Empoerer, Beobachter, Kleinbuerger

おはようからおやすみまで学界を見つめる

隔週報の36 そして隔月報になった

見事な放置振りですが、もっぱらTwitterにかまけていたせいでしょうか。

色々と言い訳の理由は考えてみたものの、決まり悪いのでこの辺は省略して、以前アナウンスしたネタなりをいずれ投稿したいと考えます。

とりあえず年の暮れの最後っ屁のような形で更新。

今回はここまで。

以下は拾遺

塩川伸明先生がモンテフィオーリのスターリン伝につき、容赦なく、そして腑に落ちる批判書評を発表(リンク先PDF)。その怒りの激しさではチアン/ハリディの『マオ』に対する矢吹晋先生や大沢武彦先生の書評に匹敵するところかもしれません。私見ですが『マオ』にせよ、モンテフィオーリにせよ、この種の大部の人物評伝が発表され、もてはやされる理由は何か同質のものがあるように感じられてなりません。

大嶽秀夫先生がフェミニズム論を上梓。『アステイオン』に連載されていたものがベースとは思いますが、楽しみです。

山本武利先生が朝日新聞と中国に関する書籍を上梓。恐らく過去に『諸君!』に発表した、朝日新聞の戦時協力に関する論文をエキスパンドしたものと思われますが、ここ何年かで朝日新聞自身も自らの戦時協力について回顧をいくつか発表している現状で、どのような新味を出すか楽しみです。




隔週報の35 辻参謀世界をゆく

 既に月報化しつつあるのですが、なんとも言い訳のしようがない。それでも言い訳をするなら、最近は小ネタに熱心でBlogに書くほどではないことばかりであったということが背景にあったりもします。今後の来たし方を真剣に考慮せざるを得ません。

 さて、更新のネタもまた小ネタとなります。最近、戦後から70年代くらいまでの『中央公論』を読むのがごく私的なブームとなっています。当時が論壇華やかなりし時代であったことは、当Blogをお読みの方には今更説明の必要もないかと思います。

 以前から高坂正堯、永井陽之助などの著名論客の寄稿した論文や、石田博英「保守政党のビジョン」のような有名な論文をcinii等の検索で特定し、その記事だけピックアップし読むということはしょっちゅうだったのですが、最近は特に目的を持たず通して目次を眺め、興味を持ったものを読むということをしていたりします。
 ざっと眺めてみても、この頃の『中央公論』にはデビュー間もない頃の山崎正和や萩原延壽の評論や書評、また若手時代の中嶋嶺雄、武者小路公秀、綿貫譲治や、果てはレイモン・アロン、スタンレー・ホフマンなども登場しており、読みたくなる文章に事欠きません。この「現実主義」の匂いを漂わせる紙面構成が、名編集者粕谷一希のもと1960年代半ばごろより作り上げられたのはよく知られるところですが、今回はその少し前の話です。

 粕谷以前の『中央公論』を語る際、必ず取り上げられる事件として嶋中事件(風流夢譚事件)があります。皇族殺害などのシーンを盛り込んだ深沢七郎の小説「風流夢譚」を掲載したことにより、右翼青年が中央公論社社長嶋中鵬二宅で家政婦を殺害、社長婦人を負傷させた事件です。
 この「風流夢譚」が掲載されたのが1960年12月号ですが、この号には同時になかなか興味深い座談会記事も掲載されています。もともと「風流夢譚」を読もうと手に取ったこの号でしたが、自分の関心はこちらに向いてしまいました。タイトルは「元参謀と学生が行く世界の焦点」。タイトルにある「元参謀」は、誰あろう元陸軍大佐・大本営陸軍部参謀、辻政信です。
 当時辻は年齢58歳、無所属の参議院議員です(以前は自民党に所属していましたが、岸政権時代に岸の政権運営を批判し、自民党を除名)。辻は1952年の政界入り以後、安全保障政策として独自の「自衛中立」を掲げると共に、精力的に外国各地を訪ね、チトー、周恩来、ネルーなどの要人と会談していることでも知られていましたが、この企画は「学生に対しては法律や手錠ではしばれないと感じた辻氏が学生運動の活動家をつれて、五万キロの世界旅行を試みた」というもの。いわく

