2017年07月20日

(613)対幻想という心の通路


30代フリーター やあ、ジイさん。森友学園の問題をめぐって、安倍晋三が妻の潔白を主張しようとして「悪魔20170507_155007_Burst01の証明」という言葉を使ったことがある。やっていないことを証明しろといわれても、証明のしようがないと。彼は加計学園の問題をめぐっても、野党やマスメディアから、やっていないことを証明する「悪魔の証明」を求められて、支持率低下に追い込まれている。

年金生活者 安倍政権のほうはしばらく様子を見ることにして、きょうはもうちょっと身近でツヤのある話をしよう。

30代 いきなり話の腰を折るのかよ。

年金 存在していないことを証明するのが不可能だという意味では、超常現象が存在しないことを証明するのも「悪魔の証明」だ。それが科学的に証明できないというだけでは、存在しないことの証明にはならない。

超常現象のひとつに分類されているシンクロニシティ(共時性)は、霊感や超能力の持ち主でなくても、多くの人が経験しているに違いない。たとえば、ある人物のことを思い浮かべたら、その相手から電話がかかってきたというような例だ。こうしたことが起きやすいのはふたりの結びつきが強い場合であり、吉本隆明の言葉を借りれば対幻想が強固な場合ということになる。それだけ対幻想が心の通路としての機能を発揮しやすいからだ。

対幻想の強度は、ふたりのトラウマの形によって決まる。両者が割符のようにぴったり合えば、それだけ対幻想は強固になる。母と子の関係はそれに近い。分娩、生誕によって両者が分離する前後にそれぞれが負ったトラウマの形は、割符の割れた面の状態にたとえることができる。戦地に行った息子が母の夢枕に立ち、そのあと彼の戦死公報が届けられた、といったような話をただの偶然と考えないで、何か意味づけをするとしたら、心の通り道としての対幻想の強固さを想定するほかない。

30代 心の通路というが、対幻想は電波でも電線でもインターネットでもない。

年金 たとえば、恋人どうしの男女の一方が、本人も気づかないうちに不機嫌になっているとしよう。そばにいるもう一方は何も告げられなくても、得体の知れない不快さを覚えるに違いない。こういう場合、不快の引き金になるのは相手の表情や仕草や声の調子と考えるのが普通だ。しかし、不快の生なましさはそう考えただけでは実感として納得しにくい。少なくとも私はそうだ。やはり一方の不機嫌を他方にじかに伝える何かがあるのではないか。それが対幻想ではないか。私はそう考える。対幻想は一方の心の状態を他方の心にじかに伝える経路になっていると考えると、不快の生なましさに納得がいく。

30代 そうはいっても、ふたりは脳みそがつながっているわけじゃない。

年金 男性をボルトに、女性をナットにたとえるなら、対幻想はボルトとナットが結合してできた構造物ということができる。それはボルトそのものでも、ナットそのものでもなく、両者とは別物なのだが、ボルトが動けばナットも動く。この動きは両者の結合によってできた構造物を経路にして一方から他方に伝わると考えることができる。

ボルトとナットはネジ山が合わないと結合しない。これを男女の関係に当てはめると、それぞれのネジ山は男女が生誕の前後に負ったトラウマの形ということができる。つまり男と女はトラウマの形が合うほど強く惹かれ合う。ネジ山がぴったり合うボルトとナットが結合した場合、一方の動きはストレートに他方に伝わる。いい心の状態だと、他方の心もよくなる。その逆だと、ときとして仲たがいの原因になる。そのときふたりは、なぜそうなったかわからず、互いに自分の都合のよい理由をあげて相手を非難するだろう。

しっかり合わないまま結合した場合、その動きはストレートにではなく、変化をこうむりながら伝わる。ラブラブにはならない代わりに、仲たがいもあまりしないというふたりは、そんな組み合わせのひとつといっていい。

30代 ふたりが間近にいれば声や表情や仕草などで心の状態が伝わるのはわかるが、離れている場合はボルトとナットのたとえはピンと来ない。

年金 ボルトもナットもあくまでもたとえであり、対幻想は金属ではなく幻想だとこたえるほかない。金属が通常の状態では伸縮自在ではないのに対して、幻想は伸縮が自在だからだ。男女が遠く離れていても、対幻想が幻想である限りふたりにしっかりまたがって存在し続ける。

