2019年09月22日

 なぜ愛していると言ってほしいのか


 恋愛中のふたりが互いに相手に「愛している」とか「好き」とか言ってほしいと願うのは、「愛」も「好き」も言葉に支えられた20190917_173750感情だからだ。

 今の私たちが抱くような「愛」や「好き」という感情を、まだ言葉を持たなかった人類が持ち得たかどうかは疑問だ。漠然とした、つかみどころのない感情を「愛」とか「好き」と名づけることによって初めてその感情は手ごたえを持つようになったのではないか。


 愛されているとか、好かれているという実感は、「愛している」とか「好き」と言われない限り持つことができない。言われないのに感じているとしたら、漠然と感じていることを相手に代わって心の中で「愛」や「好き」という言葉に置き換えているからだ。

 私たちは「愛している」とか「好き」と言われると、その一瞬だけでもそれを信じる。そうしないと、言葉を理解することができないからだ。言葉は対象を指し示すだけでなく、それを発する者と受け取る者の心の位置を決める。そうした言葉の構造が言葉を受け取る者にその言葉への同調を強いるのだ。

 たとえば、私が自分を愛していないことがわかっている相手から「愛している」と言われたとする。私は少なくともその瞬間だけは、相手に愛されていると感じるだろう。そう感じさせるのは、聞く者の心の位置と向きを決める言葉の威力だ。

 結婚詐欺の被害者はその威力に囚われた者ということができる。詐欺師を怪しいと思っていても、「愛している」「好き」という言葉の反復に、「愛されている」「好かれている」という実感を絶えず喚起される。虚言に酔い、このまま騙され続けていたいとさえ願う。


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                 『流砂』16号                            


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Posted by nkmrrj04fr at 20:45│Comments(0)