2018年04月21日

昨夜は誕生日でした。

 昨日は誕生日でした。
たくさんのメッセージを頂き、ありがとうございました。47歳になりました。ちょっと前ハタチだったような気がしますが、人生は短くスピード感があります。
 僕の年齢は、ただ自分のことだけ考えていればいいというわけにはいきません。僕も気がつくと親の介護や、障害を持つ弟の将来も考えなければいけない状況になりました。子供達も人生決断の時期が近づいています。
その中でも僕は引き続き硬い意志でチャレンジを続けながら、内なる成長を促す何かを求めて冒険を断行していきたいと考えています。
 ちゃんとファンキーに20代、30代、40代を過ごしてきた人にとって、50代前後の十数年は、勇気、体力、行動力、決断力などで現役最強の期間になると思います。僕の冒険起業は事実を追求するビジネスです。夢を現実の形にする気がないなら哲学をやったほうがいい。現実は実に手強いですが、実践的な執念で必ず壁を乗り越えたいです。
世界で最も田舎にある出版社『ぞうさん出版』から、アジアプロパガンダ構想、ぜひ皆様リアルタイムで目撃してくださいませ。

2018年03月19日

ぞうさん出版立ち上げ準備のドキュメンタリー特集

先日放送された『ぞうさん出版』立ち上げ準備のドキュメンタリー特集の映像がアップされております。
放送を観ていない方はこちらからご覧くださいませ。
新しい事業の立ち上げは大変だけど、人の人生でいうと青春期のような楽しさがあります。新しい歴史の始まりを作る作業なので刺激的です。

https://www.youtube.com/watch?v=6nT53uPujEA&feature=youtu.be


2018年03月11日

3.11忘れないように書いておきます。

2018・3・11
 もうすでに7年経ってしまったけど、もう遅すぎるかもしれないけれど、それでもできるだけ早く原発事故の責任の清算をしなければいけないと思います。
今の時点で誰も責任を取っていない状況の中、また活断層だらけの日本列島に建てられた原発を次々に再稼働しようとしている人達が大勢います。
それは今の若い人たちや次世代の人たちに対して無責任に多大な迷惑をかけ、彼らの未来をダメにしてしまうことになります。
先の戦争の責任問題と一緒で、きっちりとやっておかないと取り返しのつかないような泥沼になってしまう。次世代が苦しむことになります。
政府、電力会社、マスコミ、歴代の関係政治家、学者、その他原発利権に群がった企業や地元地域と個人、そして懸命に原発に反対し続けてきた人達の声を無視しつづけてまんまと騙された国民(僕も含め)。
ちゃんと白黒つけて、その上でみんなで力を合わせて前進していかないといけないと思います。
国民全員が力を合わせて、さらに誠実な態度で国際社会に協力してもらわないと、福島原発の事故処理を僕らの世代でコントロールすることは絶対に不可能だと思います。
そして、このままではまた必ず近いうちに致命的な原発事故が起きると思います。
その時は前回のようにいつもいつも北東の風ばかり吹くとは限りません。今度は必ず日本列島全体を、そして地球全体を致命的に汚染することでしょう。
現在、避難中の人たち、今だに危険な地域に住む人達、被曝してしまった人達、今回の原発事故が原因でなんらかの苦しみを抱える人達を一刻も早く、どれだけ借金をしてでも助けないといけないと思う。

2018年03月07日

子供達の最初の人生の決断の時期

子供達の決断の時期が近い。
視野を広げて、決断の参考になるように、できることはなんでも見せてあげたいが、最後に決めるのは子供達自身だ。

親としては、子供達にはファンキーな人生を歩んで欲しい。
やりたいことを見つけるのはなかなか難しいけど(未だに僕もはっきりは見つからない)、その都度やりたいと思ったことに飛びつけるような自由で汎用性のある大人になって欲しい。

