5月3日に世田谷区民烏山センターで、白井康彦さん(中日新聞本社生活部・編集委員)に来ていただいて「物価偽装問題学習会」を行い、学習会終了後には懇親のひと時を持ちました。この機会に私は、白井さんの他、藤藪貴治さん、野神健次郎さんにもお会いし、人柄に接することができたことは大きな収穫でした。
昨年4月、私はアパートの部屋で脳内出血によって倒れ、左半身を使ってナメクジのように這い、ようやく電話までたどり着いて救急車を呼びました。生活保護受給者としての生活のやりくりを巡る過重な心労─とくに生活保護の住宅扶助の大幅削減に伴う転居先探し、引越しの荷造り作業の労苦が、脳内出血の一因であったことは明らかでした。加えて、入院中に転居予定先から契約を拒否され、退院後すぐに体調の不安なまま再度の転居先探し・荷造りに取り組まなければならず、脊柱菅狭窄の悪化という「おまけ」まで付いて来ました。
このような状態の下で私は、それまで行ってきた流山市生健会のお手伝いの役目からは外れさせていただきました。
しかし、生活保護引下げ違憲訴訟の原告の一人としての立場は、生健会の枠組みからは外れても、いささかも変化するものではありません。従って私は、たとえ稚拙な物ではあっても自分の意見を自由に表明できる手段を確保しておきたいという心づもりから、このブログ「新『人間裁判』原告☆当事者通信」を作成することにしました。また、社会保障・生活保護問題の情報については、以前から入会していた「生活保護問題対策全国会議」のメーリングから得ることにしました。このような条件の下で私は、白井さん、藤藪さん、野神さんという、私のようなものには本来は得がたい友人をも得ることができました。ここでは、その3人を紹介します。
厚労省の統計詐欺とたたかう情熱の新聞記者にしてオルガナイザー=白井康彦
白井さんは、私の「当事者通信 №4」の「削減強行のための厚労省による『偽装・捏造』」という文章を見てメールを下さいました。そして生活保護基準引下げの本人訴訟のために依頼されて白井さんが作成された、厚労省による物価偽装の欺瞞性を完膚なきまでに暴露した内容の「白井意見書」(A4用紙で百数十枚)を送付してくださり、あわせて激励のことばをいただきました。白井さんは、一橋大学商学部で学んだ分析力と、学生時代に将棋で鍛えた直観力を駆使して、厚労省の「生活扶助相当CPI」なる”手品”の”種明かし”を完璧に行っています。私たち生活保護受給者=物価偽装の「犠牲者」が白井さんのご苦労に拍手を送りたいのは、その”種明かし”を統計学の高等数学をいっさい用いずに、「足す・引く・掛ける・割る」という算数だけで行っているところです。
5月3日の学習会でも白井さんは、「しっかり学べば理解できます。理解すれば、政府への怒りが湧きます。それをバネに裁判を闘いましょう。当然ながら、物価偽装の論点では裁判で国が説明に窮しています。物価偽装があったことを広く世間に知らせましょう。物価偽装=詐欺行政であることをアピールしましょう」と熱く熱く訴えています。
闇の帝国の棄民政策と格闘する弁護士候補にして本物のヒューマニスト=藤藪貴治
私はブログ「原告☆当事者通信 №8・9・10」で小田原市「生活保護=悪・撲滅チーム」(SHAT)について、主に生活保護受給者に対する差別の意識と構造という観点から、自分の意見を表明してきました。この問題について、私が今まで片鱗も知ることのなかった事実、すなわち国のモデルとしての棄民政策=生活保護「ヤミの北九州方式」との同質性を、「小田原市の問題は全国の福祉事務所に蔓延する問題」との観点から警鐘を鳴らしたのが藤藪貴治さんでした。藤藪さんは2007年3月までは北九州市の福祉事務所ケースワーカーでしたが、「門司餓死事件」(56歳の男性が2度も生活保護申請をしたのに申請書も渡されず、2006年5月に餓死・ミイラ化して発見された事件)の発覚以降は全国に北九州市の生活保護行政の実態を伝える立場に立ち、結局は市役所退職を余儀なくされました。私は「生活保護問題対策全国会議」のメーリングをとおして、藤藪さんと若干の対話をし、急ぎ藤藪さんの著書(『生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す』、尾藤広喜弁護士・全国会議代表幹事との共著)を入手しました。
