佐賀では毎年恒例のバルーンフェスタの季節になります。
夏の重苦しい暑さがようやく去り、澄んだ秋の空気を感じるようになった今日この頃。
ポツポツとバルーンが晴れ渡った秋の空に浮かび始めるのが楽しみです。
しかも今年はなんと40周年!今年も会場では様々な催しが開催され、大いに賑わうことでしょう。
今年も西村商会はバルーンフェスタを応援いたします。


私が生まれるよりも前から毎年開催されていたという長い歴史に思いを巡らせつつ、
もしも西村商会が無事
40周年を迎える日が来たら、と想像してみましたが、
会社や自分自身がどのような状況になっているのか全く見当もつきませんでした。
もしかすると、世の中のニーズの変化に合わせて業態を変え、
今とは全く別のビジネスに取り組んでいる可能性も十分にあります。


逆に会社設立から今日までを振り返ってみると、
「西村商会の歴史」という一くくりの流れのように見えて、
実は一瞬一瞬の積み重ねだったことに気づきました。


目の前には常に、クリアすべき課題が次から次へと現れました。
その一つ一つに誠実に取り組み続け、ほんの一瞬前まで積み重ねてきたことに対する評価が、
今の西村商会の状況だと思います。さらに今この一瞬の決断が積み重なって、
未来の西村商会につながっていくと考えると、やるべきことは一つです。
これまで通り、当たり前のことを当たり前にやること。


今、私たちの目の前には取引させていただいているお客様がいらっしゃって、
一緒に汗を流してくれる社員がいて、社員の家族がいます。
私のモチベーションは、目の前の皆さんに対する使命感だけかもしれません。
相手が誰であろうと、特に気負うこともなく、手を抜くこともなく、
約束したことを当たり前に守ることを積み重ねていこうと思っています。


「始めることは簡単だが、継続することは難しい」


よく言われる言葉です。
確かに
10年後、20年後まで一つのことに没頭し、モチベーションを保ち続けることは難しいと思います。


ただ、目の前の一人、一つの仕事に対する使命感を持つことと、
それを毎回繰り返すことだと考えれば、これは今までやってきたことです。
今まで通りコツコツと目の前の一瞬一瞬だけに集中していたら、
いつの間にか
40周年の日を迎えていた、ということになるかもしれません。


 バルーンフェスタも40年間、紆余曲折あったことと思います。
運営に携わって来られた皆様からすれば、
1回として楽な大会は無かったことでしょう。
全力で目の前の1回にぶつかることを
40回繰り返してこられた、と言い換えてみると、
そのすごさに素直に感動してしまいます。
西村商会はこれからも、佐賀インターナショナルバルーンフェスタを応援してまいります。

西村浩彰

今年も度重なる豪雨、台風の襲来により、全国各地で多くの被害が起こりました。
被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げますとともに、
1日も早い復興をお祈り申し上げます。

 

 佐賀県でも828日から記録的な量の雨が降り続け、大雨特別警報が発令されました。
特に武雄市、多久市、杵島郡大町町は、全国ニュースでも大々的に報じられた通り、
生活道路が寸断され、病院が浸水して孤立するなど、壊滅的な被害を受けました。

自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられた数日間でした。
つい数日前には、今回の佐賀県の豪雨被害が「激甚災害」に指定され、
これから復興に向かって様々な取り組みがなされることと思います。


 思えば、佐賀県で初めて大雨特別警報が発令されたのは一昨年。
その時のブログでも書きましたが、過去に起こった事故や災害の経験は
かけがえのない教訓です。

実際、一昨年の大雨を経験していたことで、
今回地域の皆さんの避難までの初動は早かったように思います。
起こってしまった災害を復習して次に活かすことで損害を最小に抑え、いち早く復興への一歩を
踏み出すことができたことは、不幸中の幸いと言えるかもしれません。