そのためには冒険するしかない。安定なんて当てにならないから求めないほうがマシだ。
挑戦と発見の喜びに目覚めて欲しい。
失敗もネタとしてリユースするくらいのユーモアを持ちなはれ。

ユニークな知的好奇心は黙っていても冒険をかりたてる。
世界に飛び出せばすぐにわかるけど、まだまだ発見と成長の喜びに満ちているのだ。

現実には世の中は実に手強い。欲に限りがなく次世代のために環境を守ろうとせず、保身ばかりでなんでも批判や反対、若者にチャンスをくれない、過去に生きる威張った人達に時間を割くのは本当にもったいないし、ネガティブなオーラがまとわりつくだけだ。嫉妬と妬みの吹き溜まりからさっさと飛び出したほうがよい。30代以上の大人を簡単に信用するな。本能的な好奇心と直感を重視して、勇気を出してチャレンジして欲しい。
人生のスピードと尺は今思っているよりも早いし短いのだ。

留学するなら金のことは気にするな。今度出版する本がベストセラーになれば、二人分の留学資金くらいはなんとかなる。そばにいなくなると寂しいけれど、僕はただ子供達が幸せならいい。
世界を見てきたら、今より強くなれる。お爺ちゃんお婆ちゃんを助ける強い子になってくれたらいいなー。

2017年08月14日

盆の終わりに見かける寂しそうな長老たち

 芸北でお盆と正月になると、街から里帰りで来ている家族をたくさん見かけるが、寂しいのはお盆の終わり頃に、家族が帰るのを見送る長老達の寂しげな姿だ。

車が見えなくなるまで手を振ったり見つめ続けたりしている光景を見ていると、若い人達はぜひ里帰りをしてあげて欲しいと思う。

僕のお世話になっている長老の一人は、お盆に娘家族が帰って来るからといってセッセとお刺身の準備やゴムプールに水を入れたり、流しそうめんのために竹を割ったりしていた。

「毎年この時のために生きてる」と嬉しそうに話していた。
そんな話を聞くと、僕の祖父母はもう死んでしまっていないけど、生きてる時にもっとお盆や正月に帰っとけばよかったと後悔したりする。

これを読んでくれてる皆さんも、海外旅行なんかもいいけど、親や祖父母が首を長くして待っている田舎に、できるうちに帰ってあげましょうね。

2017年07月11日

フェイスブックでけっこう若い人が友達申請してくれる

 僕のフェイスブックには、地元の学生や地元出身の若い人達がけっこう多く友達申請してくれていて、近所や市内などで会っても元気に挨拶してくれたり、すごく心もいい人達ばかりだ。

来月は職場体験で3名の地元中学生がぞうさんカフェにやってきて、2週間くらい一緒に仕事をしたりご飯を食べたりする予定で、もう受け入れ始めてから4年目になる。

地元を離れて就職や進学した人達も里帰りしたときに寄ってくれて、たまにアドバイスを求められることもある。僕は若い人にアドバイスをする事はあまりないが、失敗したことなどの経験談を楽しく話すことはある。僕が26歳で会社経営を始めた頃は、40歳以上の人は信用するな、と自分で思っていた。実際自分が40歳を超えてからはその考えはやめた。

僕は自分の生き方は、今のところはさほど悪くはないけど、老後から死ぬまでの結果がどうなるかはまだわからないから、若い人に話すときは、あまり参考にしないで聞いてほしいと言ったりして話すが、
以下の文章は若い人だけ読んでくれたらいいズラ。↓

若い人たちは、今けっこう不利な立場であると自覚して、もっと大逆転を目指して冒険するべきだと思う。世代別で人数が少ない若者達は、今の世の中若者よりも圧倒的にたくさんいる年長者の多数決で決まる世の中に生きてくという不利な立場を自覚して、若い丈夫な体と感性を信じて、どんどん冒険していくべきだと思う。それに冒険は楽しい。

