2005年04月07日

食べものはそこにある

さてさて。 

 庭先で野菜を作ってみて新しく得たことが、「野菜の保管場所が畑なんだよなあ。そこで、生えたまんま保管されてるんだよなあ。変なの」ということだった私。これがいったいなんなのか、なぜそんなことをわざわざ思い、そこに特別変な感じがするのか、そのときはわかりませんでした。

 幸いにして今はわかったので書けるのですが、これは、山に暮す人々が「山には全てがある」というのに似た、そこにつながる、その小さな小さなカケラみたいなものだったのだと思います。
 それまでの私にとって、食べものとはどんな形にしろ、有機農産物だろうが産直野菜だろうが、すべて「商品」だったわけです。ところが野菜が畑で生えたまま保管されているということは、簡単に言うと、食べものがなにげに土の上に生えているということなんです。

 つっかけ履いて外に出たら食べものが生えている

 その後、鶏を飼う暮らしをしていくうちに、この感覚は発展していきました(というのも今思うことであって、この感覚が発展しているのだと気づいていたわけではない)。どういうふうに発展したかというと――。
 
 「なんだ、私たち野菜とかいうけど草を食べてんじゃん。肉とかいうけど動物を食べてんじゃん。他の生き物と同じじゃん」

 これはもしかしたら、私が野菜作りに手間を殆どかけず、料理も凝ったことをしないたちだからなおさらだったのかも知れません。鶏を放し飼いにしていたというのも大きいだろうと思います。
 とにかく、私たちが生きていく上で絶対に欠かせないものである「食べもの」は、「食品」として「生産現場」とか「市場」とか「消費地」とかに存在するわけではなくて、草として、あるいはその草をついばんで生きる鶏として、そこいら辺に普通に存在する、と思えてしまったんです。

 簡単にいうと、言葉としてはもはや使い古されているのですが、「生かされている」という感覚です。これはね、ぴょんぴょんその辺を跳び回りたいような、祝福された感覚です。自由の感覚でもあります。「生きていけるんだ」という感覚です。

 ・・・伝わっていないかもしれません。「山には全てがある」といわれても、それがどんなにステキなことなのか、以前の私だったらわかりませんでした。たとえばネイティブアメリカンが、森から薬草を取ってきたり木の実を取ってきたりして「森には全てがある」といっているのをTVでみても、私はちっともいいとは思いませんでした。かえって、森から採ってこなきゃいけないなんて大変だな、と思ったくらいです。それがどんなに祝福された感覚であるか、伝えるのは難しいかもしれません。

 できた野菜を手にしたとき、産み落とされているたまごを手に入れたときの、腹の底から湧きあがってくる野太い笑いは、野生の笑いです(笑)。自分で作れるのだという感覚でもあり、より多くは、作ったのではなくて勝手にできたのだという感覚でもあります。とにかく、「生きていけるのだ、生きるとはこういうことなのだ」という自由の感覚なのです。

 実際には、すべての食べものを自分で作っているというには程遠い、ほんのちょっとのことです。食べもの以外のものまで作るとしたら、手が回らないことはやってみなくてもわかります。それでも、なのです。それでも、「こういうことなのだ」と実感すると違うよ、とつい伝えたくなる感じです。
 
 伝えたいのは、「食べ物を作るというのはたいへんなんだなあ」ということではなくて、「ああ、食べ物ってできるんだ」ということ。「なんだ、できるんだ」ということ。つっかけ履いて外に出て、草をむしりとって、じゃあじゃあ炒めて食ったら踊りたくなるくらいうまい、ということなんです。

 なんかまとまらないけど、一応この一連の記事はここでおしまいのつもり。

niwatori5555 at 21:25│Comments(64)TrackBack(2)鶏飼いですもの 

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この記事へのコメント

1. Posted by ばっきょ隊長   2005年04月07日 22:02
生かされている、ってスゴく分かる。

っつか、このエントリ見て思ったのは狩猟民族の方が
「神に感謝」って気持ちになり易いんだろな、とゆー事だったり。

# でもー、生かされるにはそれなりのハードルがあったりするんですよねぇ。
# つか、神方面に誘導するつもりはないんで釣られないでね。> all

あ、あと_野太い笑い_とゆーのも分かるような気がする。
でー、これもヨソのブログのエントリにあったんですが
生かされている事を自覚している人達って、他人に優しいですね。
2. Posted by まきこ   2005年04月07日 22:48
あー、やぱり。
私もこの一連の記事の最初のを書いたときに既に思ったんですが、
私のいっている農耕って、むしろ狩猟っぽくないかって。

農耕を、狩猟に対立させて考えるのも、むろんわかるのですが、
狩猟っぽい農耕(?)もあるような気がするんですよね。
売り物になるようなのは、できないんですが(野菜)。

自分が作っているつもりなんですが、ほぼ勝手にできているんですよ、実際は。
で、あー、草食ってるな、と思うのね。
3. Posted by アキラ   2005年04月07日 23:31
前のエントリー「リアリティ」とのコントラストが、いやぁ、効いてますなぁ。
素晴らしい!

