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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/8388333.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950976802&owner_id=6445842





東日本大震災から5年が経ちました。



今年は、5年前と同じ様に、金曜日の3月11日です。



あの日の事が、思ひ出されて、辛い一日でした。



私は今、あの震災を主題にした、短い小説を書いて居ます。
                ↓
http://archives.mag2.com/0000249630/20160311152125000.html
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本当は、今日(3月11日(金))までに書きあげる積もりだったのですが、仕事に追はれて、今日の時点では、ここまでしか書けませんでした。



私なりのささやかな供養の積もりです。



お読み頂けたら、望外の幸ひです。



慎んで、震災の犠牲と成った方達の御冥福をお祈り致します。







平成28年(西暦2016年)3月11日(金)





西岡昌紀(にしおかまさのり)

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■「今も心は泣いてんだ」 震災5年、手を合わせる
(朝日新聞デジタル - 03月11日 12:06)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3893140


海を望む場所に建てられた慰霊碑に向かって手を合わせる牧野駿さん=11日午前6時46分、宮城県南三陸町、西畑志朗撮影
 多くの命を奪った東日本大震災の発生から、11日で5年を迎えた。津波は大切な人との思い出の場所も奪った。土地のかさ上げ工事が進み、新たにつくった祈りの場も変わろうとしている。残された家族は亡き人を思い、それぞれの場所で、静かに手を合わせた。




■「今も心は泣いてんだ」



 牧野駿さん(77)は11日午前6時40分、宮城県南三陸町歌津地区の自宅近くの慰霊碑で、手を合わせた。眼下に広がる海は穏やかだ。「5年前は寒かった。全然違うね」



 町職員だった長男の典孝さん(当時46)の名が、地区で犠牲になった118人と共に刻まれている。毎朝手を合わせてきた。



 産業振興の仕事をしていた典孝さんはあの日、仕事で山にいた。震災が起きると防災対策庁舎に駆けつけ、津波に襲われた。1年半後に遺体が見つかった。



 その後、防災対策庁舎は震災を伝える象徴となり、大型バスで多くの人たちが訪れるようになった。「息子が死んだ場所を、見たくない」。牧野さんはほとんど足を運んでいない。



 旧歌津町長だった牧野さんには、地区の人から「静かに手を合わせる場所がほしい」と声が届くようになった。震災の翌年、自身が所有するヒノキ林に「鎮魂の森」をつくり始めた。



 昨春、森に自費で慰霊碑を建てた。刻まれた息子の名を見てほっとした。反対側には「倶会一処(くえいっしょ)」の文字。みんな浄土で会えるという意味だと聞き、地獄を見たこのまちにぴったりだと思った。



 森から町を見下ろしても、津波にさらわれたままでまだ何もない。息子が生きていたら、復興に力を尽くしただろう。そんな姿がふとした時に思い浮かぶ。でも、典孝さんの妻や3人の子どもとの間で典孝さんのことを話題にできないでいる。



 「今も心は泣いてんだ。形見なんていらない。ただ、生きていればって」(中林加南子)