『リストカット』と枠の中に打ち込んで、画像検索する。ゼロコンマ何秒かで、生々しい傷の画像が呼び出される。肌色に赤い線。紫。青。その色のイメージだけで言うと、鮮やかで綺麗な気もする。ある意味予想通りで、ある意味期待外れの画像の群れに気圧されるように、わたしはマウスを操作してウィンドウを閉じた。ずっと下にスクロールしていけばわたしの目的のものはあるのかもしれないけれど、そこまでするだけのこだわりも気力もなかった。
 傷跡が好きだった。さっきまで映っていた生々しい傷跡ではなく、ふさがったあとの、少し盛り上がった皮膚が好きなのだ。そうした傷跡は白く、目を引いて、その周りの皮膚が少しだけ濃い。イメージすると少しばかり鼓動が早まった。
 理由、あるのかな、と考えたりもする。傷が好きな理由。幼いころのトラウマを引きずっているとか。好きだった男の子に大怪我をさせて、ショックで忘れてしまったとか。あるかどうかわからない記憶を掘り起こし、でもそんな重たい過去は影も形もなく、ただ、ずっと子供のころ、幼稚園とか小学校低学年のころ、ころんで膝や脛にすり傷を作っていたのを思い出した。ころんだのに泣きもせず、その傷跡を、特に手当をしているところを、じっと見つめていたらしい。ちょっと怖かったよ、とは母の言葉。
 弟と共同で使っているので、履歴を消してからノートパソコンの電源を落とす。はずみのように欠伸が漏れた。時間を確認するのを忘れたけれど、眠るのにはちょうどいい時間に思えた。
 居間から自分の部屋に戻り、布団を敷いて、長袖のTシャツと短パン姿で寝ころがる。今の季節は日によって暑かったり涼しかったりするから、服や布団の厚さが難しい。喉がどことなくざらついていて、でも風邪を引いたかどうかは微妙なところだった。
 少し重たい掛け布団を二の腕に感じながら、わたしは自分の手の甲を見つめる。夏の部活の名残で浅黒い。そこに白い傷を思い浮かべて、幻の痛みに顔をしかめた。
 白い傷。白と黒。
 友達の日焼けあとにドキッとしたこともある。あれと同じなのかもしれない。そういう、フェティッシュな感じに近いのかもしれない。そう思うと気持ちの重たさが減り、でも少し残念にも感じた。
 ぼんやりと眠たい。眠たいのだけれど、寝入るにはまだ時間がかかりそうだった。布団の中でゆるく体を丸めて、素足の膝を触る。もう小さな子供じゃなくなって、ころばなくなったから、膝に傷跡はない。撫でてみても、遠い昔のすりむいた跡なんてわからなかった。


 公園の灯りに照らされて、手に持ったあんまんがうっすらとオレンジに染まっていた。少しずつ夜が早くなっていく。わたしはベンチに座り、二十メートルほど先にあるコンビニの明かりを、見るともなしに見ながらあんまんを齧っていた。
 ぼんやりとした何もない時間だった。仕事帰りの疲れもある。ぐったりの二歩手前くらい。静かに息を吐きながら肩の力を抜く。目を瞑ると、昔見た傷の画像が瞼の裏に映る。何の脈絡もなく思い出すことがあった。高校のとき、画像検索して眺めた画像の群れが、軽くトラウマになってしまったのかもしれない。
 あんまんを齧りながら空いている左手の指をすり合わせていた。特に意味のない無意識での行動だった。秋の虫の鳴き声が聞こえる。指をすり合わせても虫の音のような音は出ない。視線を滑らせて、自分の手首を見つめた。そこに傷跡はない。青い静脈がうっすらと透けて見えた。夏の名残も何もない、ただの肌色の手首だった。
 つまらないような、別につまらなくてかまわないような気持ちで、はふっと欠伸した。
「肉まん、半分ちょうだい」
 声と同時に腰かけるスカートの音が聞こえた。ちらりと目を向けると、気取った顔をしたタナカがいた。もう少し気配を感じさせてほしいものだと思う。
「あんまんだよ」
「……スズキさん、あんまん好きだね」
