2012年01月11日
朝家
今までずっと、友達と手分けして平安時代の記録、書簡などをチェックしていました。
私は地方在住ですので県立図書館で調べてました。
当時の文献、書簡などに「王家」という言葉があるかチェックしていたのです。
地味な作業でした。
私が調べたかぎりにおいては皇室に「家」というような言葉が付随した言い回しは無かったんですが、
共同で調べていた友人のうち、東京の友人が「朝家」という言い回しを発見したそうです。
今の所この「朝家」という言い回し意外に皇室に関する家の言い回しは見つかってません。
「王家」という言い回しは今の所ないですね。
全てを調べ終わったわけではないので、引き続き調べます。根気のいる作業です。
どうしても見つからないので、NHKに問い合わせてみたんですが、
「どの文献かはお教えできません」と言われました(笑)
文献は言わなくていいから、誰が書いた書簡ですかと聞いたんですが、
「それもお答えできません」と言われました。
それで、「電話1本でそのお二人の専門家に出展となった文献を聞けばいいだけでしょ。
2か月待っても3か月まってもいいから教えてくださいよ。」というと、
上司の方と代わってもらいました。
上司の人もNHKに回ってきている資料を丹念に調べてもらったんですが、
一時ソースとなる文献は見つからなかったみたいですね。
その方はまた調べておきますということですので、「分かりました」と言って電話を切りました。
また文献を調べる仕事が始まるお(笑)
参考資料
http://www.nicovideo.jp/watch/
私は地方在住ですので県立図書館で調べてました。
当時の文献、書簡などに「王家」という言葉があるかチェックしていたのです。
地味な作業でした。
私が調べたかぎりにおいては皇室に「家」というような言葉が付随した言い回しは無かったんですが、
共同で調べていた友人のうち、東京の友人が「朝家」という言い回しを発見したそうです。
今の所この「朝家」という言い回し意外に皇室に関する家の言い回しは見つかってません。
「王家」という言い回しは今の所ないですね。
全てを調べ終わったわけではないので、引き続き調べます。根気のいる作業です。
どうしても見つからないので、NHKに問い合わせてみたんですが、
「どの文献かはお教えできません」と言われました(笑)
文献は言わなくていいから、誰が書いた書簡ですかと聞いたんですが、
「それもお答えできません」と言われました。
それで、「電話1本でそのお二人の専門家に出展となった文献を聞けばいいだけでしょ。
2か月待っても3か月まってもいいから教えてくださいよ。」というと、
上司の方と代わってもらいました。
上司の人もNHKに回ってきている資料を丹念に調べてもらったんですが、
一時ソースとなる文献は見つからなかったみたいですね。
その方はまた調べておきますということですので、「分かりました」と言って電話を切りました。
また文献を調べる仕事が始まるお(笑)
参考資料
http://www.nicovideo.jp/watch/
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この記事へのコメント
1. Posted by tomo 2012年01月11日 21:37
本当、酷いですよね。
親王様という宮様一個人への呼び方で王という文字を使う事はあっても、王家という呼び方はいかがなものかと思いますね。
勿論、皇室という呼び方そのものも当時あったとは思いませんが、王という概念は絶対に違う。
天皇は天皇で皇である事は間違いない訳ですし。
基本的には、主上と宮家であったと思います。
院政を敷いていた時代はまた違うでしょうが、基本的には天皇陛下は天皇陛下だけ独立していて、それを取り巻く親王様、内親王様などの宮様達がいる。
宮様達は宮家として一括りにされる事はあるでしょうが、やはり独立した宮様という存在としてもあったと思います。
家という概念でとらえる事も、まず近代になってからじゃないかと思うのですが。
もしかしたら朝廷という大きな括りの家と考える方が良いのかな?
そうすると朝家というのは、とても納得の行く呼び名ですよね。
親王様という宮様一個人への呼び方で王という文字を使う事はあっても、王家という呼び方はいかがなものかと思いますね。
勿論、皇室という呼び方そのものも当時あったとは思いませんが、王という概念は絶対に違う。
天皇は天皇で皇である事は間違いない訳ですし。
基本的には、主上と宮家であったと思います。
院政を敷いていた時代はまた違うでしょうが、基本的には天皇陛下は天皇陛下だけ独立していて、それを取り巻く親王様、内親王様などの宮様達がいる。
宮様達は宮家として一括りにされる事はあるでしょうが、やはり独立した宮様という存在としてもあったと思います。
家という概念でとらえる事も、まず近代になってからじゃないかと思うのですが。
もしかしたら朝廷という大きな括りの家と考える方が良いのかな?
