西岡昌紀のブログ

内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。

2018年03月

日野原重明氏の驚くべき発言--地下鉄神経ガス事件の謎

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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/9090440.html


1995年3月20日(月)に東京で起きた化学テロで使用された毒ガスは、(1)著しい縮瞳(2)呼吸困難(3)鮮紅色の皮膚をその症状とする物でした。


この内、(1)と(2)は、それが神経ガスであった事と一致します。ですから、使用された毒ガスが、神経ガスであった事は確かでしょう。しかし気に成るのは(3)です。


あの日、地下鉄に撒かれた毒ガスが、神経ガスであった事は確かでしょう。しかし、複数の種類が有る神経ガスの中で、あの日、使はれた神経ガスが、間違い無くサリンだったのか?或いは、サリンだけだったのか?と言ふ点について、私は、疑問を持って居ます。、「使はれたのは、サリンであり、サリンだけだった」と断定する事に、なお、疑問を持って居るのです。サリン以外の神経ガスも使はれたのではないか?と言ふ疑問を捨てられないのです。それは、この(3)鮮紅色の皮膚の問題が有るからです。


神経ガスには、サリン、タブン、VX、などが有ります。これらは皆、化学的には、有機リンです。そして、これらの有機リンは、副交感神経を刺激します。


その結果、縮瞳が起こり、気道の分泌物が増加します。ですから、縮瞳が顕著だった犠牲者達が、神経ガスに曝されたであろう事は、良く理解出来ます。しかし、皮膚が鮮紅色だったのは何故なのでしょうか?


私は、あの日、この化学テロの被害者たちの医療に当たった医師から直接話を聞きました。そして、その医師が言った次の言葉が忘れられないのです。


「始めは、一酸化炭素中毒かと思った。」


これが、その医師が私に言った言葉なのです。


一酸化炭素中毒の特徴は、皮膚が鮮紅色に成る事だからですが、それほど、あの日、地下鉄で化学テロに遭遇した被害者の皮膚は、鮮紅色だったのです。


もちろん、被害者たちは、一酸化炭素に曝された訳ではありません。縮瞳が著明だった事、呼吸困難を引き起こしてゐた事から判断して、神経ガスであった事は確かでしょう。しかし、サリンで皮膚が鮮紅色に成るのでしょうか?「一酸化炭素中毒かと思った」と、被害者の皮膚を見た医師が言った程に。


私は、文献を調べてみましたが、神経ガスの臨床症状に関する文献は極めて少なく、この点を文献的に確認する事は出来ませんでした。その上で今も思ふ事は、使はれたのは、神経ガスではあっただろうが、本当にサリンだったのか?或いは、サリンだけだったのか?と言ふ事なのです。


皮膚が鮮紅色に成ると言ふのは、一酸化炭素でないとすれば、シアノ基を持った物質ではないか?と、思ひます。


シアノ基(CN基)を持った神経ガスは有るのでしょうか?有ります。それは、タブン(tabun)です。歴史的には、サリンよりも先に、ドイツの化学者シュレーダーが、偶然、合成した最初の神経ガスです。そのタブンは、シアノ基を持つ物質です。あの日、タブンが撒かれた可能性は否定出来るのでしょうか?


こうした理由から、私は、1995年3月20日(月)に東京で起きた化学テロ事件を「地下鉄サリン事件」とではなく、「地下鉄神経ガス事件」と呼んで居ます。タブンが使用された可能性を否定出来るのか、分からないからです。


その地下鉄神経ガス事件(「地下鉄サリン事件」)に関して、驚くべき事実が有ります。それは、事件直後、聖路加国際病院院長(当時)だった日野原重明氏(1911~2017)が、テレビカメラの前で行なった発言です。


事件直後、多くの被害者を受け入れた聖路加国際病院院長(当時)日野原重明氏は、テレビカメラの前で、記者たちに事件の状況を報告しました。ところが、その報告(発表)の中で、日野原氏は、「使はれたのは、青酸系サリン」と発言してゐるのです。しかし、「青酸系サリン」とは、何の事でしょうか?青酸系神経ガスと言ふ意味だったのではないのでしょうか?ならば、それは、タブンです。


