鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場沿道のトイレの前に大石があります。
立て札も何もないから、ただの大きな置石だと思っていましたが、ちゃんと名前がありました。
「よじべえ石」というのだそうです。
鎌倉の飯島の西沖に、昔から漁師の網が切れたり、泳いでいた子供が海の中に引き込まれたりするという、魔の場所がありました。
海の底に河童が住んでいて、その周辺に侵入するものに対して、悪さをするのだと、長い間、飯島の人々に信じられていました。
ところが、大正12年に起きた関東大震災で、そこの場所の海底が隆起して、現れたのが、この大石でありました。
山口県下関市の関門海峡の大瀬戸に暗礁がありました、満潮時には隠れ、干潮時には現れるという、死の瀬といわれた場所でありました。
そこの場所は「与次兵衛ヶ瀬」という地名でした。
そこで、”死の瀬”の云われが同じであったので、「与次兵衛ヶ瀬」の名に因んで、この石を「よじべえ石」と名付けました。
河童の住処と云われる以前に遡ると、畳三畳敷にも及ぶこの巨岩には精霊が宿っていると信じられ、かつては海の小神だったのだが、信仰が衰えた事で忘れ去られ、江戸時代にはすっかり荒魂化、当時の人々には「魔物」と呼ばれるに至りました。
そこで、地元の人たちによって引き上げられた此の「よじべえ石」は、陸に上げられても猶、人々に霊的影響を及ぼすのではないかと恐れられましたので、荒魂を鎮める為と称して、鶴岡八幡宮の西の鳥居付近に置いたのだという事でした。
立て札も何もないから、ただの大きな置石だと思っていましたが、ちゃんと名前がありました。
「よじべえ石」というのだそうです。
鎌倉の飯島の西沖に、昔から漁師の網が切れたり、泳いでいた子供が海の中に引き込まれたりするという、魔の場所がありました。
海の底に河童が住んでいて、その周辺に侵入するものに対して、悪さをするのだと、長い間、飯島の人々に信じられていました。
ところが、大正12年に起きた関東大震災で、そこの場所の海底が隆起して、現れたのが、この大石でありました。
山口県下関市の関門海峡の大瀬戸に暗礁がありました、満潮時には隠れ、干潮時には現れるという、死の瀬といわれた場所でありました。
そこの場所は「与次兵衛ヶ瀬」という地名でした。
そこで、”死の瀬”の云われが同じであったので、「与次兵衛ヶ瀬」の名に因んで、この石を「よじべえ石」と名付けました。
河童の住処と云われる以前に遡ると、畳三畳敷にも及ぶこの巨岩には精霊が宿っていると信じられ、かつては海の小神だったのだが、信仰が衰えた事で忘れ去られ、江戸時代にはすっかり荒魂化、当時の人々には「魔物」と呼ばれるに至りました。
そこで、地元の人たちによって引き上げられた此の「よじべえ石」は、陸に上げられても猶、人々に霊的影響を及ぼすのではないかと恐れられましたので、荒魂を鎮める為と称して、鶴岡八幡宮の西の鳥居付近に置いたのだという事でした。