>草をむしりとって、じゃあじゃあ炒めて食ったら踊りたくなるくらいうまい

あはは〜、そうそう! 何故だか、売り物として出せないものほど、美味いんですよね〜。
噛みながら、踊り狂っちゃう。
何々菜と言えない、何と何がかかったのか、もうすでに定かでない、みょうちきりんな菜っ葉とか (^o^)。
4. Posted by ばっきょ隊長   2005年04月07日 23:59
> 狩猟っぽい農耕
o 喰いカスを投げてたら芽が出て立派な実が鳴った。
o 春先、ワラビ取りに行きまくる。
# つか、タラの芽なんてマサに狩猟状態ぢゃん。
o 山菜は好きなんだけど、同じ売ってるよりも自分が取って、アク抜きなんかをした方がよっぽと美味い。
# ごめんなさい。これってうちのばばぁです。
o 手をかけるよりも自分で勝手に育つ方がよっぽど美味しい。
o 味なんかどーでも良い。喰えれば良い。つーかハラ壊さなければOK。
o とりあえずケモノ道を見つけたらワナを (以下略
o 自分ち用の田には除草剤や殺虫剤の類いはマカない
# ってこれは違うな。

最後に
o おいしくイタダきました。ありがとう。
# って、この数年、そういった感謝を込めた食事をしていないかもしれない。(駄目
5. Posted by 名村   2005年04月08日 00:25
なんとなくわかります。
うちも子供の頃、裏の畑で大根や白菜
さやえんどうやきゅうりやトマトなんか作って食べてた。
だから「食い物が生えてるかんじ」は分かりますが
いまの僕の子供たちなんかは分からないんだろうな。
近所のスーパーに一緒に買い物に行きますが、お菓子の棚にまっしぐら。
だから最近、お小遣いの額をものすごく気にするようになりました。好きなものを買いたいから。
息子が「お魚は最初から四角じゃないんだよ」と自慢げに家人に教えてくれたそうです。
スーパーで切り身しか見てないんだけど、学校で魚はまるごとだとこんな格好をしてますっていう話とかを聞いてきたみたいです。
そういうお話だけでしか知らない世代がどんどん進んでいくと
だんだん食い物と命とがかけ離れていくんだなあ。
「もったいない」とかっておもわなくなるだろうなあ。
6. Posted by まきこ   2005年04月08日 09:35
アキラさん、

ありがとうございます。そう、褪せないうちに急いでこれ投入しました。<コントラスト

> 何々菜と言えない、何と何がかかったのか、もうすでに定かでない、みょうちきりんな菜っ葉

ある〜。そういうのって、なんかいとおしい。
「これは新種だ!残してやる?」とか思ったりするけど、実際にはなすがまま、食べて終わりなんですが。

あー、そういえば雪の下になったキャベツ、生きているかな。
出てくるのはまだ半月は先になりそうだ。融けたり凍ったり、じくじくしているので、腐ってしまったかもしれないなあ。
7. Posted by まきこ   2005年04月08日 09:42
ばっきょ隊長さん、

> 喰いカスを投げてたら芽が出て立派な実が鳴った。

これ、なぜかとても嬉しい。
もともと農耕ってこうして始まったんでしょうね。


> 味なんかどーでも良い。喰えれば良い。つーかハラ壊さなければOK。

うちの場合とてもラッキーなのは、おいしくなかったカボチャなんかは鶏が食べればいいということですね。これは別にもったいないことではなくて、なにもかにも人間が食べなくてもいいということなんです。
これもけっこう重要な気がするのですが、食べてくれる生き物がいないと、もったいないことになっちゃって、ちょっとつまんないですね。
8. Posted by まきこ   2005年04月08日 09:52
名村さん、

> スーパーで切り身しか見てないんだけど、学校で魚はまるごとだとこんな格好をしてますっていう話とかを聞いてきたみたいです。

釣りをして魚を食べたりすると、いいかもしれませんね。
でも、キャッチ&リリースが「正しい釣り」みたいに杓子定規になるとなあ。
それと、料金を払ってする釣りってのも、自然保護のためなのはわかるんだが、釣りが消費するレジャーみたいになりそうでなんだかなあ。
だけど、それでも、っていうのはありますね。
そういう「なんだかなあ」なことがあってもなお、何かを与えてくれる、そのくらい自然って偉大なんだなあと感じることが多いです。

9. Posted by まきこ   2005年04月08日 09:56
(続き)

> うちも子供の頃、裏の畑で大根や白菜
> さやえんどうやきゅうりやトマトなんか作って食べてた。
> だから「食い物が生えてるかんじ」は分かりますが

私も中学生くらいの頃、親がちょこっと野菜作ってたんですが、その経験が私に生かされなかったのはなぜだろう。謎です。
思うには、「新鮮な野菜だよ」「安全だよ」「完全無農薬だよ」という、商品価値みたいな言葉がくっついていたからかなあ。
食べものが生えてる、というよりは、特別な野菜が食べられてありがたいことです、みたいになってしまっていた。

