西岡昌紀のブログ

内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。

2011年12月

魔女の居ない世界で

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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1809249933&owner_id=6445842




今年(2011年)目にした光景の中で、私が忘れられない物は、東日本大震災による津波を受けた海岸で、倒れずに立ち続けたあの木の姿です。



http://www.google.com/imgres?imgurl=http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/e/a/r/earthquake2011/102.jpg&imgrefurl=http://earthquake2011.blog69.fc2.com/blog-entry-102.html&h=355&w=634&sz=21&tbnid=DR0C2Sfwmg6zOM:&tbnh=90&tbnw=161&prev=/search%3Fq%3D%25E4%25B8%2580%25E6%259C%25AC%25E6%259D%25BE%2B%25E9%2599%25B8%25E5%2589%258D%25E9%25AB%2598%25E7%2594%25B0%26tbm%3Disch%26tbo%3Du&zoom=1&q=%E4%B8%80%E6%9C%AC%E6%9D%BE+%E9%99%B8%E5%89%8D%E9%AB%98%E7%94%B0&docid=haPYQt39occg2M&hl=ja&sa=X&ei=Bpv-TsTVF4yhmQX2q-S3Ag&sqi=2&ved=0CEkQ9QEwBA&dur=187
(陸前高田の一本松)




残念ながら、あの木は、あのまま立ち枯れを迎える運命に有るとの事です。しかし、津波を受けながら、倒れずに立ち続けたあの木の姿は、永く、私達の心の中に生きるに違い有りません。



その津波に耐えたあの木の姿を映像で見て、私は、或る事に気が付きました。



それは、あの木の光景が、『サクリファイス』と言ふ映画に登場する木の光景に酷似して居た事です。




http://www.youtube.com/watch?v=QeQCb5uyIFY
(『サクリファイス』より)



しかも、その木は、その映画の中で、「日本の木」として登場するのです。




* * * * * * * *




『サクリファイス』は、旧ソ連(ロシア)の監督アンドレイ・タルコフスキーの最後の作品です。



この映画について(Wikipedia)
   ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)



『サクリファイス』は、タルコフスキーが、西側で事実上の亡命生活を送る中、スウェーデンで監督した作品で、東西冷戦が続いて居たこの時代、ヨーロッパで第三次世界大戦が起きた日に、そのヨーロッパの大地に、日本の木を植えた一人の父親を主人公とする作品です。




物語は、スウェーデン南部のゴットランド島で、その初老の父親の誕生日に始まります。



スウェーデン人でありながら、何故か、自分は、前世には日本人であったと信じるその父親は、病気で口をきけない幼い息子とともに、その島の海辺に、一本の日本の木を植えます。



そのすぐ後で、ヨーロッパで、(核戦争と思はれる)戦争が勃発した事を、その父親と、彼の誕生日を祝福する為に集まった彼の家族は知り、絶望に追ひ込まれます。



その絶望の中で、その父親は、彼の家で働く若い家政婦マリアが、実は魔女である事を知らされます。そして、魔女と肉体関係を持った者は、魔女に、どんな願い事をもかなえてもらえる事を聞かされ、深夜、その若い魔女の家を訪れます。



そして、そこで、父親は魔女と情交を持ち、世界を元の世界に戻して欲しいと、その美しい魔女に懇願します。



翌朝、父親が目覚めると、世界は、核戦争が起きる前の、元の平和な世界に戻って居ます。



ところが、その元に戻った平和な世界の中で、彼の家族たちは、エゴをむき出しにし、お互いを愛する事も無く、生きようとして居る。



その光景に絶望した父親は、思ひ出で一杯の彼の家に放火し、その家を燃やしてしまひます。



父親は、その放火の結果、精神病院に入れられ、一人残された口をきけない幼い息子は、父親に代はって、父が植えたその木に水を与え続ける。



これが、『サクリファイス』の物語です。





(私は、この映画のこの物語に、キリスト教カタリ派の象徴が幾つか登場する事に注目して居ます。カタリ派は、非暴力主義で、戦いを忌み嫌った事、人間は転生すると説いた事、そして、他の宗派から、魔女がカタリ派の象徴とされた事、そしてカタリ派の聖典であったヨハネ福音書の言葉が引用される事などですが、ここでは論じません。)