私は、その動画を昨年(2017年)、日野原氏が他界された直後に、日野原氏の生涯を振る返るテレビ番組の中で見たのです。日野原氏は、テレビカメラの前で、メモを手に、「使はれたのは、青酸系サリン」と言って居るのです。(この動画をネットで探したが、現時点では、まだ見つかりません。しかし、間違い無く、私は、それを見てゐます。)


「青酸系サリン」と言ふ言葉はおかしいのですが、これは、「青酸系神経ガス」の事なのではないでしょうか。つまり、日野原重明氏は、タブンが使はれた模様だと言ふ報告を受け、それを報告者が、「青酸系サリン」と書いた為、そのまま、それをテレビカメラの前で読み上げたのではないか?と思はれます。


仮にタブンが使用されたとする。その場合、問題に成るのは、オウムが、そのタブンを何処から入手したか?です。彼らは、自分達で、タブンを製造したのでしょうか?


この問題を追跡する有志が現れる事を期待します。



西岡昌紀




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「従軍慰安婦」達の「証言」は信用出来るか?

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福島みずほ氏、慰安婦裁判で朝日の虚報に合わせ証言工作疑惑

 朝日新聞が「韓国の女性を慰安婦にするため強制連行した」という証言が虚偽だったことをようやく認めたが、同紙の検証は重大な疑念を残すものだった。
 慰安婦問題で忘れてならないのは日本の“人権派”の存在だ。日本政府を相手取った慰安婦による賠償訴訟で弁護団の一員だったのが、後に国政に転じ、社民党代表となる参議院議員・福島みずほ氏だ。1991年1月に代表発起人として「『従軍慰安婦』問題を考える会」を発足させ、関係者から慰安婦についての聞き取りを行なっていた。
...
 福島氏には説明すべき疑惑がある。1991年に朝日新聞紙上で元慰安婦として証言した金学順さんは最初の会見では「14歳で親にキーセンに売られた」と語っていた。にもかかわらず、その後、福島氏が弁護人を務めた裁判の中で「軍人に無理矢理慰安所に連れて行かれた」と証言を変えた。朝日の虚報に合わせて裁判を有利にしようと工作した疑いがある。
 この問題について福島氏はだんまりを決め込んでいる。多忙を理由に本誌の取材に応じなかった。朝日新聞OBで『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』(小学館刊)を上梓した前川惠司氏のインタビュー依頼にも応じなかった。前川氏がこう語る。
「1992年8月にソウルで開かれた『挺身隊問題アジア連帯会議』での発言について取材を申し込みました。各国の慰安婦関係者が集まった会議で台湾代表が個人賠償を求めない姿勢を表明したり、インドに来たタイ人女性が『英国兵は日本兵よりもっと酷いことをした』といった主張をした際に、福島さんが『余計なことをいうな!』と野次ったとも報じられました(産経新聞、2014年5月25日付)。
 それが事実かの確認のために取材申請を出しましたが、スケジュール担当の秘書から『連絡する』といわれたきりです」


週刊ポスト2014年9月12日号
http://www.news-us.jp/article/404865084.html


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西岡昌紀(著)「放射線を医学する・ここがヘンだよ、『ホルミシス理論』」(リベルタ出版・2014年)より

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西岡昌紀(著)「放射線を医学する・ここがヘンだよ、『ホルミシス理論』」(リベルタ出版・2014年)より
http://www.amazon.co.jp/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%82%92%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%95%E3%81%93%E3%81%93%E3%81%8C%E3%83%98%E3%83%B3%E3%81%A0%E3%82%88%E3%80%8C%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%B9%E7%90%86%E8%AB%96%E3%80%8D-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4903724417/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1461669549&sr=8-1&keywords=%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%82%92%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B