あと、私が家庭内のことや親のことなんか顧みていなかったからか。
10. Posted by Izumi   2005年04月08日 11:24
狩猟っぽい農耕っつーのは私も考えてました。
なぜなら土地もってないし。 
今いるところだっていつか動かなきゃならない、という可能性はあるわけで。
ってことは逆に言うと、どこでもできないといけない。
ここじゃないとできないっていうのは、ちょっと惹かれない。
農耕するに向いている場所を選ぶ嗅覚やらなんやらを含めて、狩猟の感覚。

富士川の河原で勝手に畑作ってる人とかいるんですよ。
多分国の土地なの。
そういうたくましさ?、みたいなのに惹かれます。
11. Posted by アキラ   2005年04月08日 15:46
微生物も、立派に食べてくれる生き物でっせ〜。
土にさえ戻せればオッケーのような気が・・ (^o^)
12. Posted by Izumi   2005年04月08日 17:27
でもでも鶏がいると、たまごまでゲットできますぞ。
そういうおまけ感覚は楽しい。 まさにラッキー。
なのでやっぱりちょっとうらやましい。
うちのぴよちゃん計画はいつになることやら。
13. Posted by まきこ   2005年04月08日 20:43
> 富士川の河原で勝手に畑作ってる人とかいるんですよ。
> 多分国の土地なの。

惹かれますねえ。
それは人の物を横取りすることじゃなくてたぶん、土地を所有することのナンセンスさを、突き崩しているんだな。
だからそういう人は、たぶんその土地について所有権を主張したりしませんよね。
出て行けといわれたら、淡々と出て行って、またほかのところで作る。
それが他の誰かに実質的な迷惑をかけないかぎりにおいてね。

鶏飼いは、ちょっとフットワーク重くて、そこのところはツライです。
14. Posted by まきこ   2005年04月08日 20:55
アキラさん、

> 微生物も、立派に食べてくれる生き物でっせ〜。
> 土にさえ戻せればオッケーのような気が・・ (^o^)

そうなんだけどお。
なんかねえ、外葉とか皮とか芯とかを土に戻すのはいいんだけど、
このカボチャいまいちだなっていうくらいだと、もったいないのよ、私ケチだから。
でね、いまいちのカボチャを美味しく食べる工夫とかって無理しているうちに、
美味しいカボチャが食べきれなくなるの。
だから、どうせ鶏には野菜が必要なんだから悩まずあげればいい、っていうのは気持ちの上で助かります。

あと、Izumiさんのおっしゃるとおり、人間の食べないところを食べて、たまごで返してくれる鶏さんって、ステキ♪
15. Posted by うちゃ   2005年04月08日 22:03
みなさんワイルドだなぁ

>あと、Izumiさんのおっしゃるとおり、人間の食べないところを食べて、たまごで返してくれる鶏さんって、ステキ♪

 生き物としての人間だって大したもんなんですよ。ちゃんと食べたものは肥料に変えられるんだから(笑)。冗談でもなくて、大地でとれたものは最後はちゃんと大地に返してあげないと。植物にとっての栄養素なんだから。
 人口が少なければ、そうやって狩猟的な生き方をして、自然の大きな循環にまかせてもやっていけるんですけどね〜。これだけ増えてしまうと自然に任せて、ってわけにも行かなくなるところが出てきちゃいますね。
 でも、”生かされている”っていう感覚を忘れて、頭の中でのつじつま合わせに走っちゃうと危ないってのは確か。
16. Posted by まきこ   2005年04月08日 22:46
> これだけ増えてしまうと自然に任せて、ってわけにも行かなくなるところが出てきちゃいますね。

そうなんですよね。
基本的には、降り注ぐ太陽エネルギー以上のものは使えないはずじゃないですか。
太陽エネルギーから植物がでんぷんつくるから、その植物体を食べたり、植物体を食べた動物を食べたり。
植物体を燃やしてエネルギーを取り出したり。
降り注ぐ太陽エネルギーは、常に補給されているから、その分は使ってもいいけど、それ以上は、ほんとうは使えない。
昔の太陽エネルギー(化石燃料)を使っちゃうと、昔の二酸化炭素がまた大気中に出てきちゃうから、やばい。
17. Posted by まきこ   2005年04月08日 22:57
(続き)

しかも、太陽エネルギーを独立して利用できる(太陽電池のように、それをつくるために石油を必要とするのじゃなく)のは植物だけだから、地表のある程度の面積を植物で覆っておかなければ、太陽エネルギーは有効に利用できない。

と考えると、自然に任せていては生産性が低いからといって、人間がしゃかりきになって生産性を「向上」させたようにみえても、それはいっときよく見えるだけで、理屈では無理なんですよね。

18. Posted by まきこ   2005年04月08日 22:57
(続き)

地表のどの部分を植物で覆うか、どの程度の人口だったら暮らしていけるか、なんていうことを、考えなきゃいけないような気がします。
その結果、あまりにも粗放な農法じゃだめだよ、ということになるかもしれなくて、そしたらキチンとやらねばならぬかもしれません。