そうすると朝家というのは、とても納得の行く呼び名ですよね。
2. Posted by とりすけ 2012年01月11日 21:38
楠さん頑張れ!
3. Posted by 楠乃小玉 2012年01月11日 23:06
tomoさん
問題は、NHKが、
平安時代は一般に朝廷の事を
「王家」と呼んでいた。と
主張している事なんですよね。
大河ドラマの中でも「王家」という
言葉を連呼しているわけですし。
朝廷でも皇室でもなく、「王家」です。
それだけ広く一般的に「王家」と
呼ばれていたなら、手紙や文書に
残っているはずなんですよね。
だから、たった1つでいいから
当時「王家」と書いた文献なり
手紙なりが、ひとつでもあるなら、
見せてほしい、教えてほしい。
それができないなら、だれが書いた
文書なのか教えてほしいとNHKにいっても、
「あるけど教えられない」
「一切答えられない」
「答える義務はない」の
一点張りなんですよね。
なにか機密文書なら分かりますが、
平安時代は、普通にどこでもだれでも
「王家」と言っていたとNHKは
主張しているわけですからねえ。
今の所、調べてもまったくそういう
文献は出てこないんですよね。
問題は、NHKが、
平安時代は一般に朝廷の事を
「王家」と呼んでいた。と
主張している事なんですよね。
大河ドラマの中でも「王家」という
言葉を連呼しているわけですし。
朝廷でも皇室でもなく、「王家」です。
それだけ広く一般的に「王家」と
呼ばれていたなら、手紙や文書に
残っているはずなんですよね。
だから、たった1つでいいから
当時「王家」と書いた文献なり
手紙なりが、ひとつでもあるなら、
見せてほしい、教えてほしい。
それができないなら、だれが書いた
文書なのか教えてほしいとNHKにいっても、
「あるけど教えられない」
「一切答えられない」
「答える義務はない」の
一点張りなんですよね。
なにか機密文書なら分かりますが、
平安時代は、普通にどこでもだれでも
「王家」と言っていたとNHKは
主張しているわけですからねえ。
今の所、調べてもまったくそういう
文献は出てこないんですよね。
4. Posted by 楠乃小玉 2012年01月11日 23:06
とりすけさん
がんばります!
がんばります!
5. Posted by NHKを解約する方法 2012年01月12日 14:10
私もNHKに、ドラマ内で「王家」を連呼していることをメールで質問した際、このような回答をいただきました。
「平安末期から鎌倉期にかけての中世史研究の歴史・学術的分野では、当時の政治の中心にいた法皇・上皇を中心とするこの時期特有の権力形態を<王家>と呼んでいます。
それに基き、「平清盛」ではこの用語を使用しています。ですから天皇家と<王家>は違う形態を指しており、単に呼び変えているわけではありません。
なお今回の大河ドラマの時代考証は、主に以下のお二人にお願いしています。
高橋昌明(神戸大学名誉教授)
本郷和人(東京大学史料編纂所准教授)
このお二人が現在平家研究の第一人者ですので、主な考証はお二人にお願いし、個別の案件についてはそれぞれ専門の先生にもご意見を伺っています。<王家>という用語については念のためお二人以外にも複数の専門の先生にご意見を伺っています。」
天皇家と王家は違うものを指しているとのことですが、明らかに詭弁だと思います。
「平安末期から鎌倉期にかけての中世史研究の歴史・学術的分野では、当時の政治の中心にいた法皇・上皇を中心とするこの時期特有の権力形態を<王家>と呼んでいます。
それに基き、「平清盛」ではこの用語を使用しています。ですから天皇家と<王家>は違う形態を指しており、単に呼び変えているわけではありません。
なお今回の大河ドラマの時代考証は、主に以下のお二人にお願いしています。
高橋昌明(神戸大学名誉教授)
本郷和人(東京大学史料編纂所准教授)
このお二人が現在平家研究の第一人者ですので、主な考証はお二人にお願いし、個別の案件についてはそれぞれ専門の先生にもご意見を伺っています。<王家>という用語については念のためお二人以外にも複数の専門の先生にご意見を伺っています。」
天皇家と王家は違うものを指しているとのことですが、明らかに詭弁だと思います。
6. Posted by 楠乃小玉 2012年01月12日 17:55
NHKを解約する方法 さん
そうなんですよね。
平安末期から鎌倉時代にかけては、
朝廷を絶対に「王家」と言っていたと
おっしゃるんですが、
じゃあ、当時の一次資料、
文献はどれですか?と
ソースを求めると、
「絶対言えません」とおっしゃるんですよねえ。
そんな、誰でも普通に言ってた言葉なら
簡単に文献は見つかるはずなんだけど。
そうなんですよね。
平安末期から鎌倉時代にかけては、
朝廷を絶対に「王家」と言っていたと
おっしゃるんですが、
じゃあ、当時の一次資料、
文献はどれですか?と
ソースを求めると、
「絶対言えません」とおっしゃるんですよねえ。
そんな、誰でも普通に言ってた言葉なら
簡単に文献は見つかるはずなんだけど。
7. Posted by ぐり〜ん 2012年01月12日 21:52
