2022年08月11日

 日本も世界も改造できない改造内閣


 発足した第2次岸田改造内閣をきょうの朝日新聞は「守りの内閣改造」と見出しをつけて報じている(8月11日朝刊)。20220810_190419経済再生も社会保障もコロナ対策も基本的に「現状維持」ということだ。そのなかで唯一前に進む構えを見せているのが「防衛力の増強」だ。資本主義の高度化とともに、内政では政府のできることが狭まり、あとは安全保障くらいしか目立ったことはできなくなっている現状を反映している。


 ほんとうは内政でも、すぐにやれること、しなければならないことはある。これまで国民の行動を制限してきたコロナ対策をやめ、コロナを通常の風邪と同等に扱うことで、傷ついた経済を再生させることだ。とりわけいまだに続けている外国からの入国制限をやめれば、観光客の受け入れによって日本経済を立ち直らせる第一歩となるはずだ。


 他の先進国がとっくにしてることなのに、やれないでいるのは、世論の批判が怖いからだ。コロナを「けがれ」の元凶として恐れる古代以来のメンタリティーを持つ日本国民はほとんどがいまなおマスクを着用し続けている。他の先進諸国では見られない振る舞いだ。その姿に政権はたじろいでいる。


 以上は当面の課題に関することだ。将来の課題に関わることになると、様相は一変する。経済の成長は20世紀と違って、政府が大きく左右できるものではなくなっている。高度経済成長の時代は、民間にはできないインフラ整備を政府が担うことによって大幅な成長を実現することができた。それが可能だったのは大規模なインフラを必要とする製造業、第2次産業が経済の牽引車だったからだ。


 高度経済成長が終わり、サービス業や情報産業など第3次産業が経済の牽引車になると、かつてのようなハードなインフラは必要なくなった。それに代わって生まれたのがインターネットというソフトなインフラだ。これは港湾や空港や工業団地など政府のつくったものと違って、民間の市場で自生的に発展した。その結果、経済に占める政府の役割は大幅に縮小した。


 そうなると、内政の主要課題で残るのは社会保障になる。高度成長の時代には税収の増加に支えられて種々の新政策を打ち出すことができたが、巨大な財政赤字を抱える現在はそうはいかない。政府がやろうとしているのは「全世代型」と名づけたパイの分け方の変更にとどまっている。


 岸田内閣の「守り」の構えは、そうした時代の特性に強いられた一面がある。そのなかで安全保障だけは「攻め」の構えを見せていて、岸田文雄は「何よりもまずは防衛だ。年内はそれをやらないといけない」と周囲に胸の内を明かした、と報じれている(8月11日朝日新聞朝刊)


 内政では政府の役割は狭まってきていても、国防は政府の専管事項であり、やれることはまだ多い。ロシアのウクライナ侵略や中国の軍事大国化で世界や地域の安全保障が脅かされている今こそ政府の出番だ。そんな意識が岸田政権にも自民党にもある。


 自民党は参院選でGDP比2%以上を念頭に防衛費を増やす方針を公約に掲げた。財源を気にしなければできそうな政策に見える。だが、少子化に歯止めがかからない今のわが国で、兵器や弾薬を大幅に増やしても、それを扱えるだけの数の自衛官を集められるのか。GDP比2%程度の防衛費で中国やロシアの軍事力に対抗できるのか。日米同盟があるといっても、それは事実上の米軍の増強を意味するのではないか。結局は中国、ロシアとの緊張を増幅するだけではないのか。


 そういった疑問を積み上げていくと、政府が自国内でできることはある程度あっても、対外的に結果を出せるところまで行けるのは限定されていることがわかる。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 16:53Comments(0)グローバル資本主義

2022年08月10日

 感情の経路


 順調に育った子が親に対して抱く感情は、敵意→好意→敬意→謝意といった経路を通って推移するだろ20220805_184744うと考えられる。ただし、この経路から大幅に逸脱することが珍しくないのが人間だということをつけ加えておかなければならない。


