西岡昌紀のブログ

内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。

2016年09月

(短編小説)三つのチーク県の民謡(1)-(143)


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             三つのチーク県の民謡


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 『三つのチーク県の民謡』は、バルトークのピアノ曲である。
 ハンガリーの作曲家バルトーク(1881-1945)は、自国ハンガリーの古い民俗音楽を愛した。彼は、そのままでは消えて行く事が避けられないハンガリーの民謡を自ら旅して収集し、それらを採譜して、楽譜に残した。
 『三つのチーク県の民謡』は、1906年、当時ハンガリーの一部であったトランシルヴァニア地方を旅行したバルトークが、そのトランシルヴァニア地方の一地域であるチーク県の民謡に出会ひ、その民謡を基(もと)に、編曲したピアノの作品である。
  トランシルヴァニア地方は、現在はルーマニア領と成って居る。しかし、当時、この地方は、ハンガリーの一部で、そこは、ハンガリー民謡の宝庫であった。
  若いバルトークは、1906年に、当時ハンガリーであったこの地方を民謡採集の目的で旅行した。そして、そのトランシルヴァニア地方のチーク県で、一人の農民が縦笛で吹いて居た旋律に出会った。
  当時60歳だったその農民が縦笛で吹いて居たその旋律に、バルトークは魅惑された。そして、その農民が吹いて居た笛の旋律を、バルトークは、ほぼそのままの形でピアノ曲にした。それが、『三つのチーク県の民謡』である。
 その『三つのチーク県の民謡』の楽譜をリュックに入れて、富樫健一郎は、旅に出た。行き先は、東北の小都市である。土曜日に仙台に一泊し、日曜日の夜には東京に戻る短い旅である。

平成28年(2016年)2月22日(月)
 
 

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 空は曇ってゐた。その灰色の冬の空の下に、その光景は広がってゐた。
 更地と成った、かつての町の光景である。そして、その光景の向こうには、海が在った。
 富樫(とがし)は、その町の跡を見下ろす丘の上から、その光景を見て居た。そこは、その町の町外れの公園である。その入り江に在った小さな町の外れの丘に作られた公園から、富樫は、そのかつて町が在った場所を見つめて居るのだった。何も無い。もちろん、人の姿は無い。それが、その更地と成った土地の光景であった。
 富樫が、その丘の公園に立つのは、これが初めてである。だが、富樫は、そこに立ち、この光景を見るのが初めての様な気がしなかった。
 彼は、もう何度もここに立った事が有る様な錯覚にとらはれてゐた。それは、この丘から見る眼下の町の跡の光景をテレビで何度も見て居たからである。最初に見た映像は、そこに在った家々が、黒い水に流される光景だった。
 そして、数年後目にした光景は、今、彼が見て居る通りの、更地にされたその町跡(まちあと)の光景であった。テレビの報道で何度も目にして場所だったので、彼は、そこに初めて立った気がしなかったのである。
 彼の眼下の土地に在ったその町に津波が押し寄せた日から、もうすぐ五年である。
 


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 辺りは静まり返って居た。その丘の公園には、その時、富樫(とがし)の他には、誰の姿も無かった。その静まり返った公園で、富樫は、そうして、更地に成ったかつての町の光景を見つめ続けて居た。彼には、そこで、あの津波の光景が見られた事が、どうにも信じられなかったのである。
  この静寂に包まれた場所で、あの時、本当に、眼下で黒い津波に家々が流されたのだろうか?そして、この丘で、人々が、それを目にして悲鳴の様な声を上げて居たのだろうか?富樫には、その事が、どうにも信じられなかったのである。
 本当に、ここであの光景が繰り広げられたのだろうか?彼は、考え続けた。     
 

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  風が吹いてゐた。強い風ではない。だが、その風は、東京に居ては想像する事も出来無い程、冷たい風だった。風は、音も無く遠い北の国からやって来て、この土地を通り抜け、海へと向かって行った。         
 
 

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      その風の中で、何処からか、鳥の声が聞こえた。

 2009年8月17日(月)まで:東北旅行など 196




















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 富樫は、眼下の風景に向かって合掌した。そして、目を閉じて祈りを捧げると、海に背を向け、ゆっくりと、その公園を後にした。彼の目的地は、ここではなかった。それは、ここから鉄道で少し北に行った別の町である。
 そこに行く列車の時間が近づいて居た。彼は、冷たい風の中、そこから、駅へと向かった。
 
平成28年(2016年)2月23日(火)
 
 


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  その町で、一人の女が、彼を待ってゐるのだった。
 
 

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 富樫健一郎は、54歳に成った。彼は、小児科医である。東京の大学病院で長く働いた後、彼は、都内の病院の医長に成った。彼は、妻と息子と娘の4人家族で、結婚して24年が経って居た。
 小児科医として、彼は多忙な毎日を送って居た。だが、この週末は、病棟が落ち着いて居たので、下の小児科医に病棟の事は任せて、この短い旅に出たのであった。学会以外の目的で、彼が旅をするのは、久しぶりである。その短い旅の目的は、これから向かふ町に住む或る人物に会ふ事であった。
 その町に向かふ各駅停車の列車の中で、富樫は、車窓に流れるその地方の風景を見つめて居た。東日本大震災に被災したその地域の風景は、人影がまばらで、殆ど無人の光景が車窓を流れ続けて居た。その人影の見られない冬の東北の風景を目にしながら、富樫は、間も無く果たす再会に思ひを馳せてゐた。



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 車窓の外を流れる風景の所々には、雪が有った。太平洋側のこの地域には雪は余り降らない。だが、数日前降った雪であろう。大地は薄く雪化粧をして、初めてこの土地を訪れる旅人を迎えてゐた。その所々に残った雪を見ながら、富樫は、自分を待つ女の事を想った。
 


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 それは、かつて、富堅が愛した女性であった。そして、それは、富堅が棄てた女性であった。



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 間も無く、富堅(とがし)の乗った列車は、その町に着いた。数人の乗客とともに列車を降りた富堅は、改札を出て、駅の入り口に立った。そして、そこから、インターネットで調べてプリントしておいた地図を片手に、徒歩で、その家へと向かった。町は静かで、人影は驚くほどまばらであった。


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 何と言ふ静かな町だろう、と富堅は思った。その静まり返った町の所々に、先程列車の中から見たのと同じ様に、数日前に降ったらしい白い雪が残ってゐた。

平成28年(西暦2016年)2月26日(金)
2・26事件から80年目の日に



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 しばらく、その人気(ひとけ)の無い町を歩く内に、富堅は、目指す家に辿(たど)り着いた。それは、こじんまりとして居るが、趣味の良い一軒家だった。その家の門柱の表札には、彼が知る女の昔のままの名字が書かれてあった。その名前を確かめると、富堅は、その門柱の呼び鈴を押した。



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 森と言ふ名字が書かれたその表札を見つめながら、富堅は、玄関の扉が開くのを待った。



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 すると、玄関の鍵を開ける音が聞こえ、その扉が開いた。そして、若い女が姿を現して、富堅に軽く会釈をしたのだった。
 富堅は驚いた。彼が知って居たその女が、二十数年前の姿かたちのまま、現はれたからである。彼女は、年を取らなかったのだろうか?彼は混乱した。だが、すぐに、彼は気が付いた。それは、自分が訪ねて来た女の娘なのだった。



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 「富堅先生・・・でいらっしゃいますか?」と、その若い女は、言葉を区切って言った。
 「はい。」と、富堅は答えた。
 若い女は、一礼を送った。そして、玄関の扉を大きく開けた。
「どうぞ。」と、言って、彼女は、富堅を招き入れた。
  富堅は一礼をして、家の中へ入った。彼女に続いて富堅が入ると、玄関の扉は、カチリと小さな音を立てて閉まった。



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 富堅はスリッパに履き替え、リュックを背中から下ろした。そして、そのリュックを手に持ちながら、玄関からすぐの居間に導かれ、進んだ。
 その居間に入った時、彼は、思はず、足を止めた。そこに飾られた雛段(ひなだん)に目を奪はれたのである。
 居間は南に面し、その南に面した明るい居間に、雛段と、その赤い段の上に並べら雛人形(ひなにんぎょう)たちが置かれて居た。そして、その雛段の向かひ側には、黒いアプライト・ピアノが在るのだった。富堅は、その赤い雛段と雛人形たちの美しさに、目を奪はれたのである。




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 それは、年月を経た、古い雛人形の様に思はれた。人形達の表情にも、着物にも、それが感じられた。富堅の家に在る、富堅の娘の雛人形達にも、或いは富堅が働く東京の病院で、今ちょうど、入院中の子供達の為に飾られて居る雛人形達にも無い、この地方の歴史を思ひ起こさせる何かが、そこに飾られた雛人形達には、備はってゐるのだった。
 その北国の雛人形達が、庭から差し込む光を浴びて、この居間で、来る者を迎えてゐるのだった。この北の土地で、この雛人形達は、どれほどの年月を送って来たのだろうか?幾度、この土地の春を見て来たのだろうか?



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 居間は広かった。その広さは、首都圏なら贅沢(ぜいたく)と見なされるほどの広さである。その居間の両側の壁に接して、雛人形の置かれた雛段(ひなだん)とピアノが、何も無い床を挟んで、向かひ合ってゐる。そして、その手前に、テーブルが有って、椅子が四つ置かれて居る。気持ちの良い部屋であった。「どうぞ。」と勧められて、富堅は、その椅子のひとつに腰を下ろした。すると、その彼の後ろで、「先生。」と言ふ声がした。



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 その声に、富堅は、後ろを振り返った。そこには、彼が良く知る女が、微笑みを浮かべて立ってゐた。



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      それは、富堅が愛した女性であった。

平成28年(西暦2016年)3月2日(水)




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 森孝江(もりたかえ)は、年が明けて52歳に成った。彼女は、看護師である。この町で生まれ、仙台の看護学校を卒業した彼女は、東京の大学病院に就職した。
 26年前、その大学病院で、小児科病棟に配属され、働いて居た孝江は、そこで富堅(とがし)に出会った。二人は恋愛関係と成った。だが、二人は、結婚する事は無かった。二人の関係は、一年で終はった。翌年、孝江は大学病院をやめ、仙台に戻った。
 そこで彼女は結婚した。彼女は、見会ひ結婚をし、娘を生んだ。
 だが、やがて離婚した彼女は、娘を引き取り、看護師として働きながら、女手ひとつで、娘を育てたのだった。



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 その森孝江が、今、富堅の前に立って居た。二人は、25年ぶりに再会したのであった。

平成28年(西暦2016年)3月3日(木)
平成28年の雛祭りの夜に



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 富堅の後ろに現われた彼女は、満面の笑みを浮かべて、そこに立ってゐた。
 富堅は立ち上がった。背後から、まるで不意を突かれた様に、彼女に声を掛けられた彼は、驚き、言葉に詰まった。そして、立った姿勢で何かを言おうとしたが、言葉が出なかった。今日、ここで森孝江に再会したら、最初に何と言ふ言葉を発するべきか、不覚にも、彼は、考えて来なかったのである。すると、そうして言葉に詰まってゐる富堅に、森孝江は、「お久しぶり」と、更に言葉を掛けたのだった。
「本当に、久しぶりだね。」と、富堅はようやく言った。
「座ってちょうだい。」と、彼女は言った。そして、富堅を座らせると、彼の向かひの椅子に移動して座った。
「来てくれて有難う。」と、彼女は言った。彼女は、そう言って、富堅を見つめた。富堅も、その孝江を見つめた。



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 あれから、本当に25年が経ったのだろうか?と、富堅は思った。本当に、そんな時間が流れたのか?目の前の孝江を見ながら、彼は、そう思はずに居られなかった。もしかすると、そんな時間が経ったと言ふのは夢なのではないか?彼は、そんな錯覚を覚えた。それほど、彼の目に映る孝江は、変はってゐなかったのである。
    
平成28年(西暦2016年)3月4日(金)



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 「娘です。」と言って、孝江は、横に立ってゐる自分の娘を富堅に改めて紹介した。
「看護師なの。成りたてのほやほやだけど。」
 娘は、改まった様子で頭を下げた。
「美江(よしえ)って言ふの。」と言って、孝江は、微笑んだ。
「はじめまして。」と言って、富堅は頭を下げた。
 富堅は、東京からおみやげに持って来たパイをリュックサックから出して、それを両手で娘に渡した。
「ありがとうございます。」と娘は言った。それから、娘はそのパイを持って、居間の隣りの台所に、お茶を入れに行った。
 二人だけに成ると、孝江は、改めて富堅を見つめた。そして、
「先生、来てくれてありがとう。」と、小さな声で言った。

平成28年(西暦2016年)3月7日(月)

    

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 富堅は、静かに微笑んだ。そして、その視線を孝江の目からテーブルの上へと落とした。



