May 06, 2018

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夏が背を伸ばしてきてる。
街でたくさんJAZZが聞こえてきた日だった。

芝生の美しい池袋の南公園を通りかかると、
BBBBがニューオリンズジャズを演奏し、
人々の間を練り歩いていた。
雲のない青空に、
色とりどりの音符と花が舞いあがってゆくように見えた。

そこから池袋駅に向かう途中、
道の向こう側の楽器店で、
サックス奏者とエレクトーン奏者が演奏していて、
近くの歩道の人々は皆、歩くステップをその音に合わせているようだった。

僕は池袋から地下鉄で銀座へ移動した。
さっき聞いたニューオリンズのせいで、
電車のガタンゴトンが音楽になっていた。
時折り電車が地上に出て窓から陽光が入ると、それはシンコペーションのように感じられた。

銀座に着き、しばらく歩き、
山野楽器の前を通りすぎようとしたら、
古くて美しいジャズの音色に脚をなでられて、僕は立ち止まった。
店頭で『GINZA JAZZ』というCDのキャンペーンが行われていた。
山野楽器のスタッフが選んだジャズ黄金時代の名曲コンピレーションアルバムだった。
しばらく耳を傾け、買うことに決めて、
「あの…」
とスタッフさんに声をかけると、そのスタッフさんは僕に最後まで言葉を言わせず、
「どうぞ」
とCDを掲げた。僕は受け取った。
スタッフの誇らしげな笑顔に音符が舞っていた。
僕はレジに並んだ。
レジのスタッフも、やはり音符の舞う誇らしげな笑顔で、
「ありがとうございます」
と言った。
レジ操作の指先が躍っていた。
自分たちが作ったものを売ることの喜びと音楽の喜びが、
スゥイングしていた。

そんな一日。
僕は買い物をしたことがすごく嬉しくなりました。

僕の買ったCDはこれです。
→ 山野楽器、オリジナルアルバム『GINZA JAZZ』


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diary:N氏の普通日記MIX 

March 25, 2018

(3月3日、神戸公演直前)

池袋芸術劇場は、
僕にとって東京で演劇を始めた最初の場所でした。
ところで、神戸と新神戸オリエンタル劇場も、
僕には特別な場所です。

劇団時代、僕は神戸でよく芝居作りをしました。
神戸大学の演劇研究部の仲間と一緒に
在学中に劇団を立ち上げたので、
いつも大学構内の片隅で稽古していたのです。

六甲台の大きな階段を往復しながら発声練習をしたり、
日曜日には宣伝を兼ねて、
三宮の駅前の広場でストリート練習をしたりしていました。

その頃の僕らにとって新神戸オリエンタル劇場は、
きらびやかなホテルのショッピングモールの中にあって、
東京の有名劇団がやってくる、
そんな憧れの眩しい大きな劇場でした。

旗揚げして4年後に、
とうとうこの劇場で芝居を打つことができました。
ホントにホントに嬉しかったです。
『白血球ライダーDX』というタイトルの、
すごく反省の多い芝居なのですけれど。
公演に備え、たくさんの準備をし、頑張りました。

大劇場で公演を打つ初めての経験でした。
いつもの小劇場より圧倒的に大きな空間での芝居に備え、
劇団員は1年間体操インストラクターについて
体術を磨きました。
マイクを使わず生声で上演する主義だったので、
とことん声も磨きました。

それでも、大劇場の空間はでかかったです。
ああ、いつもの2倍努力しても、
空間がデカければ芝居は70%くらいに目減りするんだな、
と知りました。
でも観客は空間が大きくなれば芝居も大きくなるんだと期待して劇場に来る。
だから僕らは8倍努力しないといけないんだな、
と気づきました。それでやっと2倍くらいになるかもしれない。
心を引き締め努力の量をさらに増やし、
僕たちはそれから何度も
この劇場で芝居を上演させていただきました。

新神戸オリエンタル劇場の支配人だったYさんは、
最初僕らのことをいぶかしんでいたけれど、
芝居を持っていくたびに見てくれて、
僕らのことをすごく応援してくれました。

オリエンタル劇場で初めて大きな劇場に辿り着いてから、
さらに6年劇団は頑張り、
そして解散しました。
それから僕はやがて1人になり、名古屋へゆき、東京にも来て、
ぽつりぽつりと一生懸命芝居をやりました。

やがて2012年、
最初の舞台『弱虫ペダル』を作ることができました。
とても手ごたえがあり、
もし続編が作れたら幸せだなと思いました。
その日は1年後にやってきました。
『眠れる直線鬼』。
しかし痛恨なことに、切望したこの続編の演出を
僕はスケジュールが合わずに引き受けられなかったのです。
それでも機会は続き、
インターハイ篇の製作が決まりました。

こんどこそ僕は続編の演出をやることができます。
劇場は池袋サンシャイン劇場です。
稽古をしながら僕は、
新神戸オリエンタル劇場で初めて芝居をやった日々のことを思い出していました。