 たとえば、男がひとりである場所にいて、そこで何かを見たのをきっかけに、日ごろ恋人に感じている不満を思い出したとする。別の場所にいる恋人の女は、そんなことをまったく知らないが、男が見たものと似たようなものをたまたまた目にすれば、不快な気持ちに見舞われる可能性がある。ふたりが別々の場所で見たその似たものが、日ごろ男が女に漏らしている不満を連想させるものだと考えれば、納得がいくはずだ。

 離れたところにいる男と女の間で起きるこうした不満と不快の同期(シンクロナイゼーション)は超常現象ではなく、対幻想のしわざとして説明することができる。


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                    『流砂』13号                                     
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2017年07月19日

 日野原重明の還相


 日野原重明の死を報じる朝日新聞に次のようなエピソードが紹介されていた(7月18日夕刊)。

 20170522_101623_Burst01かつて皇后にがん患者への接し方をアドバイスした。「ベッドの上から見下ろすような態度はよくない。ひざをついて患者と目線を同じにしてあいさつしたほうがいい」。皇后はその通りに実践した。

 天皇の妻に向かって、ひざをつけなどという、言いにくいことをよくぞ言ったものだ、と思う。患者と同じ目線でという日野原の信条が表向きのものでなく、本物だということを示す話と受け取ることができる。

 その一方で、もし相手が天皇だったら、同じことを言えただろうか、とも思った。皇后に比べればはるかに強いタブーを帯びた存在だ。さすがに言えなかったのではないかと思う一方、日野原なら当然のように口にし、天皇もそれに従ったのではないか、とも想像する。

 死の翌日の天声人語にはこんな話も紹介されている(7月19日朝刊)。

 ある朝、日野原の左手の薬指と小指が曲がらなくなった。「脳か神経に異常か」と、あわてて検査を受けたが、軽いマッサージだけで治った。「内科医として半世紀以上の経験があるが、骨や筋肉の病気にはまるで素人だとわかった」と、彼は同紙のコラムに書いた。

 「まるで素人」という自覚は、彼がどんなどきでも患者と目線を同じくすることのできる証左にほかならない。理想の内科医療を求めて知識と技術の高みを極めた日野原はそれだけで終わらず、高みから帰ってくる道を歩き続けた、と考えることができる。高みに上り詰めたとき、自分が患者から最も遠い場所にいることを彼は自覚したに違いない。

 その行きと帰りは、吉本隆明が親鸞の思想の中で最も重要なもののひとつと考える往相と還相に相当する。思想の課題は知識をため込むことではなく、知識から最も遠いところにいる大衆の原像を思考に繰り込むことだという吉本の考えを日野原は医療の場で実行した。吉本原理主義者としてはそう思いたくてしょうがない。


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                    『流砂』13号                                     
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2017年07月18日

 金のかからない楽しみが増えて


 五輪招致熱が冷めているという記事がきのうの朝日新聞に載っていた(7月17日朝刊)。開催都市は巨額のP1020082負担を強いられ、財政を圧迫されるから、というのが理由だ。

 かつてなら、たとえば1964年の東京五輪のように、開催にともなう交通網などのインフラ整備が高度経済成長をあと押し、それで増えた税収が都市の負担をまかなった。インフラ整備が成長をあと押したのは、第2次産業が経済を牽引する時代だったからだ。

 資本のグローバル化が進んだ現在は、世界の工場といわれた中国でさえ、第3次産業の比率が第2次産業のそれを超えた。ハードなインフラ整備が経済成長を促す効果はそのぶん削がれ、五輪を呼ぶ価値も下がった。

 もっとミクロに見れば、五輪を開く力があるとみなされている都市の住民たちがかつてほど五輪に興味を持たなくなったことがあげられる。金をかけなくてもいろんなことが楽しめる時代になったのに、わざわざ金食い虫の五輪をするのは無駄だという気分が広がっている。2020年東京五輪の開催費用をめぐり無駄の削減を訴えて都知事に当選した小池百合子はそれを象徴している。

 金をかけない楽しみが普通になったのは、インターネットの広がりによる。ネットのおかげで、本も画像も動画も音楽も、無料または低価格で読んだり、見たり、聴いたりすることができるようになった。