そして、平和を何よりも重視しないような年長者や年寄りを信用しないほうがいい。過去の経験から学べない人たちだからだ。

今、世界のあちこちが戦争をしたがっているように感じるが、どんなことであろうとも戦争を回避する努力を諦めてはいけない。同じ過ちを繰り返してはいけない。

世界を敵と味方に分けないでほしい。どんな国も住んでるのは普通の家族があり、僕らとさほど変わらない人達がほとんどだ。
平和を求めて行動する人や発言する人たちを疑うべきではない。

家の中でテレビや新聞やネットの情報だけで判断すると、騙されて70年前の同じ過ちを繰り返すことになるから、経験者のリアル話を聞けるうちに聞いておこう。僕も地元の和尚さんや長老に話を聞かせてもらっているが、すごく参考になっているし、ノリがわかってくると楽しく友達になれる。年長者は立派な人ほど、年上だという理由だけで威張ったり論破したりしない。

相手がどんな国であろうとも、仲良くやっていく努力をしていくしかない。若者は犠牲になってはいけない。殺しに来た人と友達になれる人が一番強いのだ。

平和がどんなことよりも大事だということを絶対に忘れてはいけない。そして平和を求めるなら英語など世界中で使える便利な外国語を勉強して、もっともっと世界に飛び出して行き、実際に世界中の人たちと交流すると、いろいろわかってくると思う。

国籍や民族をひとっくくりにして語る人はわかっていない人で、日本人でもいろんな人がいるように、どんな国の人でも、家族や学校やお祭りや先生やペットを可愛がる人達や野菜が好きな人やスポーツマンやいろいろな人がいて、まったく話がわからない人もいるが、絶対に平和を諦めてはいけない。

人生が1回ぽっきりだから、幸せにならなくてはいけない。退屈してはいけない。犠牲になってはいけない。うまくやれば楽しめるし、いい思いもできると思う。友達を大事にしようねー

2017年07月04日

選挙が終わり、テレビを見てて思ったこと。

 僕らは今まで政治に期待したりガッカリしたり応援したり怒ったりとクルクル繰り返しの人生だけど、何か自分で将来のために準備できることはさっさとやっておいたほうがいいと思っています。
特に若者はそうすべきだと思っており、それは日本円という印刷物だけに頼るだけではなく、死ぬまで楽しく健康に寂しくなく、守るべき人達を守ることができ、毎日満腹になり、安心して生活するための準備であります。

現在と将来の高齢者の数と子供の数のデータなど見てればわかるように、出生率が極端に低いのに移民をほとんど受け入れないとなれば、将来この国がどうなるかが想像できると思います。
そして、今の政治家の子供達が地盤看板カバンを引き継いで今後も政治家をするのだろうから、そんな既にリッチでボンボンの人達が引き継ぐ政治が何をしてくれるだろうかなど、自分の頭でゆっくり冷静に考えて、あまりたくさんは期待しないで他力本願だけにならず、この国に住み続ける限りは、当事者意識を持ってどんどん準備していくほうがいいと僕は思っています。

美味しい水や畑や田んぼがある田舎に拠点をできるだけ早く持ち、身体を鍛え、オーガニックやヨガやアーユルヴェーダや身体に安心安全な食材を作ったり買ったりする習慣など、自分でできる良い事をちょっとずつでも取り入れ、家族や友達を大事にして、持続可能なライフスタイルをさっさと始めると良いと思います。
僕は思うのですが、政治にだけ期待しつづけ、今まで通りの生活をしながらガッカリしつづけるこれまでの自分の人生から学び、もちろん今後も政治に期待はしますが、自分でもどんどん準備をしていくほうが健全で良いと思います。
他力本願的な部分は悲観的に考えるくらいがちょうどいいのではないかと思っており、そして自分と大事な人の人生を安心安全楽しくする為に、今からでも積極的に準備をしていったほうが、精神的にもポジティブでいられるのではないかと思います。

