傾けたポットの端からお湯がこぼれる。お湯はゆるやかに暴れながら流れ落ち、白い湯気をふわりと立ち上らせ、備前焼風のマグカップの底を叩く。そうしてカップの底と縁によって55℃の角度を保持していたティーバッグを濡らすと、砕かれ詰め込まれ哀れ細かな葉に成り果てるも未だ紅茶という名を冠するものから琥珀色を染み出させた。
 紅茶のおいしい入れ方。カップを温め、ティーバッグを配置し、お湯を注いでから蓋をして、二、三分待って、そのあとティーバッグは五回揺らしてから取り出す。
 ティーバッグの箱の裏面に書いてあった入れ方である。やってみると確かに紅茶の味と香りが濃い気がした。気持ちの問題かもしれない。
 二口飲んでから、わたしはまたノートPCに向かった。ネットで予約してコンビニで料金を払う。あまりやったことのない作業なので、それなりに手間取っており、面倒くさくなってきていた。
 申し込みのボタンを押し、これでPCでの作業は終わりのはずだ。目が疲れたので、顔を手で覆うようにして閉じた瞼の上から眼球を押さえた。暗闇の中に光の残像が浮かび上がる。
 残像は基本白く、丸い光で、チカチカと淡い虹色を瞬かせていた。目を開けてもそれは残っており、今、右下から攻撃を受けると窮地に立たされること請け合いである。しかしだからこそ左上からの攻撃に備えるべきなのかもしれないどうでもいい。
 しばらくしたら消えるだろうと気楽に考えてぼんやりしていると、逆に段々はっきりと見えてきた。残像にしては少々おかしかった。
「……何だかな」
「何が?」
 独り言に女の子の声が返ってきた。内心の動揺を抑え、声のしたほうに目を向ける。左下だった。同居している七歳の神様がそこにいた。神様なので常識がなく、何もなかった空間に突然現れることがある。心臓に悪いからやめてほしい。
「ん?」
 彼女はテーブルに手を置き、小首を傾げながら私を見上げた。
「ああ、うん。右下のほうがチカチカしてて」
「どこ?」
「いや、目の中でね。残像だろうけど、なんか消えなくて。段々はっきり見えて……」
「んー……、あー、これ?」
 そう言って彼女はすっと手を伸ばした。右下に。そうして彼女はわたしの目の中だけにあるはずの光を掴んだ。掴まれた光はその瞬間ビクリと震え、彼女の手の中で形を変えながらじたばた暴れる。丸い光は淡い七色を瞬かせたまま、細長くうねうねとした、蛇のような形になっていた。
「……何、それ?」
 わたしは常識さんの背中を追い求めながら聞いた。
「ん? ……りう」
「りう?」
「うん、りう」
「……りゅう?」
「うん、りうの子供」
 龍の子供、らしい。舌足らずだ。
 光をよく見てみると、四本の足と、角らしきものが生えているのが何となくだけれどわかった。確かに龍のようだ。そういえば今年は辰年だったなと思う。
「その龍、どうするの?」
 途方に暮れた気分で聞いた。
「食べる?」
 その選択肢はなかったな。
「いや、食べませんよ」
「飼う?」
「飼いませんね」
「じゃあ、放す?」
「うん、まあ、それがいいかな」
 それが無難なところでしょう。
「うん」
 彼女は頷くと、てとてとと部屋を横切り、窓のところにいって、開けるとすぐに龍の子供をブン投げた。今年の干支に対する敬意は一切見られなかった。龍は放物線を描きかけるものの、持ち直して身体をうねうねさせながら夜空を泳いでいく。特に名残惜しそうにもせず、ただ単にわたしの目をチカチカとさせた。
 また部屋を横切って戻ってきた彼女が、得意げな顔をして私を見上げたので、わたしは「ありがとう」と礼を言いつつ彼女の頭を撫でる。彼女は口元をもにょもにょさせながら、照れくさそうにはにかんだ。
「あっ、そうそう。今度、旅行いこうか」
「旅行?」
「うん、温泉。いかない?」
「温泉! いく!」
「ネットで申し込むと25%オフなんだってさ。だからさっき申し込んでてね」
「そっか、ありがとう!」
 そう言って彼女はわたしの頭のほうに手を伸ばしてきた。背伸びするように。わたしは一瞬「ええー?」と思うものの、「まあいいか」と、小さな彼女の手がわたしの頭にまで届くように軽く身を屈めた。わたしの頭を撫でる彼女が満足そうに微笑む。