あの頃生声にこだわっていたな、とか。
大劇場のふかふかの固定椅子の客席に演出卓を置き、
「うわー客席すげー」って思ったな、とか。
今僕は役者がマイクをつける芝居を作っていて、
少しだけど小道具だって使う。衣装も着替える。
あの頃の僕と今の僕は違う男かな、とか。

応援してくれて、僕らに中華料理をご馳走してくれた支配人のYさん、今どうしてるかな。
ある日稽古場でそこまで考えた時、
忘れていたある事を思い出したのです。
僕らが解散する直前に
Yさんは新神戸オリエンタル劇場から移動になり、
そして今では東京の劇場の支配人になっていると聞いたことを。

記憶をたぐりました。
これから僕が
インターハイ篇を持ってゆく池袋サンシャイン劇場こそが、
そのYさんがいる劇場なんじゃなかったっけ?
調べてみると、確かにYさんが支配人であることがわかりました。

2014年の夏、劇場仕込みの日、サンシャイン劇場で、
Yさんが笑顔で僕を待っていました。
長身でハンサムで、英国紳士のようないでたちのYさんです。
握手をし、
「Yさん、また会えましたね、会いたかったです」
と言いました。

実はYさんはその直後にサンシャイン劇場の支配人を
またも退職することが決まっていたのです。
僕は、最後に間に合ったのだ、と思いました。
インターハイ篇〜The First Result〜。
最高の芝居をYさんの劇場でやることができました。

あれから、また少し時間が経ちました。
僕は、新インターハイ篇〜ザ・キングダム〜を持って、
新神戸オリエンタル劇場に戻ってきました。
Yさんはいませんけれど、
Yさんの声が聞えるようです。
あの頃きらびやかだったショッピングモールは今閑散として、
好きだったカフェも書店も閉店していますけれど、
楽屋口の通路はあの時のままの道順です。

あの頃、あんなに巨大に見えた客席を、
少しこじんまりと感じています。
僕は、何かをどこかに置き忘れているのかな、と、
客席の真ん中で自問してみました。
僕は、置き忘れていない、と思いました。
僕の右腕に炎が燃えているようです。
僕の足が大地を割る気がします。

初日を前に、長々と思い出話をツイートしました。
自分のために書いておこうと思いました。

nishidashatner at 10:14コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
(2月27日、劇場入りの翌日)

劇場仕込みの一日でした。
スタッフ各セクションが、こだわり抜いて頑張っています。
僕もいろいろ作業をしました。
今夜もまだ作業続行中。明日のためにいろいろやります。

1991年か92年に、僕は初めて東京で作品を上演しました。
短いコントです。
池袋の東京芸術劇場で開催されたアートパフォーマンスイベントに、
コントを出品したのです。

上演が終わった夕方、劇場前の公演で大きな虹を見ました。

お金がなくて、
上演の前の日に劇団員の車2台で大阪からやってきていました。
メンバーの半数は、劇場の近くで車の中で皆で寝て、
車に入れない半数は、公園の石の地面で眠りました。
実は僕も、公園で寝ました。
そういうことがとても楽しかったのです。
夢ばかり語って過ごしていました。
今もそれは変らないですけれども。
あの日の空の虹は、それまでの人生で見た一番大きな虹です。

それから、僕にとって池袋は特別な街になりました。
「いつかここで芝居をやろう」
と自分に向かって夢をつぶやき、
その夢は98年にかないました。
その公演は劇団員が何人かいなくなって初めての公演で、
辛いこともありましたけれど、
オリジナル音楽も作り、とても頑張りました。
大ホールで、生声で、
運命を切り開く「ナイフ」という男の芝居をやりました。

劇団を解散したあと、
僕は1人で芝居を作ることが多くなりました。

ずい分長くそんな日々を過ごし、
2010年にまた池袋で芝居をやれる機会をいただきました。
『ソラオの世界』
という芝居です。

『ソラオの世界』はもともと、2008年に
大阪の劇場で企画されていた芝居でした。
大掛かりなプロジェクションマッピングや
多彩なジャンルのパフォーマーが集まって
にぎやかな芝居をやるという企画です。
そのために依頼されて書いた脚本でした。
ですが、そのように企画された最初の『ソラオの世界』は、
制作上のトラブルで、
上演中止になってしまっていたのです。

実は僕はずっと、
「この脚本は、自分の好きにさせてもらえるなら、
 映像も大道具も使わずに俳優だけで上演したい」
と言っていたのですが、
当時のプロデューサーは誰も、
それができると信じてくれなかったのです。
ところが、
上演中止になったために、予想外の流れになりました。
プロデューサーが、
「中止になったために、予算がない。
 ところでシャトナー、
 お前、何もなくてもこれを上演できると言ってたな?
 あれは本当なのか」
と僕に言いました。
僕は本当ですと答え、そして、
僕の好きな「なにもない」スタイルでの上演が
改めて実現したのです。

『ソラオの世界』はまず2009年に
萬劇場という小劇場で上演されました。
プロデューサーはこの上演を見て、
「なるほど、お前が天才だってことは分かった。
 来年もこれを上演しよう。劇場を探すから待ってな」
と言いました。
そして2010年に、東京劇術劇場小ホールで
『ソラオの世界』を上演する日が来たのです。

