西岡昌紀のブログ

内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。

(書評)杉田誠(著)「総点検・真珠湾50周年報道」

(書評)杉田誠(著)「総点検・真珠湾50周年報道」(森田出版・1992年)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B7%8F%E7%82%B9%E6%A4%9C-%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE50%E5%91%A8%E5%B9%B4%E5%A0%B1%E9%81%93%E2%80%95%E4%BD%95%E3%81%8C%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B-%E6%9D%89%E7%94%B0-%E8%AA%A0/dp/4795278059/ref=cm_cr-mr-title


総点検 真珠湾50周年報道―何がどこまでわかったか
総点検 真珠湾50周年報道―何がどこまでわかったか
杉田 誠著
エディション: 単行本

5つ星のうち 5.0


出版後25年を経た今読んでも多くの事を教えられる名著の中の名著,

2017/12/8


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 戦争の直接原因を作った陸軍、海軍が敗戦によって解体されたあと、この悲惨な戦争の直接の責任を負う省庁は外務相だけになった。当時、陸軍、海軍が専横をきわめていたことはたしかだが、しかしそれでも、外務省がもっとたしかな政策をたてていれば太平洋戦争は回避できていたことはたしかだ。まして事務的ミスによって、事前通告を実行できなかったという失態については、国民にいくら詫びても詫びきれるものではない。その外務大臣が終戦の日に靖国神社に参拝しないとはどういうことなのか。外務省の誤った政策によって戦争が避けられず、そしてその失態によって「騙し討ち」となって最大限に拡大した戦争において、死ななくてよかったであろう多くの将兵、市民が死に、そして祀られている靖国神社に外務大臣が参拝しないでよいのだろうか。死んだ将兵や市民に礼をつくさなくてよいのだろうか。外務大臣に就任する者はこの立場を理解し、礼をつくしうる者でなければならない。
 以上のことは、総理大臣についても政府の代表として同じことが言えるが、直接の省庁の長たる外務大臣が参拝せぬゆえに、靖国神社はあたかも軍国主義の象徴かのような印象を国民や諸外国に与えることになってはいないか。

(本書27ページ)

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 この本は、真珠湾攻撃(1941年12月8日)から50年目の1991年に、真珠湾攻撃について、日本国内で為されたテレビ報道、雑誌の特集、出版された書籍などを、翌年の1992年に、1941年生まれのジャーナリスト・杉田誠氏が総括した一書である。
 1992年の本であるから、出版されて25年の時間が流れて居る。しかし、真珠湾攻撃から76年が経った今日読んでも、極めて多くの示唆に富んだ、名著である。本書は、第1部「総点検・真珠湾50周年報道」、第2部「主要な論点は何であったか」、第3部「その他の紹介すべき史実、見解」の3部構成で成り立ち、1991年の時点における日米両国での真珠湾攻撃についての認識、その時点(1991年)までの日米両国での研究が明らかにした事実などが、まとめられて居る。又、その中では、アメリカ国民に真珠湾攻撃が「だまし打ち」であったと言ふ誤解を与える原因と成った駐米日本大使館の宣戦布告通告の遅延問題が、事細かに検証されており、その点でも、貴重な研究書と成って居る。
 真珠湾攻撃については、1990年代後半に至り、ハル・ノートを書いたハリー・デクスター・ホワイトが、実は、ソ連の協力者であった事が旧ソ連の情報関係者の証言などから明らかに成って居る。杉田氏がこの本を書いた1992年には、その事実は、まだ確認されて居なかった。従って、本書は、ソ連情報機関がハル・ノート作成に関与して居た事実には言及して居ないが、その段階で書かれた本としては、本当に、見事な内容である。
 杉田氏は、ルーズヴェルトが、日本軍の真珠湾攻撃を知って居たかどうか?の問題については、1941年12月6日に、スチムソン、ノックス、マーシャル、スタークの4人を呼んで開いた会合に注目する。そして、真珠湾攻撃の直前、ルーズヴェルトが開いたこの会合の存在が、記録から抹消されて居る事実に注目して、「この会議を歴史の記録から消したこと、そのことじたいが、真珠湾攻撃に関する何らかの情報を得ていた、という決定的間接的証拠となる。」(本書167~168ページ)と述べ、ルーズヴェルトが真珠湾攻撃を知って居た可能性は相当高いと見る立場を取って居る。
 1991年までの日米両国での真珠湾攻撃に関する議論を見事にまとめ、それらを公平に概観、分析した名著である。真珠湾攻撃に関心を持つ人は、是非、読んで欲しい。

