現在、脊柱菅狭窄などに対応する整形外科の薬は2種類の鎮痛剤の他に鎮痛貼付剤、脳内出血・高血圧の後遺症や腹部症状などに対応する内科の薬は3種類で、合計6種類になります。8月8日には腹部エコー検査を受けました。軽度脂肪肝、肝のう胞、慢性肝炎、胆嚢結石、腎臓結石・のう胞、前立腺肥大─これらすべて所見ありという結果でした。行き先の停車場が、濃霧の中からだんだんと浮き出してきました。「人徳」というものの欠けた私ですから、「あいつも、そろそろダナ」と密かにほくそ笑んでいる人も居られることと思います。今となっては「もうそろそろ」の身体の私に、大それたことができるはずがありません。せめて「『にんげん』が生きることの本来のあり方への探究を発信」したいとのこの「通信」の趣旨にそって、もう一息、先人の知見から学び、それを高齢・独居の生活保護受給者で裁判の原告当事者である「自己の紅血のなかをくぐらしめて」(斎藤茂吉)言葉の墓標として残していく─このことだけを細々と続けていくつもりです。
  死が近づいたことを嫌でも自覚するとなると、誰でもおのれが消費してきた人生のことを今までより真剣に考えることになります。私の場合、身体的苦痛は脊柱菅狭窄による下肢の痛み・歩行困難、倦怠感や腹痛です。そのために、以前のようには社会的・政治的活動ができないことによる苛立ち・苦痛があり、ほぼ「孤立無援」であることからくる「うつ」的な苦痛もあります。そして「こんな状態になって、何のために生きているんだろう。人生に意味はあったんだろうか」というように表現できる「スピリチュアル」な苦痛があります。身体的な苦痛は、それをもたらしている症状を緩和させれば苦痛も減少します。しかし、「生・死の意味」に関わる「スピリチュアルな」苦痛には、それを減少させる薬もありません。
2005年に亡くなったイギリスの女医で、ホリスティック・全人的医療を実戦したシシリー・ソンダースは、死を目前にした患者について「多くの患者が自責の念あるいは罪の感情を持ち、自分自身の存在に価値がなくなったと感じ、ときには深い苦悶のなかに陥っている。このことが真に『スピリチュアルな痛み』と呼ぶべきであり、それに対処する援助を必要としている」と述べているそうです。
世界保健機構(WHO)が1998年に憲章前文の「健康の定義」改定論議をしたときに、従来の定義に「スピリチュアル、spiritual」と「ダイナミック、dynamic」という要素を付け加えました(この提起の通りに改定されたのかどうか分かりませんが)。この内容はWHOの「緩和ケア」の定義にも取り入れられています。すなわち、日本ホスピス緩和ケア協会は「緩和ケア」を「生命を脅かす疾患による問題に直面する患者と其の家族に対して、痛みや其の他の身体的問題、心理社会的問題、スピルチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチ」と定義しています。
水野博達さん(大阪市立大学特任准教授)は以前、「高齢者のケアは、死に至る道程を共にするという」意味があるのだから、「高齢者ケア、介護の問題を考える時、人の<死>という問題から逃げることはできない」と述べました(「壊れ始めた介護保険と老後生活」『現代の理論』vol.08)。高齢者問題に関わる上で、死の問題を「スピリチュアル」な視点から考えることは避けることができません。

 生活保護・人権のたたかい★私の予定
●2019年10月25日(金)午前11時00分【生活保護変更決定処分取消請求事件=生活保護基準引下げ違憲訴訟】千葉地裁601法廷
 この裁判の原告を支援してくださる方の、法廷での傍聴、その後の報告の集いへの参加と原告への励ましをお願い致します。報告の集いは弁護団主催で、千葉県弁護士会館会議室に移動して行います。

 ケースワーカーの「事例」と入・退院、賃貸借契約に関わる困難について=独居・高齢によるリスクについて考える、その3

西日本のK市H区の福祉事務所で、2003年まで「主任社会福祉主事」として勤務した三矢陽子さんが、自身がケースワーカーとして対処した単身・高齢である生活保護受給者の「事例」を紹介しています(『生活保護ケースワーカー奮闘記2─高齢化社会と福祉行政』2003年5月)。
三矢さんは、S県立短大で農業流通経済を学んで1974年に卒業、K市の一般行政職員として採用され、1981年から福祉事務所の配属になりました。当時、K市H区は人口4万3000人のうち4人に1人が高齢者、8人に1人が単身・高齢世帯でした。生活保護ケースワーカーがクライエントである高齢者との間に信頼関係を基礎とした意思疎通を図ることが、どれほど労力を要することであるか──三矢さんは、H区から稼働年齢者層(18~64歳)のクライエントが多い他地区の福祉事務所に異動したケースワーカーの「相手が稼働年齢層だから生活上の変動が多く、指導内容も多いが、異動前のようにクライエントに対して大声で話す必要もなく、説明も一度で済むようになったので、必要な労力は半減した」という感想を紹介しています。このことは、単身・高齢の生活保護受給者の側から見れば、専門家であるはずのケースワーカーとの「意思疎通」さえ困難な当事者に対して、人権に配慮したケアが十分に行われることの困難さを示唆しているように感じます。

