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鍵はなぜ開いていたのか?


  次は、この事件で最大の謎とされる坂本宅玄関のドアの鍵について検証してみよう。坂本宅が無施錠であることを発見したのは、岡崎だった。岡崎の法廷証言によると、午後九時過ぎになっても、坂本が帰宅しないため、岡崎が歩いて玄関まで行き、部屋の様子を窺った。最初はドアスコープを覗くと、室内から明かりが漏れていたし、ドアポストを指でゆっくりと開けて確認したところ、生活音がして、人の気配も感じた。右手でドアノブを回すと、約1.5センチ開いたため、そのままにして車に戻ったという。
  このことを早川を通じて麻原に報告し、午前三時の襲撃となるのだが、午前零時すぎにもう一度、確認に行くと、やはりドアが開いていたという。
  この鍵についてはどの公判を見ても、「玄関ドアの鍵は施錠されていなかった」というだけでハッキリせず、実行犯たちからも「本当に鍵が開いていた。よく開いていたものだと驚いた」といった証言が出てくるだけであった。
  ただ、そう言う以上、実行犯たちが鍵をこじ開けたのではないのだろう。現場検証の結果、ドアの鍵穴にこじ開けた跡はなく、ほかの場所から侵入した形跡もなかった。さらに、五個の合鍵の所在も確認された以上、ドアは開いていたが、犯人がドアを開けてもらって入ったと考えるしかない。
  鍵が開いていたとすれば、考えられるケースは①坂本夫妻がうっかりと鍵を掛け忘れた。②鍵を開けるための別動隊がいて、何らかの方法で犯行前に開けておいた。③実行犯の供述そのものが嘘である---の三つであろう。
 ①は坂本が身の危険を感じて、日ごろから都子に施錠だけは忘れないように注意していたし、同僚にわざわざ電話して、「鍵をしっかりとかけた方がいい」と言っていたことや、都子の几帳面な性格からしても、まず考えられない。 が、捜査当局の主張通り、龍彦に添い寝してうたた寝する可能性もゼロとは言えない。
  ただ、当時は確かに、几帳面できれい好きな都子が流し台に洗い物をそのままにしていたことから、うたた寝の可能性を指摘されたが、同じ冒陳で、都子がネグリジェ姿で絞殺されたことが明らかになり、うたた寝説は消えた。
  百歩譲って。仮に坂本がついうっかり、鍵をかけ忘れて就寝したとしよう。そうなると、実行犯グループは、坂本一家がたまたま風邪のために旅行を中止して在宅し、たまたま鍵をかけ忘れて寝た日に襲撃したことになる。
  しかも、岡崎がたまたま、その事実を発見したのだから、計画性云々のレベルではなく、三重の偶然が重なった“奇跡的な犯行”としか言いようがあるまい。
  実行犯は、坂本一家が旅行に出掛けていたとしたら、何日も坂本宅の前で待機するつもりだったのか。もし、ドアが施錠してあったら、ドアや窓を叩き割って侵入したのであろうか。そうなると、周囲に気ずかれずに犯行に及ぶことは不可能だが、どうするつもりだったのか。
  実行犯たちはそういうことを全く考えずに、犯行に臨んだとしか思えない。


 普通は無施錠と聞けば、家族は在宅していても坂本は帰宅していないとか、外出時にかけ忘れたと考えるはずである。仮に午後九時段階では鍵が開いていたとしても、その後で施錠されてしまう可能性は高い。
  実際、早川は、「やるなら今だと言ったら、麻原に『三時を待って侵入しろ』と言われた。鍵がかかっていたらどうしたらいいかを尋ねると、麻原は『大丈夫だ。玄関のドアは開いている』と答えた。」と供述している。さらに、「そんな馬鹿なことはないだろう。どうせ、夜遅くなれば鍵がかかっているから、今夜は中止だとタカをくくって、村井とともに手袋をつけずに行った」とも供述しており、これらの供述内容の方がよほど自然であり、説得力がある。
 その点については、岡崎も初期の段階では、こう証言している。
「犯行にかかわりたくなかったから、自宅近くまで下見に行ったものの、何もせずに帰り、何食わぬ顔で『ドアの鍵はかかっていた』と早川に報告した。早川が麻原にそう言うと、麻原は『午前三時には鍵は開いている』と答えた。」
  もっとも、これらの興味深い供述は、捜査の後半から全く姿を消し、真相はうやむやになってしまった。
  そうなると、浮かんで来るのが②である。
  捜査当局に一時、「林泰男がかつて都内の錠前店に勤め、錠前技術を学んでいた」との情報が寄せられたことがある。林が関与したとされる新宿駅青酸ガス事件で、トイレの用具入れの鍵が開けられていたことに加え、坂本事件の準備段階で顔を出していることから疑いが持たれたが、私の取材でも、捜査結果でも、解錠技術を習得したという事実は出て来なかった。
 捜査当局は、都子が鍵を掛け忘れたとの見方を採っているが、そこで引っ掛かるのは、岡崎が「犯行後、部屋の鍵をかけずに出た」と供述したのに対し、坂本の父親が事件後最初に自宅を訪ねた際、「鍵は掛かっていたと思う」と証言していることだ。もし、これが事実だとすれば、誰が鍵を閉めたのだろうか。
 ③は複数の実行犯が「鍵が開いていたので、ビックリした」と供述しているうえ、嘘をつく理由があるとすれば、②の別働隊の存在を隠す以外には考えられないので除外しよう。

