「教わる」と「学ぶ」  to be taught & to learn

教え: ①神や上位の人がさとし、導くこと ②技芸などを伝授すること

学び: ①まね  ②ならう 教えられて自分の身につける ③繰り返して修める、稽古、訓練、練習

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ミルトン・エリクソンが、自分の技法を考えろ、人のを真似てうまくいった人を見たことがない、わたしも人まねをしたらめちゃくちゃになったよと言っていた意味が、やっとわかってきた。

エリクソンの言葉を聞いた時は、「そうかもしれないが、はじめは教えてもらうしかない、学ぶって真似ることだろ?」と思った。

実際、学びは、真似で始まるようだ。しかし、そうして始まってから行うことは、自分の身に修めるための稽古である。

ここからはあらゆることを参考にはするが、教えてもらえない、自分で考えて工夫するしかない。

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カウンセラーになろうとする人たちは、先生に教えてもらおうとする。

始まりも教えてもらうことだし、その後も、ずっと「先生」「恩師」「スーパーバイザー」といった人たちから「さとし、導く」ことを求めている。

それを謙虚な学びの姿勢だと思っているふしがある。

しかし、そうする態度のなかに序列づけがあって、人間をタテに分類してしまう傾向もあるのではないだろうか?

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自分で考えて、my own natural self を目指すなら、一神教の呪縛が解かれ、世界は精霊に満ちる。

対人関係はヨコへと地平の限り広がり続ける。

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誰からも学べる。

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カウンセリングとは何か?は、誰からも教えてもらえない。

しかも、誰からも学べる。

自分で考えて自分で実践したこと、それがカウンセリングだからだ。

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誰にも教えてもらえない、その人についていけばいいグルはいない。

そうわかれば、むしろ、誰からも何からも、いつでもどこでも学べるようになれる。

フロイト、ロジャーズ、ユング、誰であれ、教祖として持ち上げてカウンセリング教団を作った信者たちが、自分ではカウンセラーと思い込み、カウンセリングと称することをやってきた。

彼ら彼女らは、明日にはロジャーズ先生や河合先生のような「本物のカウンセラー」になりたいと手を伸ばし口を開けて教えを乞うている。

だから、今の世の中に、「心理カウンセラー」と称する人からカウンセリングを受ける人がいなくなったのだと思う。

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「それってカウンセリングだよね」と言われるようなことは、カウンセリングルームの外では、起きている。

「カウンセリング」という商標とは別に、親子友人上司後輩・占い・行きつけのお店の店員さん・無資格カウンセラー・自称セラピスト・チャネラーなど、あるゆる関係の人と、今も、
「人間とは何か?」
「人生をどう生きるべきか?」
「自分は何をしたいのか?」
「どうすれば生まれてきてよかったと思えるのか?」
という実存的な問いについて、わたしたちは、対話を続けている。

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ぼくの妄想的予測では、人類が22世紀を迎えることはないと思うが、それでも、最後の最後まで、発展したい、より充実した人生を送りたい、人間としての可能性を掘り出したいという熱望は消えないと思う。

その熱望を持つ者たちは、カウンセリングと仮に呼ばれるような対話を、さまざまな形で、人類最後の日まで、続けると思う。

カウンセリングと「カウンセリング」

 或る人に出した手紙で、カウンセリングについて書いた部分です。自分がカウンセリングについて感じていることが書けてるなと思うので、そこを以下に貼り付けます。


カウンセリングについては、ぼくは、臨床心理士や資格のあるカウンセラーが仕事としてやるカウンセリングとは別に、人生相談的な・コーチング的なカウンセリングもあると思っています。

それは、人類が始まって以来、いろんな場所でいろんな人が、対話する動物として積み重ねてきた文化ではないかと思っています。

 

二十世紀のアメリカという、なんでもビジネスにする国で、人間の営みとしての対話がカウンセリングとして切り取られて仕事にされたのだと理解しています。

その企画で大成功したのがロジャーズで、ロジャーズが成功する下地は、フロイトが医学的治療に、薬物ではなく「対話」を使っていたことだと思います。

 

まあ、何にしても、ぼくとしては、人間の自然な営みが「カウンセリング」というラベルで、理論と技術の網によってすくい取られ、その範囲内で「専門家」を育成し、資格保持という特権が金銭を生むというシステムに取り込まれたことを、残念に感じています。

 

しかし、それはそれとして、人間が何千年も続けてきた「カウンセリング」も存在しており、ぼくの関心は今はそちらにあります。

 

人間が他の動物と違うとしたら、それは観察自我の存在だと思います。

 

人間には、自分の精神活動を見ている自分がいます。

 