 経路をもう少し詳しく書くと、母胎の楽園からこの世界の荒れ野に放り出した母への敵意→自分を全面的に庇護してくれる母への好意→その力を備えた母への敬意→全面的な庇護を惜しまなかった母への感謝となる。


 父に対する感情の推移は母の場合よりも一段階遅れながら、やはり同じ経路をたどる。母の庇護を妨げる父への敵意→母への囚われから解放してくれる父への好意→その力を備えた父への敬意→解放にその力を尽くしてくれた父への謝意。


 幼児期や思春期に特有の反抗期はいずれも最初の敵意の再現、反復と考えることができる。それが生誕の衝撃によって負ったトラウマのせいなのか、好意や敬意の形成を妨げるような出来事にたまたま遭遇したせいなのか、私には確定的なことを言うのが難しい。


 想定した感情の推移の経路は、キューブラー=ロスが死に至る病を抱えた患者を観察して導き出した、死の受容の5段階のプロセスと似ている。“歿Л怒り取引ね渺記ゼ容がその5段階で、´△賄┛佞法↓は好意に、い老桧佞法↓イ麓娑佞砲修譴召貘弍させることができる。


 こんな話をしだすと、そんなことは嘘だ、自分はそんな経験は一度もない、といった異議が必ず出てくると思う。標準と想定されたモデルから大きく離れるのがありふれたことであるのもまた親子関係の特性でもある。しかし、私の想定した経路からどんなに離れていても、離れ方は経路を軸にしたものであり、それと無関係であることはあり得ないと考えている。


 最後にひとつつけ加えておくと、職場で活躍する女性に対して男性が意識的あるいは無意識的に引き起こす拒絶反応は、母が仕事などで自分のそばを離れることに対して幼児が示す拒絶反応の再現、反復ととらえることができる。乳幼児にとって、母による全面的な庇護は、母胎の楽園から自分を追放した母を許すための絶対的な条件だ。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 17:15Comments(0)心的現象

2022年08月09日

 新型コロナと統一教会


 新型コロナウイルスの流行が始まったとき、日本国民が一斉にマスクを着け、外出を自粛し、手洗い20220806_172547を励行しだしたのは、それを求める医師会や病院業界の持つ「医療権力」に忠実だったからだと私は考えた。今になってそればかりではないことに気づかされた。忠実さをあと押ししたのはこの権力の強さだけでなく、それ以上に、けがれを排除する古代以来の日本人のメンタリティーだった、と現在は推定している。


 「医療権力」の担い手の一部である専門家が、コロナは風邪と大差がなく、屋外ではマスクを外してもいいと言っているのに、いまもなおほとんどの国民がマスクを着けたまま外出し、発熱外来には無症状や軽症でも訪れる人が絶えない。そこまでコロナを恐れるのは、科学的な理由よりも非科学的な理由、すなわちけがれという宗教的な理由によると考えるほかない。


 けがれには罪が含まれる。それを排除することは罪を排除することであり、その思想は社会に秩序を打ち立てる。社会と時代の不透明さが増し、秩序の揺らぐ不安を覚えていた日本国民は、コロナが蔓延しだしたとき、「医療権力」が求める行動制限を新たな秩序の樹立と受け止め、それに忠実であることによって不安を解消しようとした。行動制限を新たな秩序と受け止めたのはけがれの思想が根底にあったからだ。コロナをけがれの元ととらえ、行動制限をけがれを排除する新たな秩序の樹立と考えたと推察される。
そのメンタリティーの強さは「医療権力」の強さを凌駕していることを、街にあふれるマスク姿は示している。


 安倍晋三の「国葬」に反対する声が賛成を上回る世論調査結果が相次いでいるのも、同じメンタリティーに由来すると見たほうが理解しやすい。旧統一教会がけがれの元とみなされたのだ。


 教団は霊感商法など違法行為を重ねたカルトとされているが、安倍自身が同種の違法行為をしたわけではない。それなのに、教団と関係しただけで、あたかも同じ罪を犯したかのようにみなされ、「国葬」に値しないと過半の国民に認定されたのは、けがれはけがれたものと接触しただけで伝染し、同じ罪を背負うと考えるメンタリティーが働いた結果ということができる。これは岸田政権を呪いのように脅かし続ける可能性がある。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 17:31Comments(0)宗教をめぐって