 この無料化あるいは低価格化への流れはリアルの世界でも広がらざるを得ない。現実の世界をインターネット化するIoT(モノのインターネット)の発達がそれを促す。無料への接近は利潤の源泉が失われることを意味し、ジェレミー・リフキンは資本主義経済が衰退し、共有型経済が発展する根拠としてそれを挙げている。


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2017年07月17日

 心の通路としての対幻想(下)


森友学園の問題をめぐって、安倍晋三が妻昭恵の潔白を主張しようとして「悪魔の証明」という言葉を使った20170715_185136ことがある。やっていないことを証明しろといわれても、証明のしようがないという意味だ。彼は加計学園の問題をめぐっても、野党やマスメディアから、やっていないことを証明する「悪魔の証明」を求められて、追い込まれている。

 存在していないことを証明するのが不可能だという意味では、超常現象が存在しないことを証明するのも「悪魔の証明」だ。それが科学的に証明できないというだけでは、存在しないことの証明にはならない。

 超常現象のひとつに分類されているシンクロニシティは、霊感や超能力の持ち主でなくても、多くの人が経験しているに違いない。たとえば、ある人物のことを考えていたら、その相手から電話がかかってきたというような例だ。

 こうしたことが起きやすいのはふたりの結びつきが強い場合、言い換えれば両者の間の対幻想が強固な場合だろう。それだけ心の通路としての機能が発揮されやすいからだ。

 対幻想の強度は、ふたりのトラウマの形によって決まる。両者が割符のようにぴったり合えば、それだけ対幻想は強固になる。母と子の関係はそれに近い。分娩=生誕によって両者が分離した際にそれぞれが負ったトラウマの形は、割符の割れた面の状態にたとえることができる。

 戦場に行った息子が母の夢枕に立ち、そのあと彼の戦死公報が届けられた、といったような話をただの偶然と考えないで、何か意味づけをするとしたら、心の通路としての対幻想の強固さを想定するほかない。


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2017年07月16日

 分散する権力(343)――「潔白」ゆえにつまずいた安倍政権


 加計学園の獣医学部新設をめぐる問題で安倍内閣の支持率が急低下したのは、もとをただせば安倍晋三らP1020086が自分たちを潔白と信じたからだと推察できる。野党やマスメディアの追及に対し「とんでもない言いがかりだ」といわんばかりのえらそうな態度をとったのが国民の反発を買ったと考えると、私には一連の経緯が納得しやすい。

 文科省の前事務次官は加計学園をめぐって「行政がゆがめられた」と告発した。しかし、彼は行政のどの部分、どの過程がいつ、どのようにゆがめられたか、具体的に示していない。このことから推測できるのは、文科省の利害に照らせば「ゆがめられた」ように見えても、法令や規則や決定に明瞭に違反するような「ゆがめられた」事実は存在していないのだろうということだ。

 事実認定できる証拠もないまま、マスメディアや政党の「疑惑追及」によって、国民の多数が不正を疑い出すという今回の経緯は、かつて民主党が政権を取る前後に小沢一郎が検察、マスメディアなどから「政治と金」をめぐる濡れ衣を着せられ、国民から「議員を辞めろ」とまでいわれた経緯に似ている。

 おそらく加計学園のことでは安倍晋三も菅義偉も限りなくシロと見ていい。彼らは「友人に便宜を図ったことも、行政をゆがめたこともないのに、なぜこんな因縁をつけられなければならないのだ」と思っているはずだ。そして、「もともと潔白なおれたちが、なぜそれをわざわざ証明しなければならないのか」とも。

 そう思っているから、文書を出されても「怪文書」呼ばわりしたり、国会質問を「印象操作」と難じたりすることになる。やましいところがある人間は、安倍晋三のよくいう「丁寧な説明」を一生懸命するものだ。それをしなかったことが安倍政権の驕りと国民の目には映ったと思われる。

分散した権力を手にした個人は、自分たちを侮る政権を容赦しないことは、民主党政権の没落が実証している。


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                    『流砂』13号                                     
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2017年07月15日

 心の通路としての対幻想(中)


