2017年02月14日

病床メモ 2017.02.14

前にも言った気がしますが、そしてこれからも何度か口にするのでしょうが、that day has come.
ネクサバールが突破されました。
すごい勢いで新型が増殖している様です。


2月7日(火)
7:40/36.1。晴れ。
徳新に南スーダンPKOに派遣されている自衛隊の「日報」をめぐる記事が載っており、一発で目が覚めた。去年の7月に現地で大規模な衝突があり、その時期の「日報」がその後「廃棄済み」とされていたが、河野太郎議員等の働きかけで再度探したら見つかった、という話だ。とんでもない話だ。先ずは「日報」だが、これは「陣中日記」に当たるものだ。部隊・兵隊にとっては生死の記録であり、その正確さと記録性は軍隊にとって重要なものだ。先の大戦においては、降伏時に敵の手に渡るのを恐れ焼却されたとされる。PKO部隊は作戦中であり、そんな大事なものが残されていないはずがないし、残していないなら軍紀違反だろう。もしそれが正当な処置だったとしたら、そもそも武力組織としての態を成していない。直ちに統合幕僚長は辞職すべきだ。さらに、廃棄したと嘘をついたことに、「隠蔽と言われても仕方がない」という声が防衛省内からも上がっていると言う。当然だろう。明白なシビリアンコントロール毀損だ。司の長である稲田防衛大臣は責任を負って辞任すべきだと思う。
ブログ定期更新。
11:00から裁判所の調停に家内と出掛ける。経過を家内にも知っておいて貰わないと何時出れなくなるか分からないからね。だのに、なかなか進まない。
昼食を家内と「スシロー」。以前と違い、5皿も食べれば十分だ。家の近所で家内を降ろし、そのまま短歌教室へ行く。皆が顔色が良いと言ってくれるが、調停で頭に血が昇ったのかもしれない。
今日は日下さんの「ほしいままに雀は集散くりかえ移って行ったよ冬枯れの空」が写生の手本の様な一首で良かった。私の歌は謎が多すぎて分からない、と言われてしまった。歌の材料として適・不適がある。楽しいとは言わないが、美しくなければいかん。
「雲珠」の草稿は自選2案も添えて提出して来た。結局選びきれなかったのだ。情けない。
今晩も食が進まなかった。重くならないうちに再度休薬した方が良いかもしれない。ま、次回診察にはCTも出るし、判断してもらおう。
ドラマ「カルテット」は何か荒れ始めた感じ。
23:50/36.6。

余談;陣中日記に関して。(2016.06.01「にこブツ」)
「「宮柊二とその時代」(小高賢著、1998)を読み始める。まだ半分程しか読んでないが、その「山西省」の経緯について面白い記述があった。高野公彦の合評での発言の又引きなんだが、宮は「陣中日記」を記ける係だったらしい。「陣中日記は、部隊で起こった出来事を日々に誌してゆく公的な日記であるが、その性格上、これを書くのは学力・文章力があって人物もしっかりした兵でなければならない。作者(宮)は部隊の中から選ばれてこの任務にあたったのであろう。平常の日は記述も簡略だが、この場合のように戦闘のあった日は何ページにもわたって経過を記録しただろうと想像される。記事は正確かつ詳細であることを要求されるから、陣中日記を書く兵は、ふだんの日はもちろんのこと、戦闘時でも、部隊の動き、一人一人の兵の行動、敵の状況、まわりの様子などを克明に観察して記憶しておく必要がある。作者がこの任務にあったことは、「山西省」の作品群にはかりしれぬ影響をおよぼしていると思う。(「柊二秀歌・「山西省」より」)p.85」」。


