2011年05月27日 13:27
「じ、ぢ」、「ず、づ」の問題
新橋の語学学校で教務主任をしていた筆者だが、学校のオーナーの余りにも専横な、悪辣な所業に堪えかねて衝突し、円満退社の正反対の形で退職、職安の紹介で、都内の某軽印刷会社に、一時、英文タイピスト兼校正係の身分で入社した。給与はいたって低かったが我慢する他なかった。処で此の会社は運営は良心的で印刷納期厳守を最高目標に掲げていたが、其の打ち方たるや邦文、英文ともに滅茶苦茶だった。顧客から届く原稿もかなり不備なものが多く、完全原稿と呼び得るものはなかった。和文処理の場合、筆者にとって極めて遺憾に思えたのは漢字ではなくて仮名遣いであった。また和文タイピストたちは同原稿に「エンジン」と「エンヂン」とが混ざって書いてあって、一体どっちに統一すればよいのかと困惑していた。其処でタイピストたちと主任校正係に対して次の要領で仮名遣い、殊に「ジ、ヂ」、「ズ、ヅ」の使い分けを重点に説明した。其の大要が以下に示すものである。説明の都合上、実例表示には片仮名を用いたが、平仮名でも同じである。
１．連濁の「ヂ」、「ヅ」
「手綱」に仮名を振るとしたら、どうしたらよいか。「綱（つな）」の前に手が来たために「つ」が濁って「づ」になるのであり、「たづな」と書く。此のようなものを連濁という。「絆」はもとから（きずな）であって「き」が前に来たから其の後が濁ったというのではない。本来的に（きずな）というのである。例を追加すると「松葉杖」は松葉（まつば）の後に「杖（つえ）」が来たため其れに煽られて濁ったのだから連濁であって「まつばづえ」と書くことになる。「梢」即ち（こずえ）は前の要素に煽られて濁ったというのではなく本来語として（こずえ）なのである。また、固有名詞であるが、「木更津」は「木更」の後に「津（つ）」が来たために濁ったのであるから連濁則に従って「きさらづ」である。連濁の規則は新制中学で教えてきている。
２．連呼の「ヂ」、「ヅ」
同音が連なって二番目の音が濁るのを連呼と称するが、此の連呼は誰もが従来正しく使ってきており数も少ないから容易に習得できる。「縮む（ちぢむ）」と「続く（つづく）」が連呼の代表選手であり、「心が千々（ちぢに）乱れる」、「続く（つづく）」、「綴る（つづる）」、「鼓（つづみ）」、「葛篭折れ（つづらおれ）の坂道」、「名声が全国通津浦々（つづうらうら）に響き渡る」と、此れで全部であろう。もともと多寡が仮名なのであるから分析してみれば頗るやさしい。連呼の規則も新制中学で教えてきている。共に義務教育程度のものなのである。
３．誤れる類推
一頃、NHKあたりのテレビ字幕にしばしば「一人づつ」のように出ていたが現代字遣いの見地からは誤りである。「づ」の後に「つ」が来たため此れに釣りこまれて「づ」と濁らせてしまったのであろうがまちがいである。既述の連濁は前に来た要素に煽られ、影響されて後のものが濁るのであり、「づ」が来たために其の影響で後のものが「つ」に変化するということは有り得ない。此れと同じく誤れる類推から「頭痛」はしばしば（づつう）と書かれてしまうが避くべきでり、（ずつう）が正しい。「頭骸骨（ずがいこつ）」、「頭脳（ずのう）」のような語における「頭」は（ず）と書かれる。「一人づつ」、「づつう」は実によく見かける誤りであり、絶対避くべきである。。
４．「地下鉄、地下足袋」、「新妻、稲妻」
「地下足袋」は地下鉄（ちかてつ）の類推から（ぢかたび）と書きたくなるが、現行記法では（じかたび）が正しい。「地蔵」、「地頭」、「地震」、「地面」等の「地」はすべて（じ）と書かれる。「新妻」は連濁規則のとおりで（にいづま）であるが「稲妻」は、本来語であるという考えからであろう、（いなずま）である。「常磐津」は、古くからある詞だからであろう、連濁則に従わず（ときわず）と書かれる。こうした例外は僅かであるから、此れは例外らしいぞと勘を働かせて国語辞典で確かめるという姿勢が望まれる。
５．古い文書・文献は考慮外、現代実用文に限る