 次に犯行時刻だが、捜査当局は四日午前三時から三時半までの三十分間と断定している。侵入時に、実行犯の一人が車の時計を見て覚えていたし、殺害後、部屋から遠くを通る救急車のサイレンを聞いており、調べたところ、四日午前三時二十五分ごろ、港南区で交通事故があり、けが人が磯子区内の病院に搬送されていたことが確認されたからだ。
 だが、その根拠はうろ覚えの記憶に基ずく供述だけであり、実際の犯行はもっと早い三日夜の可能性もある。
  まず、台所の流しに夕食に使った食器などが洗わずに置いてあり、都子の几帳面な性格からはとても考えられない点が挙げられる。都子が毎日、必ずつけているという家計簿が三日の分から空白になっていたし、居間には読みかけの本が放置されていた。
  さらに重要なのは、夫妻が大切にしていた来客用の五個の湯飲み茶碗のうち、三つがなくなっていたことである。
  また、母親のさちよが七日に坂本宅を訪れた際、玄関のたたきには夫婦の外出用の靴、ジョギングシューズ、サンダルがそれぞれ二足ずつと、龍彦の靴二足の計八足がきちんと揃えて置いてあった。  玄関のたたきは約60センチ四方と狭く、六人が押し入ったとすれば、計十四足の靴が折り重なったと見られるが、どの靴にも踏まれた跡はなく、 また、土足で踏み込んだ形跡もないのである。
  しかも、電話の呼び出し音がオフの状態になっており、一家が長時間、電話に出ないことを不審に思われないために、犯人が切ったと見られている。だが、深夜なら電話が掛かってくる可能性は低いし、実行犯の供述にも電話を切ったくだりは全く出てこない。
 これらの事実は何を指すのであろうか。
  三日夜に誰か来客があったことはもちろんだが、犯行がもっと早い時刻に行われ、少なくとも都子は起きていた可能性がある、ということだ。実行犯の人数がもっと少ない、とも言えるかも知れない。
  最後に一家の生存が確認されているのは、三日午後七時過ぎ。都子が山梨県の親類に電話をかけたという事実である。午後九時過ぎ、階下の住民が浴室で水を使う音を聞いているが、それは坂本夫婦のものだとは特定できないからだ。
  もっと重大な事実は、捜査当局が事件後ずっと、坂本宅階下に住んでいた家族を保護下い置いていたことだろう。
  ちょうど四日午前三時ごろに起きていたが、何の物音も聞かなかったという住人である。
  捜査関係者がこう明かす。
「捜査員を警護や監視のために派遣していたのは確かだ。極めて重要な証言者だからで、詳細は言えないが、三日午後八時過ぎ、坂本さんが自宅に訪ねて来た三人の男女と話しているのを聞いていた。断片的に聞こえただけだが、会話の中身が事件に関係している可能性があったからね」
  もし、その証言通りの時間帯に、犯行が行われたとしたら、食器も、家計簿も、靴も、電話もすべて合点がいく。  
 ただ、その時も室内から争うような音は聞こえておらず、例えば、麻酔薬で眠らせただけとか、予め鍵を開けておくなど何らかの細工をして帰っただけなのかも知れない。
  因みに、合い鍵を作るのは素人には難しいが、暴力団関係の金融、債権取立業者らは皆、独自に鍵師を抱えていることを付記しておこう。

 (一橋文哉『オウム帝国の正体』(新潮社・2000年) 246~251ページより引用)
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