西岡昌紀のブログ

内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。

2012年10月

朴大統領は何故死んだか?(2006年10月26日さくら通信再録)

(2006年10月26日さくら通信再録)

http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokamasanori/41417677.html





                   朴大統領は何故死んだか?


                           1


 今日は、10月26日です。今日は、伊藤博文がハルビンで暗殺された日であり、そして、韓国の朴正熙大統領が暗殺された日です。二人は、同じ日に暗殺されて居るのです。皆さんは、これは、偶然だとお考えに成るでしょうか?
 「何を馬鹿な。」とおっしゃる方が多いに違い有りません。しかし、これが本当に偶然の一致なのかどうか、考えてみるべき事だと、私は思って居ます。


 御存知の通り、朴大統領は、側近に射殺される形で抹殺されました。その背景は今も謎ですが、この暗殺については、「朴大統領は、韓国の核武装を決意した。その為、アメリカの逆鱗に触れ、アメリカによって暗殺された」と言ふ言説が有ります。犬塚きよ子さんなどが、伝聞として書いておられますが、こう言ふ見方が有り、証拠は有りませんが、私は、可能性は相当有ると思って居ます。


 アメリカと言ふ国は、例へば、東京裁判で「A級戦犯」とされた人々を、現在の明仁天皇の誕生日である12月23日を選んで処刑したりして居ます。つまり、当時の皇太子が天皇に成った暁には、天皇誕生日(12月23日)が来る度に、日本人が、東京裁判を思ひ出す様に、12月23日を選んで、東條英機ら、7人の「A級戦犯」を処刑したのではないか?と言ふ指摘が為されて居る訳ですが、アメリカと言ふ国は、こう言ふ事をする国です。 その事を考えると、朴大統領も、朝鮮民族にとっては忘れられない日である伊藤博文の命日を選んで朴大統領を「消した」のではないか?そんな疑念が私の頭には浮かぶのです。


 真実は闇の中です。しかし、朴大統領が、この日(10月26日)に暗殺されたのが、真実、「核」が理由であったとしたら、そして、10月26日と言ふ日をアメリカが意識して選んだのだとしたら、韓国に、或いは、朝鮮民族に核を持たせない、と言ふアメリカの決意には、強烈な物が有ったと言ふ事を意味して居ないでしょうか?


 ちなみに、当時のアメリカの大統領は、ジミー・カーター大統領でした。カーター大統領は、その後、1994年の核危機の際、北朝鮮を訪れて、金日成に、北朝鮮に核武装を思ひ止まらせる説得をして居ますが、もしかすると、アメリカ政府が北朝鮮への特使にカーター元大統領を選ん理由も、「朴正熙が何故死んだか、知って居るんだろう?」と言ふメッセージだったのかも知れませんね。


 その一方で、こんな見方も出来るかも知れません。--朴大統領の暗殺は、もしかすると、当時のアメリカ政府が、日本人に対して送った警告だったのではないか?--つまり、当時のアメリカ政府が、日本人に対して、核武装など考えるなよ、と言ふ強いメッセージをこめて、当時の日本政府と深い関係に在った朴大統領を、10月26日に抹殺したのではないか?と言ふ見方です。10月26日は、もう一度言ひますが、日本にとっては、首相であった伊藤博文が暗殺された日です。そして、もう一つ、日本では、「原子力の日」なのですから。




核時代61年(2006年)10月26日(木)

「原子力の日」に




西岡昌紀(にしおかまさのり)






安重根と伊藤博文(2009年10月28日ミクシイ日記再録)



--悲劇は、善と善が戦ふ時に起きるのです。(アンジェイ・ワイダ)--



私が、初めて韓国を訪れたのは、1986年(昭和61年)の冬の事です。


クリスマスが終はった年末のソウルを訪れたのですが、韓国に着いた翌日、初めて訪れたソウルで、まだ韓国語も下手だった私は、ホテルから出る少人数のソウル市内観光に参加しました。寒い朝でした。そのマイクロバスによる市内観光には、元在日韓国人で、韓国に帰国したと言ふ中年の品の良い女性が通訳として同行して居ました。その女性の日本語の解説を聞きながら、私は、初めて訪れたソウルを見て廻ったのでした。


私たちを乗せたマイクロバスが最初に訪れたのは、南山公園の有る丘でした。そこには、安重根の銅像が有り、彼の書を展示した記念館も有りました。その南山公園で、安重根の銅像の下に立った私は、冬の青空の下、何処か遠くを見つめるその安重根の姿をじっと見つめて居ました。