僕は「池袋に戻ってくることができた」と思いました。
とても嬉しかったです。

毎日自転車で、
劇場の周りをぐるぐる走ったりしました。
僕はその頃、名古屋に自宅がありましたが、
池袋に仕事のための部屋を借りていたのです。

秋葉原での仕事が多かったので、
芝居のない日はたいてい池袋と秋葉原を
自転車で往復していました。
そんな中での『ソラオの世界』の上演でした。

『ソラオの世界』の楽日の頃、
ある舞台制作会社の者だと名乗るプロデューサーが
やってきました。

芸術劇場のロビーで、その人は僕に、
「ソラオの世界、最高に面白かったです。
 ところで、漫画原作の舞台化に興味はありますか?」
と言いました。その人は続けました。
「少年チャンピオンの漫画なんですけれど」
僕は「毎週読んでいますよ」と答えました。
「では、『弱虫ペダル』も?」
「ええ、第一話から読んでますよ。最高ですよね」
「あの作品を舞台にできると思いますか?」
プロデューサーは、僕にそう訊いたのです。

僕は、目の前で、火花が弾けたような気がしました。
僕は毎日池袋から秋葉原に自転車で通いながら、
小野田坂道に勇気づけられて暮らす漫画読みでした。
そして、『破壊ランナー』を始め長年、
役者だけでレースを表現してきた演出家でもありました。
気づくと
「僕にしか、出来ないと思います」
と答えていました。
能力ではなく、運命だと思ったのです。
それが2010年でした。

2年後の2012年に、
舞台『弱虫ペダル』の最初の上演が実現しました。
『ソラオの世界』でソラオを演じてくれた大山真志くんが
キャストとして参加してくれていました。
ハンドルひとつでキャストが走る写真が
ネットで笑われたりもしましたが、
僕は最高の芝居を作ることができたと思いました。
最高でした。

今、2018年になりました。
舞台『弱虫ペダル』を持って、
僕は今日また、東京芸術劇場に戻ってくることができました。
本当に本当に嬉しいのです。
夜でも僕には虹が見えます。

嬉しいんです、と一言書きたかっただけなのです。
でも、ずいぶん長い昔話をしてしまいましたね。
さて今夜も作業をします。
明日も明後日も、キャスト・スタッフ皆で準備を続け、
最高の弱虫ペダルをお目にかけます。
是非楽しみにしててください。

ところで、
僕はウルトラマンの中では
『ウルトラマンガイア』が一番好きなんですが、
ガイアの最終回のラストシーンで主人公・我夢が
空を見上げる場所は、東京芸術劇場の前ですよね。
素晴らしいラストシーンです。

nishidashatner at 10:01コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇〜ザ・キングダム〜、
脚本を書き、稽古をして、公演をおこなう日々が終わりました。
芝居作りをしている間、印象的だったことをいくつか日記に書いておきたいと思います。
すでにTwitterに書いたことをまとめただけですが。


(2月、稽古終盤)

名古屋に住んでいた頃。
友人のアメリカ人ミュージシャンが、
乱暴な運転をするタクシーの窓に、
「ヘイ! ドライバー!」
と詰め寄ったことがありました。
あっ殴りかかる…と僕は思ったのですが、彼が続けた言葉は、
「…リラックス!」
でした。

今回の稽古の終盤、深夜まで及んだ打ち合わせの帰り。
タクシーの中で、
僕はその友人のことを思い出していました。
乱暴な別のタクシーが道をふさいだりしたので、
つい思い出したのです。
こういう時彼は怒らず「ヘイ、ドライバー! …リラックス!」
と言ったなあ、と。

稽古も連日長時間になり、帰宅しても膨大な作業があり、
それに加えて早朝打ち合わせ、さらに深夜の打ち合わせ。
追いつめられ、稽古場で声を荒げてしまって、
僕は凹んでいたのです。そんなある日のタクシーの中でした。

そのタクシーの車内には、
料金や広告動画が表示されるモニターがありました。
ほんの少し不思議なことが起きました。
僕が「ヘイ! ドライバー!」という友人の声を思い出して10秒後くらいに、モニターの中、何かのイベントの宣伝で、
「Relax」という大きな文字が現れたのです。

僕は疲れすぎていて、
「ああ、Relaxか…そんな綴りだっけ」
と思っただけで、その小さな偶然に気づかなかったのです。
帰宅して1時間ほど眠り、また作業をしてから稽古場に向かい、
途中喫茶店でコーヒーを飲んでいる時、やっと
「あっ、昨夜のタクシーの中で小さな偶然があったな」
と気づきました。

小さな偶然だけど、ちょっと嬉しいな…と漠然と思いました。
その時店内では、聞き覚えのある古い曲が流れていました。
「そうだ、小さな偶然に気づいた記念に、
 この曲のタイトルを覚えておこう」
と思い、スマートフォンの曲名検索アプリを起動しました。

