nnanami2

癒しの国タイの 怠惰と享楽、酒と踊り、嘘と誤魔化し==日本人医師の啓蒙ブログ==このブログはタイを愛する人が一部タイ人の悪事に巻き込まれてタイが嫌いになってしまわないように 啓蒙することで、余計タイを好きになって欲しい、その気持ちで書いております。従ってタイやタイ人の欠点を書いた場合、一部の、という意味です== タイに13年近隣国に3年。あっという間に過ぎ去った16年間。その後半に書いてきた産経イザブログは2万6千人中、2位~10位のランキングで活躍しておりましたが、イザ廃止の憂き目に逢い、もうブログは辞めようかと・・が、引っ越しツールのお蔭で800タイトルを無事引っ越せたので、また活躍することになりました。ただ、面白知識全集など目次形式ブログではクリックしても無効です。ご面倒でも検索サイトで『タイトル名、nnanami2』で検索して下さい

最初にハッキリ言っておくが、私は女を買ったことは断じてない。当時私は極めて健康で、未だ尋常性乾癬にも罹ってはいなかったが、毎日病院長としての仕事が 夜11時まで続く という病院経営の難しさに疲れ果てて、引退と海外移住を考えていた。

丁度その頃、タイとカンボジアとベトナムの3ヶ国を約3ヶ月で旅行することにした。旅行には 色々と操作が可能な薄い画面本体だけを取り外して、カメラ本体とは細いコードだけで繋げて使う仕組みのビデオカメラをこの旅行のために新調した。要するに隠しカメラの一種を持って、あらゆる光景を記録に残すことにしたのである。どこに移住するか、その参考資料として カメラで記録することにしたわけだ。

一番目はゲリラ戦で米国に勝ったベトナム。

海水浴場とカジノホテルと置屋街の これら独特の組み合わせの町ドーソンとか

御伽噺(おとぎばなし)に出てきそうな独特のヒョッコリ瓢箪(ひょうたん)島が無数に浮んだ港・海の風景があるハイホン(ここではホテルではなくペンション住まい)だったが・・

その次の国がカンボジアであった。


私はプノンペン空港に着いて先ずしたことは両替だ。空港で契約したタクシーに乗って、両替屋に案内させたが、案内された店のレートは 騙しのテクニック・・・半額だけ先ず渡して、客が半分しかないと怒って文句をつけられれば、そこで、もう一つの札束も出す、というカラクリであった。この もう一つの束を客に渡さなくても良かったときは、騙しが成功したときで、その場合 儲けはタクシーと折半する。・・・私は数えてみると半分しかなかったので、両替を拒否し、すぐその店を出て、タクシーに命じて自分で選んだ他の店に行き、そこで両替することにした。

それから タクシーは簡単な観光コースを型どおり回って、最後は どこだったか今では忘れたが、自分のホテルを決めて 宿舎を確保した。当時、大きな道路はそうでもなかったが、一歩中に入った道路の交差点と言う交差点は 夜はゴミの集積所と化していた。殆どの交差点がゴミの山になっているので、私は 夜8時以降 町へ出て行くにも 往生した。

翌日プノンペン市内でバイクを借りた。安かったので大排気量のビッグバイクを借りた。それで数日掛けてアチコチ回ったが、当時日本の民放で放映されていた車のパン屋 とか、若い女性レポーターがパン屋に1週間入門した店を見学などしたりして結構ミーハーを楽しんだ。この旅で分かったが カンボジアがタイやマレーシアより優れた数少ない長所は、先ず第一にパンの美味しさで、次が 天井の四隅が美しい装飾天井だ。この2点だけはフランスやイギリスを拮抗させて どちらの植民地にならなかったタイは勿論 食事の不味さで有名なイギリスの植民地だったマレーシアには 真似が出来ない。200年以上フランスの植民地だったカンボジアは、フランスパンをはじめパン類が矢安くて非常に美味しい。また建築でも、石造りならば どんなアパートでも天井には美しい装飾が成されている。


さて前置きが長くなったが

最後に 私は 当時 色んな本で話題になっていた あのスワイパー村 に行ってみた。

私は記者だと言う触れ込みで、バイクタクシーに命じて先導させ、自分は爆音をとどろかせながら 大型バイクで後から用心深く 付いて行った。先導されてから約15~20キロのところに 件(くだん)のスワイパーはあった。バイクタクシーは「店の男達に用心しろ」と注意してくれた。当時は まさに盛況中の真っ盛りで、入り口近くから多くの置屋に客が群がっていた。

そのドン詰まりあたりにきたとき、事が起こった。
私は そのすぐ手前の 客の総合待合所でバイクに乗ったままバイクのパネルに載せた映像を観察をしていた。そこには西洋人を中心に約50名近くが居た。西洋人に混じって日本人が2割ほど、それも頭の剥げた短パン風の日本人(おっさん)が 数多くいた。やっぱり(エコノミック)アニマル日本人って本当だな、と私は思った。 そして『精力の強い奴は(男性ホルモン=テストステロンが代謝されて出来た) 5αーリダクターゼが 毛根に溜まり それで毛根が脂肪で一杯になって 毛根を破壊し、それで頭を禿げさせるのだなぁ』 と医学的に、我が意を得たりで、ほくそ笑んでいた。丁度そのときだった、

目茶、大きな怒鳴り声 

で、私は我に帰った。
日本語ならば『この野郎はスパイだ、カメラを取り上げろ』とでも言うんだろうか。

私は この集合待合の目と鼻の先の 客で一杯の置屋の禿げ(はげ)親父に、隠しカメラで撮影しているのを見つかってしまったのだ。このハゲは物凄い形相をして私を捕まえようと手を伸ばした。私は一瞬ひるんだが、京都の医学生時代に ホンダのCB450(排気量450CCのハイパワーバイク)で腕を鍛えた経験があったので、ハゲの腕が私の肩を捕まえた その一瞬、肩をすぼめて猛速発進でかわして逃げた。ハイパワーを掛けたので バイクは前輪が空中に浮いたまま走った。ハゲの顔や体は 後輪タイヤの後塵をモロにかぶったことは 間違いない。道は只でさえ砂埃の立ちやすい土道だった。

20mくらい離れたとき 後ろを見た。ハゲはバイクのダッシュで巻き上がったというよりも、後輪に蹴散らされた砂埃をまともに食らって、ハゲ親父は 畜生!と言う表情で、顔をクシャクシャに歪めていた。

今になって考えてみると たとえ腕が私をつかんだ所で(または)体ごと捕まったところで、バイクで猛ダッシュすれば一たまりもなく男を払い退けて、逃げ果(おお)せただろうが(カメラは引きちぎられたかも)、当時はそんなユトリはなかったので 「助かった」 と言う思いで安堵したのであった。そしてもうスワイパー村へは それっきり行かなかった。

スワイパー村の最盛期に村へ行き それなのに女を買わなかったなんて なんと勿体無い・・・という向きもあろうかと思う。が、所詮は価値観の問題だ。或いは財産が幾らあり こんな道楽遊びの分野に お金を幾ら掛けられるか の問題だ。

私は 年端も行かない少女ないしは うら若い女性が親に売られて格安で(5ドル~6ドル)ボロ置屋で売春させられていると言うこと自体のニュース性に興味がある・・しかし、自分で買いたいとは思わない。これだけは嘘ではない。仮りに・・・本当に女を買いたいなら そんな安いがクソも味噌も一緒にしたヤバイ場所で買わなくても、また よしんば掘り出し物(掃きだめに鶴)があろうともだ・・・
もっと高級な場所でお金さえ掛ければ 幾らでも綺麗な女性と上品に瞬間愛を楽しめる場所がある・・・のだから。こういう論理で私は嫉妬することなく掘り出し物の女性を買わないのだが、さりとて高級な女も 
躊躇なくパスするのだ。つまり、ボロ置屋の女性のほうは 「安すぎる」と言ってパス、しかして高級な女性のほうは、「お金で買った愛なんて要らない」と言って パスする。一見矛盾した論理だが、それでいいのだ!