       あとがきに代えて/「生きものの記録」と福島後の日本




1.失われた光景



 黒澤明監督の映画『七人の侍』は、春の田植えの光景で終わります。『七人の侍』は、野武士に繰り返し襲われて来た或る村で、農民たちが、ただ米の飯を腹一杯食わせると言うだけの条件で、侍を雇い、野武士と戦う物語です。犠牲を出しながら、その侍たちと農民と侍は、最後に、野武士を全滅させ、勝利を収めます。
 勝利を収めた後、生き残った三人の侍たちは、平和がよみがえったその村で、農民たちが、田植え歌を歌いながら、田植えをする光景を、無言で見つめます。そして、最後に、ひとりの侍が、有名なせりふを口にして、この映画は終わります。「勝ったのは、あの百姓たちだ。わしらではない。」
 私は、『七人の侍』のこのラストシーンが好きです。そして、その謎めいた言葉もさる事ながら、野武士を破り、勝利した農民たちが、田植え歌を歌いながら、田植えをするその光景が、本当に好きなのです。映画の前半で、志村喬(しむらたかし)が演じる侍が、百姓たちから受け取った米をよそった茶碗を手にしてその米に頭を下げ、「この飯(めし)、おろそかには食わぬぞ」と言う場面とともに、この最後の田植えの場面は、この映画(『七人の侍』)の隠れたテーマは、農業である事を暗示して居ます。このラストシーンの田植えの光景こそは、この映画の最も感動的な光景だと、私は、思います。
 その『七人の侍』のラストシーンの田植えの光景を、私は、思いだし続けて来ました。この3年間、3月11日が来る度に、この田植えの場面を思いだして来たのです。福島の大地の上で、こんな光景を見る日が再び来る事を夢想し、3月11日が来る度に、『七人の侍』の最後のこの田植えの光景を、心の中で思い浮かべて来たのです。機械化が進んで田植えの光景は変わりましたが、春が来て、遠い昔から、先祖たちが、毎年稲を植えて来た大地に稲を植える喜びは、同じである筈です。その遠い昔からの営みであった春の光景を、福島の一部は、失ったのです。
 『七人の侍』は、1954年に公開されました。ビキニ暗礁で行われた水爆実験で、日本の漁船第5福竜丸が被曝し、この事件を切っ掛けに、水爆実験で生まれた怪獣を描いた、あの『ゴジラ』が公開されたのと同じ、1954年の事です。今年の春は、福島第一原発事故から3年目の春であると同時に、その1954年から60年目の年に当たります。




2.作曲家・早坂文雄



 その『七人の侍』のラストシーンの田植え歌は、まるで、本当に、昔から歌われて来た田植え歌の様に聞こえますが、実は、この映画の音楽を担当した作曲家、早坂文雄(1914-1954)がオリジナルに作曲した音楽でした。早坂文雄は、札幌に生まれた作曲家です。彼は、若い頃は、札幌の教会でオルガニストをして居ましたが、上京し、戦争をはさんで、作曲家としての道を歩みます。早坂は、生活のために色々な仕事をしましたが、そのひとつが、映画の為の作曲でした。
 溝口健二監督の作品などで、彼は、単に生活のための仕事ではない、素晴らしい仕事をする事と成ります。そして、黒澤明監督(1910-1998)との出会いによって、そうした映画音楽の仕事は、更に価値有る物へと発展しました。ところが、早坂文雄は、病弱でした。そして、その病いの為に、『七人の侍』の成功の後、体調を崩し、闘病の日々を送る事と成ります。そして、黒澤明監督が、『七人の侍』の次の作品として取り組んで居た映画の準備中に、早坂文雄は、突然、この世を去ったのでした。彼が、黒澤明監督とともに、『七人の侍』の次の映画は、「生きものの記録」(1955年)と言う題名の特異な映画でした。



3.「生きものの記録」



 その「生きものの記録」と言う映画について、お話しして、私は、この本を終わりにしたいと思います。「生きものの記録」は、放射能をテーマにした映画です。この映画は、1954年、ビキニ環礁で、第五福竜丸が、水爆の被曝を受けた事を切っ掛けに、日本人が、広島、長崎での原爆の恐ろしさを思い起こし、将来の核戦争への不安を抱いた事を出発点にした作品です。
 物語は、将来の核戦争に不安を抱いた老人(三船敏郎)が、放射能に対する恐怖から、南米に移住しようとして、失敗すると言う内容です。その主人公の老人は、将来、核戦争によって日本が放射能で汚染された場合、自分と家族が生き延びる為には、日本を捨てて、南米に移住するしかないと考えるに至ります。そして、息子たちや孫たち、更には、妾(めかけ)の女性とその家族までをも連れて、南米に移住しようと本気で考えたその老人は、自分が裸一貫から築いた町工場を売り払い、南米移住の資金にしようとします。
 老人のその計画に、老人の家族たちは、驚き、大反対をします。幾ら放射能が怖いからと言って、一家の財産である工場を売って、日本から脱出しよう等と考えるのは、正気の沙汰ではないと、家族たちは考えるのです。そして、息子達が、裁判所に訴えて、老人を準禁治産者にした結果、老人は、工場を売って南米に移住する計画が頓挫し、苦悩します。「生きものの記録」は、この様な、実に特異な物語の映画なのです。その「生きものの記録」について、黒澤明監督の作品を同時代人として見続け、研究して来た映画評論家の佐藤忠男氏は、2002年に発売されたDVDの解説文の中で、こう書いて居ます。