 男と女の間に対幻想が形成されると、それを通路として一方の心の状態が他方にじ伝わるようになる。それは20170713_180004_Burst01言葉や表情や仕草などを介さずにじかに伝わり、ふたりが一緒にいるときだけでなく、離れたところで別々に行動しているときにも可能となる。

 きのう書いたように、男性をボルトに、女性をナットにたとえ、対幻想をボルトとナットが結合した構造物と考えれば、このことはある程度まで納得できるはずだ。その構造物はボルトそのものでも、ナットそのものでもないが、ボルトが動けばナットも動く。このとき動きはその構造物を経て一方から他方に伝わると考えることができる。

 ふたりが間近にいるときはボルトとナットのたとえで納得がいくが、離れているときはそれでは説明できないという反論が聞こえてきそうだ。ボルトもナットもあくまでもたとえであり、対幻想は金属ではなく幻想だとこたえるほかない。金属が通常の状態では伸縮自在ではないのに対して、幻想は伸縮が自在だからだ。男女が遠く離れていても、対幻想はふたりにしっかりまたがって存在し続ける。

 たとえば、男がひとりである場所にいて、そこで何かを見たのをきっかけに、日ごろ恋人に感じている不満を思い出したとする。別の場所にいる恋人の女は、そんなことをまったく知らないが、男が見たものと似たようなものをたまたまた目にすれば、不快な気持ちに見舞われる可能性がある。なぜなら、そのときふたりが別々の場所でたまたま見た似たものは、日ごろ男が女に漏らしている不満を連想させるものだからだ。

 離れたところにいる男と女の間で起きるこうした不満と不快の同期(シンクロナイゼーション)は超常現象ではなく、対幻想のしわざとして説明することができる。


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2017年07月14日

 心の通路としての対幻想(上)


たとえば、恋人どうしの男女の一方が、本人も気づかないうちに不機嫌になっているとしよう。そばにいるもう20170710_173030_Burst01一方は何も言われなくても、得体の知れない不快さを覚えるに違いない。

こういう場合、不快の引き金になるのは相手の表情や仕草や声の調子と考えるのが普通だ。しかし、不快の生なましさはそう考えただけでは実感として納得しにくい。少なくとも私はそうだ。

やはり一方の不機嫌を他方にじかに伝える何かがあるのではないか。それが吉本隆明のいう対幻想ではないか。私はそう考える。対幻想は一方の心の状態を他方の心にじかに伝える経路になっていると考えると、不快の生なましさに納得がいく。

男性をボルトに、女性をナットにたとえるなら、対幻想はボルトとナットが結合してできた構造物ということができる。それはボルトそのものでも、ナットそのものでもなく、両者とは別物なのだが、ボルトが動けばナットも動く。この動きは両者の結合した構造物を経路にして一方から他方に伝わると考えることができる。

ボルトとナットはネジ山が合わないと結合しない。これを男女の関係に当てはめると、それぞれのネジ山は男女が生誕の前後に負ったトラウマの形ということができる。つまり男と女はトラウマの形が合うほど強く惹かれ合う。

ネジ山がぴったり合うボルトとナットが結合した場合、一方の動きはストレートに他方に伝わる。しかし、しっかり合わないまま結合した場合、その動きはストレートにではなく、変化をこうむりながら伝わる。

男女の場合もそれと同じだ。トラウマの形が合い、惹かれ合っているほど、一方の心の状態は他方の心にじかに伝わる。いい心の状態だと、他方の心もよくなるが、その逆だと、ときとして仲違いの原因になる。

そのときふたりは、なぜそうなったかわからず、互いに自分の都合のよい理由をあげて相手を非難するだろう。


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2017年07月13日

(612)国民の判断はリアルで容赦がない


30代フリーター やあ、ジイさん。東京都議選で自民党があそこまで負けるとは予測していなかった、という話20170627_181504をマスメディアでたびたび聞いた。

年金生活者 私も予測していなかった。安倍政権やその与党が国民に対してはたらいた無礼の数々に都民がこれほど敏感だとは思わなかった。東京の有権者の感受性をそれほど鋭敏とは思っていなかったということであり、つまり都民を侮っていたことになる。天下国家ではなく身の回りのことに重きを置く生き方をもっとも価値ある生き方と考え、そういう生き方をする大衆の原像を思考に繰り込むことを思想の課題にしてきたのが吉本隆明だ。吉本原理主義者を自認する私が、それとは反対の態度を取っていた。