 そして、こういった災害が起こるたびに感じるのは、地域の枠を超えて、
全国から寄せられる温かいご支援のありがたさです。
何より、過去に別の災害を乗り越えた方々は、ご自身の経験をもとに、
被災地の方が本当に必要としているモノや、情報を提供してくださいます。
こうして共有された経験や知識は、各地で蓄積され、何倍ものスピード感で
災害への備えを構築していく力になります。


 ビジネスの世界でも天災のような避けられないトラブルは起こり、
その都度対応を考えて実行し、乗り越える中で経験が蓄積されます。
しかし、1つの会社、
1人の経営者が蓄積できる経験には限りがあります。
だからこそ、社員や、お客様や、地域との繋がりから得られる情報が
大事になってくると思います。
社員を守り、お客様との信頼関係を築き、地域に貢献する中で、
私たちは何にも変えられない貴重な経験をさせていただいていると感じます。


今回の災害で多くの皆様が被災され、苦しみの中にいらっしゃることとと思います。
復興はまだ道半ばですが、西村商会も地元企業として、お客様に寄り添い、
地域のために汗を流し、ささやかながら復興のお力になることを心に誓っております。



西村浩彰



「臆病者と言われる勇気を持て。
  安全航行こそ、最大の使命であり、責任である。」

松尾 静磨(1903-1972)

 

現在の佐賀県武雄市武雄市若木町に生まれる。九州帝国大学工学部機械工学科を卒業後、東京瓦斯電気工業の航空エンジンの設計担当を経て、逓信省航空局に入省し、役職を歴任した。
第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部の航空禁止令により、国内の航空事業が全面的に停滞する中、松尾は日本航空の設立に尽力。GHQと粘り強い交渉を重ね、1951年に日本航空の設立に成功した。初代の運輸省航空庁長官を退官後、1961年には日本航空二代目社長に就任。ジェット機、さらにはジャンボ機の導入、国内路線・国際路線を開設し、戦後日本航空業界の父」と呼ばれた。


同じ佐賀県出身の大先輩であり、日本航空産業の復興という大事業を成し遂げた、偉大な経営者の言葉です。「安全であること」という航空会社の絶対的な宿命を、信念を持って口にされたのだと思います。

ただし、実際にその状況になったとき、安全を最優先して退く決断をするのは簡単なことではありません。例えば、目的地の天候が悪く、安全に着陸できる保証が無いときに、代わりの空港に着陸する、となったら、乗客の一部からは当然不満が出るでしょう。なぜなら、航空会社は「目的地まで運ぶ」という約束で乗客を乗せており、乗客はその約束を当たり前のことだと信じているからです。その約束を破らなければならない。

松尾氏は、「一度口にした約束を破ってでも、乗客の安全を優先するためであれば潔く退け。それが原因で責められることを恐れない覚悟を持て。」と言っておられるのです。

私も会社の経営を担う立場の人間として、松尾氏の言葉を肝に銘じたいと思います。私も日々、行くべきか、退くべきかという決断を迫られる場面に出合います。いろいろな判断材料がとめどなく浮かんできます。


今は進むべきタイミングだろうか?
でも後回しにしたら手遅れになるのでは?
今の勢いで行けるところまで行くべきだろうか?
それともじっくり腰を据えて考えるべきだろうか?


経営に携わる以上、私の決断は私ひとりのことではなく、お客様、社員、社員の家族の幸せを追求しなければという責任感、使命感を伴います。簡単なことではありません。


大事なことは「危険だと思ったら、他人から何と言われようと、潔く退く」という覚悟。その覚悟さえあれば、もし私の決断を批判してくる人がいたとしても、きちんと自分の言葉で明確に反論することができ、自分の決断を最後まで貫くことができると思うのです。

西村商会の経営者として一番大事な軸、最優先すべきものは、お客様の幸せであり、社員と社員の家族の幸せです。この軸をぶらさない覚悟を持って、日々精進していきたいと思います。


西村 浩彰

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