ともあれ、そんなショッキングなことがあったので、いまでも、そのときのクソ親父のハゲの怒った顔や、総合待合所にいた短パンを履いたハゲのオッサン達のことは 昨日のことのように ハッキリと瞼に焼きついている。

彼ら短パンを履いていた日本人達は 概して用心深い生き方をしないので、もう 既に・・・糖尿病や脳血栓、はたまた癌などの生活習慣病で62,3歳か そこらの若さで おっ死んだ(おっちんだ)奴もいる事だろう、人生に満足して・・。亡くなられたおっさん達に お悔やみ申し上げる・・・

上のブログで、土地をタイ人名義で買うことの危険性を非常に詳細にまとめているが、ここでは具体的に、はっきり言おう。

 

タイでは絶対に個人の住宅用に土地を買うのはお止めなさい。かならず将来、悲哀を見ることになるからだ。

 

当方ブログ『タイのディープな戦略的知恵=タイは酒と踊りと嘘と誤魔化し』において過去8年間、タイで、邦人や外国人が嵌められるジャンルについて何十本も書いた当の私自身が、色んな犯罪に会いながら、土地だけは、シッカリ防御措置を講じた、と信じていたのに、チャンヤーと言う一緒に住んだ女が私が難病の療養中にオランダ+アイスランド系外国人と一緒になり子供までもうけられ、彼女名義で買った住宅を建てるための5000平方mの土地が、暗礁に乗り上げてしまった。買った土地はチェンマイの北のメーリンにあり、田畑ではあったがタイの田畑は日本と違って直ぐ家が建てられる。幹線国道107号から50メートルの便利な土地で5000平方mもの広さである。買う数年前に土地の近くに大きな大学がチェンマイから引っ越してきたので将来は学生用のアパートが増えて価格が上がることも織り込んで購入した。詳細は上記ブログを参照

 

私が当初判断を誤ったことが3、4つ もある。

1.相手のチャンヤーとは一生続くと確信していたこと

2.小さいころから家族構成上、さびしく育ったので、さびしがり屋だった性格から、チャンヤーを含めてチャンヤーの父母やレズの姉も含めて大家族で住みたい、と望んだこと

3.土地はチャンヤーの名義で買うしかないが、私名義の地上権をつけた上に、将来、土地は生まれてくる子供の名義にします、というチャンヤーの遺言書を公正証書にしたので、もう安心だと思ったこと

4.上のような希望が大きかったので土地を買うことをあせってしまったこと(生まれる前に買わず、半年後に生まれてから子供名義でかえばよかったのに・・)

 

その結果どうなったか。

1.実験のため父母の要求(父親と母親に毎月給料を支払う)を受けいれて賃貸マンションの100坪近い一室専用階の部屋で共同生活を始めたが、たった3ヶ月で、日本人との生活になじめず引き止めるのも聞かず両親だけ勝手に出て行った(親父はベトナム戦争の傭兵として勇猛果敢で知られるモン族出身だから文盲も加わって変にプライドが高いのが関係していた)

2.チャンヤーとは一生一緒だ、と信じていた。しかしたった4年で破局。

3.チェンマイでタイ人と日本人のカップルで不動産を経営していた夫婦が『名義はチャンヤーでも公正証書で子に譲ると遺言したから、もう大丈夫』と言われたことを、彼女の親父が私の土地を又貸ししている問題でチェンマイにごく最近行き、弁護士に相談したら・・・遺言は無意味、何時でも書き換えられます、だとさ。とほほ。

 

全部ことごとく逆の結果になったわけだ。両親と一緒に住もうと考えたことがすべての誤算。こんな変な親と一緒にすむという戯言を考え付いていなかったならば、チェンマイ市街か、バンコク、パタヤのコンドウでも買ってたほうがどんなに良かったか!そうしたら自分名義なので何の問題も生じず、果ては別れることにもならなかったのだ。

 

だから、皆さんも、日本の土地神話のせいで、錯覚して、土地を買いたいという気持ちになりやすいでしょうが、絶対買ってはいけません。別れたらそれでおしまいです。幾ら地上権をつけていても、別れたら、田舎のそんな土地は無意味になる。それで地上権があるんだからと家を建てても、田舎で不便だし不愉快な連中が近くに居るんで、面白いはずがない。そもそも家を建てても、将来自分が死んだら家まで(土地だけでなく)相手に呉れてやる事になる。 

コ自分の名義で便利な都会、またはパタヤ、シーラチャのような日本人にやさしい観光地のコンドウにしておきなさい。この言葉は、失敗者からの贈り物です20130409

東南アジアのセックス産業 : 国連の下部機関の調査より

 国連の下部機関が調査して文献にした 《 セックス産業 (副題:東南アジアの売買春の背景) 》 によると、たとえば、タイでは200万人の売春婦が働いている。


置屋、マッサージパーラーなど、表向きの売春産業だけではなく 歓楽街(バンコク都のタニア地区、ナナ地区、パッポンなどのエアリアや、パタヤ市全域など)におけるカラオケ店、マッサージ店(若い女性だけのマッサージ)、クラブ、 ゴーゴー喫茶(バンコクのナナなど)及び、その手のレストラン、

待合喫茶(テーメーカフェ=別名=年季の入った売春婦の巣窟

や待合パブ(タニア周辺、ナナ周辺)


・・・など、あらゆるジャンルで働いている全売春女性の数である。この文献には主として、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイの4か国が網羅されているが、これらの国では国連の勧告もあって児童売買春に関する限り、既に当局の取り締まりが功を奏して、絶対数は少なくなった。しかし、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーはどうだろうか。

これらの国では、売春女性はどうなっているのか。

まずラオスであるが、これは歓楽街が発達していないことにも寄るが、ほぼ野放し状態だ。そもそも、それを取り締まる警察官の絶対数が少ない。国自体が貧困のため警察官の数が少なく、殆どの警官が拳銃すら携行していない。このため、タイからラオスへ少女・児童売買春を求めて移動す傾向がみられる(タイは それでも、少女と成人との境界辺たりの売買春は、取り締まりが甘いので、シンガポールやマレーシアから タイ最南部の都市ハッジャイ、プーケットに流れてくる)。たとえばビエンチャンのモンコルホテルなどの中流ホテルがタイ人の富裕層に児童売春のお先棒を担ぐケースが見られる。ただし、表向きはマフィア⇒(ホテル)⇒富裕層のタイ人という風に、影にかくれているが・・。

一方、カンボジアはどうか。国連の再三にわたる勧告と指導によって(国際支援と引き換えに)、首都ではかってその名を知られたスワイパー村や93番街などは、今は昔の変貌ぶりで、完全に壊滅している。外国人の目に触れやすい地方都市も、ほぼ同じだ。特に、既に、動き出した物流の東西回廊の玄関口・ポイぺト と その周辺都市(シソポン、バタンバン、シェムリアップ)は 昔ここに そういう施設があったと到底思えないくらいに 完全に壊滅させられた。シェムリワットの(10人単位でまとまって行動する)ストリートガールを除いて、一切お目こぼし は無い。それくらい、厳しい。 

しかし例外という奴が何時もある。フンセン首相が売春街・村を一掃する際に、置き土産をした村・町の その最大の地域が、カンボジアへの海側ルート、コッコン市だ。 ここには、やや大きな置屋村が、このルート自体が外国人には一般的でない所為か、または この置屋村が非常に辺鄙な所にある所為か、はたまた 廃屋寸前の佇まいである所為か・・かつかつ、生き残っている。警察は賄賂を取って黙認しているようだ。また、昔、置屋 今、カラオケの店ならば(前記とは、まったく違う場所に)数十店は集まっている。これらも売春施設である。これらは、ほとんど地元民しか利用していないにしても、未成年者は勿論のこと、15,6歳未満の少女が 陰に陽に 働かされる事があり、速やかに一掃されるべきだ。

ベトナムでは 社会主義の建前から 売買春はないはず だが、実態は全く違う。たとえばカジノも整った海浜町のドーソン。
ここにはかってのカンボジアの売春街を髣髴(ほうふつ)する大規模な置屋街(20数店舗)がある。年齢構成は、これでも社会主義かと 訝(いぶか)るほどだ。こう言う町が、名の売れた海水浴場ないしは海浜町に、点々 とある。

2014/11

続く

関連ブログ
今でもスワイパー村で少女を売る母親と題したCNN.comを論評する

申し訳ございませんが下記をクリックしてください。


チャームビーチは王室の離宮のあるホアヒンの北10キロ・・・

ペッブリ温泉はその北数十キロのミャンマー国境近くの山間にあり・・・

その両方が下記をクリックするとご覧いただけます。


http://blog.livedoor.jp/nnanami_papa/archives/1001061854.html

日本の医師、歯科医師資格が通用する国は、世界広しと言えども、カンボジアにおいてのみ しか ない。ただし、医師資格は殆どの国では その国内でしか通用しないのが普通だ。例外として 英国および英連邦の国の医師資格は、英連邦に加盟している諸国ならびに英国の植民地でも通用する。従ってニュージーランド、シンガポール、香港(中国に返還された後の香港でも)などでは英国など英連邦の医師免許が通用する。従って サッチャー首相時代にアルゼンチンとの間で所属を巡って戦争が起きたフォークランド諸島のような小さい植民地では英連邦の医師は島の住民にとって最高の恩恵となる(小さな島では医師を育成することも出来ない)。


