霧の日は自然と早くに目が覚める。でも寒いのでかけ布団に包まったまま、のろのろと身体を起こした。ほーっと息を吐く。息は部屋の中でも白かった。
 窓際にかけてある制服一式に何となく目をやった。ブレザー、ブラウス、スカート。上にコートを羽織るからあんまり意味はないのだろうけど、昨日の晩、ブラウスにはちゃんとアイロンをかけておいた。基本的には楽しみにしているのだけれど、それでもやっぱり不安もある。窓の外は霧が立ち込めて真っ白だった。
 制服に着替えて居間にいくと、お母さんが眠そうに目を細めながら食パンの袋を開けていたところで、私に気づくと「はよ」と短く言って、そのまま欠伸を漏らした。
「ねえ……、霧の日にそんな早起きするのやめようよ。眠いよ」
 そう言いながら私のほうに食パンの袋を差し出す。
「勝手に目が覚めるんだって。……ていうかそれ、せっかく早起きした娘に言うことなの?」
 私は食パンを受け取って、そのままお母さんの横を通り過ぎ、台所のオーブントースターに二枚セットした。タイマーを回し、じりじりという音を聴く。お母さんもぶちぶち言いながら台所にきて、冷蔵庫から卵を二つ取り出した。


「ポインター持った?」
「うん、持ったよ」
 そう応えながら、私はコートの上から胸のところの石を触った。ポインター。ペンダントにしてある楕円形の石。これがあると霧の中で迷子になっても目印になって見つけてくれるらしい。迷子になったことは一度もないけど。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 外はやっぱり白く染まっていて、十メートルくらい先までしか見えなかった。頬に当たる風がひんやりとして湿っぽかった。いつもは遅刻ぎりぎりに起きるのでダッシュするのだけれど、今日はゆっくりと歩いていく。
 霧の日の登校中は、いつも『ミスト』という映画を思い出す。こんなふうに立ち込めた霧の中から、異世界の生き物が現れて襲ってくる映画。その『ミスト』のシーンを思い出しながら歩いていると、霧の中から突然触手が現れて私の足に! ……という想像をして、私はそれを蹴り払いながら歩いていく。
 そのうちに歩行者信号のぼんやりとした赤い光と、そこで信号待ちをしているセーラー服の後ろ姿を見つけた。ここら辺でセーラー服を制服にしている学校はなかったはずだ。上にコートも何も着ていなくて、見た目寒そうだった。でもそれは、彼女のいる季節が私のいる冬ではなくて、春か秋だということかもしれない。
 クセのない黒髪が背中に流れている。細くて手足が長くて、私とは違う人種のような気がする。こっそり深呼吸して気持ちを落ち着かせてから近寄って、ためらいつつ横に並ぶ。一呼吸置いてから、彼女のほうを向いて軽く顔を上げた。彼女は私よりも頭半分くらい背が高かった。
「おはよ」
「……あ、おはよ」
 そう応えた彼女は、眠そうに目を半分閉じていた。濡れた黒い瞳。とても大きな目だった。顔の真ん中にある、一つだけの大きな目。今回の霧の日に出会ったのは、一つ目の少女だった。
「霧だね」
「……うん、霧」
 彼女はふわあと欠伸をする。その口から鋭そうな犬歯が覗いた。
「えっと、触っていい?」
「えっ、何を?」
「目」
 濡れた黒い瞳。見ているとどきどきする。
「……目を触られても痛くない人種なの?」
「痛いけど」
「じゃあ止めてほしい」
「ああ、うん、そうだね。……じゃあ髪触っていい?」
「何? 触りたがる人種なの?」
 彼女が軽く噴き出しながら聞いた。
「そうかも」
「まあいいけど」
 許可が出たので、私は手を伸ばして、彼女の髪の一房を梳くように引き寄せた。すうっと指が滑っていく。艶やかでしっとりとしたストレートの髪。私の場合はクセ毛なので、伸ばしてもこんなふうにはならない。うらやましい。
「いいなあ」
「そう?」
 小首を傾げた彼女の手が、私のほうに伸びてきて、こめかみの辺りの髪を指に絡めた。くるりとして遊ぶ。くるり。からかうように彼女の口の端が笑みを作る。
「てっ……」
「てっ?」
「照れくさい!」
 あはは、と彼女は犬歯を見せながら明るい笑い声を響かせた。
「それはこっちの台詞」
 信号が青になり、私と彼女は並んで歩き始める。話していくと、私の学校と彼女の学校は同じ場所にあって、でも学校名が一文字だけ違っていることがわかった。私が彼女の学校に入ることはきっとないし、彼女が私の学校に足を踏み入れることもきっとない。けれどもこうやって、通学路を並んで歩くことなら一度くらいはあったりする。
 白い霧の中を彼女と適当に話しながら歩いていく。学校の前まで一緒に。霧の日なのでゆっくりと。