●病院への入・退院
《事例》
69~71歳、女、単身、アパート居住(家賃3万円)、心疾患などで通院、無年金、身障者手帳3級(左股関節、心臓機能障害)、公的ヘルパー派遣、市内に兄が居住、生活保護受給

「事例」の当事者は入・退院を繰り返し、そのつどケースワーカーが介護サービス事業者、ケアマネージャー、家主、地元民生委員、K市が独自に設置して市長が委嘱する老人福祉員に連絡し、対応方を調整しました。入院準備は民生委員・老人福祉員が代行してくれました。入院中の金銭管理や身のまわり品の購入は病院のメディカルソーシャルワーカー、看護士が協力してくれました。洗濯は看護士の協力で院内のコインランドリーを利用し、一部は家政婦の派遣を依頼して対応しました。手術前後に紙おむつを使ったのですが、その費用は生活保護法上の被服費で賄いました。

私は2016年4月のある朝、独居中のアパート内で、当時、所属していた政党の会議に出かけようとして、突如ナメクジのように右半身から崩れ落ちました。左半身で床を這って固定電話までたどり着き、救急車を依頼しました。脳内出血でした。
以前から血圧が高いことは分かっていました。当時、所属していた政党や「低所得者団体」の地域組織の支部長、事務局長という名目での活動もあったので、「かなり無理をしているのかも」という自覚はありました。脳内出血で救急搬送される数日前から、夜半、アパートで一人食事をしている時に、足下にこぼれ落ちる御飯粒が目立って多かったり、手元から箸が何度も滑り落ちたりして、「疲れているぁ・・・」と思ったりしていました。
当時、2015年7月の生活保護の住宅扶助費の大幅削減によって、家賃のより安いアパートへの転居をせまられていたところ、独居・高齢者ということもあってさんざん苦労の上、ようやく転居先が内定、日程も決まり、引越し業者にも依頼し、ダンボール箱への収納など引越しの準備を急いでいました。全集など古い蔵書がかなりあったので、書籍だけでも十数箱の荷造りという身体的にも辛い作業を一人で毎夜、1カ月近くも掛けて行って来て、私の身体は疲労困憊の状態でした。

「事例」の当事者は、69~71歳のときに三矢ケースワーカーのクライエントでしたが、骨粗鬆症、肩関節周囲炎、変形性脊椎症、変形性股関節症、変形性膝関節症で苦しんでいました。三矢さんによれば、現場では人工股関節置換、腰椎圧迫骨折や大腿骨骨折などで手術が必要となる高齢者は多いそうです。さらに、「寝たきり」にならないためには、リハビリ訓練が必要となります。加齢による心身の老化は誰もが直面しますが、独居者にはとりわけ過酷な状況をもたらします。
独居者が救急搬送されたり退院したりすると、まず身辺上の諸問題が発生します。通常の入院であっても、入院準備、私物の運搬、入院中の身のまわり品の購入、下着などの洗濯、家賃・公共料金の支払い、金融機関からの生活保護費の引き出し、留守宅の管理、退院時の付き添いといった問題を解決しなくてはなりません。
私の場合は、手術には至りませんでしたので保証人による「手術同意書」は求められませんでしたが、「緊急時の連絡先」の申告を病院から求められました。たとえ緊急時であっても、私としては気兼ねなく連絡できるような人はいませんでした。脳内出血で倒れる少し前に世帯分離して、いわゆる「ひきこもり」から社会への第一歩を踏み出した娘にも、余計な心配や負担を掛けたくない思いが強かったのです。しかし、病院側の「今夜、どういう事態になってもおかしくない状態なので、どなたか身内の人を申告して」という要請を何度も受け、結局、娘の連絡先を告げました。私は、「娘が居てくれて、助かった」と痛感しました。
「事例」の当事者の場合は手術が必要になった時に、病院から保証人の「手術同意書」の提出を求められました。主治医がK市内に居住する兄に連絡したのですが、兄は書類への記入を拒否しました。主治医はやむを得ず、「本人の手術への強い希望」があり「兄は口頭で手術に同意」という形にして手術に踏み切ったのですが、手術実施は大幅に遅れたそうです。

