LINE 卒業 (退職) のお知らせ - にぽたん研究所

February 28, 2019

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【大切なお知らせ】

平素より格別のご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。

このたび、私 nipotan は、平成最終日の 4 月 30 日をもちまして LINE 株式会社を卒業することとなりました。




無意味にアイドルの卒業発表っぽい書き出しにしてみました。


茶色
さようなら。茶色のこれ


前述の通り、平成という時代とともに LINE を辞めることにしました。
退職日まで二ヶ月ありますが、本日より約二ヶ月間の有給消化に入り、平成最後の営業日が最終出社日になっています。
つまり会社に行くのはあと 1 日となりました。





で、誰?



申し遅れました。

かつてはライブドア、そして近年は LINE でエンジニアをやっています
ハンドルネーム nipotan (にぽたん) と申す者です。
本名は、谷口公一と申します。

Fastly宮川達彦氏がかつて国内に滞在していた頃、彼や池邉智洋 (現 LINE 上級執行役員) を筆頭とするオン・ザ・エッヂのエンジニアの皆さんに憧れ、ライブドアの前身だった同社へ入社しました。

ポータル開発担当を希望して入社したのに 1 年間受託開発の仕事を与えられ、ふざけんなクソがこんな会社絶対ソッコーで辞めてやるって思ったりもしましたが、割と頑張りました。
でも 1 年経っても異動させてくれなかったのでマジでぜってー辞めてやるわクソがぁぁぁーって死ぬほどゴネたら当時の上司の皆様がめちゃくちゃ頑張って、希望通りポータルの仕事が出来るように調整して下さりました。
その際には大変ご迷惑をお掛けしました。

すげぇ面倒くさいやつだな…。

ポータル開発担当になって以降、現在までで担当した主なサービスを挙げると、
  • livedoor Blog
  • livedoor フレンドパーク (livedoor フレパ)
  • livedoor PICS
  • Cure
  • fixdap
  • WorldCosplay
  • livedoor news
  • LINE NEWS

こういったサービスの開発をしておりました。
これはごくごく一部です。

きっと皆様の中にもどれか一つぐらいは「見たことがある」という方が多いのではないでしょうか。

特に最後の LINE NEWS は、初期から約 7 年間にわたって開発してます。

7 年というと LINE NEWS のサービス自体の歴史よりもだいぶ長いのですが、初期版はちゃんと動くものを作ったものの、世に公開されなかったということがありました。そういうことも含めての 7 年間なので、だいぶ長くなっています。
以来、現在 LINE アプリのタブからアクセスできる LINE NEWS まで、ずっと LINE NEWS の開発を担当してきました。

中間、長いこと、LINE NEWS のサーバサイドは私たった一人で開発していたなんて時期もありましたが、昨今は街中で LINE NEWS を使ってる人を容易に見かけることが出来るぐらい世間に認知されご利用いただけるサービスへと成長しました。

自分の、生涯における「代表作」を一つ挙げるとすれば、今のところ「LINE NEWS」と即答します。
ご利用下さっている皆様のおかげです。ありがとうございます。

と、ちゃんと自分について説明したので「で、誰?」でブコメするの禁止です。



何年いたの?



「LINE に入って何年ですか?」

よく、こう聞かれた時に、いつも何と答えたらいいのかわからず戸惑ったりしました。

LINE 株式会社という組織が創業してこの 4 月で 6 年になりますが、会社の「前世」などを辿れば、色々な会社が離合集散した末の現在の形なので、6 年間の歴史だけでは語り尽くせないものがあります。
まぁ、LINE 株式会社の創業時には居りましたので LINE に入って (居て?) 約 6 年ではありますが、勤続で言えば 15 年半でした。

2003 年 11 月、ポータルサイト livedoor のサービスが産声をあげたその日に、株式会社ライブドアの前身、エッジ株式会社 (実は「株式会社オン・ザ・エッヂ」ではなく、ほんの数ヶ月間だけ「エッジ株式会社」だった期間がある) へ入社しました。