すると、ツアーの参加者の中で、ただ一人、安重根の銅像の下でじっと彼を見上げる私に何かを感じたその通訳の女性が、私に近ずいて来ました。そして、カメラを持って居る私に、「御撮りしましょうか?」と言ってくれたので、ソウルの朝の冷気の中で、私は、安重根の銅像の下に立つ自分の写真を撮ってもらひました。


その時の写真を見ると、当時のあの冷たい空気と、そこで吐いた自分の白い息を思ひ出します。そして、当時の自分が抱いて居た韓国と安重根に対する思ひをも思ひ出します。


当時、私は、安重根をとても尊敬して居ました。私が、彼を尊敬して居た理由は、その韓国旅行の数年前、私が読んだ小室直樹氏の著書『韓国の悲劇』の影響による物でした。小室氏は、1980年代の、まだ、日韓の「過去」に対する軋轢が強かった時代に、この本(『韓国の悲劇』)を発表して、日本の朝鮮統治再評価しようとして居ました。これは、当時としては勇気有る問題提起でしたが、その一方で、小室氏は、安重根を非常に高く評価して居ました。この本の内容について、ここでは深入りはしませんが、そんな小室氏の本を読んだ事から、当時の若い私は、安重根にとても深い尊敬の気持ちを抱いて居たのでした。


(小室直樹著『韓国の悲劇』カッパブックス)
          ↓
http://www.amazon.co.jp/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E2%80%95%E8%AA%B0%E3%82%82%E6%9B%B8%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E5%B0%8F%E5%AE%A4-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4334011853/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1256726313&sr=1-1


今、思へば、あの通訳の女性は、何も言はずに安重根の銅像を見つめて居た私に何かを感じて、声を掛けて来た様な気がします。恐らく、多くの日本人観光客は、ソウルの市内ツアーの最初に安重根の銅像が有る南山公園に行くと言ふ事の意味も余り分からなかったのではないかと思ひます。そして、安重根の銅像を見ても、特別関心を覚えない人が大部分だったのではないか?と思ひます。そんな日本人観光客の中で、当時の私は、ちょっと目立ったのかも知れません。



あれから、23年が経ちました。そして、今、伊藤博文暗殺から100年を迎えた韓国からの報道を読むと、私は、非常に複雑な気持ちがします。


先ず、23年前の私は、近現代における日韓の歴史について、非常に皮相な理解しか持ち合はせて居ませんでした。小室直樹氏の本(『韓国の悲劇』)に書かれた、日本の朝鮮統治の肯定的側面について気付き始めては居ましたが、それでも、若い頃からマスコミによって吹き込まれて来た日本の朝鮮統治=悪と言ふ観念から抜け出せないで居ました。だからこそ、当時は、安重根をあれほど尊敬して居たのですが、今思ふと、安重根が、日韓併合に反対して居た伊藤博文を狙撃した事の矛盾について、私は、はっきりとした自分の考えを持って居ませんでした。



考えれば考えるほど、安重根の行為は奇妙です。日韓併合を推進した小村寿太郎を狙撃したのなら分かります。しかし、日韓併合に反対した伊藤博文を狙撃したと言ふのは、全く持って不可解です。そして、彼がこの様な不可解な行動を取った背景にこそ、伊藤博文暗殺の背景に有る歴史の闇が有るのかも知れません。


そもそも、安重根は、確かに、ハルビン駅で伊藤博文を狙撃はしたものの、近年、伊藤博文の生命を奪ったのは、別の狙撃手の弾丸だったとする研究書が発表され、安重根がこの事件で果たした役割は、ダミーであったとする見方が提出されて居ます。
          ↓
(大野 芳(著)『伊藤博文暗殺事件/闇に葬られた真犯人』(新潮社))
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103904054/ref=cm_rdp_product_img




多分、そうなのだと思ひます。そう成ると、一体、安重根は何の為に伊藤博文を(ダミーとして)狙撃し、捕らえられ、処刑されたのか?と言ふ、根本的な問ひに行き着くのですが、伊藤博文暗殺100年に関する韓国からの報道を見る限り、韓国人は、この最も根本的な問題--安重根は何故、伊藤博文を狙撃したのか?--の再検討に全く取り組んで居ない様に思はれます。事実を検証しようとしない韓国人の性癖が、この事例にも現れて居る事は、残念極まり無い事と言はざる得ません。