(西岡昌紀・内科医/真珠湾攻撃から76年目の日(2017年12月8日(金))に)


http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/9018883.html


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真珠湾で献花した東條由布子さん(月刊Hanada 2017年3月号)

(月刊HANADA・2017年3月号より)
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%88%E5%88%8AHanada2017%E5%B9%B43%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E8%8A%B1%E7%94%B0%E7%B4%80%E5%87%B1%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E7%B7%A8%E9%9B%86/dp/B01MU1D42I/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1512793074&sr=8-1&keywords=Hanada+3

 
 安倍首相が、2016年12月27日(日本時間28日朝)に真 珠湾を訪問した。そのニュースをテ レビで見ながら、私はある人のこと を思い出した。
  それは、東條由布子さん(1939-2013、以下、東條さんと記 す)である。誰もが知るとおり、東條 さんは、1941年、日本が真珠湾 を攻撃した際の総理大臣であった東條英機の孫にあたり、2013年、 間質性肺炎で世を去った女性である。
 
 私が東條さんのことを思い出した 理由は、生前の東條さんから聞い た、東條さんが真珠湾を訪れた際の アメリカ側の対応についての話がと ても印象に残っていたからである。
 
 私が東條さんに初めて会ったのは 1999年であったから、おそらく は1990年代のことと思われる。 東條さんは、ハワイを訪れたことが あった。
 
 それは、全く個人的な旅行であっ た。特別、真珠湾を訪れることを目 的にしたハワイ旅行ではなかった。
  アリゾナ記念館を訪れた東條さん は、まず、同記念館の館長を訪ねたの だそうである。そして同記念館の館 長に、「私は東條英機の孫です」と告 げた。私が印象深く覚えているのは、 それに対する同館館長の反応である。
  アリゾナ記念館の館長は、非常に 驚いた。東條さんは館長に、「自分は 東條英機の孫だが、ここで犠牲者のために花輪を捧げても良いだろう か?」と訊いた。館長は感動し、もち ろんである、と答えたそうである。
  そして、「不測の事態が起こるとい けないから」と言って、東條さんが花 輪を捧げる際、記念館の職員を横に 立たせて、東條さんが花輪を置くの を見守らせた。東條さんの話から判 断すると、アリゾナ記念館の館長 は、東條さんを最大級の敬意をもっ て迎えたようである。
  この話を聞いて、私は「東條さんら しいな」と思った。どこが東條さんら しいのか。東條英機の孫が来たと言 うことで、反発したアメリカ人が何 か不測の行為に及んだりすれば、ア リゾナ記念館に迷惑を掛けると思っ たのだろう。
 
 真珠湾攻撃当時の日本の総理大 臣、東條英機の孫である自分が来た ことを記念館館長にまずは知らせ、 「自分が花輪を捧げても良いだろう か?」と訊いたところ が、実に東條さんらし い。東條さんは、いつ もこうであった。いつ も人に気を使って、自 分を前に出さない人で あった。
 
 私と東條さんの出会 いについてここでは書 かないが、東條さんが他界するまで14年間にわたって、 私は東條さんと懇意にさせていただ いていた。
 
 いろいろなことを語り合ったし、 私の友人を紹介することも多かった が、そんな東條さんについてもう一 つ、ある懐かしい思い出がある。そ れは、私が東條さんにお願いして、 東條家のお墓をお参りさせていただ いた時のことである。