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 短い沈黙の後、孝江は、富堅の病院は忙しいか?と尋ねた。富堅は「忙しい」と答えて、自分が働いて居る病院の話をした。
 それから、二人は、昔自分たちが働いて居た大学病院が今どう成って居るかとか、二人がそこで働いて居た頃の教授は今どうして居るか、そして、当時の同僚達はどうして居るだろうか?と言った話をした。
 そんな世間話をする内に、孝江の娘が、紅茶を入れてそのポットをクッキーと共にテーブルに運んで来た。富堅は、「ありがとうございます。」と言った。彼女は、ティーカップに紅茶を注ぐと、孝江を見て、何かを無言で伝えた。すると、孝江はうなずいて、それに応えた様だった。
「どうぞ、ごゆっくり」と、娘は言った。
 富堅は、ちょっと意外な気持ちがした。だが、母と娘は、あらかじめそうする予定で居た様だった。
「用事が有るのよ。」と孝江は、ティーカップを手にして言った。
「そうですか。」と、富堅は言った。すると、娘は、無言で深々と一礼をして、居間を後にした。それから、コートを着て、バッグを手にした戻って来ると、彼女は、もう一度富堅に一礼を送って、家を出て行ったのだった。
 玄関の扉が閉まる音を聞くと、孝江は、紅茶を飲みながら、静かに言った。
「娘には、先生の事を全部話したわ。」
 富堅は孝江を見つめた。
 「あの娘(こ)、気をきかせたのよ。」そう言って、孝江は笑った。



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 富堅は、何も言はなかった。そして、何も言はないまま、孝江を見つめた。
「あの娘(こ)、未熟児だったのよ。」孝江はそう言って、手に持った紅茶のカップを置いた。
「生まれた時、心配したわ。」孝江は、そう言って、目の前に置いたティーカップを見た。
「元気に育ってくれて嬉しかった。」
 富堅は、孝江の言葉にうなずいた。
「生まれた時と、それにあの震災の日が・・・」と、孝江は言った。
「私が、あの娘(こ)の事を一番心配した時だった。」



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 沈黙が流れた。その沈黙の中で、富堅は、孝江の後ろの雛人形(ひなにんぎょう)達を見つめた。
 そして、暫くの間、雛人形達を見つめると、彼は、自分のその視線を孝江に戻した。
 最初見た時、富堅は、孝江が変はってゐないと思った。だが、良く見れば、矢張り、孝江も年を取った事は、明らかだった。
 だが、彼女は、美しかった。その美しさに、富堅は、心の中で感嘆した。
 「彼女は・・・」と、富堅は思った。
「本当に末期癌の患者なのだろうか?」
 孝江は、無言だった。

平成28年(西暦2016年)3月8日(火)



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 富堅健一郎は、永い間、森孝江の事を忘れてゐた。その富堅が、孝江の事を思ひ出したのは、昨年の事である。
 それは、東日本大震災から4年が経った昨年の春の事であった。当直の夜、病院のテレビで、震災から4年が経った東北地方の現状を伝える報道番組を見て居た富堅は、津波で流されたこの地方の港町の現在の映像を見てゐた。その時、その港町の名を、昔、何処かで聞いた事が有る事に、彼は気が付いたのであった。
 少し考えた後、富堅は、それが、昔、自分が愛し、そして棄てた女性である森孝江が育った町であった事を思ひ出したのであった。


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 富堅の心は動転した。あの津波の中に孝江は居たのではないか?或いは、何処か他の場所で、彼女は震災に遭遇したのではないか?そして、命を落としたのではないか?
 突然、脳裏に浮かんだこの考えに、彼は動揺した。彼は、孝江の安否を知りたいと思ふ気持ちで、居ても立っても居られなく成ったのだった。



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 答えは、すぐに知る事が出来た。インターネットで孝江の名前を検索すると、すぐに彼女を見つける事が出来たのである。富堅は、安堵した。孝江のブログを見つけた富堅は、孝江が、富堅が思った通り、地元にほど近い地域で無事に生活して居る事を知り、安心した。だが、その孝江のブログを読んだ富堅は、そこで、予想もしなかった事を知ったのである。



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 それは、孝江が、進行癌に冒(おか)されて居ると言ふ事実であった。

平成28年(西暦2016年)3月9日(水)



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 「体はどう?」と、富堅は尋ねた。
「ありがとう。」と、孝江は答えた。
「自分でも不思議なほどいいの。」そう言って、孝江は、自分のカップに紅茶をついだ。
 孝江の体調について、富堅は、ここに来る前に、既に何度もメールで尋ねて聞いてゐた。だから、この答えは、富堅にとって予想された物であった。だが、当然ながら、こうして彼女に直接会ふと、もう一度尋ねない訳には行かなかった。
 「時々、胸がつっぱる様な感じがする事が有るけど、それくらいかな。」孝江は、そう独り言の様に言った。
「両側だものね。」と、孝江は、両側の乳房を切除した事を富堅に思ひ出させた。
 「でも、転移しちゃった。」と言って、孝江は、静かに笑った。



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 沈黙が流れた。その沈黙を自分が破るべきか、富堅は迷った。すると、その沈黙を破って、孝江が言った。
 「私達、NICUで出会ったんだよね。」
 富堅は、孝江を見つめた。孝江は、微かに微笑してゐた。
  NICUとは、新生児集中治療室の事である。孝江の言ふ通り、富堅と森孝江は、大学病院に居た時、未熟児や重篤な疾患を持つ新生児を治療する部署であるNICU(新生児集中治療室)で働いて居た時に、出会ったのであった。
 癌を患(わずら)った孝江が、自分の容体について語る言葉に、どんな言葉で答えるべきか、迷ってゐた富堅は、話が、急に自分たちの過去の出会ひの事に変はり、虚を突かれた。そして、
「うん。」と短く答えて、うなずいた。



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 再び沈黙が流れた。その沈黙の中で、富堅は、自分は何を言ふべきなのか、迷った。目の前に居る女に、自分は何を言ふべきなのか?彼は言葉を探した。



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 その富堅を、孝江の後ろの雛人形(ひなにんぎょう)達が、見つめてゐた。

平成28年(西暦2016年)3月10日(木)
東京大空襲から71年目の日に




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 平成27年3月11日、病院で、テレビが伝える東日本大震災4周年目の被災地の光景を見て居た富堅は、突然、森孝江を思ひ出した。番組で語られた地名から、富堅が、不意に彼女を思ひ出し、気を動転させた事は、既に述べた通りである。そして、彼女の名前をインターネットで検索し、彼女が無事であった事を知った事も、既に述べた通りである。孝江は生きてゐた。そして、被災地の町で、看護師として働いて居た。
 富堅は、安堵(あんど)した、だが、この時、富堅は、或る事に驚かされたのであった。それは、自分の心である。富堅は、森孝江を愛した。だが、彼は彼女を棄てた。そして、それから二十年以上の年月が流れてゐた。
 彼は、別の女性と結婚し、二人の子供を得た。彼は、幸福であった。そして、その幸福な生活の中で、森孝江の事は、全く忘れてゐた。彼女に対する未練などは、彼の心の何処(どこ)にも無かったのである。
 それなのに彼は、何故、テレビで聞いた地名から、突然、孝江を思ひ出し、そして、あれほど気を動転させたのだろうか?
 彼は、その時、気を動転させた自分に驚いたのである。



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 それは、普通の感情ではなかった。富堅は、自分の内にそんな深く、激しい感情が有った事に、本当に驚かされたのだった。
  


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 これは、愛情なのだろうか?と、富堅は思った。自分は何故、自分が捨て、そして忘れてゐた女の事で、これほど気が動転し、彼女の安否を知ろうとしたのだろうか?そして、彼女が、被災地で生きてゐる事を知って、何故、これほど喜び、安心したのだろうか?
 自分は、今でも、彼女を愛してゐるのだろうか?
 被災地からの報道に接して森孝江を思ひ出した富堅は、自分の内面に生まれた不安と、それに続く安堵が、余りにも強く、激しい感情であった事に驚き、自分で自分の感情が分からなく成ったのであった。

平成28年(西暦2016年)3月11日(金)
東日本大震災(3・11)から5年目の日に



https://www.youtube.com/watch?v=lOP3tas-oYA
(バルトーク作曲「三つのチーク県の民謡」)

慎んで、東日本大震災の犠牲と成った方達の御冥福をお祈り致します。




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 森孝江は、インターネット上に自分のブログを開いてゐた。
 彼女のそのブログで、富堅は、孝江の近況を知った。それに依(よ)れば、彼女は、東京から仙台に戻ると、永く、仙台市内の病院で働いて居た。しかし、東日本大震災の後、彼女は、住み馴れた仙台を離れ、被災地の病院で働く事を自ら選んだのであった。
 ところが、その直後、彼女は、乳癌にかかったのである。
 仙台の病院で、彼女は、乳癌を発見され、すぐに手術を受けた。手術は成功し、その後、彼女は、順調な経過をたどった。
 それから、彼女は、被災地の病院に戻り、高齢者の多いその地域で、再び、看護師として働く毎日に戻ったのであった。
 そうした被災地での看護師としての毎日を、孝江は、ブログの日記に綴(つづ)ってゐた。
 インターネット上で、孝江の名前を検索し、彼女のブログを見つけた富堅は、そのブログから、孝江の近況と、被災地の様子を、毎日の様に、追ひ続ける様に成ったのである。



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 富堅は、孝江のブログから、孝江自身が、震災や津波の犠牲と成る運命は免(まぬが)れたものの、4年前の大震災の日、4月に100歳に成る筈だった彼女の母方の祖母が津波の犠牲と成ってゐた事を知った。
 又、孝江の母親が、震災から1年後の冬、震災直前の冬に、他界して居た孝江の父を、震災を挟(はさ)んで追ふ様に、世を去って居た事を知った。孝江が今居る家は、その両親が住んで居た孝江の実家なのだった。
 そうした、孝江が書くブログの日記を読み、富堅は、20年以上前に別れた彼女が、震災後、被災地でどの様に生きて居るかを知り、そして、孝江が今住む、この被災地の状況を知ったのであった。

平成28年(西暦2016年)3月14日(月)



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 富堅(とがし)は、自分が孝江(たかえ)に出会ったのが、小児科病棟であった事から、孝江が、この地域でも、昔の様に、小児科の看護をして居る様な錯覚を抱いてゐた。
 しかし、孝江がこの土地で従事してゐたのは、もっぱら、この地域の高齢者に対する看護なのであった。孝江は、或る時期から、病院の中でではなく、高齢者の住居を訪れて、高齢者を見る訪問看護に従事する様に成ってゐた。それは、富堅が記憶する、小児科病棟で働いて居た昔の孝江の姿とは違ふ彼女の姿だった。
 ブログから伝はる孝江の近況は、富堅に、彼が、東京の大学病院で彼女と出会った頃が、遠い過去と成った事を感じさせた。
 そんな孝江のブログを連日読むうちに、富堅は、彼女に連絡を取りたいと言ふ気持ちに駆られた。
 だが、彼は、躊躇(ちゅうちょ)した。それは、言ふまでも無く、自分が、彼女を不孝にした人間だからである。



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 富堅(とがし)は、迷った。自分には、彼女に、いかなる言葉も送る資格など無いのではないか?と、思ったのである。
 そして、毎日の様に、孝江のブログを見ながら、彼は、彼女にメイルを送る事は無かったのである。



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 その富堅(とがし)が、孝江にメイルを出したのは、その年(平成27年)のクリスマス・イヴの事であった。
 その日、孝江のブログを開いた富堅は、そこに孝江が書いて居る事に、目を留めた。彼女は、そこに、昔の思ひ出を書いてゐたのである。「昔、小児科の病棟で働いていた頃・・・・」と、孝江は書いてゐた。
  「私を姉の様に慕(した)ってくれる女の児(こ)の患者がいました。」
  そして、孝江は、クリスマス・イヴに寄せて、その女の児の患者の思ひ出をその日のブログに書いて居るのだった。
  それを読んだ時、富堅は、孝江にメイルを書いて送ったのだった。


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 富堅は、二十年以上前、自分が棄てた孝江が、突然送られて来た自分のメイルにどう反応するか、不安だった。いや、何も反応しないのではないか?と、考えたのだった。
 彼女は、自分に返事など寄越さないのではないか?或いは、自分からのメイルなど、拒絶するのではないか?と思ったのだった。
 だが、返事はすぐに来た。ブログの向こうに居る孝江は、富堅からの突然のメイルに非常に驚き、そして、喜んだのであった。彼女は、驚きと喜びに満ちたメイルを、送って来たのである。


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 まるで、富堅が孝江を棄てた過去など無かったかの様に、孝江は、富堅からのメイルを喜んでゐた。その事に、富堅は安堵した。だが、そうして孝江とメイルのやり取りを始めた中で、富堅は、彼が読む孝江のブログには、彼女が書いて居ない事が有る事を、彼女から知らされたのであった。
 それは、孝江の乳癌が再発し、肝臓に転移が見つかったと言ふ、彼女の最新の病状であった。

平成28年(西暦2016年)3月15日(火)



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 富堅は、何と答えるべきか、分からなかった。だが、孝江は、すぐに、次のメイルを送って来た。彼女は、そんな状況ではあるけれど、積極的に治療をしており、彼女の体の具合は、意外に良い事を富堅に伝えた。そして、今も週に2回ほど出勤しており、件数は減らしたものの、訪問看護を続けてゐると言ふ近況を伝えて来たのだった。
 孝江と、そんなメイルのやり取りをして、富堅は、逆に励(はげ)まされた様な気持ちだった。そして、経過が良い事を祈ります、と言った意味のメイルを彼女に送った。
 月並みな言葉であった。だが、そんな月並みな言葉以外に、彼が、クリスマス・イヴに、孝江に送る事の出来る言葉が無い事は明らかだった。  