この映画は、マタイ受難曲の第47曲「憐れみたまえ」で始まり、この曲をもって終はります。




* * * * * * * *



この映画(『サクリファイス』)には、日本が、とても深い意味を持って登場します。



即ち、ヨーロッパが滅亡に直面した日に、自分の人生は日本人だったと信じる父親が、魔女と情交を持ち、魔女の力を借りて、ヨーロッパを救ふと言ふのが、この映画の物語なのです。そして、物語は、その父親が、ヨーロッパの大地に日本の木を植える場面で始まり、その木が光の中で輝いて居る光景で終はるのです。



タルコフスキーは、日本に対して非常に深い思ひ入れを抱いて居た芸術家です。タルコフスキーは、新しい映画を作る時には、黒澤明の『七人の侍』と溝口健二の『雨月物語』を必ずもう一度見直す事にして居ると、自ら語って居ますが、この映画(『サクリファイス』)におけるこうした「日本」の意味に、タルコフスキーの日本への思ひが反映されて居る事は、余りにも明らかです。



(タルコフスキーについて)
      ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC



初めてこの映画を見た時、私は、タルコフスキーが、この遺作と成った映画の中で現した日本への思ひに驚かされました。そして、この映画(『サクリファイス』)には、人類の未来を託せる国は日本だと言ふ、タルコフスキーのメッセージが籠めらられて居ると考えずには居られませんでした。



しかし、今回の東日本大震災とそれに続く原発事故の中で、私は、タルコフスキーが、人類の未来を託したその日本において、現実が、この映画の物語と鏡像に成って進行する事に驚愕し、愕然とせずに居られませんでした。



今年、私達が、東日本大震災とそれに続く原発事故の中で見た光景は、『サクリファイス』に描かれたあの島の光景に何とそっくりだった事でしょうか。



そして、皮肉にも、人類の希望を象徴する物として、ヨーロッパの大地に植えられたあの木にそっくりな姿の日本の木が、今、その日本の土の上で枯れようとして居ます。




その『サクリファイス』について、震災からまだ11日しか経って居なかった日に、或る方が、アマゾンに、こんな文章を書いて居た事に、私は気が付きました。




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28 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0


無かったことになって欲しい。。。。東日本大震災の今、心に迫ります, 2011/3/22


By solaris1 (東京都中野区) -
(トップ500レビュアー)



 核戦争が起こり、主人公が、「犠牲を捧げるから、核戦争を無かったことにしてくれ」と魔女に頼む。夜が明けると、核戦争は無かったことになっていて、主人公は、家を焼く。家を焼いた主人公は、家族によって、病院送りにされてしまう。

 東日本大震災が発生し、11日が経ちました。公開時に見たときは、美しいけれど冗長で退屈な印象もあったこの映画が、私にとって、今はじめてとても重要な意味をもつようになりました。もし本当に、今回の地震・津波とその後の原発損傷が無かったことになるのであれば、なんらかの犠牲を捧げても構わなかった。そう考えている方は、少なからずいるのではないでしょうか。でも、現実は、この主人公のように、周囲にその行為はまったく理解されず、病院送りになるか、財産を失うだけになるか、そもそも、「起ってからでないと、「犠牲を捧げてもよかった」などと思うことなど、そもそもできない」というパラドックスに直面することになります。

 主人公には魔女がいるという幸運がありました。しかし、我々に魔女はいません。それはどうにもなりません。だからこそ、取り返しのつかないことになってから後悔しないよう、せめて人災が極力抑えられるように普段から意識的に取り組んでいかなくてはならない。3月11日を境に、私にとって本作は、戒めを説く作品と変わりました。魔女はいない。でも、日々の少しの犠牲の積み重ねで大きな危機が回避できるのであれば、そのように生きたい。このような作品を作られた監督に感謝します。



http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9-%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%EF%BC%882%E6%9E%9A%E7%B5%84%EF%BC%89-DVD-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B003UYICO4/ref=cm_cr-mr-title


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この文章を読んで、私は、涙が出ました。



そうです。魔女は居ないのです。世界を、あの大震災の前に戻してくれる魔女は居ないのです。




居るのは、私たち人間だけなのです。




だからこそ、私たちは、その魔女の居ない世界で、世界を元に戻さなければなりません。



今年、私が一番感動したsolaris1さんのこの文章をお送りして、2011年に別れを告げたいと思ひます。





(この映画(『サクリファイス』)のラストシーンです。)
       ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QeQCb5uyIFY