2022年08月08日

 中国の新しい戦争


 米下院議長ペロシの台湾訪問への報復として中国が台湾の周囲で始めた大規模な実弾演習は、習近平20220805_184744政権が計画を練ってきた戦争の新しいやり方を実行に移したものと見ることができる。周辺海域に戦艦や軍用機を展開することによって、台湾の空港の機能を損なうなど、事実上の経済制裁の発動に踏み込み、ただの威嚇にとどまらない実害を与えているからだ。


 世界の戦争の「本流」は第2次世界大戦のあと、「流血の戦争」から「無血の戦争」に移った。東西冷戦がその始まりだった。けた外れの核の破壊力が導く共倒れへの恐怖が、戦争の冷温化を強いた。「破壊と流血」による戦いから、「抑止と威嚇」による戦いに変わった。


 東西冷戦が終わると、抑止と威嚇に経済制裁が加わった。ロシアのウクライナ侵略は戦争の「本流」に逆行する「流血の戦争」だが、それは他方で西側諸国とロシアとの経済制裁による世界規模の「無血の戦争」を誘発した。それは「無血」ではあっても、物価の高騰という実害をもたらしている。


 中国が台湾周辺で始めた弾道ミサイル発射を含む実弾演習は、台湾の空港のひとつで一部の航空会社が安全のために運航を取りやめるなど、経済活動に支障を与えている。軍事的な威嚇が威嚇にとどまらず、経済制裁に匹敵する打撃を与えているということだ。こうした演習が常態化し、経済への打撃が深まることを台湾は恐れている、と報じられている。


 以上から言えるのは、「無血の戦争」だから許されるということには決してならないということだ。いま台湾の人びとを襲っているのは、軍事演習がもたらす緊張と重圧だけでなく、経済の破壊にともなう生活の不安だろう。私たちが「非戦」だけでなく「非武装」の理想を手離してはならない理由がいま生々しく目の前に突きつけられている。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 17:33Comments(0)戦争をめぐって

2022年08月07日

 異次元の結合


 「コメントする立場にない」という言い方を政治家の口からよく聞く。これは官僚の言葉遣いを借りたも20220805_184400のだろう。官僚は「立場」にこだわる。何でも分けたがり、違いを気にする。これは知識人の習性でもある。知識を持つこと、知ることは、分かること、分けること、違いを見つけることだ。そんな知識人の集団が官僚だ。


 「コメントする立場にない」は「知らしむべからず」との宣言であり、支配する側の言葉だ。立場が違うなどと言って人を分けるのは権力の行使の一種にほかならない。分けること、差異化することを、分かること、知ることととらえるなら、権力と知を不可分のものとしてとらえたフーコーの考えに納得がいく。


 そうした知からもっとも遠い存在として吉本隆明が想定したのが「大衆の原像」「原像としての大衆」だ。それは分かることにこだわらない。何でも分けたがるようなことはしない。立場の違いなど気にしない。 


 吉本は「異なる次元を結びつけることがインターネットの本質だ」と語ったことがある(『超「20世紀論」下』)。だとしたら、インターネットの相性がいいのは、次元の違いにこだわる知識人ではなく、違いなど気にしない「原像としての大衆」ということになる。


 その証拠に、SNSにはおのれの「立場」もわきまえずに他人の結婚に口出しし、おのれの生活する場所と「次元」の異なる政治や軍事のことを論評する言葉があふれている。それは分けること、分かること、すなわち知に支えらえた既成の権力を侵蝕しつつある。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 15:41Comments(0)吉本隆明

2022年08月06日

 気分のいいときは危ない


 アルコール依存症者としての経験をもとに言うと、気分のいいときは危ないことが多い。酒に酔っていい気20220624_150011分になると羽目をはずしてしまうだけでない。また酔いを求めるようになり、やがてそれをやめられなくなって依存症になる。癒やしを求めてカルトに走った末に待っているのは、旧統一教会をめぐるニュースが伝えているとおりだ。