                  50


 富堅は、東日本大震災の報道番組を見て孝江の安否が気に掛かり、彼女のブログをみつけた事、そして、ずっと彼女のブログを読んで居た事を、メイルで彼女に伝えた。
 そして彼は、今までメイルは出さずに彼女のブログを読んで来た彼が、その夜、彼女にメイルを出した切っ掛けが何であったかを語った。
 「昔、小児科の病棟で働いていた頃・・・・」と、孝江が書いた下りを読んだ事。そして、
 「私を姉の様に慕(した)ってくれる女の児(こ)の患者がいました。」と書いた、孝江のその女児患者の思ひ出を読み、彼女にメイルを出したのだと、彼は孝江に伝えたのだった。

平成28年(西暦2016年)3月16日(水)



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 それを読んだ孝江(たかえ)は、短く「ありがとう。」と言ふ返事のメイルを富堅に送った。
 そうして、富堅と孝江は、本当に、富堅が、孝江を棄てたと言ふ過去など無かったかの様に、メイルをやり取りを続けた。
 それが、昨年のクリスマス・イヴの事であった。
 


                  52


 クリスマスが過ぎ、年が変はった。富堅は、孝江のブログを読み続けた。だが、彼は、孝江とメイルのやり取りはしなくなってゐた。
 富堅には、孝江の病状と、孝江の現在の生活が気に成り続けた。だが、富堅には、矢張り、孝江に後ろめたさが有ったのである。メイルのやり取りをする内に、自分と彼女の間の過去について触れざるを得なく成る事を、富堅は、怖れたのだった。
 それは、なかば無意識の回避だった。そして、孝江の方も、自分から富堅にメイルを送って来る事は無かった。だが、そうしてメイルは出さずに、孝江のブログだけを読む内に、富堅の心の内には、或る自問が堆積(たいせき)して行ったのである。
 それは、自分は、何故、孝江を棄てたのだろう?と言ふ自問であった。

平成28年(西暦2016年)3月17日(木)



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 自分は、何故、孝江を棄てたのだろうか?孝江と二十数年ぶりにメイルをやり取りして以来、富堅は、毎日そう自問した。
 不思議な事に、彼は、自分でその理由が分からなかった。二十数年前、富堅と孝江は、愛し合った。だが、いつか、富堅の気持ちは冷めて行った。
 孝江の気持ちは変はらなかった。だが、彼の感情は冷め、富堅は、孝江を棄てた。その時の、孝江に対する愛情が冷めて行った自分を、富堅は、今、自分で理解出来無かったのである。自分は、何故、彼女を棄てたのか?
 そして、何故自分は、今、自分自身、その理由が分からないのだろうか?富堅は、自問を続けた。

平成28年(西暦2016年)3月18日(金)



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 そう自問する内に、彼は、孝江に会ひたいと言ふ気持ちが強まって来る事をどうする事も出来無かった。そして、東日本大震災からもうすぐ5年に成ろうとする頃、富堅は、その感情を抑(おさ)える事が出来無く成った。彼は、孝江に、会ひたいと言ふメイルを送った。
 孝江は、喜んだ。そして、自分の居る町に来てくれるの?と富堅に尋ねた。富堅は、もちろん行くと答えた。そして、孝江の体調が許すのであれば、近いうちに、彼女が暮らす被災地の町を訪れ、短時間でも良いので、会ひたいと言ふメイルを送ったのだった。

平成28年(西暦2016年)3月22日(火)



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 富堅は、妻を愛して居た。そして、もちろん、子供達を愛して居る。だから、この旅は、富堅が、その愛する家族を捨てようとする一歩ではありえなかった。
 だからこそと言ふべきだろう。富堅は、妻と子供達に、この旅の本当の目的を言はなかった。彼は、ただ、久しぶりに独りで東北を見たく成ったと言って、この短い旅に出たのであった。
 元々、写真と旅が趣味である富堅がそう言って短い旅に出る事を家族は不思議に思はなかった。そして、富堅が、医学部時代の友人を通じて、東日本大震災後の東北の医療に関心を寄せ続けて居る事を彼の妻と子供達は知ってゐた。だから、富堅が久しぶりに短い一人旅をする事も、その行き先が東北である事についても、家族の誰も、不思議とは思はなかった。
 そうして彼は、妻にも子供たちにもその存在を語った事の無い過去の恋人を訪れる旅に出たのだった。    

平成28年(西暦2016年)3月23日(水)




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 今、その女性は、彼の前に居た。そして、優しい微笑を浮かべて、彼を見つめてゐるのだった。  

平成28年(西暦2016年)3月24日(木)



                  57


 「先生、私、死ぬのは、怖くないの。」と、孝江は言った。
「死ぬのは、怖くないの。」
 孝江は、小さな声で、その同じ言葉を、もう一度、繰り返した。
 「でも」と孝江は言った。
「まだ生きたいの。」そう言って、孝江は、微笑んだ。
「矛盾してるかしら?」孝江は笑って、富樫の顔を見た。
 富樫は、何も言はずに、首を横に振った。
「まだ仕事をしたいわ」孝江は、そう言って、目の前のカップを見つめた。
「それに、娘を見守りたいの。」そう言って、孝江は黙り込んだ。
 沈黙が流れた。すると、その沈黙を破って、孝江が言った。
「だから、受けられる治療は何でも受ける事にしてゐるわ。」
 孝江のその言葉に、富樫は、うなずいた。

平成28年(西暦2016年)4月20日(水)



                  58

 「それにね」と、孝江は言った。
「自分が死んだら、その後、この世界がどう成って行くのか、それが気掛かりなの。」
 富樫は、孝江の言葉を無言で聞いた。
「おかしいわね。私なんかが心配したってしょうが無いのに。私は神様じゃないのに、この世界がどう成って行くか、なんて、自分が神様みたいな事を考えるのよ。私は神様じゃない。でも、自分が死んだ後の世界の事が心配なの。まるで、この世界で起こる事の全てが、自分の責任みたいに思へるの。これは、この病気に成ってからよ。私が死んでから、又、津波が来るんじゃないだろうか、とか。そうしたら、又、子供が死ぬんだろうか、とか。或いは、津波は来なかったとしても、私が知ってる子供たちが、私が居なく成った世界でどんな風に生きて、どんな大人に成るんだろうかとか、思ふのよ。みんな、幸せに成るんだろうかとか、まるで、神様が自分が作った世界の行方を気にするみたいに心配してゐるの。」孝江は、そう言って笑った。
 富樫は、「そんな事を・・」と言ひ掛けた。だが、富樫がその続きを言ふ前に、孝江は言葉を続けた。
「大丈夫。心配しないで。自分が死ぬと決めてる訳じゃないのよ。治療はやめないわ。私は、癌とは最後まで戦ふ積もりよ。だって・・・」
 孝江は、富樫を見た。
「だって、私は、自分が、子供達に、病気と闘へと言ひ続けて来たんだもの。癌と戦ひなさいと、小児癌の子供たちに言ひ続けて来た私が、癌と戦はなかったら、死んだ子供たちに合はせる顔が無いわ。」孝江は、そう独白する様に言った。
       
平成28年(西暦2016年)5月10日(火)



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 沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは、孝江だった。
 「先生、神様って、居ると思ふ?」
 富樫は、その問ひに当惑した。そんな事を聞かれるとは思ってゐなかったからである。だが、孝江は、富樫を見つめて、その問ひへの答えを待ってゐるのだった。
 「わからない。」富樫は、孝江のその眼差しに答える様に言った。すると、孝江は、静かに言った。
 「私、あの日からずっと考えてゐるのよ。」
 孝江が口にした「あの日」とは、明らかに、東日本大震災が起きた日の事であった。
 「神様が居るなら、何故、大川小学校の子供達は、津波で死ななければならなかったの?」孝江は、そう言って、富樫を見つめた。
 「私は、宗教は無いけれど、あの日からずっと、それを考えてるの。神様を信じて生きて来たのではなかったけど、あの津波が来た日からずっと、神様は居るんだろうか?って、毎日考えてゐるのよ。」富樫は、何も言はなかった。
 「神様って、居ないのかな。それとも、神様は居て、あの津波は、その神様が考えた事なの?」そう言って、孝江は、視線を落とした。 
       
平成28年(西暦2016年)5月11日(水)



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 「先生、私、昔の事はもういいの。」孝江が不意に言った。
「もういいのよ。昔の事は。何も気にしてゐないわ。だから、先生も全然気にしないでいいの。」そう言って、孝江は富樫を見た。富樫は、何も言はないまま、孝江の言ふ言葉を聞いた。
 「私と先生は、一緒に成らなかった。でも・・」と孝江は言った。
 「そのお陰で、私は、娘の母親に成れたんだもの。あの子の母親に成れたのよ。」孝江は、富樫を見て言った。
「やっぱり、神様は居るんだわ。」
 孝江は、そう独り言の様に言った。
「矛盾してるわね。」孝江は、そう言って、笑った。
「先生も、今の奥さんに出会って、お子さんたちのお父さんに成ったんだから・・」と、孝江は言った。
「やっぱり、神様は居るのよ。」
 そう言った孝江の視線を、富樫は、無言で受け止めた。
      
平成28年(西暦2016年)5月12日(木)



                  61


 「先生、私、嬉しかった。」
孝江は、静かな声で言った。
「先生が、千恵ちゃんの事、覚えてゐてくれて。」
 孝江は、視線を落として、独り言を言ふ様に言った。それは、二十数年前、富樫の患者であった白血病の女児の名であった。
「もちろん、覚えてるよ。」と、富樫は答えた。
「そう。」と、孝江は、顔を輝かせた。
「あの子、私にとてもなついてたの。」
「そうだったよね。」富樫は、うなずいた。
「あの子、本当に、私になついてたのよ。だから、あの子が死んだ時、私、本当に辛かった。」富樫は、何も言はずに、孝江を見つめた。
「あの子が死んだ時も」と孝江は言った。
「私、神様って居るんだろうか?って思ったのよ。そして、5年前の津波で大勢の子供が死んでからも、又、同じことを考えてるの。神様は、居るんだろうか?って。」
 富樫は何も言はなかった。
「あの子・・・」と孝江は言った。
「クリスマスの直前に死んだのよね。」
「12月20日。」と、富樫は言った。
「良く覚えてるわね、先生。」孝江は、目を丸くした。
       

平成28年(西暦2016年)5月13日(金)



                 62



 「頂度、その1週間前に、僕がクリスマス会でピアノを弾いたからね。それでその日付けを良く覚えてるんだよ。入院してる子たちの前で僕がピアノを弾いた1週間後にあの子が急変したから、良く覚えてるんだ。」富樫のその言葉に、孝江は、気持ちが高ぶった様に見えた。
 「それで覚えてゐるのね。私、嬉しい。先生が、あの時の事をそんなに覚えてゐてくれて。」富樫は、無言で微笑んだ。その富樫に、孝江は言った。
 「医者も看護師も、次から次へと患者さんが死んで行くから、亡くなった患者さんを忘れるのは当然よ。医者も看護師も、人が死ぬのを見送って、そして、忘れるものよ。でも、小児科は別。小児科の看護師は、死んだ子の事を忘れられないわ。」富樫は何も言はなかった。
 「私は、特にそうかも知れないけど。」孝江は、そう言って、テーブルを見つめた。
       
平成28年(西暦2016年)5月16日(月)



                 63



 「あの時、子供たち、本当に喜んでたわ。」孝江は、そう言って、目を上げた。
 「小児科病棟のクリスマス会はあの時期に毎年やってたけど、職員がピアノを弾いたのは、あれが初めてだったのよね。」
「そうだったね。」と言って、富樫は頷(うなず)いた。
「先生が自分でピアノを弾くって、確か、先生が自分で言ひ出したのよね?」富樫は、頷いた。
「あの時、弾いたのは・・・」と、富樫は言った。
「バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』、シューベルトの即興曲第2番、それにシューマンの『トロイメライ』・・・」
と、富樫は、その時自分が弾いた曲の名前を口にした。
「あの時、先生、私に言った事、覚えてる?」
「?」
「先生、私に言ったのよ。『子供って、素晴らしいんだよ』って。『子供は、大人が思ってゐるよりずっと素晴らしいんだ』って言ったのよ。『子供だから、アニメの曲を弾いてやれば喜ぶだろう、なんて言ふのは、子供を知らない大人の言ふ事だって。子供には、バッハもベートーヴェンも分からない、と思ってゐる様な大人が、一番音楽が分からない。そんな風に思ふ大人は、子供を知らずに、子供を馬鹿にしてるんだ』って、先生が言ったのを、私、すごく良く覚えてるの。」
         
平成28年(西暦2016年)5月16日(月)




                 64



 「つまり、先生は、ボランティアの人達が、時々小児科の病棟に来てやってゐた音楽が不満だったのね。」そう言って、孝江は笑った。
「プロの人だって来てたのに。」
 富樫も一緒に笑った。
「先生は言ったわ。『子供は素晴らしいんだ』って。『子供は、バッハでもベートーヴェンでも、聴かせてやれば、目を輝かせて聴く』って。『難しい曲はやらないで下さい』なんて言ふのは、子供を知らない人だ、って。私は、先生が言ったこの言葉が忘れられないのよ。」孝江は、目を輝かせてゐた。
「それに、先生の話が良かったわ。」
「話?」
「そう。あの3番目の曲の前に話した事。」
「ああ。」と言って、富樫はその時の事を思ひ出した。
「『トロイメライ』を弾く前に話した事だね?」
「そう。あの猫の話。」
「『セロ弾きのゴーシュ』の猫だ。」
 そう言って、富樫は、天井を見上げた。  
       