一方、暗殺された伊藤博文は、この国(朝鮮=韓国)に対して、どの様な思ひを抱いて居たのでしょうか?その事について、幼少時を日本統治下の朝鮮で過ごした或る日本人は、以下の様に考察して居ます。



-----------------------------------------------------------------


 戦前、戦中、いわゆる非常時の時代に行き過ぎがあったことは認めなければならないが、私の実見した斎藤総督時代の朝鮮統治はそれなりに良質であった。事には依って来たる由来と事情がある。今日南北朝鮮の人たちの日韓併合以来の日本の行動に対する感情的反発は激しい。その気持ちは分からないではないが、併合当時の事情もまた客観的に捉える必要があろう。韓国統監伊藤博文は朝鮮併合には当初反対していた。これには彼の書簡が残っている。併合を主張したのは外務大臣小村寿太郎であった。なぜ伊藤が不賛成で小村が賛成であったのだろうか。ここには今日十分に検討すべき問題が潜んでいる。
 朝鮮をよく知っていた伊藤はその書簡に、国を愛する者が幾人かでもいれば朝鮮が亡国することはないのだが、と書いている。併合後幼少の元李王世子垠を東京に移すときには、彼は文字通り手を引いて歩いた。維新廃藩に当事者として立ち会った彼には、想い深いものがあったのではないか。日清・日露戦争時代の朝鮮事情を書いた新聞記者や成書、そして写真は今日これを見ることができるが、当時の漢城(ソウル)の乱脈の状況は日本人の想像を遥かに超えたものだった。政治も物理的環境も、韓国統監府は政治、行政、厚生の改革、改善に日本人一流の能率で取り組んだ。これによって中世的停滞と汚辱に塗れた「大韓帝国」は。それまで依怙地に拒否していた近代化に踏み出したのである。今日の朝鮮があるのは総督府政治による上からの社会、政治、精神革命があったからだ。このことは台湾でも同じで、評論家・黄文雄氏はこれを痛論している。朝鮮人士の日本統治批判は、自己の事態を冷静客観的に看る力の欠落を語るのではないか。
 併合の文言、そして明治帝のご意志に沿って、皇室典範に王族を設け李王家を立てた。私の見聞したところでも李王家は丁重に遇されていた。もとより立場によって見方が異なるのは当然だが。
 ここで注意しておくが、私は当時の日本の対韓政策ないし施策がすべて当を得ていたと主張しているのではない。後知恵だが、おそらく併合せず統監府政治を残して、現地人の成熟を気長に謀った方が良かったのではないか。だがそれができなかった事情も考えなければならない。伊藤と小村の対韓政策の当初の違いは、この二人の世界支配中枢のデザインと力に対する認識の違いにあったと現在の私は考えている。当時も今日も世界の政治・経済を人知れず確実に誘導しているのはこれである。鹿鳴館を取り仕切った伊藤は親露政策を取りつつも、この世界勢力についての認識に甘いところがあった。小村はポーツマス会議に出た外交官として、国権派として、この世界勢力の現実と日本への危険を知っていたのではないだろうか。

(馬野周二著『朝鮮半島の真実』フォレスト出版・2000年 64~66ページより)


-----------------------------------------------------------------

(馬野周二著『朝鮮半島の真実』フォレスト出版)
           ↓
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%AD%82%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%AD%82-%E9%A6%AC%E9%87%8E-%E5%91%A8%E4%BA%8C/dp/4894510944/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1256726478&sr=1-1


馬野氏のこの文章を読んで私が確信する事は、伊藤博文は、朝鮮を愛して居たと言ふ事です。



23年前、初めて韓国を訪れた時の自分には、それが分かりませんでした。そして、韓国人の大部分は、23年前の私と同様、今もそれが分からないのだと思ひますが、私は、伊藤博文は、朝鮮を愛し、朝鮮の未来を心から憂いて居たと確信します。



一方の安重根も、もちろん、朝鮮(=韓国)を愛して居たと思ひます。(安重根は、同時に、日本を愛して居ました。安重根は、戦後の韓国人が思って居る様な反日思想の持ち主ではありません。)その意味では、ダミーであったとしても、安重根が伊藤博文を狙撃した100年前のあの事件は、立場は違ひますが、朝鮮を愛した二人の人間が生死を賭けて対峙せざるを得なかった悲劇だと言ふ事が言へます。例えて言ふなら、アンジェイ・ワイダ監督の映画『灰とダイヤモンド』の様な出来事だったと言へなくはないと、私は、思ひます。