●賃貸借契約の困難
《事例》
73歳、男、単身、借家2階間借り(家賃3万円)、肺気腫などで通院、無年金、他府県に長男が居住、生活保護受給

「事例」の当事者は、借家の2階の4.5畳の部屋を間借りして暮らしていました。共同の炊事場とトイレが1階にありました。肺気腫、気管支喘息、両肩関節周囲炎で通院しており、主治医からは「呼吸器障害に認定できるほどの病状があり、1階部分への転居が望ましい」との意見が寄せられていました。生活保護ケースワーカーは「福祉事務所として転居費用(敷金など)の支給を検討する」と告げていました。しかし、この当事者は賃貸借契約の保証人を立てることができなかったので、最後まで契約を断られ、1階への転居は適わなかったのです。

私は2013年1月の生活保護開始の際に、福祉事務所から当時居住していた分譲集合住宅(3DK)の処分を求められていました。補修・リフォームの費用が工面できないまま、不動産屋さん(「低所得者団体」の会員とのことで紹介されたのですが)の鑑定では「市場価値ゼロ」とのことで、結局「1万円」で買い取ってもらうことになりました。それが1回目の転居の事情でした。
ところが、それから2年半ほど経て(2015年7月)生活保護の住宅扶助が大幅に引下げられ、私は家賃のより安いアパートへと2回目の転居をせざるを得ませんでした。住宅扶助費の限度額が4万1000円にまで削減され、不動産屋さんには「この金額では、ワンルームしかないよ」と宣告され、下見に連れて行ってもらった物件は2件のワンルームだけでした。私は「ワンルーム」という空間での生活は、想像しただけで息苦しさを感じ、「死をすら意識せざるを得ないこの歳になってのワンルーム暮らし」に惨めさを噛み締めながら、入居を決断しました。家主側の不動産屋さんからは「ワンルームのアパートは若い人が多くて、高齢者とは生活サイクルの違いなどからトラブルが起こりやすいので、あまり歓迎していない」とも告げられ、「トラブルを起さないように」と念を押されての入居内定でしたので、明るい気持ちにはなれませんでした。私は「あぁ、独居・高齢者のこれが現実か・・・」と痛感しました。
そして、正式な賃貸借契約の締結を1週間ほど先に控えた2016年4月の、脳内出血による救急搬送と入院という事態になりました。しばらくして病院のベッド上で、「家主側の不動産屋から契約拒否の連絡があった」と聞かされました。こちら側の不動産屋がうかつにも、私の入院の事実を家主側の不動産屋に告げてしまったとのことでした。私は自分の頭部がカーッと熱くなり、脳内で血の海が広がるのを感じました。
5月に入ると同時に退院しました。それまで居住したアパートからは、早々の退去を迫られていました。私は4月で切れた保証料など2年分を生活扶助費から保証会社などに支払った上で、不動産屋さんに居住の1カ月延長をお願いしました。5月中に転居先を得ることが出来なければ、私は間違いなくホームレスです。
私は退院後、直ちに転居先を探しに地元の不動産屋さんを訪れました。脳内出血の後遺症と、激しくなった脊柱菅狭窄の症状を和らげるための鎮痛薬の影響とで足下は覚束なく、目まいを感じながらも、それを不動産屋さんに覚られないように、健康体を演技しての転居先探しでした。築半世紀近い老朽アパートの、前居住者退去に伴うリフォームもなく、エアコンも無い部屋への入居がこうして決まったのでした。

三矢さんによれば賃貸借契約に関しては、独居・高齢の生活保護受給者からは「契約に当たっての保証人が見つからない」「家主が代替わりして、息子である新家主から家賃の大幅値上げを要求され、応じなければ住居を明け渡せと言われた」「家屋の補修が必要なのに、家主が費用を負担してくれない」という相談が、家主からは「家賃を滞納しやすい生活保護受給者がいるので、福祉事務所で家賃を徴収して欲しい」「独居・高齢の生活保護受給者の身に万が一(死亡)のことがあったら、家財処分を福祉事務所でしてほしい」という相談が多いそうです。
福祉事務所としては、賃貸借契約は当事者である「民ー民」間のことなので、行政は関与・干渉しないというのが基本的な姿勢です。生活保護受給者や家主から相談があっても、「弁護士による無料法律相談を利用してください」という対応です。生活保護受給者からケースワーカーに対して「賃貸借契約の保証人になってほしい」との依頼があっても、「公務員は民間の私利益に関わることを禁じられているから、保証人にはなれない」ということです。
私が暮らす地域でも、最近は老朽アパートの建て替え工事が目立ちます。建物の老朽化→取り壊し・更地化→新築・高家賃というサイクルがあります。独居・高齢の生活保護受給者は、老朽化したアパートから遅かれ早かれ追い出されて、新築されたアパートの家賃が住宅扶助基準以上ならいったいどこに人権を満たす住生活を求めればよいのか・・・私は考え込まざるを得ません。
【原告☆当事者通信№.38 2019年8月27日 水野哲也hikarumenoneko@yahoo.co.jp】