛下の努力は理解できる。しかしそれは、天皇の地位を身分(象徴である)から役職(象徴する)に錯覚させる行為だと思う。その背景は先公から引き継がれた民衆への恐怖である。身分だと革命でロマノフ王朝のようなことになってしまうという恐怖である。「働かざるもの喰うべからず」の恐怖である。「働いてますよ、役に立ってますよ」とおっしゃりたいのだ。その中には私には「(国民の)人気取り」と感じられる活動もある。日本国民を信頼していないことから生じる恐怖である。明治以来、「天皇の名の下」に何百万人の死者を出し、無辜の国民を不幸にしたことを自覚した上での恐怖である。もちろんその怯えが天皇家に永続することを望むが、もう少し安心なさっても良いのではないかと思う。そして天皇家の歴史をアカデミズムにオープンなさった方が、天皇家と国民の関係が安定すると思う。いまさら北朝だの南朝だの言う国民はおるまい。まして仁徳陵の主がだれであろうと、かまわないではないか。伝統と称されるものを実証科学の場に曝すべきだ。胡散臭さは今の時代の権威にはそぐわない。
NHK・webニュースにも常識外れの記事があった。豊洲問題だが、再度招集された専門家委員会の平田座長が、モニタリング調査で基準値以上の数字が出たので、「改めて2年間、調査を継続していく。元に戻ったということだ」と述べたのに対し、都の職員が「モニタリング調査中の土地の利用には制限はなく、その間に市場を開場しても問題ない」と言ったそうだ。そもそも、小池新知事が「モニタリング調査完了を待たずして移転するのはおかしい」と言って始まった問題だということが未だに理解できていない様だ。また新たに処分対象者が出てしまった。
「人間晩年図鑑・1995〜99年」読了。なるほど、森君が言っていた様に第一巻に比べて面白くない。山田風太郎の「人間臨終図鑑」が死亡年齢順の列伝体だったのに対し、関川のこの本はその年に亡くなった人物を取り上げる。多少の前後はあるにしても暦年体になっている。こうなると新しくなる程読者は色々同時代人として知っているので面白くなくなるのだ。
なんか草臥れたので、ケンタの散歩はパス。
晩、織田裕二主演の「IQ246」なるドラマを視た。究極のパッチワークで、テレビドラマというジャンルのどん詰まりを象徴する駄作だった。
23:50/36.0。


10月17日(月)
7:35/36.1。晴れ。
昨夜は豪雨だったが良く眠れた。
今日は日赤外来。体重は78.35kgで増加は止まったようだ。血液検査の結果も変化なし。癌マーカーも5000台で安定している。主治医はすぐ嗄声に気付いたが、トシの婚礼に上京することを憶えていて、「まだまだ大丈夫ですよ」と言ってくれる。
高原君は、80歳になっても毎月同窓会をやっている知人がいて、自分もそうありたいと言う。まだ70にもなっていないのに。
待合室で森君風の人を見かけたが、マスクをしていて顔が確認できない。人違いだとまずいのでパスする。それに奥さんが隣にいないのできっと森君ではない。
帰宅するとケンタが庭にいて飛びついて来た。家内はいないのだ。今日は何だったっけ。
お八つを食べてソファーに沈没。主治医にも言ったが、ともかく体がだるくなって来た。
晩、途中でヒコとトシから相次いで電話が掛かって来て中断したが、プライムニュースで、いわゆる生前退位の有識者会議の話を聞く。ゲストの一人は有識者会議のメンバーである山内昌之で、今後彼が非公式のスポークスマンをやるのかも知れない。適任のような気がする。

  いつ咲くか迷ひ迷ひし金木犀雨の夜明けて匂ひ発せり
  日の差して漸く匂ひ強く立つ金木犀の季の来たれり
  金木犀の甘たるき香の懐かしく夕刻迄もガラス戸透かす


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2016年10月11日

病床メモ 2016.10.11

すっかり秋になりましたが、体はしんどいままです。
長男夫婦は連休を利用して休暇をとり山へ出掛けています。


10月04日(火)
7:00/35.8。晴れ。
台風が接近しているはずなんだが、全く気配なし。
ブログ定期更新。
午后、短歌教室。今日は歌会。意味の採りにくい歌が多く、不作。もちろん私の説明的な歌も含めて。ま、説明なのは確信犯的なんだが、色々工夫はしてみたのだ。撃沈されてしまったが。
「大滝貞一先生を偲ぶ会」の当日資料を頂く。年譜に、平成15年(67歳)に大動脈解離で倒れた、とあるから一度は拾った命だったのだ。「想い出のアルバムから」というスナップには竹安先生の20年前のお姿も見える。楚々とした美人で(今も美人だが)こういう写真を選ぶと「あなただけ若い時の写真で」とやっかまれても知らん知らん。
帰宅後しばし休憩した後、17:00過ぎから散歩に出たが、ケンタはやる気がない。なんとかごまかしごまかし半時間程歩く。
晩のプライムニュースに河野洋平・太郎の親子が出るというので視てみた。面白い企画だが、明らかにやりにくそうだった。まあ引退している洋平の方はいいが、太郎としては話ようもないという感じだった。
23:50/36.4。