さて カンボジアでは なぜ日本など先進国の医師資格が通用するのか。理由は 只一つ、カンボジア人医師の技能が全く低い上、求められる数に比して ごく少数しかないからだ。


なぜそうなったのか。もちろん 原因は あのクメールルージュの200万人虐殺だ。クメールルージュは (ルージュはフランス語で 赤い)赤いクメール(クメールは純粋のカンボジア人)と言う意味で、故シハヌーク国王が名づけたのだが、そのクメールルージュのボスであるポルポト(若い頃はサロット・サルと名乗っていた)が 中国の康生  の影響を強く受けて旧支配層・エリート層200万人以上を殺害した。

(康生=カンション、日本語読みでコウセイ=は、中国共産党の情報機関の責任者で、ソ連滞在中に、スターリンによる粛清の犠牲者が2000万人とも言われるヨシフ・スターリンの影響を強く受けた人物。秘密工作を得意とし、右派分子や修正主義者の容赦ない粛清に携さわることで毛沢東に気に入られた。犠牲者が1万人規模に上る内モンゴル人民革命党粛清事件などで無数の冤罪をでっち上げて 死刑執行人として恐れられた)


警察を含む上級公務員、村長、大学教授や高・中学校の教師をはじめ 医師・歯科医師、弁護士など旧支配者層 を殺害した。映画で見たことの有る方もいると思うが・・・

ポルポトは農村共産主義の国を作るに当たって、野原や山岳を耕させるため 町や村で民衆を集めては、「以前 何らかの要職にあった方とか、医療に携わっていた等の方は 手を上げてください。リーダーとして取り立てることも考えています」そして・・・挙手した人々を集めてトラックに詰め、山に送って穴を掘らせて、そのまま・・。


これによりカンボジアの医師、歯科医師が根こそぎ消滅した。旧支配層に対する低次元だが重責した恨み、憎しみ から起きた思想で、愚かな”ユートピア”、すなわち原始共産主義農村社会を作ろうとした。カンボジアの康生と言われるポルポト(パリに留学していたときの名前はサロット・サル)の 残忍さは 極悪非道で比類がない。ヒットラー、ヨシフ・スターリン、毛沢東らと同じく、狂気が最高権力を手にした時 このような悲劇が起こる。


ファイル:Kang Seng Mao Zedong in Yan'an.jpg

左は大躍進時代に家庭の裏庭で鉄鋼を作るという愚かな計画の結果 

鍬・鎌・鍋などが供出で あらかた失くなり約1000万人を餓死させた毛沢東、

この計画を思いついた時、膝を手で打って喜んだと言う。

右は その権力者に媚びへつらう康生



PolPot.jpg

    ポルポトことサロット・サル


クメール・ルージュ犠牲者

ポルポトが虐殺した200万人以上の犠牲者の夥しい一例。

プノンペンのツールスレン博物館所蔵



これで、医学校(大学の医学部を含む)で、医学生を教える教授・教官医師が全く居なくなった。その後 国立の医学校を形だけ(数校)再建しても、肝心の教官層が全滅してるため、医師、歯科医師を育てる事が出来ない。それゆえ、まともな医師、歯科医が育たなかった。せいぜい、算術医がはこびるだけだ。ボストンからきたというある欧米人は、『日本から来たお医者さんですか。ぜひ開業して、カンボジアの算術医に ちゃんとした医療を教えてやってください。』といった。

そこで、日本の都会では、医者が多すぎて仕事にあぶれた(または何か問題を起こした?)日本の歯科医、医師たちが、大挙して集まって来たと言う訳だ。ただし、日本の医師なら自動的に医療ができるわけではない。カンボジア人医師の病院・医院に雇われる形が必要だ。自分で開業する事もできるが、たとえ名目でも院長としてカンボジア人医師を雇う必要がある。また、日本の医師免許証は通用しない。日本の医学部を出たという証明書すなわち卒業証が必要だ(東南アジアの国では 医学部の卒業証が医師免許になる。これは医学校は全て公立である英国の医師制度=卒業証が医師免許=を取り入れたことによる。)

そのため、プノンペンの高級住宅地で診療所を経営する日本外科学会認定医の或る日本人医師(45歳)は、そのため日本に帰って医学部の卒業証明書を再発行してもらったと言う。この方の診療所は閑静な住宅にあって落ち着いた診療をしているせいか、患者さんも多いように見受けられた。クメールの看護師さんらに混じって奥さんも手伝っておられた。この診療所はケンクリニックと言ってKhan DaunPenh区のPhsar Thmeiにある。
患者さん(顧客)は、一部富裕層のカンボジア人もいるが、それは例外で ほとんど すべて日本人だけ。カンボジアに進出した日系企業の駐在員などが医院の大事なお得意さんだ。


プノンペンの病院で歯科を併設した形で歯科医として働いている或る日本人の女歯科医(39歳)は、まず 医療相談を申し込もうと電話を架けたところ、女歯科医は こう の賜った。『相談はいらないですわ。治療にだけ来るように』。前歯と前歯の間の小さな隙間から、虫歯菌が侵入して歯の内部層だけを残して食ってしまって、その歯が前と後ろの二層だけに枯れ残ってしまったのだが、このような相談も立派な治療なのに(そして相談という治療費も支払うと思っていたのに・・・と私は訝った。相談では大したお金が取れないからか。後でNyoNyamという日本語のフリーペイパー誌の広告を見てみて妙に納得した・・・International Dental Clinic 日本人歯科医による安心治療 Dr中村恵子 と銘打った 実勢に不釣合いな位 デカイ広告を出していた。

結局、患部はパタヤの歯科で 完治した。うら若い女の先生だったが、前日、事前にチャンとした歯科医療の相談があり、施療後は二年保証がついていた。もう、5年以上(註 2016年現在)、何の問題もない。医療費はハッキリとは覚えていないが(2~3万バーツだったか?多分その中間)、それだけ安かったということだ。しかも、実質的には一回で治療完了、二回目,三回目は経過観察だったと記憶している。あのプノンペンの女歯科医に掛かれば十数回も通院させられ、そのつど再診料と大切な時間を費やされたことだろう。プノンペンでは良い歯科医療を求めるには なかなか難しいので、いっその事、コッコン経由で、パタヤまで来た方が早く安く治せるはずだ。


プノンペンでは医療ビジネスは、殊の外 小さなパイなので、医療を起こすにはイマイチ難しいが・・・
歯科医療だけは忙しいようだ。
日本と同じく、いや日本以上に、一回で出来る(実質一回で終わる)ことを わざわざ十何回にも分けて来さす方法で・・。




元巨人軍CEO清武(きよたけ)英利氏の力作《プライベートバンカー(講談社)》は主力章(または圧巻章)である第7章 太陽がいっぱい で、描かれたように、シンガポールの有力銀行のエリート行員(主犯)が自分の顧客(日本人)の資産を横領するなどの恐るべき《陰謀》を企み、やがて発覚してゆくノンフィクション・サスペンスである。

実際に若きエリート銀行員を主犯(首謀者)として、多くの共謀者が、シンガポールを舞台にマレーシア~タイ~カンボジアを巻き込んだ国際事件であった。被害者は大金を奪われ、果ては恐ろしい陰謀が企てられた。
その第7章で描かれた《狙われた元病院長》とは、何を隠そう 私の事です。

清武氏は2016年3月18日 日本から空路 バンコクの私の家を訪問され、5時間の長きにわたってインタビュされた。次いで翌日 同じグループ(清武氏が主催)の吉松こころ女史が空路到着したあと 3時間~以上 重ねてインタビューし、漏れた部分のチェックをされた。

このように 100万米ドルの横領から始まった この陰謀事件は、その一部が裁判で明らかにされたものの、新聞などのマスコミの取材が不自由なシンガポールの事件として 清武氏などによる緻密な取材によって はじめて描くことが出来たのである。シンガポールは人口500万未満、淡路島位の小さな島で、原則、マスコミは不自由ないしは公開は不完全にして この事件は一部解明されただけで、その多くは 今も尚 藪の中であるが、被害者自らが その藪の中の闇を いろんな猥雑なエピソードを綯い交ぜ(ないまぜ)にしながら 明らかにしていくつもりである。

因みに、太陽がいっぱい と言う第七章のタイトルのネーミングであるが・・・この事件の首謀者(シンガポールのエリート銀行員)が私の百万ドルを横領するに当たって、私のサインに似せて書く練習をしたことが 映画『太陽がいっぱい』の主人公(アランドロン)が殺した富豪のサインを練習すると言う筋書きに似ていることから 私が(インタビューの際)この事件は まさに『太陽がいっぱい』とそっくりだ、と言ったことに因んでいる。



詳しくは 拙著ブログ《百万ドル横領と殺人未遂の陰謀》(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ~以下連載予定)をご覧ください。

