西岡昌紀のブログ

内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。

2015年06月

マルコポーロ廃刊事件から20年(26)

*




或る夜、外出から帰って留守番電話を再生した処、そのメッセージが入って居ました。




花田紀凱『マルコポーロ』編集長(当時)が、留守番電話のメッセージの中で、私がダイレクト・メールとして郵送したパンフレット(『今世紀最大の報道操作』)について、「面白かったです」と言ふ趣旨の言葉を残し、連絡を欲しいと私にことづけをして居たのです。




記憶では、その夜の内に電話をしたと思ひます。私は、電話を下さった花田編集長に電話を掛けました。すると、電話の向こうで、花田編集長は、私が送ったパンフレットを非常に褒めて下さり、そして、すぐに、「(マルコポーロ誌に)書いて下さい」と言って下さいました。




私は、それまで、もちろん、花田編集長と面識は有りませんでした。電話で初めてお話した花田編集長は非常に礼儀正しく、私にそう言って下さったので、高名な編集長からその様な言葉を頂いた私は恐縮しながら、お礼を言ひました。



ただ、私にマルコポーロ誌への執筆をお願ひしたい、と言ふ花田編集長のその場での要請に対しては、ちょっと驚くとともに、資料を提供することがそのパンフレットを送った趣旨なので、自分が書くよりも、知名度の有る誰かに、自分が集めた資料を提供し、協力した方がいいのではないでしょうか?と言ふ意味の答えをしました。



そして、既に私のそのパンフレットを読み、「ナチのガス室」の実在に疑問を抱いて居た高名な作家のQ氏を推薦しました。私の目的は、売り込みではなかったからです。私は、売り込みをしたのではなく、この問題を日本のメディアが取り上げ、日本人に「ナチのガス室」に関する自由な議論を法律で封じ込めようとする欧米での動きの危険性に警鐘を鳴らして欲しかったのです。ですから、全く無名な自分などが執筆するよりも、そのQ氏の様な知名度の有る言論人に執筆してもらった方ががついて欲しかったので、私は、その時、花田編集長に、高名なQ氏による執筆を提案したのでした。



しかし、電話の向こうで、花田編集長は言ひました。



「いやあ、西岡さん書いて下さいよ。」



これが、私が、マルコポーロ誌に執筆する事に成った経緯です。




(続く)






2015年6月11日(木)








西岡昌紀







マルコポーロ廃刊事件から20年(25)

*




私は、そのパンフレットを送る方達を、政治的に「右」とか「左」とか言った区分けで選ぶ事はしませんでした。



私自身、「右」でも「左」でもありませんし、この問題は、日本の言論界、アカデミズムにとって非常に大きなテーマだと思ったので、影響力の有りそうなジャーナリストや言論人には、「左右」の区別無く、情報を提供しようと思ったのです。




即ち、これは価値観やイデオロギーの話ではありません。何が事実だったのか?と言うふ問題です。「ナチのガス室」と言ふ戦後の日本社会で信じられ、疑はれる事が無かった「歴史」が、実は虚構だったかも知れないと言ふ、事実の検証の問題です。ですから、「右」とか「左」とか言ふ区分で資料を提供する相手を線引きするべきではないと思ったのです。だから、私は、「右」の人にも「左」の人にも、この論争の存在を知ってもらおうと思ったのです。




又、私の問題意識は、「人は何故、こんなにも簡単にマスコミに騙(だま)されてしまふのか?」と言ふ事でしたから、心理学者や社会学者にもそのパンフレットを送付しました。




そうして、私が、パンフレットを送付するうちに、それを読んで下さり、お手紙や電話でお返事を下さった方の中には、非常に高名な方もおられました。




二人だけ、実名を挙げると、京都大学の高坂 正堯(こうさか まさたか)京都大学教授、及びロシア文学者の内村剛介(うちむらごうすけ)氏からは、大変好意的なお返事を頂きました。




お二人とも既に故人です。ですから、御迷惑を掛ける事は無いので書きますが、高坂先生は、私が送付したパンフレットを熟読して下さった上で、前述のアーノ・メイヤー教授がそうした問題提起をして居る事に驚かされたとお書きになった上で、メイヤーが言って居るのであれば、間違いないでしょう、と私に下さった葉書きの中で書いておられました。




又、内村剛介氏も、大変好意的な言葉をはがきで寄せて下さいました。




更には、意外に思はれる方が多いと思ひますが、当時(1994年)、朝日新聞を代表する記者であった或る高名なジャーナリストが、私の家に電話を掛けて下さり、「私、この通りだと思ひますよ」と、電話の向こうで熱い口調で言って下さった事などは、私にとって大きな驚きでした。




又、一般には「左翼」と見なされる事が多い或る高名な大学教授や、名前を書けば、皆さんの誰もが御存知と思はれる高名な作家の方等も、人を介して私のそのパンレットを知り、私に会ひたいとおっしゃって下さったりしました。




ひと口に言へば、ダイレクト・メールで送ったそのパンフレットは、ワープロとコピー機で作った物に過ぎない手製の印刷物だったのですが、「左右」を超えた形で、大きな反響を頂くことと成ったのです。




気を良くした私は、更に、「左右」の違いに関係無く、新聞、雑誌、テレビなどの関係者に、更にそのパンフレットを送り続けました。




欧米で、「ナチのガス室」は存在しなかったのではないか?と言ふ論争が有り、そうした疑問を投げかける論者の中にはユダヤ人も居ると言ふ事実を、とにかく知ってもらひ、関心の有る方は、とりあげて欲しい。それが、私が意図するところでした。





そんな或る日、自宅に電話を掛けて来られたのが、当時、月刊「マルコポーロ」の編集長だった花田紀凱(はなだかずよし)氏だったのです。




(続く)






2015年6月1日(月)








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