 (先日の「美の壷」で諸将の甲冑の中に織田信長の陣羽織を見て)
  ふらふらと蝶飛ぶさまに信長は融通無碍の強さを見しとふ


10月5日(水)
7:45/36.0。曇り。
ここの処睡眠状態が良くなく、家内が起こしに来るまで寝坊してしまった。
今日は台風が接近しているはずなんだが、日本海を進んでいるので、不安定な天候ではあるが風雨ともにどうってことはない。しかし、今週末にヒコ達は白山へ登山に行く予定だが、白山はほぼ直撃で山道は荒れるのではあるまいか。
昨日の歌会でOさんが「人生を詠んではいけない、という話も聞いている」とおっしゃったのが引っかかっていたのだが、ブログの整理をしていて偶々その話が出て来た(まったく違う話かも知れないが)。それは風巻景次郎著「中世の文学伝統」の感想として、「歌を発表するというのは、今と違い社会的に公的な重みがあり、なかなか人生や本心を詠むというのは難しく、西行(出家者)の他には、天皇や実朝といった権力者しかいない様だ。もちろん西行の歌と後者達の歌とはまるっきり違う。西行に人気があるのは分かる気がする」と記している。当然、当時でも人である限り、花鳥風月や恋愛話でなく人生を詠いたいのだが詠えなかった。そのフラストレーションを解放したのが子規であり万葉集ブームだったのだろう。逆に言うと、短歌には大鉱脈が手付かずで掘り残されていたということだ。
(後記;10/5付けの野田俊作のブログ「野田俊作の補正項」にクラシック音楽の話が載っているが、まさにそういう話だ。野田はピアニストの森下唯氏のブログを引用しながら、クラシックの作曲の世界はクラシックの仕組みや技法を知り尽くしてしまい、なにをしても先人の作品の「焼き直し・パッチワーク」にしかならないので才能のある作曲家には創造の魅力がなくなり、無調性の曲しか作らなくなった、という。無調整の音楽は心に共鳴しないので一般社会には無価値だ)。
夕方、ケンタと近所巡り。昨日より涼しい分良く歩く。
ヒコが山行の日程を「一日後ろへずらす」と言って来た。正解だろう。
豊洲問題で、盛り土をしていないゾーンが更に出て来た。魚の競り場と仲卸店との通路の下は掘り返して盛り土という工事がなされていないという。道路部分だけ盛り土面積を狭くしてどれ程の儲けになったとも思えないのだが。また、地下空間の存在を明瞭に示す最初の図面が、民間(日建設計)の提案書だったとの理由で先日の知事への内部調査報告書から落ちていたらしい。その理由(守秘すべき民間の情報)も今後の疑いの方向を図らずも指し示している様に感じる。調査の趣旨からして、例え守秘すべき事項でも(今回の場合それに該当するとも思えないのだが)、その旨を添えてトップには報告すべきことは明白と思うのだが。また粛正の対象者が増えてしまった。
23:50/36.6。


10月6日(木)
7:05/35.3。晴れ。
台風一過の感じ。空気がサラッとしている。
今日はPDFを使ってのネット情報のプリントアウトを研究してみる。プリントは思う様になったが、データがパソコンのどこかに残ったままになっていっているような気がする。
試しに寺田学の「5年前の記憶の全て」というブログ記事を読む。3.11の時、彼は管総理の補佐官だった。
今日はケンタも元気で、土手まで散歩した。秋深まるといった感じ。帰宅して雨戸を閉めていると、きれいな三日月が見えた。
晩、サッカーの試合を見ているとトシから家内に電話があり、「先日送った婚礼の資料は、パパにチャンとチェックしてもらったか」という話の様だ。家内はことトシに関しては秘密主義で極力私に情報を入れようとしない。家内のパソコンで停滞しているのだ。まあ囲っておきたいのかも知れないが、とっくにトシには見限られている。当日のスケジュールを見たいとトシに言ってあったのだ。やっさもっさのあげくメイルを私のパソコンに転送させる。色々気付く点もあってとうとうゲームの後半戦は見逃してしまった。まあ運良く勝ったようだが、今回のチームは出来が良くない。結局W杯の予選は突破できないのではあるまいか。
23:50/36.5。