2月8日(水)
7:40/36.3。晴れ。
読書会のテキストも読了したことにし、「雲珠」の提出も済んだことにし、のんびりと図書館で借りて来た本の読書に戻る。先ずは「戦争の日本中世史・「下克上」は本当にあったのか」(呉座勇一著、2014)。昨年12月に亀田俊和の「南朝の真実」や「足利直義」を読んで日本中世史に興味が出て来たからだ。亀田は1973年生まれ、呉座にいたっては1980年生まれだ。若い。それにしても呉座(ござ)って姓は初めて聞く名前だ。なにか由来がありそう。
16:00過ぎからケンタと散歩。小学校のかどでケンタと引っ張りあいになったのだが、負けてケンタの行きたがる小道に入ると、オバさんが様子を見ていた様でホホホと笑われてしまった。
ニュースで、米国大統領令の停止をめぐる仮処分で、カリフォルニアの控訴裁が電話を公開して審問を行っていた。凄いね。
23:50/36.3。

余談;野田俊作のブログ(「野田俊作の補正項」2/7)で、「ポストモダン」を語っている。要領よく理解し易い文章だと思ったので引用添付する。それより、どの分野にもポストモダンは存在するのだと変に感心した。「ポスト・トゥルース」はどうだろうか。
「ポストモダン思想は、その「なんとなく決まっている」構造を解体しようとする。たとえば、「男はこうふるまう」とか「女はこうふるまう」とか、むかしからなんとなく決まっていたのだが、それを解体して、差異をなくしてしまおうとする。あるいは、「親とはこうつきあう」とか「先生とかこうつきあう」とかも、むかしからなんとなく決まっていたのだが、これも解体して、差異をなくしてしまおうとする。そうしてなにもかも差異をなくしてしまうと、最後に、まったく構造を失った《個》が残る。そういう《個》は、《構造》に従わないで「かぎりなく自由に」行動するのだが、そういう人に「《構造》に従うように」というと、ポストモダン思想家は、「差別だ」と言って糾弾してくる。
しかし、文化とは構造だ。構造がなくなれば文化がなくなる。文化があれば文明人だし、文化がなくなれば野蛮人だ。全人類を野蛮人にしようというのが、ポストモダン思想だと、10年くらい格闘して、最終的に結論を出した。私は文明人として暮らしたいし、私の周囲の人たちも文明人でいてほしいと思うので、ポストモダン思想とその親戚筋を相手に、断乎戦うことにした。どうやって戦うかというと、ひとつは純正のアドラー心理学を教えることで戦い、ひとつは純正の仏教徒として暮らすことで戦う。どちらも「暮らしの構造」だから、それを守れば、文明人でおれる」。


2月9日(木)
7:40/36.3。小雨。
天気が悪く陽射しがないので、今日は朝から奥の部屋に籠る。狭い分だけ暖房がよく効く。
日経に「米控訴裁判断に重み・入国制限大統領令差し止め是非」という記事が載っていた。昨晩の電話の公開審理は世界で10万人以上が聞いたと言う(英語が出来ないのは辛いなあ)。よく纏まっていて良かった。口頭弁論のポイントは3点だったという。1)大統領令が宗教差別かどうか。2)大統領令の効果は何か(ワシントン州(原告)は制限された7ヶ国人の入国で「具体的にどのような問題が生じるのか示していない」と指摘しており、政府側はその7ヶ国とテロとの関連を立証する必要がある)。3)地裁に大統領令差し止めの資格があるかどうか。だと言う。なるほど、と思った。たぶん最高裁までこのポイントで争われるのだろう。
トランプに関しては、徳新に、民間人が巻き込まれて犠牲者が出たことで「イエメンが国内での米軍に対テロ地上作戦への許可を取り消した」という記事が載っている。日米安保では日本国内で戦闘が起きた場合、米軍と自衛隊とどちらが指揮をとることになっているのだろう(韓国軍もいるかも知れない)。初歩的なことを知らない事に気付いた。
終日「戦争の中世史」を読む。歴史の研究というのは面白いものだと思う。シュリーマンから笹田さんまで、アマチュアで取り付かれてしまう人が出現するのも分かる気がする。
霙もちらつき寒いのでケンタの散歩はパス。ということは、私がパスしてもケンタは堪えてくれないので家内が行くと言うことだ。今日の日経にフィリピン人家政婦が解禁され、この春から事業が始まるという記事があったが、寒い中での犬の散歩は愛情あればこそのことで、フィリピン人家政婦は行ってくれるのだろうか。札幌で犬を飼うのは大変そうだな。
晩のニュースで、福島第一原発で調査に投入したロボットでカメラの映像がだんだん暗くなって行ったと言う。死んだって感じだな。放射線の威力はまだまだ認識されていないということだ。ロボットの背中に東芝と書かれており、哀れな感じがした。
23:50/36.5。昨晩、「風呂が長い」と家内からクレームがあったので、今日は湯の温度を42度に上げた(従来は40度)。短時間で快適に温もった。