日本では枕草子や竹取物語の昔から「ジ、ヂ」、「ズ、ヅ」の使い分けは曖昧だったようである。竹取の翁は竹を取ってきて「よろづのことに使いけり」、とされている。明治時代の女流作家樋口一葉の肉筆原稿の一部がテレビに映ったことがあったが、「鼠」を平仮名で（ねづみ）と書いていた。太平洋戦争の頃の軍閥首相東条英機は戦陣訓に「生きて虜囚のはづかしめを受くるなかれ」と書いた。現代実務文においては此のような記法は避けて、連濁、連呼の場合にのみ「ヂ」、「ヅ」を使うと心得るべきである。
６．連濁、連呼の法則でも分らない
言語は本質的に複雑であるから法則で判断できない場合も生じてしまう。仮名遣いに注意してきている筆者であるが若い頃、「就中」を（なかんづく）と書いてしまったことがなかったわけではない。「うなずく」、「つまずく」、「ひざまずく」「黒ずくめの服装」における（ず）がもしかしたら（づ）ではなかろうかと考えたこともあった。どちらだかよくは分らないというときは、数は少ないのだから、いちいち国語辞典で確かめるべきであるが、此のような場合「ジ」、「ズ」と書いておけばたいてい当たる。
７．仮名書き外来語における扱い
多年に及ぶ根強い習慣から必ずといっていいほど外来語は片仮名でかかれる。片仮名書き外来語は総て本来語であると想像される。斯うした次第により５．の末尾に述べた理由に準じて仮名書き外来語には「ヂ」、「ヅ」はいっさい使わない。国語審議会の答申でもそうなっている。序でながら固有名詞になっているヂリストンのようなものは、この様に登記してしまっている以上、改変不能なはずであり例外扱いであって、ブリジストンと書き替えることは許されないであろう。
８．注目浴びる日本語
日本の国際的地位が高まってくるにつれて日本語への関心が増大し、欧米人で日本語を学ぶ人も増えてきている。処で筆者が新橋の学校で教えていたころ後から着任した英国人教師Roger Oxenburyからも指摘されのだが、欧米人は日本人が、従来、「ジ、ヂ」、「ズ、ヅ」をいい加減に使うのをもの凄く奇異に感じている。生理的に不快に思う人もいるらしい。此れは音声学的に根拠のある事柄であるが此のことは此処では詳述しているゆとりは無く、専門書を参照されたい。兎にかく日本語を扱うのは日本人だけではないという時代がとっくに来ているのであるということを万人が肝に銘ずべきである。
まとめ:
普通の文を綴るときも仮名書きするときも連濁・連呼の場合以外は「ヂ」、「ヅ」はいっさい使わない。仮名書き外来語に連濁・連呼は関係ない。
正しい字遣いを体得していればこそ外国語学習も円滑に行われるであろう。
以 上
石神井にて、翻訳家・西川亨
追記 �詼殘�開発事業団のURLはhttp://www.t-tr21.comである。
１．連濁の「ヂ」、「ヅ」
「手綱」に仮名を振るとしたら、どうしたらよいか。「綱（つな）」の前に手が来たために「つ」が濁って「づ」になるのであり、「たづな」と書く。此のようなものを連濁という。「絆」はもとから（きずな）であって「き」が前に来たから其の後が濁ったというのではない。本来的に（きずな）というのである。例を追加すると「松葉杖」は松葉（まつば）の後に「杖（つえ）」が来たため其れに煽られて濁ったのだから連濁であって「まつばづえ」と書くことになる。「梢」即ち（こずえ）は前の要素に煽られて濁ったというのではなく本来語として（こずえ）なのである。また、固有名詞であるが、「木更津」は「木更」の後に「津（つ）」が来たために濁ったのであるから連濁則に従って「きさらづ」である。連濁の規則は新制中学で教えてきている。
２．連呼の「ヂ」、「ヅ」
同音が連なって二番目の音が濁るのを連呼と称するが、此の連呼は誰もが従来正しく使ってきており数も少ないから容易に習得できる。「縮む（ちぢむ）」と「続く（つづく）」が連呼の代表選手であり、「心が千々（ちぢに）乱れる」、「続く（つづく）」、「綴る（つづる）」、「鼓（つづみ）」、「葛篭折れ（つづらおれ）の坂道」、「名声が全国通津浦々（つづうらうら）に響き渡る」と、此れで全部であろう。もともと多寡が仮名なのであるから分析してみれば頗るやさしい。連呼の規則も新制中学で教えてきている。共に義務教育程度のものなのである。
３．誤れる類推