国家からの権力の分散という世界史的な流れだけを判断の基準に都議選を見ていたからだと思う。それは俯瞰する視線、上空からの視線だけを使い、地上での視線を使っていなかったことを意味する。つまり上から目線で選挙を見ていた。別の言い方をするなら、これまでため込んだ知識を使って都議選を見ていたということだ。知識を使うということは、それだけ普遍的な場所に立つことであり、それは上空から見下ろす視線にならざるを得ない。だからこそ、吉本は大衆の原像を思考に繰り込むことを最重要の課題とした。

30代 知識をため込んだやつは一般の国民を侮りがちだというのはよくわかる。

年金 国民を上から見下ろす位置に自分を置きやすいのは知識人ばかりではない。政治家も同様だ。自分はたくさんの国民を代表しており、それだけ普遍的な高みにいるんだ、と考えがちだからだ。そういう意味で国民というのは侮られやすい存在と考えなければならない。言い換えれば、知識人や政治家は国民を侮る危険、見誤る危険に常にさらされている。選挙の予測が外れるとき、そのことが鮮やかに示される。

30代 だれかを侮るのはほかのだれかと比べるからだろう。

年金 人を見下すとき、その物差しは自分のものではなく、ほかから借りてきたものだ。だれかが汚れた靴を履いているのを見て、汚いと感じるだけなら、相手を見下したことにはならない。あんな靴を履いてだらしないやつだ、と思ったとき初めて見下したといえる。汚いと感じるのは自分自身の感性だ。それは借り物ではない。これに対して、だらしないやつと思うのは、外面の汚さを内面の汚れに結びつける社会通念をもとにしている。それは自分自身の判断ではない。

 差別は見下すことの一種だ。黒人差別は一般に肌の色が黒いことをもとにしていると理解されている。しかし、黒という色そのものはニュートラルであり、黒いというだけで嫌がられることはない。それにもかかわらず、黒人が見下されるのは、白人からいちばん遠い肌の色をしていることに理由のひとつがある。その結果として、黒が嫌われるべき色とみなされるようになったと考えることができる。だが、人間の感性は黒い色を嫌うようにはできていない。人が黒人を見下すとき、その物差しになっているのはおのれの感性ではなく、社会通念であり、借り物にほかならない。

30代 侮蔑も差別もしない態度はどうやったら取れるんだ。

年金 私はだれかと接するとき、相手を侮るか恐れるかどちらかのことが多い。どちらでもないニュートラルな状態は少ないような気がする。こういう傾向は相手を正確に理解することを妨げる。侮りにも恐れにも偏らない中性的な状態こそ、対象を理解する条件のひとつと考えることができる。

30代 話を政治のことに戻すと、朝日新聞の最新の世論調査では、安倍内閣の支持率が33%と、第2次内閣発足以来最低を記録し、不支持率は47%と半分に迫っている(7月10日朝刊)。

年金 加計学園などをめぐる安倍晋三らの一連の態度が国民に対して礼を失している、と国民の多くが判断したと推察される。都議選の投票前日と当日の2日間に行われた前回調査から5ポイント下落しており、選挙での敗北が1週間という短期間での下落を招いたことは明瞭だ。ここまで落ちると思っていなかった私は、国民の判断の容赦のなさを思い知らされた。これもまた国民を侮った結果といえる。危うさはあるものの、大きな失政はなく、反省もしているのだから、と国民の多くは安倍政権を支持し続けるに違いない、というのが都議選後の私の見通しだった。

しかし、国民のほうは首相やそれを支える政権の要人たちが本音では国民を見下していることをリアルに感じ取っていたのかもしれない。たとえば、都議選の演説で「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ安倍晋三の言葉に、人をおとしめるヘイトスピーチのにおいを嗅いだのかもしれない。

30代 安倍政権はこれまでのように支持率の回復に成功するだろうか。

年金 安倍晋三は来月早々の内閣改造で「経済優先」をアピールする人事をするだろう。「経済優先」こそがこれまで下落した支持率を上げてきたからだ。それがまた奏効するか、今度ばかりは焼け石に水となってさらに支持率が下がるかは、まだ見通せない。