平成28年(西暦2016年)5月16日(月)



                 65


 富樫は、子供の頃から何度も読んできた物語の一節を口にした。
 「『先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロイメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。』」
 天井を見つめながら、彼は、続けた。
「『生意気なことを云うな。ねこのくせに』セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようかとしばらく考えました・・・』」
「すごい!暗記してるのね。」孝江は、手を叩いて言った。
「『セロ弾きのゴーシュ』の中で、一番好きな所だよ。」と言って、富樫は、微笑んだ。
「下手くそなチェリストのゴーシュが家に帰って、一人でチェロを練習してゐると、ドアを叩く音がして、トマトをくわえた三毛猫が入って来る。三毛猫は、ゴーシュの前にトマトを置くと、彼に向かって、『シューマンのトロイメライを弾いて御覧なさい』と言ふ。」富樫は、そう言って、孝江を見た。
「子供の頃、初めてこの話を読んだ時、この場面が面白くてね。何て面白いんだろう、と思ったんだよ。猫が『トロイメライを弾いて御覧なさい』って言ふなんてね。そのせいだね。一人でピアノに向かって『トロイメライ』を弾くと、必ずこの場面を思ひ出すんだ。僕の場合は、チェロじゃなくて、ピアノだけどね。」
 そう言って、富樫は、笑った。
「あの日、この話をしたよね。『トロイメライ』を弾く前に。子供達に、これは、宮沢賢治のそんなお話に出て来る曲ですって言って。」孝江はうなずいた。
 でも、僕は、何で『トロイメライ』なんだろう?と、子供の頃から思ってたんだ。」
 孝江は、富樫を見つめた。富樫は、孝江のその視線を受けながら、言葉を続けた。
「大人に成って、わかる様に成った事が有るんだ。それは、この『トロイメライ』と言ふ曲が、とても悲しい曲だと言ふ事なんだ。あの曲は、本当に悲しい曲だ。そして、寂しい。そんな曲を、猫がやって来て、ゴーシュに『弾いて御覧なさい』と言ふんだ。でも、ゴーシュには、『トロイメライ』が弾けただろうか?弾けなかったと、僕は思ふ。あんな深い曲だもの。そんな自分には弾けない曲を猫なんかに『弾いてごらんなさい』と言はれてしまった。だから、ゴーシュは、あんなにむきに成って起こったんじゃないだろうか。」
「面白いわね。」と、孝江はつぶやいた。
 富樫は続けた。
「僕は、大人に成って、ゴーシュの気持ちがわかる様に成った。ゴーシュの自信の無さと、ゴーシュの孤独さが分かる様に成った。音楽をする人間は、みんな、孤独なんだ。音楽は、自分との闘ひだからね。ゴーシュは、その孤独の中に居るんだ。そこに猫がトマトをくわえて現れた。そして、『トロイメライをひいてごらんなさい』なんて言ふ。でも、ゴーシュはきっと、『トロイメライ』なんか弾けなかったんだと思ふ。だから、ゴーシュは、あんなに怒ったんだと思ふよ。」
 孝江は、何も言はないまま、微笑を浮かべながら、富樫のその言葉を聞いてゐた。 
 「あの時、僕は、子供たちに、『セロ弾きのゴーシュ』のあの場面の話をして、『トロイメライ』を弾いたっけね。みんな、あの後『セロ弾きのゴーシュ』を読んでくれたかな。」
 すると、孝江は笑って言った。
「私が読んだわ。」孝江は、富樫の目を見つめながら言った。
「私は、先生みたいに子供の頃、本を読まなかったの。だから、『セロ弾きのゴーシュ』も読んでなかったの。でも、あの日、先生の話を聞いて、『セロ弾きのゴーシュ』を読んだのよ。」  
       
平成28年(西暦2016年)5月16日(月)




                 66



 「そうだったのか。」と言って、富樫は微笑んだ。
「花巻に行った事は有る?」と、富樫は尋ねた。
「有るわよ。」
「東北新幹線の新花巻の駅は知ってる?」
「ええ。」
 富樫は言葉を切った。そして、何かを考える様な表情を浮かべて言った。
「あの東北新幹線の新花巻の駅の前に、『セロ弾きのゴーシュ』のレリーフが有るのを知ってる?」
「いいえ。」
 富樫は、言葉を続けた。
「花巻は、宮沢賢治が生まれた街だからね。宮沢賢治の街らしく、新幹線を降りると、駅の前に、『セロ弾きのゴーシュ』のレリーフが有るんだ。ゴーシュの姿が描かれたレリーフが来た人を迎えるんだ。」孝江は、無言で富樫の言葉を聞いた。
「そして、そのレリーフに、さっき僕が言った『セロ弾きのゴーシュ』の一節が書かれてゐるんだよ。『先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロイメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。』ってね。」
「そうなの。」
 富樫は頷いた。
「そのレリーフの前に人が立つと、センサーが感知して、音楽が流れるんだ。それが『トロイメライ』なんだよ。」
「へえ。」と言って、孝江は顔を輝かせた。
「そのレリーフの前に立つと、その猫の言った言葉通りに、レリ-フの中から『トロイメライ』が聴こえて来るんだ。初めて、東北新幹線で新花巻に行った時、駅の前であのレリーフを見てね。その前に立った時、レリーフに刻まれた『セロ弾きのゴーシュ』の一節と、レリーフの中から流れて来る『トロイメライ』に、それを作った人たちが、どれほど宮沢賢治を愛してゐるかを感じたんだ。」
 孝江は何も言はなかった。
「花巻の人達が、どれほど宮沢賢治を愛してゐるか、があのレリーフの前に立つと伝はって来るんだ。初めてあのレリーフの前に立った時・・・」と言って、富樫は言葉を切った。
「涙が出たよ。もうずっと昔の事だけど。」
 孝江は、無言だった。 
「ずっと昔、震災が起きるはるか前の事だ。」と、富樫は言った。           

平成28年(西暦2016年)5月17日(火)



                 67


 「震災が起きてから」と、富樫は言った。
「『トロイメライ』を弾く度(たび)に、僕は、東北の事を考えるよ。」  
 富樫は、言葉を続けた。
「『トロイメライ』を弾く度に、東北の事が心に浮かぶ。」
 富樫は、自分の手を見つめてゐた。  
「あの震災と津波が襲ったのは、宮沢賢治が生きたこの土地だった。彼が生きて愛した東北をあの日、地震と津波が襲った。そして、沢山の人々が命を落とした。あれから5年に成るけれど、東京で、ピアノに向かって『トロイメライ』を弾く度(たび)に、あの花巻のレリーフに書かれた『セロ弾きのゴーシュ』の一節と、あのレリーフから聴こえて来る『トロイメライ』を思ひ出すよ。宮沢賢治にあの『セロ弾きのゴーシュ』を書かせた東北が、あんな事に成ったと言ふ事が、この曲を弾くと、どうしても心に浮かんでしまふんだ。」
 孝江は無言だった。
「僕にとっては、『トロイメライ』は、あの震災を思ふ曲に成ってしまったな。」富樫は、そう言って小さくため息をついた。富樫のその言葉が切れると、孝江が聞いた。
「先生、『トロイメライ』って、どう言ふ意味?」
「小さな夢、と言ふ意味のドイツ語だよ。」
「そう。」と言って、孝江は、頷(うなず)いた。  
「あのクリスマス会の時、あの子が聞いたね。」
「あの子って、千恵ちゃん?」
「うん。『トロイメライ』ってどう言ふ意味?ってね。」
「良く覚えてるわね、先生。」そう言って、孝江は笑った。
       
平成28年(西暦2016年)5月17日(火)




                  68



 「先生」と孝江は、その笑ひに続いて言った。
「先生が知らない事が有るの。」孝江は、改まった表情でそう言った。富樫は、無言で孝枝を見つめた。
「千恵ちゃんね」と、孝江は言った。
「私と先生の事、知ってたのよ。」富樫の顔を見つめながら、孝江はそう言った。
「あの子だけよ。私達の事知ってたの。」富樫は何も言はなかった。
「病棟の誰も気が付かなかったけど、あの子だけが私と先生の事を知ってたの。」孝江はそう言って富樫に向けて居た視線を落とした。
 「どうして知ってたと思ふ?」と、孝江は聞いた。富樫は、全くわからなかった。

平成28年(西暦2016年)6月3日(金)




                 69



 沈黙が流れた。すると、その沈黙を破って、孝江が言った。
「先生、先生のピアノ聴きたいわ。」
 孝江は、そう言って、富樫を見つめた。
「約束だから、弾いてくれる?」
 孝江は微笑みを浮かべた。富樫は、うなずいた。孝江の言葉通り、富樫は、来る前に、ここでピアノを弾くと約束して居たのである。
「千恵ちゃんが好きだと言った曲・・弾いてくれる?」と、孝江は言った。       



                 70


 富樫は、もう一度うなずいた。そして、立ち上がると、持って来たリュックサックから、白い楽譜を取り出した。    

平成28年(西暦2016年)6月6日(月)



                 71


 富樫は、アップライド・ピアノの前に立った。そして、ピアノを開けると、その場で孝江を見た。富樫のその視線に、孝江は、喜びを顔に浮かべて言った。
「あの日、最後に弾いた曲ね?」
「いや。」と、富樫は言った。
「時間は十分に有るから。今日は、あの日弾いた曲を4曲全部弾くよ。」
 孝江は、手を叩いた。
「あの子が一番好きだったと言ったあの曲は、最後に弾くから。」と、富樫は言った。
「あの日と同じ様に。」
 富樫は、そう言って孝江を見つめた。そして、蓋を開けたピアノの前で、椅子に座った。         
       


                72


 彼は、楽譜を開いた。そして、その厚い楽譜に挟まれて居た別の楽譜のコピーをその開かれた楽譜の上に開いて置いた。それらの楽譜のコピーは、遠いあの日、富樫が、子供たちの為に弾いた4曲の内の最初の3曲だった。
 「では、弾くよ。」富樫は、そう言って、孝江の方を振り返った。孝江は、無言のまま、微笑み、頷(うなず)いた。   
       


                73



 富樫は、はっとした。『セロ弾きのゴーシュ』の中で、ゴ-シュが、三毛猫の前でチェロを弾き始める時、「では弾くよ」と言ふ場面が有った事を思ひ出したからである。
 自分が口にした言葉が、ゴーシュが猫に向かって言ふせりふと全く同じである事に、富樫は、心の中で苦笑した。そして、遠い昔、病棟で、子供たちの前で最初に弾いたバッハの曲の譜面を見つめた。
       



                74



 富樫は、「自分は、ゴーシュだ」と思った。そして、両手をピアノの鍵盤に置くと、あの日と同じ様に、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』を弾き始めた。              
         
    平成28年(西暦2016年)6月8日(水)


(バッハ『主よ人の望みの喜びよ』
https://www.youtube.com/watch?v=qIJacIvZoFo




                 75



 孝江は、無言で、富樫の弾くその旋律を聴いた。
                      


                 76



 遠い昔、富樫が子供たちの前で弾いたバッハのその旋律は、富樫の心の中に、その遠い日の記憶を蘇(よみがえ)らせた。あの日、ピアノを弾く彼を取り囲んだ子供たちの姿が、そして、あの日のクリスマス・ツリーの光景が、彼の心に浮かんだ。あれから、何と言ふ長い時間が流れた事だろうか。
 その遠い日の記憶が、今、自分の後ろでこの旋律を聴く孝江の心の中にも蘇(よみがえ)ってゐる事を、富樫は、ピアノを弾く背中に感じた。                     
 



                77



 そして、その旋律は、やがて静かに終はった。 
                     
平成28年(西暦2016年)6月10日(金)




                78



 孝江が、富樫の後ろで拍手をした。富樫は、ゆっくりと後ろを振り返り、孝江に微笑みを送った。それから。富樫は、何も言はないまま、再びピアノの方に向き直った。孝江の一人だけの拍手が止むと、富樫は、再び、両手をアップライド・ピアノの鍵盤の上に置いた。                
  
平成28年(西暦2016年)6月13日(月)




                79


 彼は、シューベルトの即興曲第2番を弾いた。静まり返った部屋に、シューベルトのその旋律が流れると、その途中で、不意に、ガラス戸の外が明るく成った。雲が切れ、空から庭に日が差したのである。孝江は、思はずその明るく成った庭を見た。まるで、富樫が弾くシューベルトの旋律が、そこに光を呼んだ様だった。                
 

(シューベルト即興曲第2番)
https://www.youtube.com/watch?v=2A5sUnM1aHk




                80



 「神様は、やっぱり居るのかも知れない。」
その明るく成った庭の光景に、孝江はそう思った。
              
 
(シューベルト即興曲第2番)
https://www.youtube.com/watch?v=2A5sUnM1aHk




                81



 やがて、シューベルトの即興曲は終はった。孝江は、再び手を叩いた。富樫が、その拍手に振り返り、微笑むと、孝江は、拍手の手を止めた。
「きれいな曲ね」と、孝江は言った。               
 