  先日Nさんに、「簡単に題詠が詠めていいですね」と言われたが、題詠   「紙」が詠めない。苦し紛れだが。
  最後には紙がもの言ふ組織の世界押印せし者首寒からむ

余談;トシにUの晩飯は旨かったと話をしていると、「ママが味見しとるとこ見たことあるで。全然やる気ないんよ。そりゃ味や言うんは真心の籠りようしだいよ」と言う。おっしゃる通りです。


10月7日(金)
7:10/35.5。晴れ。
睡眠状態が良くなくて朝から体調はいまいち。
徳新の死亡欄に短歌教室のHさんの母と思われる方の名が載っている。Hさんは前回欠席。105歳の大往生だ。
昼前、右肋骨下がピリッと突っ張った感じ。ま、肝臓が壊れたらこんな様子ではあるまいと高を括りながら短歌教室に行く。
今日の教室は先月の台風で振替になった分で、週に二回顔を会わすと調子が狂う。私の「何処となく茶色っぽくなる土手原にどばっと叢れ咲く緋の曼珠沙華」は上句が口語で荒いと評された。そうか「荒い」とは上手な表現だなと感心する。自分でもどう詠んだらよいか分からないまま提出したのだ。そんな「荒っぽい」ことで良い訳がない。
帰路ガソリンスタンドに寄り満タンにする。ヒコ達は明日から山で、夕方取りに来るはずだ。
ソファーに沈没。ケンタの散歩もパス。段々と弱っていくんだな、と実感する。
やがて、メモの打ち込みが完了していなかったことを思い出し、デスクワーク。
ヒコが車を取りに来たが、家内が私の体調のことを話してしまったようだ。黙っておれば良いのに。「心配せずに気を付けて登って来な」と言ってやる。「ちゃんと養生してよ」と言われる。
晩、更にヒコから体の様子を聞いて来る。「大丈夫、肝臓に変化があればこんなに悠長なことはない。肋間神経痛だと思う」と言ってやる。
とは言うものの本当だろうか。多少は心細く、今晩は家内に横のベッドで寝て欲しいのだが、いびきが酷くてそういう訳にはいかないのだ。そういえば何時から家内と寝室を別にしたのだろう。母が夜中に異常になるようになって、母の寝室の隣で寝る様になったのだった。そういえば来週主治医は休みだ。
いつも通り風呂に入って寝る。
23:50/36.4。小池知事が豊洲の地下空間を言い出したのを技術会議とした報告は誤っているとし、再報告を求めることにしたという。組織改革は外からの圧力でなく、内部からの崩壊でなくてはならないと思っているのだろう。正しいと思う。


10月8日(土)
7:45/36.1。晴れ。ずっと夢を見ていた様だ。
朝食を採っていると、ヒコがバタバタと現われて「大白川の道が通行止めになったので、白山はやめて上高地にする」と言う。ま、その方が無理がないと思う。
ハフィントンポストに載っている朴裕河の投稿(刑事訴訟公判記2)をプリントアウトして読む。孤軍奮闘の感じだ。表立って支援すると却って政治的に難しくなるので、悩ましく思っている人も多いことと思う。先般、プライムニュースで河野洋平が、安倍首相が慰安婦への手紙を出すことを「毛頭考えていない」と答弁したのは如何なことか、と言っていたが、この件に関しては安倍が正しいのではないかと思う。今日の公判記の中でも、検事は「日本が不法行為を働いたにもかかわらず、朴裕河は法的賠償を認めていない」ことを元慰安婦に対する名誉毀損行為だと主張する。正直もううんざりだ。朴裕河は今後、「慰安婦の真相」から「慰安婦問題の真相」に目を転じて来る構えだと思う。それは慰安婦が帰国してからの検証の形をとるだろう。日本の敗戦後の慰安婦については朴裕河ではなく西野瑠美子の方が詳しく調べて「戦場の慰安婦」に書いている。しかしそれもビルマから中国経由で帰国するまでの話だ。その後朝鮮半島の激動の中でいかにして慰安婦問題が誕生したかは触れられていない。朴裕河は「<冷戦後>遺症」という言葉を漏らしているが、そうではなく敗戦の日から<無政府状態となった朝鮮半島>で何が生じたかから調べなくてはなるまい。慰安婦は日本の問題だが、慰安婦問題は韓国の問題だ、と突き放すことはすべきではない。歴史に目を塞ぐことになる。当然敗戦時に朝鮮半島に居た日本人の証言も必要なんだが、もう故人となっていよう。それ以上に韓国人は暗黒史に口を開くまい(小説などはないのだろうか?)。しかし先日のNHK「ファミリーヒストリー」では財津和夫の祖父が朝鮮で大農場を経営していた話など結構詳しく取材していた。日本のアカデミズム(例えば高原基彰なんか)はどう考えているのであろうか?
今日はハフポストからもう一つ「ワタミに入社2ヶ月で自殺した娘さんの両親が和解金でブラック企業と戦う基金を設立した件について」(中嶋よしふみ)という記事を読む。「電通」で、東大出身の新入社員が半年の見習社員から正式採用になって2ヶ月で過労により自殺した件が労災認定になった、という報道があったからだ。このニュースには愕然としたね。この夏のドラマ「HOPE・期待値ゼロの新入社員」を視て、「あり得ん話だ」と思ったが、現実に新入社員をこき使う一流企業が存在する世になったのだ。もちろん川人君の出番だろうが、電通相手に各メディアがどの様に対応するかが見物だ。ちなみに上記のワタミの場合の和解金は1億3千万円だったそうで、それを基金にしたという話だ。私的には小池知事に、このようなブラックな企業には東京オリンピック、パラリンピック関係の仕事は発注しない様提言したいね。
ヒコから平湯の宿に着いたと連絡があった。
夕方、ケンタの散歩に出る段取りをしているところへお巡りさんが来た。前回の巡回は平成24年だったと言う。「お住まいの方に変化はないですか?」と聞くが大有りだ。父は亡くなり、母は施設に移り、息子は巣立ち夫婦二人住まいだ。激変だな。
23:50/36.1。今日は昼食、夕食とも残してしまった。またものが食べれなくなって来ている気がする。

