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或る夜、外出から帰って留守番電話を再生した処、そのメッセージが入って居ました。




花田紀凱『マルコポーロ』編集長(当時)が、留守番電話のメッセージの中で、私がダイレクト・メールとして郵送したパンフレット(『今世紀最大の報道操作』)について、「面白かったです」と言ふ趣旨の言葉を残し、連絡を欲しいと私にことづけをして居たのです。




記憶では、その夜の内に電話をしたと思ひます。私は、電話を下さった花田編集長に電話を掛けました。すると、電話の向こうで、花田編集長は、私が送ったパンフレットを非常に褒めて下さり、そして、すぐに、「(マルコポーロ誌に)書いて下さい」と言って下さいました。




私は、それまで、もちろん、花田編集長と面識は有りませんでした。電話で初めてお話した花田編集長は非常に礼儀正しく、私にそう言って下さったので、高名な編集長からその様な言葉を頂いた私は恐縮しながら、お礼を言ひました。



ただ、私にマルコポーロ誌への執筆をお願ひしたい、と言ふ花田編集長のその場での要請に対しては、ちょっと驚くとともに、資料を提供することがそのパンフレットを送った趣旨なので、自分が書くよりも、知名度の有る誰かに、自分が集めた資料を提供し、協力した方がいいのではないでしょうか?と言ふ意味の答えをしました。



そして、既に私のそのパンフレットを読み、「ナチのガス室」の実在に疑問を抱いて居た高名な作家のQ氏を推薦しました。私の目的は、売り込みではなかったからです。私は、売り込みをしたのではなく、この問題を日本のメディアが取り上げ、日本人に「ナチのガス室」に関する自由な議論を法律で封じ込めようとする欧米での動きの危険性に警鐘を鳴らして欲しかったのです。ですから、全く無名な自分などが執筆するよりも、そのQ氏の様な知名度の有る言論人に執筆してもらった方ががついて欲しかったので、私は、その時、花田編集長に、高名なQ氏による執筆を提案したのでした。



しかし、電話の向こうで、花田編集長は言ひました。



「いやあ、西岡さん書いて下さいよ。」



これが、私が、マルコポーロ誌に執筆する事に成った経緯です。




(続く)






2015年6月11日(木)








西岡昌紀