若者と大人の関係はこのままでいいのだろうか?
もちろんすべての人がそうではないけど、広く社会的にみればそういった構図が否が応でも出来上がっているのが現実である。
若者がその原因が大人だ!というと、大人はその原因は若者にある!と言う。
一応若者である兄やんの立場から言わせてもらうと、若者にも原因があるにせよ、その根本を辿れば、多くは大人、もしくは政治家たちに原因があると言える。
もちろんそれがすべてではないし、だからといって、若者の目に余る行動をすべて正当化するつもりもない。
■今はもう、年が上だからという理由だけで、盲目的に尊敬・崇拝されるような時代ではない■
まず、このことが理解できていない大人が非常に多い。
尊敬されたければ、崇拝されたければ、それなりの行動を示し、自分自身の力で尊敬を勝ち取る必要がある。
そもそも、年が上だからという理由だけで、盲目的に尊敬・崇拝されること自体がおかしなことである。
年が上でも、人に迷惑ばかりかけたり、ええ加減なことばっかりして、反面教師にしかならない人だってたくさんいる。
そういう人が、自分達の金遣いが荒いために、年下の人間から無理やりお金を巻き上げられれば、納得いかないだろう。
それとも、実際は尊敬などしていないのに、尊敬しているフリをされるのがそんなにうれしいのだろうか?
■しかし、実際今の若者が受けている仕打ちは、それと似たようなものである■
いや、それよりももっとタチが悪いかもしれない。
頭の悪い、自分勝手でええ加減な政治家たちのせいで、若者達は今言ったようなのと同じような仕打ちを受けている。
そればかりか、そんな目にあっている若者に対して、洗脳されたがごとく、大人たちの若者イジメが慣習化している。
自分自身がそうしていなくても、周りに、あるいは上司でこういった人はいないだろうか?
自分のすごさを誇示したいがために、自分超えをさせないように、才気あふれる若者の足を引っ張るようなことをしてみたりする。
その足を引っ張る方法は露骨なものから陰険なものまで多種多様であり、特に、古い会社や、中途半端に実力主義を取り入れてる会社の職場内などでそういう光景が見られる。
社会が、人間自身がよりよくなるために便利なものをやいいものを作ってきたハズなのに、それよりさらにいいものを作ろうとする若者の邪魔をしてしまっては、若者がやる気をなくすのも当然である。
思慮のない大人たちは、「今の若者は恵まれている。我々が若かったころよりも、たくさん給料ももらっているし、便利な世の中になっている」と言う。
しかし、その間に物価も上がっていれば、個人で必要な生活経費(家賃、水道・光熱費・食費、その他雑費)の割合も上がっており、税金や保険料、年金額の負担も含めると、自由に使える金額の割合は、むしろ昔よりも少ないのである。
昔よりも若者の借金をしている人間の割合と、高校や大学卒業後に経済的に自立できずに、親元で暮らす若者が多いのもそういった理由からである。
■また、自分ができなかったという理由だけで、若者に対して「お前みたいなもんにできるハズがない」というようなことを言う人もたくさんいる■
そもそもできなかった理由も、当時は今ほど便利なものもなかったり、自分自身が早々に諦めた場合であっても、同じように言うのである。
だいたいこういうことを言う人は、社会で起こっていることに無関心で、新しいことを学ぼうとしない人が多数である。
若者からすれば、「時代はもう変わっている。そんなことも分からない、古くさい人にとやかく言われたくない。」という気持ちだろう。
それを言葉にする人もいるが、こういう人間相手にはそういうことを無意味だとわかっている若者は、黙って分かったフリをする。
中には、本当にその言葉を間に受けて、自分の人生を悲観的に考える若者もいるだろう。
■よく、子を持つ親は、自分の子供も含めて、「最近の子供達は、何を考えているのか分からない」などと平気で言う■
こういった人たちは、自分達は素晴らしい親なのに、子供が全然言うことを聞かなくて、とても手に負えない、とでも思っているのだろうか?
多くの親は、そもそもの原因を自分にあるという風には、絶対考えない。
子供にそれを指摘されると、「ガキの分際で!」と言わんばかりに、論理的におかしなことを正当化し、自分の思い通りにさせようとする。
そんなことばかりを繰り返していれば、自分の意志を親に伝えなくなって当然である。
たいていの人は、好きな人へのアプローチを続けても、思ったような反応が得られない場合は、諦めて、アプローチをやめる。
■最近で言えば、こんな不公平感もある■
今、明徳義塾や、駒大苫小牧高校などが、暴力事件で連帯責任云々を言われているが、若者にはそういった連帯責任を追及しておきながら、政治家たちは手本として示していない。
例えば、自民党内で、不祥事や犯罪を犯した人間がいた場合、党としての責任は追及されず、個々の問題として、その個人だけが辞職なり解任されるだけで終わってしまう。
だったら、同じように高校球児たちも扱ってあげるのが筋じゃないだろうか?
