西岡昌紀のブログ

内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。

2015年03月

マルコポーロ廃刊事件から20年(23)

*




その1994年(平成6年)の始めの事です。



都内の書店で、私は、一冊の本に出会ひました。それは、『湾岸報道に偽りあり』と言ふ題名の本でした。



内容は、この題名が示す通り、あの湾岸戦争(1991年)の際の報道を徹底的に検証する物でした。



著者は、木村愛二と言ふジャーナリストでした。



それまで全く名を知らない人でしたが、経歴からは、左翼リベラル的な人であることが窺(うかか)はれました。



その時、私の目を引いたのは、その本の表紙でした。それは、あの湾岸戦争(1991年)の際、私に強烈な印象を与えたあの油まみれの水鳥の絵だったのです。
             ↓
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(クリックして御覧下さい。)




私は、その表紙に目を奪はれました。そして、思はず、その本を手に取りました。そして、立ち読みをすると、その本は、あの湾岸戦争の際に、私が抱いた問題意識と共通する問題意識で書かれた本である事がわかりました。特に、私は、その本の次の箇所に目をとめました。



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「ナチス・ドイツによる大量虐殺についても、数字の誇張ありという疑問が出されている。『ユダヤ人』自身の中からさえ『シオニストの指導者がナチ政権と協力関係にあった』という驚くべき告発がなされている。事実、第二次大戦がはじまるまでのナチ政権は、『ユダヤ人』に対して差別と同時に『出国奨励策』を取っていた。財産の大部分を没収するなどの迫害を伴う政策だったが、それでも狂信的なシオニストは、迫害をすら、パレスチナ移住を促進する刺激として歓迎したというのだ。(中略)シオニストの『被害者スタンス』には、かなりの誇張と巧妙な嘘、プロパガンダが含まれているらしい。『選民思想』も克服されていないどころか、一部では、さらに狂信の度を加えている。しかも、批判者には、『極右』武装集団による脅迫、殺人に至る暴行傷害が加えられた事実さえ報告されている」

(木村愛二(著)『湾岸報道に偽りあり』(汐文社・1992年)より)
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書店で、この本のこの箇所を読んだ時、私はとても驚きました。



皆さんは、イスラエルを建国したシオニストの指導者たちが、ユダヤ人を差別・迫害したナチスと協力関係を持って居た事を御存知でしょうか?



驚かれると思ひますが、ドイツでナチスが台頭し始めた1930年代から第二次大戦中まで、ナチスとシオニストたちの間には、一定の協力関係が有ったのです。ユダヤ人国家の建国を求め、戦後、実際に、パレスチナにイスラエルと言ふ新しい国を建国したシオニストたちと言へば、ナチスとは不倶戴天の敵同士であったと思って居る方が多いに違い有りません。実際、一面においては、確かに「敵」同士だったのですが、その一方で、その不倶戴天の敵同士であった筈のシオニスト指導者たちとナチス指導部の間には、実は、隠れた協力関係が有ったのです。



「そんなバカな!」と思ふ方もおられる事でしょう。しかし、これは本当です。何故、シオニストとナチスの間に協力関係が有ったかと言ふと、20世紀前半、ヨーロッパのユダヤ人の間では、実は、シオニズムには人気が無かったからです。シオニストたちが、「ユダヤ人の為の新しい国を作ろう」と呼びかけても、ヨーロッパで豊かな暮らしをして居たユダヤ人達は、ヨーロッパ以外の土地に移住する気など起こさなかったからです。つまり、シオニストたちの呼び掛けに応じて、ヨーロッパから出て行こうとするユダヤ人は、余りにも少なかったのです。



その事に焦りを感じたシオニストたちは、実は、ナチスの台頭を歓迎したのです。これには、例えばシオニスト指導者の一人ヨアヒム・プリンツが書いた文章などが証拠資料として挙げられますが、ユダヤ人の間で人気の無かったシオニズムは、1930年代、ナチスが台頭した事で、やっと、ユダヤ人の間の支持を拡大する事が出来たのです。



一方、ナチスの側は、ユダヤ人をヨーロッパから追放したいと思って居ました。ですから、そのユダヤ人をヨーロッパからパレスチナに移住させようとするシオニストたちの運動は、ナチス指導部にとっては好ましい物だったのです。




そうした事から、ナチスとシオニストは、ユダヤ人をパレスチナに移送する為の協定まで結んで居ます。驚く型もおられると思ひますが、これは、少し調べればすぐに確認できる史実です。