この事件の真の悲劇性は、そこに在ると、私は思ひます。



同時に、伊藤博文が朝鮮(=韓国)について書き遺した観察の中に、100年が経って、今も全く変はらないと、思ふ事が有ります。それは、伊藤博文のこの観察です。



-----------------------------------------------------------------

 朝鮮をよく知っていた伊藤はその書簡に、国を愛する者が幾人かでもいれば朝鮮が亡国することはないのだが、と書いている。併合後幼少の元李王世子垠を東京に移すときには、彼は文字通り手を引いて歩いた。維新廃藩に当事者として立ち会った彼には、想い深いものがあったのではないか。

(馬野周二著 同上より)


-----------------------------------------------------------------



私も、全く同感です。韓国人(=朝鮮人)は、韓国(=朝鮮)を全く愛して居ません。


そう言ふと、皆さんの中には、韓国人の過剰なナショナリズムを指摘して、私や伊藤博文の観察に疑問を唱える方もおられるに違い有りません。しかし、私は、伊藤博文に同感です。韓国人(=朝鮮人)は、自国を愛して居ないと、私は思ひます。



韓国人は韓国を愛して居ない。--この事に気が付いて居る日本人は、少ない、と私は思ひます。





2009年10月28日(水)




                 西岡昌紀

http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokamasanori/
http://mixi.jp/edit_diary.pl?id=1322659694
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/220.html



(関連する日記です)
    ↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1095339310&owner_id=6445842

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1145079711&owner_id=6445842


-----------------------------------------------------------------



■伊藤博文暗殺から100年、韓国で記念式典
(読売新聞 - 10月27日 00:17)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1001597&media_id=20

伊藤博文暗殺から100年、韓国で記念式典
(読売新聞 - 10月27日 00:17)


 【ソウル=森千春】韓国の独立運動家、安重根(アンジュングン)が日本の政治家、伊藤博文をハルビン駅で暗殺して100年にあたる26日、ソウルで韓国政府主催の記念式典が行われた。


 鄭雲燦(チョンウンチャン)首相や独立運動家の遺族ら約1200人が参席し、鄭首相は、暗殺事件が「民族の独立の意志を世界中に知らせた」と意義づけ、安重根を「民族の魂の表象だ」とたたえた。


 安重根は韓国で、日本の植民地主義に抵抗した人物として英雄視されており、暗殺事件は「義挙」と呼ばれている。ソウルでは今月に入って安重根を主人公としたミュージカル公演や学術会議、遺墨展などの関連行事が続いている。ただ、国民の反応は冷静で、ブームや反日感情の高まりは見られない。


 有力紙では、安重根が事件後、獄中で書き始めて未完成に終わった「東洋平和論」や裁判所での主張に着目し、「東アジア共同体」論の先覚者としてとらえる記事が目立つ。朝鮮日報は26日付の社説で、安重根は、韓国、中国、日本が「弱肉強食」の帝国主義を超克し、共同繁栄する道を追求したと評価。「3国共同銀行」の設立など具体的な提案をしていたと指摘した。





意見の違いは有るが、石原新党には期待する。



石原都知事の決断に拍手する。原発、TPP、外国人労働者の問題については、石原氏と意見を異にするが、石原都知事は愛国者だ。見解の違いが有っても、支持出来る政治家なので、石原氏の新党立ち上げは歓迎する。頑張って欲しい。


推進派の真ん中で反原発を叫ぶ--月刊ウィル11月号増刊に西岡が寄稿

*
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1875256338&owner_id=6445842



本日(2012年10月10日(水))発売の月刊ウィル11月緊急増刊号(「原発ゼロ」でいいのか)に、医師であり、反原発派である者の立場から一文を寄稿しました。



私の記事は、「ここが変だよホルミシス論争」です。
        ↓
http://web-wac.co.jp/magazine/will/201211w_sp
(クリックして下さい)




内容は、低線量放射線は、人体に対して有益だとする、言はゆる「ホルミシス理論」のおかしな点を臨床医の視点から指摘、批判した記事です。



記事の題名、小見出し、及び写真のキャプションは、編集部がつけた物で、若干、私の原発に対する姿勢とは異なる部分も有りますが、本文は、完全に西岡が執筆して居ます。



ウィルは、基本的に原発支持派に近い立場を取る雑誌ですが、反原発派の私に、25ページにわたる長大な記事を寄稿する機会を与えて頂きました。出来あがったこの増刊号を見ると、反原発派の論者は、私と小出裕章先生だけで、後の論者は、皆さん、原発支持派の方達の様です。反原発派である私に、この様な長大な記事を執筆する機会を与えて下さった花田紀凱同誌編集長の御高配に深謝致します。



