2013年04月24日

 対幻想と自己表出


吉本隆明の独創的な概念である「対幻想」と「自己表出」とは同根だという指摘を「独解、吉本さん」というブログが012している。その部分をピックアップしてみる。
 

結論からいえば「美」という価値判断も、あらゆる識知も、対幻想的な認識構造を前提にしているということになります。(20134 6日)
 

極論すれば、想像すること思念することそのものの前提が対幻想で(も)あり、それは価値判断の前提であると同時に自己表出でもあるという吉本芸術論のリニアな姿を現してもいます。(同)


 自己表出を仕事にする文学者や芸術家には、いちばん熱い対幻想である恋愛に精を出す人たちが多いことを思い起こせば、実感的にもうなずける指摘だ。

 対幻想も自己表出も、自己疎外である点で共通している。対幻想はペアになったふたりの自己のどちらとも異なる領域を指し、自己表出はもとの自己とは違う新たな自己、劇的な自己の産出を意味する。

 恋愛はかつて一体だった胎児と母胎の世界を幻想的に再現する試みだ。それは母と引き離されて追いやられた先であるこの世を脱して、不可能な子宮を目指す「転換」の運動にほかならない。自己表出における新たな自己の産出はそうした「転換」の代替行為とみなすことができる。

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                  『流砂』6号
        【追悼特集】吉本隆明その重層的可能性
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