(再録)2008年8月15日(金)ミクシィ日記

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最近、或る詩を良く思ひ出します。



以下にその詩の冒頭の部分を御紹介しましょう。




  *  *  *  *  *  *


ゾシュカは私に詩をせがんではならない。
ゾシュカが国へ帰ったら、
その花の一つ一つがゾシュカに詩を語り、
その星の一つ一つが歌を歌い出すだろうから。
花が枯れ、星が流れるその前に、
良く聞いておおき--彼らこそ一番立派な詩人なのだから。




Niechaj mię Zośka o wiersze nie prosi,
Bo kiedy Zośka do ojczyzny wróci,
To każdy kwiatek powie wiersze Zosi,
Każda jej gwiazdka piosenkę zanuci.
Nim kwiat przekwitnie, nim gwiazdeczka zleci,
Słuchaj - bo to są najlepsi poeci.


 *  *  *  *  *  *   




これは、今から194年前に、ポーランドの詩人
ユリウシュ・スウォヴァツキ(Juliusz Słowacki
(1809-1849))が、友人の娘の為に書
いた詩の冒頭部分です。


この詩は、スウォヴァツキ(英語ではスロヴァツキ)
の有名な詩ですが、彼がこの詩を書いた当時、彼の
祖国(ポーランド)は、事実上ロシアの支配下に在り
ました。1830年には、独立を求める蜂起が有り
ましたが、それも鎮圧され、彼がこの詩を書いた頃、
ポーランドは、まさに亡国の状況に在りました。



スウォヴァツキは、そうした当時の状況の中で、
祖国を離れ、フランス、スイス、イタリアなどで
事実上の亡命生活を送ったポーランド人の一人
でしたが、或る時、友人の娘であるゾシュカと言ふ
女の子が初めてポーランドを訪れる事に成った時、
彼が、彼女(ゾシュカ)のアルバムに書いたのが、
この詩です。


彼は、初めて祖国(ポーランド)を訪れる彼女の
為に、自身が詩人でありながら、「ゾシュカは私
に詩をせがんではならない」と書いたのでした。



即ち、祖国(ポーランド)に帰れば、そこで祖国の
花たちが、或いは星たちが、自分の詩などよりはるか
に美しい本当の詩を、歌を聴かせてくれるのだよと、
初めてポーランドを訪れる彼女の為に彼は書いたの
でした。


私がこの詩を初めて知ったのは、もう30年以上前、
このポーランド語の教本の末尾で、この詩を訳文で
読んだ時の事です。



初めて読んだ時、この詩の言はれを知って心を打たれた
事を覚えて居ます。故国を思ふ詩人の心情を思ふと、
今読み返しても、深い感慨を覚えずには居られません。


続きを含めて、この詩の全文をお読み下さい。




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Niechaj mię Zośka o wiersze nie prosi,
Bo kiedy Zośka do ojczyzny wróci,
To każdy kwiatek powie wiersze Zosi,
Każda jej gwiazdka piosenkę zanuci.
Nim kwiat przekwitnie, nim gwiazdeczka zleci,
Słuchaj - bo to są najlepsi poeci.


Gwiazdy błękitne, kwiateczki czerwone
Będą ci całe poemata składać.
Ja bym to samo powiedział, co one,
Bo ja się od nich nauczyłem gadać;
Bo tam, gdzie Ikwy srebrne fale płyną,
Byłem ja niegdyś, jak Zośka, dzieciną.

Dzisiaj daleko pojechałem w gości
I dalej mię los nieszczęśliwy goni.
Przywieź mi, Zośko, od tych gwiazd światłości,
Przywieź mi, Zośko, z tamtych kwiatów woni,
Bo mi zaprawdę odmłodnieć potrzeba.
Wróć mi więc z kraju taką - jakby z nieba.

Paryż, 13 marca 1844
Juliusz Słowacki


ゾシュカは私に詩をせがんではならない。
ゾシュカが国へ帰ったら、
その花の一つ一つがゾシュカに詩を語り、
その星の一つ一つが歌を歌い出すだろうから。
花が枯れ、星が流れるその前に、
良く聞いておおき--彼らこそ一番立派な詩人なのだから。


青い星星、赤い花花、彼らはお前に
沢山の詩を作ってくれよう。
私の話とて彼らの話と変わりは無いはず。
私は彼らから物言うすべを学んだのだから。
イクファの銀の川波の流れるほとりで
ゾシュカと同じく私もかつては幼い子供だったのだから。


今、私は遠くの国へ旅に出て
不幸な定めにもっと遠くへ追われて行く身だ。
ゾシュカよ、あの星星から光りを持ってきておくれ。
ゾシュカよ、あの花花から香りを持ってきておくれ。
私は本当にもう一度若くならなければならないのだから。
ではそうやって国から帰っておいで--天の国から帰るように。