タイのバイク(や車の)運転の仕方は時に常軌を逸している。
みんながそうだと言うことは決してないが、ざっと見たところ、
日本で無謀運転が 1 だとすると、タイでは 感覚的に、10倍は軽く行く、のではないか。
このブログは数々の交通事故に遭った著者が、煮え湯を飲まされ苦悩しながら、警官(悪い警官、良い警官)に対する供述に次第に賢くなっていく物語です。

本日より数回に亘って供述法などを掲載します。
1.
警察での供述で全てが決まりますですから、まず 供述法を説明します。
http://blog.livedoor.jp/nnanami_papa/archives/1001062068.html

2.
その他 項を改めて 賠償交渉などを 説明します。

シアヌークビルを10時に出てプノンペンに着いたのは、その日の夕方だった。

私は 彼を某所に案内する為に まず ななみを空港近くの、数え切れないくらい使った事がある有名なスーパーマーケットの二階の、子供の遊び場(閉鎖式遊園室)に連れて行った。そこで 食事も、いろんな物が食べられるので、ななみは数時間は楽しむ遊んでいられる。


私と某は プノンペンの南にあるパークウエイ・スポーツクラブ・・・ななみ や私は そこのスイミングプール=ななみ スポーツクラブ=私 の会員だった・・・を左に見ながら、なおも南に行った先にあるスラム街と思しき古いビルのすぐ近くにやってきた。50mほど南側には細長い大きな公園がある。


某の希望で 私は スラム化したビルの一階にあるプノンペンに唯一残る置き屋(半分朽ちた廃屋状態だが、現に営業している)の道先にて停車した。道から玄関まで約10mの両側は雑多な家や屋台が立て込んでいて、雑踏の通りからは玄関が奇跡的に見えるのだった。我々は車に乗ったままで、入り口の方を見てみると・・・

ドキッとするほど色白でスリムな若い娘が いすに座って玄関一杯に鎮座しているのが見えた。そんな事は滅多にない。普段は中に入ってから一人か二人いる女を見ながら お上さん交渉するのだが。この日は特別な日なのだろう・・・特別売り出し日とでも言おうか。娘は足を斜めに組む生意気な座り方ではなく、キチンと両足をそろえて 正面を向いて正座している。


と、どこからともなく女衒ではなく、娘の親と思しき男性(←顔が似ている)が車にやってきて、開口一番、小さな声で『50ドルです』と言った。無論ショートの値段だが、普通は10~15ドルだからレベルの高さが分かろうと言うものだ。


某は ハチャメチャ すっごく気に入った様子で、身振り手振り 男と熱心に交渉していたが、話が決まったのか、私はそこで某とアジアホテルで〇時に落ち合う約束をして、私は我が子の遊んでいる室内遊園地に向かった。


室内遊園地に ななみを迎いに行くと、ななみ は クメールの子達と一緒になって無我夢中で遊んでいるところだった。声を掛けても中々来ないので 一度大きな声を掛けておいてから ななみを待つことにして、私は他の客たちと同じようにテーブルに座って 2年前この近く(前に空港があり、国道4号線沿いで 病院一つ置いた後ろ側)に住んでいた頃の記憶を思い返していた。殆どの記憶がろくでもない事ばかりで、ロマンスと言える物は勿論の事 心はずむ楽しいことも何もなかった。一方、ななみが通うための日本語幼稚園や2年たったとき(=7歳時)通うべき日本人小学校もなかった。プノンペン補習校はあったが 週末数時間だけ開く学校で一体何が出来ると言うのだ。通常の小学校があってこその 補習校じゃないか。


そんな記憶を苦々しく思い返しているとき、ななみ は やっと傍に来た。私は ななみにご飯を食べたかを確認して、待ち合わせ場所のアジアホテルに向かった。


ホテルで某と落ち合ったのは夕方7時頃だった。

某と一緒に3人で夕食を食べに行こうという事になって、考えあぐねてビアーガーデンに行くことにした。某がそれとなくアバンチュールの見込める場所を望んだので、ビアーガーデンに決めたのだった。


ビアーガーデンでは、オープンプライス約100ドル、値切って実質70ドルの女達がいる。私は2年前日本語フリーペーパーに広告を打ったりして ななみのベビーシッターを探していたことがあり、ここで出会った或る若い女(前記の女達とは異なる)に。ベビーシッターの件で 彼女と外で会ったことがある。すると、家に連れて行かれ親父と会うことになった。親父が言うには『この子はまだ生娘なので、手放すには条件がある』と言って、”借金を肩代わりして欲しい”と言うのだ。私としてはOKの腹積もりで ななみと女と親父と4人でシアヌークビルに旅行したことがある。


ヌークビル港経済特区の南に位置するビクトリービーチに この近くのアパートに住む頭の薄くなった友人(50代の日本人で 教授と言うあだ名を私がつけた人物=非常に理屈っぽい男)を呼んで5人で飲食したり、その夜は親子2人のためにホテルを取ったりして、彼らの話を聞いてあげた。翌日の最後に”教授”が言うには『胡散臭いから止めておけ』と・・・。それで雇うのは御破算になったが、案外それは”教授”の嫉妬心または横恋慕から出た”胡散臭い”アドバイスだったかも知れない・・・そんな四方山話をしながら、我々は食事とビールを楽しんだのだった。


Ⅴ)に続く

 


Ⅰ)

飛行機で来タイのシェパード犬ラムちゃん♪大晦日~正月、チェンマイに遊ぶ♪ 90827


   ↓写真 ラムちゃんはジャーマン・シェパード・ドッグの 6歳のオス。

 

 飼い主のご主人は日本の中堅食品器械(食品に真空パック後、窒素封入包装する機械などの)会社を定年退職してタイの系列の会社に常務取締役として赴任。愛犬ラムちゃんと一緒にバンコク郊外のムバーンの庭園つき二階建て新築一軒家に住んでいます。



              ラムちゃんの飼い主 波谷さん(当時)

                    

              友人の奥さん                               その子供                  

   

     

シェパードが大好きだったドイツ人女史のエーファ・マリア・クレーマーが書いた≪世界の犬種図鑑(古谷沙梨訳)≫によるとジャーマンシェパード犬は・・・(写真の下に続く)。

 

↓一般的なジャーマン・シェパード・ドッグ(世界の犬種図鑑より)

 

その図鑑によると・・ジャーマン・シェパード・ドッグは

  ドイツ名  ドイッチャー・シェーファー・フントといい、1次大戦前にドイツで様々な改良が加えられた末に、完成した名犬。両大戦を通じて、前線において人間に優りるも劣らない活躍をしました。

 


↓ラムちゃんも、実に惚れ惚れするような、素晴らしいジャーマンシェパードですが、これはご主人の訓練の賜物でしょう。

 


良心的なブリーダーの手によって繁殖したシェパード犬は、素晴らしい作業犬、信頼できる家庭犬、惚れ惚れするようなスポーツ犬となり、稀に見る作業意欲と運動意欲を持ちます。

ラムちゃんも、どんな作業でも指示さえ与えれば、難なくこなします。

 

むしろ、飼い主は皆、愛犬のために、愛犬が専念できる仕事や、遊びを見つけて遣らなければなりません。

 

ドイツ・シェパード・ドッグは、アジリティー、オビディエンスのトレーニングなどお茶の子さいさい。もっとシリアスな仕事を与えなければなりません。


 

Ⅱ)

ジャーマン・シェパード・ドッグ ラムちゃん 90201

 ■ラムちゃんと、その飼い主(タイ滞在2年選手)らと一緒に、バンコクからチェンマイ初詣の旅(4泊5日)に出たのだが、この旅の経緯を綴ったブログを立ち上げた所、本体はパッとしなかったのに、その孫ブログのラムちゃんのブログが、あちこちのジャンルで13位から4位まで、昇りました。いや~想定外の人気でした。

 

 

 

 人気者のラムちゃんだったが・・・・

一緒に写ってる 友人の子供(1歳3ヶ月)も、実は笑いをとる天才バカボンだったとは、ビックリ桃の木山椒の木

 

■で、これは犬は犬でも、ジャーマン・シェパード・ドッグの人気によるものでしょう。

ジャーマンシェパードともなれば、軍用犬や警察犬として人気ナンバーワンの作業犬。

忠犬ハチ公じゃないけど、飼い主の意思と命令を最大限に尊重してくれる 人間よりも信頼できる存在なんでしょうか?

 

■ただし、このように大事な犬を一度 飼った以上は、旅に行くにも仕事や出張に行くにも・・・何をするにも常に、行動範囲が制限されることを覚悟しないといけないようです。人間の赤ちゃんと一緒の場合の制限より、はるかに制限が大きい・・・と飼い主の知人は、そう言っておられましたね。

要するにそれ位の制限や飼い主の義務を喜んで我慢できる人だけ、飼う資格があるってことでしょうか?