平成28年(西暦2016年)6月15日(水)




                82



 富樫は、うなずいた。そして、明るく成ったこの家の庭を見た。
「きれいな曲だよ。」と、彼は、ガラス戸の外を見ながら言った。
 それから、彼は、再びピアノに向き直った。そして、何も言はないまま、静かに『トロイメライ』を弾き始めた。        



                83


 富樫の心に、『セロ弾きのゴーシュ』の一節が浮かんだ。
 「先生、そうお怒りになっちゃ、お体にさわります。それよりシューマンのトロイメライを弾いてごらんなさい。聴いてあげますから」
  猫のその言葉に素直に従ふ様に、富樫は、ゆっくりと、『トロイメライ』を弾いた。          
 

(シューマン『トロイメライ」)
https://www.youtube.com/watch?v=VToutJZE9G8




                84



 「小さな夢(トロイメライ)」--その曲の名を富樫は、心の中でつぶやいた。「はかない夢」と訳した方が良いの
かも知れない。短い、一時(いっとき)の夢。取るに足らない夢。その夢は、すぐに終はってしまふ。その後には、
何が残るのだろうか?それは、そんな、はかない夢の音楽なのだった。       

平成28年(西暦2016年)6月16日(木)



                85



 これは夢なのだろうか?と、富樫は思った。
 今、自分は、遠い昔、自分が棄てた恋人の前で「トロイメライ」を弾いて居る。余命わずかかも知れない彼女の前で、「トロイメライ」を弾いて居る。これは、もしかすると、夢なのではないだろうか?この曲の題名通り、小さな、はかない夢なのではないのだろうか?取り止めも無い夢の中の時間ではないのだろうか?この曲を弾き終えた時、その夢は終はるのではないか?そして、その時、自分は、この時間が夢であった事を知るのではないか?富樫の心に、そんな考えが浮かんだ。もしそうならば、この曲を弾き終えた時、今、ここで「トロイメライ」を弾いて居る自分も、後ろでそれを聴いてゐる孝江も、消えてこの夢の世界から居なく成るのではないか?



                86



 富樫の弾く「トロイメライ」は、静かに流れ、そして、終はった。彼は、「トロイメライ」を弾き終えた手を鍵盤に置いたまま、動かなかった。「トロイメライ」の最後の音が、彼が踏むペダルによって、いつまでも、この部屋に余韻を残す様に思はれた。




                87



 静寂が訪れた。孝江は拍手をせず、無言のまま、その静寂を富樫と共有した。



                88



 その静寂は、いつまでも続くかの様に思はれた。



                89



 富樫は、ゆっくりと後ろを振り返った。そこには、孝江が居た。「トロイメライ」を弾き終えても、彼女は、そこ
に居た。それを確かめると、彼は、何も言はずに、孝江に微笑んだ。今流れた時間は、夢ではないのだった。

平成28年(西暦2016年)6月18日(土)




                90



 家の中は、静まり返ってゐた。そして、北国の冬の光が、ガラス戸を通して、そこに差し込んでゐた。その静寂と光の中で、富樫は、孝江と二人だけで、その夢ではない時間を共有してゐた。



                91



 「最後の曲を弾くよ。」と、富樫は言った。
「『チーク県の三つの民謡』。」と、富樫は、その曲の名を口にした。
 「バルトークの曲だ。」
富樫は、ピアノに向き直った。
 「あの子は、この曲が一番好きだと言ったの?」
富樫は、ピアノに向かったまま、孝江に尋ねた。
「ええ。」と、孝江は答えた。
 富樫は何も言はなかった。そして、無言のまま、再び、両手を鍵盤の上に置いた。



                  92



 そして、富樫は、静かに、その曲を弾き始めた。


(バルトーク『三つのチーク県の民謡』)
https://www.youtube.com/watch?v=lOP3tas-oYA



                  93


 『三つのチーク県の民謡』は、バルトークのピアノ曲である。
 ハンガリーの作曲家バルトーク(1881-1945)は、自国ハンガリーの古い民俗音楽を愛した。彼は、そのままでは消えて行く事が避けられないハンガリーの民謡を自ら旅して収集し、それらを採譜して、楽譜に残した。
 『三つのチーク県の民謡』は、1906年、当時ハンガリーの一部であったトランシルヴァニア地方を旅行したバルトークが、そのトランシルヴァニア地方の一地域であるチーク県の民謡に出会ひ、その民謡を基(もと)に、編曲したピアノの作品である。
 トランシルヴァニア地方は、現在はルーマニア領と成って居る。
 しかし、当時、この地方は、ハンガリーの一部で、そこは、ハンガリー民謡の宝庫であった。
 若いバルトークは、1906年に、当時ハンガリーであったこの地方を民謡採集の目的で旅行した。そして、そのトランシルヴァニア地方のチーク県で、一人の農民が縦笛で吹いて居た旋律に出会った。当時60歳だったその農民が縦笛で吹いて居たその旋律に、バルトークは魅惑された。そして、その農民が吹いて居た笛の旋律を、バルトークは、ほぼそのままの形でピアノ曲にした。それが、『三つのチーク県の民謡』である。
 その『三つのチーク県の民謡』を、富樫は、今、東日本大震災の被災地で、一人の女の為に弾いてゐるのだった。

平成28年(西暦2016年)6月27日(月)




                 94



 ピアノを弾く富樫の脳裏に、先ほど、彼が目にしたあの光景が浮かんだ。
 空は曇ってゐる。その灰色の冬の空の下に、かつて、そこに町が在った何も無い土地が広がってゐる。
 今は更地と成った、かつての町の光景。その光景の向こうには、海が在る。
 それは、富樫が、あの丘の上から、見た光景だった。そこには、何も無い。もちろん、人の姿も無い。それが、その土地の光景であった。
 先ほど見て来たその光景が、ピアノを弾く彼の脳裏に浮かんだのである。その丘からの光景を心に浮かべながら、富樫は、遠い昔、バルト-クが、チーク県で採取したその悲しげな民謡を弾いた。
 そうだ。自分は、あそこに居たのだ。そこから、孝江が居るこの家にやって来たのだ。バルトークのその曲を弾きながら、富樫は、そう思った。


平成28年(西暦2016年)6月29日(水)






                 95



 「これは、過去を惜しむ音楽なのだろうか?」と、富樫は思った。第一曲の冒頭である。「これは、過去を惜しむ、いや過去を悔(く)やむ旋律ではないのか?」富樫は、その天を仰(あお)ぐ様な旋律を弾きながら思った。
 三曲の民謡の第一曲は、誰かが過去を惜しんで、頭上の空を仰(あお)ぐ様な、その旋律で始まり、それから、その空の下で、冬の大地を歩く様に、ゆっくりと進む。
 これは、過去を想起し、惜しむ音楽ではないのか?これまで、何度も、数えきれないほど弾いて来たこの第一曲の冒頭の旋律に、富樫は、今、何故か、そんな思ひを抱いたのだった。




                 96



 これは、過去を惜しみ、そして愛(いと)おしむ旋律なのだ。
失はれた時間と失はれた世界への憧憬(どうけい)の旋律なのだ。
 もう一度あの時に戻れたら、そして、世界をあの時に戻せたら、と言ふ、人間の憧憬なのだ。富樫は、今、その事に気がついたのだった。




                 97



 曲は二曲目の民謡に進んだ。これは鳥の声だ、と富樫は思った。
 誰も居ない土地でひとり鳴く鳥。誰も居なく成った土地で、鳥は、春を告げる歌を歌ってゐる。だが、その歌を聞く者は居ない。その二曲目の民謡の冒頭を弾きながら、これは、その鳥の声だ、と富樫は思った。
 かつては、祭りが開かれ、人々の歌が聞かれた土地。だが、今、そこには、誰も居ない。人々は、何処へ行ったのだろう?そこで歌はれた歌は、もう失はれて、歌はれる事が無いのだろうか?
 その誰も居ない土地でひとり鳴く鳥の声。その誰も居ない土地で、春を告げて鳴くその鳥の声の何と美しい事か。
  富樫は、その鳥を思ひながら、ピアノを弾いた。




                 98



 この二つ目の民謡は、チーク県に伝はる古い悲恋の歌であった。
 親に許されぬ恋をした若者が、愛した娘と別れさせられる悲しみを歌った民謡が、バルトークが残したこの曲の原曲だったと、富樫は読んだ事が有る。
 バルトークは、1907年、当時はハンガリーの一部だったトランシルヴァニア地方を旅した際、そのトランシルヴァニア地方の一部であったチーク県で、この悲恋の歌に出会った。彼は、そして、その悲恋の歌を、この「三つのチーク県の民謡」と題されたこのピアノ曲集の第二曲としたのであった。
 バルトークは、若い頃、一人のヴァイオリニストを愛しながら失恋してゐる。この曲の原曲が、悲恋を歌ったトランシルヴァニア地方チーク県の民謡である事を知った時、富樫は、この民謡との出会ひが、若き日のバルトークの失恋と重なる、何かの因縁の様に思った事を思ひ出した。
 だが、今の富樫には、この曲が、悲恋の歌には聴こえないのであった。彼には、チーク県のこの民謡が、遠い昔の悲恋の歌ではなく、先ほど自分が見た、津波に襲はれて、人の居ない土地と成った、あの海辺の光景と不可分の調べとしてしか聴こえないのであった。そして、この民謡が、あの誰も居ない土地に春を告げる鳥の声の様にしか、聴こえないのであった。 




                 99



 その曲を、その遠い昔の悲恋の民謡を、彼は今、ここで、自分が棄てた女性の前で弾いてゐるのであった。


平成28年(西暦2016年)7月23日(土)



                100



 そして、富樫の弾くピアノは、最後の曲へと進んだ。三つのチーク県の民謡の最後の曲である。
 その曲の冒頭を、富樫は、ゆっくりとしたテンポで弾いた。
 この曲の冒頭を、こんなにゆっくりと弾くのは、作曲者バルト-クの指示を外れる弾き方である。この最後の民謡の冒頭を、これほどゆっくりとした、遅いテンポで弾くのは、もしかすると、自分だけかも知れない、と富樫は思ってゐた。
 だが、この曲の冒頭の和音は、そのゆっくりとした遅いテンポで弾く事で、初めてその本当の美しさが奏でられるのである。
 そう富樫は確信して居た。その確信通り、富樫は、その冒頭の和音たちを、本当にゆっくりとしたテンポで弾いた。 


平成28年(西暦2016年)7月25日(月)



                101



 何と言ふ美しい旋律だろうか。
 富樫の心に、この曲を小児科病棟で弾いた遠い日の記憶が浮かんだ。
 そうだ。この曲は、思ひ出なのだ。
 だから、この曲は、これほどまでに美しいのだ。
 「三つのチーク県の民謡」の最後の曲を弾きながら、富樫はその事に気が付いた。そして、その最後の曲は、終はりへと近づいた。   
    



                102



 部屋は、光にあふれてゐた。その光の中で、富樫は、静かに最後の民謡を弾き終へた。
          


                103



 静寂が訪れた。富樫と孝江だけが居るその部屋は、その深い静寂に包まれた。
 富樫は、手をピアノの上に置いたまま、動こうとしなかった。孝枝も動こうとしなかった。孝江は、何も言葉を発しないまま、ピアノに向かったまま動こうとしない富樫の後ろで、その静寂を共有してゐた。その静寂は、永遠に続くのではないか、と思はれた。
          


                104


 時間が止まったかの様だった。だが、時間は、矢張り、流れてゐた。
 富樫は、ピアノから手を離した。そして、ゆっくりと、自分の後ろを向いた。そこには孝江が居た。孝江は、さっきの様に拍手はせず、無言で富樫を見つめてゐた。そして、無言のまま、自分を振り返った富樫と目を合はせた。
 孝江は、微笑した。その微笑の美しさに富樫は、はっとした。何と美しい微笑だろう、と彼は思った。そして同時に、富樫は、彼女のその微笑の美しさに、忍び寄る死の影が潜んでゐる事を、見て取った。死は、影法師の様に、彼女の横に寄り添ってゐたのである。
          
平成28年(西暦2016年)7月26日(火)




                105



 沈黙が流れた。その沈黙の中で、富樫と孝江は、何も言葉を交はさず、ただ見つめ合った。やがて、その沈黙を破って言葉を口にしたのは、孝江だった。
 「この曲を書いたのは、ごめんなさい。何と言ふ人だったかしら?」孝江は、記憶を確かめる様に、既に聞いた事の有る質問をもう一度した。
 「バルトークと言ふ作曲家だよ。」と、富樫は答えた。
「そうだったわね。」と、孝江は言った。
「何処の国の人だったっかしら。」
「ハンガリーだよ。」富樫は、そう言って、楽譜の方を見た。
「でも、晩年はアメリカで暮らして、ハンガリーには帰らず、アメリカで死んだ。」
 富樫は、癌患者である孝江の前で「死んだ」と言ふ言葉を口にした事に気が付き、口を閉じた。だが、孝江は、そんな事は気にしない様子で質問を続けた。
 「どんな人だったの?」
 富樫は、考え込んだ。そして、静かな声で言った。
「不幸な人だったかも知れない。」
 孝江は、富樫を見つめた。
「どうして不幸だったの?」
  富樫は、もう一度、考え込んだ。
          