若者だけに責任を押し付け、自分達は上の空では、何を言っても説得力がない。
特に、明徳義塾の場合は生徒が起こした事件だが、駒大苫小牧の場合、生徒ではなく、学校側に問題のあったことであり、生徒(選手)たちは、被害者である。
だいたいが、時代が変わっているのにも関わらず、未だに「いい学校に入り、いい会社に就職しろ」などという過去の法則に、自分の子供をしがみつかせようとしている。
これではとても、本気で子供のためを思っての言動だとは思えない。
これに関しては、時代の流れを見ようとしないことの証拠でもあるが、それよりも、当時の政治家や権力者が同じように、改善策を講じず、責任や問題を先伸ばしにして、自分達さえよければいいや、という身勝手な行動がそもそもの引き金でもある。
とはいっても、政治に興味を持たず、時の流れにも無頓着で他人任せにしてきた大人たちの背中を見て若者達は育ってきている。
それを、反面教師として正しく進もうとする人間もいるが、そんな人間ばかりではないし、そういう正しく進もうとする人間を、大人たちは足を引っ張ったりする。
これでは、若者が荒廃するどころか、国さえも荒廃してしまっても仕方のないことだ。
■若者も大人もお互いを責めるのは簡単だ■
しかし、大人は「大人」なんだから、こういうときにこそ「大人の対応」を見せる必要があるんじゃないだろうか?
手本であるハズの大人が、自分の非を認めなかったり、相手を賞賛することよりも批判することばかりしていれば、必然的に若者たちも同じようになる。
大人が、自分達はしないことを若者にするように求めたところで、その通りするハズがない。
では、「大人」である人たちが、そういった意味で、若者に見本を示すにすれば、少しずつ変わっていくのではないだろうか?
若者に逆のことをされたところで、また「勘違い」するだけなのだから、「大人」たちに変わってもらわなければ、若者としても反逆以外、成す術はないだろう・・・。
逆に、大人が本来の「大人の対応」をとれば、必然的に若者達からの尊敬の念が生まれてくることだろう。
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この記事へのコメント
学校から高野連に報告書を提出するのに際し、第三者を交えた「調査委員会」が設置されて色々調べるんだそうです。私もそうした方がいいと思っていました。
事件に関しては部長と部員、どちらの肩も持つ気になれません。自分が同じ立場なら逆らっただろうし、でも親に泣きつく事はしなかっただろうし。
はじめまして。
なんといっても、当事者以外の部員や生徒達がかわいそうです。
選手達を応援しにいった生徒達にもしこりが残るし、何より優勝した選手達はその喜びが半減してしまうでしょう。
殴られるだけの理由があったなら部員に非があると思うし、理由もないのに殴ったのなら部長に原因があると思う。
でも、最終的に学校側が思慮ある行動をとって生徒達を守らなくてはいけないことだったように思います。
問題が大きくなってしまったのは
行為そのものよりも隠したこと
なんですよね。
外面だけ取り繕うのではなくて、
何か問題があったときにちゃんと
向き合う、という行動を大人が取る
ことが、高校生への教育にも
なると思います。
その意味で学校の対応は最悪
でした。
どうもです。
ホント、その通りですね。
高校生へ正しい手本を示すのが、学校側や大人の役目のハズやのに・・・。
いろいろ問題視されている高野連の判断だけに、不安が募りますね。
全くその通りですよ。
生徒達もそうですが、殴られた生徒も学校にいけないでしょ。
まったく、おバカな大人のせいで若者が苦しんでいるのを見るたびに、ヘドが出ますね。
この記事は全面的に賛成ですね。本当、大人が子供に対して要求することと、実際に大人がやっていることとが違うと説得力がなさすぎるんですよね。
今後も頑張って下さい!
おお、お久しぶりです!
すごいことですね。
中にはそれを反面教師にして頑張れる子もいますが、さらにそういう子もいるんだから、とそういう子とは全く条件も違う自分の子に無茶を言う親は多いですよね。
これからも頑張りますわ!