ドラマの時代考証をされている高橋昌明氏は現在学界で主流学説となっている「職能的武士論」の第一人者ですからね(他には元木泰雄氏、関幸彦氏、野口実氏、本郷和人氏、上杉和彦氏などでしょうか)。
しかし、高橋氏や野口氏は当初は所謂「左巻き」学者さん的な言い回しが、その著書の随所に見られることでも有名でした(野口氏の方は現在ではそうした過去の左翼的言動は引っ込められているようです)。
私も上で述べた諸氏の各著書とともに、
高橋氏の『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会)という本には、成立期の武士を学ぶための手掛かりとして読んでかなり参考にさせていただいたという経緯があります(その左巻き的な言動を差し引いた上でですが)。
また、現在の学界では9世紀後半の摂関期以降の時代を「『王朝』国家時代」という学術用語でも呼称しています。
これらの用語が、注意深くあくまでも学術用語として使われている内はまだ良いのですが、
これらが独り歩きしてテレビドラマや映画などで頻繁に使われるようになると、半ば既成事実化して人口に膾炙されて行くという危険性があります(「嘘も百編唱えれば何とやら」の類いですね)。
繰り返しますが、あくまでも現在の学界で使われている「学術用語」なのであり、
12世紀の清盛が生きていた時代のリアルタイムの人々からそのように呼ばれていたという形跡はどこをどう見てもありませんからね。
そのあたりを誤魔化しているNHKは卑怯の一語につきます。
(こうなることは半ば予想されていたこととはいえ)本当に楽しみにしていたドラマだっただけにとても残念な思いです。
しかし、高橋氏や野口氏は当初は所謂「左巻き」学者さん的な言い回しが、その著書の随所に見られることでも有名でした(野口氏の方は現在ではそうした過去の左翼的言動は引っ込められているようです)。
私も上で述べた諸氏の各著書とともに、
高橋氏の『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会)という本には、成立期の武士を学ぶための手掛かりとして読んでかなり参考にさせていただいたという経緯があります(その左巻き的な言動を差し引いた上でですが)。
また、現在の学界では9世紀後半の摂関期以降の時代を「『王朝』国家時代」という学術用語でも呼称しています。
これらの用語が、注意深くあくまでも学術用語として使われている内はまだ良いのですが、
これらが独り歩きしてテレビドラマや映画などで頻繁に使われるようになると、半ば既成事実化して人口に膾炙されて行くという危険性があります(「嘘も百編唱えれば何とやら」の類いですね)。
繰り返しますが、あくまでも現在の学界で使われている「学術用語」なのであり、
12世紀の清盛が生きていた時代のリアルタイムの人々からそのように呼ばれていたという形跡はどこをどう見てもありませんからね。
そのあたりを誤魔化しているNHKは卑怯の一語につきます。
(こうなることは半ば予想されていたこととはいえ)本当に楽しみにしていたドラマだっただけにとても残念な思いです。
8. Posted by NHKを解約する方法 2012年01月12日 23:44
< ぐり〜んさん
貴重なご意見ありがとうございました。
私の危惧している点もそこで
何も知らない一般視聴者が、ドラマ内で
あれだけ「王家」と連呼されていては、
無意識に「皇室」=「王家」という誤りを刷り込まれてしまうのではないかということです。
NHKの、この卑怯なやり方には本当に納得できませんし、日本人として怒りを感じます。
貴重なご意見ありがとうございました。
私の危惧している点もそこで
何も知らない一般視聴者が、ドラマ内で
あれだけ「王家」と連呼されていては、
無意識に「皇室」=「王家」という誤りを刷り込まれてしまうのではないかということです。
NHKの、この卑怯なやり方には本当に納得できませんし、日本人として怒りを感じます。
9. Posted by とも 2012年01月13日 08:30
ちょっとヨソで拾ってきたもののコピペで恐縮ですが。
「王家」という言葉を使用している日本の史料
・「聖徳太子伝暦」(917年、藤原兼輔)
・「神皇正統紀」(1339年、北畠親房)
・「大宝令」(701年)
・「養老令」(757年)
・「玉葉」(1164〜1200年、九条兼実)
・「吾妻鏡」(1300年頃)
・「平家物語」(1309年以前)
・「花園天皇宸記」(1310〜32年)
・治承二年(1178)六月の紀伊国大伝法院衆徒改案「夫王家之為王家(中略)任王家之帰依」
・『花園天皇宸記記』元弘元年別記十月一日条「王家之恥」
・『門葉記』建永元(1206)年「僧徒併祈奉王家之泰平」
・『門葉記』承元二(1208)年二月「然則天下四海為其静謐、王家三宝因之栄盛」
・『肥後大慈寺文書』正応元(1288)年七月「宜奉祈王家紹隆仏法者、院宣如此」
・『壬生家文書』正応五(1292)年七月「王家衰微莫大」
・『公衡公記』正和四(1315)年八月十日条「未忘忠於王家」
こういうのがありました。
高橋、本郷両氏は武士の起源からして話が合わないでしょうから、今後設定がどういった感じになっていくか、楽しみ又は心配・・?