軍事基地なんかで、地表を覆っている場合じゃないです。太陽エネルギーを使える植物さんを、もっと植えなければいけません。
海を覆うのも、もちろんダメです。海中の植物プランクトンは、めちゃ重要です。
19. Posted by 名村   2005年04月09日 00:51
うーん、快感が最近少し少ないなあって思うのです。
おなかいっぱいご飯を食べる快感とか。
最近で言うと、自分で作ったものや採ってきたものや釣ってきたものを
食べる快感。
自分で切ったり焼いたりして食べる快感。
どうせメシ喰わなきゃならないんだから
気持ちよく食べたいよねえ。
それが足りていないように思う。
いやこれは僕のことで、別にいいんですけど
足りないのは快感なんだなあ...。
20. Posted by ロスト   2005年04月09日 15:58
田舎でおばあちゃんに
「白菜いるか?」って聞かれて
「うん、もらう」いうと
ほいじょ(包丁)持って裏の畑に。
五つも六つも採るから
「そんなに食べられないから」っていっても
「いいからけっ(食え)」ってw
見たことも無い巨大な虫とか
裏の山とか見ると普段の生活が
現実かどうかあやしく思えたり。

そういえば
昨晩メンマチャーシューを相方と食べながら
「メンマってなに?」
「シナチクってくらいだから竹?」
みたいな会話をしました。

メンマの由来
“麻竹”が原料
「麺麻」あるいは麺に載せる具なので「麺碼(マ)」(碼は上に載せるという意味)
種類 麻竹/常緑多年性植物
産地 台湾の中南部(山間部)/中国の広東省
だそうです。
21. Posted by まきこ   2005年04月09日 23:07
名村さん、

> 足りないのは快感

これ、名言かも。
不思議なんですが、自分で作った野菜などを自分で料理して食べると、
なんかあまり余分に食べなくても満足する気がするんですが、
そういうのってありませんか?
満足って、食べるところだけから得られるのじゃなくて、そこまでの過程からも得ているような気がします。

22. Posted by まきこ   2005年04月09日 23:17
ロストさん、

「け」、山形でしたっけ。「ままけ」「ままこう」っていいますよね。

> 見たことも無い巨大な虫とか
> 裏の山とか見ると普段の生活が
> 現実かどうかあやしく思えたり。

ああ、それ、身体がそっち(田舎)のほうに呼応してるのかな(笑)。
私はもう、たまに都市に出ると、おもちゃっぽく思えますよ。
アパートとか、まじで奇妙だ。
でも、誰でもが都市を脱出できるわけじゃないというのも現実で、
そこをどうするか考えないと、農耕がいいっていくら言っても、断絶してしまうかもしれませんね。
っていうか、考えないとダメなんだが、ほんとに。課題です。
23. Posted by へなちょこ   2005年04月11日 09:46
ウチの畑でできた野菜を食べる時、「おいしいねぇ〜」と言うと、
「オレが種蒔いた!」「へなちょこが水やりした!」という言い合いに・・・。
『自分が作った』とはならないんです。畑や太陽のおかげ、という実感から。

そして『時季(旬)』の物って豊作だと売るほど(いや売りますよ(^_^))採れるから、
その野菜を「上手に(たくさん・飽きずに・おいしく=勿体ない事しないで)食べる」
を、すごく考えるようになりました。あるものを食べる、無いものは無い(笑)。
んで、野菜を大地に返す時に「次回よろしく!」とか話しかけるようにしてます。

24. Posted by へなちょこ   2005年04月11日 09:47
続きです


>いまいちのカボチャを美味しく食べる工夫とかって無理しているうちに、
 美味しいカボチャが食べきれなくなるの
まきこさんのコメントには、いっつも「そうなのぉ〜!」と言ってしまうへなちょこ。
揚げてみたり、お菓子にしてみたり、ってやってると順番待ってる子が・・・。
「オヌシもまだまだぢゃのう」と野菜達に言われています。
25. Posted by まきこ   2005年04月11日 10:36
「次回よろしく」 
いい〜! それいいっ!
私も今度からそうしようっと。
26. Posted by KEN-NYE   2005年04月11日 18:15
某人材派遣会社が地下農園を作ったってニュースを聞いて違和感を感じたのはこのへんだったんだな。

「野菜の保管場所が畑」どころじゃなくて、既にそこらにあるものを「自分の力で」手に入れて生きる糧にしてる、ってところが大切なのかも。

> 自分で作った野菜などを自分で料理して食べると、
> なんかあまり余分に食べなくても満足する気がする

これ、すっごくわかるんです。春、土筆取りに行く。ホンの何本かしか取れなかったりする。家族で一人一本だったりする。でも、これが何か食べるのが勿体ないぐらいな気がして、しっかり味わって食べてる気がするんですよね。
27. Posted by アキラ   2005年04月11日 19:10
独り言ですが(こればっかり・笑)、僕は「野菜を作る」って表現が好きじゃないんですよねぇ。
起こってる事態を、的確に捉えてない気が、するんだなぁ (^o^)。
28. Posted by まきこ   2005年04月11日 19:30
アキラさん、