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 1954年、アメリカは南太平洋のビキニ環礁で水素爆弾の実験をしたが、そのときの“死の灰”で近くにいた日本の漁船の乗組員たちが放射能をあび、ひとりが死亡した。この事件は放射能の脅威にあらためてわれわれを目覚めさせた。気づいてみると旧ソビエトの核実験の“死の灰”も日本にとどいているのである。
 この映画で三船敏郎が演じた町工場の老人は、こんな状況ではもう日本に住めないと考え、核実験場からはいちばん遠いから比較的安全だと思う南米に移住しようと計画する。自分だけでなく、家族から妾とその子まで、家長の責任として一族郎党の生き残りを考えるのである。しかしそれは、彼ほど危機感を持たない家族の人々にとっては迷惑な話で、老人が財産を処分してしまえないよう、裁判所に訴えて準禁治産者に指定してもらう。こういうまともでないと公的に認定された彼は、やがて本当に狂ってしまうのである。危機感を持たずにいられない事柄に本気で危機感を抱いたばっかりに、危機感なんか持っても仕方がないと最初から悩まないことに決めている普通の人々から排斥され、家族のしがらみの中でしめあげられて社会から排除されてしまうのである。ドラマの主な部分は、老人が家族のしがらみと格闘してまいってゆく過程の緻密な描写にあてられている。逆に言えば、悪人でもなんでもない普通の人々が、自分たちの日常の平安を守るために、あえて危機感なんてものには目をつむり、ついには危機を訴える者を抹殺してしまうに至るという恐るべき現象を深く掘り下げている。

(佐藤忠男「解説」(黒澤明「生きものの記録」(1955年)2002年東宝ビデオ)DVDパンフレット14ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-DVD-%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/B00006LEZW/ref=sr_1_1/377-2862493-5138926?ie=UTF8&qid=1391347961&sr=8-1&keywords=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

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 そうして、追い詰められた老人は、放射能への恐怖によって、益々日本からの脱出を欲する一方、彼のその恐怖を共有できずに、彼の精神が異常だと思う家族をどうすれば説得できるか、を考え、苦しみます。その結果、老人は、自分が一代で築いたその町工場が有るから、家族たちは、日本から南米に移住したはらないのだと考えます。そして、老人は、自分の工場に放火し、自分が築いた財産を灰にしてしまうのです。
 老人の放火によって灰となった工場の跡で、老人は、家族たちに自分が放火した事を告白します。そして、放射能で殺されないために、一緒に日本から南米に移住しようと、地面に手をついて、再度懇願します。しかし、家族たちは、日本から移住する事を拒みます。そこ(日本)に、自分たちの生活が有るからです。家族たちは、老人は精神に異常をきたしたと考え、老人を精神病院に入院させます。そして、その精神病院の一室で、窓の外に見える夕日を見て、「地球が燃えとる!」と叫ぶ老人の様子を描いて、映画は終わります。
 この奇妙な物語を、当時の日本人は、どれだけ理解出来たでしょうか?上出の佐藤忠男氏は、こう述べます。


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 このストーリーの設定の仕方は、核実験反対という当面の目的に対してはいたずらに袋小路を指し示すだけで解決の有効性に欠けているようにも思えるが、しかしなぜ人類は分りきった危険に対処できないのかという、より深い人間の本性についての正確な洞察があって、きわめて独創的であり、見たあといつまでも心にひっかかって執拗に内省をうながす強い力がある。見る人は最初、この解決のなさにとまどった。だから黒澤明作品にはめずらしく興業成績はふるわなかった。しかしそれはあまりにも苦い真実を掘り当てたためだったのかもしれない。その点でこれは黒澤明のいちばんの問題作である。