しかし、こうしたナチスとシオニストの間の協力関係が、日本のマスコミや出版物で語られる事は非常に稀です。



私は、1987年頃からこの事を本で読み、知って居ましたが、当時も今も、ナチスとシオニストの間の協力関係について知識の有る日本人は極めて稀です。



ところが、1994年の始め、私が、偶然手にしたこの本の中で、著者の木村愛二氏は、そのシオニストとナチスの協力関係に言及して居たのです。



これを読んだ時、私は、木村愛二氏が、この極く一部の人しか知らない史実を知って居る事に驚きました。そして、その時、「このジャーナリストなら、『ホロコースト』の事実関係に、実は、疑はしい点が多数有ると言ふ私の話を理解しくれるのではないか?」と思ったのでした。



そして、私は、この本の著者、木村愛二氏の電話番号を調べて、電話を掛けたのでした。



(続く)






2015年(平成27年)3月31日(火)


西岡昌紀(にしおかまさのり)






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マルコポーロ廃刊事件から20年(22)


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その私が、ひょんな事からマルコポーロに記事を執筆する事に成るのは、1994年(平成6年)の事でした。



この年、私は、新聞で気に成る報道に接しました。



それは、ドイツで、「ホロコースト」に関する言論規制が強化されると言ふニュースを伝える記事でした。



ドイツには、それ以前から、言論規制が有りました。しかし、この年に入り、誰かが「ホロコースト」について、何か否定的或いは懐疑的な発言をすると、それを法律で罰する規制が強化され、禁固刑に処せられると言った言論規制の強化が報道されたのです。



しかも、私が非常に気に成った事は、ドイツにおけるこうした言論規制の動きを、日本のマスコミが好意的に報じた事だったのです。



これは、恐ろしい事です。歴史上、何が事実であり、何が事実であったかは、自由な言論によって結論が出されるべきなのに、それを法律で規制すると言ふのです。そして、そんなドイツでの動きを日本のマスコミは批判しないのです。



1994年に報道されたこの動きに、私は、すぐに、その理由が分かりました。



言ふまでも有りません。「ナチのガス室」が存在した証拠は何も無いからです。又、第二次大戦中、ドイツがユダヤ人を差別、迫害し、収容所に収容した事は明白な事実ですが、そのドイツと言へど、ヨーロッパの全ユダヤ人を「絶滅」させようとした証拠は有りません。そうした事が、徐々に露呈しつつあったので、ドイツは言論規制を強化したのです。「ガス室」が存在した証拠は何も有りません。「ユダヤ人絶滅計画」が存在した証拠も皆無です。だから、法律で言論規制をしなければ、「ナチのガス室」や「ユダヤ人絶滅計画」と言った神話を維持する事が出来無く成ったのです。



それが、ドイツが「ホロコースト」に関する言論規制を強化した理由だと、私には、分かりました。



それは、お話しして来た様に、1989年にニューズウィーク日本版のあの記事を読んで以来、私は、少しずつですが、英文の文献を集め、勉強した結果、「ホロコースト」の事実関係には疑はしい点が多々存在する事を普通の日本人が知らないレベルまで知るに至って居たからです。



だから、私は、1994年にドイツで強化された「ホロコースト」に関する言論規制の強化の理由が、すぐに分かったのです。



ところが、日本の新聞やテレビは、ドイツにおけるこうした言論規制の動きを肯定的に報道するのです。



これは、言論の自由の危機が日本にも忍び寄って居る事を意味して居ないか?と、私は思ひました。



私は、言論の自由は守られなければならない、と言ふ気持ちはとても強い人間です。



ですから、私は、こうしたドイツでの言論規制強化の動きとそれを肯定的に報じる日本のマスコミに、強い危機感を抱いたのです。



自分で何かを書こうとは思ひませんでした。しかし、日本のマスコミが、ドイツでの言論規制を批判するどころか賞賛する傾向が感じられた事に危機感を持った私は、誰か、この問題を取り上げるジャーナリストは居ないだろうか?と考えました。そして、そのジャーナリストに、自分が集めた英語の文献の一部を提供したら、言論の自由を守ると言ふ点で、自分が役に立てるのではないか?と思ったのでした。



(続く)





マルコポーロ廃刊事件から20年(21)

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ロ師「憎悪というものはね、そう簡単に命令して植えつけるわけにいかんですよ。(中略)敵に対して戦う意味を見出すには、憎悪を抱かせなければならない。社説、ニュース、いかにも本当らしい話、その他あらゆることを動員して、頭のいい、筆の立つ記者達の協力で、憎悪を少しずつ盛り上げていくんです。民主主義の国では、納得のいく話でなければ憎悪を作り出すことはできません。しかし、こわいのは、そうやってつくられた憎悪なり、偏見なりはなかなか消えないんですね。」