清盛ご落胤説自体もそれはそれで悩ましいところでしょうが、これに関しては今のところあまり話題になっていないのが不思議・・?かな。
「王家」という言葉を使用している日本の史料
・「聖徳太子伝暦」(917年、藤原兼輔)
・「神皇正統紀」(1339年、北畠親房)
・「大宝令」(701年)
・「養老令」(757年)
・「玉葉」(1164〜1200年、九条兼実)
・「吾妻鏡」(1300年頃)
・「平家物語」(1309年以前)
・「花園天皇宸記」(1310〜32年)
・治承二年(1178)六月の紀伊国大伝法院衆徒改案「夫王家之為王家(中略)任王家之帰依」
・『花園天皇宸記記』元弘元年別記十月一日条「王家之恥」
・『門葉記』建永元(1206)年「僧徒併祈奉王家之泰平」
・『門葉記』承元二(1208)年二月「然則天下四海為其静謐、王家三宝因之栄盛」
・『肥後大慈寺文書』正応元(1288)年七月「宜奉祈王家紹隆仏法者、院宣如此」
・『壬生家文書』正応五(1292)年七月「王家衰微莫大」
・『公衡公記』正和四(1315)年八月十日条「未忘忠於王家」
こういうのがありました。
高橋、本郷両氏は武士の起源からして話が合わないでしょうから、今後設定がどういった感じになっていくか、楽しみ又は心配・・?
清盛ご落胤説自体もそれはそれで悩ましいところでしょうが、これに関しては今のところあまり話題になっていないのが不思議・・?かな。
10. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 10:20
ぐり〜んさん
そうですね、学術用語としての「『王朝』ですよね。
それも、日本の大学の教授が利便性の
ために制作したものです。
当時、朝廷の事を王家と
言っていた事実は見受けられませんでした。
それが、ドラマでは王家を連呼していますからね。
そうですね、学術用語としての「『王朝』ですよね。
それも、日本の大学の教授が利便性の
ために制作したものです。
当時、朝廷の事を王家と
言っていた事実は見受けられませんでした。
それが、ドラマでは王家を連呼していますからね。
11. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 10:28
ともさん
・「聖徳太子伝暦」
に関しては覇者に対する王者という
二ワンスで使っていた部分は
見つけたのですが、朝廷を王家と
読んでいる部署は発見できませんでした。
もういちど調べなおしてみます。
・「神皇正統紀」(1339年、北畠親房)
これは一番最初に見ました。
王の道たるはと、南朝方が王道であり、
足利氏が覇道であり、徳の政治たるは
何であるか説く文書で出て来た言葉で
朝廷を王家という文書は発見できませんでした。
もう一度最初から調べなおしてみます。
・「大宝令」(701年)
・「養老令」(757年)
これはまだ調べてません。
・「玉葉」(1164〜1200年、九条兼実)
これには見つけられなかったので、
もう一度全部、調べてみます。
・「吾妻鏡」(1300年頃)
これは鎌倉幕府方が書いた文章ですね。
朝廷を王家と言っている文書は
見受けられなかったので
もう一度、一から調べなおしてみます。
・「平家物語」(1309年以前)
これも、見受けられなかったので、
最初からもう一度調べなおしてみます。
・「聖徳太子伝暦」
に関しては覇者に対する王者という
二ワンスで使っていた部分は
見つけたのですが、朝廷を王家と
読んでいる部署は発見できませんでした。
もういちど調べなおしてみます。
・「神皇正統紀」(1339年、北畠親房)
これは一番最初に見ました。
王の道たるはと、南朝方が王道であり、
足利氏が覇道であり、徳の政治たるは
何であるか説く文書で出て来た言葉で
朝廷を王家という文書は発見できませんでした。
もう一度最初から調べなおしてみます。
・「大宝令」(701年)
・「養老令」(757年)
これはまだ調べてません。
・「玉葉」(1164〜1200年、九条兼実)
これには見つけられなかったので、
もう一度全部、調べてみます。
・「吾妻鏡」(1300年頃)
これは鎌倉幕府方が書いた文章ですね。
朝廷を王家と言っている文書は
見受けられなかったので
もう一度、一から調べなおしてみます。
・「平家物語」(1309年以前)
これも、見受けられなかったので、
最初からもう一度調べなおしてみます。
12. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 10:28
・「花園天皇宸記」(1310〜32年)
・治承二年(1178)六月の紀伊国大伝法院衆徒改案「夫王家之為王家(中略)任王家之帰依」
・『花園天皇宸記記』元弘元年別記十月一日条「王家之恥」
・『門葉記』建永元(1206)年「僧徒併祈奉王家之泰平」
・『門葉記』承元二(1208)年二月「然則天下四海為其静謐、王家三宝因之栄盛」
・『肥後大慈寺文書』正応元(1288)年七月「宜奉祈王家紹隆仏法者、院宣如此」
・『壬生家文書』正応五(1292)年七月「王家衰微莫大」
・『公衡公記』正和四(1315)年八月十日条「未忘忠於王家」
これはまだ調べてませんので、
すべて一から調べなおしてみます。
おかしいですね、全部調べてない事を
確認したんですが、翻訳文でしたからね。
やっぱり原文を読まないとダメなんでしょうか。
莫大な時間と労力がかかりますが、
なんとかやってみました。
貴重な情報ありがとうございました。
・治承二年(1178)六月の紀伊国大伝法院衆徒改案「夫王家之為王家(中略)任王家之帰依」
・『花園天皇宸記記』元弘元年別記十月一日条「王家之恥」
・『門葉記』建永元(1206)年「僧徒併祈奉王家之泰平」
・『門葉記』承元二(1208)年二月「然則天下四海為其静謐、王家三宝因之栄盛」
・『肥後大慈寺文書』正応元(1288)年七月「宜奉祈王家紹隆仏法者、院宣如此」
・『壬生家文書』正応五(1292)年七月「王家衰微莫大」
・『公衡公記』正和四(1315)年八月十日条「未忘忠於王家」
これはまだ調べてませんので、
すべて一から調べなおしてみます。
おかしいですね、全部調べてない事を
確認したんですが、翻訳文でしたからね。
やっぱり原文を読まないとダメなんでしょうか。
莫大な時間と労力がかかりますが、
なんとかやってみました。
貴重な情報ありがとうございました。
13. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 10:48
たとえば
『続日本紀』(797年)の巻第十二
「或真人。或朝臣。源始王家。」
というものがありますが
この件に関しては、
真人(まひと)は、684年(天武13)に制定された八色の姓の一つで、最高位の姓 (かばね)で
朝臣(あそみ、あそん)は、
同様に上から二番目に相当。
真人は、主に皇族に与えられたため、朝臣は皇族以外の臣下の中では
事実上一番上の「源始王家」については臣籍降下の意味ですね。
こういう言葉の一部を切り取って
皇室=王家としたいんでしょうかね。
しかし、当時は皇室、王室という
概念自体が一般になかったと
私の今までの学術的知識では
認識しています。
『続日本紀』(797年)の巻第十二
「或真人。或朝臣。源始王家。」
というものがありますが
この件に関しては、
真人(まひと)は、684年(天武13)に制定された八色の姓の一つで、最高位の姓 (かばね)で
朝臣(あそみ、あそん)は、
同様に上から二番目に相当。
真人は、主に皇族に与えられたため、朝臣は皇族以外の臣下の中では
事実上一番上の「源始王家」については臣籍降下の意味ですね。
こういう言葉の一部を切り取って
皇室=王家としたいんでしょうかね。
しかし、当時は皇室、王室という
概念自体が一般になかったと
私の今までの学術的知識では
認識しています。
14. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 10:55
玉葉に関してですが
もしかして
「来神祇伯顕広王の挙ぐる所なり」
治承2年(1178年)正月5日条
の事を言っているのだろうか。
ちなみに、当時以仁王など
王の称号はありました。
もしかしてこの、以仁王家乃御挙
とか称号の下に家が付いた文章の
王と家の部分だけ切り抜いて
「王家」としたんだろうか。そういう
部分は当然常識として排除して
読んでたんですが
全部最初からやり直しです。
ああ、何年もかかるかもしれない。
もしかして
「来神祇伯顕広王の挙ぐる所なり」
治承2年(1178年)正月5日条
の事を言っているのだろうか。
ちなみに、当時以仁王など
王の称号はありました。
もしかしてこの、以仁王家乃御挙
とか称号の下に家が付いた文章の
王と家の部分だけ切り抜いて
「王家」としたんだろうか。そういう
部分は当然常識として排除して