余談;日経に「がん治療新時代」という囲みがある。最新治療を紹介するのだろう。今回は免疫剤の紹介だ。免疫療法は何の彼の言っても「丸山ワクチン」以来日本のお家芸的なところもあるのであろう、期待が大きいのだ。それはそれで良いのだが、今回の記事は「そんなに簡単に言ってしまっていいの?」という感じの記載もあった。「進行がんの患者に抗がん剤を使っても延命効果は長くて1年半ほどだが、がん免疫薬は効けば3年以上という例も珍しくない。(医師も)「こんなに長く再発を抑える薬はなかった」と驚く」。これって正しいのだけど、一度も癌に罹ってない人の感覚だよね。いや別に差別されている感じはないのだが。


2月10日(金)
7:40/36.0。晴れ。
朝ドラに続いて「あさイチ」を視ていると、カリフォルニアの連邦控訴裁がトランプ政権の訴えを棄却したというテロップが流れた。早い。
家内が日経を読んでいて(近頃結構熱心に読んでいる)、「大機小機」の「トランプ政権と教育コスト」というコラムに、「米主要大学の学費の大幅引き揚げは、中国などの新興国の富裕層が子弟を米国に進学させる動きが重要な背景となっている」とあるのはどういうことか、と聞かれる。まあ、ほとんどの場合「パパは何でも知っている」なんだが、これは分からない。まさか学費まで需給の関係で決まるとは思えないし。「?」だな。
私が同じ日経で面白かったのは別の「私見卓見」というコラムで、日本児童青少年演劇協会といういささか胡散臭い名前(ま、日経が載せているのだから大丈夫だろう。神経過敏になっているのだ)の会長の森田勝也氏の「子どもに「遊び」を取り戻そう」というコラムだ。出だしに「江戸時代に良寛和尚は「よく遊び、よく学べ」と言った」とある。これは胡散臭いぞ。たぶんフェイクだが、この際無視。先日も「児童クラブ」で触れたが、良寛の時代から私の幼少期まで、子どもは近所の子ども達と群れて遊んでいた。それが残っている姿を「児童クラブ」に見た、という話をしたつもりだ。森田氏は「地域、家庭、学校が遊びを奪ったのである。遊びがなくなれば、遊びで構築された子どもたちだけの世界は消えていくしかない」と言う。此所からが良い。「子どもの遊びは個の遊びに変容した。人とのつながりや関わりが必要なく、人との距離感を測る必要のない小さな画面のなかの遊びである(文字通りゲームと解釈されそうだが、視野が狭いとかホモジェニアスな世界と解釈した方が良い)」。そして「そんな個の集団に学校の先生は戸惑い、集団での指導は困難になり、限られた領域での個の成長のための指導にシフトした」と指摘する。正しいと思う。が、残念ながら森田氏にはどうするという具体的なアイデアはないのだ。私の子育てにおいては、自然や芸術・スポーツの体験の中で、自分が広大な世の中に存在することを知ってもらいたかったのだが。結果は子の子で顕在化するのだろう。
さて今日は18:00から、徳島青年会議所シニアクラブの理事会(歴代理事長会議)と総会の日だ。ところが16:00前から雪が舞いだした。鳥が騒ぐ。見る見る内に木々が白くなる。こりゃダメだ、と思ったが、シニアの会長をやっている岩根君の携帯が分からない。武田に聞こうかと思ったが、「したらいかん事をしょうとするから雪にやなるんじゃ」と説教されるのがオチだ。それにしても奇麗だなと見惚れている内に止んだ。陽も差して来た。で、出掛けた。
理事会は最年長がS.21の森本さんで、その次に私、重ちゃんとなる。周年の年廻りだというのに、もう古い人は顔を見せなくなった。寂しい限りだ。議題は60周年の祝金の件。議長はシニアの会長の岩根君がやるのだが、坊主ってのは権威で喰っているから、説明を要する会議などには向かないのだ。まあ私も口出しして無事終了。現役から60周年の記念式典・懇親会は8月26日に「アスティー徳島」でという話があった。懇親会には郷ひろみ級を呼ぶそうだが、記念事業の紹介はなかった。
総会まで手持ち無沙汰でいると、立木さんが八ちゃんに写メすると言ってツーショット写真を撮った。爺と介護師にしか見えない。ま、立木さんには「爺さんと孫みたいだな」とは言っておいたが。八っちゃんはこの写真を見ると、8月26日は墓参りだと覚悟してくれる事だろう。
総会の見物は、今年のスタッフの挨拶だった。名を紹介されると出来の悪いヒトラーユーゲントの様に右手を挙て応じるのだ。たぶん私は苦虫を噛み潰した様な顔をしていたのではあるまいか。
さて後は8000円の元が取れるかどうかの懇親会だ。ヨシ、円卓での和食だ。これなら幾らか食べれる。例によって詰まった感じになるが、料理が変ると少しずつ摘める。同席の面々もあまり飲まなくなったな。ま、二次会で飲む魂胆なのかも知れん。年をとると堪え性がなくなるのか、早く〆て「檀家廻りに行こう」という雰囲気になる。このまま居ては〆の挨拶が廻ってきそうだ。別に挨拶が苦手な訳ではないし、今日は重ちゃんの息子の激励が目的で出席したのだが、口を開いたら「出来の悪いヒトラーユーゲント」などの説教が溢れそうなのでいかんのだ。丁度食欲の湧かない炊き込みご飯が出て来た処だったので、役を重ちゃんに譲って中座する。
森竹君が見送ってくれた。「西新町再開発は呪われているようで、うまく行きません」と言う。「「二眼レフ構想」の呪いやな」と言って分かれる。
幸い雪は降らなかったようで道は心配なく、21:00に帰宅。ゆっくりと「お母さん娘やめてもいいですか」を視る。波瑠は奇麗だが老け役には向かなかった。今の芳根京子は上手く老けている。役者としてはどうなんだろうと思ってあげる。
23:50/36.3。草臥れたし、辛い一日になった。もうJCは街に必要とされていないのではなかろうか。