以来、会社の場所も、社名も、社長も…とにかく常に変化をし続けている組織でした。

ただ、一度も退職せず、勤続 15 年半というのは IT 業界の中では比較的長い在籍期間だったのではないかな?と我ながら思います。

この長い間、上場廃止 (4753.T) も、上場 (3938.T / NYSE: LN) も、両方経験出来たのはかなり貴重な体験ではないでしょうか。

退職に関連する人事的な手続きが完了した後に、社内でお世話になった方々宛に退職についてのご挨拶メールをお送りしたのですが、文中に

「15 年半という短い間でしたが」

と書いたのに

「短くねーよ!」

というツッコミが誰からも来ることなく、あぁ、これは、コイツ何言ってんだ?って思われたんだなきっと…なんて、ややションボリしてます。

何人かに話し言葉でこれを言った時はややウケしたことに気を良くして、神妙なメールに一点添えた小ボケだったのですが、まぁ、そうですよね、ツッコミづらいですよね…。

多くの同僚から「まさか nipotan が辞めるとは…」と言われました。

わたくし事ながら、なんか、その気持ち、ちょっとわかります。
あと 1 日しか出社しないと考えた時、まさか自分が辞めるとは…と他人事のように思える今が不思議な気持ちです。

ただ、上長や同僚たちに「会社を辞めようと思っている」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに15 年半考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなものが、そうそう簡単にひっくり返る感じがしないと、これまたなんだか他人事のように思えて、案の定、上長たちからの慰留はそれなりにありましたが、同僚たちには引き止める者はなく、気持ちよく送り出していただけている感じがします。

それはそれで寂しいもんですけど。人間ってわがままなものですね。
結構嫌われてたんかなぁ…。



どうして辞めるの?



色々思う所あってのことです。
詳細については結構センシティブな内容も含むため、公にするのは避けます。

最初、note で課金した人に読めるようにしようかと思いましたが、やっぱりこの内容を有料コンテンツ化するのはとにかく嫌だって感じたので、公開はしません。

数人から直接理由を尋ねられたので、それには答えたりしました。
でも聞かれもしない状況でこちらから発信する必要もないかな…という気分です。

ただ、少なくとも、LINE という会社が嫌になったとかではないので、退職後も LINE をヘビーに使い続けます。
てか、ずっと LINE の人だったから色眼鏡を通しているのかも知れないですが、LINE を使わずに生きるのとかまったく想像出来ないです…。
ちょいちょいいますよね…そういう人…。



次はどうするの?



「何ニュースに行くの?」

って数人から言われました。

おい、、、キサーマ…。

何と恐ろしいことに、転職活動はしてません
つまり、現時点で「どこかの内定」があるわけじゃありません

正確に言えば「どこかの内定をもらう気があまりない」感じです。
要するに「脱社畜」ですね。
脱社畜サロン」ですね。

いや、サロン関係ないです…。
サロンに入っていません…。

ただ、サラリーマンとして、雇われて、指示されたり考えたりして働くスタイルはいったん辞めて、自分が思うこと、自分がやりたいと心から思えることをやってご飯をいただく。
端的に言うと「起業」という選択肢を選ぶつもりです。

一介のエンジニアが野に放たれた時、どういう動きが出来るのか。
自分でもまだまったく想像できません。

ネット上で活発な、若くして事業を起こされた方々などに比べればかなりの遅咲きだとは思います。
ただ、自分がこの 15 年半で経験してきたことは、恐らくこの会社でしか経験出来ない、物凄く濃密な 15 年半だったことは間違いないので、決して遠回りだったとは思っていません。
15 年半の長い長い助走があったからこそ到達出来るような高みへと、例えそれがどれぐらいの年月をかけても、飛んでいけるような気がするというのが本音です。
明確な根拠はないのですが。

と、ちょっとポエマーっぽくて嫌ですが、新しい生き方を始めたところで、案外うまく行く気がしていて、そんなに大怪我することは無いだろうとも思っています。
楽観的すぎですかね。

名前もわからない「平成の次の時代」令和から新しい船出です。
5 月 7 日まで法務局が開いてないのがだいぶアレではありますが…。



ホントに起業するの?