読んでたんですが
全部最初からやり直しです。
ああ、何年もかかるかもしれない。
15. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 11:04
上の部分についてもう少し細かく説明すると
白川伯王家
のように、王の称号がついた
皇子の家が存在するわけです。
後醍醐天皇にも護良親王、懐良親王
などの皇子がおり、
この家を親王家と称することがあり、
この親王家の王家の部分だけを
切り取って、王家であるという
詭弁は非常に一般的に流布しているので
その点は注意が必要です。
その他、色々な可能性がありますが、
ひとつずつ検証していくしかないですね。
白川伯王家
のように、王の称号がついた
皇子の家が存在するわけです。
後醍醐天皇にも護良親王、懐良親王
などの皇子がおり、
この家を親王家と称することがあり、
この親王家の王家の部分だけを
切り取って、王家であるという
詭弁は非常に一般的に流布しているので
その点は注意が必要です。
その他、色々な可能性がありますが、
ひとつずつ検証していくしかないですね。
16. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 11:17
あと、仏教用語で仏の法を
仏法と称する対応で、世俗の法を
王法とする
呼称として「王」法と称する
漢籍の慣用表現。
仏法と称する対応で、世俗の法を
王法とする
呼称として「王」法と称する
漢籍の慣用表現。
17. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 11:23
詳しく言うと
、漢文の慣用句の文体形式として
則天武后即位前から漢文は成立しており、その点に関して漢文の慣用句は皇帝が出てくる前の時代に成立しており、
後世の皇帝を意味する部分を王と表現するのが大半です。これは、
中国の皇帝でも常用文では王と文章で
書きます。
つまり、日本人が漢文調で書くときにも
当然天皇を意味する部分を
王と表現します。
これは漢文の慣用句の問題ですね。
よって、漢文で王家と書かれている
文書に関しては当然、王家記述から
排除しています。
、漢文の慣用句の文体形式として
則天武后即位前から漢文は成立しており、その点に関して漢文の慣用句は皇帝が出てくる前の時代に成立しており、
後世の皇帝を意味する部分を王と表現するのが大半です。これは、
中国の皇帝でも常用文では王と文章で
書きます。
つまり、日本人が漢文調で書くときにも
当然天皇を意味する部分を
王と表現します。
これは漢文の慣用句の問題ですね。
よって、漢文で王家と書かれている
文書に関しては当然、王家記述から
排除しています。
18. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 11:30
『花園天皇宸記』
「夫王家之為王家、在仏法之擁護、仏法之為仏法、任王家之帰依」
に関していま、友人から確認のメールが来ました。
これは、
「王法を行う家」「仏法奉じる」という
意味で、正しい政治をするということは、という意味で書かれているそうです。
皇室をさいていっている言葉では
ないそうです。
やはり、一部切り抜きには注意が
必要ですね。全部の文書を確認しなければ。
「夫王家之為王家、在仏法之擁護、仏法之為仏法、任王家之帰依」
に関していま、友人から確認のメールが来ました。
これは、
「王法を行う家」「仏法奉じる」という
意味で、正しい政治をするということは、という意味で書かれているそうです。
皇室をさいていっている言葉では
ないそうです。
やはり、一部切り抜きには注意が
必要ですね。全部の文書を確認しなければ。
19. Posted by とも 2012年01月13日 13:42
そうなのですよね。とりあえずは「使用例」を発見してそれの意味内容、を考えないといけないということでしょう。
高橋氏が王家使用に関して述べられたのもさがせばありますが、引用しましょうか?
推測ですが、王家設定、ご落胤説、このあたりの基本部分が高橋氏の主張で、本郷氏は少し疑問を呈しているような。
なので、源氏部分、武士起源論、こういったところで本郷氏が主張を入れている、とそんな雰囲気を感じます。
ちょっと細かい話で本当に恐縮なんですけどね・・
高橋氏が王家使用に関して述べられたのもさがせばありますが、引用しましょうか?