曲名が表示されました。
その曲は、
フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの『Relax』
でした。
その瞬間頭がクリアになりました。
疲れすぎていて聴き取れていなかった歌詞が
急に聴き取れました。
「Relax ! don't do it !」
というサビが繰り返されていました。

偶然ではなく、メッセージなのだと思いました。
リラックスしろと言われたのだと思いました。
僕はリラックスして稽古場にゆきました。
ずっと悩んでいた配曲、悩んでいた演出に答えがでました。
稽古場での最後の日だったかもしれません。

そんなことが、この芝居を作っていた中で、ありました。
今も、僕のiTunesから、
あの時その場で買った『Relax』が流れています。

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January 21, 2018

今日、僕の仲間、保村大和の現状について、公式な発表がありました。
https://ameblo.jp/blues-company/
8月に彼は倒れたのです。もうすぐ半年になります。

ここに至るまでいくつかのことを、
僕も友人のひとりとして手伝わせていただきました。
今後も大和復帰のために、できることを手伝ってゆきたいと思っております。
大和は必ず復帰すると信じています。
その日まで僕も健康を大切にし、
友人や家族や仕事仲間や作品や観客やこの世界を大切にし、
皆を楽しませ、僕自身も日々を楽しみ、
過ごして参ります。
彼とまた物語を駆ける日のために、腕を磨いてゆきます。
頑張れ大和。と言う僕の言葉に力が宿るよう、
一生懸命、毎日、まずは僕が頑張って参ります。
僕は大和の友人のひとりにすぎず、
何かを彼に代わって言う立場ではないのですが、
保村大和を知る皆さん。僕も一生懸命やっていきますので、
是非、大和への応援、よろしくお願いいたします。

大和の復帰を願う我々が、
それぞれ自分の日々を一生懸命楽しく生きること、
それが良いことをたくさん起こしてゆくのだと、
そのように僕は思っております。

nishidashatner at 23:28コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
diary:N氏の普通日記MIX 

November 02, 2017

写真 2017-10-24 1 28 15


もう1か月以上前になるけれど、
舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇〜ヒートアップ〜、
東京で初日を開け、大阪で終演しました。
稽古を始めたころは、まだ街にも夏が少し残っていて、
心細そうに蝉が鳴く日もあったと思います。
東京で劇場入りする頃、僕はジャケットを着はじめていて、
大阪公演の頃にはコートを着ていました。
舞台の上はずっと夏でした。

役者たちの楽屋からも、
スタッフの楽屋からも、陽光のような光がさしていたのを覚えています。

インターハイの1日目の物語、
役者たちは存分に走り、毎日体力を使い果たす、
そんな芝居でしたけれども。
楽屋は、汗と笑顔にあふれていました。
物語の中ではヒールである京都伏見のメンバーも、
皆と一緒に楽しそうに笑っていました。

公演の半ばごろ、
原作者の渡辺航先生から、直筆イラスト入りのサコッシュを頂きました。
嬉しいです。

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芝居が終わって1か月、
僕はひたすら折り紙を折っていました。
折り紙について実現したい仕事があり、
それについてもう20年も取り組んでいます。

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このところ、「年月」について、よく思いをめぐらします。
僕が生まれたのは1965年で、
それは1945年からわずか20年後のことです。
僕が生まれるたった20年前まで、日本は戦争をしていたのでした。
今から23年くらい前に阪神淡路大震災が起きているので、
つまり今からあの震災くらいの距離間で、
僕の生まれた年の大人たちは「戦争」を感じていたのですね。
昔ではないのですね。
今の続きなのですね。

僕が子供の頃、大抵の大人が
「人間は戦争をする生き物だ」「戦争がなくなることはない」
と、恐ろしいことを言っていましたが、
無理からぬことだったのかもしれません。
あの頃、「人間には戦争のない未来がある」と言っていたのは、
音楽家や小説家や画家や…アーティストたちばかりでした。
アーティストは現実と無関係な夢想家なのか?
それとも素晴らしい未来を作る現実の人々なのか?
答えのわからぬまま僕は成長し、
いつしか自分も芝居を作る人になりました。

そういえば、惑星ピスタチオの解散からも、
後2年で20年の距離まで届きます。

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今、来年やる芝居の脚本を書いています。
友人たちと、新しい計画をひとつ、立てはじめるかもしれません。

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nishidashatner at 16:11コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
diary:N氏の普通日記MIX 

September 27, 2017

先日、愛知県長久手に行き、
日本劇作家協会東海支部主催のイベント『劇王』の
ゲスト審査員として参加させていただきました。
僕は劇作家協会に所属していないのですけれど、
とても光栄なことです。
審査員としてご一緒させていただいた坂手洋二さんが、
たくさん僕と話をしてくださいました。
楽しかったです。

芝居仲間のことで、心配事などもありました。

参加した3日間を、
日記にまとめようとも思ったのですが、
上手く書けそうもなかったので、
その間にツイートしたことを並べました。
(僕のツイッターアカウントは、@Nshatner です)
ツイートまとめると凄い文章量になりますね。