 

 

                 

               

 

 

篤姫の幼友の帯刀は大酒飲みで20代で糖尿病死、将軍家茂等は脚気死、将軍家の幼子も多くが我侭=真っ白い白飯(B1欠乏)と嫌いな野菜抜き=で夭死(脚気)。『八重の桜』の八重の兄は同じく白飯と米酒の摂り過ぎで糖尿病(ダイアベティス、DM)による網膜症(の疑い)。ちなみに帯刀(たてわき)は、有名な酒豪だったのと、呑みっぷりの良さ、が買われて、薩摩焼酎の銘柄になっていた。

 

次は私の近くでおきた文字通り『犬死!』という犬にとっては気の毒な実例を紹介しよう。

 

当時は友人であった日本の方に、中堅食品機械(エビセンのスナックなど食品の袋に、窒素ガスを封入する機械など)に長年勤めていた方で、退職を機にタイの卸先のタイ人経営の食品機械会社に 常務待遇(10万バーツ、タイでは高給)で招聘された日本人がいた。住宅として立派な一軒家や、乗用車も貸与されていた。その人が日本から赴任する際、人間の3倍もする搭乗料を払って連れてきたペットが、高級ジャーマンシェパードの愛犬ラムちゃんだ。

 

ところが、タイに住む退職日本人が大抵、食料品が超高い日本とぜんぜん違うタイの食料の安さにカルチャーショックを受けて幻惑し、もっと生活費を安く上げようとする傾向がある。そのように、この人もまた、その呪縛から逃れられなかった。

何を隠そう、かく言う私も、來タイした初期の頃はバックパッカー物のTV番組に影響されて 「安いの探そう」的な一種の流行り病(はやりやまい)に感染していた。私の場合『資産があるのに』だ。資産がある分、吝嗇の程度が悪質といえる。

それはともあれ

この方、高級シェパードラムちゃんの餌を、10キロ袋入りの中国製にしていた。中国食品は危険だという国際認識がまだなかったころの話だから、『これは栄養が凄いのに、安い』と、考えても無理はない。日本製でも10キロ入りは当たり前だったので、中国製の同じ10キロ入りを買ったのは、無理からぬ話だ。



その結果はタイにきてから僅か2,3ヶ月でやってきた。B1欠乏症つまり脚気である(ラムちゃんのブログは、ラムちゃん+nnanami2  で検索すると直ぐ出る)。

犬のB1欠乏症は次だ・・犬の脚気の症状はまず後ろの片足か両足に現れる。最初は足の痙攣や痛みがでる。症状を訴えられないない犬は、時々大声で吼える。その後、筋肉が麻痺して普通には、歩けなくなる。つまり引きずるようにしか歩けなくなる。それでも、なおも放置すると、心筋の麻痺にまで進んで・・数日で死亡する。

 

中国製の餌は、安かろう悪かろう、どころか、どうせ犬の餌じゃねえか、毒食で人間を殺したのとは訳が違う。行政の追求などある訳ねえよ、と先読みして作っているせいで、餌の栄養価など全く考えずに作っていると考えられる。製品に印刷された”栄養抜群”などの文句など全くの出鱈目だ。各国や世界を相手に確信をもって堂々と永久に嘘をつく(プロパガンダ政策の)中国の国民だけに、犬の餌の製造会社は毒餌など屁のカッパだ。

 

こんな餌は命にかかわるが、殺された犬は哀れだ。

 

ラムちゃんの話を更にさかのぼろう。

私は、この友人と一緒に、めでたい正月にチェンマイのカウントダウン(普通はカウダウと発音)の大花火大会を真下で見ようと、大きなアフターキャビンの付いたマイカーでラムちゃんを乗せて旅行したことがあった。例の中国製の10キロ入りの袋を積んで・・。旅行中、犬は餌を食べようとしない。私は、肉汁を含んだ缶入りの肉を上げてはどうかと、提案するとこの友人は言った。一度美味いものをあげると畜生の本能で癖になってしまい、今までものを食べなくなる』といった。それでもラムちゃんは中国製を食べないので、数回は缶入り肉を買ってあげていたようだ。

 

しかし、それは旅行中の間だけ。バンコクに帰ってからは、やはり中国製。ラムちゃんに異変が起きだしたのは、旅行から帰って1週間ほどたったときだ。その後しばらくして、ラムちゃんは死んだのだ。

 私は、死んだ時の症状を詳しく聞き、それは間違いなく脚気、ビタミンB1欠乏症ですと、説明した。このことをブログにしてもいいですか、と友人に聞くと、いやそれは不味い、とこの人はいった。

にもかかわらず、ブログにしたのは、中国製の悪質さを 公表することが公共の利益になるからと、考えたからである。中国製の餌を与えた人に問題があったのではなく、「栄養成分100%嘘の」中国製ということに悪質性はある。

 

さて話を江戸時代に戻そう。

精米技術は江戸時代すでに今と殆ど同じくらい進んでいた。つまり、江戸時代の白米は美味かったのだ。江戸時代の贅沢は、おいしい白飯をいっぱい食らうこととだった。ところが精米すればするほどビタミンB1が減る。そこへ酒を飲めば、B1を多量に消費するのでいっそう脚気になりやすい。

一方貧乏人の町人は白飯は高嶺の花ゆえに、あまり食うことが出来なく、まずい雑穀で我慢せざるを得なかった。

 

神様は強欲な豪商たちや、あくどい高級役人やちを懲らしめるため、このような仕掛けで、地獄のような苦痛という罰を与える一方で、貧しい人たちを、長生きとまではいえないまでも、慰めてくれたのかもしれない。

 

すなわち、白飯は、おかず無しで塩をまぶすだけでも美味しいので豪商や上級役人は、おしんこうなどのオカズで腹いっぱい白飯を食べた。また白米で作った日本酒をたくさん飲めることを、お金持ちの特権か天国のように考えて、毎日祝杯をあげていた。その結果は直ぐやってきた、つまり、糖尿病と脚気である。高血圧や痛風も当然だ。

 

脚気なら、足の激痛を起こし、すぐ麻痺して歩けなくなる。最後には心筋が麻痺して心臓麻痺で死ぬ。それはアッというまにやってきた。一方、糖尿病は脚気ほど早くは来ないが、このような生活を続けることで10年くらいで、まず腎臓(毛細血管で出来たろ過システムがソルビトールというブドウ糖の代謝物によって目づまりして腎不全になるか、網膜の同じ毛細血管網に目づまり起こして失明する。こうやって、強欲な豪商や高級役人どもを地獄の苦痛と共に罰したうえで死罪を与えたのだ。

 

一方貧乏人の町人たりは、まずい雑穀しか食えない。ところが雑穀には食物繊維が豊富なため、腸内の体に良い細菌のえさとなる。良い細菌は繊維をえさにしてビタミンB1などの各種ビタミンを作ってくれるので、概して脚気にはならなかった。またまずいので腹八分目しか食えないし、ましてや、高価な日本酒など殆ど飲めない。このような仕掛けで、神様は貧乏人を糖尿病にしなかったのである。

 

NHKがかって放送した『篤姫』のなかで、篤姫の幼友達で帯刀(たてわき)という(最終的に薩摩藩の家老になった)人物がいるが、ドラマの中では善良で真面目な人物に、仕立て上げられている。しかしNHKは真実の姿の大部分を、わざと、隠していた。NHKはインチキといわれるのを防ぐために、ごく僅か病態だけは描いていたのだが。しかして、その実態は、彼はグルメで大酒飲みだったのである。帯刀は、藩政に没頭する真面目な人物とは程遠く、家老の立場を利用して藩の予算で毎日うまい白飯を、塩の効いたおしんこうで、たらふく食らい、朝夕、白米でできた日本酒をあびる様に飲んでいた男なのである。

 

その結果、帯刀は20代後半で既に重症の糖尿病と高血圧と通風にかかり、30歳になる前に、足の壊疽や失明や腎不全、すさまじい下肢の疼痛などで、もがき苦しみながら息絶えたのである。江戸時代に作られた歌♪朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで、身上(しんしょう)潰した♪ という歌は、江戸のお金持ちが日本酒と白飯を、ショッパイおかずで、毎日鱈腹食らったため、糖尿病と脚気と高血圧で身体を潰したと皮肉っているのである。