余談;ハフポストに載っていた中嶋よしふみ氏はフィナンシャル・プランナーで、「お金を貯めるべき理由は二つだけです。一つは、やりたいことをやるため。もう一つは、やりたくないことをやらないためです」と言っている。本当にやりたいことをやるためには幾ら貯めたらよいのか分からないが、やりたくないことをやらなくてすむためには目処が立つ。


10月9日(日)
7:25/35.4。雨。
肋間神経痛?は気にならなくなった。
今日の日経に高額薬の話が特集されていた。他人事でないのでフムフムと読む。どうも日経は「高額療養費制度」を標的にしている様だが、その制度の恩恵に浴している当事者としては、「これこそが本当の保険だ」と実感している。こういう話が取り上げられるのは直接的にはオプジーボという具体例が出現したからだが、日経電子版を紹介した欄に「オプジーボ「高いのは日本だけ」」という記事がある。「医師の団体(全国保険医団体連合会)の調べでは日本では、100mgあたり約73万円なのが米国では日本の約4割、英国に至っては約2割だった」という。高い安いそもそもの議論の基盤が崩れるような話だ。別途、同会の公報資料を見てみると、「薬価算定方法そものもについて、小藪氏(大阪府保険医協会)は「厚労省の担当者の裁量が大きい上、算定の根拠・基準が明らかにされていない。事後的な検証が不可能になっている」」とブラックボックス化を指摘している。
家内にヒコから徳沢ロッジに泊まると連絡があったそうだ。明日晴れることを祈る。
今日は肌寒いので部屋にこもっていたが、夕方ケンタと少し近所を歩く。
晩、新ドラマを続けて二つ視たがパッとしないなあ。
風邪っぽいので風呂は止めて寝る。
23:50/36.3。

  白髪がいつしか生ひてくるやうに庭の緑に黄色見つけり

余談;オプジーボがどれぐらい高額なのか私が使っている分子標的約ネクサバールと比較試算してみた。
ネクサバールは1錠5000円を一日に4錠(この頃は3錠に減量している)飲み続ける。月に約60万円になる。オプジーボの場合は3mg/kgの点滴を月に二回するらしい。私は近頃約80kgに復帰して来たので、月に240mg×2回の480mg投薬することになる。薬価は73万円/100mgだからで月に約350万円。これが英国並みの薬価だと70万円でネクサバールとほぼかわらなくなる(ま、英国でネクサバールが幾らなのか知らないが)。しかもネクサバールでは治らないがオプジーボは完治すると言う。ちなみに肺癌に効く分子標的約イレッサは月に20万円のようだ。


10月10日(月)
7:05/36.1。晴れ。
秋晴れの好い天気。
昼前、ヒコからテレビ電話。掛かって来た瞬間「蝶の天辺か!」と大声を上げていた。上高地の周遊でもするのかと思っていたら「蝶が岳」に登ったのだ。天気に誘われてのことだろう。素晴らしいパノラマだ。それを見せたくて、わざわざテレビ電話にしてくれたのだ。
そろそろ住まいも衣替えだ。家内は扇風機を仕舞い、居間の片側フェンスにしていた引き戸を元にもどす。私も書斎にしている奥の間と廊下の間の引き戸を戻す。風通しのため外していたのだ。すると、長年生活していた親父の臭いが湧き出て来る。コマーシャルをしている「無臭」ってヤツが要るな。
その部屋に籠って、コツコツとベルクソン第一巻の再読を進めている。二度目は赤鉛筆を握っている。同じ箇所に線が重ならないんだよな。
16:30頃からケンタと散歩に出る。「藩政の松」の木道を歩いているとヒコから電話が掛かって来た。横尾山荘に泊まると言う。声に元気がない。「どうした?」と聞くと、どうやらUが下りでバテてしまった様だ。なるほど。で、下山口の横尾泊まりになってしまったのね。
今日は食欲は戻ったし、下痢をしている訳でもないのだが、どうも腹具合が悪い。
23:45/36.3。