私は藤藪さんのメールを読んで、次のような言葉に強く感ずるものがあったのです。
「なぜ私が2006年に『闇の北九州方式』に矛盾を感じて内部告発するような変わり者になったかといえば、①市役所入職前にインド放浪に出ていて、ニューデリーでストレートチルドレンの子どもたちと出会い、カルカッタのマザーテレサのカーリーガート(死を待つ人の家)でボランティア体験をして、実際に貧困の問題に直面して悩んだという経験があったこと、および②労働組合の活動にかかわっていて出世願望に束縛されていなかったので上司にモノが言えるようになったということがあります」。
私は藤藪さんのメールや著書から、資本主義日本の権力というものが生活保障を必要とする弱者に対して、いかに残酷な仕打ちをすることができるか、それは「受給貧民」に対する過酷な処遇そのものではないかということを深く感じました。藤藪さんはそれを「国家意思としての棄民政策」と言い、尾藤広喜弁護士は「構造的な棄民政策」と言います。私はそこに、小田原事件を含む生活保護受給者に対する差別の意識と構造の「源流」を見る思いがしました。
藤藪さんは現在、最高裁判所司法研修所の第70期司法修習生として、やがて弁護士として赴任する準備をされています。5月の連休に故郷の松戸に帰省した機会に「物価偽装問題学習会」に参加され、また九州に戻られる前の多忙なひと時をさいて私の話を聞いていただくこともできました。私の中では「藤藪貴治弁護士」が、早や「新井章弁護士」(朝日訴訟の主任弁護士)のイメージと重なって見えます。
たたかうメディアデザイナーにして水晶の魂をもつエッセイスト=野神健次郎
小田原市「生活保護=悪・撲滅チーム」(SHAT)事件についての「検討会」最終回に生活保護行政の改善方策・取りまとめを含む「報告書」の内容が明らかにされました。たしかに「報告書」には「当事者の声を直接制度の改善に反映させようとした小田原市」(生活保護問題対策全国会議の声明)の努力がみられ、その一つの成果でもある「保護のしおり」の改定もおおむね評価できるものとなっていることに依存はありません。
しかし、現に生活保護によってぎりぎりのところで生命を維持している私としては、何かもう一つ「良かったね!」で済まされない感覚、胸のつかえといったものが残っていることも事実なのでした。そこのところを、鋭く突いてくれたのが野神健次郎さんでした。野神さんは「検討会」最終回を傍聴しその感想メモを公表しましたが、そこで「委員の方々のことばが、ぼくの心にはまったく響かなかった。心に残る、心うたれる、心ふるえることばはなにひとつなかった」と明確に述べています。この感覚への共感ということの他にも、私は「賞賛のあらし」になりかねない雰囲気の中で、あえてそれに率直に異を唱えたということに深く敬意を表したいと思いました。
野上健次郎さんには「〈STOP!生活保護基準引き下げ〉アクション」(宇都宮健児さん、稲葉剛さん、雨宮処凛さん、森永卓郎さんなどを呼びかけ人としています)の3人のホームページ編集スタッフの一人(このスタッフの一人が中村順さんで、何かにつけ野神さんを勇気付ける存在であろうと推察しますが)という顔以外にも、「貧困エッセイスト」という顔もあります。エッセイ集『風の星座のホームレス』などの著作のほか、ブログ「ミッドナイト・ホームレス・ブルー」でも野神さんの文章を読むことができます。野神さんの文章は、ホームレス、精神疾患、被虐待など個人史を生きてきた中で浄化されたような、透明なまなざしが魅力です。
また白井康彦さんによる「物価偽装」の”手品”の”種明かし”を、生活保護受給者はもとより、弁護団、裁判官、そして支援=共闘者、広く労働者国民の面前に、いかなるメディアを駆使して、どのように効果的(とくに視覚的)に展開していくかのある意味「カギ=決め手」を握っているのが野神さんであるといっても、言い過ぎではありません。
生活保護・人権のたたかい★私の予定
