2004年05月24日

なぜ「竹やり訓練」なのか

 23日の記事で、国民保護法案が示す「訓練」を、竹やり訓練みたいなこと、と例えました。これについて、「現代に竹やり訓練、もしくはそれに匹敵する合理性のない訓練をするわけがない。これは感情的、被害妄想的、アレルギー的であり、政府のしようとすることに対するむやみな拒否反応であーる」と感じた人も多いかも知れません。
 しかし、そうむやみでもないのですよ。竹やり訓練とは、B29に代表される戦闘機から空襲を仕掛けてくる米軍に対して、上陸してきたら竹やりで突いてやろうと訓練をしていたというあれですが、今回の法案だってお笑いよ。いや、笑えないけど。


お笑いその1. 原子力災害
 原子力施設への攻撃のおそれがある場合、「使用を止める」(106条)ことしか打つ手がない。当たり前ですが、運転を止めたって、原子力施設に核燃料または核原料など放射性物質が貯蔵・保管されている限り、攻撃されれば放射性物質は環境に拡散します。
 日本の原子力施設は外部から攻撃されることを想定せずに設計されているため、航空機が突っ込めばひとたまりもありません。(アメリカには航空機の衝突を想定した施設がある。アメリカのスリーマイル原発は、ペンシルベニア州のハリスバーグ空港から5キロほどの距離にあるので、衝突事故も想定して例外的に高強度に設計された。でも衝突はしなかったが事故がおきた。とほほ)
 しかも避難するのは半径10km圏内の人(「原子力災害対策特別措置法」を準用)。チェルノブイリでは半径30kmが封鎖されたということからみて、どうなのか。風が吹いたら、放射性物質はどこまで広がるかわからない。
 そんな爆弾抱えてるのに、自治体で避難訓練するのって、竹やり訓練みたいなものじゃないですか?

お笑いその2. 避難の実際 
 これとか 、これとか、その他を調べると、2003年7月に鳥取県で行ったシミュレーションを元にした試算では、県境の3つの町村の住民2万6千人がバスで隣りの県に避難するのに11日かかるとされた。
 県主催の10月のフォーラムでは、鳥取市の担当者は鳥取市民12万人を避難させることは検討の余地を超えていると発言した。これは、道路を全面的に避難に使えるとしての試算。実際は「有事」の際に、道路は米軍・自衛隊が優先使用すると考えられるので、ますますもって非現実的。
 しかもこれは、現職自衛官が中心になってのシュミレートらしい。
(鳥取県では2001年8月から防災危機管理課の課長補佐クラスに一等陸尉を迎えている。鳥取県は有事を想定した県独自の住民避難要領を策定中で、出向の一尉が実務の中心になっている。2003年6月5日 河北新報夕刊より抜粋。)
 避難なんて無理〜〜。

 んじゃ、なんでこんなことするのか。
ひとーつ。いえることは、本当は日本が攻撃されることをあまり真剣に想定していないな、こりゃ。
ふたーつ。「ほら! ○○さん! もっとシャキシャキ動いて! そんなことでは敵が来た時に間に合いませんよ」「は、はい!」 みたいなことを日ごろから大まじめにやって慣れさせることによって、「敵がくる」ことを前提に発想する・・・思考してる暇なんてない、政府の指示にしたがわなきゃ、と思う人間を作る。

どうよこれ。しっかし調べるの疲れたわ。    (真紀子)


niwatori5555 at 11:46│Comments(4)TrackBack(2) 自由がなくちゃね 

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1. <font size="2">代替表現としてのテロルと戦争</font>  [ バルタザ〓ルどこへゆく ]   2004年05月25日 19:35
20日、有事法が衆院通過 (Asahi.com)  これで、私たち戦争に反対する者が、法的にも非国民で反日分子で犯罪者となる。  明日、誰か国会で爆弾テロ起こしてくれないかな?な〓んて  もうじき、「
2. トラックバックの検索が  [ ばっきょ隊長 ]   2004年05月25日 22:36
も少し楽だったら良いのにな。(謎 とゆー事で有事法案可決なエントリで書いた、反対な方々のエントリを 以下に列挙してみる。(順不同つーか探しあて順だな # 偏ってると思いますが、ごかんべんをば。 「有事関連7法案」の骨子のダイジェスト 米軍行動円滑化法案と.