  鳥さわぎ雪降りはじむ一瞬にさ庭を被ふ白銀静謐


2月11日(土)
7:20/36.0。晴れ。
朝食を摂っていると、家内に右目が出血していると言われる。昨日は大人の対応をするのに余程くたびれたと見える。
徳新に「トランプ新政権米社会の変化」という生井英考・立教大教授の「寄稿」が載っている。「振り返れば、共和党の予備選で当初泡沫候補と見られていたトランプ氏は、ネオコンやこわもての「ティーパーティー」系の対抗馬までたたき落とし、最後は党内をずたずたに引き裂いてしまった。それも論戦ではなく、わいせつな罵言と嘲笑の一本調子によって。その影響は深刻で、いま同党は議会の多数を制したとは思えない混乱の渦中にある」と言う。破壊者なのだ。コンセンサスが得られていない。
今日の新聞で一番面白かったのは、日経「大機小機」の「安倍政権の「やってる感」」だ。筆者はかねてより実績の上がらない安倍政権の支持率が高いのを不思議に思っていたが、「政治が危ない」という本に出て来た「やってる感」に膝を打ったという。安倍首相は「やってる感」を意識的にばらまいている、というのだ。実に巧みな揶揄でニコニコしてしまった。
あと、小保方さんの申し立てを受け、BPOは3年前の放映された「NHKスペシャル・STAP細胞不正の深層」が小保方さんの名誉毀損にあたると認め、「NHKに委員会の決定内容を放送し、再発防止に努めるよう勧告した。人権侵害による勧告は、委員会の判断としては最も重い」とある。私自身、この番組を視て取材に不快感を覚えたことを憶えている。意図的な不正研究だと断定し、小保方さんに制裁を加えるかの如き番組だった。早速NHKのネットニュースを見てみると、NHKは反論している。今後の展開を見てみたい。
昨日JCの会に出ていたとき、高原君から県立図書館の新システムへの接続の話で電話があった。で、私も設定しようとしたが、どうしても上手く行かない。新システムはマック(サファリ)に対応しているのだろうか? 一度聞きに行かなきゃいかんかも知れん。
「戦争の日本中世史」(呉座勇一著)読了。著者は今の社会風潮と引き合わせて中世の実情の理解を深めさせようと試みているようだ(その逆ではないと思う)。が、かえって混乱を起こす様になっていると思う。今生じている事の解釈は今の人には出来ないからだ。こういう書き方はやめた方が良いと思う。それでも全体としては鎌倉幕府の滅亡から世が乱れ、その収束して行く過程で守護大名が発生する様子は良く書けていると思う。
16:00過ぎからケンタと散歩に出る。山に雪が残っているのだろう、風が冷たい。昨日の雪で藩政の松がダメージを受けているのに驚いた。剪定をしてないから雪が溜まってしまったのだろう。
晩、2時間ドラマを視たが、酷い脚本だった。
23:50/36.4。

  あればあの雪で斯様に傷みしや葉乱れ枝落つ藩政の松


2月12日(日)