<9月15日>

●明日から僕が参加する『劇王XI アジア大会』。
 16日には、僕と天野天街さんと坂手洋二さんの
 「三賢者に訊け!」っていうイベントもあるそうです。
 頑張ります。
●名古屋には、12年住んだ。ロマンティックな街だ。
 故郷のように感じる。
●叫んで走ってるように見えるかもしれないけれど、
 僕は呟くように芝居を作る。
 呟くということは、
 自分の胸の近くで世界を想うということです。
 すべての観客ひとりひとりに、それぞれの胸があり、
 それぞれの至近距離の世界があり、
 その胸々と響きあうために、
 僕は自分の胸の近くで呟くことが必要です。
●名古屋まで来た。穏やかな街だ。
 穏やかさは人間の良い面のひとつだ。
●1年半ぶりくらいに「紙の温度」に立ち寄った。
 ビオトープやコルキーやカラペラピスがあって、
 「折り紙愛好家たちのために入荷しました」
 という旨の張り紙もあった。
 愛知の折り紙者たちが店と会話したのかなー嬉しいなー。
 ウルシックペーパーも、ヨーロッパ産のホイル紙もある。
●とても久しぶりに長久手に来た。やはり遠いね!
 遠いところに芝居をしに行ったり、
 芝居を見に行ったりすことは、
 とても面白いことです。
 楽屋に、久しぶりの顔がちらほらあって、
 僕のことを覚えてくれてて嬉しいです。
 静謐な土地。静かにわくわくしています。
●長久手文化の家のロビーで、仕事しながら、
 劇王が始まるのを待っている。
 明日は近くを散歩してみよう。
 ここで
 『サムライヘルメッツ』や
 『例えばなし砦』を
 やったりしました。
 また自分の芝居を上演できる日がくるように頑張ります。
 今日は見る側です。
●『サムライヘルメッツ』は、
 銀河系演劇フェスティバルに参加するため、
 必死で土星まで旅をする劇団の物語である。
 宇宙中から、
 ものすごい超能力や科学力を持った劇団が集まる中、
 なんの能力もない科学の遅れた星の劇団が優勝するのだ。
●また、東京でも上演できる日がきたらいい。
●祈っている夜です。
●今日僕は、僕の時間を過ごしていました。
 愛知長久手で、一生懸命、4つの芝居を見ておりました。
 得点を投じる役割なのです。
 大きな喪失と格闘し、
 それにケリをつけようとしている芝居に、
 たくさんの点を入れました。
 それを格闘ショーの形で描く
 もがきと優しさと悲しさに心が揺れました。

<9月16日>

●刈馬カオスさんと久しぶりに話せた。
 昨夜見た芝居について、とても面白い意見を持っていた。
●今日も芝居を見ます。
 一生懸命見るというのは、おかしいのかもしれないですが、
 しかし一生懸命見ようと思っています。
●時間を間違えて、2時間早く会場に来てしまい、
 窓から雨を見ています。
 良いことが起こって欲しい。
●世界が僕なしでも存在するのか、
 僕の認識を材料として存在するのかは、
 ホントのところわからないのだけれど、
 良いことが少しでも起きるように、
 良い方向に出来事が起きるように、
 今日を生きたいと思っております。
●劇王2日目でした。一生懸命みて、一生懸命喋りました。
 観客たちの票が審査員票を吹き飛ばす、
 ドキドキできる日だったと思います。
●抑えた静かな演技なのに、
 遠くまで胸の中の揺らぎがビリビリ届く力強い芝居と、
 体や熱で表現しようのないはずの内面の格闘を、
 見事体と熱に変換して演じ切った芝居、
 ふたつの芝居が今日は決勝へとすすみました。
 とても気持ちのいい結果だったと思います。
●僕がたくさん点を入れたのは、
 もがいてもがいても望みかなわぬ現実に、
 それでもとことん立ち上がる芝居と、
 こんなに本気で演じても演技とは嘘なのかそれとも真実なのか、
 それを磨き抜かれた体で問う芝居でした。
 どちらも決勝に進まなかったけど、
 美しく悲しく可笑しい、素晴らしい芝居でした。
●僕の好きだった芝居を、
 「何かを冒涜しているのはわかった。
 でも何を冒涜しているのかが分からない。そこが良かった」
 と天野天街さんが評していて、
 なんという痺れる言葉を言うのかと思いました。
 天野さんは凄いね。
●もうこんな時間ですが、もう少し僕は仕事をしてから眠ります。
 良いことが起きますように。良いことが起きますように。