2017年02月26日

映画「一人息子」とスリランカのスタッフの実家のお母さんの話

映画『一人息子』鑑賞。
この映画を観て、なぜかスリランカ人スタッフの実家の家族に挨拶に行った時の事を思い出した。
その時は、息子を苦労して苦労して勉強させて都会に送り出したお母さんが、就職先の会社の経営者である、しかも外人の僕をどんな風に思っただろうと複雑な気分だったが、家庭料理で大歓迎してくれた。
一度だけだがお母さんや姉妹を東京の僕の自宅に招待して一週間くらい僕の家族と一緒に過ごした事があった。そんときは東京タワーや浅草など東京見物に連れて行ってあげたが、最終日の食事の後、僕の前でお母さんが、息子さんが赤ちゃんだった頃に唄って聴かせていたスリランカの子守唄を僕に歌って聴かせてくれた。そのとき「大事に大事に育てた私の長男をくれぐれもよろしく」と頼まれてるように感じた。
彼は8年近く勤めてくれて僕を支えてくれた後、独立して会社を起業したけど、その後は悲しい結末になってしまって今は天国にいる。葬式の後、彼の実家を訪ねたときの彼の家族は泣きながら僕に昔のアルバムを見せてくれたりご飯を作ってくれたりした。

一人息子

2017年02月20日

戦場の話

カミサンが子供に読ませようと図書館から借りてきた本
「これから戦場に向かいます」読みました。子供でもわかりやすく作られています。
この本を読んだあと、数年前まで内戦だった国に、当時毎月のように仕事で通っていた頃の経験を思い出しました。
僕のスリランカの工場のスタッフの弟が兵士として戦場に行くことになったとき、餞別にコンバースのスニーカーをプレゼントしましたが、半年後にその弟は戦死してしまいました。葬式に行ったときに遺体を見ると、とてもきれいな体でしたが胸に銃弾を受けていました。遺体には僕がプレゼントした新品のコンバースのスニーカーを履かせてもらっていました。次男坊が経済的理由で兵役につくことは多かったそうで、僕はビジネスマンとして、この国で工場をもっと大きくして、たくさん雇用を作れるような事業にしたいと強く思いました。
ぞうさんペーパーの画用紙とワイルドパステルで、子供環境絵画コンクールを毎年開催していた頃、危険地域(外務省の危険地域指定レベル4)に住んでいた子供が優秀賞を受賞して、遠方で授賞式に来れなかった子供のために、賞状と記念品を贈呈しにその子供が住む地域に尋ねたとき、その子の親戚や家族みんなが出迎えてくれたのがとても印象に残っていました。尋ねた時はその子供も家族もみんな緊張して無表情で無口でしたが、賞状を渡した後、帰るときに僕らの車を玄関から見送ってくれているとき、最後に僕らの車がカーブで見えなくなる寸前、緊張が解けたのか、その子と家族、親戚全員が飛び上がったり抱き合ったりして喜んでいる姿を一瞬見ることができました。それを見たときは僕らもみんな嬉しくて、車内で爆笑しました。
その後数年が経った後、政府軍の空爆でその地域が壊滅したとニュースで知りました。あの家族は無事に避難したのかわかりませんが、戦争の最後のほうはいつも罪のない人たちが人間の盾にされてしまいます。
僕のビジネスパートナーのお母さんは、地雷などで足を失った人たちに義足を製作して、リハビリとセットでプレゼントする運動をしています。そこにいる人たちは明るいですが、まったく笑わないチビッコもいました。どんな経験をしてきたのか聞かなかったのでわかりませんが、なんとも言えない表情でした。
平和がどれほど大切かが実感しづらい世の中ですが、限られた時間しかない高齢者の経験談に耳を傾けることがとても大事だと思います。インターネットなどの情報ではなく、実際の経験談に大事なことが詰まっていると思います。