 私はいま酒を一切飲まないが、別の何かに酔いを求める日々を送っている。インターネット、甘いもの、ネット配信のドラマが3大依存対象だ。それは自覚症状があるので、少しはコントロールできているかもしれない。しかし、それ以外の酔に浸ったときは、あとで二日酔いの副作用を味わわなければならないことがある。


 実はいま、言いにくいことを吐き出した気分のよさに酔っていて、それが「感情の二日酔い」に変わりそうな兆しが見え始めている。


 きょうの午前中、住んでいるマンションの管理組合の理事会があった。今年初めにあみだくじで理事長にあたってしまった私は、その会議の議長を務めなければならなかった。2時間半余り休憩なしの会議だった。


 管理委託契約を結んでいるマンション管理会社から清掃費の値上げを求められ、それにともない居住者の払う管理費の値上げも提案されていて、それが議題のひとつになっていた。物価の高騰と最低賃金の引き上げを会社側は理由にあげていた。それについて出席の理事に意見を求めたところ、だれも黙ったままだったので、私は「言いにくいことを言いますが」と切り出し、清掃費用の値上げ要求を撤回するように管理会社の担当者に求めた。


 この会社は10年近く前に、業務上の重いミスをおかし、そのペナルティーとして清掃費を含む委託業務費を大幅値下げした過去がある。それ以来ずっと委託業務費は低額に抑えられてきた。私はその経緯を挙げて、値下げは管理会社として十字架を背負っていくという宣言と受け止めているので、今後も背負い続けてほしい、値下げ撤回を求める根拠を話した。


 担当者は自分の一存では決められないことなので、本社に持ち帰って検討すると答え、その議題はそこで終わった。これで少なくとも議論を先延ばしできる。小心な自分にしてはよく言ったという達成感が私を酔わせた。


 だが、すぐさま不安がわいた。管理会社の担当者との間が気まずくなるのは嫌だ。私は会議のあと彼に「ちゃぶ台返しみたいなことを言って面食らったかもしれないが、一度は議論のテーブルに乗せなければいけないことだと思った」と、なだめるように言った。


 彼はそれを、理事会がマンションの居住者からの批判をかわすために、値上げ反対を言うだけ言って、結局は値上げを認めるつもりだろう、と受け取った風に感じられ。だとすれば、会社側はこちらをナメてゼロ回答かそれに近い返事するかもしれない。


 そうなったら、理事長が会議のあとで裏取引したも同然ではないか、と私は苦い気分になり、言ったことを後悔した。それはきっと感情の二日酔いの種になるに違いないと思った。いい気分に浸った反作用、副作用をしばらく気にしなければならなくなった。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 16:23Comments(0)愛について

2022年08月05日

 知識人の思考と庶民の思考


 いま住んでいるマンションの管理会社から、諸物価の高騰を理由に清掃費などの値上げを要求され、それにと20220624_150629もなう管理費の引き上げについて、あす開く管理組合の理事会で協議することになっている。あみだくじで理事長に選ばれてしまった私はその議長を努めなくてはならず、気が重い。そこでこんなことを考えた。


 値上げはないにこしたことはないが、理事会で数字をめぐって長時間の議論をするのは面倒だ。ましてもめたりするのはまっぴらごめんこうむりたい。できれば管理会社の要求をそのままのんでさっさと議事を済ませたい。これだけ物価高が続いているのに、清掃費だけ据え置くのは無理がある。これからもいろんなものが値上がりしそうなのだから、管理費の値上げも仕方ないだろう。


 そんなことを考える私は、自分の住むマンションのことなのに、どこか「他人事」のような気でいることに気づく。これは知識人の態度と言っていい。物価が上がったら、なぜ上がったのか、これからどうなるのか、と客観的な態度を取ろうとしているからだ。その根っこには、理事会での議論から逃げたい、生活の課題から逃げたいという気持ちがある。