ああそうでした。私も、「私は自分をたまごの生産者とは思えない」っていう記事を書いたような気がすると思ってみてみたら、これでした。

生きものを作れない
http://blog.livedoor.jp/niwatori5555/archives/607892.html

あれ、このころまだ、たまごを卵って書いてる。
ヘンだよなと思いつつも実際にひらがなにしたのはごく最近なのか。
へえ〜。自分で意外。

ところで、「野菜を作る」より「育てる」のほうがいいかな。
もっといえば「育つのを助ける」なのかしら。
メロン栽培の日雇いをやったことがありますが、あれは育つのを助けるんじゃなくて、いろんなことして無理やりでっかい実をつくってたなあ。
29. Posted by アキラ   2005年04月11日 21:54
あ、反応していただいて、ありがとうございますです。
ホントですねぇ、「卵」だ。

メロン栽培の日雇いって、どんなことするんですか? (^o^)
面白そう。

そうですね、僕は「野菜を育てる」と言ってます。
どうしても手を出してる分、勝手に育ってるとも言えないし、「助ける」ってのも、ま、「元々助けられなくても構いせんから」でしょう? 彼ら的には。
子どもなんかもそうでしょうけれど、育ててるようで育っちゃってたりして、手をかけてるけど、こちらが望んだり願ったりしてるようにはなってくれなかったりとか。
そんな意味ということで、「育てる」かなぁ、とりあえずはってとこで。
30. Posted by アキラ   2005年04月11日 21:54
(続き)
グランド・ファーザー的には「助ける」なんでしょうが、今イチ腑に落ちてないんですよねぇ、実は (^o^)。
あんなこと、書きましたが。
植物は、ヒトと違って「巨大化した脳ミソ」無いですから、とんちんかんなことはしないような気がするんですよ。
だから、「助ける」が妥当なのかどうか・・。
31. Posted by まきこ   2005年04月11日 22:18
> 「助ける」が妥当なのかどうか・・。

そうですねえ。脇芽をかくのだって、「いい実がなるように助ける」っていうかもしれないけど、たとえばトマトさんは、「いい実」をつけるよりぐにょぐにょ脇芽をだして小さい実をたくさんつけたいのかもしれないですからね。
ぐにょぐにょが「よくない」育ち方で、よくなるように「助ける」というのも、言い切れないような気がしますね。
もし、ぐにょぐにょにしとくと自滅しちゃう、というのなら話は別ですが。

32. Posted by まきこ   2005年04月11日 22:33
メロン栽培は、人間の都合で手出しする、の最たるものでしょうね。

根元から9節目までの花芽は全部とる、子ヅルは2本残してとる、孫ヅルは全部取る、実は2つ残してとる、っていう感じです。
そうして2つの実に栄養を集中させていきます。
もし放っておいたら、メロンの実はどんなふうになるのでしょうね。
33. Posted by Izumi   2005年04月11日 22:59
私は「畑を作る」「田んぼを作る」派ですな。
近所のおっちゃんやおばちゃんがよく使う表現ですわ。
で、結構これはなかなかいい表現だなあと思って。
不耕起の畑でさえ、荒れ地とは違うし。
34. Posted by まきこ   2005年04月11日 23:15
なるほど。いろいろ考えが出てきますね。

> 不耕起の畑でさえ、荒れ地とは違うし。

そうですか。
ねえねえ、自然に落ち葉が積もった山土なんかで、すぐいい畑になる土地、なーんていうのはあり得ないんでしょうか。

って、聞いてどうするというのでもありません。
あったらいいなと思っただけです。すんまそん。
35. Posted by まきこ   2005年04月12日 00:15
KEN-NYEさん、

地下農園ですか。
私、ニュース見ないから知らずにいました。
検索しゅる。ほほーう。なるほどねー。
こういうところで野菜を得たときに、人は野生の笑いを笑えるのだろうか。面白い。どうなのか見てみたい。

ああ〜〜〜。
技術によって食べものを作っているようにしか感じないとしたら、不幸じゃのう。しかし不幸だとは気づかんじゃろうのう。

それにしても、仮に産油国を脅して石油安く買って、コスト的にもしかしたら黒字になろうとも、投下するエネルギー(石油のカロリー)と、得るエネルギー(野菜のカロリー)とを比較すると、赤字になる気が。
36. Posted by アキラ   2005年04月12日 00:25
「畑」や「田んぼ」は、確かに「作る」もんですな。
37. Posted by Izumi   2005年04月12日 00:33
いい畑っつーのをどう定義するかにもよりますが、
「すぐ」っつーのはなかなか難しいとは思います。
ただ自然はこちらの想定をいとも簡単に越えますので
あり得ない、とも言い切れない。

あとメロンは植えたことないですが、カボチャを植えっぱなしで放っておいても
実はちゃんと成ります。 大きさがバラバラになっちゃうんでしょうね。
蔓を摘んだりするのは、なにもしないと歩くとこがなくなるんです。
そんでメロン踏んじゃったりするんだな。きっと。(ToT)
38. Posted by うちゃ   2005年04月12日 06:39
>それにしても、仮に産油国を脅して石油安く買って、コスト的にもしかしたら黒字になろうとも、投下するエネルギー(石油のカロリー)と、得るエネルギー(野菜のカロリー)とを比較すると、赤字になる気が。