16810773_10209067626309701_922017593_o


16807741_10209067635389928_566837201187270800_n


16831944_10209067636029944_3548633977967372090_n

2017年02月14日

20回目の結婚記念日でした。

先週の金曜日の2月10日は結婚記念日でした。20回目です。
あっという間に20年経ちました。
記念に別府温泉に一泊二日で家族を連れて行きました。あいにくの大雪でしたので、地獄めぐりができませんでしたが、ホテルのブッフェは楽しく、別府の温泉もよかったです。

温泉ではカミサンに手紙を書いて渡しました。
家庭や仕事で支えてくれることへの感謝の気持ちと、寒さが苦手なのに豪雪地帯の田舎に移住したり、事業で不安にさせて苦労させていることへの申し訳ない気持ちと、これから必ず実現する計画や夢について書きました。
読んだ感想は聞いてませんが、気持ちを形にして残しておくと、のちに爺ちゃん婆ちゃんになったときに読み返したら楽しいと思います。
家族を退屈させてはいけないので、これからもチャレンジを続けていきたいと思っています。
チェリオ
別府

2016年12月01日

コラム寄稿しました。

ウエンディ12月号にコラム寄稿しました。

15203273_10208360354588350_1047569743839110617_n

2016年11月29日

夜の仕事の合間にユーチューブはイカン

 夜の仕事の合間にユーチューブを見始めると、あっという間に時間が逃げていくからイカン!夜よ、もっとゆっくりしていってくれ!

ということで、「夢は誰にも話してはいけない」と昔、安全地帯は「あなたに」という曲で歌ったけど、僕の経験では、「夢はむしろ言いふらす」ということになる。

チャンスが広がるのではないかと。軽い夢だとか法螺吹きだと思われるリスクはあるかもしれないけど人生は短い。じとっとして何もしないよりもずっといいのではないか。八方塞がりの時にでも壁を突破するきっかけになるかもしれない。

ひとりの力のみで夢を実現する事は難しい場合が多い。あと、話を聞いてくれて夢の実現を手伝ってくれたりアドバイスやヒントをくれた人への気持ちを忘れたら最終的に夢は完結しない。一度言いふらした事は必ず実現するぞという気持ちがより強固になると思う。