7:20/36.3。晴れ。
今日も寒い。寒くても坂本便来宅。しばし清談。
安倍・トランプの日米首脳会談が「上手く行った、上手く行った」と姦しい。ま、日本ではそうだが、今のアメリカでは入国禁止令の方が大きな話題なんだと思う。この会談では具体的な目新しい話はなにも無かったし。しかし、密約などやりたい放題の雰囲気ではあった。共同記者会見で安倍首相が「トランプ政権の登場により日米の経済関係の新たな創造が始まるとのメッセージを打ち出すべく、私から経済対話の枠組みを提案し合意した」などと言うのは実に怪しい。それにしても、「米国は民主主義のチャンピオンだ。大統領は公職の経験はなかったが、一年以上に渡る厳しい選挙戦を勝ち抜き、選出された。まさに民主主義のダイナミズムだ。大統領就任を心から祝福したい」とは壮大なおべっかなのか「褒め殺し」なのか、それとも本気でそう思っているのか。
日経の「日曜に考える」に日本における皆保険構築の歴史が載っている。冒頭の「「岩手の農民を最も悲惨に陥れるものは病気の際の医療費だった」。昭和30年7月に全国に先駆けて国民健康保険を県内に普及させた岩手国保連の職員は、昭和初期の厳しい農村の状況を(そう)綴った」とある。吉野せいの「洟をたらした神」の中の「梨花」を思い出してしまった。今回の記事は「教訓を探る」というシリーズのようだが、医療の平等が失われると、社会の平等感は「生政治」と伴に一瞬にして崩壊すると思う。
県立図書館の新刊コーナーから衝動借りしてきた「脳を通って私が生まれるとき」(兼本浩祐著、2016)を読み始める。著者は精神科の医者のようだが、いささか空振りだったかも知れん。
今日は寒いのでケンタの散歩はパス。
晩、Uの誕生祝的夕食。Uと家内がそれぞれ別のケーキを焼いたのでケーキだらけ。当然腹一杯。
今日から大河ドラマ「直虎」は止め。「日曜美術館」を視る。今晩は長谷川等伯の話だった(再放送)。日経に連載小説を書いていた安倍龍太郎もゲスト出演(読んでいたのだが全く憶えていない)。面白い話をしていた。安倍が「等伯」を書いたのは、それまで戦国武将の話を書いていたが、西洋と違って活躍した舞台を偲ぶ建物や光景が日本には無いことを残念に思っていた。が、400年前と今を繋ぐ共有物として「絵」が残っていることに気付き、絵師を主人公に小説を書こうと思ったと言う。なるほど、一枚の絵を戦国武将と共有して共感できるのだ。芸術の力だな。それと、番組で最後に取り上げられた「松林図屏風」の解釈が良かった。ここに描かれている松は人(もしくは人の魂)であって、奥に描かれている山(浄土。等伯にとってそういう山は当然白山だな)に向かって歩いて行っているのだと言う。キャスターの井村新も、さんざん図録で目にしている絵だったが、現物を見たとき、全く思っていなかった気配を感じた、と言っていた。感じてみたいものだ。
24:00/36.5。


