月一で発行している社員が作る社内報が今月も出来上がってきた。表紙を見ると第250号となっており、キリ番だ。今まで発行出来なかった月もあったようだが、単純計算でも20年以上は続いていることになる。

今月はE班が担当だ。12月ということでそれぞれ統括的なことが書かれてあり、交通安全とコロナ感染についてのことが多かった。そして12月の社内報は、83歳になった当社の会長も1ページを担当しており、寄稿してくれている。今回はそれを紹介しようと思う。

====『七回目の丑年』====
今年の2月頃から、コロナウィルス感染拡大が心配されてきたが、大方の人はいづれ治まるだろうと思われていたが、じわじわと勢いは増すばかり。とうとう日本列島もその渦中に飲み込まれてしまった。

そして、永く継承された各地の伝統行事やイベントも中止になり、人々の行き来も自粛、禁止の地域も出て、気持ちの滅入った日々になった様な気がするが、一度生活を、自分を見直す機会になればとも言われている。

来年は私の干支になる。何回目なのか指折り数えなければ分からないほど、歳を重ねてしまった。同級生の中には、歳が止まった人もたくさんいる。本当に寂しい限りです。私はまだ、足腰に湿布薬をペタペタと貼ってでも、動けるのだから有難く思っている。

私が生まれて最初に出会ったのは父母だが、分かるはずはないが、その後5人の兄弟と出会い、家族の絆の中で、周りの人たちにも支えられて来たことを思い出す。

昭和18年に父は兵役に召集され、母は4人の幼子と、どん底に近い生活を余儀なくされたことを、機あるごとに思い出す。私が1年生のとき、学校帰りに隣り部落のおじさんが、ニコニコしながら寄って来た。そして味噌の入ったカメを抱かせてくれた。この家の自家製で、当時味噌は貴重品でした。この家にもたくさんの家族がいるのに、私は人の情けを抱きしめて、小走りで帰り母に渡すと、その眼には光るものがあったような気がした。

急ぎ足で過ぎてきたように思う人生だが、この過程には人の情けがぎっしりと詰まっているような思いがしている。八十路坂を登りながら、考えさせられることもたくさんある。あの厳しかった時代から、幾代も経験してきたことは、想い出の財産であり、これを語り継ぐことが出来たらと思う。

まだまだコロナの恐怖が拭えないままに、年末を迎えてしまった。社会生活、経済活動も働き方模様も変わり、困窮に追い込まれている方々が、日増しに増えて行くような気がする。国も自治体も、この対策に最大の知恵を絞っているが、結果が出なければ非難され、皮肉にも感染拡大に繋がった施策もあるようだ。

社内においては、自社マスクを配布したり、消毒や加湿など予防対策に取り組み、現在の危機感を互いに共有していることは、嬉しいことです。目に見えないコロナウイルスの恐怖は、まだまだ続くと思うが、対策マニュアルをしっかり守り、家族共々気を配りながらずっと健康であって欲しいと願っています。そして、人間本来の姿に気付く、そういう機会になればと思います。

取締役会長 森 俊




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