 これに対して、マンションの住人のほとんどはそうは考えないはずだ。いろんなものが値上がりしているのに、管理費まで上げられてはたまならい。管理会社に要求を取り下げるよう言わないと。それが無理なら、値切る交渉を始めよう。
物価が上がれば、どう値切り、どうやりくりするか、と自分事としてとらえる庶民の考え方がそこにはある。それは生活の課題から逃げることをしない態度でもある。


 思想の課題は知識を蓄積することではなく、「大衆の原像」を自らの思考に繰り込むことだと考えた吉本隆明の徒を自認する私は、たまたま強いられた理事長の職責を果たすにあたっても、その課題を無視するわけにはいかないのではないか。そう考えたとき、あすの理事会では、管理会社に嫌がられることを避けるわけにはいかないだろうと思った。やはり気は重い。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 17:00Comments(0)吉本隆明

2022年08月04日

 米中の出来レースか


 米下院議長ペロシの台湾訪問で激化する米中対立について米中の出来レースに過剰反応する必要はない」(20220731_182259河信基)とするツイートを見た。双方が示し合わせて仕組んだという意味での「出来レース」ではないとしても、両国の現政権がこの緊張を利用してナショナリズムをあおり、国民の支持を集めようとしていることは確かだろう。


 ツイートは「過剰反応すると値踏みされる。特に、日本と自衛隊」と続けている。米中両国から「ほら、ヤバいだろ。だから、こっちの言うことを聞け」と迫られるかもしれない、と見ているようだ。これは両大国の繰り広げる「無血の戦争」で日本を自陣営に引き入れようとする動きを指摘してしたものと言っていい。


 世界の戦争の「本流」は第2次世界大戦のあと「流血の戦争」から「無血の戦争」に移った。「東西冷戦」がその始まりだった。核の桁違いの破壊力がそれを強いた。ロシアのウクライナ侵略はその流れに逆らう「逆張り」で優位に立つことを狙ったものだが、それによって「本流」が「傍流」にあと戻りしたわけではない。


 これは米中の対立にも当てはまる。今後それが激化することがあっても、「無血の戦争」として継続される可能性がもっとも高い。つまり抑止力の競い合いと、経済制裁のやり合いとして戦われるだろう。双方の現政権はこの戦いを、相手方への強硬姿勢を自国民に示す機会としてとらえ、それを支持の拡大に利用するだろう。台湾をめぐる一触即発の緊張も、自ら望みはしないものの、起きればそれぞれの権力基盤を強化するチャンスととらえるはずだ。常時緊張を強いられる台湾の一般市民はたまらないだろうと思う。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 16:13Comments(0)権力論

2022年08月03日

 「医療権力」の後退


 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂らが、感染者の全数把握の段階的な中止や、20220731_182340保健所による濃厚接触者の特定の中止などの検討を求める提言をまとめたと報じられている(8月3日朝日新聞朝刊)。これまで検査や隔離を武器に個人の行動を縛ってきた医療業界が、その反作用として「医療逼迫」に見舞われ、後退を余儀なくされたことを示している。


 提言者のひとりは「コロナを普通の病気と同じように考えもらうため」と言い、「発熱外来の逼迫をやわらげるために、安易に受診しないことを求めるメッセージだ」と説明している(8月3日朝日新聞朝刊)。この提言について記事は「コロナをこれまでのように特別扱いせずに、通常の医療の中で扱うようにしていくものだ」と解説している。


 コロナを特定の医療機関でしか受診できない特別の病気として扱い、日常生活のすみずみまで行動制限を求め続けてきたことが、国民の恐怖心を増幅し、無症状や軽症でも発熱外来などへの来訪を促して、医療逼迫を招いてきた。それをしてきたのが、医師会や病院業界など、私が「医療権力」と呼んでいる医療業界だ。これまで命を最優先する国民に支えられて、政府の対策を左右してきたが、ここに来て「医療逼迫」という自らの手足を縛られる状態に疲弊し、耐えきれなくなったと推定される。