(バッハの『マタイ受難曲』第47曲「憐みたまえ、わが神よ」が流れる中で、これまで声が出なかった少年が、「初めにことばありき、なぜなのパパ?」とつぶやくシーンです。(スウェーデン・ゴットランド島にて))





2011年12月31日(土)
平成二十三年の大晦日に








                   西岡昌紀(内科医)





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前司令官「日本終わりかと」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1865058&media_id=2

<福島原発事故>「日本は終わりかと考えた」陸自前司令官
(毎日新聞 - 12月31日 14:55)


原発事故対応にあたった当時の状況を語る宮島さん=福岡市博多区で、矢頭智剛撮影
 東日本大震災で、東京電力福島第1原発事故の対応を指揮した陸上自衛隊中央即応集団の宮島俊信・前司令官(58)が、毎日新聞の単独インタビューに応じた。深刻さを増す原発、見えない放射線の恐怖の中で、「最悪の事態を想定し、避難区域を原発から100~200キロに広げるシミュレーションを重ねた。状況によっては関東も汚染されるので、日本は終わりかと考えたこともあった」と緊迫した状況を明かした。



 自衛隊が警察や消防などの関係機関を指揮下に置いて任務に当たったのは自衛隊史上初めて。しかし、自衛隊に暴走する原子炉を止める能力はない。宮島さんは「ヘリコプターによる原発への放水は、本格的な冷却装置ができるまでの時間稼ぎにすぎなかった。高濃度の放射能などへの不安はあったが、我々がここまでしなくてはいけなくなったというのは、かなり危険性があるという裏返しだった」と語る。



 その上で、「危険に立ち向かってでも事故を抑えるんだという日本の本気度を示す一つの手段だったと思う。あれが大きな転換点となり、米国を中心に各国の積極的な支援につながった。自国が命を賭してやろうとしなければ、他国は助けてくれない」と話した。



 一問一答は次の通り。



 --原発事故対応の指揮を命じられたのは



 ◆自衛隊内では3月14日、同20日には菅直人首相(当時)から警察、消防も含めて一元的に指揮するよう命じられた。(1)物資輸送と水の供給(2)原発を冷却するための放水(3)避難民支援や除染(4)ヘリコプターによる放射線測定などにあたった。



 --これまで原発事故対応の訓練は



 ◆まったくしていなかった。あくまでテロなどの備えとして持っていた放射線の知識を流用して対処した。



 --被ばくへの恐怖は



 ◆まったく予想しなかった任務だったので、当初は隊員にも相当な不安があった。現地で指揮を執った副司令官がまず一人で現場に赴き、状況を確認した上で「大丈夫だ」と笑顔を見せた。それで隊員たちも安心し、落ち着いて行動することができた。消防車による放水では線量計の警報が常時鳴っているとの報告を受けたが、それなりの防護をし、放射線量を管理していたので大きな心配はなかった。



 --ヘリによる放水を命じられた時は



 ◆本当にやるのかと不安はあった。高濃度の放射能に加え、5トンの水を上空から落とせば衝撃で第2の爆発を起こすのではとの懸念もあった。危険は分かっていても、ここまでやらないといけないぐらい後がないという判断だった。放水の様子を画面でにらみながら祈り続け、無線で「命中しました」と聞いた時はホッとした。



 --最悪の事態を考えたことは



 ◆部下に知られないよう1人で司令官室の地図に模型を配置しながら、避難区域を100~200キロに広げるシミュレーションを重ね、日本は終わりかと愕然(がくぜん)としたこともあった。我々は「想定外」という言葉を使わない。すべて最悪の事態を考え、想定内に納めておかないと対処できませんから。



 --かなりの重圧だったのでは



 ◆自衛官になって35年間、常に指揮官とはどうあるべきかを自問自答してきた。孤独に耐え、心中は相当に焦っていても悠然とした態度を部下に見せることが非常に重要だと思っている。



 --関係機関との連携は



 ◆東電は情報隠しと責められたが、持てる情報はすべて出してもらったと思う。自衛隊の一元的な指揮は戦後初めてだが、おかげで警察、消防、東電を含め関係機関が一体的に行動できた。ただ、自衛隊は主役ではない。本格的な冷却装置が作動するまでの時間を稼ぎ、政府や東電の判断に余裕を与えるのが役割だった。



 --今後の課題は



 ◆どこまで自衛隊に原発対応を求めるのか明確にしないと教育や訓練ができない。また原子力災害を想定した訓練が各地で実施されているが、これまでは安全神話の下で形式的なものだった。今回の教訓を生かし、実効性のあるものにしなければならない。【聞き手・鈴木美穂】