(ヨゼフ・ロッゲンドルフ/加藤恭子『和魂・洋魂--ドイツ人神父の日本考察』(講談社・1979年)70~71ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E5%92%8C%E9%AD%82%E3%83%BB%E6%B4%8B%E9%AD%82%E2%80%95%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BA%BA%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%80%83%E5%AF%9F-1979%E5%B9%B4-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E6%81%AD%E5%AD%90/dp/B000J8ELDA/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1426250875&sr=8-1&keywords=%E5%92%8C%E9%AD%82%E3%80%80%E6%B4%8B%E9%AD%82



ヨゼフ・ロゲンドルフ(Josef Roggendorf) 1908年、ドイツ生まれ。ギムナジウムを終えてからイエズス会に入り、ドイツおよびフランスの神学院で哲学・神学を学ぶ。1934年、司祭に叙階。1935年から37年まで日本語研修のため日本滞在。さらに37年から40年まで、ロンドン大学で比較文学を専攻。その後再来日し、旧制広島高校で一年間教鞭をとったあとは、戦中・戦後を通じて東京四谷の上智大学構内に住み、教授として比較文学を講じてきた。著書に『キリスト教と近代文化』『現代思潮とカトリシズム』(弘文堂)などがある。


(本書カバーの著者略歴全文)

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この湾岸戦争(1991年)を切っ掛けにして、私は、戦時報道における検閲と宣伝(プロパガンダ)と言ふ問題に関心を深めました。



そして、そうした「戦時報道」と言ふ視点から見ると、その数年前に偶然知った「ホロコースト」を巡る論争の根源に、第二次大戦中、アメリカやイギリスが行なって居た検閲と宣伝(プロパガンダ)が在ったのではないか?と考える様に成りました。



つまり、湾岸戦争の時のアメリカの検閲と宣伝(プロパガンダ)を目のあたりにした結果、私は、「ナチのガス室」と言ふ話を、湾岸戦争の際のあの油まみれの水鳥と同等の心理戦争の産物だったのではないか、と考える様に成ったのです。



もし、その数年前に、ニューズウィーク日本版の記事を切っ掛けに、「ナチのガス室」への疑問を持って居なかったら、私は、湾岸戦争中に流布されたあの「油まみれの水鳥」を、そうした目で見る事は無かったに違い有りません。



又、もし、湾岸戦争中に、あの「油まみれの水鳥」とそれによって起こされた心理的反応(アメリカ国民のイラクへの憎悪)を目撃しなかったなら、私は、「ナチのガス室」を戦時報道の問題として意識する事も無かったに違い有りません。



そうした意味で、湾岸戦争(1991年)の際に、自分の時代の出来事として「戦時報道」を目撃した事は、私の物の見方に大きな影響を与えたのです。




ただし、それでも、「ホロコースト」について、自分が何処かで何かを書こうなどとは、全く考えて居ませんでした。




(続く)




マルコポーロ廃刊事件から20年(20)

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 ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは「チェルノブイリの10倍です」と、答えた。
「福島第一には、六基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉が暴発して、当然、(10キロ南にある)福島第二原発にもいられなくなります。ここにも四基の原子炉がありますから、これもやられて十基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう。(想定される事態は)チェルノブイリ事故の10倍と見てもらえばいいと思います」
 もちろんチェルノブイリは黒鉛炉で、福島は軽水炉だから原子炉の型が違う。しかし、十基の原子炉がすべて暴走する事態を想像したら、誰もが背筋が寒くなるだろう。
 石油などの化石燃料はいつか燃え尽きるが、原子力はそうはいかない。ひとたび原子炉が暴走を始めれば、原子炉を制御する人が「近づくこと」もできなくなり、次々と原子炉が暴発し、さらに燃え尽きることもなく、エネルギーを出し続ける。放射能汚染は限りなく広がっていくのである。それが「悪魔の連鎖」だ。
 当然、東京にも住めなくなるわけで、事故の拡大を防げなかったら、日本の首都は「大阪」になっていたことになる。吉田さんのその言葉で、吉田さんを含め現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。
 のちに原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長(当時)は、筆者にこう答えている。
「あの時、もし事故の拡大を止められなかったら、福島第一と第二だけでなく、茨城にある東海第二発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う“チェルノブイリの十倍”よりももっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった“東日本”の三つに“分割”されていた、と思います」
 それは、日本が“三分割”されるか否かの闘いだったのである。