平成28年(西暦2016年)7月27日(水)




                106



 「先ず、彼は、若い頃、失恋した。」と、富樫は言った。
「それから、お母さんを亡くした。お母さんを亡くすと、彼は、ヒトラーを嫌ってアメリカに移住した。でも、彼は、アメリカが好きに成れなかった。」
 富樫は、楽譜を見つめたまま、言葉を続けた。
「アメリカが好きに成れなかった彼は、アメリカに移住してから自分の殻に閉じこもり、作曲をしなくなった。祖国と違ひ過ぎるアメリカで、彼は、祖国の事ばかり考えてゐたと思ふよ。そして、アメリカで、彼は、極貧の生活に追ひ込まれた。更には、病気に成った。」
「何の病気?」と孝江は尋ねた。
「白血病だよ。」富樫は、そう言って黙り込んだ。
「思ひ出したわ。」と、孝江は言った。
「あのクリスマス会で先生がこの曲を弾いた後、先生からその事を聞いたわ。」
 富樫は何も言はなかった。
「あのクリスマス会の後、私、先生に同じ事を聞いたわね。そして、この曲を書いた人も白血病にかかったんだと聞いたわ。」
  孝江は、遠い昔の会話を思ひ出してうなずいた。
          



                107


 「若い頃」と、富樫は言った。
「中学生の時に、初めてバルトークの写真を見た時に、その顔を見て、何て悲しそうな顔をした人だろう、と思った事を覚えてる。」
 孝江は何も言はなかった。
「あれは、晩年、アメリカで撮られた写真だと思ふ。遠くを見つめてゐる様な深い表情でね。その写真を見て、この作曲家は、一体どんな人だったのだろう、と思った。」
 富樫は、ガラス戸の外を見た。
「彼は、故郷に帰りたかったと思ふ。彼のあの深い表情は、彼の故郷に帰りたいと言ふ憧憬の感情を映し出した顔だと思ふ。」
 庭は、光に溢(あふ)れてゐた。
          



                108


 「実を言ふとね」と、富樫は言った。
「僕は、あのクリスマス会の時、この曲を弾く積もりは無かったんだ。」
 孝江は富樫を見つめた。
「最初、この曲を弾く積もりは全く無かった。バッハ、シューベルト、シューマンの曲を一曲ずつ弾いたら、最後に『聖しこの夜』を弾いて、あの日のクリスマス会は終はりにする積もりだったんだ。」富樫は、そう言って、宙を見つめた。
 「でも、何故か、急に、この曲を弾きたいと思ったんだ。子供たちが、僕が弾くピアノをあんなに真剣に聴いてくれるのを見たら、本当に、急に、バルトークのこの曲を子供たちに聴かせたくなったんだ。」
 孝江は何も言はなかった。
「何故だったのか、今でもわからない。子供たちに、この曲は、難し過ぎただろうか?」
 富樫は、そう言って考え込んだ。
          

   平成28年(西暦2016年)7月28日(木)




                109


 「先生、先生は言ったじゃない。」と、孝江は言った。
「『子供って、素晴らしいんだよ』って。」孝江は、そう言って微笑んだ。
「『子供は、大人が思ってゐるよりずっと素晴らしいんだ』って言ったのは先生よ。『子供には、アニメの曲を弾いてやればいいんだ、なんて思ふのは、子供の事を知らない大人の言ふ事だ』って言ったのは先生じゃない。」孝江は笑った。
 「その先生が、そんな事を言っちゃ駄目だわ。子供たちには、この曲は難しかっただろうか?なんて。」
 孝江は、そう言って富樫を見つめた。
「『子供には、難しい曲は分からない、と思ってゐる様な大人が、一番音楽が分からない。』と言ったのは、先生なのよ。」
 「そうだったね。」と、言って、富樫は苦笑した。
「でも不思議ね。」と、孝江は言った。
「本当になぜ、先生はあの時、この曲を弾いたのかしら?」
 そう言ふと、孝江は考え込んだ。
          
平成28年(西暦2016年)8月4日(木)




                110


 富樫は何も言はなかった。孝江も何も言おうとしなかった。すると、その沈黙を破ったのは、孝江だった。
 「先生。」と、孝江は言った。
 「千恵ちゃん、私たちの事を知ってたのよ。」
  孝江は、富樫がピアノを弾く前に言った言葉をもう一度口にした。
  「どうしてだと思ふ?」孝江は、そう言って富樫を見つめた。


平成28年(西暦2016年)8月17日(水)




                111



 「先生が今弾いた曲が理由なのよ。」孝江は、静かな声でそう言った。
    


                112



 「先生、覚えてる?」と、孝江は聞いた。
「千恵ちゃん、無菌室を出たのが、あのクリスマス会の前の日だったのよ。」富樫は、無言でうなずいた。
 孝江は言葉を続けた。
 「あの子の白血病、大変だったわよね。あの子重症で、感染を起こす可能性が高かったでしょう?それで、あの子、本当に長い間無菌室から出られなかったのよ。あの子、『もう私、この部屋を出られないのかな』なんて私に言った事も有ったのよ。それが、段々良く成って、あのクリスマス会の前の日に、無菌室を出られたのよ。」
 富樫は無言だった。
「あの子、その事をとても喜んで居たの。」
 孝江は、そう言って、遠い昔の情景を心に浮かべて居る様に見えた。




                113



 「11歳だったのよね。」と、孝江はつぶやいた。
「11歳に成ったばっかりだったの。そのお誕生日は無菌室で迎えたのよ、千恵ちゃん。12月の初めだったわ。その日、私、千恵ちゃんの担当だったの。無菌室の中で、あの子、私にこう聞いたのよ。『私、12歳の誕生日にこの世に居るかな』って。『もちろん、居るわよ』って、言ったら、何も言はないの。その何も言はずに黙ってゐる顔を見るのが辛くて・・・」と孝江は言った。
「それで、私、『もうすぐ、この無菌室からも出られるわよ』って、言ってしまったの。そうしたら・・・」
「それは覚えてるよ。」富樫は、さえぎる様に言った。
「それで、あの子がもう無菌室から出られると思っちゃったんだよね?」
「そう。」と、孝江は言った。
「『こんな寂しいお誕生日初めてだった』って、言ったのよ。それで、私、『もうすぐ、無菌室からも出られるわよ』って言っちゃたの。」
 富樫は何も言はなかった。
「師長さんに怒られたわ。」



                114


 「いや。」と、富樫はさえぎった。
「彼女を無菌室から出すことに決めたのは僕だ。」富樫は、そう言った。
「そして、それは、その頃から、彼女の状態が少しずつ良く成ったからだったんだ。だから、無菌室から出すことにしたんだ。もちろん、個室に入れる事を前提にね。」
 孝江は無言でうなずいた。
「だから、あの時の孝江の言葉だけで無菌室を出す事にした訳じゃない。それは、何度も言った通りだよ。」
 富樫は、いつの間にか、孝江を昔と同様、「孝江」と呼んでゐた。

平成28年(西暦2016年)8月19日(金)



                115


 「僕も、あの子を無菌室から出してあげたかったんだ。」と、富樫は言った。
 「それは何度も言ったよね。検査結果は良く成ってゐた。本当に良く成ってゐたんだ。そして、あの子は、あの時、もう余りにも長い間、無菌室に居たから・・・」
 孝江は、富樫を見た。
 「出してあげたかったんだ。」と言って、富樫は、雛人形たちを見た。   
 「クリスマス会の前に、あの子を無菌室から出したいと、僕も思ったんだ。」
 富樫は、雛人形を見つめたまま言った。
 「あの時、あの子をクリスマス会に間に合ふ様に無菌室から出した事は間違ってゐなかった。」
  孝江は、下を向いてゐた。そして、そうしてうつむいたまま、何も言はずに、富樫の言葉にうなずいてゐた。富樫は、孝江が、本当は、自分の言葉を信じてゐないのではないか?と疑ひながら、孝江の表情をうかがった。
  無菌室は、白血病の患者が、白血病によって感染への抵抗力を極度に低下させた際、患者を隔離し、細菌などの感染から守る為の特別な個室である。
  その白血病の女児は、孝江が口にした「もうすぐ、この無菌室からも出られるわよ」と言ふ言葉を聞いて、自分はもう無菌室から出られると誤解したのであった。まだ無菌室を出る段階ではなかった筈の子供に、自分が、もう無菌室から出られると言ふ誤解を与えてしまった事で、孝江は、自分を責めた。
 そして、自分が与えたその期待を切っ掛けに、本当はまだ感染への抵抗力が低く、無菌室から出す段階ではなかった白血病の子供を、早くに無菌室から出す事と成り、それから数日後の出来事を招いたと、信じてゐたのである。


平成28年(西暦2016年)8月21日(日)




                116



 無菌室から出て、普通の個室に移された白血病の女児は、熱も出さず、容体は安定してゐた。それを見た富樫と同僚たちは、更に、彼女が、小児科病棟で開かれるクリスマス会に参加する事をも許したのだった。
 女児は、喜んだ。クリスマス会の日、女児は、個室からも出る事が許されたのである。そして、皆が集まる小児科病棟のラウンジで、他の子供と一緒にクリスマスのケーキを食べたのだった。女児は、そこに飾られたクリスマス・ツリーが綺麗だと言った。そして、ラウンジに現れた富樫が、そのクリスマス・ツリーの横で弾くピアノを、他の子供達や、病棟の看護師、医師たち、そして自分の母親と一緒に聴いたのであった。
 だが、その数日後、女児は高熱を出した。採血の結果、女児は感染を起こし、敗血症の状態に陥ってゐる事が判明した。富樫と彼の同僚たちは、直ちに彼女を無菌室に戻し、抗生物質の大量投与を行なった。だが、それから数日後、白血病の女児は、意識不明と成り、急死したのであった。
 クリスマス会の前に、彼女を無菌室から出したのは、矢張り、早すぎたのだろうか?と、富樫たちは考えた。そして、孝江は、自分の言葉が、彼女を無菌室から出すのを早め、この結果を招いたのだと信じ、自分を責めたのであった。




                117



 孝江は、この女児の死は、自分のせいだと信じた。だが、富樫が言った通り、女児は、クリスマス会の直前、採血結果も改善し、容体は改善してゐたのである。従って、クリスマス会の直前に彼女を無菌室から出した事が早過ぎたとは言へなかった。
 富樫と他の医師たちは、そう確信し、孝江にその事を言ひ聴かせた。しかし、孝江は、再三富樫たちの説明を聴いても、この白血病の女児がクリスマス会の後で高熱を出し、急死したのは、自分のせいだと信じ続けたのだった。自分の不注意な言葉が、女児を無菌室から出す事を早め、それが、結果的に、女児をクリスマス会の後、感染で急死させる結果を招いたと信じて、富樫たちの説明を受け入れようとしなかったのである。    




                118


 この事が有ってから、富樫と孝江の間には、溝が生まれた。孝江は、「千恵ちゃんを死なせたのは自分だ」と言って、いつまでも自分を責め続けた。
 その孝江に、富樫は、孝江の言葉が彼女を死に導いたのではない事を再三語って聞かせた。富樫は、本当に、繰り返し、真摯な態度で、孝江にそう言って聞かせた。だが、孝江は、富樫の言葉に納得しなかった。それどころか、彼女の死を「仕方が無かった」と言ふ富樫に対して、孝江は、富樫が冷たいと言って、富樫をなじる様にすら成ったのであった。そうした二人の間の軋轢が、それから後、二人を別れに至らせる事に成って行ったのである。



                119


 東日本大震災の後、孝江のブログを見つけた富樫は、孝江が、自分のそのブログに、白血病で死んだあの女児の事を書いて居るのを読んだ。その事に、富樫は、衝撃を受けた。孝江が、あの女児の死に対して、今も罪の意識を持ってゐる事が、彼には、分かったからである。
 孝江のブログに書かれた文章から、その事を読み取る事が出来るのは、もしかすると、富樫だけかも知れなかった。そして、それを読み取る事が出来たから、富樫は、進行癌にかかった孝江に会おうと思ったのであった。癌に冒された孝江が、あの白血病で死んだ女児に対する自責の念に苦しみながら、この世を去って行く事は、富樫には、耐えられない事だったのである。



                120


 そうして、富樫は、ここにやって来たのである。しかし、こうして、孝江に会った今、目の前の孝江に向かって何を言ふべきか、彼は、分からなく成ってゐた。富樫は、あの女児の死について、孝江に向かって言ふべき言葉を見つける事が出来無かったのである。
 孝江が、今も持ち続けるあの女児の死についての罪悪感に対して、富樫が言へる事は、昔、彼が孝江に言った事の繰り返しに過ぎなかった。
 自分の目の前に居る、癌に冒された孝江に、自分は何を言おうとして、東日本大震災の被災地であるこの町までやって来たのか?富樫は、分からなく成ってゐた。  


平成28年(西暦2016年)8月22日(月)