 私がこの旅行を思いたった動機は六月十五日の全学連の国会デモを見た時なんです。警防や手錠で学生の指導はできない、学生たちが打算をこえてつっ走った行動は、年寄りから見るとその勇気は頼もしいが、その方向を間違えないようにしてもらいたい。学生諸君の年代が私の中少尉時代だ。そのころにやはり5・15(事件)とか十月事件が起り、私自身も賛成だった。私もこういう体験を持っておるものですから、できることなら唐牛君(全学連委員長)とか北小路君(全学連書記長)とか、追いまわされていたり、留置場に入っている連中をもらい下げて、国際情勢をじかに見せてやりたいと思った。ところが法務当局が許さない。それで全学連にこだわらないことにした。

 つまり、安保騒動に衝撃を受けた辻が、独自に学生たちの見聞を広めようとして起こした慈善事業がこの旅行でした。その性格は金集めとスケジュール管理だけを辻が行ない、結論は強制しないというもの。旅程は「米ソが争っている焦点を結んで旅行していこう」ということで、カルカッタ→ネパール(中印国境地帯)→ニューデリー→アフガニスタン→イラン→イラク→クウェート→カイロ→トルコ→ギリシャ→ルーマニア→ユーゴスラヴィア→ハンガリー→オーストリア→チェコ→ベルリン→スウェーデン、以上を約四十日間で周るという遠大なものでした。
 参加した学生は、各大学の教授らの紹介を受けた下村由一(東京大学)、三和和馬(早稲田大学)、岩田治彦(明治大学)の三名(下村は後にドイツ近代史家・千葉大名誉教授)。やはり特異な経歴を持つ辻からの提案ということで学生たちにも警戒心はあったようですが、「僕と同じ思想のものを連れて行く必要はない。むしろ極端に違った思想の人に見てもらうことが旅行の目的だ」という辻の言葉もあり、また、「自分は自分の思想を辻に左右されない」「僕らさえしっかりしていれば、何も心配することはない」という発想で、旅行を承諾したと座談会で語っています。

 座談会の内容は各地の印象記ですが、インドに関しては辻も学生も大半を貧困問題について語っており、いかにも五〇年代から六〇年代頃の旅行記という趣です。しかしエジプト、トルコ、ギリシャと、ヨーロッパに近づくにつれて、議論の焦点は各地の対ソ感情や、現存社会主義の評価となり、その評価が分裂していきます。
 対ソ感情については、辻はギリシャ、トルコ等に見られる反ソ感情をロシアとに脅かされてきた歴史に由来するリアリティのあるものと論じ、かたや学生側はそれらの反ソ感情を当該地域の後進国性と政治動員による創造上のものとし、譲らないという構図を見せます。
 また現存社会主義の評価については、学生は現実の社会主義体制が魅力に乏しいことを認めながらも、スターリン主義体制、一国社会主義の是正による改善可能性にかけるという態度を示し、反面辻はより体制にシニカルな態度を示すという好対照を示します。このやりとりもある意味で典型的ではあるのですが、1960年の時点で日本の左派学生が現存社会主義の魅力の乏しさを認め、そのオルタナティブをスターリン主義克服という新左翼的なアプローチに見出しているというのは、わりと興味深いです。
 辻と学生たちの議論は並行線を辿りますが、学生たちは最後まで辻の見解になびくことなく、またもちろん辻が学生側になびくこともなく、座談会は終了します。

 座談会の内容は上記のとおりですが、辻の雰囲気が個人的には気になるところです。文面を読む限り、辻は学生に対し驕った態度で接している様子は全く感じられず、その意見の対立にもかかわらず座談会の雰囲気の和やかさが伝わってきます。
 軍人時代の辻の評判として、参謀将校として極めて問題のある人物であったと同時に、一方では他の上級将校と異なり前線に立つことをいとわず、更に下士官兵に対しても分け隔て無く接したことから、彼らから絶大な人気を博したことが語られることがしばしばあります。この座談会もそのような辻の人心収攬の才を感じなくもありません(そもそも政治スタンスの違う学生と一緒に旅行をしようという企画自体、うがった見方をするなら「我意強く、小才に長じ、所謂こすき男(山下奉文評)」という辻の性質をうかがわせなくもないですが)。

 さて、そんな辻は座談会の最後で以下のような発言を残しています。

 もうこの年で、なにをやろうという経綸は捨ててしまった。せめて僕のもっているものを、若い諸君に残していきたい。できれば来年は、アメリカ大陸を南から北へ向かって歩いてみたい。やっぱり学生をつれて、南京虫に食われながら。その次はソ連に行ってみたい。そして最後にアフリカの新興独立国を見て、自分の政界における最後の使命にしたい。ずいぶん学生諸君に無理を言ったが、危険な人物と思いながら、よくその無理を受け入れてくれた(笑声)。その点は本当にうれしかったですよ。やはり学生の指導は、単に法律を作ったり、警棒や手錠ではいけない。老人の思想を、一〇〇パーセント押しつけちゃいけない。学生諸君がどんなに頭がよくても、四十年の先輩の体験にはかなわんのだから、この体験を虚心に取り上げて、肥料にして伸びてもらいたい。