(佐藤忠男「解説」(黒澤明「生きものの記録」(1955年)2002年東宝ビデオ)DVDパンフレット15ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-DVD-%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/B00006LEZW/ref=sr_1_1/377-2862493-5138926?ie=UTF8&qid=1391347961&sr=8-1&keywords=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

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 これが、「生きものの記録」と言う映画です。この映画が問いかけて居るのは、放射能に怯えて、愛する家族を連れて日本から脱出しようとするこの老人は異常なのか?と言う問いです。一体、異常なのは、放射能に怯えるこの老人なのか?それとも、そんな老人の放射能への恐怖を共有できず、目の前の日常を守ろうとする家族たち、或いは、日本人全体なのか?を、この映画は、問い掛けて居ます。




4.早坂文雄と「生きものの記録」



 黒澤明監督によると、黒沢監督が、この奇妙な物語の映画を作る決意をしたのは、死を意識した親友・早坂文雄との会話が切っ掛けだったのだそうです。即ち、『七人の侍』の完成後、体調を崩した早坂文雄と交わした会話の中で、死に対峙した早坂文雄が、水爆実験によって身近なものと感じられた、核戦争と放射能への恐怖を語る様子が、余りにも強い印象として残った事から、この映画の製作を決意したのだそうです。
 その1954年前後の日本と世界は、どの様な時代に在ったのか?作家の広瀬隆さんは、こう回想します。

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 この作品が封切られた1955年に、私は中学一年生だった。その年の九月に、絶頂期のジェームズ・ディーンは交通事故で死んでしまったが、マリリン・モンローが全盛時代にあって、いよいよプレスリーも翌年の“ハートブレーク・ホテル”空前のヒット、という華々しいアメリカであった。
 ところが、もうひとつのアメリカは、50年から53年にかけて、国連の旗をたてながら朝鮮半島を二分する朝鮮戦争を終えたばかりだった。

(中略)

 その頃、私たちは、核兵器という言葉を使わなかった。原爆や水爆、あるいはさらに実感のある原子爆弾や水素爆弾という言葉で呼んでいた。今日では想像できないほど、その原水爆戦争が起こる危険性は高く、生々しい恐怖だった。52年にアメリカが実験に成功した水爆のおそろしさは、同じ年にイギリスが原爆実験に成功、翌年にソ連が水爆実験に成功という、たて続けに伝えられる衝撃的なニュースによって、異様な地球を生み出していた。
「本当に、あしたにでもこの世が終わるのではないか」と想像することが、誰にも許された。水爆は、広島や長崎に投下された原爆の“一千倍の火の玉”を地上に出現させる爆弾だったからだ。

(広瀬隆「恐怖の時代」(黒澤明「生きものの記録」(1955年)2002年東宝ビデオ)DVDパンフレット22ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-DVD-%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/B00006LEZW/ref=sr_1_1/377-2862493-5138926?ie=UTF8&qid=1391347961&sr=8-1&keywords=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

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 当時の日本には、まだ、原発は有りませんでした。人々が恐れて居たのは、あくまでも核戦争でした。そんな時代に、「生きものの記録」を見た時の思いを、映画監督の大島渚氏(故人)は、こう回想して居ます。


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 そして、見た時の奇妙な感覚を今もなまなましく覚えている。それは頭にガンと一発、鉄棒か何かでなぐられた感じである。原水爆の恐怖におびえてブラジルに移住しようとする主人公が、家族の反対にあって自分の工場に放火し、従業員たちの職をうばったことに気付いて土下座して詫びるところ、ラストで精神病院に入れられた彼がギラギラと輝く夕日を見て、地球が燃えていると叫ぶところなど強烈な印象だったし、以来四十年近く片時も忘れたことがない。今回ビデオで見直してみると、そっくりそのままである。昔の映画の印象など記憶違いをしていることが多いのに、これは珍しいことである。それだけ強烈な迫力があったということだ。

