2006年11月15日

Peshahoditsi 東京篇

njama at 12:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年08月26日

あとがき

日本へ帰ってきました。一昨日のことです。
今は東京の片隅の旅館にぽつんとしています。

東京は漣(さざなみ)のような静かな街です。
こんなに人がいて車も走っているのに、とても静かです。

どうしても日本人の顔や服装が皆同じに見えてしまいます。
私服よりもスーツを着ている人のほうが個性豊かに見えます。
私服は結局みな同じところを目指し、スーツは限られた中に個性を演出しようとするからかな、なんて考えてみたり。
本屋に並ぶ洗練された装丁の本も、整いすぎて何故か素っ気なく見えてしまったり。

自分はまだここで暮らしていくという実感の持てぬまま、ふわふわだか、ふらふらだか歩いてみたり。

ふと何でもない光景を見るときに、自分でも思いもつかないような感想が出てくる。
これが二年間違う世界で暮らしてきた証かな。
買い物をするときに店員さんにどんな日本語で話しかけたらいいのか戸惑ってしまう。
そしてぱたりとブルガリア語を使わなくなる、少しの空虚さ。

今日はあとがきで、これでこのブログの更新は終わりです。
話したい建築のことは他にも山ほどありましたが、今はここで一度筆をおきます。
これからの僕の細々としたことはクミコとの往復書簡で。それでもこちらでしていたような話はあまり書かない気がします。僕の詩魂も休息。

ご愛読いただいた皆様、ありがとうございました。


僕の記憶は必ず剥落する。
それどころか飛行機を降りたその一瞬から、剥落は始まっているんだ。

でも僕は、あの街を覚えている。

njama at 18:03|PermalinkComments(7)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年08月21日

夏の終わり

僕は明日、タルノヴォを出ます。
そして明後日、ブルガリアを出ます。
そうして、この夏は終わるのです。

この留学の一番の感謝は、言うまでもなく両親へ。
いつまでものんびり勉強している僕を支え続けてくれてありがとう。

そしてタルノヴォに居て僕を二年間支えてくれた人たちへ、ありがとう。

そして日本で僕を励まし続けてくれた友人たちへ、ありがとう。

ブログを読んでくれた皆様へ、ありがとうございました。

数年経ったらまたバルカンのどこかで勉強できたらいいなと思いつつ。
そのときは今よりももう少し強くなって戻って来たい。

そのうちあとがきを書いたら、このブログも終わりにしようと思います。

タルノヴォもブルガリアも知り合った人たちも、いつかまた会いましょう。

ありがとう、そして前を向いて、さよなら。

njama at 13:04|PermalinkComments(3)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年08月16日

同じことを思う人

とても尊敬している都市史の先輩からメールが来た。
そうしたら最後にこう書いてあった。

「最後の追い込みでは、タルノヴォの町、そして建築たちを自分の身体にしっかりと焼き付けてください。」

僕がもし先輩の立場だったらまったく同じ、それこそ一字一句同じことを書くような気がした。建築たち、と建築に「たち」が付いているところが先輩らしく、僕らしい。そうそう、建築には一つ一つ性格があって優しかったり格好良かったりするんだよね、だから建築たち。

そしてまた、こういうことを書く人間は自分で自分を追い込むタイプなんだよね。最後は楽しんでおいでよ、ではなく、最後まで頑張ってみよう、なのだ。僕たちは間違いなくそういうタイプなんだと思うけれど、そういう人は必要以上に精神的に苦しむ気がする。

この言葉に押されて、明日はちょっと頑張ってみる。孤独に図面とり。学問はいつどんな時も孤独を要するのかなあ。グループ作業は好きだけど、考えるときには孤独が必要。

今日は思う存分寝てしまった。たぶんちょっと体がお疲れなのだ。

njama at 04:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年08月15日

どうやら僕は帰るらしい

日本に帰る荷造りをしている。
ちょっと大変だけど何とかかんとか詰まってくれそうで、ただTスケール(アルミ製のながーい定規)だけが手荷物か預けるか空港で尋ねるまでわからなそう。
出発は一週間後だけれど、準備は明後日で全部終わりそう。
こういう準備とか、年を重ねるごとになぜかまめになっている。
寮の部屋の大掃除ももうやっちゃった。
余った時間は、やっぱり図面をとろうかな。