 中央即応集団(CRF) テロなどの新たな脅威や国際貢献活動に迅速に対応するため、07年3月に編成された防衛相直轄組織。司令部は朝霞(埼玉県)。対テロ対策部隊「特殊作戦群」、核・生物・化学兵器対処専門の「中央特殊武器防護隊」など専門性の高い部隊を持つ。原発事故には同防護隊が中心に活動した。




(レビュー)『サクリファイス』(昭和の日に)

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(レビュー)『サクリファイス』(昭和の日に)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1809160436&owner_id=6445842


(レビュー)



サクリファイス  スペシャル・エディション (2枚組) [DVD]
エルランド・ヨセフソン (出演), スーザン・フリートウッド (出演), アンドレイ・タルコフスキー (監督) | 形式: DVD
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9-%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%EF%BC%882%E6%9E%9A%E7%B5%84%EF%BC%89-DVD-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B003UYICO4/ref=cm_cr-mr-title
6 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 世界をあの日の前に戻せたら, 2011/4/29



By 西岡昌紀 -(2011年4月29日)



 この映画は、バッハのマタイ受難曲の中の一曲である《あわれみたまえ(Erbarme Dich)》で始まり、この同じ曲で終はる。その音楽と木を包む光の美しさは言葉では言ひ表せない。--この曲は、タルコフスキーを愛した日本の作曲家、武満徹氏(1930-1996)が、新しい曲を書く時、必ず聴いたアリアでもある。

 この映画の物語は、次の様な物である。--ヨーロッパで(核戦争と思はれる)戦争が起きる。たまたまその同じ日、戦場を離れたスウェーデンの或る場所で、自分の前世は日本人であったと信じる父親が、自分の誕生日に、スウェーデンの大地に、一本の日本の木を植える。その父親は、世界を核戦争が起こる以前の世界に戻したいと切望する。そこで、魔女と情交すれば、いかなる願ひ事もかなふと言ふ言ひ伝えを信じ、自分の家の若い家政婦で、実は魔女である美しい女性マリアの家を密かに訪ねる。そして、その美しい魔女に世界を核戦争以前の世界に戻す様、懇願する。翌朝、願ひはかなえられ、世界は、核戦争以前の平和な世界に戻る。しかし、その平和に戻った世界で、彼の家族は、彼がした事も知らず、それぞれのエゴイズムに生きて居る。絶望した父親は、自分が守った世界の象徴である自分の家に火を放ち、精神病院に入れられる。その後、彼の幼い息子は、父親の意志を継いで、父が植えた日本の木に水を与え続ける。--

 この映画の物語には、カタリ派キリスト教の影響が感じられる。即ち、人間は転生すると言ふ思想と、カタリ派の象徴とも言える魔女が、重要な意味を持って語られ、登場するからである。--タルコフスキーは、「ヨーロッパの仏教」とも呼ばれる、非暴力主義のキリスト教カタリ派に共鳴して居たのではないだろうか?(その魔女の名前がタルコフスキーの母親と同じマリアである事にも注意が必要である。) 又、物語の終はりで、主人公の父親が、想ひ出の有る家に放火する場面は、タルコフスキーが尊敬して居た黒澤明監督の(核戦争を主題にした)映画『生きものの記録』に似て居る。この類似は、タルコフスキーの黒澤監督へのオマージュだったのではないだろうか?

 平成23年3月11日の東日本大震災とそれによって起きた福島大地原発事故の後、私は、この映画を思ひ出した。そして、世界をあの日の前に戻せたら、どんなんいいいだろう?と言ふ思ひにかられた。皮肉な事は、この映画では、ヨーロッパが滅亡の淵に立たされた日、一人のヨーロッパ人が、人類の未来を日本の託して居るのに、私達の現実では、日本が、この映画の舞台であるスウェーデンの土地の様な状況に置かれて居る事である。

  タルコフスキーは、日本を愛した。(彼は、新しい映画を作る際には、いつも、黒澤明の『七人の侍』の溝口健二の『雨月物語』を見直したと言ふ)その彼は、天国で、東日本大震災と福島第一原発の事故に脅かされる日本を、この父親の様な気持ちで見守って居るに違い無い。


(西岡昌紀・内科医/平成二十三年の昭和の日に)




(レビュー)『ローラーとバイオリン』 [DVD]