 ところが、国民はコロナへの警戒心と、これまでの行動制限を解除する気はなさそうに見える。世論を気にする政権はおいそれと尾身らの「提言」に従うわけにはいかない。「医療権力」は焦りを募らせているはずだ。国民は行動制限へのいわば「過剰適応」によって「医療権力」への反乱を起こしているいうことができる。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 17:32Comments(0)

2022年08月02日

 旧統一教会の衝撃


 安倍晋三銃撃事件は日本中を追悼一色で覆い、自民党に有利に働くと思われた。そんな中で、旧統一教20220731_203630会と安倍ら自民党国会議員との結びつきが相次いであらわになり、野党に思わぬ出番が回ってきた。このさい野党は教団と自民党議員らとの関係を徹底追及すればいい。


 教団のほうは霊感商法や献金の強要など違法なことをしていても、議員の側は法に反するようなことはしていないと推定される。だから「何が問題かわからない」と言った自民党幹部もいる。違法でもないことを長期にわたって騒いだモリカケの二の舞を野党は舞うだけだ、という批判もある。


 たしかにモリカケ問題は捜査当局によって違法と認定された事実は出なかった。とりわけ森友学園への国有地売却そのものについては、文書改竄を命じられて自殺した近畿財務局の職員が違法性を否定するファイルを残している。

 「本省の問題意識は、調書から相手方(森友)に厚遇したと受け取られるおそれのある部分は削除するとの考え。現場として厚遇した事実もないし、検査院等にも原調書のままで説明するのが適切と繰り返し意見(相当程度の意思表示し修正に抵抗)した」(2021年6月23日朝日新聞朝刊)。


 だとしたら、当時の野党の追求は政府に濡れ衣を着せる有害無益なものだったのか。そんなことはない。財務省による文書改竄を白日のもとにさらすきっかけをつくったことは確かだ。それが政府を緊張させ、それ以上の悪にブレーキをかけたと推定することができる。


 むしろ野党の追求は甘すぎたくらいだ。かつてならとっくに辞任していたはずの財務大臣の首ひとつ取ることができなかったことにそれがあらわれている。そういうところが、野党は口だけで実行力がないと批判されるゆえんだ。


 スキャンダルの追求に時間を浪費するのをやめて政策の議論をしろ、といった行儀のいい主張が与党やその応援団ばかりでなく野党内からも必ず出てくる。それを気にして腰砕けになっているのが今の立憲民主党だろう。


 政権交代の効用のひとつは、政府・与党を緊張させ、不正やサボタージュをさせないようにすることにある。与野党間に政策の大きな隔たりがない現在は、その効用が相対的にに大きなウェートを占める。政権を取る力のない今の野党はせめて政府・与党のスキャンダル追及して、彼らを緊張させ、政権交代に代わる政治的効果をあげることに力を入れなければならない。


 立憲民主党の掲げる「提案型野党」は、将来の課題と当面の課題を混同している。将来の課題を政権交代とすれば、当面の課題は政府・与党に対する批判・監視だ。泉健太らは「批判」の代わりに「提案」をすれば、政権担当能力があると思ってもらえると勘違いしている。いくら「提案」したところで、「口だけ」と思われるのが落ちだということがわかっていない。将来の課題だけでなく、当面の課題も放棄する結果になる。


 政権担当能力があるかどうかは「提案」を実行する力があるかどうかにかかっている。政策上の実績を示す機会のない野党が実行力を示すには、確固とした理念が必須となる。それがあってこそ党にやる気が出る。実行力を担保するのは理念であることを国民は知っているからこそ、民主党の理念に賭けて政権交代させた。だが、民主党自身に自らの理念への信頼が欠け、国民を裏切った。


 もうひとつ野党が実行力を示すことができるとしたら、当面の課題を徹底的に追及することだ。「提案」ではなく「批判」をすることだ。そして「批判」にとどまらず、現実に政府・与党を追い詰め、法案の通過を阻止するなり、担当大臣の首を取るなりしたとき、その実行力を評価する国民は必ずいる。

 

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Posted by nkmrrj04fr at 17:26Comments(0)権力論