今週は月曜から金曜まで古ブルガリア語が一こまずつ。
大学は今、ブルガリア語のサマーセミナーの真っ最中。
各国からなんと130人の参加者。
僕は古ブルガリア語の授業だけちょこっともぐっている。

淡々と生活している。
淡々と荷造りしている。
日本に帰るのは楽しみ。
けれどね、タルノヴォのこの日常が、寮の部屋から見飽きるほど見慣れた風景が、ある日ふっと終わるのはやっぱり信じられないよ。
寂しいとかじゃなくて、ただ信じられないなあと思うだけ。

最近、色んなところで色んな物をもらったり声をかけられたり。
いきつけのコピー屋のおばちゃんにも、実測させてもらった家のおばちゃんにも、頑張って勉強するのよと言われ、バスの切符売りのおばちゃんにも、帰ったらすべてが待ってるわよと言われ、チャルシヤ(工房通り)に行けば色んなおみやげをもらう。

僕が二年間何とかここで生活してこられたのは、僕にいつも優しかった幾人かの人がいてくれたからです。

途中パソコンが不調になって(僕のせい)、もっと色々建築と街の話をしたかったし写真も載せたかったけれど、それはお預けになってしまった。
このブログは僕が日本に帰ったら終わりです。
ネットで公開してしまうことになるから、話したい論文のことなんかがあんまり話せないのがちょっともどかしかったかな。

僕が帰ったらテオさんは、きっとちょっと寂しいと思う。

これから僕が日本でどんなふうに生きていくのか何を考えるのか、まったく想像がつかない。そういうものなのかね。

njama at 07:33|PermalinkComments(4)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年08月13日

夏合宿

五泊六日の夏合宿をしていました。
街と僕を訪ねてきてくれた二人の都市・建築仲間。
今までずっと泊まってみたかった旧市街の崖地のアパートメントでの夏合宿。
そして古い家屋と街路の図面をとって、つまり僕の調査の手伝いに来てくれたわけです。
合宿らしくカレーも作って(二人に作ってもらって)食べました。

一人でいるのとは全然違う。
何が違うって見える風景も街に対する姿勢も違う。
やっぱり何人か居るのは良い。仲間が居るのは良い。

二人が旅立ったら秋の風が吹いて、だけど今日はやっぱり暑くて、もうすぐ夏の終わりです。

留学の終わりは寂しいかと聞かれるけれど、いいえ、寂しくないです。
日本に帰るのは嬉しい。
また仲間に会えるから。
去年、日本の大学の仲間と南イタリアで調査をしたあと、一人こっちの大陸に残ったときがとても寂しかった。
でも今年は僕も帰る。

日本という国に、民族に文化に建築に、今はとても興味がある。
どっぷりと日本を勉強したい。そんな気もする。

けれどもブルガリアも、旅立つときにはやはり感慨深いことでしょう。


njama at 17:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)宝石箱 

2006年08月02日

スピード、街への確信

蒸気機関が走った頃から、僕らはスピードにのって何かを誰かを追い越さなければならないと、自分を何かを超えなければならないと思うようになった。
そういうものから解放されたいと願って止まない。

今日の自分を超えて明日の自分へ。
今の表現を超えて次の表現へ。

「それは、では何のために?」と僕は時々問いたい。
超える以外の変化はないのか、と。必ずあるのに、と。

未熟ながらも一応研究に携わる者として、学問、知識には貪欲でありたい。
だけれどそれを、そして同じことをしている人間を超えるのではなく、ただ本質に浸透したい。

水が体に浸み込むように。
時にはっと息を呑むように。

うまく書けない。

でも僕は勝つために学問をしているのではない。
そんな自明の理も時々自分に言い聞かせなきゃいけないのは悲しいね。
未熟、半熟。

唯一つ僕が不安なのは、
この街を捉えきれるかとということ。
この街に確信を持てるかということ。

それさえ、何とかなったら。
残すところあと、二十日。



njama at 18:21|PermalinkComments(6)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年07月27日