                121


 沈黙が流れた。部屋の中は、しんと静まり返ってゐた。それは、まるで、あの子供の死も、富樫と孝江が別れて、それぞれが別々の人生を生きたそれからの年月も、そして、あの震災と津波も、実は無かったのではないか?と錯覚させられる様な、深く、長い静寂だった。全ては夢だったのではないか?そして、その夢が覚め、二人は、この静寂の中で、今、目を覚ましたのではないか?富樫は、そんな錯覚を抱いた。
 まるで、何事も無かったかの様に、二人の居るその部屋は、深い静寂に包まれてゐた。やがて、その沈黙を破って、孝江が静かに言った。
「私、変はったと思ふ?」
 それは、独り言の様な、静かな問ひ掛けだった。富樫は虚を突くかれた気がした。すると、孝江は、富樫の答えを聞かぬまま、更に、独り言の様な言葉を続けた。
 「私、変はったのよ。あの震災の後。」富樫は、何も言はぬまま、孝江の言葉の続きを聴いた。
 「あの震災で、私は変はったの。人の死に対する気持ちがそれ以前とは全然違ふ物に成ったの。」孝江は続けた。
 「だから、千恵ちゃんの事も、冷静に思ひ出す事が出来る様に成ったの。」富樫は、無言で孝江を見つめた。  
  

平成28年(西暦2016年)8月23日(火)



                122


 「あのクリスマス会の次の日、私、千恵ちゃんの担当だったの。千恵ちゃん、無菌室は出たけど、個室に居たから、私、千恵ちゃんの個室で、千恵ちゃんと二人きりに成ったの。それで、熱を測ったりした後、千恵ちゃんと二人で話をする時間が有ったの。」
 孝江は、そう言って、二十数年前の日の事を語った。
 「もちろん、前の日の事を話したわ。千恵ちゃん、出られないと思ってたクリスマス会に出られて嬉しかった、って言って、本当に喜んでた。」
 富樫は、無言で孝江の言葉を聴いた。
 「そして、もちろん、先生のピアノの話をしたわ。」と、孝江は言った。
「そうしたら、『どの曲が一番好きだった?』って、千恵ちゃんが、私に聞いたの。それで私は、『全部良かった』って答えたの。」孝江は、微笑を浮かべながら言った。
 「私も、千恵ちゃんに、『知恵ちゃんはどの曲が一番好きだった?』って聞いたの。そしたら、千恵ちゃん、一番最後の曲が、一番好きだった、って言ったのよ。」
「『三つのチーク県の民謡』が?」
「そう。」

平成28年(西暦2016年)8月24日(水)




                123


 孝江は、もう一度、同じ言葉を繰り返した。
「一番最後の曲が、一番好きだった、って言ったのよ。」
 富樫は、何も言はなかった。
「そう言った後に、あの子、急に、私に言ったの。『森さん、富樫先生が好きなの?』って。」
 孝江は、微笑した。
「私、驚いたわ。二人だけの場所で、突然、そんな事言はれて。十一歳の子供に。」

平成28年(西暦2016年)8月27日(土)



                124


 富樫は、虚を突かれた表情をした。その富樫を見つめながら、孝江は、言葉を続けた。
 「私、何も言へなかった。そうしたら、千恵ちゃん、静かに微笑んだのよ。何も言はずに。私、何も言へなかった。」
 孝江は、視線を落とした。そして、静かな声で続けた。
 「私、黙ってうなずいたの。そしたら、あの子、満面の笑みで言ったの。『やっぱり』って。」
 孝江は静かに笑った。そして、再び富樫を見た。
「私、『どうしてわかったの?』って聞いたの。そしたら、あの子、こう言ったのよ。富樫先生が最後の曲を弾いてる最中に、子供達の後ろで、立ってピアノを聴いてゐた看護師たちを見たんですって。」と孝江は言った。
 「その看護師たちの中で、私の様子が、他の人達と違ってた、って、言ったのよ。」
 富樫は、無言のままだった。
「先生が弾くピアノを聴いてゐた私が、とても幸せそうに見えたんですって。それで、私が、先生の事を好きなんじゃないかって思った、と言ったのよ。」
 孝江は、そう言って、前を見つめた。
「子供って、素晴らしいわ。」と、孝江は言った。

平成28年(西暦2016年)8月28日(日)




                125


 「子供って、大人が思ってゐるより、はるかに、色々な事がわかるの。私達大人の心の中の事も、ちゃんとわかるのよ。子供には、大人の事はわからない、なんて思ってゐたら、大間違ひよ。子供って凄い。本当に凄い。そして、本当に素晴らしいのよ。昔、先生が言った通りよ。」
 富樫には、孝江の気持ちが、少し昂(たかぶ)ってゐる様に思はれた。
 「私は、先生みたいに音楽の事なんかわからないわ。でも、本当に、先生が言ふ通りだわ。子供って素晴らしい。大人が思って居るよりもずっと。」
 富樫は、目を閉じて、孝江の言葉を聞いた。
「大人が、子供にはわからない、と思っても、子供は、ちゃんとわかって居るの。だから、あの子も、音楽を聴きながら、私の中が分かってしまったんだわ。」
 孝江は、そう言って、言葉を切った。

平成28年(西暦2016年)8月29日(月)




                126



 富樫は、何も言はなかった。その富樫に、孝江は言った。
「先生、気にしないでね。」
「?」
 孝江は、微笑を浮かべた。
「その後で、千恵ちゃん、こう聞いたのよ。『森さん、富樫先生と結婚するの?』って」孝江は、おかしそうに言った。
 「私、何も言はずに、うなずいたの。そうしたら、千恵ちゃん、『わあい』って言ったのよ。そして、『約束して』って言ったの。私、『うん』って言ったわ。そして、指切りしたの。そしたら、千恵ちゃん、こう言ったのよ。『私、きっと良く成る。病気を治して学校に行く。絶対に治ってみせる。約束する。だから、森さんは、富樫先生と結婚して。約束だよ。』って。だから、私も、『うん。約束する』って言ったの。千恵ちゃん、凄く喜んだ。」
 孝江は、そう言って笑った。富樫は、何も言はなかったが、孝江のその笑ひを共有する様に、微笑した。
 「先生に相談しないで、二人でそんな約束をしちゃったの。ごめんなさい。でも・・・」と、孝江は言った。
 「千恵ちゃん、約束を守らなかったのよね。だから・・・」と言って、孝江はため息をついた。
 「私も約束を守らなかった、って言ったら、千恵ちゃん許してくれるかな、って思ふの。」



                127



  「ごめんなさい。」と、孝江はつぶやいた。
 「いいや」と言って、富樫は、首を横に振った。




                128


 「それから二日後(あと)だったわね。あの子が高い熱を出したの。」
 富樫は、うなずいた。
 「緑膿菌の敗血症だった。」と、富樫は言った。
 孝江も、富樫の言葉にうなずいた。
 「結局、無菌室に戻ったのよね。でも、抗生物質も効かなくて、結局、天国に行ったのよね。」
  富樫は何も言はなかった。
 「何日か、無菌室で抗生物質を投与したけど、熱が続いたまま、血圧も下がって、最後の日に、あの子が無菌室で急変した時、先生たち、物凄く長い時間、心臓マッサージしたわね。」と、孝江は言った。
 「それをずうっと見て居た千恵ちゃんのお母さんが、言ったのよね。『先生、ありがとうございました』って。」
 富樫は、孝江を見つめた。
 「『もう終はりにして結構です。』って、それを見て居た千恵ちゃんのお母さんが言ったのよ。それで、先生、ようやく、千恵ちゃんの心臓マッサージをやめたじゃない。」
 富樫は、無言だった。
 「凄く長い時間だった。」と、孝江は言った。


平成28年(西暦2016年)8月30日(火)
   
  


                129



 沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは、孝江だった。
「千恵ちゃんが死んだ時・・」と、孝江は言った。
「千恵ちゃんのお母さんが、先生に深々と頭を下げて、『先生、ありがとうございました。』って言ったでしょ。あの時、先生、何も言はなかったわね。私、先生が、何も言はなかった事、良く憶(おぼ)えてる。」
 孝江は続けた。
 「千恵ちゃんが死んで、先生が病室を出た後、千恵ちゃんのお母さんが、私に言ったのよ。『千恵は幸せでした』って。そして、お母さん、こう言ったのよ。『死ぬ前に、あの子を無菌室から出してやれて、本当に良かったと思ひます。あの子は、無菌室を出て、あのクリスマス会に出れた事を本当に喜んで居ました。』って。」
 富樫は、何も言はないまま、孝江の言葉を聴いた。
 「昔、話したわよね?」と、孝江は尋ねた。
「聞いたかも知れない。」と、富樫は答えた。
 孝江は続けた。
 「それから、千恵ちゃんのお母さん言ったのよ。『あの子は、富樫先生のピアノを聴いて、とても感動して居ました。』って。そして、『千恵は、ピアノを習って居たけれど、練習が嫌ひでやめてしまったんです。その千恵が、退院したら、もう一度ピアノをやりたいって、言ったんです。』って。」これは、先生に話したかしら?」
  「それは、聴かなかったな。」と、富樫は答えた。
  「私、話さなかったかしら?」と、孝江は、つぶやいた。 
   

平成28年(西暦2016年)9月6日(火)




                130



 「私・・・」と、孝江は言った。
「千恵ちゃんとしたあの約束の事、今まで、誰にも言った事が無かったの。」
 孝江は、前を見つめながら言った。
「今日が初めてよ。千恵ちゃんとしたあの約束の事を誰かに話したの。」そう言って、孝江は微笑んだ。
 「結局、先生に話す事に成ったのね。気にしないで聴いて。私も、千恵ちゃんも、お互いに約束を守れなかったわ。でも、私、千恵ちゃんが、死ぬ直前に、良く成って見せる、って私に約束してくれた事が本当に嬉しかったの。小児科の看護師にとって、病気の子が、あんな約束をしてくれた事くらい嬉しい事は無いわ。あの約束は、私にとって、宝物なの。」
 富樫は、何も言はなかった。
「でも、自分が死に近づいて、気がついたの。私の心の中にしか無い思ひ出は、私が死んだら、もう永遠にこの世から無く成ってしまふのよ。」
 孝江は、独り言を言ふ様にそう言った。
「私の心の中にしか無い思ひ出や記憶は、私が死んだら、もう完全に、この世から消えて無く成ってしまふ事に気が付いたの。私とあの子が、あの日、あの約束をした思ひ出も、私達が、お互いにその約束を守れなかった事も、本当に、無に成るのよ。この世で、もう誰も知らない事に成るの。全てが無に成って、それを知って居る人は、誰も居なく成るの。」
 孝江は、そう言って、富樫を見つめた。
「今日、それを先生に話せて良かった。」と、孝江は言った。
 その言葉に、富樫も孝江を見た。
「先生、私、今本当に幸せよ。」孝江は、そう言って、静かに微笑んだ。
    

平成28年(西暦2016年)9月7日(水)




                  131



 「あの震災の後・・・」と、孝江は言った。
「私、千恵ちゃんの事を、とても良く思ひ出す様に成ったの。」
 孝江は、そう言って、宙を見つめた。
「もちろん、それまでも、千恵ちゃんを忘れた事なんて一度も無かったわ。でも、あの震災と津波の後、私、それまで以上に、あの子の事を思ひ出す様に成ったの。」
 富樫は、無言だった。
「私、震災の後、千恵ちゃんと、あの約束をした日の事を、本当に良く思ひ出すの。私の約束はいいのよ。私が、先生と結婚しなかった事はいいの。それは、大人の事よ。そして、遠い昔の事よ。でも、子供が、・・・」と、孝江は言った。
 「子供が、病気から治って見せる、と約束したのに、神様は、何故、その子供の命を取り上げたの?」
 富樫は、孝江のその問ひに答える事が出来無かった。彼は、孝江の視線を感じながら、孝江を見ようとはしなかった。
 「あの震災の後、私は、そう思ふ様に成ったの。」と、孝江は言った。
 「何故なのかしらね?」
 孝江は、自問した。       


平成28年(西暦2016年)9月10日(土)





                 132



 富樫は、何も言はなかった。その富樫の脳裏に、先ほど彼が見下ろした、あの海辺の土地の光景が浮かんだ。津波に襲はれ、町が消えたあの海辺の土地の光景が、彼の心に、不意に浮かんだのであった。その無人の光景を反芻(はんすう)しながら、富樫は、孝江の問ひへの答えを見つけようとした。  




                 133



 だが、答えは見つからなかった。すると、考え続ける富樫に、孝江が言った。
「先生、お願ひが有るの。」
 富樫は、孝江を見た。
「もう一度、あの曲を弾いてくれる?」孝江は、静かな声で言った。
「千恵ちゃんが一番好きだと言ったあの曲。」
 富樫は、微笑した。そして、孝江を見て、うなずくと、「いいよ。」と答えた。
 「ありがとう。」と、孝江は言った。  
  富樫は、静かに、もう一度、ピアノの前に座った。そして、先程弾いたバルトークの楽譜を再び開いた。すると、彼の心の中に、昔、この曲を好きだと言った、あの白血病の女児の思ひ出が蘇(よみがえ)ったのだった。




                 134



 富樫は、ピアノに手を置いた。そして、もう一度、『三つのチーク県の民謡』を弾いた。
       

平成28年(西暦2016年)9月13日(火)