貧乏人もこのように考える、『貧乏でも、雑穀くらいなら何とか食べられる程度』ならば、大金持ちよりも、まだずっと楽に死ねるという特典があったのではなかろうか。

13/4/19

 恐るべき公正証書・保険契約付き 殺人方式の、殺人鬼のババーの話は有名だ。ご存じ、青酸カリ殺人鬼ババーこと千佐子。

今まで、既に7人の資産家の高齢者が、早い場合は、わずか1日だけ付き合っただけで 遺産を譲る公正証書を書かされて・・青酸カリ毒牙に掛かって殺された。すべて完璧なまでの、公正証書方式。一日だけ付き合っただけで殺された男性は、《 間違いなく あなたと結婚するから 安心のために公正証書を書いてよ 》、と遺産を全部譲るとの公正証書を書かされ、その日の内に殺された。バイクに一緒に乗ってから、致死量の青酸カリをジュースに入れて飲ませ、自分は何らかの口実を設けてバイクから急いで降り、青酸カリが効いてきたころ、男性は悶絶、もがき苦しんで殺された。男性はバイク転倒事故で死んだ、ということになった。

英国で起きたスーパー毒薬・ポロニウム(1グラム1億円)によるロシアン・スパイなみの殺人劇。国家(ロシア)の指示を受けて、国家的作戦として 決行するのと全く違い、最初から 個人的な遺産を狙った 極悪非道の連続殺人。青酸カリで毒殺された上に 資産まで乗っ取られた被害者たちの無念が、この殺人鬼の罪状を暴いたのだろう。


青酸カリは、赤血球のへモグロビンとの結合力が、酸素よりも遥かに強い。かつ、一度くっついたら、離れない。致死量を盛られたら、次第に酸素とくっ付いつく赤血球が少なくなり、次第に 息はしても酸素を取り入れられなくなる。終いには、息は激しくするが、赤血球は 青酸カリに占領されて、酸素は全く取り入れられない。この後、数分して 悶絶死、文字通り もがき苦しんで 死に至る。

バイクを運転中に青酸カリ入りのジュースを飲ませ、女は途中で降りる。その後運転中に急に苦しくなり、もがき苦しみだし、バイクは転倒。このような殺し方は、何度も青酸カリ殺人を手掛けた者にしかできない神業だ。ここ、タイでも、殆ど目にしない殺人鬼ババーの連続殺人。狂った兵士が ストレスで銃を乱射して多数を殺すのとは、訳が違う。鬼気迫る恐ろしい殺戮だ。なぜ こんな魅力も何もない恐ろしい殺人ババーに、老齢の男たちは、いとも簡単に騙されるのか。

昔(15年以前)は こんなに女たちは酷くは なかった。子供の遺棄を始め、子殺し、勝手に子ズレ里帰り離別、などなど。・・ましてや・・高齢者の男を遺産としか見ない殺人鬼の老女は いなかった。歴代の政権が女性の労働力欲しさに、女性を甘やかす政策をとり続け、次第に女性を悪くしたとしか、言いようがない。女性の労働力が欲しいからといって、女性を甘やかすのはどうかと思う。日本も愈々移民政策(現在は移民に消極的)を見直すときか来たようだ。アメリカ、カナダ、欧州、豪州では既に・・(論点から外れるのでこの話はまた稿を変えて・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて一方、ここはタイ。
この恐ろしい殺人鬼に比べたら、単純で直情的とさえ言えるタイの殺人犯。

殺人は頻繁に起こるが、きわめて単純、直情的で原始的だ。恋人が他の男客、または友人客と、イチャついているのを見て、女性の恋人の警察官が、嫉妬のあまり拳銃をぶっ放す、などなど。また、タイでは強姦事件でも、男が 被害者に、局部をなめさせようとすると、逆に これを食いちぎる。日本では今のところ私は聞いたことがない
が、犯人はギャッと悲鳴を上げて退散する。

また、殺されこそ しないが、ここ直情的なタイでは、お金が絡んだ原始的な、または直情的な結婚詐欺は物凄く多い。
ことほど左様に、歳が行ってからのタイや近隣国での退職者生活は、日本人夫婦同士でするのが安全だ。
嫁が居なくて高齢者が一人で行くと・・・
寂しさの余り、どうしても現地妻が欲しくなる。
しかし・・これが殆どの例で酷い目にあっている。

まず第一に言葉の壁が越えられない。これは大きい。

第二に貧富の差がありすぎて(女や女の一家が貧しいので)、金品を盗まれることが多い。

第三に、女と歳の差がありすぎ、かつ女に魅力があると、殆ど、若いタイ人が最低一人は付いているとみなさなくてはならない。これが厄介な種となる(恋人同士でグルになって悪事を働く)。

第四に土地付き住宅を女の名義で買う(外人は土地は絶対に買えない。タイなど東南アジアは皆同じ)と、日本に帰国するなどで、家をちょっと長く留守にした隙に、女に(=女の若いタイ人の男とグルで)家を売られてしまう。そういうことが半端でなく数多く起こる。

要するに、外国人の自分は、全然 風采の上がらない高齢の年寄り。たとえば・・顔が不細工で皺だらけ、体も関節が弱くなってヨボヨボ、体中の皮膚は委縮して皺だらけで、頭の毛はゴッソリ抜け落ちてモジャモジャで、前歯は抜け落ち・・。
そのうえ、言葉も殆ど通じず、面白くもな何とも無い。単に定年退職で貰った小金を一寸持ってるだけの老人。

ならば、若いタイ女が、少しでも魅力的であれば、そんな ミミッチい不細工な高齢者を本気で好きになるわけが無い!!単に、(少額の)お金が目的になってしまう。必然的に!これは真理だ。

そういうことだ。ただし、女が若くなく子持ちで、離婚歴=タイの場合は事実婚が多数を占めるので子供が数人居るのに戸籍(タビアンバーンという)の上では独身になっていることが多い=も、あるとかなら・・マア上手くいくかも。また もし女が男の国の言葉(たとえば日本語とか或いは双方とも英語)を話せるとかならば、うまく行くだろうが・・。
ただし、タイでは英語を話せるのは、大学出(ごく少なく、非常なエリート意識がある)くらいしか居ないし、日本語とも なると きわめて難しいので、もっと稀だ。成功例は滅多に無い。(滅多にないが、男性が東京で自動車販売店を数店やっていた高橋さん等の例はある。高橋さんは大学出で、同じく大学出のタイ人女性(チェンマイ大学)と結婚したが、極めて稀なケースだ。この例であげた女性は、日本に10年間、高橋さんと一緒に滞在して、日本語が通訳並みに上手くなった。)

ならば、普通の老人は、若い女との妻帯は諦めよう。
それでも、寂しさをストップして、なんとかタイで日本人夫婦のような幸せ感を得る方法はあるのか?
まあ、擬似的でよければ、満足感は十分ではないにせよ、以下の方法がある。

・・・まずメバーン(女中さん、お手伝いさん)を、通いか、住み込みで雇う。ただし現在時点のタイでは、住込みのお手伝いさんは安くはない上に、そう簡単ではない。
ただしメバーン専用の小部屋を与え、一緒には決して住まない。彼女が如何にもメバーン風の風体(=パットしない)であっても、女はだれでも自然と自分は『イー女』だと思うものなので、妻と同じような権利意識が生じたり横柄になるからだ。従って、セックスなど、もっとまずい。

では女を抱きたいときは?、
マッサージパーラー(タイ語ではアップ オップ ヌワットという)に通って擬似恋愛するしかない。2000バーツから2500バーツ、最上級で5000バーツどまり。日本よりは遥かに安い。
でも、そんな金は そうそうは出せない、という貧乏居士の方なら・・・

置屋に行くしかないだろう。こちらのほうは、僅か250バーツか350バーツくらいで済むそうだ※ただし、それだけのモノだろう。※これは 日本語の最低級の低俗雑誌=〇〇〇で、以前 何回か立ち読みしたことがある。余りにも低俗紙ゆえ紀伊国屋には置いてない。東京堂書店、泰文堂、セブンなどにある。この紙名を〇〇〇と(名前を)伏せた理由は、単に名前を忘れたからであり、決して発行元に配慮した訳ではない。

その記事には『マハチャイ(バンコクの戦勝記念塔付近にミニバス乗り場がある。40分で行ける)で、港町のマリーさんに逢った』と言う題で、置屋には珍しく良い女だった、と若いこの月刊誌に雇われた突撃ライターが 女の顔写真入りで書いておった。置屋は部屋が汚く狭く、風呂やマッサージの場所など無いことから、まさにアレだけする所と認定されるから違法となり、今は警察の手入れによって滅多に無い。しかし、マハチャイ以外にも外国人の行かない大き目の町に行けば、警察のお目こぼしで、結構あるはずだ。