僕の場合はいまのところは運よく広く浅く実現しているとは言えるし、これからも仲がいい人たちと一緒に実現していくアクションプランだ。

去年、広島の上野学園ホールで玉置浩二のソロコンサートに家族で行ったが「あなたに」は安全地帯の曲だから歌ってくれなかったです。チェリオ


2016年11月28日

ナメコ茸とビジネスNOW

夕方、博士と一緒に収穫したナメコ茸。
これは移住したばかりの2011年に木を切って椎茸とナメコ茸の菌を打ち込んで仕込んだ原木から毎年収穫している。
もう5年前だが、今年もたくさん収穫できた。3日にいっぺんくらい行かないとすぐにナメコは大きくなってしまうので、忙しい時はたいへんである。
僕がよくやるなめたけの料理は、醤油やみりんなどで甘く煮て、アツアツの炊きたてご飯にどろっと乗せて生卵をかけるナメコ丼で、ほどんど噛まずにのどごしで通食を楽しむ一瞬の味わいである。もちろん味噌汁にも入れる。この時期の味噌汁には毎日入っている。
 広島の山里、北広島町芸北に引っ越してきた最初の年は、ほとんど仕事をしないで、田舎暮らしの準備ばかりしていた。当時はまだ東京に本社機能を残していたのでスタッフが東京で頑張ってくれてる間、僕はずっと農業や自給自足の準備や地域コミュニティに仲間に入れてもらうためにいろいろ気を使って行動していた。東京には毎月1週間ほど勤務したり、スタッフに来てもらったりして仕事をしていたが、やはり僕がほとんど営業をしないために売り上げは加速度的に下がっていった。が、それに反比例するように生活の質QOLはどんどん上がっていったように思う。もちろん不便なことも多いし、豪雪などで吹雪の運転や極寒の雪かきなどたいへんな目にあうこともあるが、生活そのものは非効率や昔風の手間がかかる事も楽しめるようになった。日本に残して海外長期出張中の家族の安全保障の向上も、留守をする間の僕の心の安心になり、スリランカなどでの仕事も集中できた。
家賃や給料、光熱費などのけっこうかさばる固定経費、ランニングコストが東京にいた頃よりも格段に安くなり、損益分岐点がぐっと下がった事もあり、毎月のサバイバルノルマをあまり気にせずに今まで密かにやりたかったにもかかわらず着手できなかった夢事業、達成したり実現したり元を取るのに何年もかかるロングの事業にも手を出しやすくなった。実際、今やっている漁業や出版事業などは実際に軌道に乗るのに時間がかかりそうだ。
ただ、田舎でビジネスをすることイコールのんびりできるという事はなく、僕に関して言えば、癒しの生活とかとは無縁で、むしろ東京にいた頃よりもスピード感を意識してやっていかないと、なにしろやる事は多いうえに非効率な場合が多々あり、そのうえで外の世界のスピードに対応していくには、意識的に今まで以上にスピード感をもってやっていかなくてはいけない。働き盛りの年代なので多少無理をしても今の所は大丈夫だけど、将来は豪雪の冬くらいはトロピカルな地域にも拠点を持って仕事ができるようにちょっとずつでも準備しておきたいズラ。

15292670_1168836846532489_506075164_o


15204085_1168836839865823_1675781422_o


15231594_1168836869865820_1599637443_o


15292748_1168836866532487_944910620_o

2016年11月21日

病院にて

CTスキャンのために採血してもらうなどして広島市内の病院です。
待ち時間が長いので退屈だけど、早朝に山で100キロ級の猪を運んだりしてくたびれていたのでちょうどいい休憩になっている。

たくさんある病室の一部屋で、僕が採血してる横で5歳くらいの女の子がお母さんと一緒に採血の順番を待っていた。見るとすごく怯えた表情で、順番が来て注射針を見た途端、女の子は火がついたように泣き始めた。

そのかわいい光景を横で見ていたら、僕の娘が幼児の頃によく注射の時に泣いていたのを思い出した。
僕の娘はよく笑う明るい性格だけどとても怖がりで、幼い頃はハリーポッターを見せただけで夜寝られなくなりオネショしたりしていた。

そういや保育園の帰りに寄った公園で知らない放し飼いの犬が吠えながら娘を追いかけ回したことがあったが、噛みつきそうな勢いだったのでその犬を軽く蹴っ飛ばして追っ払ったら、娘は泣きながら僕の首にしがみついて、娘の涙とヨダレで僕の首がビショビショになったことがあった。娘のかわいい思い出だけど、ふと何処かでよその子の無力で弱く必死なところを見かけたりすると、どんなことがあっても家族を守るという気持ちを再確認できます。

2016年11月04日

シドニーつながりのお客さん

シドニーで日本レストランを経営されている娘さんがいるご家族が芸北ぞうさんカフェへよく来てくれます。
僕はシドニーに3年ほど住んでいたのでオーストラリアの話を聞くと懐かしいです。
娘さんもよくシドニーから僕のフェイスブックを見てくれているとのことですので、フェイスブックにご家族と一緒に撮った写真をアップしますよ!今後とも宜しくお願いします!
シドニーは二十歳のときにワーキングホリデーでプータローをして、その後2年間ウイリアムスというノースシドニーのビジネスカレッジで学生をして、合計3年住んでました。ミチが留学中のクラスメートだったので、結婚式も日本とオーストラリアから両家の家族や友達を呼んでシドニーのチャツウッドという街の教会でやりました。
渡豪したばかりの頃は英語が全然できなかったので、JALのニッコーホテルや日本レストランなど日系企業でバイトしてましたが、そのうち自分も学生でしたが留学生用のシェアハウスを経営したり、韓国の友達と一緒に学生専用進路コンサルタントオフィスもジョージストリートというメイン通りに構えたりして面白おかしくやってました。
今でも知り合いがけっこうシドニーやブリスベンでビジネスをしてるので、僕もいずれお爺ちゃんになったら冬だけシドニーに住んでトロピカルな老後を過ごしたいです。

シドニーに行ったらサカエ日本レストランへどうぞ!