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(レビュー)『ローラーとバイオリン』 [DVD] イーゴリ・フォミチェンコ (出演), ウラジーミル・ザマンスキー (出演), アンドレイ・タルコフスキー (脚本) | 形式: DVD


http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3-DVD-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B000AMYZ1S/ref=cm_cr-mr-title


5つ星のうち 5.0


宮崎駿の作品を見た様な気持ちに成れる。, 2011/12/29


By 西岡昌紀 -(2011年12月29日)  


タルコフスキーについて、しばしば言はれて来た事の一つは、彼が、強いファーザー・コンプレックスの持ち主だったのではないか?と言ふ事であった。


詩人であった彼の父親は、少年時代のタルコフスキーにとっていかなる存在であったのか、真実は本人にしか分からないが、タルコフスキーの処女作であるこの作品においても、それは、確かに感じられる。


だが、そんな作家論的な分析をするより、この愛すべき作品を、親子で見てみてはいかがだろうか。


タルコフスキーのその後の作品は、ハリウッドの俗悪映画に毒された人々にとっては「難解」に思へるかも知れないが、この作品を愛さない人が居るとは思へない。


(昔はともかく)近年のディズニー映画などより、ソ連時代に作られたこの小品の方が、ずっと、親と子供が一緒に楽しめ、感動を共有できる作品である事を保障する。宮崎駿監督の作品を見た様な気持ちに成れる事請け合いである。


 (西岡昌紀・内科医/タルコフスキーの命日に)



都響の『第九』を聴いて(2009年12月28日のミクシイ日記)

(以下2009年12月28日(月)のミクシイ日記再録)

http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/288.html http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1374224389&owner_id=6445842

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 公園から聞こえてくる音楽にオレークは耳を 傾けていた。だが   
オレークが聴いていたのは その音楽ではなく、自分の内部で鳴り   
響いているチャイコフスキーの第四交響曲だった。 不安な、重苦   
しい、その交響曲の冒頭の部分。その驚くべき旋律。こんな鑑賞の   
仕方はいけないのかもしれないが、オレークはその旋律を自己流に   
解釈していた。久しぶりにわが家に帰って来た主人公、あるいはと   
つぜん目が見えるようになった主人公、いろいろな品物や、愛する   
女の顔を、手で撫でまわしている。撫でまわしながら、いまだに自   
分の仕合せを信じられぬ気持でいる。それらの品物は本当に存在す   
るのだろうか。自分の眼は本当に見えるようになったのだろうか。

 (ソルジェニーツィン作・小笠原豊樹訳『ガン病棟・(上)』
(新潮文庫・1974年 第七刷・230ページ))


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12月26日(土)の午後、東京赤坂のサントリー・ホールで、東京都交響楽団(都響)の『第九』を聴きました。


(都響のHPです)
 http://www.tmso.or.jp/


年末に都響の『第九』を聴く様に成って、もう10年以上に成ります。東京交響楽団(東響)の『第九』と共に、都響の演奏で、ベートーヴェンの『第九』を聴くのが、恒例に成って居ますが、都響の『第九』は、毎年、指揮者が変はります。当然と言ふべきでしょう。都響(東京都交響楽団)の『第九』は、毎年、非常に違います。矢張り、指揮者が違ふと、音楽は全く違ふ事を実感させられます。


今年、都響の『第九』を指揮したのは、ドイツの指揮者ゴロー・ベルク(Golo Berg)氏でした。


会場で配布されたパンフレット(月刊都響・2009年12月号)に依ると、ベルク氏は、1968年、ドイツ・ワイマール生まれと有ります。つまり、旧東ドイツ出身の指揮者なのです。


1968年生まれと言ふ事で、私より若いベルク氏は、1989年にベルリンの壁が崩壊した時、21歳だった事に成ります。都響の指揮台に立って、第九を指揮するベルク氏の姿を見ながら、ベルリンの壁が崩壊した時、彼は、どんな光景を見、何を思ったのだろう、等と考えました。


今年は、そのベルリンの壁が崩壊して20年目の年です。もしかして、都響は、今年、その事を意識して、旧東ドイツ出身のこの指揮者をベートーヴェンの『第九』の指揮者に選んだのだろうか?等と思ひましたが、演奏会のパンフレット(月刊都響)を読む限り、そう言ふ事は書かれてありませんでした。