6月1日【いのちのとりで裁判全国アクション 第2回総会記念集会=参議院会館講堂】全国アクションの会員、 生活保護基準引下げ違憲訴訟の原告として参加します。
6月16日【生活保護基準引下げ違憲訴訟(千葉)第8回期日=千葉地裁601法廷】
一原告として千葉裁判を振り返る─小川政亮先生の裁判闘争理論にふれつつ
《千葉の裁判の現況》
生活保護基準引下げ反対訴訟(千葉)の現況について、千葉県弁護団の配布資料から振り返ってみます。
私は2013年1月から生活保護の受給をはじめました。2014年10月に弁護団より提訴の説明会があり、全国的な裁判闘争の一環として、千葉県各自治体を被告とし、憲法25条違反、生活保護法3条・8条違反を理由として、2013年8月の保護基準引下げによる保護決定処分の取消請求の提訴への参加を─ということで、私も参加を決意し、法テラスの申込、訴訟委任状などの手続きを行いました。
提訴は2014年11月28日でした。原告は12名で、そのうち個人の基本情報全〈非〉公表が4名、氏名公表が5名、基本情報全公表が3名で、この3名は集団提訴の際の記者会見にも出席しました。
裁判は、次回は8回目の期日というところまで来ました。
現在に至っても原告の間に連絡はなく、お互いの意思疎通がまったくないことは、今後、考慮していくべき課題であろうかと考えます。
裁判期日の際の法廷には、生健会の役員など10名ほどの方が傍聴に来てくださっています。弁護団からもたびたび「法廷を皆さんの参加でいっぱいにしてください」との訴えが出ています。この裁判闘争の国民的な意義をしっかりと認識していただくこと、所属組織の違いを超えて広範な支援を得ていくことが課題であろうかと考えます。
《一原告としての私の現況》
昨年の4月、私は脳内出血で倒れ、退院後も過労から脊柱菅狭窄が悪化しました。背景には2015年度の厚労省による生活保護引下げ三重苦、とくに直接には住宅扶助(アパート家賃)削減による転居の苦しみがあります。独居・生活保護・病気の高齢者がアパートを探す苦労、70歳になって引越しの荷造りをしなければならない苦しみ、これは当事者でないとなかなか理解し難いことです。
病院から退院後、私はそれまでお手伝いしていた地域の生健会の役目も辞めさせていただきました。しかし、生活保護基準引下げ違憲訴訟の原告として、残りの人生を生きることには少しのためらいもありませんでした。
それからは、私は「生活保護問題対策全国会議」の会員として、全国会議のメーリングから情報を得、またたたかう仲間との貴重なつながりも得、学ばせてもらいました。
私は裁判闘争の一原告としての意見発表の手段を確保するため、「新『人間裁判』原告☆当事者通信」というブログを2016年10月から始め、この5月で11号まで発表しました。ブログの題字下には「生活保護基準引下げ違憲訴訟(千葉県)の一原告が、国の不法・不当を糾すなかで、『にんげん』が生きることの本来のあり方への探求を発信します」と書いてあります。
《裁判闘争の展開について思うこと》
①厚労省は「生活扶助相当CPI」という独自の物価指数を創作して、2008年から2011年にかけての物価下落率が4.7%であるとし、それを生活扶助費の削減率に連動させました。中日新聞編集委員の白井康彦さんの試算では、仮に厚労省創作のCPIを使って計算したとしても正しく計算すれば下落率は1%程度です。これは行政による統計数値の捏造=物価偽装です。生活保護法56条にも保護を「不利益に変更される」場合には「正当な理由」が必要とされていますが、捏造された数値は「正当な理由」とは言えません。これは厚労大臣の裁量権の逸脱であり、保護基準引下げの行政処分は取消されるべきです。
②5月7日に小川政亮先生が亡くなりました。小川先生は朝日茂さんが訴訟を提起した直後に、朝日さんの提訴は「人間らしい生活を人間らしく守ること」「それは憲法に定める基本的人権の擁護であり」「憲法こそは最高法規であり、これに反する法令や行政は無効である」と、すでにこの時に人権としての社会保障の発展のたたかいを指し示す見解を述べておられます。私は、こうした理論に教えられ導かれ社会保障裁判の意義を学んできました。今後も、この立場で生活保護基準引下げ違憲訴訟の原告として立ち続けることで、国民的な社会保障闘争に貢献して行きたいと考えます。