エストニアで起業する」と言って LINE のグループ会社を去られた方が、退職翌月から渋谷というか原宿というか神宮前あたりの某社で勤務されている 事例を拝見しました。
※具体例あげてすみません。

それを批判はしません。
正直なところ、なんとなく、気持ちはわかります。

人の気持ちなんて簡単にひっくり返せる「強大な力」がこの世にはあるんだという事実に改めて気付かされました。

だから「強大な力にひっくり返されない限りはホントです」という感じで、前もって保険はかけておきます。

ただ、私、格闘技やってたし、週 6 で筋トレやってて筋肉あるほうなので、そんな簡単にはひっくり返されないと思いますよ。


は?


ひっくり返す力ってまだ見たことないので、ちょっと見てみたいって好奇心はあります (煽

起業するということに固執しているわけではなく、あらゆる可能性は否定していないという感じです。
割合を言うなら、起業 8、起業以外 2 ぐらいの気持ちなので、2 のほうの可能性は低いような気はしています。



一番良かった時



人事から呼ばれ、退職に関わる手続きをすすめ、事務的な手続きが一通り完了した後

「この会社にいて一番良かった時っていつですか?」

と尋ねられました。

15 年半の中で一番を選べっていうのはやや無茶な感じに思われるかも知れませんが、実は、私の中で変わることのない絶対的な一番があり、即答しました。

それは、決して順風満帆な今ではなく…

2006 年に「ライブドア事件」があり、その翌 2007 年「ライブドアホールディングス」と、その子会社で、事件のあった会社と同じ社名の、新生「ライブドア」が創業しました。

ポータル事業とデータセンター事業の二本柱で、4 億円の資本金を元に新たな船出だったライブドアでしたが、出澤社長 (現 LINE 社長) と照井副社長の下、ポータルという沈みゆく船を切り出され大海に放たれた我々は、一丸となって「黒字会社にしよう」と結束を固めました。

ライブドア事件で、ライブドアという会社は「虚業」だなんだと世間から厳しく評された時もありました。
ただ、堀江さんが作って残したあの会社で、当時赤字でも「実業」に身を粉にして働いていた我々社員一人ひとりには、今後ちゃんと実績を残し、汚名を晴らしたいという思いが皆にあったかのように感じていました。

当時「ビジネスユニット制」を敷き、営業だろうが企画だろうがデザイナーだろうが開発だろうが、何を担当していようが関係なく、皆が皆、自分の担当サービスがどれだけ利益に貢献しているのか、皆で目を細めて部門単位に細かく分けられた P/L と睨めっこしながら色々な施策をひねり出したりしました。

いかにも大企業っぽかったライブドアにいた私たち一人ひとりに対し、いかにもベンチャー企業っぽい働き方を求められました。

一期目に単月で黒字。

二期目は通期で黒字。

これを達成したことで、ライブドアという会社は見直され、その結果回り回って色々あって資本の移動があったりなんだで最終的に今の LINE へ流れ着いたわけです。

あの頃は、一人ひとりが会社の「歯車」ではなく、もっと重要で不可欠な役割を担っているという実感がありました。
同僚たちとは、寝食を共に…というと大げさですが、公私の区別なく親しく、一緒に戦っている同志という気持ちで働いていました。

干支一周り前頃のこの思い出話を持ち出し「15 年半の中の一番だった」と申しましたが、あれから色々あっての今日。
今やあの時のゴリゴリのベンチャーだった姿は見る影もなく、すっかり大企業な LINE の中に、あの同志たちとその精神があります。
が、なんと今月から社内カンパニー制が導入されましたね。

自分が一番好きだったあの頃に似た施策を、出澤社長の下でやると聞き、歴史は繰り返されるんだなと感じました。
そして、もう会社を去る腹が決まっていながら、この話を聞いた時にはすごくワクワクしました。

マイナススタートだったあの当時とはわけが違うところが強みです。
これからの LINE がよりいっそう大きく飛躍するであろうことを確信していますし、心の底から期待しています。




株主として…。



緑
さようなら。緑のこれ



例のリストマダー?