(小出先生と御一緒出来た事は望外の光栄ですが、小出先生以外の執筆者、座談会・対談の参加者の発言を読むと、あらためて、原発推進派の厚さを感じます。)



これだけ推進派の論客が並んだ中で、反原発派がこの様な長大な記事を書く機会を得た事は珍しいのではないかと思ひます。原発に賛成する方にも、反対する方にも、お読み頂けたら幸いです。






平成24年(西暦2012年)10月4日(木)





         西岡昌紀(内科医・反原発派)





(広告ボイコットは御遠慮下さい)





 
(以下に記事の一部を引用します)
--------------------------------------------------------


 どちらが正しいかは別として、低線量放射線の危険を指摘する報告は多数、存在します。それに対して、「放射線ホルミシス効果」を信奉する論者たちは、当然というべきか、論敵であるそうした低線量放射線の危険を指摘する論者たちの報告や見解をほとんど一蹴しています。『低量放射線は怖くない』(遊タイム出版・二〇一一年)を書かれた中村仁信氏などは、そうした論敵の論文や見解に比較的良く言及し、批判しておられます。しかしこの本も、そうした反対意見への言及が十分ではありませんし、あとで述べるように、言及を避けているのではないか?と思われる重要な報告もあるのです。
 低線量放射線の危険を指摘する論者たちの見解を批判するのは、もちろん自由です。しかし、こうした複雑な問題を論じる一般読者向けの本において、自分たちと反対の立場の見解があることを十分に語らず、自分たちの見解だけを一方的に「多数派」ででもあるかのように紹介するという手法は、科学者が普通の人々に語り掛ける姿勢として適切なものでしょうか?
「放射線ホルミシス」支持派の人々の見解に反して、低線量放射線が、やはり人体に対して危険を孕むものだとする研究は、とにかくたくさんあります。ほんの一例ですが、たとえばこんな見解も存在します。


「環境放射線からの線量と同じ程度の非常に低い線量では、健康に対する影響などないに違いない、という期待さえ持たれていた。環境放射線の年間線量の五百~千倍である〇・五~一シーベルトという安全閾値が存在していると思われた。(中略)その後、英国のオックスフォード大学の医師アリス・スチュワート(Alice Stewart)の調査によって、非常に低線量の放射線にも問題があるということが最初に指摘された。
 第二次世界大戦以来、英国では小児白血病の異常な増加が起こっていた。彼女は英国政府の保健当局の援助を得て、こどもを白血病で亡くした母親のグループとその対照グループに数百枚のアンケート用紙を送った。
 スチュワートが驚いたことには、2つのグループとも家族歴にベンゼンその他の化学物質への接触の機会への差異はなかったが、妊娠中に二~三回診断用X線の照射を受けた女性は、対照グループの女性に比べて10歳未満の子供を白血病で失った数が2倍もあったことが、一九五八年の『イギリス医師会雑誌』(British Medical Joural)に掲載された(中略)」

「一九七〇年までに、スチュワート医師は彼女の研究を大きく発展させていた。『ランセット(Lancet)誌』に発表されたその研究結果は、安全なしきい値に関する証拠はなく、撮影されたX線の回数に従って、直接リスクが増加することを示した。それはまた、死の灰有害説と原発からの秘密裏の放射能放出への憂慮を後押しするものだった。
 さらに、女性の数%が妊娠の最初の三カ月にX線を受けていたことから、スチュワート医師は、そのような妊娠初期の被曝は、出産直後前の被曝より十倍から十五倍もリスクが高いことを発見していた。
 このことは、おおよそ環境放射線の年間線量と同等か、あるいは〇・五~一ミリグレイの少線量でも、小児ガンと白血病のリスクを倍加するのに十分で、この線量は広島・長崎の被爆者の調査から考えられた倍加線量の千倍も少なかった」(ラルフ・クロイブ、アーネスト・スターングラス著。肥田舜太郎、竹野内真理訳『人間と環境への低レベル放射能への脅威』あけび書房・二〇一一年、三十一~三十三ページ:アーネスト・スターングラス[ピッツバーグ大学医学部放射線科名誉教授]による序章より引用)