(大島渚「頭に一撃」(黒澤明「生きものの記録」(1955年)2002年東宝ビデオ)DVDパンフレット18ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-DVD-%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/B00006LEZW/ref=sr_1_1/377-2862493-5138926?ie=UTF8&qid=1391347961&sr=8-1&keywords=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

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 アメリカの映画評論家、ジョウン・メレン(Joan Mellen)は、「生きものの記録」を、「核戦争を主題に作られた世界中の映画の中で、最良の作品」と呼んで居ます。そして、彼女が、その様に絶賛したこの映画が生まれる切っ掛けを作ったのは、早坂文雄の核戦争と放射能への恐怖だったのです。




5.私たちは、何故、死の灰から逃れられないのか?




 私が、初めてこの映画を見たのは、私が、20歳くらいだった頃の事です。映画館で、リバイバル上映されたこの作品を見たのですが、その印象は鮮烈でした。しかし、その時は、まだ、自分とは関係の無い世界での物語を描いた作品の様に思って居たと、思います。
 その私が、この映画に、再度打たれ、衝撃を受けたのは、チェルノブイリ原発事故(1986年)から数年後の事でした。チェルノブイリ原発事故によって、放射能汚染が身近な事柄と成り、そして、原発をどうするべきか?と言う問題に直面した時、私は、この映画を思い出しました。そして、私達が、次に起こる原発事故の恐怖に対峙しながら、日常生活を続けるチェルノブイリ後の世界が、何と、「生きものの記録」が描いた世界と同じであるかに、私は、衝撃的な思いを抱いたのでした。
 私たちは、何故、放射能の危険から逃れられないのでしょうか?その問いへの答えが、この映画には、明確に描かれて居ます。それは、私たちに、「日常生活」が有るからです。この映画の中で、老人の放射能への恐怖を理解しようとせず、ただ、毎日の生活をこのまま続けたいと願う家族たちに、私たちは、そっくりです。、つまり、今ここに在るこの日常を守りたいが故に、私たちは、放射能への恐れを自らの中で押し殺さざるを得ないのです。そして、その結果、放射能を恐れる、生き物として全く正しい道ではなく、放射能の恐怖から目をそらそうとする道を選ぶから、結局、私たちは、死の灰から逃れる事が出来無いのです。それが、チェルノブイリ後に、「生きものの記録」を想起した私が、気が付いた事だったのです。
 先ほどのエッセイの中で、広瀬隆氏は、更に、こう述べます。


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 50歳になって現在を見れば、原水爆はミサイルの誕生とともに核兵器と呼ばれるようになった。一方で、原水爆産業のために、巧妙な仕掛けで巨大な原子力産業が誕生することになった。ところが核兵器と原発は、90年代に入ってから産業として崩壊し、終りの時代を迎えてしまったのだ。誰もが言う。何かが狂っていた、と。
 いま思えば、何という絶妙なタイトルだったのだろう。人類と、黒澤監督自身の「生きものの記録」が、この作品となっている。
 「どちらが狂人なのか?」
 その答えを、現代が出している。

(広瀬隆「恐怖の時代」(黒澤明「生きものの記録」(1955年)2002年東宝ビデオ)DVDパンフレット24~25ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-DVD-%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/B00006LEZW/ref=sr_1_1/377-2862493-5138926?ie=UTF8&qid=1391347961&sr=8-1&keywords=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

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 早坂文雄が、黒澤明監督と、この映画が生まれる切っ掛けに成った会話を交わして、60年が経ちました。しかし、福島後の世界に生きる私たちは、この映画と全く同じ構図の世界の中で生き続けて居ます。早坂文雄生誕100年の年に、この本を早坂文雄に捧げます。






核時代69年(西暦2014年=平成26年)3月1日(土)




(あとがきに代えて/「生きものの記録」と福島後の日本)
http://www.amazon.co.jp/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%82%92%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%95%E3%81%93%E3%81%93%E3%81%8C%E3%83%98%E3%83%B3%E3%81%A0%E3%82%88%E3%80%8C%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%B9%E7%90%86%E8%AB%96%E3%80%8D-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4903724417/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1461669549&sr=8-1&keywords=%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%82%92%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B






西岡昌紀
http://www.liberta-s.com/228.html
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http://www.asyura2.com/14/genpatu36/msg/840.html
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