一応、平成という時代である間は私は LINE 社員ですので、LINE 株式会社は接待及び贈答品の受け取りが禁止されています的な理由により例のリストは公開致しません。

多分、次の (自分の) 会社は、接待や贈答品の受け取りを禁止する次元にはすぐには行けないと思いますので、平成の次の時代になってすこししたら何かしらブログに投稿する時があると思います。
その時に公開させてください。

贈答品ジャブジャブ浴びたいです。


パンヨ
さようなら。誰だキサーマ?



最後に



LINE 株式会社の皆様。
特に、事件の渦中であったり、新生ライブドアの時代に一緒に戦った同志の皆様。
そして LINE NEWS を一緒に支えてきた企画、制作、営業、広告、インフラ、QA、編集の皆様。

すみません。
先に行きます。

特に LINE NEWS は皆さんの努力とアイディアで、本当に大きく成長し、おかげでたくさんの夢や可能性を絶えず見続けることができました。

あと、昔から馴染みがあるライブドア時代の同志の皆様の中には、いつも、とてもとてもとてもとてもとてもとても厳しかった私のことが好きじゃなかった、嫌いだったという方も少なくなかったとは思います。

ただ、もしかして私を嫌っていたんじゃないかなという数人の方々から、退職の挨拶に対して「お礼の言葉」が返信されてきた時、人目を避けてひっそりと涙を流しました。

自分がここに遺したものは、ただ無機質にいくつかのサービスを作った実績だけだったというわけではなかった。
自分がここにいた意義が、他の人にとってもちゃんとあったんだと、その言葉をもらったことで最後の最後に認識させてもらうことが出来ました。

また、退職の話を聞いて、ソッコーでメール返信してくださった皆様。
早々に飲みに誘い出しててくださった方。
お時間作ってくださってカフェで長時間のお話しにお付き合いくださった方。
わざわざ私の席にまで足を運んで声をかけてくださった皆様。
送別会を催してくださる / くださった皆様。
送別会にお越しくださる / くださった皆様。

皆様と出会えて、一緒にお仕事を出来たことが、自分にとってのかけがえのない宝です。
本当に感謝しています。

出澤社長からも、船出に先立ち、温かく心強いお言葉をいただきました。

かつては週末に麻雀を打ったり、数人でそれぞれお互いの家に行ってホームパーリーをやったり、私が主催した飲み会で出澤さんが当時大怪我していたのに赤坂通り沿いの飲み屋を出てすぐに歩道から車道に転落して、皆であわわわと青ざめたとか、ベンチャー感あふれる距離感でした。

今やあの出澤さんも立派すぎるほど眩しい上場企業の社長で、私を含む社員たちが勝手にそう思ってるのもあるかも知れませんが、やけに距離が遠くなってしまったと感じるのが少し寂しかったりしました。

まぁ、これが「成長」ということで、むしろ喜ばしいことなのでしょうが…。

ともあれ、出澤さんにはお仕事の上で色々とご迷惑をお掛けしましたが、長年に渡って色々と良くしていただいて本当に感謝しています。


あと、これを読まれている皆様。
私が空けた席を埋めてくれる方、絶賛募集中です。
私が一緒に働くことはありませんが、とても働きやすい、働き甲斐のある会社です。
ご応募お待ちしています。


最後の最後に、しつこいようですが、まだ LINE 社員なので、有給消化中も何かあったら気兼ねなく呼び出してください。
アカウントがまだあるので、障害対応依頼とかでも甘んじて受けますので。


今まで本当にありがとうございました。




愛と青春の旅だち (字幕版)
リチャード・ギア, デブラ・ウィンガー, ルイス・ゴセット・Jr, デヴィッド・キース, ロバート・ロジア, リサ・ブロント, リサ・アイルバッハー, グレイス・ザブリスキー, デヴィッド・カルーソー, ハロルド・シルベスター, テイラー・ハックフォード, マーティン・エルファンド, ダグラス・デイ・スチュワート, リー・リッチ


nipotan at 09:00 | Comments(3) | 仕事 
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Comments

1. Posted by ?   March 05, 2019 12:40
だれ?
2. Posted by 通りすがり   March 18, 2019 10:54
>1
センス無いな
3. Posted by 行きどまり   April 28, 2019 19:06
>>贈答品ジャブジャブ浴びたい
某元議員の当選後の発言ですかな??

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