こりゃエネルギー的には大赤字ですね。太陽エネルギーを一切使わないってことでしょ。黒字になるわけがない(^^;
仮になんらかの技術革新でエネルギー源の問題が解決されたとしても(核融合炉とか)、都市に新たな熱源が増えるので、ヒートアイランド化が進んでしまう……
人口の集中を緩和させて、農地を増やすってことは考えないわけね、経済的なつじつま合わせしか頭にないんでしょうね。
39. Posted by へなちょこ   2005年04月13日 09:04
同級生の実家がメロン農家やってます。メロンは上に伸ばしてました。
ほっとくと、大きさがバラつくし、甘みもイマイチだろうし、なにより蔓がもたないんだと思います。若い身空で摘まれた実は、知り合いなどに「漬け物用に」とあげていました。

へなちょこも畑を2列(笑)借りて、毎夏ナスとピーマンを植えてます。「わんぱくでもいい!たくましく育ってほしい!」と(どっかで聞いたセリフですが)話しかけます。8月なんて昼食・夕食ナスとピーマン。忙しいからホントにぶちぶち採ってじゃあじゃあ炒めていただきますっ!ですよぉ。そして美味しい♪。
食べきれなくなってくると遊びに来た友達に「ナス・ピーマン狩り」をしてもらったり。子供の背よりも大きくなっているナスの木(?)に驚かれます。子供も野菜をしげしげと見ています。頭の中で「つなげて」いるんでしょうね。
40. Posted by tam   2005年04月13日 18:07
地下農園ってえのきだけとか作るんじゃないのか…
41. Posted by まきこ   2005年04月13日 22:24
きゃ〜、tamさん、うまいっ。
えのきだけ感じ出てる>地下

遅れましたが、前のとこ返信コメント書きましたんで。ごめにょ〜。
42. Posted by まきこ   2005年04月13日 23:47
へなちょこさん、

メロン、棚にしてつくるんですか? マスクメロンはそうですよね。
この辺だとメロンは這わせてつくります。
這わせる場合ですが、一つの株が葉を広げられる面積が決まってしまっていますよね。(ハウスの壁で行き止まり)
その中で孫ヅルがでても、同じ株の葉同士が競合してしまって意味がないというか、競合して伸びようとするだけエネルギーが無駄と考えるんじゃないかと思います。
1本の子ヅルにこれだけの葉の面積があれば、1個の実を甘くさせられる、というところから株間が決まっていて、余計なことは要らんから全部とっちゃうと。
そうそう、こっちでも、気がつかんうちにそこそこ大きくなってしまった実は摘んで、漬物用にします。
放っておいたら、あまり甘くない小さい実がたくさんできるのかなあ。
それでも野生の動物にとっては甘いので、食べてもらえて、子孫を増やすには適しているんだろうなあ。
43. Posted by まきこ   2005年04月13日 23:54
> 子供の背よりも大きくなっているナスの木(?)に驚かれます。

うおお、私もそれ見たい。いいなあ、憧れるなあ。ナスの木。


> 子供も野菜をしげしげと見ています。頭の中で「つなげて」いるんでしょうね。

うんうん。いいですね、そういうのを見るの。
「これが、ナス。うちで食べてるナスは、これ。これが、あれ。あれは、こういうふうになってる。これが、大きくなって、あれになる」ってねー。

私ね、よく農業体験とかで子どもが、
「いつも食べている野菜がこんなふうにして作られるのだとわかりました」って
さらっと言ってのけるのをみると、「うそだろー」って思うんよ。
44. Posted by まきこ   2005年04月14日 00:16
うちゃさん、

> 人口の集中を緩和させて、農地を増やすってことは考えないわけね、経済的なつじつま合わせしか頭にないんでしょうね。

都心でやるにしても、なんでせめて屋上にしないんだろ。日光あるのに。
高いところに土や水もっていくのは大変だろうけど(でもマンションの水はいったん屋上まで揚げるんだよな)、高層ビルじゃなくても、美術館みたいな建物を新しく作るのを見つけて屋上農園とか、なんかないのかなあ。

どうも、「完全に人工的にやる」っていうことをやりたいのかな、と思ってしまいます。

自然に依存しなくても生きられるぞ、てか? 悪い冗談でしょう。

地下農園について、記事起こそうと思っているんですが・・・。まだ書きあがりません(駄目)。
45. Posted by まきこ   2005年04月14日 01:18
あ、それと、うちゃさん、

> これだけ増えてしまうと自然に任せて、ってわけにも行かなくなるところが出てきちゃいますね。
への私の返信コメントは、話がずれていましたね。
どうもすみませんでした。自分の書きたいことを書こう書こうとしてしまって・・・。

うちゃさんのおっしゃるのは、勝手にできたのを採るとか、美味しくなかったら土に返せばいいとか、そういうのよりもっと、ちょっとは手間かけてどれもだいたい無駄なく食べられるようにしないと・・・、土地も有効に使って・・・、っていうことですよね。