【当事者通信 №11 2017年5月12日】
昨年4月、私はアパートの部屋で脳内出血によって倒れ、左半身を使ってナメクジのように這い、ようやく電話までたどり着いて救急車を呼びました。生活保護受給者としての生活のやりくりを巡る過重な心労─とくに生活保護の住宅扶助の大幅削減に伴う転居先探し、引越しの荷造り作業の労苦が、脳内出血の一因であったことは明らかでした。加えて、入院中に転居予定先から契約を拒否され、退院後すぐに体調の不安なまま再度の転居先探し・荷造りに取り組まなければならず、脊柱菅狭窄の悪化という「おまけ」まで付いて来ました。
このような状態の下で私は、それまで行ってきた流山市生健会のお手伝いの役目からは外れさせていただきました。
しかし、生活保護引下げ違憲訴訟の原告の一人としての立場は、生健会の枠組みからは外れても、いささかも変化するものではありません。従って私は、たとえ稚拙な物ではあっても自分の意見を自由に表明できる手段を確保しておきたいという心づもりから、このブログ「新『人間裁判』原告☆当事者通信」を作成することにしました。また、社会保障・生活保護問題の情報については、以前から入会していた「生活保護問題対策全国会議」のメーリングから得ることにしました。このような条件の下で私は、白井さん、藤藪さん、野神さんという、私のようなものには本来は得がたい友人をも得ることができました。ここでは、その3人を紹介します。
厚労省の統計詐欺とたたかう情熱の新聞記者にしてオルガナイザー=白井康彦
白井さんは、私の「当事者通信 №4」の「削減強行のための厚労省による『偽装・捏造』」という文章を見てメールを下さいました。そして生活保護基準引下げの本人訴訟のために依頼されて白井さんが作成された、厚労省による物価偽装の欺瞞性を完膚なきまでに暴露した内容の「白井意見書」(A4用紙で百数十枚)を送付してくださり、あわせて激励のことばをいただきました。白井さんは、一橋大学商学部で学んだ分析力と、学生時代に将棋で鍛えた直観力を駆使して、厚労省の「生活扶助相当CPI」なる”手品”の”種明かし”を完璧に行っています。私たち生活保護受給者=物価偽装の「犠牲者」が白井さんのご苦労に拍手を送りたいのは、その”種明かし”を統計学の高等数学をいっさい用いずに、「足す・引く・掛ける・割る」という算数だけで行っているところです。
5月3日の学習会でも白井さんは、「しっかり学べば理解できます。理解すれば、政府への怒りが湧きます。それをバネに裁判を闘いましょう。当然ながら、物価偽装の論点では裁判で国が説明に窮しています。物価偽装があったことを広く世間に知らせましょう。物価偽装=詐欺行政であることをアピールしましょう」と熱く熱く訴えています。
闇の帝国の棄民政策と格闘する弁護士候補にして本物のヒューマニスト=藤藪貴治
私はブログ「原告☆当事者通信 №8・9・10」で小田原市「生活保護=悪・撲滅チーム」(SHAT)について、主に生活保護受給者に対する差別の意識と構造という観点から、自分の意見を表明してきました。この問題について、私が今まで片鱗も知ることのなかった事実、すなわち国のモデルとしての棄民政策=生活保護「ヤミの北九州方式」との同質性を、「小田原市の問題は全国の福祉事務所に蔓延する問題」との観点から警鐘を鳴らしたのが藤藪貴治さんでした。藤藪さんは2007年3月までは北九州市の福祉事務所ケースワーカーでしたが、「門司餓死事件」(56歳の男性が2度も生活保護申請をしたのに申請書も渡されず、2006年5月に餓死・ミイラ化して発見された事件)の発覚以降は全国に北九州市の生活保護行政の実態を伝える立場に立ち、結局は市役所退職を余儀なくされました。私は「生活保護問題対策全国会議」のメーリングをとおして、藤藪さんと若干の対話をし、急ぎ藤藪さんの著書(『生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す』、尾藤広喜弁護士・全国会議代表幹事との共著)を入手しました。