 
 その年、マスコミは、小泉首相が 8月15日に靖國神社に参拝するか しないかを喧 かまびす しく取り上げていた。 そんなマスコミの過熱報道にウンザ リさせられた私は、東條さんに電話 をかけた。
 
 そして東條さんに、東條家のお墓 にお参りさせていただけないか?   とお願いした。身内でも何でもない自分が、そんな厚かましいことをお 願いするのは失礼かとも思いなが ら、思い切ってかけた電話であった。
  だが東條さんは、とても喜んでくれ た。そして数日後、私は東條さんに 連れられて、東條家のお墓の前に立っ た。初夏の晴れた日のことであった。  高層ビル群が近くに見えるそのお 墓の前に、私は東條さんと二人で立 ち、初夏の陽光と木々の影のなかで 墓石に水をかけ、手を合わせた。
 
 その時、私の心をよぎったのは、 本来、静寂であるべき靖國神社を巡 る政治的喧 けん 噪 そう の喧しさと、私と東條 さんだけが立つその墓の前の静けさ の対照であった。 「A級戦犯」と呼ばれた人の霊が眠る 場所でありながら、不幸にして政治 的喧噪の場となってしまったその夏 の靖國神社と、ごくわずかの人々だ けが訪れる東條家の墓の周りの静けさは、不思議な対照であるように思 われた。
 
 私たちが、その東條家の墓をあと にしようとした時である。東條さん は私に、「もう一カ所、おいでいただ きたい所がございます」と言ったので あった。東條さんは、自分で運転す る車に私を乗せると、東條家の墓か らほど近いある場所に連れて行った。
 
 池袋のサンシャイン・ビルのすぐ 近くにある、七人の「A級戦犯」の慰 霊碑の前であった。
 
 そこはかつて、巣鴨プリズンがあ った場所だ。そして1948年12月23日、今上 じよう 天皇の誕生日に、 アメリカが東條さんの祖父、東條英 機氏を含む七人の「A級戦犯」の絞首 刑を執行した処刑場の跡である。
 
 東條家の墓を訪れて墓参りをした 私を、東條さんはその処刑場跡の慰 霊碑の前に連れて来たのであった。
 そして、そこで線香に火をつけ、私 とともにその七人の霊の前で、東條 さんは合掌したのだった。私は、こ の時のことが忘れられない。
 
 祖父である東條英機氏の霊が眠る 東條家の墓に私を連れて行ったあ と、東條さんは祖父とともに絞首台 の露と消えた「A級戦犯」たちの慰霊 碑の前に私を連れて来たのである。
 
 私は、東條さんのその心に打たれ た。私のような取るに足らない人間 でも、他の「A級戦犯」の霊のいる場 所に案内し、一緒に手を合わせてほ しいと希望する東條さんのその無私 な心に感動したのである。
 
 この時、風の悪戯 ずら で線香になかな か火がつかなかったことが、懐かし い思い出として脳裏に残っている。

 
 東條さんは真珠湾を訪れた際、アリゾナ記念館の館長に「自分が花輪 を捧げても良いだろうか?」と尋ね た。いま思えば、それは私が東條家 のお墓にお参りさせていただいた 時、自分の祖父以外の「A級戦犯」た ちの慰霊碑にも連れて行ったことに 通じる東條さんらしい気遣いだった と思う。何と優しい人だったのだろ うか。
 
 そんな東條さんの人柄を偲 しのぶ一方 で、私はいま、あることを考える。 それは、東條さんが「東條英機の孫で す」と名乗ってアリゾナの犠牲者に花 輪を捧げたことを、当時のアリゾナ 記念館館長をはじめとするアメリカ 人たちはどう受け止めたのだろう か?   ということである。   彼らはもしかすると、「東條英機の 孫が謝罪に来た」と受け止めたのでは なかったか?
 