 これもまたよく知られているように、辻はこの世界旅行から半年も経たない1961年春に、ラオス北部で消息を絶ち、今に至るも死亡は確認されていません(1969年に死亡宣告済み)。もし存命であれば『中央公論』に辻の更なる珍道中座談会が掲載されたのかもしれない…と、いささか残念にも感じる部分がなくもありません。

 …本来は50年代末から60年代頭の『中央公論』の政治的スタンスがはっきりせず面白い、という話を書く予定でしたが、結局辻の話だけになってしまいました。いずれにせよ、今回はここまで。

以下は拾遺。
Journal @rchiveの充実がすばらしい。9月中には『国際政治』『日本比較政治学会年報』『アメリカ研究』が収録されました。また『年報政治学』も抜け落ちがコンプリートされた模様。落丁・乱丁について発見次第報告し、ユーザーとして内容を充実させていきましょう。

波多野澄雄先生が日米安保論を上梓との由。密約には正直あまり興味が無いのですが、波多野先生が通史を書かれるということならこれは関心を持たざるを得ない。

東京大学出版会も興味深い本が複数。スハルト体制論と大久保健晴先生の近代日本国家構想論について

朝日選書からチェイニー論。ピュリッツァー賞受賞の連載を単行本したもの。表紙がまたいいです。616ページは朝日選書中最大の厚さでは、と某氏がつぶやいていましたが、どうも『中国古典選(10)易』の方が厚いらしい。







隔週報の34 あなたの隣の世界首都

 言い訳も尽きた感がありますが、何かをするという方向性のようなものが皆無なので生存報告程度にしか機能していないこのブログの現状であります。

 そんな中で何かご報告することがあるかといえば、多摩ニュータウンにハマった、ということくらいでしょうか。先週末に知人と多摩センターを散策したわけですが、パルテノン多摩周囲のあまりに人工的な造りに魅了されました。多摩センターには数年前、所要で短時間だけ立ち寄った記憶があるのですが、ちらっと見ただけのその時には、こうも人工的な造りとは思いませんでした。

 何に魅了されたのかは非常に言語化しがたいのですが、パルテノン大通りはもとより、多摩中央警察署あたりからサンリオピューロランドあたりまで、大型建造物と太い道路が画一的に並ぶ雰囲気が非常にモダンで「計画都市」という匂いを発散しているところがたまらないものがあります。しかも部分的に朽ち果てつつあるのもとてもいい。それこそ「ゲルマニア計画」とか新京の都市計画だのにはいくらか関心はあれど、まじめに都市計画などの歴史は学んだことがないのですが、思わずあわてて類書を取り寄せる程度にはハマっている状況です。

 どうも調べてみるとNPOながら多摩ニュータウンを研究する「多摩ニュータウン学会」なる学会があり、かつ学会誌もある模様。国会図書館では閲覧できるようなので、今度確認してみたいと考えております。また最近は多摩ニュータウンに関するオーラル・ヒストリーと研究論文を合わせた研究書も出版されたようで、これも関心を引きます(オーラルの取り組み方にも色々工夫しているようです)。
 最近は外出しても買い物だけというのがパターン化していたため、秋は御厨貴先生の近著『権力の館を歩く』を頼りに、取り上げられた各所を訪問するなどということをやろうと考えていたのですが、多摩ニュータウン散策という新しいテーマが加わったのでこちらはペンディング。とりあえずは9月の連休中の再訪問に向け、各種文献に目を通し、より多摩ニュータウンを楽しみたいと考えています。

以下は拾遺
科学技術振興機構(JST)のサービス、Jounal @rciveにて、日本国際政治学会の『国際政治』のPDF全文公開が開催されました。

昨年末には日本政治学会の『年報政治学』がPDF化されていたわけですが、『国際政治』も電子化されたことは大変喜ばしいことです。世界法学会も近いうちに公開を開始するようですので、大学を離れている身としては本当にありがたいところです。

小林道彦・中西寛先生編の日中関係についての論文集が公刊。面白そう。



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