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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/9028010.html



10年前、日付けが1日早かったのですが、タルコフスキーの命日(1986年
12月29日)に寄せて書いた拙文を再録します。



2017年12月29日(金)

西岡昌紀



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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7020620.html


(2007年12月28日ミクシイ日記再録)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=667617581&owner_id=6445842



今から33年前の事です。


その年(1974年)の11月の終はりか、12月の初め、新聞に載った小さな広告が、私の目にとまりました。


それは、短冊の様な小さな、細長い広告で、黒衣に身を包んだ僧らしい人物の写真と、その横に書かれた題名だけの、映画の広告でした。


そこには、「当分、上映されません。この機会をお見逃しなく」と言った言葉が有ったと記憶して居ます。


その小さな広告に、何か只ならぬ物を感じた私は、その映画の広告に心を奪はれました。そして、それから間も無く、都内の小さな映画館で上映された、その広告の映画を見た私は、深く心を打たれて、家に帰って来たのでした。



その映画の名前は『アンドレイ・ルブリョフ』。中世ロシアのイコン画家(聖像画家)アンドレイ・ルブリョフの画家としての半生を、想像の物語として描いたロシア(ソ連)の長編映画でした。



その映画を作ったのは、旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)で、この作品は、寡作な彼の3番目の作品でしたが、1967年には完成したものの、歴史の解釈を巡ってソ連当局の怒りを買ひ、ソ連国内で、事実上上映禁止の状態に置かれて居た、いわく付きの作品でした。



この映画を初めて観た日の感動は忘れる事が出来ません。そして、映画だけは本当に沢山観て来た私ですが、今日に至るまで、この映画(『アンドレイ・ルブリョフ』)以上の映画に私は出会った事が有りません。



タルコフスキーは、日本映画、特に黒澤明と溝口健二に傾倒して居た事で知られます。新しい映画を作る前には、必ず、黒澤明の『七人の侍』と溝口健二の『雨月物語』を見直したと言ふ彼自身の言葉は、彼の日本文化への深い愛情を物語る逸話ですが、『アンドレイ・ルブリョフ』は、彼の作品の中でも、特に、日本映画の影響が感じられる作品だと、私は思ひます。



そのタルコフスキーは、後にソ連を離れ、1983年にイタリアで『ノスタルジア』を完成させた後、事実上の亡命生活に入ります。


彼はそして、1986年に、スウェーデンで『サクリファイス』を完成させた後、肺癌に倒れ、1986年にパリで他界しますが、その際、彼は、自分の遺体を決してソ連に戻しては成らないと遺言を残したと言ふ事です。



誰よりもロシアを愛したロシアの芸術家が、その様な遺言を残すに至った理由が、ソ連における彼への圧迫であった事は明らかですが、だからこそ、彼のパリでの客死には、心を痛めずに居られません。


今日(12月28日)は、タルコフスキーの21回目の命日です。





西暦2007年12月28日(金)

タルコフスキーの命日に




西岡昌紀






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