                 135



 富樫が、孝江に別れを告げ、孝江の家を後にしようとした時、既に、日は傾いてゐた。
 富樫の娘は、まだ戻らなかった。富樫は、孝江が、夕方の冷気の中に出るのは良くないと言って、玄関で、孝江と別れようとした。だが、孝江は、富樫を見送ると言って、富樫と共に、夕方の街に出たのだった。
 孝江は、「すぐそこまでよ。」と言って、富樫の横を歩いた。
「駅までは行かないわ。」孝江は、そう言ふと、歩きながら、夕方の静まり返った空を見上げた。空は、夕焼けに染まってゐた。
 その夕焼けの空を一羽の鳥が横切って行くのが、富樫の目に留まった。
       


                 136



 「美しい」と、富樫は、その夕焼けを見て思った。そして、その夕焼けの空の下を、孝江と共に歩き続けた。
 街は、静まり返ってゐた。そして、二人が歩く道に、人影は見られなかった。富樫と孝江は、その人気(ひとけ)の無い、静まり返った街を、言葉を交はさぬまま、歩き続けた。
 やがて、二人は、十字路にたどり着いた。
 「ここでお別れするわね。」と言って、孝江は足を止めた。
 「うん。」と言って、富樫も足を止めた。




                 137



 二人が足を止めると、辺りは、深い静寂に包まれた。何も聞こえなかった。まるで、そこには誰も居ないかの様な深い静寂が、辺りを支配した。ただ、富樫と孝江が吐く白い息だけが、そこに、生きた二人の人間が居る事と、その二人を包む北国の夕方の冷気の存在を想起させた。
 その静寂の世界を、北国の夕日が、包んで居た。夕日は、その十字路と、そして、孝江が住むこの街の全てを包んでゐた。
 あらゆる物が、その夕日の中に在った。全ての光景が、その夕日の中で、これから訪れる夜を、静かに待ち受けてゐた。
 その夕日の中で、富樫は、孝江を見つめた。富樫は、その十字路で足を止めたまま、何も言はずに、孝江を見つめた。孝江も、富樫を見つめた。富樫も、孝江も、そうして、何も言はずに、夕日の中で、お互いを見つめた。




                 138



  「孝江。」
  富樫は、小さな声で、女の名を呼んだ。その女は、夕日の中で、今、富樫の目の前に立ってゐた。
  「はい。」
  孝江は、富樫に答えた。
  孝江は微笑んだ。そして、無言で富樫を見つめると、静かに、「先生、さようなら。」と、言った。その声の優しさが、富樫に、遠い昔、自分が、初めてこの女に会った時の事を思ひ出させた。
  富樫は、何も言はなかった。何かを言ふ代はりに、彼は、微笑して、うなずいた。すると、孝江も、無言でうなずいた。
 富樫は、「さようなら。」と言おうとした。だが、富樫は、その言葉を口にすることが出来無かった。彼は、自分の心の中で、その言葉をつぶやく事しか出来無かった。
       

平成28年(西暦2016年)9月14日(水)




                 139



 富樫は、もう一度だけ、孝江を見た。彼は、何も言はずに、孝江に微笑みを送った。孝江も、微笑みを返した。

 富樫は、駅に行く道の方を向いた。
 富樫は、そこで、夕焼けを見上げた。北国の夕焼けは、今、その美しさの極みの時間を迎えてゐた。その美しさの極みを迎えた夕焼けを見上げて、富樫は、自分は、今だかつて、こんな美しい夕焼けを、見た事が有っただろうか?と、思った。
 いや、きっと見た事が有るのだろう。だが、自分は、その美しさに気付かなかったのだ、と、彼の心の中で、彼のもう一人の自分が、答えた。お前は、美しい夕焼けを見ながら、それに気が付かなかったのだ、と、そのもう一人の自分は、言った。富樫は、心の中で、うなずいた。そして、無言のまま、ゆっくりと、駅の方向に向かって、歩き始めたのだった。    
       


                  140


 富樫は、振り返らなかった。彼は、自分の背中に、孝江の視線を感じながら、振り返らずに、駅への道を歩いた。静寂の中で、彼の耳に聞こえるのは、その道を歩く自分の足音だけだった。そして、その自分の足の下に、冷え切った北国の大地の存在を感じた。
 彼は、時々、頭上の夕焼けを見上げた。だが、それは、もう、ただ、自分に後ろを振り返らせない為に、そうしてゐるだけの事だった。そして、それは、自分の背後の孝江に、もう、自分の心は、この街から離れたのだと思はせる為の演技でもあるのだった。   



                  141



 道は、曲がり角に差し掛かった。そこを曲がれば、駅は、もう目の前だった。
 富樫は立ち止まった。そこを曲がれば、もう、後ろを振り返っても、あの十字路を見る事は出来無かった。振り返るのなら、そこが最後の場所だった。
 富樫は、立ち止まった自分の足元を見た。見ると、そこには、夕日の中の、彼の長い影が有った。
 影は、彼の分身である。遠い昔から、影は、彼と一緒にこの地上を歩いて来た。その彼の分身である富樫の影は、夕日の底で、「何故振り向かないのだ?」と、問ひ掛けてゐる様だった。
 富樫は、振り返る事が怖かった。
 孝江は、まだ、あの十字路に立って居るだろうか?と、富樫は、思った。彼は、それを知る事が怖かったのである。彼は、足元の自分の影を見つめた。だが、影は、何も言おうとしなかった。彼の影は、何も言はずに、ただ、富樫が、振り返るかどうかを、彼の足元で、見守ってゐるのだった。
 その時であった。富樫は、「先生」と彼を呼ぶ声を聞いたのである。
          


                 142



 富樫は、振り返った。見ると、あの十字路に孝江は居た。そして、そこから、彼女は、富樫を呼んだのであった。
 「孝江」と、富樫は呼ぼうとした。だが、それは、言葉に成らなかった。彼は、声を出せなかったのである。富樫は、心の中で、孝江の名を呼んだ。そして、静かに右腕を上げると、その離れた十字路に居る孝江に向かって、ゆっくりと、手を振ったのであった。
 孝江も、富樫に手を振った。夕日の中で、そうして、手を振る孝江の姿を、富樫は、幻を見る様な目で見つめた。
          
   平成28年(西暦2016年)9月15日(木)




                  143



 やがて、孝江は、手を振るのを止めた。孝江は手を降ろして、その十字路から、富樫を見つめた。富樫も、手を降ろして、十字路に立つ孝江を見つめた。
 富樫には、たった今、自分がそこに居たその十字路が、遠い、はるかな世界である様に思はれた。富樫には、たった今、孝江に別れを告げたその場所が、自分には、もう戻る事の出来無い、遠い世界の一隅の様に思はれるのだった。その遠く成った世界から、孝江は、富樫を見つめてゐた。
 二人は、その離れた場所から、お互いを見つめた。二人は、手も振らず、声も出さず、ただそうして、夕日の中で、遠く成ったお互いの姿を見つめ合った。それは、長い時間であった。

 富樫は、目を閉じた。そして、目を閉じたまま、静かに、自分が向かふ駅の方向を向いた。
  それから、彼は、静かに目を開けた。彼は、もう振り返らなかった。そして、曲がり角を曲がって、もう十字路が見えない場所に来ると、彼は、何事も無かったかの様に、ゆっくりと、駅に向かって歩いた。
 辺りは、静まり返ってゐた。富樫の目の前に現れた駅の前に、人影は全く見られなかった。そして、その人気(ひとけ)の無い駅前の広場の上に、宵(よい)の明星が輝いてゐるのを富樫は、見た。その明星の下に立つ、駅前広場の時計は、もう間も無く、彼が乗る列車が、到着する事を告げて居た。
 「東京に着くのは、何時に成るだろう?」と、富樫は、思った。

 こうして、彼の旅は終はった。 
        

平成28年(西暦2016年)9月16日(金)


 (続く)
  
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/8615362.html
(続きはこちらで読めます。)




(バルトーク『三つのチーク県の民謡』)
https://www.youtube.com/watch?v=lOP3tas-oYA



(バッハ『主よ人の望みの喜びよ』
https://www.youtube.com/watch?v=qIJacIvZoFo

(シューベルト即興曲第2番)
https://www.youtube.com/watch?v=2A5sUnM1aHk

(シューマン『トロイメライ」)
https://www.youtube.com/watch?v=VToutJZE9G8



   西岡昌紀(にしおかまさのり)


(この小説は、フィクションであり、実在の人物、団体、出来事とは一切関係が有りません。又、登場人物の独白、発言は、作者の見解とは無関係です。この小説の著作権は、作者(西岡昌紀)の全ての作品と同様、執筆開始から現在まで、常に、一貫して、作者である西岡昌紀に有ります。(この作品の著作権が、一時的にも作者以外の個人、企業、などに移動した事は、全く有りません)批評、批判の為の引用は自由ですが、この作品の概要または部分を他の小説、詩、随筆、日記、紀行文、劇画、映画、ドラマ、戯曲、ゲーム、広告、などに転用、利用する事は、形を問はず、固く禁じます。又、この作品を作者の同意無く外国語に翻訳する事を禁じます。)



(『三つのチーク県の民謡』(1)-(60))
http://archives.mag2.com/0000249630/20160512192804000.html

(『三つのチーク県の民謡』(60)-(100))
http://archives.mag2.com/0000249630/20160725211402000.html

(『三つのチーク県の民謡』(101)-(143))
http://archives.mag2.com/0000249630/20160916121358000.html


*

短編小説『三つのチーク県の民謡』

*




もうすぐ書き上がる短編小説です。
         ↓
http://archives.mag2.com/0000249630/20160512192804000.html
(『三つのチーク県の民謡』(1)~(60))





東日本大震災を主題にした小説です。





数日後に完結すると思ひますので、よろしければお読みください。




(続きです)
   ↓


(『三つのチーク県の民謡』(60)-(100))
http://archives.mag2.com/0000249630/20160725211402000.html

(『三つのチーク県の民謡』(101)-(143))
http://archives.mag2.com/0000249630/20160916121358000.html



(『三つのチーク県の民謡』(144))
http://archives.mag2.com/0000249630/20160916123148000.html
(ここまで書きました。)


-------------------------------------------------------
(以下、この続きです)



               三つのチーク県の民謡



                   144



 3月11日が来た。東日本大震災と福島第一原発事故から5年目の日であるこの日は、5年前と同じ金曜日であった。その事が、人々に、あの日を、より強く想起させた。
 しかし、その金曜日と成った3月11日、富樫は、朝から、診療に追はれてゐた。その診療が、余りに多忙であった為に、富樫は、その日が、3月11日である事を忘れかける様な状態であった。あれほど、この日を意識して来た富樫が、それを忘れそうに成る程、彼は、その日、忙しかったのである。
          


                   145



 彼は、この日、朝から外来だった。いつもの様に、待合室は、病気の子供達で溢(あふ)れ却ってゐた。その中には、インフルエンザの子供も居れば、肺炎の子供も居た。喘息の子供も居れば、腹痛の子供も居た。そして、もちろん、救急車で運ばれて来るその他の疾患の子供も居た。彼の外来は、いつもの事ながら、そうした子供達で一杯であった。
 もちろん、昼食を取る時間など無かった。彼は、いつもと同じ様に、昼食抜きで、外来の子供達を診察し、午後2時過ぎに成って、ようやく、「午前」の外来を終えた。
 それから、彼は、駆け足で、病棟に行った。そして、小児科病棟に入院してゐる子供たちを診て居ると、今度は、救急車でけいれんの子供が搬送されて来ると言ふ連絡が入り、彼は、病棟から外来に呼び戻された。救急車が到着すると、その子供の痙攣は、既に止まってゐた。しかし、富樫は、その子供が、髄膜炎に罹患してゐる可能性を疑ひ、その検査に追はれた。
 それは、全くもって、彼のいつもの生活であった。



                  146



 やがて、震災が起きた午後2時46分と成った。だが、その時、富樫は、救急外来で、髄膜炎が疑はれた子供の検査をしてゐる最中だった。彼は、仕事に忙殺され、その時刻が来た事を意識する余裕も無く、その時を迎えた。
 震災が起きた午後2時46分が過ぎた事に、富樫が気が付いたのは、その子供が髄膜炎と診断され、小児科病棟に入院した午後5時過ぎの事であった。    
          
         (続く)
  


平成28年(西暦2016年)9月16日(金)







(バルトーク『三つのチーク県の民謡』)
https://www.youtube.com/watch?v=lOP3tas-oYA




(バッハ『主よ人の望みの喜びよ』
https://www.youtube.com/watch?v=qIJacIvZoFo

(シューベルト即興曲第2番)
https://www.youtube.com/watch?v=2A5sUnM1aHk

(シューマン『トロイメライ」)
https://www.youtube.com/watch?v=VToutJZE9G8







   西岡昌紀(にしおかまさのり)


(この小説は、フィクションであり、実在の人物、団体、出来事とは一切関係が有りません。又、登場人物の独白、発言は、作者の見解とは無関係です。この小説の著作権は、作者(西岡昌紀)の全ての作品と同様、執筆開始から現在まで、常に、一貫して、作者である西岡昌紀に有ります。(この作品の著作権が、一時的にも作者以外
の個人、企業、などに移動した事は、全く有りません)批評、批判の為の引用は自由ですが、この作品の概要または部分を他の小説、詩、随筆、日記、紀行文、劇画、映画、ドラマ、戯曲、ゲーム、広告、などに転用、利用する事は、形を問はず、固く禁じます。又、この作品を作者の同意無く外国語に翻訳する事を禁じます。)


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