チンパンジーには、自分の行動を見ている「観察自我」があるようです。豚にもあるらしい。カラスにもある。

 

しかし、精神活動を見ている観察自我、それは、どうも人間だけであるらしい。らしいだけで、まだ証明されていませんが。

 

ともかく、この観察自我があればこそ、人間は、お互いに対話を通して「相談」することができたのだと思います。

 

精神分析が魅力的だったのは、この観察自我を磨く方法に、ぼくには、見えたからです。

 

〇さんがカードから自分の性格や、その背後の精神力動を探り当てた過程は、ぼくに言わせると、きわめて精神分析的な営みです。

また、それこそが、人類がこれまでずっとやってきた対話を通しての「生の可能性」の開発なのです。

 

ぼくは、そのような普遍的な、つまりありふれた、しかし人類の英知の結実した「話をする」ということが専門家の占有する心理療法だと誤解されているのが残念です。

 

潜在意識の中には三人の自分がいる

スーモのCM

あぶないなーと思われるかもしれませんが(^_^)、ぼくはこどもの頃から、このCMのように、
自分にも相手にも、内心で呟いている複数の人が見えていました。

もちろん、幻覚的に「見えていた」というわけではありません。
感じていた。
そして、けっこう、悩まされていた。

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「先輩、おれ、家買ったんですよ」

「へえー」

えーーーーーっ!!??

「よかったじゃん」

「あせってやがる」

「ふふっ」

「ビックリしました?」

「いや、べつに」

「びっくりしたあ~!!!!」

「うるさいよ」

「後輩に先越されちゃったからね」

「ふふん」

「おまえ、電車の時間、大丈夫か?」

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心の中でかしましく会話する複数の「わたし」。

相手のみならず、自分に関しても、そういう「わたし」達が"見える"となると、とても「あどけない」とか「いたいけのない」こどもではいられない。

だから、実際、ぼくは、自分のこども時代を振り返ると、大島弓子の漫画にあるように、ランドセルを背負った青年の自分しか見えてこない。

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この動画(CM)はぼくにいろいろ教えてくれる。
潜在意識の中に3人の自分がいる。
意識は、3人の総意として話し行動させられている。

しかし、本人にとって、3人はいないことになっている。

感じていない、考えていないことにしている、つまり「ないことにしている感情と思考」によって、私たちは生きている。

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瞑想とか禅とかを通して意識が掴む「今ここ」こそ、潜在意識を隔てる鉄の扉。

身体知とされているものも、往々にして、潜在意識の中の自分を阻んでしまうのは、瞑想をしている人や禅坊主を見ればわかる。

固まって、もう変化の無いパーソナリティになっており、それが、自己感の不安定な人には「師」と見えるのだろう。

不安な人は、揺らがないものが欲しい。

しかし、この世で揺らがないものは、硬くて、最後には壊れるものしかないのだ。

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<顕在意識と潜在意識>の全容に迫るには、コトバを使い続けること、目をつぶって黙って自分の身体の感覚に注意を向けると、潜在意識の3人はすっかり見えなくなる。

精神分析が決して瞑想や身体感覚といったものに色気を示してヒーリングセラピーの霧の中に迷い込まなかったのは、フロイトが「明晰に考える」ということを何よりも大切にしたからだ。

精神分析は、ともかくも、潜在意識の中の3人に面会を求めるのである。

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CMではスーモのセールスマンは、潜在意識の3人と対話する。
コーチングが目指すのは、3人との対話。
それもコーチとではなく、本人が自分チームの3人と対話すること。
ぼくはカウンセリングよりコーチングが好きになった。

潜在意識の向こうには無意識がある。
精神療法はそこをめざのかもしれない。
そこには、もっとたくさんの自分がいる。
無限の可能性と、手のつけようのない混沌、その両方が予測できる。
原子力の平和利用と同じで、人智でそれが可能なのか?

わからないから、コーチは、分をわきまえ、潜在意識の自分チームの結成に、留める。

コーチングは簡単。

カウンセリングと違ってコーチングではクライアントさんに目標がある(ビジター、コンプレイナント、カスタマーという分類から見ると、コーチングのクライアントさんはカスタマー)ので、「潜在意識の向こうに姿を潜めている<3人の自分>との対話」という物語に参加してもらうことは、たいていの場合、難しくない。

しかし、カウンセリングでは、3人の自分を忘れることを目的にしている人が少なくない(ようにぼくには思える)から、自分の中の3人の自分との対話を促されるより、意識している自分をちやほやしてもらい、決して質問せずに傾聴し続けられることを、「理解された」と感じる。

「理解された(その結果、癒された)自分」には、わざわざ、未知の3人との対話を試みる理由が無くなる。
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