  聞き慣れぬ鳥の鳴く声秋晴れの陽射しと伴に部屋に届きぬ


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2016年10月04日

病床メモ 2011.10.04

秋が来た感じがします。
去年の今頃は盲腸もやって体力の消耗が激しい時期でしたが、今年はのんびりしています。


9月27日(火)
7:20/35.5。晴れ。
暑さが振り帰りそうで、今日は短パンに復帰だ。
ブログ定期更新。
日経に「外国人労働者受け入れ」という記事がトップで載っている。「技能実習の代替も」とサブタイトルが付いているので、実習生を受け入れていた人間として一言ある。今回の案は自習生制度と根本的な違いがある。実習生の制度に則り実際に受け入れていたのは個々の企業だ。それぞれの企業について労働条件とか住居とか受け入れの審査もJITCOによって行われた。今回は国同士で分野ごとの制限数を設けて入国させるという。となると、一度入国してしまうと何処でどのように働いているか、生活しているかは無管理になる。入国と雇用のリンクがなくなる。不法残留者が多発し、失業状態の外国人労働者が発生する。「技能実習の代替」の理由に、民間ブローカーの介在により一種の不法労働が発生していることが上げられている。それは取り締まればよいだけのことで、仕組みを変更する話の理由とはならない。外国人労働者導入に関する非常な誤解を与えるストーリーになっていると嫌な気がする。
今日は「雲珠」の主宰をなさっていた大滝貞一先生の「偲ぶ会」の日だ。だからという訳ではなく、例会が迫って来たので秀歌選びと詠草の纏めをする。
晩のニュースで、新旧宮内庁長官の会見の様子がチラッと流れた。陛下は今回の人事異動をどう思っておられるのであろうか。
豊洲の地下空間設置は技術部門の独断専行という話になりそうだ。戦前の軍部であるまいし、そんな話で決着はなかろう。統帥権の独立を盾にとったように、何かあるのだ。
23:50/36.5。雨が降っている。今月は雨が多い。

「雲珠」詠草
「猛暑を過ぐ」
  あちこちと風の抜け道探しだし猛暑の午后は寝て過ごすのみ
  先公の盆提灯を縁側に吊るせばゆらり風を呼びこむ
  提灯の電池は替へず三年目更けゆく闇に小さく灯れり
  「あなたのは踊りの高張提灯に戒名書き足し吊るしませうね」
  「ああそれは阿波の男に何よりの供養になる」とわれは嬉しき
  「何といふ相談なすか」と堅物の息子聞きつけ目をつり上げり
  実り終へトマト、胡瓜はチリチリと枯れてゆくなり炎天の下
  魂を絞り切りたる姿ならむ蝉の骸が風に転がる
  天皇の「生前退位」のお言葉に老いし秀吉見る思ひのす
  盆提灯焚けば真黒き灰残る 父の性根はさうでありしや
  陽の高さ日に日に低く盆開けの陽射しが軒をくぐり這ひ入る
  この時期に父は簾を欲せしと想ひ量りぬ 残暑厳しく
  父のあと子の棲みをりし奥の間に移りて二ヶ月まだ気配あり
  われにとり所詮は仮の住まひなりデスクとチェアー持ち込めるのみ
  病室のベッドの位置もさうでありき 窓に対ひてデスクを構ふ
  いつもさう内から外を眺めゐるそこに未来があるかのやうに
  診終はりて「熱中症」と聞かさるる 「違ふ」私は癌の患者ぞ
  水分は摂ってゐるとの反論に汗の多きを指摘されたり
  雨一夜蝉声絶へてお別れの挨拶もせず夏去りゆけり
  刈入れの無事を祈りて「風吹くな」と踊りはじめしオワラ風の盆
  稲作を踊りの所作とす「風の盆」阿波の踊りは阿呆を競へり
  近所より水田消えて久しかり二百十日も意味失へり
  硝子戸にはや秋の日の差し掛けてときをり蝶の影の行き過ぐ
  めぐり来る季節待つより猛暑さへ去りゆくものはいとしかりけり
  去年の夏命繫ぎしメイバランス一個残れり冷蔵庫の隅