そうして、『第九』を聴く内に、第四楽章に成りました。誰もが知るあの旋律が静かに、弦の音と成って流れ始めた時、ふと、この曲(ベートーヴェンの第九交響曲)を日本で初めて演奏した、ドイツの捕虜たちの事が、心に浮かびました。


広く知られた通り、この曲(『第九』)を日本で初めて演奏したのは、第一次世界大戦で、日本の捕虜と成り、四国の捕虜収容所で第一次大戦の終結を迎えたドイツ人たちでした。


(参考サイト)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E4%BF%98%E8%99%9C%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80


彼らは、日本側の温かい待遇に感謝する意味も有ったのでしょう。日本人たちの前で、日本で初めての『第九』を演奏しました。この逸話は、既に多くの場で語られて居ますが、毎年、『第九』を聴く時、私は、第四楽章の、バリトンが声を上げる前の静かな箇所で、必ず彼らの事を思ひます。その時、彼らは、遠い日本で、敗北した祖国にどんな思ひを抱いたのだろうか?と思ふのです。そして、これは、もちろん、私の想像ですが、彼らの祖国(ドイツ)への思ひは、第四楽章前半の、テノールが最初の声を上げる前のこの弦の部分で、一番深まったのではなかっただろうか?と言ふ気がするのです。


こんな鑑賞の仕方はいけないのかも知れません。しかし、『第九』のこの箇所を聴く度に、私には、どうしてもそんな気がするのです。


おととい、都響の演奏で『第九』を聴いて居た時、曲が、第四楽章のこの箇所に来た時、私は、都響の指揮台に立って日本人のオーケストラと共に『第九』を奏でて居るベルク氏は、あのドイツ人捕虜たちの事を知って居るだろうか?と思ひました。


知って居るに違い無いと思ひますが、旧東ドイツ出身のベルク氏は、旧西ドイツやオーストリア出身の音楽家よりも、彼ら日本で最初に『第九』を演奏したドイツ人捕虜たちの気持ちが分かるのではないだろうか?等と思ひました。


 旧東ドイツをかつてのドイツ帝国になぞらえて居るのではありません。東ドイツなど崩壊して当然です。北朝鮮より少しましなくらいの警察国家で、「共産主義国家」であった東ドイツなどに、ベルク氏は、何の愛情も持って居ないに違い有りません。私は、旧東ドイツに生まれたドイツ人の大多数の人々と同様、ベルク氏が、旧東ドイツなどに何の愛惜しの念も持って居ないと信じて疑ひません。私の脳裏で、ベルク氏とかつて日本で『第九』を初演したドイツ人捕虜たちが重なって見えたのは、そう言ふ意味ではなく、一つの国家の崩壊を自分の人生の一部として目撃、体験した人間として、旧東ドイツ出身のベルク氏と、あのドイツ人捕虜たちがだぶって見えてしまったと言ふ事なのです。


そして、ヨーロッパから遠いこの国(日本)で、『第九』のあの旋律を奏でた時、ベルク氏も、あのドイツ人捕虜たちも、自分達がドイツ人である事と共に、自分達がヨーロッパ人である事を強く意識したのではないか?


都響の指揮台に立つドイツ人指揮者の姿を見ながら、ふと、そんな事を思ひました。


そして、ヨーロッパの友人たちの事が、心に浮かびました。



2009年12月28日(月)                   



西岡昌紀
http://nishiokamasanori.cocolog-nifty.com/blog/




(転送・転載は自由です)



The 9th Symphony in Japan

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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5028928.html

2年前(2009年)の暮れに、私が、ベートーヴェンの第九について書いた英語の一文を以下に再録します。誰が、日本で最初に第九を演奏したのか?を中心に述べた一文です。外国人の御友人にこの一文を紹介して頂けたら幸いです。

Here  is  my  English  essay  about  Beethoven's  9th  symphony  that  I  wrote  two  years  ago.
I  present  it  here  for  foreign  people  who  are  interested  in  the  Japanese  tradition  of  performing Beethoven's  9th  symphony  in  the  end  of  a  year.


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The 9th Symphony in Japan
2009年12月28日03:35

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1374331833&owner_id=6445842



You may not know that Beethoven's 9th symphony is one of
the annual events in the year end in Japan.


The reason is not known. But this tradition is now a part of
life in Japan in this month. Virtually all the orchestras in Japan
hold concerts of Beethoven's 9th symphony every December.
Western artists of classical music are aften surprised that
Beethoven's 9th symphony is performed in thus many concerts
in this country of Far East.