一頃、NHKあたりのテレビ字幕にしばしば「一人づつ」のように出ていたが現代字遣いの見地からは誤りである。「づ」の後に「つ」が来たため此れに釣りこまれて「づ」と濁らせてしまったのであろうがまちがいである。既述の連濁は前に来た要素に煽られ、影響されて後のものが濁るのであり、「づ」が来たために其の影響で後のものが「つ」に変化するということは有り得ない。此れと同じく誤れる類推から「頭痛」はしばしば（づつう）と書かれてしまうが避くべきでり、（ずつう）が正しい。「頭骸骨（ずがいこつ）」、「頭脳（ずのう）」のような語における「頭」は（ず）と書かれる。「一人づつ」、「づつう」は実によく見かける誤りであり、絶対避くべきである。。
４．「地下鉄、地下足袋」、「新妻、稲妻」
「地下足袋」は地下鉄（ちかてつ）の類推から（ぢかたび）と書きたくなるが、現行記法では（じかたび）が正しい。「地蔵」、「地頭」、「地震」、「地面」等の「地」はすべて（じ）と書かれる。「新妻」は連濁規則のとおりで（にいづま）であるが「稲妻」は、本来語であるという考えからであろう、（いなずま）である。「常磐津」は、古くからある詞だからであろう、連濁則に従わず（ときわず）と書かれる。こうした例外は僅かであるから、此れは例外らしいぞと勘を働かせて国語辞典で確かめるという姿勢が望まれる。
５．古い文書・文献は考慮外、現代実用文に限る
日本では枕草子や竹取物語の昔から「ジ、ヂ」、「ズ、ヅ」の使い分けは曖昧だったようである。竹取の翁は竹を取ってきて「よろづのことに使いけり」、とされている。明治時代の女流作家樋口一葉の肉筆原稿の一部がテレビに映ったことがあったが、「鼠」を平仮名で（ねづみ）と書いていた。太平洋戦争の頃の軍閥首相東条英機は戦陣訓に「生きて虜囚のはづかしめを受くるなかれ」と書いた。現代実務文においては此のような記法は避けて、連濁、連呼の場合にのみ「ヂ」、「ヅ」を使うと心得るべきである。
６．連濁、連呼の法則でも分らない
言語は本質的に複雑であるから法則で判断できない場合も生じてしまう。仮名遣いに注意してきている筆者であるが若い頃、「就中」を（なかんづく）と書いてしまったことがなかったわけではない。「うなずく」、「つまずく」、「ひざまずく」「黒ずくめの服装」における（ず）がもしかしたら（づ）ではなかろうかと考えたこともあった。どちらだかよくは分らないというときは、数は少ないのだから、いちいち国語辞典で確かめるべきであるが、此のような場合「ジ」、「ズ」と書いておけばたいてい当たる。
７．仮名書き外来語における扱い
多年に及ぶ根強い習慣から必ずといっていいほど外来語は片仮名でかかれる。片仮名書き外来語は総て本来語であると想像される。斯うした次第により５．の末尾に述べた理由に準じて仮名書き外来語には「ヂ」、「ヅ」はいっさい使わない。国語審議会の答申でもそうなっている。序でながら固有名詞になっているヂリストンのようなものは、この様に登記してしまっている以上、改変不能なはずであり例外扱いであって、ブリジストンと書き替えることは許されないであろう。
８．注目浴びる日本語
日本の国際的地位が高まってくるにつれて日本語への関心が増大し、欧米人で日本語を学ぶ人も増えてきている。処で筆者が新橋の学校で教えていたころ後から着任した英国人教師Roger Oxenburyからも指摘されのだが、欧米人は日本人が、従来、「ジ、ヂ」、「ズ、ヅ」をいい加減に使うのをもの凄く奇異に感じている。生理的に不快に思う人もいるらしい。此れは音声学的に根拠のある事柄であるが此のことは此処では詳述しているゆとりは無く、専門書を参照されたい。兎にかく日本語を扱うのは日本人だけではないという時代がとっくに来ているのであるということを万人が肝に銘ずべきである。
まとめ:
普通の文を綴るときも仮名書きするときも連濁・連呼の場合以外は「ヂ」、「ヅ」はいっさい使わない。仮名書き外来語に連濁・連呼は関係ない。
正しい字遣いを体得していればこそ外国語学習も円滑に行われるであろう。
以 上
石神井にて、翻訳家・西川亨
追記 �詼殘�開発事業団のURLはhttp://www.t-tr21.comである。