2月13日(月)
7:40/36.2。晴れ。
午前、Uがお雛様を飾りに来る。立派な内裏雛だ。やはり和室でなければ納まらない。
今日は日赤外来。CTの結果を聞くので家内同伴。体重は79kg、血圧が110/65と低い。
CTの結果は良くなかった。腎臓の方に変化は無いが、肝臓の頂上部に新たな癌が出来ている。それも大きい。とうとうネクサバールを突破する新型の癌が発生したのだ。CRPは2.98と私にすれば高くないが、癌マーカーが二つとも上がり、なによりも肝機能の数値が一斉に正常値を外れた。ここ10日あまり急に食べれなくなったが、ちゃんとした原因があったのだ。「その日がやって来た。That day has come.」ということだ。覚悟はしていたが、こんなにも唐突にやって来るもんなんだと、変に感心する。主治医もいささか慌てている様子。TAEがやれるかどうか、する意味があるかどうか、カテーテルを入れて精密検査をすると言う。「一応」ということのような気がした。ずっとTAEをやってもらっていたK先生をお願いする。常勤でなくなっているので検査日が遅くなるかも知れないが、やりたがっていたし。3月3日が検査日で、前日入院ということになった。久しぶりに入院手続きをして帰る。
帰宅して、家内は息子達にメイルを打つ。
私は、先ず妹に電話したが、出ない。一発で出たためしがない。
ついで武田に電話して、予定していた16日の会食は「串カツは食欲がでんけん魚に代えてくれ」と依頼する。フと、如月満月は何時なんだろうと、暦をめくる。3月12日だ。「俺は何をしてんだか」と思う。
妹から電話が掛かる。「死ぬ死ぬ詐欺とちゃうんだろな」と言われてしまった。何度も騙して来たからな。
夕方、ヒコが職場の帰りに寄ってくれる。ひたすら優しく励ましてくれる。
晩、トシから「家内にメイル」があった。免疫力が寒いから弱ったんじゃないか、と言うそうだ。今年は風邪も引かないし、体温が落ちる事もない。そうじゃないと思う。
ま、兄弟もそれぞれだな。補いあって仲良くやってくれ。
安倍がテレビ局行脚をしているので、それを避けてチャンネルサーフしていた。プロパガンダの世界になってしまった感がする。
24:00/36.3。明日は母に話さねばいかん。

  山歩き止めて久しくなりにけり眉山を大きく聳えて感ず


nikonikobutubutu at 11:12│Comments(0)TrackBack(0)

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