I am one who esteems this tradition. Since young years,
I have gone to concerts of Beethoven's 9th symphony in December
as Japanese do. This year is not exceptional, of course.


On the 26th of December, I went to a concert of Tokyo
Metropolitan Symphony Orchestra to listen Beethoven's 9th Symphony.
            ↓
       http://www.tmso.or.jp/


This year, the conductor was Mr.Golo Berg, a German conductor.
Reading the pamphlet at the concert, I learnt Maestro Berg, the conductor,
was born in 1968 in Weimar. meaning he was born and grown up in the
former East Germany.


Being born in 1968 means that he was 21 years old when the Berlin Wall
collapsed. Looking at his figure in front of the Japanese orchestra, I wondered
what he, Maestro Berg, witnessed and thought when the Berlin Wall fell down.


This year(2009) marks the 20th anniversary of the collapse of the Berlin
Wall. So, I wondered the Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra(TMSO), which
I love very much, might have chosen this conductor as their conductor for the
honarable year-end concert of Beethoven's 9th symphony for his being born
in former East Germany. The pamphlet I got at the concert in Suntory Hall,
however, did not mention such story. ----So, it might be a mere coincidence.



I listened the 9th symphony from my seat where I can see the
conductor from the fornt. Then, the music came to the 4th movement.
When their performance came to the early part of the 4th movement,
which is the quiet part of the well-known melody for strings only,
before the tenor begins to sing, I thought about the musicians who
performed Beethoven's 9th symphony for the first in Japan.


They were Germans, as well as the conductor conducting the orchestra
in front of me. They were Germans and they were POWs of the 1st
World War. They surrendered to the Japanese in Tsintao and came to
Japanese camp in Shikoku, Bantoh as POWs. They were treated very
warmly there and they had deep warm relationship with the Japanese
officers and local Japanese living around their camp. ----It was June 1,
1918 in Bandoh camp in Shikoku that they performed Beethoven's 9th
symphony as the first performance in Japan.




(About this amazing history (in German))
http://de.wikipedia.org/wiki/Kriegsgefangenenlager_Band%C5%8D

(About this amazing history(in Japanese))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E4%BF%98%E8%99%9C%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80



So, when the war(World War I) ended, those German POWs played
Beethoven's 9th symphony in front of the Japanese who took care of
them. (They did not have female singers but they could manage to
perform this great symphony since they brought many insturments from
their country reflecting their cultural level then.) I was reminded of those
German POWs at the beautiful quiet part of the early 4th movement.


This is as usual. I recall and think of those POWs whenever the orchetra
comes to the part. It is the quiet part just before the part tenor begins
to sing ″O Freunde(Oh Friends)″ that I recall about them. Whenever I hear
the part, I wonder what was on their mind when they performed Beethoven's
9th symphony in far Japan as POWs, while they were aware their homeland
was defeated and destroyed. Nobody knows what was on their mind then,
when they performed this symphony for the first time in Japan about
91 years ago.




Listening the part of the 4th symphony, I wondered whether or not
Maestro Berg, who was conducting the Japanese orchestra in front of me,
is aware of the history this symphony had been performed first in Japan
by the German POWs 91 ago, and then believed that there is no reason
to doubt he knows this history.


Moreover, I thought he might be able to share the sentiment of those
POWs more better than conductors from former West-Germany or Austria,
since he is an artist born in East Germany.



I am not saying former East Germany is mimic of the German Empire
of those POWs. Far from it, I am quite aware that former East Germany
had been hated by East Geramans as well as by West Germans.----
East Germany was, as every one knows, a communist state which was
only a little human than North Korea.----I am quite aware Maestro Berg
is never an exception in his attitude towards former East Germany.
I, howver, thought Maestro Berg must share the same experience with
those German POWs in his experience of witnessing a collapse of a state
which is so drastic and incredible in his own life.


Then I thought about the German POWs again and wondered what
emotion a European person, I dare say not a German but a European,
think about Europe when they heard this symphony----Beethoven's 9th
symphony here in Japan. I believed that Maestro Berg must have shared
the same experience with those German POWs when he performed the
9th symphony here in Japan that he had strong awareness of his being
a European by doing so.


This notion made me wonder how my European friends are now
in their countries.



It seeme I share a bit of the sentiment of those German POWs must
have had about their dear people in Europe, when I listen the 9th
symphony in December.






Masanori/Nori



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