FullSizeRender-2

2016年11月02日

すでに朝4時

すでに朝4時になった。気晴らしにちょっと昔のブログを見ていた。
ところで、5年経った今でも「なぜ広島の田舎に引っ越してきたの?」とあちこちで今でもよく聞かれる。メディアなどで聞かれた時は毎回違うことを言うが、たいていは「大自然で自給自足ができる環境を求めて」とか「これからは地方の時代」とか「アジアが近い」とか「田舎暮らしをしながら子育てがしたい」などと答えていた。

本当は子供達の安全のために引っ越した。いつの日か「パパどうして守ってくれなかったの?」と言われないようにちゃんと子供達をビシッと守ることができる環境を探した。
僕は海外出張などで長期間留守にすることが多い。東日本大震災後の日本列島は地震が多くなった。

3.11の当日も僕は韓国のソウルにいて、日本から電話で僕の会社のショールームが地震でメチャクチャになってるとスタッフから報告があった時、まず家族が心配で仕事にならなかった。実際、急遽仕事を切り上げて次の日すぐ帰国して、その日のうちに家族を福岡のカミさんの実家に車で連れて行った。その後は念のため家族を福岡に1ヶ月間のこして、僕だけ単身東京オフィスでビバークしながら仕事していた。
僕は心配性だ。スリランカで内戦テロやスマトラ沖地震の大津波を経験したからかもしれない。悲観的に考えてリスクヘッジの準備をアクティブにするほうだ。
だから震災後もつねに大地震や原発シビア事故などが起きた時のことを考えると心配になった。

芸北は目立った活断層もなく、標高も高いため津波は絶対に来ない。食料自給率が高いため、物流が麻痺しても毎日家族を満腹にすることが可能だ。
安全保障のために僕はリスクをとって人口が密集する大都会から田舎に生活と仕事の拠点を移した。

最初は芸北に知り合いは一人もいなかったし、東京のスタッフも辞めてしまって困った。今は広島の田舎を拠点にしたことがチャンスに変わりつつある。
家族を守ることは何よりも大事だけど、仕事も面白くしていきたいし、田舎暮らしでも家族を退屈させないように考えて頑張りたいダス。

2016年11月01日

三笠宮殿下の思い出

 三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)親王殿下が27日、心不全のため、薨去されました。三笠宮殿下は昭和天皇の弟宮にあたります。100歳とのことでした。

僕らのぞうさんペーパーはスリランカで作られています。そして東京の多摩動物園の人気者スリランカゾウ(名前はアヌーラ)は、1956年5月、三笠宮崇仁殿下、同妃殿下がセイロン(現スリランカ)を訪問されたのを記念して、両国の友好のシンボルとしてセイロンから贈られたぞうさんです。

そんなアヌーラの来日50年記念式典が2007年に多摩動物園にて行われました。
式典で僕らはぞうさんペーパーのデモンストレーションを行い、さらに当社の絵本「ぼくのウンチはなんになる?」の紹介&来賓への贈呈なども行われました。

イベントでは、この本の翻訳者でもあるTBSアナウンサーの秋沢淳子さんが、絵本の紹介やデモンストレーション、絵本の贈呈などを担当してくれました。秋沢さんは今でも僕の大事な宝物のような友人です。

来賓は三笠宮崇仁殿下、同妃殿下を始め、日本スリランカ協会会長の福田康夫衆議院議員ご夫妻、アヌーラ・バンダラナイケ大臣、ランジット・ウヤンゴダ駐日スリランカ大使などでした。