<9月17日>

●審査員のような立場で演劇祭に出ると、自分の投じる票が、
 誰とも一致しないことはよくあります。
 あるいは作る側で出場しても、
 誰からも評価されないことはよくあります。
 そんな時に思うのは、
 作る人になって良かったな、
 ということです。
 自分が作らねば、欲しい物語が出現しないのです。
●昨日、一昨日と、
 僕は、僕が作りたいと願っても届かぬような、
 僕もあんな風でありたいと夢みるような、
 そんな眩しい作品に出会い、
 票を投じました。今日も一生懸命見ます。
●劇王XI、決勝戦が終わりました。
 決勝ならではの見応えがあったと思います。
 僕は駆け引きをすることなく、心の底から芝居を見て、
 一生懸命拍手をしました。
 私の拍手もまた演者に届いたはず。悔いはありません。
 平塚さん、おめでとうございます。
●講評での私は、奇妙な男だったかもしれませんが、
 それでも私の思うロマンを言葉に託し、
 背中まで覚悟を固めて喋りました。
 出演者の皆さん、観客の皆さん、
 聴いてくださいましてありがとうございます。
●楽屋裏で、ゲスト審査員の皆さんと、思う存分喋りました。
 楽しかった。ゲスト審査員5人にも、
 審査員楽屋での青春がありました。
 この場所に僕を加えていただいたこと、
 心から感謝しております。
 安住さんがいつも優しく作家陣を見守ってくださいました。
●東京への帰り、僕は坂手さんと一緒に新幹線に乗りました。
 2人で乾杯をし、つまみをつまみながら帰りました。
 楽しかったです。とてもとても楽しかったです。
 2人で、楽しい3日間だった、と言い合いました。
●劇王の3日間で僕が見た、一番美しいものをいくつか言います。
 見た人、作った人にしかわからないツイートになります。
 すみません。
●『まみれまみれ』/荒木宏志(劇団ヒロシ軍)より、
 主人公が最後に振り上げる拳。
 →リアルな肉体の苦痛、物語の上の希望をも打ち砕く失恋、
  想像の鶏肉を生み出す汗、
  それらをもってしても救えない自分や愛する人、
  それでも振り上げる拳が、皆からの拍手を握りこむ!
  僕の胸は震えました。
●『アツモリ』/遠藤雄史(トラブルカフェシアター)より、
 レフェリーの振り上げた腕。
 →この腕が止まっている中、時間も止まり、
  ハンコに全てが集まってゆきます。
  振り下ろされながら押されるハンコ、
  去ってゆく妻の勇敢な背中、
  夫がマイクで「ありがとう」と叫ぶ姿、
  すべてが美しかったです。
●『言いにくいコトは、、』/上田龍成(星くずロンリネス)より、
 「彼」の早口言葉。
 →僕はかつてこれほど早口言葉を言う若者の姿に
  胸が震えたことはありません。
  美しい戦いでした。
  それに対するお父さんの「それ以上言わんでいい!」
  も素晴らしかった。あのシーンを何度でも見たいです。
●他にも美しいと思う瞬間はたくさんありました。
 舞台裏で働く東海の劇作家たちの汗もまた美しかったです。
●今夜からまたペダルの僕である。

<9月18日>

●劇王決勝で、優勝作品について僕は
 ネガティブなことしか講評では言えませんでしたが、
 「時間が少なくて考えられたのはここまでです、
  もう少し考えたら考えが変わるかもしれない」
 と言いました。
 それで、実際昨夜も考え続けたのです。
 考えが進んだ部分、変った部分はあります。
 近くツイートします。
●もっとネガティブな方向に考えが進んだり変わったわけでは
 ないですから、安心してください。
 現場にいた人皆にツイートを読んでもらえるわけでは
 ないでしょうから、
 ささやかなことにしかなりませんが。
 今日はこれから稽古なので、また夜か明日にでも。
 それと、ほかにも美しい場面について呟くかもです。
●一生懸命、客席に、どこかにきっといる小野田たちに、
 そして仲間に届く芝居をつくりたい。
 力になる芝居を作りたい。
 そのように思っています。