 これはもちろん、そうした低線量放射線の危険性を指摘する見解の一つに過ぎません。こうした見解を批判するのは、もちろん自由です。しかし、とにもかくにも、このように低線量放射線の危険性を指摘する論者はいるのです。
 ですから、正しいか正しくないかは別として、スチュワート医師のような報告者やスターングラス教授のような論者に対して、「放射線ホルミシス」派の論者はとにかく言及し、反論してみせるべきです。しかし私が読んだ限り、「放射線ホルミシス」派の本は、こうした自分たちの見解と異なる見解への反論を十分していません。
 現に福島第一原発の事故のあと、書店に並んだ「放射線ホルミシス」派の本のなかに、スチュワート医師がランセット誌上で発表したこの研究やスターングラス教授のこうした見解に言及、反論した本は見当たりません。これでは論争ではなく、自分たちに都合の良い研究だけをとりあげて低線量放射線の医学的効果を論じていると言われても、仕方がないのではないでしょうか。

(西岡昌紀「ここが変だよホルミシス論争」(月刊ウィル・2012年11月号増刊228~252ページ)239~241ページ)

------------------------------------------------------




「従軍慰安婦問題」の真実

*
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5977866.html

(2012年10月05日ミクシイ日記)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1874364438&owner_id=6445842



 次の記事をお読み下さい。これは、第二次世界大戦の末期に、或るドイツ人親子に起きた出来事です。



--------------------------

 あれから半世紀がたった今でも、ヒルデガルド・ブーブリツは、恐怖の記憶におののいている。家族とともに東プロシアを逃げ出したときの体験だ。
 ある夜のこと、ブーブリツは家族や仲間と民家の地下室に隠れているところをソ連兵に見つかった。ソ連兵たちはまず、腕時計を巻き上げた。次に欲しがったのは、女だった。
「私たちの中に女性教師がいた。四五歳で男性経験のない人だった。」と、ブーブリツは語る。
「彼女は、一○人のソ連兵にレイプされた。血に染まった下着姿で戻ってくると、大声で泣き叫んだ」
 この教師の母親は、娘を抱きかかえてこう言ったという。--「私がカミソリの刃を持っているから」。
 そして、親子は外に出ていった。「二人は森の中で死んでいた」と、ブーブリツは言う。

(アンドルー・ナゴースキー「終戦後の『民族大虐殺』」ニューズウィーク日本版1995年5月17日号42ページより)

-----------------------------


 一体、この親子が、何をしたと言ふのでしょうか?


 第二次大戦末期、ドイツに侵入したソ連軍が、占領したドイツの町々で、子供や老人を含む多くのドイツ人女性を強姦、輪姦した事は、有名な事実です。首都ベルリンをはじめ、ドイツ東部のあらゆる地域で、ソ連軍の兵士たちは、ドイツの女性たちを徹底的に強姦しました。その中には、例えば、こんな事例すら有ったのです。


-------------------------------

 ドイツでは、老女から四歳の子供にいたるまで、エルベ川の東方で暴行されずに残ったものはほとんどいない、といわれている。あるロシア人将校は、一週間のうちに少なくとも二百五十人に暴行されたドイツ人少女に出会いさすがに愕然とした、という記録が残されている。

(半藤一利「ソ連が満州に侵攻した夏」文藝春秋社・1999年 274ページより)

------------------------------


 これは、記述からお分かり頂ける通り、加害者であるソ連側が記録した事例です。そのソ連側の記録で、一人の少女が、「一週間のうちに少なくとも二百五十人(のソ連兵)」に強姦されたと報告されて居るのです。
 そして、これは、ソ連に占領された地域で起きたソ連兵による数え切れない数のドイツ人女性に対する強姦、輪姦のほんの一つに過ぎないのです。


 そうしたドイツ東部で起きた無数の悲劇の中で、私は、こんな恐ろしい事例が有ったと読んだ事が有ります。それは、ドイツ東部の或る町で、その町を占領したソ連軍が、その町のドイツ人女性たちを教会に集め、その教会の中で、それらの女性たちを強姦、輪姦したと言ふ事例です。
 教会の中で、です。皆さんは、その情景を想像できるでしょうか?キリストやマリアの像が有る教会の中で、そんな恐ろしい事が起きたのです。