推測ですが、王家設定、ご落胤説、このあたりの基本部分が高橋氏の主張で、本郷氏は少し疑問を呈しているような。
なので、源氏部分、武士起源論、こういったところで本郷氏が主張を入れている、とそんな雰囲気を感じます。
ちょっと細かい話で本当に恐縮なんですけどね・・
20. Posted by 楠乃小玉 2012年01月13日 14:38
ともさん
お手数をおかけしてすいませんでした。
高橋氏の主張に関しては、
こちらで資料を見つけましたんで、
そちらを掲載しておきます。
お手数をおかけしてすいませんでした。
(^^)
お手数をおかけしてすいませんでした。
高橋氏の主張に関しては、
こちらで資料を見つけましたんで、
そちらを掲載しておきます。
お手数をおかけしてすいませんでした。
(^^)
21. Posted by ぐり〜ん 2012年01月14日 19:27
NHKを解約する方法さん
いえいえ、どういたしまして。
私はドラマ内で『王家』を連発されるのを耳にして、
「ん?どこの外国の話?」
と違和感を感じ捲って見ていましたよ。
我が国の天皇家のことを無礼にも「日王」としつこく表記してくる国が周辺に約一ヵ国ありますが、
昨年のフジTV騒動以来、今の日本のテレビ局は公共放送・民放を問わず、
こうした、日本を引き下げることにかけては並々ならぬ熱意を持って挑んでくる連中の意のままになっている、そしてこのようなテレビの報道姿勢(『王家』呼称、日の丸掲揚・国家斉唱シーンを流さない、etc)は、
連中もある意味「今が勝負時」と必死になってかかってきている証拠なのだろう、という風に私は理解しています
ですからそんなテレビ局への、「一消費者(視聴者)にも出来る対抗手段」として、
私はテレビを見るということはもう殆んどしていません(特に民放などは殆んど全く見ていません)。
要するにテレビ版の「不買運動」を以て対抗しています。
※返信が遅れ大変申し訳ありませんでした。
いえいえ、どういたしまして。
私はドラマ内で『王家』を連発されるのを耳にして、
「ん?どこの外国の話?」
と違和感を感じ捲って見ていましたよ。
我が国の天皇家のことを無礼にも「日王」としつこく表記してくる国が周辺に約一ヵ国ありますが、
昨年のフジTV騒動以来、今の日本のテレビ局は公共放送・民放を問わず、
こうした、日本を引き下げることにかけては並々ならぬ熱意を持って挑んでくる連中の意のままになっている、そしてこのようなテレビの報道姿勢(『王家』呼称、日の丸掲揚・国家斉唱シーンを流さない、etc)は、
連中もある意味「今が勝負時」と必死になってかかってきている証拠なのだろう、という風に私は理解しています
ですからそんなテレビ局への、「一消費者(視聴者)にも出来る対抗手段」として、
私はテレビを見るということはもう殆んどしていません(特に民放などは殆んど全く見ていません)。
要するにテレビ版の「不買運動」を以て対抗しています。
※返信が遅れ大変申し訳ありませんでした。
22. Posted by NHKを解約する方法 2012年01月15日 23:00
< ぐり〜んさん
わざわざお返事ありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。
私が特に許せないのは、NHkが「公共放送」といいながら、実際には公共放送の理念から逸脱している点にあります。
日本における「公共放送」とは、日本人の利益に叶う内容を放送することで、
日本人に正しい知識を与え、自分達の国をよく知り、愛せるようにする役目があります。
今のNHKは、こうした歴史ドラマであえてミスリードを起こし日本の歴史を貶めています。
誰かが書かれていましたが、『JAPANデビュー』という歴史番組においても、ひどい捏造をし、今も裁判で訴えられています。
その事実を国民に知らせず、国民からお金を取っておいて、私達を貶めているのです。
そういう点からも、NHKの解約ということで、私もぐり〜んさんのように対抗しようと思っています。
わざわざお返事ありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。
私が特に許せないのは、NHkが「公共放送」といいながら、実際には公共放送の理念から逸脱している点にあります。
日本における「公共放送」とは、日本人の利益に叶う内容を放送することで、
日本人に正しい知識を与え、自分達の国をよく知り、愛せるようにする役目があります。
今のNHKは、こうした歴史ドラマであえてミスリードを起こし日本の歴史を貶めています。