<夜>

●僕は昨日、優勝作について、
「私は不幸を描きたくないと考えている作家であり」
「不幸になってゆく人を笑う芝居は、自分は認められない」
 と言いましたが、
 笑ったのは観客であって、
 作者平塚さんが、笑わせる意図で書いたかどうか
 についてはわかっていないのです。
●見た人(僕以外)の反応は別として、
 僕と作品の1対1の純粋な関係で言えば、
 この芝居には文学的な美しさもありました。
 良い芝居だったと思います。
 周囲の反応に惑わされたのは、僕の至らぬところでした。
●平塚さんが、笑わせる意図で書いたのでなければ、
 以上のような感想になります。
 笑わせる意図で書いた、ということであれば、
 昨日の私の感想は、あまり変更の必要はありません。
●不幸を笑う人々に満ちた観客席で、
 その光景が恐ろしくて悲しくてたまらなかった、
 というようなことを私は言いました。
 これについては、今も同じ気持ちです。
 観客に文句を言うとはけしからん、
 とお考えの人もいるかもしれませんね。
●私は、観客たちが不幸な人を笑うなら、
 それを「良し」とは思えませんし、
 そんな世界を変えたいと願って芝居を作っています。
 その自分を捨てて劇場に来ることはできません。
●最後に小さなことを言います。
 平塚さんは
 「僕は(西田以外の)観客のために芝居を作ってます」
 と叫ばれたようでしたが、
 それについては少し悲しく思っています。
 私は、芝居を見ている間は自分のことを
 観客だと思っていました。
 審査員でもありますが、
 観劇ルールを守り、楽しもうと思い、
 着席しました。
●客席には、いろんな観客がいます。
 学生も、いろんな仕事のプロも、中には作家もいるのです。
 審査員という観客がいる場合もあります。
 招待客がいる場合もあるし、
 家族がいる場合もありますね。
●ネガティブな感想を言ったとたんに観客扱いから外されたのか、
 それとも最初から
 「審査員は観客にあらず」と思われていたのか、
 それはまたお会いして
 話をしてみないとわからないですけれど、
 また次の機会があれば、
 私は観客の一員として扱われたく願っております。
●本日のところはこんなところまでたどり着きました。
 また考えを続けてみて、
 考えが進んだり変わったりしたら
 ツイートすることもあると思います。
●劇王を見て、
 しかも私のツイートを見た人にしか
 関係ないツイートでしたし、
 番号もつけてないので
 どこかに届いたりはしないかもしれませんが。
 自分の今日までの考えをまとめるためにも、
 呟きました。
●点数をつけること、
 創作者たち自らが
 勝者敗者を決めるイベントをやることについて、
 私は考えはまとまっていません。
 そのような評価のありようから離れたくて
 芸術の道へ進んだ自分なので、
 あらためて点数をつけることの意味を知りたくて
 参加した面もあります。
●私自身も、一人芝居イベントに出て、
 他の出場者と得票を競ったことがあります。
 その時は、勝つことを考えないようにし、
 芝居に集中しました。
 点数で評価されることの意味について考えることを
 さぼってしまったのです。
 だからまだ考えが進んでいません。
●ですがよい機会なので、後出しではありますが、
 「芝居に点数をつけること」
 「勝者敗者をきめること」
 の意義について、
 もう少し考えて、近くツイートすると思います。
 肯定的な考えになればいいとは思っています。

<9月22日>

●改めて考えてみたんだけど、
 芝居の順位を競うということの本質について、
 やはり答えは出ていない。
 これまで何年も、何回も考えてみたけれど、
 答えに届かない。
 純粋に芝居を作ることと、社会とうまく付き合うことの対立。
 本質的問題ではなく、
 そのような浅い問題のようにも思い、
 葛藤してしまう。
●僕は、得票数とは別に素晴らしい芝居はもちろんあると思い、
 自分が「負けた」時もあまり気にしないし、
 「勝った」時もさほど自慢にしないが、
 それなら勝ち負けのあるフェスに出るなよとも思うし、
 いやそれでも出る意味はあるとも思うし、
 なかなか思い定まらない。
●世の中には、自分が応募する形ではなく、
 知らぬ間に決定してゆく演劇賞や戯曲賞
 みたいなものもあり、
 そういうものにエントリーされたことは僕はない。
 勝手に賞レースに参加させられ、
 しかも「負け」に分類されているような気もする。
 気にしないようにはするけど。
●僕には、僕の演劇や作品が、
 そういった「賞」の箸にも棒にもかからないからといって、
 価値がないとは思えない。
 自分の人生を賭して、僕の知る限りの宇宙で、
 もっとも価値がある作品のひとつと信じて作ってる。
 僕が時々見に行って、
 骨の底まで揺さぶられた芝居のほとんども、
 大抵「賞」には登らない。
●だからといって、
 賞を得た作品がつまらないとは思わないし、
 価値があるとも思う。
 世の中に「賞」は存在するし、
 それを決める催しに出場する作り手たちはいる。
 僕も出場したり、時には審査する側で参加したりもする。
 まだ、気持ちの定めどころはわかっていないのです。
●今日も稽古をしました。
 「こんなのどうやって演出すればいいのか」、
 悩まない日はありません。
 今日は特に長い時間悩んで、
 稽古場に入る前に10時間、
 演出ノートをスケッチしたのです。
 その甲斐あって、
 難しいシーンを実現することができました。
 今夜は多めに眠りたい。

●●●
以上です。
さて、明日も、
舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇~ヒートアップ~
の稽古、稽古、稽古、稽古、稽古です!

nishidashatner at 01:51コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
diary:N氏の普通日記MIX 

August 12, 2017

お知らせすることがあります。

保村大和 急病にて、
彼と一緒に準備をしていた保村大和ひとり芝居を、
延期することになりました。
まだ彼は病院で眠っており、
皆さんに言葉を伝えることができないのですけれど、
私は明るい気持ちで彼の帰還を待ちます。
是非皆さんも一緒に待っていてください。
公演はどれくらい延期することになるかまだわかりませんが、
必ず彼と一緒にやります。
その日まで、応援のほど、よろしくお願いいたします。

公演の主催であるハルベリープロデュースからの正式な告知は、
こちらです。↓
・ハルベリープロデュース・演劇馬鹿30周年記念公演
 「カルメン」公演延期のお知らせ
 haruberry.com/archives/3284

私や、仲間や、ハルベリーオフィスに届いた保村大和への応援メッセージは、
必ず大和のもとへ届けさせていただきます。

しばらく、新たなお知らせをお待ちください。

nishidashatner at 11:24コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
diary:N氏の普通日記MIX | インフォメーション!