この記事へのコメント

1. Posted by 田辺有輝   2004年05月24日 13:55
二つ目の理由が本当なのではないかと思います。つまり何でもよく聞く人間を育てたいということなのだと思いますよ。
2. Posted by まきこ   2004年05月24日 21:59
わっ。田辺さん、コメントありがとうございます。

やっぱりそうですかねー。
 たとえば中学生とか高校生とか(小学生もか)って、整列しろとか並んで歩けとかいわれても、ピシッとしないでそれとなくだらっとやりたいじゃないですか。そんな機械みたいに(正確に言えば軍隊みたいに)ピシッとしたくないっていうのは健全だと私は思うんです。命令に喜んで従うのじゃなく、厭々なんだぜっていう表現を忘れないというか。
 ところがこれができてしまえば、「そんなことでは敵から身を守れません」みたいな理由づけが幅を利かせて、考えるのをやめて体が自然に動くまで「訓練」させられるんじゃないかという不安が、私にはあります。
 大人もきっとそうですよね。町内会ごとに「訓練」に参加を要請されることが頻繁になれば。考えたり反対したりするより、「協力して早くやって終わらせちゃいましょう、みなさん」みたいな感じになってきて。あー目に浮かびます。

 そうすると、「敵の攻撃から身を守るためです」といわれると、条件反射的に体がいうこときいちゃうようになるだろうと思われます。こういう世の中になることが、嫌なんです、私は。
3. Posted by たけぽん   2004年05月25日 03:28
トラバどもでした。
戦時中の竹槍も多分結構大勢のヒトが「馬鹿馬鹿しい」と思いながらやってたんじゃないかと思いますよ。
それを「馬鹿馬鹿しい」とおおっぴらに言ってしまえないような世の中てのが怖いです。
どのみち「戦時」に「有効」な訓練なんかできるわけがないのです。んなことしたら「こんな馬鹿げたことやってられっか!」てなヒトが訓練の成果でもってクーデター起こしちゃうかもしれないわけで、てかほぼ確実に起きるので(だからこそ竹槍だったんだとにらんでるんですが。まあその前に物資も無かったでしょうが)。
やっぱり当時もその目的は「洗脳」だったんじゃないかと思います。
とりあえず訓練に出ないひとを見せしめに逮捕してみたりするんじゃないですか。でヘタレマスコミが尻馬に乗って逮捕者とその家族をつるしあげれば皆びびって訓練に参加するようになるでしょう。「訓練」はそのための手段であって内容はきっとどうでもいいのではないかと。
4. Posted by まきこ   2004年05月25日 13:03
うわあ。たけぽんさん、するどすぎるコメントありがとうございます。
 そうかあ。実際には使えない武器である必要があったっていう可能性ですね。見せられてるものじゃなく、隠されてるものを見ろ、ですね。
 私、子どもの頃竹やり訓練の話を聞いた時は、「物がなくなったから、無駄と知りつつこんなことまでしたのか」と思ったんですがそれは素直すぎ。で次に「役に立つか立たないかはどうでもいいわけだな。要は人々をしごいて、びしっということ聞くようにさせられれば」と思った。これが今。
 さらに、「使える武器じゃないからこそなんじゃ?」も考えてもいいわけか。無駄に決まってるバカバカしい訓練だからこそ、人々の思考を止めさせる効果も高いってこともありそうですね。

 こういうことをねえ、戦後すぐにちゃんと考えてないのが悲しいな。どういう仕組みで、効果で、こういうことになっちゃったのか。体験した本人たちと、言い訳を排除して客観的に見ることができるあとの世代とで、あれはなんだったのかを考察してないのが痛いなあ。
 手のひら返して「民主主義バンザイ!」だけじゃ、メンタリティ変わってないですもんね。
 だもんで、新たな戦争にずるずると参戦しちまってる今、抜き差しならなくなる直前に、あとの世代の私たちがこうしているわけね。

 この法案、何とか止められないかな。民主党の参院執行部は採決したくないみたいだけど、党代表その他は公明党との取り引きがあるから成立させたいもよう。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=pol&NWID=2004052001004457

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