 私は、キリスト教徒ではありません。しかし、この話を読んだ時、私は、衝撃を受けずには居られませんでした。


 戦時下、占領軍によって被占領地の女性が性暴力の犠牲に成る事は、ソ連軍以外の軍隊にも有った事です。ドイツ軍自体にも有りましたし、日本軍にも有りました。しかし、古代や中世を別とすれば、19世紀以降の世界史において、第二次世界大戦末期に、ソ連軍が、ドイツと満州で行なった集団強姦ほど大規模で残虐な事例は、他に無かったと断言して間違い有りません。沖縄でアメリカ軍が繰り返した性犯罪もひどい物でしたが、それすら、ソ連軍が、大戦末期、ドイツで繰り広げた強姦や輪姦に較べれば、較べ物に成らない程、ソ連軍のドイツでの性犯罪はひどい物だったのです。この時期(1945年春)、ソ連軍に占領されたエルベ川東部では、強姦されなかった女性は居なかった、とすら言はれる程、それは酷い物だったのです。(特に、それらの強姦犠牲者の中に、どれだけ多くの幼児が居たかを思ふと、鳥肌が立ちます。)



一方、言はゆる「従軍慰安婦問題」はどうなのでしょうか?


驚かずに、次の記事をお読み下さい。



----------

『サピオ』2007年5月9日号
「アメリカ人にもわかる『従軍慰安婦問題』の基礎知識」
(同誌編集部)より


Q.慰安婦たちの証言はウソ?


 メディアの前で泣き叫びながら、自らの不遇を訴える元慰安婦たちの証言はどこまで信用できるのか。
 前述した金学順さんの場合、実際に慰安婦だったことは確かなようだが、証言に論理的矛盾があることは吉見教授も認めている。
 韓国で慰安婦問題の告発を行なっている「挺身隊問題対策協議会」が、元慰安婦として登録された女性40名に聞き取り調査を行なったところ、21名が自ら進んで慰安婦となっていた。残る19名が自分の意志に反して強制的に慰安婦にさせられたと証言し、同協議会はその証言集を出版したが、内15名は家が貧しかったために親に売られた書かれている。残った4名の内2人は富山と釜山に強制連行されたと主張しているが、どちらも戦地ではないので軍隊の慰安所ではなく、送られたのは普通の売春街であったと考えられる。残る2名が、金学順さんと貯金返還訴訟を起こした文玉珠さんで、文さんも最初の頃は「養父に慰安所に連れていかれた」と言っていたはずなのに、証言集では「日本軍将校に連行された」と証言を変えており、信憑性に疑いが残る。つまり、韓国側の調査でも、「強制連行された従軍慰安婦」の実在を確認できなかったと言える。
 米下院では2人の韓国人女性が証言した。その内の1人、李容スさん(17ページ写真)は、証言するたびに連行された場所や年齢、状況、慰安所のあった場所が二転三転し、まったく証言に一貫性がないことで有名で、本当に慰安婦だったのかさえ疑われている。もう一人の金君子さん(同写真)も、公聴会で「警官に家を出てお金を稼がなくてはならないと言われた。軍服を着た朝鮮人が私を送り出した」と証言したが、別のインタビューでは、「17歳のときボーイフレンドとの結婚を彼の両親から反対され、不本意ながら日本に性奴隷として招集され、中国に連行された」と述べている。
 時と場所により変化する証言を米下院は証拠として採用するつもりなのだろうか。
 親に売られた女性に対して同情心を感じるのは人として当然のことだが、だからといって旧日本軍の戦争犯罪と結びつけるのは間違いである。


サピオ(SAPIO)2007年5月9日号
19ページより


---------


「従軍慰安婦問題」とは、実は、こんな話でしかないのです。



その一方で、韓国人は、第二次大戦後、朝鮮や、日本国内で、多くの日本人女性を強姦して居ます。更には、ベトナム戦争中、ベトナムに派遣された韓国兵は、多くのベトナム人女性を強姦し、殺害して居ます。それにも関はらず、自分たち(韓国人)がやった日本人やベトナム人の女性に対する性暴力には口を閉ざし、「従軍慰安婦の強制連行」などと言ふ作り話をいつまでも、いつまでも、しつこく叫び、日本の子供達にまで嫌がらせを続けて居るのです。