むろんパーラーも置屋は、いずれも後腐れはゼロだ。

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この辺で、若いタイ女と所帯を持った男の例を話そう・・・
ナコンサワンに長年すむ日本人の紹介で(紹介料を払って)女と一緒になり、家を建てようと思った。価格の半分の150万円相当を先払いして、宅地付きの家を建てていたが、半分ほど建った時点で、一緒に住んでた女が残り150万円相当を持ち逃げした。しかも、男性は、くそ丁寧にも日本とタイの両方で 婚籍を入れていため、日本のは抜けたが、タイの婚籍の方は女本人が居ないとして、10年たった今でも籍が入ったままだという。
一度、逃げた女に 何とか会えたとき、籍を抜いてくれと頼むと、30万バーツだせば応じるといわれたので、止む得ず今も、そのままにしているそうだ。



筆者註

この方は  ヘビー・スモーカーで、一日に最低2箱は吸っていた。それも 安価だが 非常に強烈なタバコを・・。私がジミーさん そんなに吸うと 命をチジメルよ、と暗に注意すると、「いや、大丈夫です。タバコは普通は 癌などの危険があると、警告されているけれど、それは飽くまで 一般論。私の場合、20年以上吸っているが、このとおり、元気で、ぴんぴんして いますよ、ハハハッ」と笑っておりました。でも、私には様々な老化の兆候が、と言うより、まさに著しい、かつ 多数の老化の証拠が 目の前に鎮座していました(=老化が現らわになっていた)。そして・・・。

昨年 突然、ジミーさんは、お亡くなりになられた。突然と言うのは 私らには 突然に見えただけで、本人は数ヶ月間、悶えて 苦しんだあげく、お亡くなりになったのでしょう。享年62歳。お悔やみ申し上げます。




だれでも自分だけはソウならない、と思っているものだが、実際には殆どの(上記のような属性の)高齢者の所帯例は、数年で頓挫しているはずだ。ただし、世の中には例外という奴がいつもある・・・高齢でも、格好の良いハンサム、もしくはダンディな方なら、上手くいくことは勿論である。この格好の良さの程度というのが、あくまでも『若い女性の格好の良さとの比較に於いて』、である。たとえ、72歳でも(チェンマイのコンドウ103に住んでいた友人で関根さんという方がそうだった)背が高くスリムで、都会的な顔つきでダンディ、またはハンサム というのであれば、若い男と十分張り合っていける。一方、大枚を使って若い良い女と所帯を持って早々と騙された方々の場合、どんな人たちだっただろうか?・・・・たとえば、頭は毛が薄いうえモジャモジャで、前歯は抜け落ち頬がコケて貧相で、実年齢より相当老けて見えるなど、何処からどう見ても、何時棺桶に入ってもオカシクないモウロク爺さん、そんな方々が多かった。

また、結婚相談所も、食わせ物が殆どだ思っていた方がよい。私の、今は別れた元嫁から実際に聞いた話だが、その元嫁の友人(若い女)は、日本人が作った結婚相談所で、『ヤラセのお見合い女』として勤めていた。カップル一組誕生で100万バーツかかるというのに、僅か3ヶ月かそこらで、女の方から別れ話をでっち上げ、もとの古巣に戻っては、何食わぬ顔で、同じ事を繰り返すのだそうだ。お金は会社と折半なので、すっごく儲かるから あなたも働きなさいと、私と会う前の元嫁に薦めたことがある。何処から、どう見ても、高齢者で、見た目も悪く、ダンディな魅力もないのにもかかわらず、それでも尚、数百万バーツ程度のハシタ金で若くて魅力的な女の心を買おうと思っても、それは無理ってこと。これは明らかに真理だ。

まあ、こう言う次第ですから、あなたも、正規の方法は諦めて、上記の、《メバーン雇用+ワカピチ擬似恋愛 》で満足するんですな。


タイに住んで30年という人に聞くと、20年以上まえなら、いくらでも15,6のピチピチした若いメバーン(お手伝いさん)が、まさにフィッシングの時の入れ食いの様に、家の前の路上で、ボンボン雇えたそうだが・・・・
豊かになった今では、特にバンコクでは、滅多に来てくれないご時勢、それも最低級のが。

お手伝いさんは、タイでも(都会では特に)下賤(げせん)な恥ずかしい仕事だと見なされているからだ。
しかも、昔のように8千バーツやソコイラでは全く無理だ。最低15000バーツ以上はかかる。えっ?それはオカシイね。企業なら中卒は6~7千バーツ、高卒なら10000バーツも出せば或る程度良いのが雇えるのに・・という方は、『ちゃんとした会社が雇用する従業員と、何の保証もない個人の家で、性的ハラストメントさえ受ける恐れのある お手伝いさん とでは、事情が全く異なる』ってことを忘れている。

また、たとえメバーンを15000バーツ以上も出して雇っても、まず、数回は、ロクなのしか来ない(中学佼さえ行っていない、どこの会社でも使ってくれないジャンク人材など)、と思っておいた方がよい。5回雇っても4回までは、使い物にならない人間のクズが来ると思っておこう。たとえば、こちらのお願いした簡単な仕事でも、相手の小学生なみの頭では理解できず、『どうして良いのか分からなくなり、パニックに』なって、ぱっと辞めてしまう(支度金でも最初に出していよう物なら、2,3日たった朝、突然、黙って辞めてしまう、っていう例が五万とあるらしい(現に、私の家でも、まったく、そうだった。お手伝いさんを募集しても、兎に角あまりにもヒデー女が多すぎた。『安かろう悪かろう』とは、東南アジアの人材のことを言うのかも


初期登録 2014/04/27

 
    


上記の全集は コンテンツ内の各表題(タイトル)をクリックしても無効です。申し訳ございませんが、ご面倒でも 
                         
                                   表題+nnanami2  (表題名、nnanami2  で検索)

を ヤフー検索、グーグル検索などで 再検索してください。(の理由=タイトルの番地が 引越し前の産経ブログ のままなので)

               問題の説明箇所に 『ケシの花、ケシ坊主の鑑別方法』 収載





年末30日から正月3日までバンコクからチェンマイ4泊5日の4輪駆動の旅の或る日のこと・・・・

 

チェンマイのドイステープ山の山頂近くのドイステープ寺院に初詣したあと、更に山頂目指して我々は4輪駆動車を進めた。

 

非常に険しい山間の細い非舗装道路を縫い縫い、到着したのは山岳民族モン族の、とある村だった。チェンマイの北西150キロ離れたメーホーソンのロングネック・カレン族や60キロ離れたリソ族の村では、村を公開して何ぼの生計を立てていたが、ここでも同様に、旅行者のタイ人や外国人に生活を見せることで、生計を立てているようだ。

↓モン族の村へ行く途中で見えたチェンマイ市内の全景

 

↓山岳民族村の特産物の市場

 

↓雑貨を買った後で、ツーショットをちょっとお願いしました。モン族は日本人に似ているようだ。


写真の男性は、タイの日系企業の社長として招聘され バンコク近郊の住宅に単身赴任した波谷(はだに)さん(2009年現在)。


さてミュージアムとやらでも、見てみようかな。

 

写真の女性は 2011年ごろ別れた私の妻(チェンマイ人)で、おんぶしているのは今も筆者と一緒に暮らす ななみ(タイ日本協会学校に在学中 2016年現在)

 

↓そのあと裏の小高い丘に登って景色を撮っていた時のことだ。

更にその裏に何があるのか、我々は、それを知りたくてどんどん奥へと急坂を上っていった。

 

 

↓おやこれは何?

↑ opium poppy!そう、ケシの花だ。



なんと隠微で、美しい花だろうか。茶めっけでちょいと傷を付けてみたら・・・・オーッ、乳白色の液が!・・・当たりを見計らって舐めてみるってーと・・・



ここの村の住人が、昔からの阿片を吸う因習をしめやかに続ける為、密かに栽培しているのか?