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2017年07月12日

 分散する権力(342)――イスラム国はれっきとした国家だ


朝日新聞がきょうから「偽りの『国家』」というタイトルでイスラム国(IS)の実態を伝える連載を始めた(7月1220170710_173251_Burst01日朝刊)。文中ではISを「偽装国家」と呼んでいる。「偽り」も「偽装」もISが真正の国家でないことを強調する言葉だ。

しかし、記事で紹介されている事実は、ISがれっきとした真正の国家であることを示している。柄谷行人が国家の担う交換様式として挙げている略取と再分配(交換様式B)をISは露骨に実行してきたからだ。

記事に即していうと、「ISはモスルの銀行を襲って5億ドル(約572億円)ともいわれる大量の現金を手にし」(略取)、「道路の補修など市民サービスも推進した」(再分配)。既存の国家の法に反する暴力による交換であり、これこそあらゆる国家が誕生の際にやってきたことだ。暴力の行使にまで至らない場合でも、暴力を背景にした威嚇によっておのれを成立させてきた。

ISが今ある他の国家と異なるのは、前近代的なカリフ制国家を自称していることだ。しかし、近代世界に割り込んで国家をつくろうとすれば、前近代にしがみついてばかりいては難しく、近代的な形をとらざるを得ない。それが領土の略奪だ。

ISはいまその領土をイラクなどに奪い返されつつある。しかし、前近代の国家は近代国家ほど領土に固執しない。「『国家』運営に失敗したISは、すでにテロ拡散路線に転換」している、と朝日新聞は報じる。

テロ拡散に使われているのがインターネットだ。そこでISの思想を世界中に拡散し、それに染まった人物をテロに走らせる。「地上戦と同じくらいオンラインでも激しく戦う必要がある」という米国務長官ティラーソンの言葉を同紙は伝えている。領土を超えたバーチャルな戦争がウェートを増していることを示す言葉といっていい。

領土に必ずしもしがみつかないISの前近代的な国家思想が、現在の世界のきわだった特徴である戦争のバーチャル化と結びついているのをそこに見ることができる。


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2017年07月11日

 外交も取引も女性を口説く要領で進めるトランプ


 トランプが外交を取引と考え、多国間ではなく二国間で交渉したがるのは、過去に何度も女性を口説き落とし20170710_173529てきた実績から来る自信あるからではないか。女性を口説くのは常に一対一だ。

 きのうの朝日新聞は「トランプ氏、二国間優先」「G20外遊 首脳10人強と会談」との見出しを掲げて、彼の2回目の外遊を報じている(7月10日夕刊)。多国間の交渉であるG20の場を利用して二国間交渉に精を出した。大勢の女性の集まったパーティーで、10人強を口説いて回ったということだ。

 人間の全幻想領域を対幻想、共同幻想、個人幻想に分けることを世界で初めて提起した吉本隆明は、人間には対幻想の領域で振る舞うのを得意とする者もいれば、共同幻想、あるいは個人幻想の領域で振る舞うのを得意とする者もいる、と語っている。

 吉本の考えにしたがえば、トランプは3つの幻想領域のうち対幻想の領域で行動するのを最も得意としていると推察できる。サルコジ大統領夫人や美人テニス選手との交際、3度の結婚といった豊富な女性遍歴がそれを物語っている。

 トランプが大統領というおおやけの仕事に身内を優先的に使い、ときに公私混同を指摘されているのも、共同幻想の領域に、自らの得意とする対幻想の領域を持ち込もうとするから、と理解することができる。

 彼の「得意技」は実業の世界でも力を発揮したと推察される。彼がしきりに口にしてきた取引(ディール)は一対一を基本としている。つまり対幻想の領域に、全部とはいわないまでも属している。女性を口説く手管が取引でも威力を発揮するのは当然といっていい。

 トランプが不得手とする領域は個人幻想の領域だろう。共同幻想の起源は対幻想にあり、両者には親和性が残っている。だからこそ彼は大統領を目指したのだろうし、企業という共同幻想に長年かかわってきたのだろう。だが、個人幻想は共同幻想から発生したものであり、対幻想からは最も遠い領域ということができる。


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