9月28日(水)
6:40/35.8。晴れ。
昼に森君から「「人間晩年図鑑」という面白い本があるけど貸しましょうか?」とメイルがあった。どこかで聞いたような? そうだ、山田風太郎の「人間臨終図鑑」だ。「読みたい」と返信する。(後記;ブログを検索してみると、風太郎を読んだのは丁度一年前だったようだ。記憶がペシャンコになって行っている)。
夕方、ソファーでベルクソンを読んでいる(いや、ラインを引いている。4Bの使い心地は良い)と、届けてくれた。風太郎が死んで「図鑑」に登録されることがなくなった人が気の毒ではないか、と関川夏央が企画を引き継いだようなことだ。従って1990年以降に亡くなった人ということになる。
目次を見ていると田中角栄が「1990年に死んだ人」に載っていたので読んでみる。すると結婚の話がズバリ出ていた。思っていた通りだ。「戦争中の42年、23歳の田中は東京・飯田橋で広い土地を所有する土建屋、坂本組の娘で、子持ちの八歳上の女性と結婚した。そうして、休眠中ではあるが実績ある会社を受け継いだ田中は、統制経済下の企業整理をまぬがれた。翌43年には社名を田中土建工業と改め、全国上位50社の中に入った。P.212」。
17:00になっても雨は止まず、ケンタの散歩はナシ。
晩、日本ハムの優勝試合を視る。大谷も栗山監督もカッコ良かった。
23:50/36.5。


9月29日(木)
7:00/35.7。晴れ。
午前、「徳島雲珠短歌会」の用意をしていて、題詠のプリントを忘れていたことに気付く。本当に危ないのだ。
昼前、北島君から久しぶりに電話があった。要するに、嫁に飯を作らせるなんて考えられん、という話。フフフ。
午后は上述の短歌会。先ず竹安先生から、一昨日の故大滝貞一氏の偲ぶ会の話がある。昨日東京から帰られたようで、お疲れだと思う。Hさんも出られたそうで、後で最近入手したiPad-proで会の動画を見せてくれた。全国から会員が集まったようで、徳島からHさんだけでは申し訳なかった気がする。最も暇で、小康状態にある私でもが参加すべきだったのだろうが、上京しておれば今日あたりはダウンしているだろう。難儀なもんだ。今日は司会進行係だったが、何かと不手際ですっかり17:00を過ぎてしまった。おまけに、次回の題詠を考えて行くのを忘れていた。何か抜けるのだ。なにか秋らしい題詠を考えてみたい。
帰宅して車を停めていると家内がガレージまで飛んで来て、「ちょっと近所で里の母のケアマネと会って来るから、コレ」といって家の鍵を運転席の私に放り渡してバタバタと出て行った。それみろ、「鍵は持って出なくてもいいか」と家を出るとき確認したではないか。ガレージから庭に出ると、既に家の中からケンタの散歩を催促する声が聞こえる。家内が帰って来るまで待つ様になだめねばいかんと思いつつ鍵を開けていると、佐藤君から「これから高知の土産の鰹のタタキを持って行きますから」と電話がある。ケンタとの交渉が終わった頃に家内が帰って来たので、ケンタの散歩に行ってもらう。
やがて佐藤夫妻がタタキを届けてくれる。いよいよ明後日には北海道へ帰るそうでドタバタしているというのでお茶もださなかったが、ま、別れとはそんなものだ。
晩のニュースで、豊洲の地下水のモニタリングで、8回目にして初めて環境基準値を上まわる数値が出現したという。このモニタリングは計9回2年間に渡って行われることになっており、来年1月中頃の最終の9回目結果を確認するまでは豊洲の安全宣言は出来ないと言うのが、小池知事の移転延期の理由だった。誰もが納得する話だ。たぶんモニタリング期間が2年間も必要とされているのは、汚染は徐々に復旧する恐れがあるということなのであろう。9回目を待たずして「豊洲移転アウト」の判定が出たのだ。小池知事がモニタリング結果をどう予測していたか分からないが、ぶら下がり取材に対し答えなかったということは案外想定外の結果だったのではあるまいか。今後どうなって行くのだろう。
23:50/36.5。