訳:木村彰一・吉上昭三


木村彰一・吉上昭三・著『ポーランド語の入門』
白水社・1973年初刷・1988年第11刷
291~292ページより

(表記を一部変更してあります。)

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この詩には、思ひ出が有ります。




   *   *   *   *   *   *



今から30年近く前、ポーランド人の友人が
居ました。



この人は、不幸な人でした。



当時、彼女の祖国(ポーランド)は、戦後の曲がり角に
在りました。1978年にポーランド人のローマ法王
が誕生し、それを切っ掛けに、自主管理労組「連帯」
が誕生した時期で、ポーランドに対するソ連の支配が
揺らぎ始めた、まさに激動の中に、ポーランドは在り
ました。



その当時のポーランドで、彼女はエリートと呼ぶべき
人物でした。完璧な英語とロシア語を話す、最高の教育の
持ち主でしたが、事情が有って、永くポーランドを離れて
居ました。



彼女は、素晴らしい知性の持ち主でした。日本語や
日本文化を専攻した訳ではありませんでしたが、私が
あげた英訳本で漱石の 『こころ』や三島由紀夫の
『禁色』を、或いは大江健三郎の『個人的な体験』を
耽読し、熱く語る様な人でした。又、好きな映画の
一つに黒澤明の『どですかでん』を挙げる様な広い
視野と深い教養の持ち主でした。音楽に対する感性
が素晴らしかった事も印象的で、或る時、リヒテル
の演奏会に一緒に行った事が有りましたが、その際、
リヒテルが演奏したプロコフィエフのピアノ・ソナ
タ第6番に彼女が感動し、興奮して居た事が記憶に
残って居ます。



そんな素晴らしい知性と感性の持ち主でしたが、彼女
はとても不幸な人でした。



そして、まさのその時期、彼女が日本に居た当時、
彼女の祖国は政治的に揺れて居て、やがて戒厳令が
布告されるに至ったのですから、今思へば、彼女は、
日本に居た数年間、人生最悪の時期を生きて居たと、
私は思ひます。その彼女にとっては人生最悪であっ
たに違い無い数年間、大学生だった私は、偶然彼女
と知り合ひ、彼女の身近に居たのでした。



そんな時代の或る年、二人で、彼女の誕生日を祝っ
た事が有りました。何処の店だったかは、もう思ひ
出せませんが、都内の何処かで、彼女の誕生日を
祝って、二人だけで食事をしたのでした。




その時、私は、或る本をプレゼントとして用意しまし
た。そして、誕生祝いのその場で、彼女にその本を
渡したのですが、その時、私は、そのプレゼントの
本の内表紙に、上のスウォヴァツキの詩を書いてお
いたのでした。



ただし、その詩をそのまま書いたのではありません。
上の詩の中の「ゾシュカは・・・」と言ふ部分を
変えたのです。即ち、上のポーランド語の詩の
「ゾシュカ(Zośka)」と言ふ名前だけを、その日、
日本で誕生日を迎えた彼女の名前に変えたのでした。



つまり、私は、ポーランド人なら誰もが知って居る詩を
「ゾシュカは、私に詩をせがんではならない・・・」
ではなく、彼女の*****と言ふ名前をそこに書いて、
「*****は、私に詩をせがんではならない・・・」
と言ふ詩に変えて、彼女の誕生祝いの本に書きこんだ
のでした。


そこに私がこめた気持ちはお分かり頂けると思ひます。
永く祖国(ポーランド)を離れて居る彼女に、私は、
いつかポーランドに帰る日が来るだろう。その時、そこ
(ポーランド)で、花や星が君を迎えるに違い無い、
と言ふ気持ちをこめて、ポーランド人なら誰もが知って
居るこの詩を、彼女の誕生祝いの本に書いたのでした。




プレゼントの本を開き、内表紙に私が書いたその
詩を見た時、彼女は本当に驚きました。そして、
「Where did you know this poem?
(何処でこの詩を知ったの?)」と
聞いて絶句しました。そして、それから、いつもは
明るい彼女が、何も言はなく成って、無言でその詩
を見つめ続けた事が忘れられません。--本当に、
何も言はなく成った事が忘れられません。



それから、二人で彼女の誕生日を祝ひましたが、
何を食べたかも何を話したかももう覚えては居ません。
ただ、この詩を見た時の彼女の無言の様子と表情だけが、
今も私の脳裏に残って居ます。




私は、この国(日本)に生まれて、幸せだった
と思ひます。









平成20年8月15日(金)

63回目の終戦記念日に=聖母マリア被昇天の日に








                  西岡昌紀

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