猛暑

ブルガリア、猛暑。

テオさんと僕の建築談義はいつも遺跡の横のカフェで行われる。
建築博物館を出てカフェまでは一分。それでも暑い。

僕「溶けちゃうよ」
テオさん「いやいや、そんなことないよ」

「アイスみたいに溶ける・・・。」
「アイスクリーム食べたい?」
「ううん、いい。」
「そういえばアイスクリームを食べたのは89年のモスクワが最後だな。やたらと虫歯が痛んでそれ以来食べてないよ。」
「89年?」
「86年から3年モスクワに派遣されたんだ。ミハイルの講演も聴いたよ。」
「ミハイルって、」
「ミハイル・ゴルバチョフ。」
「へえ。ペレストロイカの頃?」
「そうだよ。でもね、学生時代僕はローマで勉強した。スペインもギリシャもフランスも皆旅行してまわった。そんな西ヨーロッパな人間をね、モスクワに送るんだからね。」

僕達の会話はいつもこんな感じ。
僕は小さな学生だけれど、テオさんは僕を同僚と呼び、建築家と言う。
テオさんの言う「アルヒテクト」は直訳すれば建築家だけれど、「建築をやっている人」という意味があるような気がする。
だから僕もアルヒテクトなんだね。

njama at 04:53|PermalinkComments(6)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年07月26日

非日常的日常

レバノンとイスラエルで動乱が始まって数日、よりはもっと経っている。
ずっと前から続いている対立がこうして時々目に見える形で現れる。

僕はそういう危機的状況や戦時下で日常はどう進行していくのかというのが前からずっと疑問だった。
地中海と砂漠のあいだにチカさんが書いている今のイスラエルの日常。
ああそうか、とは思っても、実際に僕がその場にいたらどう暮らすだろう。

例えば疑問なのは、自分の祖父母が太平洋戦争をどうやってくぐり抜けて来たのかということだし、三島由紀夫が『仮面の告白』の中で東京大空襲の翌日、炎から逃げ切った人々がいつも以上に活気に満ちていたと書いていたことだし、荷風の『ふらんす物語』が発禁になった時世の人々の暮らしや芸術活動の実際はどうだったかということだ。

そして、ソ連ブロックにあった東欧でどこまでの言論が許されたかということ。一般的に日本では、ソ連ブロックの共産体制イコール人間の文化的生活もままならない抑制された生活と思われているけれど、例えばブルガリアではその頃のほうが良かったと言う人が少なくない。建築の研究書に限れば1940、50、60年代のものは今よりもずっと充実している。何を言ってもいい今よりも、学問に一定の保護(資金的援助)があった時代のほうが学問が豊かだ。

伝えられるものと実際との大きな差。

そして、これらのことを「学問的関心」と呼ぶことさえできる境遇に僕が生まれたという幸せ。純粋に学問的関心と心の奥から思えなくても。

どこか皮肉に響く。

日本人もうかうかしては居られないとは思うけれども。



njama at 11:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)雑貨屋 

2006年07月25日

言葉のリレー

信さんのダイアログ。以前の僕の書き込み対する信さんからの返事の一節。

「一人」の時間……
大切にしてください。
誰にも知られないその時間の過ごし方の中に、
人間のほんとうの価値がみえると、
最近、つくづく感じているところです。
といって、ことさら構えたり頑張ったりはしないで。
いまは寂しかったり、迷ったりしても、
収穫は自然に育ってくると思います。

この留学の終わりに、そんな優しく真実味に溢れる言葉に再び巡り合うと心が凪ぐ。
僕を支える誰かの言葉。
僕は自分で精一杯。
でも僕がかけてもらった言葉も、いつかきっと誰かにリレーしよう。

さっき夕方から少し寝て起きたら窓の外は真っ暗で、時間の経つ速さが少し恐ろしかった。
時間の経つのが速くて怖いとき、なぜか僕は夜中まで読書をしてしまう。
次の日に早く起きたほうが何倍も得なのを知っているのに。
でも今宵もそれを助長するように、ラディオはジャズ特集。

だってさっき寝ちゃったもんね。
でもジャズを聴きながら寝るのも乙?
じゃあ、あとは何かに任せよう。

njama at 06:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑貨屋 
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