私のは、石油資材を使ったり暖房を入れたり光をあてたりして、無理に頑張って収量を上げても、いっときよく見えるだけじゃないか、っていうことでした。

すみません。
46. Posted by うちゃ   2005年04月14日 07:09
>うちゃさんのおっしゃるのは、勝手にできたのを採るとか、美味しくなかったら土に返せばいいとか、そういうのよりもっと、ちょっとは手間かけてどれもだいたい無駄なく食べられるようにしないと・・・、土地も有効に使って・・・、っていうことですよね。

はい。それと、私は根っからの都市住民なので(^^; 直接農耕に携わらなくても生きていける道もあったほうがいい、と思ってます。
あと、エネルギーの収支とか、資源の循環とか、廃棄物や廃熱の問題とか、人が増えていった時におのおのが自然そのままに生きていたらうまく働かなくなる部分はあると思うんですよ。そういう部分に人の知恵を生かしていくことは必要だと思います。
47. Posted by うちゃ   2005年04月14日 08:55
上のコメントなんですが、まきこさんが、”農耕者でないと駄目”だとか”自然のままが一番”とかいう主張をしていると思っているわけではなく、そう取って突っ込んできそうな人のことがなぜか頭に浮かんでしまったので(笑)
まあ、余計な心配かも知れませんけどね(^^;
48. Posted by まきこ   2005年04月14日 09:44
うちゃさん、そこまでご心配いただき、ありがとうございます。

まあ、そう取る人というのは、本人がどうしてもそう取りたくてそうするので(反論できるところがそこだから、そうであってもらわないと困るらしい)、こちらがどう書いても関係ないみたいですね。

ただ、そうなんだとわかってしまうと、こちらも正しく伝えようとする努力を怠って、誤解するのは相手のせいだと思ってしまうかもしれないので、気をつけなければいけませんね。

まあ、自分も今、書きたいことを書くのに夢中になっている段階のような気もするので、気をつけるのはあまりうまくいっていないかもしれません。
49. Posted by まきこ   2005年04月14日 09:58
> ”農耕者でないと駄目”だとか”自然のままが一番”とか

の件ですが、都市生活で支障がない分には構わないと思うのですが、
もしそのリアリティの希薄さに参っているなと思ったら、
私が得たような実感を得られる場があるといいなとは思うんです。

ずっとその生活をする必要はないんですよ。そうではなくて、「こういうことなんだよな」と実感したという経験があれば、あとはどんな環境でもかなり大丈夫でやっていけると思うんですね。

50. Posted by まきこ   2005年04月14日 09:59
(続き)

「生きるって、こういうことなんだな」から「じゃあいま自分がやっていることは、こういうことなんだな」と納得することができる、という感じ。
もしその結果、都市でやっている自分の仕事を「つまり徒花なんだな」と思ったにしても、その意味を引き受けた上で生きられたら強いと思います。
もし、「こんなことやっていちゃいけないな」という思いが切実になってしまったら、それはそれで何か動きだせるし。
そのとき、動き出せる選択肢がどれだけあるか、そこを充実させられたらいいなと思っていますが。
51. Posted by まきこ   2005年04月14日 10:05
> あと、エネルギーの収支とか、資源の循環とか、廃棄物や廃熱の問題とか、人が増えていった時におのおのが自然そのままに生きていたらうまく働かなくなる部分はあると思うんですよ。そういう部分に人の知恵を生かしていくことは必要だと思います。

ほんとにそうですね。
しかしもしその知恵の結果が、地下農園だというのだったら、浅はか過ぎですよね。

そしてね、「地下農園が浅はかだ」というのは別に、「自然な暮らしをしているからわかる」ということではないんですよね。
やはりエネルギーの収支とか、資源の循環とか、廃棄物や廃熱の問題とかを考えてそう思うわけですから。
52. Posted by gegenga   2005年04月14日 13:07
「徒花」。
まったく私、自分の仕事をこう認識しています。
しかも平和な環境でしか咲けない徒花ね。

でも実を結ばなくても、咲いた花を見て楽しんでくれる人がいればそれでいい。

花を愛でる余裕がある、平和な社会が続いてくれますように。
53. Posted by KEN-NYE   2005年04月14日 18:35
まったく、ミュージシャンってものすごく徒花な仕事かもしんない。
だから、単なる音楽馬鹿じゃなくて、地に足をつける努力をしないと。
54. Posted by まきこ   2005年04月14日 19:48
gegeさん、KEN-NYEさん、

「徒花」というときとは「実」「花」の座標軸が変わっちゃうんですが、
「咲いた花を見て楽しんでくれた!」っていうのが、gegeさん的には「実」じゃないですか。

いろんな実がある状態は、素敵だと思います。
「役に立つ」ことを至上命令とするような社会は嫌だな。
「役に立つ」って、何の役に? って訊きたくなるよ。

歌うたいだって、仮に誰かたった一人をしか幸せにできない歌うたいだって、
そういう言いかたをするならば、その人の役に立ってるじゃん。
自分の役にだけたつ歌だってあるかもよ。