9月30日(金)
7:15/35.9。晴れ。
徳新に鷲田清一氏の「これからの文化支援」という講演のレポートが載っている。面白い定義がなされていた。「文化とは、商習慣なども含む「集団が生き延びるために身につけてきた習慣や知恵の集積」と定義」。「「文化の違い」は、さまざまな価値の中で何を優先するかに表れる」と言い、「それを支える判断力や感受性が「教養」だ」と指摘する。そして日本における教養の変化を述べる。「大正期の教養主義は実社会に関わらない高踏的なイメージだった。次に出て来たのが、社会の仕組みや歴史を巨視的な観点で掘り下げる政治的教養で、それも終焉を迎えている」。そして今は「介護や子育てといった、正解が一つではない課題を多数抱えた現代社会で重要なのは「現場的教養」だと強調する。それは具体的にはどういうことかというと、「立場や境遇、考え方の違う人と対話しながら考えていかなければならない。ネットワークをつくる力や目配りができること、場数を踏むことも必要。それは、台所を切り盛りする能力に似ているかもしれません」と言う。何か次元の違う話にすりかわってる感じがする(普通は「世渡たり術」と言う)。この(その場その場の)現場的教養はどういう(本来共有持続を意味する)文化を支えていると言うのだろうか。なんか角栄ブームに通じる臭いがするな。これでは将来への不安が募るばかりだ。
ハフィントンポストに「2016年9月28日 「雨宮処凛がゆく!」より転載」として「石原慎太郎の葛藤と、相模原障害者殺傷事件の背景を考える」が載っている。文芸誌で、あの強面の慎太郎が精神科医の斉藤環氏との対談で、「老いや病(脳梗塞)に直面し、そんな自分を受け入れられずに戸惑いまくっている様子が率直に語られている」のだそうだ。まあそれがタイトルになっている訳だが(筆者はもちろんそれを矛盾ととっている)、本論は上野千鶴子氏の「障害と高齢の狭間から」(「現代思想」10月号)にある。上野氏が事件後に相模原市で開催された在宅医療のシンポジュームで、コーディネーターからこの事件を取り上げるよう促されたところ、「ここに来る聴衆には、関心がないと思う」と話したという。「なぜか? わたしには理由がわかる。高齢者は自分を障害者とは思っていないからだ。それどころか、障害者と自分を区別して、一緒にしないでくれ、と思っているからだ」。「なぜか? その理由もわかっている。高齢者自身が、そうでなかったときに、障害者差別をしてきたからだ。自分が差別してきた当の存在に、自分自身がなることを認められないからだ」と言ったという。よく分かるブーメランだ。どこかで隠者にならねば、やがて雨宮も慎太郎の様になるのだ。
「人間晩年図鑑」を読み進む。なかなか風太郎の域には達しないが、段々進むに連れて調子が出て来ている様子だ。
17:00からケンタと近所散歩。久しぶりに近所の先輩に出合った。変わってない。もうそろそろ半時間程散歩に時間を早めても良いかと思う。
晩、ニュースで小池都知事の記者会見を報じていた(すっかり国会を喰った感じだが、国会でも辻元が稲田を泣かすという女のバトルがあったらしい。そりゃ誰が見てもイジメっこキャラとイジメられっこキャラだよな)。豊洲市場の地下空間の内部調査報告を受けて、何時誰が地下空間を決めたかは分からなかった、という報告通りの話をしたようだ。もちろん盛土という方針に反した行為が明確な説明・承認なく行われた訳で、司々にそれなりの処罰があるのだろうが、それは後の話ということのようだ。
二時間ドラマを視るが面白くなかった。なにをやっても松下奈緒を上手だと思ったことが無い。
23:50/36.2。

  背の丸きイタチの走る秋の庭金木犀は満を持しをり


10月01日(土)
7:00/35.4。晴れ。
朝、いつものようにヒコ達がケンタの散歩にやってきた。
「とと姉ちゃん」最終回を視る。やはり主役のキャスティングが良くなかったな。役者として成長もしなかった。さあ、次は「合唱部」以来御贔屓の芳根京子だ。ピカピカの美人。愉しみである。
今日は何度か知らないが快適な一日だった。
「人間晩年図鑑」(関川夏央著)読了。風太郎の「臨終図鑑」のときは、結核で死ぬ人が目立ったが、「晩年図鑑」の時代に変わると圧倒的に癌だ。それもまた何十年か経つと変わるのだろう。たぶん「人類地獄図鑑・あいつはまだ生きている」って本が出る。「安井かずみ」の章の中に夫だった加藤和彦の話があり、フォークルの話になり(こういう風に流れて行くのが面白いのだ)、「イムジン河」の話が出て来た。このレコードは発売中止(自主規制)になったのだが、「朝鮮総連の執拗な抗議」があったからだそうだ。総連は、作詞作曲者正式名と国名を記せなどと主張したそうだ。曲は、(私もそう思っていたが)南北統一を願う歌だと解釈されていた。が、「実はこの歌は、日本から北朝鮮に渡った「帰国者」がつくった可能性がある」と言う。とすれば、「わが祖国南の地」というのは韓国ではなく日本を指すことになる。北朝鮮としては非常に不味い。後年の拉致は語るまでもないひどい話だが、「地上の楽園」も詐欺的話だ。今日から「イムジン河」を聞くと今までと違った光景が頭の中に広がってくるであろう。
今日は時間を早めて16:30から散歩に出る。天気もよいので土手へ行くと、思った通り彼岸花が咲いていた。
夕食はヒコ夫婦も来て、佐藤君の土産の鰹のタタキを食べる。脂がのった美味い鰹だ。明日がヒコの30歳の誕生日で、Uがケーキを買って来る。幸せそうだ。30歳までに結婚できて良かったと思う。男子30にして立つ、だもんな。
かつてヒコの誕生祝には松茸を食べることに決めていた。「ポケット」のキッシャンが届けてくれるのだ。「幾らぐらいしたんですか?」とUに聞かれるが、なにせ全て付けで年に1、2回キッシャンが不定期に集金に来るシステムだったから分からない。キッシャンが死んで何年になるんだろう。忘れてしまった。今も弟さんに税金関係は頼んでいるが。
0:00/36.5。