以下に御紹介するのは、韓国人が自ら述べるベトナム戦争中の韓国軍の行為です。



-------------------------------------------

 大東亜戦争期に日本の軍人が残酷だったという点は十分にうなずける。だが、韓国と中国が機会さえあればそういう軍人の行為を戦争犯罪だと非難するのはおかしな話だ。これは、それが犯罪であるかないかの問題ではなく、「糞まみれの犬が糠(ぬか)まみれの犬を汚いと咎(とが)める」(目糞鼻糞を笑うの意)たぐいのことなのである。
 韓国の場合、アメリカからいくばくかのお金を与えるといわれて、なんの関係もないベトナムに軍隊を送ったあげく、無この良民を見分けることができず虐殺したのはわずか三〇余年前のことだ。当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。ベトナムでは「タイハン」(韓国軍のこと)がきたといえば泣いていた赤ん坊もぴたりと泣き止んで、恐怖に震えたという話が伝わっている。また韓国兵は幼い子どもらにアメをやるといって呼びよせ、悪戯半分で撃ち殺したともいう。このように韓国軍の残虐さを記録した資料は計りしれないほどある。ベトナムの人びとは韓国軍に抹殺された村ごとに碑を建て、「タイハン」の残虐行為を忘れまいと誓いあっている。米軍はベトコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中に韓国軍が虐殺したベトナム人は三〇万人をこすと推定されている。
 「遠くでタイハンが私たちを呼んで手まねきした。かれらは手にアメを一握りもっていたので、私たちはわれ先にもらおうと走っていった。しかし私たちが近ずくと、アメをもっていたタイハンは笑いながら銃をとるや、いちばん先に走ってきた子どもの頭めがけて引き金を引いた。そうやって先にいった子どもが三、四人死んだ。私は殺されると思って逃げた。あれが果たして人間なのかと身震いしながら走った。私たちは、大きくなったら必ず韓国からきたあの悪魔に復讐するのだとなんども約束した」
「後輩のひとりが今年軍隊を除隊しました。後輩の話によれば、彼の部隊長は、ベトナム戦争のときに自分の部隊が村を丸ごと焼き払い、住民を撃ち殺したと自慢げに語っていたということです。かれらは修道女まで殺したそうです」
 この種の証言は、ベトナムでも韓国でも何人かに尋ねてみれば聞きだすことができる。たぶん軍隊生活の経験がある韓国の男性なら、ベトナム参戦軍人から数多く聞いていることだろう。いまとなってはそれほど驚くほどの内容ではない。

(金完燮著 荒木和博+荒木信・訳 『親日派のための弁明』
 (草思社・2002年)44~45ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E6%97%A5%E6%B4%BE%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%BC%81%E6%98%8E-%E9%87%91-%E5%AE%8C%E7%87%AE/dp/479421152X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1344678660&sr=1-1


---------------------------------------


ソ連軍や、韓国人自身が行なった性暴力は不問に付されて居ます。その一方で、何の証拠も無い、「証言」に一貫性の無い「従軍慰安婦の強制連行」は、いつまでも、いつまでも、大々的に取り上げられ続けて居ます。





平成24年10月5日(金)





                  西岡昌紀



--------------------------------------------

NYタイムズスクエア広場に慰安婦謝罪要求広告が登場
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=56&from=diary&id=2177528

NYタイムズスクエア広場に慰安婦謝罪要求広告が登場
中央日報 - 10月05日 09:20


3日(現地時間)米国、ニューヨークのタイムズスクエア広場に日本軍慰安婦強制動員に対する日本の謝罪を促す大型広告が設置された(写真=徐敬徳教授)。


3日(現地時間)米国、ニューヨークのタイムズスクエア広場に日本軍慰安婦強制動員に対する日本の謝罪を促す大型広告が設置された。
歌手キム・ジャンフン氏が設置費用を出し、徐敬徳(ソ・ギョンドク)教授が企画したこの広告は縦・横15メートルの大きさで、12月末まで3カ月間掲載される予定だ。広告に使われた写真は西ドイツのヴィリー・ブラント首相が1970年12月7日ポーランド、ワルシャワ戦争犠牲者碑石の前でひざまずいて謝罪する姿だ。広告文句は「DO YOU REMEMBER(覚えていますか?)」で始まり「ドイツのヴィリー・ブラント首相がポーランドで謝罪したことによってヨーロッパの平和に大きく寄与した。
2012年韓国の日本軍慰安婦被害者は依然として日本の心からの謝罪を待っている」と書かれてある。キム・ジャンフン氏はこの日、自身のme2dayに「保険金まで崩したが、私が少し力不足で通り側を確保できなかったが場所はまあまあだ」という文を残した。



記事検索
プロフィール

西岡昌紀

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