それを「役に立たない」というときの、「役に立つ」は、何の役に?って警戒するなあ、私は。
55. Posted by まきこ   2005年04月14日 19:56
(続き)

私がいう農耕とは国家の食糧生産としての農業じゃないんだよ、というのはそういうことです。

農業は素晴らしくて、歌うたいはどうでもいいなんて、私は思わない。
もし産業なら、どちらもあまり変わらない。
産業としてじゃない音楽だってあるじゃない。
それと同じように、産業としてじゃない農耕だって当然あるよ。

私が「農耕」といっているのは、バイクやサーフィンと同じようなものだと思っていただけると嬉しいんだけど。あと音楽でもいいけど。
なんか、新しい地平が見えるかもよ、的な体験ですだ。
56. Posted by まきこ   2005年04月14日 20:05
あと、ものすごい音楽馬鹿だと、突き抜ける可能性はあると思います。
突き抜けた音楽は、人に何かを気づかせる可能性がありますよね。
でも、ものすごくないと駄目だと思うけど。
その場合、その音楽が大地に根ざしていたり、労働者に根ざしていたりは、別にしなくてもいいのかも知れません。
ただ、あまり根性入っていない、という意味での「地に足ついてない」のは駄目だと思うけどね。
57. Posted by うちゃ   2005年04月14日 21:37
すいません、なんか変な方に話を振ってしまったかも(^^;
徒花……花火ってあるじゃないですか、あれって考えてみると徒花もいいとこですよね、打ち上がった何十秒間くらいで消えてしまってそれっきり。でも、私は火薬のもっとも正しい使い方だと思ってます。そしてあれは本当に平和な時代じゃないと楽しめない。戦時にあんなもの打ち上げたら爆撃されちゃいますから……。
日本の花火師って、世界一なんだそうです。江戸時代が始まる直前まで、日本列島にあった軍事力は世界有数のものだったんですが、二百年たったら見る影もなくなってしまいました。その間、火薬を扱う技術を花火みたいな徒花に使ってしまったご先祖さまたちが、私は好きです。
58. Posted by まきこ   2005年04月14日 23:20
花火、大好きです。

花火ってエネルギーの使い方としてどうよ、っていうの、あるかもしれませんが、
もし余分なエネルギーをもう使えない、となったらなったで、
エネルギーを使わない別の遊びをするでしょうね。
要は心意気ですから。

花火でなきゃならん、ということはないんですよね。
花火を楽しむセンスって、花火に固執しないような気がします。
自分的に気がするだけですが・・・。
59. Posted by まきこ   2005年04月15日 14:02
> 火薬を扱う技術を花火みたいな徒花に使ってしまったご先祖さまたち

考えてみたら、そうですね〜。興味深いですね。
花火を最初に作った人は、どうして作ったんでしょう。
夜に火薬を使ったら光が見えて、そこに美しさを見たのかな。

軍事の注文がなくなって、何なら売れるか考えたのかな。

軍事の注文がある中でも、花火を考えちゃったヘンな人がいたとかだったら、
めちゃめちゃ面白いなあ。ないかなあそういうの。
60. Posted by KEN-NYE   2005年04月18日 15:35
なんの得になってるかよくわからない、そこに美しさとか魅力を感じたりするところに文化とか人間らしさってのがあるのかもしれない。
61. Posted by gegenga   2005年04月18日 20:55
うぇーん、ここの掲示板、目を離していると進みすぎてついていけないよぉ〜。

徒花。
↑KEN-NYEさんもそのようですが、私も肯定的に感じてます。
なんの得にもならないくてもいいよね、みたいな。

実がなるかならないか、その実が食えるか食えないか、花にはなんの関係もない。
今、ただ咲いているだけ。
って、これもいいよね。
62. Posted by アキラ   2005年04月18日 23:47
>KEN-NYEさん
あ、そうですね。
かの橋本 治氏が「“美しい”とは、直接的にはなんの役にも立たない発見」というようなことを言っています。
ホント、そう思います。
今度、エントリー立てよ〜っと (^o^)。
63. Posted by うちゃ   2005年04月20日 12:21
花火の歴史、調べてみたら面白かったので、今度エントリー立てます。
夜空に、つかの間美しい花を咲かせるために、命をかけてきた花火師さんたちは最高にカッコいいです(^^)
64. Posted by まきこ   2005年04月20日 16:08
ほんと、ここの掲示板、私も全部はついていけない(?)

KEN-NYEさん、
そういえば、「得する」っていう言葉、わりと面白い概念ですよねえ。
「得する」ってなんだろ。なにかいいことなのかな。
いまや「得にならない」のほうに肯定的な感じがしたりして(笑)

gegeさん、
> 実がなるかならないか、その実が食えるか食えないか、花にはなんの関係もない。

おお、これカッコいいなあ。

アキラさん、
また面白いエントリーになりそうですねえ。待ってます。

うちゃさん、
わあ、花火の歴史、調べてくださったんですか!
楽しみぃ。

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