私は藤藪さんのメールを読んで、次のような言葉に強く感ずるものがあったのです。
「なぜ私が2006年に『闇の北九州方式』に矛盾を感じて内部告発するような変わり者になったかといえば、①市役所入職前にインド放浪に出ていて、ニューデリーでストレートチルドレンの子どもたちと出会い、カルカッタのマザーテレサのカーリーガート(死を待つ人の家)でボランティア体験をして、実際に貧困の問題に直面して悩んだという経験があったこと、および②労働組合の活動にかかわっていて出世願望に束縛されていなかったので上司にモノが言えるようになったということがあります」。
私は藤藪さんのメールや著書から、資本主義日本の権力というものが生活保障を必要とする弱者に対して、いかに残酷な仕打ちをすることができるか、それは「受給貧民」に対する過酷な処遇そのものではないかということを深く感じました。藤藪さんはそれを「国家意思としての棄民政策」と言い、尾藤広喜弁護士は「構造的な棄民政策」と言います。私はそこに、小田原事件を含む生活保護受給者に対する差別の意識と構造の「源流」を見る思いがしました。
藤藪さんは現在、最高裁判所司法研修所の第70期司法修習生として、やがて弁護士として赴任する準備をされています。5月の連休に故郷の松戸に帰省した機会に「物価偽装問題学習会」に参加され、また九州に戻られる前の多忙なひと時をさいて私の話を聞いていただくこともできました。私の中では「藤藪貴治弁護士」が、早や「新井章弁護士」(朝日訴訟の主任弁護士)のイメージと重なって見えます。
たたかうメディアデザイナーにして水晶の魂をもつエッセイスト=野神健次郎
小田原市「生活保護=悪・撲滅チーム」(SHAT)事件についての「検討会」最終回に生活保護行政の改善方策・取りまとめを含む「報告書」の内容が明らかにされました。たしかに「報告書」には「当事者の声を直接制度の改善に反映させようとした小田原市」(生活保護問題対策全国会議の声明)の努力がみられ、その一つの成果でもある「保護のしおり」の改定もおおむね評価できるものとなっていることに依存はありません。
しかし、現に生活保護によってぎりぎりのところで生命を維持している私としては、何かもう一つ「良かったね!」で済まされない感覚、胸のつかえといったものが残っていることも事実なのでした。そこのところを、鋭く突いてくれたのが野神健次郎さんでした。野神さんは「検討会」最終回を傍聴しその感想メモを公表しましたが、そこで「委員の方々のことばが、ぼくの心にはまったく響かなかった。心に残る、心うたれる、心ふるえることばはなにひとつなかった」と明確に述べています。この感覚への共感ということの他にも、私は「賞賛のあらし」になりかねない雰囲気の中で、あえてそれに率直に異を唱えたということに深く敬意を表したいと思いました。
野上健次郎さんには「〈STOP!生活保護基準引き下げ〉アクション」(宇都宮健児さん、稲葉剛さん、雨宮処凛さん、森永卓郎さんなどを呼びかけ人としています)の3人のホームページ編集スタッフの一人(このスタッフの一人が中村順さんで、何かにつけ野神さんを勇気付ける存在であろうと推察しますが)という顔以外にも、「貧困エッセイスト」という顔もあります。エッセイ集『風の星座のホームレス』などの著作のほか、ブログ「ミッドナイト・ホームレス・ブルー」でも野神さんの文章を読むことができます。野神さんの文章は、ホームレス、精神疾患、被虐待など個人史を生きてきた中で浄化されたような、透明なまなざしが魅力です。
また白井康彦さんによる「物価偽装」の”手品”の”種明かし”を、生活保護受給者はもとより、弁護団、裁判官、そして支援=共闘者、広く労働者国民の面前に、いかなるメディアを駆使して、どのように効果的(とくに視覚的)に展開していくかのある意味「カギ=決め手」を握っているのが野神さんであるといっても、言い過ぎではありません。
生活保護・人権のたたかい★私の予定
6月1日【いのちのとりで裁判全国アクション 第2回総会記念集会=参議院会館講堂】全国アクションの会員、 生活保護基準引下げ違憲訴訟の原告として参加します。
6月16日【生活保護基準引下げ違憲訴訟(千葉)第8回期日=千葉地裁601法廷】