僕はミチコーポレーション社員みんなと妻と子供達を連れて行きました。来賓のお一人お一人とお話しをさせて頂き、素晴らしい経験をさせていただきました。

三笠宮殿下は僕にとって歴史上の人のイメージでしたが、実際にお姿を目の前にしてとても優しそうで穏やかでなんとも言えない雰囲気で、昭和天皇にとても似た顔立ちで強く印象に残っています。

僕の家族や親戚もみんな喜んでくれた素晴らしいイベントでした。三笠宮殿下ご夫妻がぞうさんペーパーを手にとってご覧になっている写真をスリランカの工場の仲間に見せたらみんな喜んでくれて、今でも目立つところに飾ってあります。芸北の祖母にも母が写真を送ったそうですが、近所中に見せて回ったそうです。今でもとても良い思い出です。

謹んで哀悼の意を表します。

1


2


3


4



2016年10月28日

河野先生の書

湯崎広島県知事と昼食会をさせていただく機会を頂きましたので、遠慮なく芸北のみんなで行ってきました。
その時に湯崎知事へのお土産にと、事前に妙徳寺の河野先生に書を色紙に書いてもらい、それを湯崎知事にプレゼントしました。

湯崎知事は広島県で大人気の若きチャレンジャー知事ですが、巨大都市のトップリーダーの立場ですから、なかなか助言や説教をするような人はまわりに少ないのではないだろうかと勝手に考え、それなら90歳の今まで芸北のあらゆることを知り尽くしている偉い和尚さんである河野先生なら、湯崎知事の政治活動に何か参考にしてもらえる言葉を書いてもらえるのではないかと思い、妙徳寺まで行ってお願いして書いてもらい、知事室まで持って行きました。

しかしながら、河野先生が色紙に書かれた言葉の意味は、学生時代から勉強が大嫌いで学のない僕には少々難しく、あまりうまく湯崎知事に色紙に書かれた書の言葉の意味を説明できないままお渡してしまいました。実際、書かれた書も達筆すぎてなかなか読めません。
ちびっ子達は僕みたいにならないように、もっと勉強することをお勧めします。

書に書かれた言葉は
『噫!!弘誓(あゝ!!ぐぜい)』

14695499_10208124437170562_7603768139485797739_n


14900561_10208124453330966_9222552701030587901_n

2016年09月29日

執筆活動

 またしてもブログが止まってしまった。今日から再開です。
実は一睡もしてません。ずっと昔の資料を探したりまとめていました。

出版事業を新しく始めるにあたり、まずは自分を本を出してみようと思っており、ずっとこの一年準備しておりますが、なかなか進みません。

まずはスリランカビジネスの10年間をまとめる予定です。
この10年間の事をよく講演で話して欲しいと依頼されます。大学や起業、金融機関やJCなど様々なところで講演をしました。

ですのでわりと記憶に残っており、スラスラ書けるかなーと思っていましたが、ぜんぜん進みません。何しろ自分の出版社なので締め切りがなく、ズルズルと遅れています。

そんな中でブログも書くってのも大変といえば大変ですが、ブログは現在進行形の話ですので、これも大事です。
チェリオ

2016年09月16日

クルーズの打ち上げ

宇宙海賊船クルーズの打ち上げ@焼肉大学!
打ち上げの時に、大勢の人たちのおかげでイベントができるんだということを再確認できる。
恩を忘れないように頑張ります!

14329937_1099622033453971_808379142236907091_n

ワイルドファンキーストア
wfsバナー

世界で最もファンキーな
オンラインショップです。
IndyGoods.COM
bnr_indygoods

インディジャケットなどの
オンラインショップです。
最近のコメント
最近のトラックバック
スリランカ 2007/09/15~09/21 ((メモ的)話題の動画・情報収集ブログ 第四倉庫 旅行)
スリランカに到着
アーカイブ