 最初に会ったとき、彼女は「じゃあタナカで」という名乗り方をしたので、わたしも適当な名前を名乗っていた。一瞬ビクついてしまったわたしに、タナカは楽しそうな笑顔を見せる。
「そうでもないけどね」
「甘党?」
「別に。どっちも好きだよ」
 甘いのも辛いのも。
 タナカとは初夏のころに知り合った。ちょうどこのくらいの時間に。初夏のこの時間は今よりもずっと明るかった。彼女はわたしが数年前まで通っていた高校の制服を着ていて、ベンチに座って、コンビニで売っている北海道の模様が入ったチーズケーキ風の蒸しパンを食べていた。
「四分の一、ちょうだい」
 いいよ、と言って、わたしはあんまんをメリッと千切って、彼女のほうに差し出した。彼女はというと、口を開けて待っていたので、途中で方向転換して指先のそれを彼女の口の中に押し込んだ。彼女はむぐむぐしながら自前のコンビニ袋からペットボトルのお茶を取り出し、口をつける。口を放すと、ん、と鼻を鳴らして、わたしの膝の上に空いているほうの手を投げ出した。
 細く深く息を吐く。
 わたしは彼女の手に自分の手を添え、そろそろと袖口のほうに指を滑らせる。紺色のブレザーと白いブラウスの袖口が手首を覆っている。初夏のころの彼女は半袖で、大きなリストバンドが手首を覆っていた。やけに目を引いた。
 話しかけたのはわたしのほうからで、自社商品のマーケティングという形だった。それは嘘の理由でもなかったけれど、本当の理由でもなかった。それからこの場所で何度か会って話をした。
 ブラウスの袖口にゆっくりと人差し指と中指を差し入れる。指先が皮膚の盛り上がった感触を伝えた。ほんの微かな感触なのだけれど、わたしの鼓動を早くした。お茶を飲む彼女の、喉を鳴らす音が聞こえた。前に見せてもらった傷跡が思い浮かぶ。二本の線は色鮮やかでも生々しくもなく、むしろ目に優しい気がした。少しだけ日に焼けた肌に、白い線。それでも幻の痛みに顔をしかめた覚えがある。線は今もその二本から増えていなくて、触るたびに何となくほっとした。
 ペットボトルをベンチに置く音が聞こえ、すぐに彼女がわたしの空いているほうの手を引き寄せようとする。わたしは食べかけのあんまんを自分の膝の上に落としてから、手を彼女のされるがままにした。彼女はわたしの指の背に手を添え、何かを選ぶように自分の指を滑らせていく。
 人差し指。中指。薬指。小指。
 小指を摘むと、遊ぶように、関節の反対側に引っ張る。軽く痛いくらいで放す。そのまま彼女の手はスカートのポケットに向かう。彼女が息を吐くようにして微笑む。わたしもつられて微笑んでいた。チキチキチキ、と聞き覚えのある音を聞いた。カッターナイフを滑らせる音だ。白い線のあるほうの手が、わたしの膝から離れ、彼女の膝の上にあるわたしの手を触った。小指を固定するように持ち、それから、小指の先にカッターナイフの刃が当たった。
 チクリとした痛みに奥歯を噛みしめる。注射は人並みに嫌いだった。中学のころ、注射で貧血を起こす同級生を見たことがあるけれど、わたしはそこまでではなかった。
 小指に丸く赤い血の粒が浮き上がる。彼女はわたしの手を持ち上げながら軽く身を屈め、血の粒に口をつけた。舌が指先をもてあそぶ。ゆっくりと、ゆるやかに。
 役目を終えたほうの手が、またわたしの膝の上に投げ出された。わたしは彼女の手首をもてあそぶ。ゆっくりと、ゆるやかに。どの程度なのか、許される範囲なのかわからないけれど、歪んでいるとは思う。
「スズキさんの」
「ん?」
「痛そうな顔、好きだよ」
「そう?」
「うん、エロい」
「……どう答えていいのかわからない」
 あはは、とタナカは愉快そうに笑って、横目で見ながらまた唇と舌でわたしの指先をもてあそびはじめる。わたしはそっぽを向いて、彼女の手首から手を放し、膝の上の少し冷めかけたあんまんの一切れを口の中に押し込んだ。