一原告として千葉裁判を振り返る─小川政亮先生の裁判闘争理論にふれつつ
《千葉の裁判の現況》
生活保護基準引下げ反対訴訟(千葉)の現況について、千葉県弁護団の配布資料から振り返ってみます。
私は2013年1月から生活保護の受給をはじめました。2014年10月に弁護団より提訴の説明会があり、全国的な裁判闘争の一環として、千葉県各自治体を被告とし、憲法25条違反、生活保護法3条・8条違反を理由として、2013年8月の保護基準引下げによる保護決定処分の取消請求の提訴への参加を─ということで、私も参加を決意し、法テラスの申込、訴訟委任状などの手続きを行いました。
提訴は2014年11月28日でした。原告は12名で、そのうち個人の基本情報全〈非〉公表が4名、氏名公表が5名、基本情報全公表が3名で、この3名は集団提訴の際の記者会見にも出席しました。
裁判は、次回は8回目の期日というところまで来ました。
現在に至っても原告の間に連絡はなく、お互いの意思疎通がまったくないことは、今後、考慮していくべき課題であろうかと考えます。
裁判期日の際の法廷には、生健会の役員など10名ほどの方が傍聴に来てくださっています。弁護団からもたびたび「法廷を皆さんの参加でいっぱいにしてください」との訴えが出ています。この裁判闘争の国民的な意義をしっかりと認識していただくこと、所属組織の違いを超えて広範な支援を得ていくことが課題であろうかと考えます。
《一原告としての私の現況》
昨年の4月、私は脳内出血で倒れ、退院後も過労から脊柱菅狭窄が悪化しました。背景には2015年度の厚労省による生活保護引下げ三重苦、とくに直接には住宅扶助(アパート家賃)削減による転居の苦しみがあります。独居・生活保護・病気の高齢者がアパートを探す苦労、70歳になって引越しの荷造りをしなければならない苦しみ、これは当事者でないとなかなか理解し難いことです。
病院から退院後、私はそれまでお手伝いしていた地域の生健会の役目も辞めさせていただきました。しかし、生活保護基準引下げ違憲訴訟の原告として、残りの人生を生きることには少しのためらいもありませんでした。
それからは、私は「生活保護問題対策全国会議」の会員として、全国会議のメーリングから情報を得、またたたかう仲間との貴重なつながりも得、学ばせてもらいました。
私は裁判闘争の一原告としての意見発表の手段を確保するため、「新『人間裁判』原告☆当事者通信」というブログを2016年10月から始め、この5月で11号まで発表しました。ブログの題字下には「生活保護基準引下げ違憲訴訟(千葉県)の一原告が、国の不法・不当を糾すなかで、『にんげん』が生きることの本来のあり方への探求を発信します」と書いてあります。
《裁判闘争の展開について思うこと》
①厚労省は「生活扶助相当CPI」という独自の物価指数を創作して、2008年から2011年にかけての物価下落率が4.7%であるとし、それを生活扶助費の削減率に連動させました。中日新聞編集委員の白井康彦さんの試算では、仮に厚労省創作のCPIを使って計算したとしても正しく計算すれば下落率は1%程度です。これは行政による統計数値の捏造=物価偽装です。生活保護法56条にも保護を「不利益に変更される」場合には「正当な理由」が必要とされていますが、捏造された数値は「正当な理由」とは言えません。これは厚労大臣の裁量権の逸脱であり、保護基準引下げの行政処分は取消されるべきです。
②5月7日に小川政亮先生が亡くなりました。小川先生は朝日茂さんが訴訟を提起した直後に、朝日さんの提訴は「人間らしい生活を人間らしく守ること」「それは憲法に定める基本的人権の擁護であり」「憲法こそは最高法規であり、これに反する法令や行政は無効である」と、すでにこの時に人権としての社会保障の発展のたたかいを指し示す見解を述べておられます。私は、こうした理論に教えられ導かれ社会保障裁判の意義を学んできました。今後も、この立場で生活保護基準引下げ違憲訴訟の原告として立ち続けることで、国民的な社会保障闘争に貢献して行きたいと考えます。
【当事者通信 №11 2017年5月12日】