(門田隆将「日本を救った男『吉田昌郎』の遺言」(月刊Will(ウィル) 2013年 9月号30~39ページ )同誌同号33~34ページ)
http://www.amazon.co.jp/WiLL-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB-2013%E5%B9%B4-09%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B00DVMU83I/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1375242561&sr=8-1&keywords=Will++2013


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東日本大震災と福島第一原発事故から4年が経ちました。



震災と津波の犠牲と成った方達の御冥福をお祈り致します。そして、原発事故によって、故郷を離れて暮らしておられる皆様に、心よりお見舞ひ申し上げます。




(続く)




2015年3月11日(水)


東日本大震災から4年目の日に







西岡昌紀(内科医)








マルコポーロ廃刊事件から20年(19)




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 昭和42年6月11日午前11時頃、江東区深川門前仲町の地下鉄東西線工事現場で、作業員たちが、工事で痛んだ歩道を改修しようと掘りかえしていたところ、奇妙なものを発見した。
 歩道の下、深さ1.5メートルほどの地下に防空壕らしい跡があって、そこに、まるでよりそうようにした人骨六体があった。子ども二体に、大人四体で、男女はよくわからない。みな恐怖に耐えるかのようにうずくまり、うち大人の一体は、胸に二つの位牌を抱いている。
 防空壕の中も、猛火にさらされたとみられ、一体は焼けたあとがあり、遺体のそばには、さびた鉄カブト、くさった防火用バケツがころがり、この発掘を見にきた近所の人たちに、昭和20年3月10日の東京大空襲を思い起こさせた。
 

(早乙女勝元『東京大空襲』(岩波新書・1971年)3ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E2%80%95%E6%98%AD%E5%92%8C20%E5%B9%B43%E6%9C%8810%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%9D%92%E7%89%88-775-%E6%97%A9%E4%B9%99%E5%A5%B3/dp/4004150213/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1425998929&sr=8-2&keywords=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2



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今日(2015年3月10日)は、東京大空襲から70年目の日に当たります。



私の亡くなった母は、東京大空襲(1945年3月10日)の被災者でした。



その為も有って、毎年、3月10日には、あの夜、亡くなった人々の事に思ひを寄せます。



憎しみを語る事は容易です。しかし、東京大空襲から70年目の夜に、私はあえて、それよりも、戦時報道が戦争において果たす役割について、語りたいと思ひます。



私が知る限り、アメリカが、東京大空襲を敢行した時、アメリカ国民の間に、一般市民に対するこの無差別爆撃に対する大きな批判の声は上がりませんでした。



それは何故なのか?



それは、検閲と言ふ盾(たて)と宣伝(プロパガンダ)と言ふ矛(ほこ)から成る戦時報道が、無差別爆撃への支持を増やしこそすれ、批判の声を上げさせなかったからだと、私は思ひます。



私は、そこに戦時報道の恐ろしさを見ます。



江藤淳氏の回想をもう一度お読みください。





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(以下引用)




今回の湾岸戦争で、「検閲」というものがあることを久しぶりに思い出した人もいるだろう。また若い人たちの間では、初めて知っ た人が多いかもしれない。



多国籍軍(米軍)側も、イラク側も、いずれも非常に徹底した検閲を行なった。その結果、不思議なことに、一体、イラク側でどれだけ犠牲者が出たのか、正確な数がわからない。私が、かなり確度の高い筋から聞いたところでは、クウェートだけでイラク兵が30万人死んだという説もあるようだ。一方、アメリカ側の犠牲者数も、数百人ということになっているけれども、実はよくわからない。検閲が戦死者の姿が見えないきれいな戦争をつくりあげたのである。



テレビで見る多国籍軍の映像は、アメリカの管理の下で作られた映像だった。私は、あの一連の映像を見た時に、「ああ、アメリカは本気でやっているな」という気持ちがしたものだ。



話は11年前に遡る。1980年の春、私は、日本占領中に米軍が行なった検閲の研究のためアメリカに滞在していた。日本の国際交流基金から派遣されて、ワシントンのウィルソン・センターという研究所に研究員として滞在していたのである。



その時、研究所で、ベトナム戦争を振り返るシンポジウムが開かれた。ベトナム戦争の際、大いに反戦の論陣を張ったニール・シーハンというアメリカのジャーナリストも、当時、この研究(所)に研究員として来ていた。