 東條さんは、「謝罪」のためにアリゾナに花輪を捧げたのではなかった はずだ、と私は思う。それは、東條 さんと十四年間友人であった私が、 東條さんの歴史観や祖父・東條英機 氏について語った言葉を思い出して 確信することである。
 
 だが、アメリカ人たちはどう思っ たのか?  
 それはわからない。ただ、 過去に多くのアメリカ人と対話して 来た者としてちょっと心配してしま うのは、圧倒的多数のアメリカ人た ちが、あの戦争について持っている 知識と理解が極めて浅く、皮 ひ 相 そう だと いう事実である。
 
 アメリカ人の圧倒的大多数は、真 珠湾攻撃を日本からの一方的な攻撃 であり、多くは「騙し討ち」だと思っ ている。「ハル・ノート」のことなど、 その言葉すら聞いたことがない人が 多いのではないか。
 
 昔、ある非常に高学歴なアメリカ人と真珠湾攻撃について話をした 際、「ハル・ノート」について何も知 らなかったことに驚いたことがある。
 
 それどころか、そのアメリカ人は 真珠湾攻撃以前に、日本が大陸で蔣 介石と事実上の戦争をしていたこと すら知らなかった。
 
 こんなアメリカ人たちであるか ら、「東條英機の孫」がアリゾナに献 花したと聞けば、単純に「謝罪した」 と解釈したのではないか?   と思う のである。
 
 慰霊と謝罪は別のことである。だ が、それを区別して考えることは必 ずしも容易ではない。12月27日の安倍首相の真珠湾訪問を、東條 さんは天国でどう見ただろうか?




西岡昌紀(にしおかまさのり) 1956年、東京生まれ。主な著書に『アウシュヴィッツ 「ガス室」の真実/本当の悲劇は何だったのか?(』日新報 道・一九九七年)、『ムラヴィンスキー 楽屋の素顔(』リ ベルタ出版・二〇〇三年)、『放射線を医学する(』リベル タ出版)がある。


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杉田誠(著)「真珠湾50周年報道」(森田出版・1992年)より

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 戦争の直接原因を作った陸軍、海軍が敗戦によって解体されたあと、この悲惨な戦争の直接の責任を負う省庁は外務省だけになった。当時、陸軍、海軍が専横をきわめていたことはたしかだが、しかしそれでも、外務省がもっとたしかな政策をたてていれば太平洋戦争は回避できていたことはたしかだ。まして事務的ミスによって、事前通告を実行できなかったという失態については、国民にいくら詫びても詫びきれるものではない。その外務大臣が終戦の日に靖国神社に参拝しないとはどういうことなのか。外務省の誤った政策によって戦争が避けられず、そしてその失態によって「騙し討ち」となって最大限に拡大した戦争において、死ななくてよかったであろう多くの将兵、市民が死に、そして祀られている靖国神社に外務大臣が参拝しないでよいのだろうか。死んだ将兵や市民に礼をつくさなくてよいのだろうか。外務大臣に就任する者はこの立場を理解し、礼をつくしうる者でなければならない。
 以上のことは、総理大臣についても政府の代表として同じことが言えるが、直接の省庁の長たる外務大臣が参拝せぬゆえに、靖国神社はあたかも軍国主義の象徴かのような印象を国民や諸外国に与えることになってはいないか。


(杉田誠(著)「真珠湾50周年報道」(森田出版・1992年)27ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B7%8F%E7%82%B9%E6%A4%9C-%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE50%E5%91%A8%E5%B9%B4%E5%A0%B1%E9%81%93%E2%80%95%E4%BD%95%E3%81%8C%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B-%E6%9D%89%E7%94%B0-%E8%AA%A0/dp/4795278059/ref=sr_1_fkmr0_2?ie=UTF8&qid=1512618045&sr=8-2-fkmr0&keywords=%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%EF%BC%95%EF%BC%90%E5%B9%B4%E5%A0%B1%E9%81%93

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