August 01, 2017

半年経った。
夏になっている。
毎日、太陽の熱が我々の地上にはっきりと届く。
太陽が概念上の存在ではないのだと感じさせられる。

この半年の間に、

舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇~スタートライン~。
SHATNER of WONDER『破壊ランナー』。
『ALL OUT !! THE STAGE』。
SHATNER of WONDER『遠い夏のゴッホ』。

4つの芝居を上演した。
合間、パリで行われたJAPAN EXPOにも1日だけ参加し、
舞台『弱虫ペダル』のデモンストレーションステージをやらせていただいた。
これも短い芝居だった。

睡眠時間が少ない日々を送ったけれど、
どの芝居も、渾身の力で、一生懸命、丁寧に作った。
どのカンパニーの役者たちとも、腹の底から芝居をやれたと思う。

『スタートライン』は、ペダル10作目にして新たに旗揚げするような公演だった。
『破壊ランナー』は、25年間のこの作品への僕の気持ちをすべて投入した。
『ALL OUT !!』は、ラグビーを舞台で表現するために自分でも素晴らしいと思える発明をした。
『遠い夏のゴッホ』は、現実の向う側にゆくべく、丁寧に丁寧に進んだ。

僕は気持ちを切り替えるのが上手くないのだ。
だから、大抵、前の芝居を作っていた気持ちを抱いたまま、
次の芝居作りに突入してしまう。
気持ちを切り替えないことが得意なのだ、と考えることもできる。
ともあれ、ずっと加熱に加熱を重ねて、半年を送った。

ひたすら芝居を作っていたので、
自分が成長したような記憶はあまりない。
冬になって落ち着いたら、振り返ってみようと思う。

劇場へ見に来て下さった皆さん、
一緒に芝居を作ってくれた皆さん、
応援してくれた皆さん、
ありがとうございます。

写真 2017-02-06 16 47 38-2

↑舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇〜スタートライン〜 装置模型と実際の装置。

写真 2017-04-20 13 49 00

↑『破壊ランナー』ゲネプロ。

写真 2017-06-09 20 01 35

↑『ALL OUT !! THE STAGE』のメンバー。

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↑『遠い夏のゴッホ』ゲネプロ。

写真 2017-07-09 6 47 25

↑パリ、JAPAN EXPOでの移動中の地下鉄。

nishidashatner at 09:35コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
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March 10, 2017

3月になっている。
暖かい日が時々あるし、雨も柔らかい。

舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇〜スタートライン〜
http://www.marv.jp/special/pedal/
が始まっている。

芝居作りが始まった頃、manzoさんと話した。
いつも芝居を作る時、どんな音楽をつくろうか相談するのだ。
『野獣覚醒』の時は、挫折と苦悩の中を進む男のために、ブルースを。
『イレギュラー』の時は、頂上の向うの空につながる穏やかで幸福な音楽を。
『総北新世代、始動』の時は、毎日努力してすこしずつ上昇してゆく、スパイラルのような音楽を。
そういう風に、これまでmanzoさんは作ってくれてきたのだった。
今回はどうしよう?
僕はとうとう、どうすればいいのかわからなくなっていた。
「なぜか、どんな音楽を作ってもらえばいいのか、わからないのです」
と、僕はmanzoさんに言った。
仕方がないので、稽古場で起きていることを話した。
演劇の舞台を始めて踏む新人たちがいるのです。
しかも、彼らが今回の物語の核心を担っているのです。
彼らは今、不安と未知の中を戦っています。
我々先輩たちも、今、彼らとともに戦っているのです。
戦いが続いていて、迷走する日もあります。
それらを話すうち、僕はふと、
「manzoさん、若者を励ます曲、彼らに勇気を与える曲を1曲、書いてください」
と言った。
それを元にして、他の曲も書いもらうことにした。

我々はそれからも稽古を続けた。
そしてある日、稽古場に、たくさんの音楽が届いた。
どれが「その曲」なのかは、あえてたずねなかった。
それでも、一曲、どうしても特別に心が奮い立つ曲があった。

僕は新人のレースのシーンになると、稽古場でいつもその曲を流した。
先輩が頑張るシーンでも、その曲を流した。
新人のひとりが上手く芝居をできず失意の中にいる時、
今夜は眠る前にこれを聞いておけ、とその曲の音楽ファイルを渡した。
芝居作りはそれからも進み、
結局その曲は新人のシーンでは使わず、
カンパニーの皆が頑張るシーンに配置することになった。

公演が始まり、manzoさんが見に来てくれた。
僕はやっと、manzoさんにきいてみた。
「約束したあの曲は、どの曲なんですか?」
manzoさんは答えを教えてくれた。
僕が繰り返し新人に聞かせた曲だった。
その曲は今、インターハイで皆がレースを始める時、
戦い開始のフラッグが振られるシーンで鳴っている。

今日も、公演がある。
その曲を聴きに、
その曲で走る皆を見に、
manzoさんと共に僕も走りに、
劇場へ向かう。

皆で走る芝居である。


nishidashatner at 14:01コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote
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