誰かが書かれていましたが、『JAPANデビュー』という歴史番組においても、ひどい捏造をし、今も裁判で訴えられています。
その事実を国民に知らせず、国民からお金を取っておいて、私達を貶めているのです。
そういう点からも、NHKの解約ということで、私もぐり〜んさんのように対抗しようと思っています。
23. Posted by 2012年01月26日 12:12
「当時天皇の家を指す言葉がない」ってのは大河の時代考証・本郷先生もそう言っているんだが
もっと調べて物言えよ
もっと調べて物言えよ
24. Posted by 楠乃小玉 2012年01月26日 18:33
>「当時天皇の家を指す言葉がない」っ>てのは大河の時代考証・本郷先生もそ>う言っているんだが
>もっと調べて物言えよ
「朝家」って言葉があるよ。
はい、おしまい。
>もっと調べて物言えよ
「朝家」って言葉があるよ。
はい、おしまい。
25. Posted by Takeda 2012年02月05日 08:49
>「朝家」って言葉があるよ。
「王家」よりもさらに馴染みのない言葉だ。
ドラマを観て聞いてすぐにわからない言葉を使ってどうする。
愛国バカ。
「王家」よりもさらに馴染みのない言葉だ。
ドラマを観て聞いてすぐにわからない言葉を使ってどうする。
愛国バカ。
26. Posted by Takeda 2012年02月05日 08:50
「山門と王家とは松と栢とのごとし」
※鎌倉時代の僧・日蓮の著作『祈祷抄』より抜粋
「日本国の武士の中に源平二家と申して王の門守の犬二疋候」
※鎌倉時代の僧・日蓮の著作『上野殿御返事』より抜粋
「王家の犬」という表現が中世の人間にとって不自然なものではな­いことがわかる。
※鎌倉時代の僧・日蓮の著作『祈祷抄』より抜粋
「日本国の武士の中に源平二家と申して王の門守の犬二疋候」
※鎌倉時代の僧・日蓮の著作『上野殿御返事』より抜粋
「王家の犬」という表現が中世の人間にとって不自然なものではな­いことがわかる。
27. Posted by Takeda 2012年02月05日 08:51
「上政王より始め、下百司民庶にまで」
※『吾妻鏡』養和2年(1182年)2月8日、源頼朝が伊勢神宮に納めた祈願文の一部
「去る治承の比、平家擾世せば、王化を忽緒し、剰え逆節を図る」
※『吾妻鏡』建久3年(1192年)8月5日、源頼朝が御家人の千葉常胤に与えた書の一部
「宮と称す人の事無実なり。全く王胤に非ず」
※『吾妻鏡』建久元年(1190年)6月23日、後白河法皇の娘を名乗る女性について後白河法皇が「自分の娘ではない」と言っている院宣の一部
鎌倉幕府の公式の歴史書や後白河法皇の院宣でも
天皇・皇族を「王」と表現しているのに
なぜ現代の愛国バカどもは文句を言うのか?
※『吾妻鏡』養和2年(1182年)2月8日、源頼朝が伊勢神宮に納めた祈願文の一部
「去る治承の比、平家擾世せば、王化を忽緒し、剰え逆節を図る」
※『吾妻鏡』建久3年(1192年)8月5日、源頼朝が御家人の千葉常胤に与えた書の一部
「宮と称す人の事無実なり。全く王胤に非ず」
※『吾妻鏡』建久元年(1190年)6月23日、後白河法皇の娘を名乗る女性について後白河法皇が「自分の娘ではない」と言っている院宣の一部
鎌倉幕府の公式の歴史書や後白河法皇の院宣でも
天皇・皇族を「王」と表現しているのに
なぜ現代の愛国バカどもは文句を言うのか?
28. Posted by 楠乃小玉 2012年02月06日 00:49
Takeda さん
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4528.html
これ読んで頭冷やそうね。
当時、「王家」と言ってなかったことは
本郷氏自身が認めてるから。
あと、
漢文での王という表現は
慣用句であり、玉葉においても
慣用句においては王という言葉を
つかいながら中国側の施設が
天皇を「王」と言ったことを
失礼と書いてるから。
そのことは、この上のコメントにも
書いてるでしょう。
日本語読めないのかもしれないけど。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4528.html
これ読んで頭冷やそうね。
当時、「王家」と言ってなかったことは
本郷氏自身が認めてるから。
あと、
漢文での王という表現は
慣用句であり、玉葉においても
慣用句においては王という言葉を
つかいながら中国側の施設が
天皇を「王」と言ったことを
失礼と書いてるから。
そのことは、この上のコメントにも
書いてるでしょう。
日本語読めないのかもしれないけど。