ベトナム戦争は、今度の湾岸戦争とは対照的に、アメリカが苦汁を飲まされた戦争である。しかも ’80年の春は、カーター大統領のイラン人質救出作戦が失敗した直後だったから、アメリカにとっては非常に暗い雰囲気の時だった。



ところで、ベトナム戦争当時のディーン・ラスク国務長官は、もうすでに引退して、郷里ジョージア州のジョージア大学の教授になっていたのだが、シンポジウムに参加してほしいと招聘したところ、彼はアトランタから飛行機に乗ってワシントンまでやってきた。



パネリストでもなければ発表者でもない。フロアの一隅にじっと座っている初老の人物を見て、「ディーン・ラスクそっくりの人がいるなあ」と思ったら、まさにその人であった。彼は、黙然と議論を聞いていた。



私も外国人だし、ベトナム戦争についてアメリカ人同士がギリギリ言っているのをただ黙って勉強のために聞いていた。



すると、ラスク元国務長官は、シンポジウムの最後に手を挙げて、肺腑をえぐるようなことを言ったのである。



「今までいろいろ貴重な意見を承ったけれども、私はこの戦争は失敗だったと思っている。そのことについては御異存はないでしょう」



皆シーンとしている。ラスク元国務長官は続けた。



「何故失敗だったかといえば、合衆国政府はベトナム戦争では一度も検閲しなかったからだ。過ぐる第2次大戦においてはまことに酷烈なる検閲を実施して戦争に勝ち抜いたのに、ベトナム戦争では検閲をちゃんとやらなかった。したがって我々は銃後の国民の支持を得ることができなかった。考えてもみたまえ。自分の息子や恋人や夫がベトコンに惨殺されていく画面を毎日のように見ている国民が、この戦争を続けましょうという政府の呼びかけに積極的に応えるわけがない。ああした報道の下では、どんな政府でも、戦闘を続行し勝つことなど不可能だ」



ラスク元国務長官がこう言ったとき、シンポジウムの会場は満場水を打ったように静かになった。とくに、反戦を叫び続けていたニール・シーハンが、一言も反論せず厳粛な顔をしてうなずいていたのが印象的だった。



(江藤淳「『1946年憲法』廃止私案」 サピオ 1991年5月9日号 21ページより引用)

http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6212993.html



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これが、戦時報道です。



犠牲と成った人々の御冥福を心よりお祈り致します。




(続く)






2015年3月10日(火)
東京大空襲から70年目の日に






西岡昌紀








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 昭和42年6月11日午前11時頃、江東区深川門前仲町の地下鉄東西線工事現場で、作業員たちが、工事で痛んだ歩道を改修しようと掘りかえしていたところ、奇妙なものを発見した。
 歩道の下、深さ1.5メートルほどの地下に防空壕らしい跡があって、そこに、まるでよりそうようにした人骨六体があった。子ども二体に、大人四体で、男女はよくわからない。みな恐怖に耐えるかのようにうずくまり、うち大人の一体は、胸に二つの位牌を抱いている。
 防空壕の中も、猛火にさらされたとみられ、一体は焼けたあとがあり、遺体のそばには、さびた鉄カブト、くさった防火用バケツがころがり、この発掘を見にきた近所の人たちに、昭和20年3月10日の東京大空襲を思い起こさせた。
 

(早乙女勝元『東京大空襲』(岩波新書・1971年)3ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E2%80%95%E6%98%AD%E5%92%8C20%E5%B9%B43%E6%9C%8810%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%9D%92%E7%89%88-775-%E6%97%A9%E4%B9%99%E5%A5%B3/dp/4004150213/ref=sr_1_5?s=books&ie=UTF8&qid=1354417610&sr=1-5


On June 11th, 1967, construction workers discovered a strange thing, while they were digging pavement. The old pavement was damaged so they were digging it to repair. What they found there was a site of air-raid shelter, 1.5 m under the ground. In the underground shelter, there were 6 skeltonized corpses, who looked as if like snuggling each other there. They were 2 children and 4 adults and it was too difficulit to identify if they were men or women. They were all aitting there as if to endure horror, and 2 adults among them were holding spirit tablets of Buddhism.
The inside of the underground air-raid shelter seemed to have been filled by dreadful fire, and besides teh corpses were rotten iron helmets, rotten anti-fire buckets. This discovery reminded the local residents living near the shelter of the Great Tokyo Air-raid on March 10th, 1945.

(from "Tokyo Great Air-Raid"(published by Iwanami-bookshop 1971, p.31: translation by M.Nishioka)

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