  どことなく茶色っぽくなる土手原にどばっと叢れ咲く緋の曼珠沙華


10月02日(日)
7:00/35.8。晴れ。
家内は友人に誘われてクルミ採りに行った(食べれる形になるまでに手間ひまが掛かる様だ)。
9:00、坂本氏来宅。今日は日が差して暑いので奥の部屋に通ってもらい、紅茶を淹れる。豊洲やオリンピック絡みで土建屋の入札の話をするも、彼はどこまで分かっているのか掴み所が無い。磯崎新の本を進呈した。まあ、どっちみち自分から動くということのない人間なんだが。
日経に「相次ぐ兼業解禁論」という記事が載っている。「終身雇用がなお一般的とされる日本企業では、社員の「兼業」「副業」を制限しているところが多い。・・ここに来て広く認めようという議論が官民双方から出ている」とある。「官民双方」とは言うが「労」は入っていない。世界との比較もされていない。私は工場を経営していた者として、この論を大いに疑問に思う。これは、給料は多く出せないから仕事を複数掛け持って稼いでね、という情けない話なんだろうか。そういうことをされると労働者は草臥れて仕事に差し支えたり健康を害する。私は残業させるのが嫌だった。残業をすればその日の生産高は増える。しかし、次の日の正規の時間の生産性は落ちるのだ。現場監督者どころか労働者自身がそれは一番良く知っている。兼業や副業は究極の長時間労働を強いられるということだ。何か酷い世になってきた。
今日は蒸し暑くて、Tシャツ・短パン姿に復帰だ。それでもしんどい。ソファーに寝転んでベルクソンを読むが、分かったのか分からないのかさえ分からない事態だ。要するに、書かれていることは既に知っていることなのか、まったく理解できないことなのか、どっちなんだろう。
昨日と同じ時間帯にケンタを連れて散歩に出たが、ケンタは歩く気がない。実に気温に敏感な奴だ。
23:50/36.5。
(本日の来宅者;坂本)


10月03日(月)
7:40/35.8。曇り。
今日は大安で、午前中に親戚御三家、午后に新しい親戚であるUの里がトシの結婚祝に来てくれる。有り難いことだ。
ベルクソンの「試論」読了。実は旧訳も借りてあって、パラパラっと読み比べてみた。竹内信夫の新訳の方がビビッドで良い様に思う。こちらで続けてみようと思う。が、あまり刺激を感じないので、とりあえず第二巻だけ。ビビっと来ないのは知能・感性が劣化したことが第一要因だろうが、若年来デカルト主義者で二元論を弄んで来たからかも知れない。ベルクソンは常識的な二元論者だと思う。まあ、私の今はそれも揺らいで、一元論の禅に傾いているのだが。余談だが、「無我」というと大げさだが「無私」と言うと平易に感じる。我というと「vs.宇宙」って感じだが、私というと社会に対する感じがするからだろう。が、本当は自分と対峙しているのだと思う。「私は私にとって一番大切な特別な存在」と定義付けると扱い易いかもしれない。
午后、家内はNHKカルチャーのパソコン教室へ行った。家内は趣味のパンを写真に撮って、それをSNSにアップしたいのだ。私は毎日おいしいパンを食べることにしか関心がないのだが、家内の欲望は限りなく、次々と目新しい、当然おいしいとは限らないパンを食べさせられることになる。まあ、目的が漂流している訳だ。
家内が帰宅するまでに雨も上がったが、すでに薄暗く足下が悪いのでケンタの散歩はパス。
晩、Eテレ「100分で名著」。今月はアドラー。岸見一郎が登場(野田俊作は危険人物なのでNHKは絶対呼ばないと思う)。アドラーは思想家というか、哲学者というか、好きな様に利用されている気がする。アドラーは社会を治す医者ではない。目の前の生き悩んでいる一人の子供をまともな大人に成長させることをテーマにした医者だ(ちなみにフロイトはヒステリーの御夫人を対象とした)。野田は社会を治すのは宗教だと言っている。これまた極端なんだが。
23:50/36.4。


nikonikobutubutu at 11:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)