さて、それは分からないが、多分・・・

 


ケシ坊主、ケシの花の鑑別法

http://www.magarisugi.net/psychedeilcs/post-1353/




注意:

また、このような現地で吸引を薦められても絶対に加わってはいけません。報奨金目当てに密告され、現地警察に逮捕されます

 


民族衣装の若い女の運び屋に注意:

ある日本人(タイ人を含む)のグループが乗用車で、チェンダオの西50キロにあるリソ族の村の、直ぐそばを通っている県道を走っていた所、リソ族の民族衣装を着た若い二人の女性が、車を呼びとめ、チェンダオまで乗せていって欲しいと懇願してきた。グループ内のタイ人が、気の毒だから乗
せて行ってあげようというので、乗せる事にしたが・・・、途中で薬物運び人(が、警察から安全な日本人の車を利用する魂胆)かもしれないと気が付き、日本人の一人が安全の為カバンの中身を見せて欲しいと言った。が、彼女等は、何だかだと弁解をして見せることに応じなかった。そのため日本人は、車は山の中だったが、二人に毅然とした態度で車を降りてもらったと言う。正解です。
 

 

もっと見たい方は⇒blog
(申し訳ございません。このブログはすべてイザブログからの引っ越しなので、特記した通り、これは無効です。検索エンジンでnnanami2 か または nnanami_papa で検索してみてください)

 

 

http://nnanami2.iza.ne.jp/

/entry/872848/

ケシの花のツボミや茎や種を採取して所持すると、タイ及び日本で、麻薬所持は大麻や覚せい剤よりも重いので、厳罰(実刑)に処せられます。 

 ライブドア の 『読者、ブロガー』は以前は存在した産経ブログと 質が全然違うことに、最近気が付いた。こっちは一般的(ニュートラル)、産経ブログのときは マニアックであったような気がしてならない。

言葉を変えて言うなら、こちらは 大人しい人たちで その中には流行を追うようなミーハーもいる、一方あちらはマニアックな狂信家(愛国者)が多かったような気がする。

もちろん、全部がそうだと言うのではない。ライブドアにもマニアックな人もいるし、産経ブログには大人しい人たちやミーハーも沢山いた。
飽くまでも 大雑把な傾向を言っている。っていうか、根幹の人たち(中心層)の 考え方の傾向だ。

鶏頭牛尾・・そう、小さくても頭になってチョコマカ暴れ回るのが好きか、あるいは、牛のような巨大な組織で、安定した組織になる方が 好きか、の違い。

私も、衣が変わった以上、中身の本尊も 思想転換を図るべきだとは思うが・・・
ミーハーが多い読者層には とても付いていけない性分だから・・・残念ながら 転換したくても
できないような気がするのだ。

           より続く

日は とっぷりと暮れていた。我々二人はコッコンから東北東に伸びている国道48号線に入った。

舗装されているが低品質の舗装で、相変わらず 至る所 凸凹になっている。この道路は ”イワク付き?”の道路で、きっかり1年間に、完全にボロボロに破壊されるように  ワザと と言うか、敢えてというか、超低品質に作られた謎の道路だ。

『なぜか?』 
私は考えた・・毎年国連の(特に日本の)インフラ支援を受けるためのフンセンの悪知恵だと(その、余りにも低品質なのに我慢が出来ず 腹立ち紛れに) そう私は考えたのだ。走っている間中、大きな穴に気をつけて走らないと車が大きく凹む恐れがあるだけでなく、始終 低品質の道路の凸凹を拾って、車が間断なく煩(うるさ)いのだ。ガガガッ、ガタガタガタッ・・・。

他の幹線道路(たとえば4号線)と違って 道路を走る車の数は1桁も2桁も少ないレベルなのに カーブや上り下りが多いと言う理由だけで、これほどにも、道路が傷むのは どう考えても変だ。深さ30センチくらいの穴ぼこが、あちらこちらに開いており、1年たったら 100mも200mも完全スルーのズル剥けになってしまう所が 至る所に 見られるようになる。丁度その頃 道路が再び舗装(改修)される段取りになっている。私はタイに移住するまでは北海道に別荘があったので(スキー、スノーモービルなどウインタースポーツに)始終通っていて 良く知っている。極寒の道路はもろく、また温度変化による伸縮のため、ことのほか傷みやすいが、そうならないように作ってある。だから、年中常夏で温度差がないのに1年足らずでこれ程も痛むというのは聞いたことがない。フンセンは 極寒でも伸縮に耐える舗装道路があることを知らずに、この金のなる木を見つけたつもりで居たのだろうか。

他の道路より低予算で作る必要があると言っても、毎年道路を再舗装(改修)する方が 逆に はるかに高いものにつくのだから、この低品質は合点が行かない。重量の重いトラックが通るから、と言う理由も、怪しげな理由だ。重量が重いトラックなど殆ど通っていない。ここは山の中の道路みたいなもので、無論 一つ二つは工事現場が散見されるが、それを言うなら、幹線4号線の方が はるかに工事現場が多い。また48号線に入るためには 接続道路である4号線を通る必要があるので、そっちの道が壊れていないのに こっちだけが壊れると言うのも合点が行かない

このように、この噂一つを例にとっても フンセンが違法蓄財に精を出していると 国民の目にそう映っているのだ。このフンセン、最近カンボジアで開かれた国際会議で、議長国カンボジアの特権で 出席国のすべての意見に絶対反対の立場を貫き、議題を仲裁裁判所の判決に触れさせなかったばかりか、判決を大いに批判した。それもそのはずフンセンの祖父母は中国が祖国なのだ。この中国に味方するフンセンの活躍でボーナスとして、彼は中国より6億ドルもの援助を得た。この内のかなりの部分が確実にフンセン一族の懐に入る。こんな低俗で小汚い首相が支配している国に 日本国や日本人の有志は、カンボジア復興に多大な援助をしてきたのだ。馬鹿馬鹿しい限りである。

我々の車は約2時間余りで 4号線に合流した。1級道路だが片側1車線のため 追い越しは大変だが、先ほどの48号と違って非常に快適だ。この道は日本の援助で出来た道だから、そう思えばいっそう快適に感じる。その当時 このフンセンの嫌なニュースは未だ存在しなかったのだから・・。

小1時間余り走ると、やがて 小高い峠に差しかかり、車はまるで斜めに たなびく雲の上を走っているような感覚に襲われた。ちょうど長い雲の頂上についたかと思われたとき、下り坂の はるか向こうに 広大な海が見えた。シアヌークビルの町だ。4号線のどん詰まりにある港は最深度岸壁と言って大きな船が留まれる。去年この近くのホテルに連泊していたら、窓から日本の海上自衛艦が2週間ばかり停泊しているのが見えた。

シアヌークビル、またはシハヌークビルは コンポンソムとも言われ、前国王シハヌークの名前に由来する。ビルはville、つまり シアヌークビルは シハヌーク前国王の別荘がある村と言う意味だ。

我々は 最初にセレンディピティービーチのメルクマールのホテルでありうるダイアモンド・オーシャン・リゾートの前の大通りを通って、海に面したバンガロウに宿舎を確保した。このダイアモンドリゾートは1年前に一度泊まったことがある。そのときは友人のNKと彼の若い友人のために やや大き目の部屋をとったが、彼らはすでに友人と安宿を確保してあったので、その部屋はキャンセルして別の小さな部屋に変えてもらったことがある。彼らは 彼がカンボジアに来て何かを手に入れ、そしてここでそれを楽しむ為に敢えて別の安宿を取ったのだなと思った。

私たちは今回、海のすぐ傍の部屋を、某は その近くの部屋をとった。我々は まず腹ごしらえをするために、セレンディピティービーチのビーチ沿いに並んだレストランの一つで、波打ち際の一番前の席に座って 名物の海鮮焼き と ジョッキを頼んだ。料理もビールも格安だったが 合い変わらず 美味かったし、また 腹も一杯になった。海は美しく澄んでいた。時折大きな波が打ち寄せては 砂浜をかき乱している。

某はビーチ沿いの看板で ドルフィンと銘打った立ち飲みの店に入り、そこに 大勢がたむろしているストリート・ガールを物色するつもりだろうか、そこで私と別れた。私はバンガロウに帰って、ななみと一緒に部屋でくつろいだ。そう、私は今回の某と一緒の旅に ななみを連れてきていたのだ。そのことをすっかり忘れていた。ななみはタイ人でもあるので、タイのパスポートを使うことが出来て簡単に入国できるので、ななみの存在をうっかり放念してしまったが、ななみ の存在によって彼は私に何もすることが出来なかったのだ。

翌朝 起きてみると某は清清しい表情をして、私とななみに挨拶をした。『お早うございます』私とななみも同じ挨拶を返した。私は某に、プノンペンにはやはり行きますか? と聞いた。彼は『もちろん ですとも。』と答えた。特に私は盗人稼業の若者がたむろするプノンペンには用事はなかったが、約束だったので 一緒に行くことにした。


次に続く

(改正部分は 最後尾に)

初めて 生まれた 私の子供(娘)は 未だ 8歳です。だから 彼女が自分の意志だけで 物事が懸命に 決められる人に成長するまでは 健康に生きていないといけません。
そうです、それまで 絶対に死ねないのです。もし今癌とか事故死とかで、死んだらと思うと・・・。

タイ人の母親と,狡からいオランダ人の新しい夫がいます。kosukaraさ はオランダ人のistibu(私は大方のオランダ人だと思う)の人の性格として有名です。陸地の半分が海より下という 何世紀も続いた事情が そうさせたんでしょう)。この夫は オランダ人以外のほかに、もっと〇賢いアイスランド人の 血も引いている。人口30万の火山国アイスランドは数年前 国の首相が国家の破産宣告をしたところ。で、全企業、全国営企業が都合よくデフォルトしましたね。私は この国の州立銀行債権を持っていまして、この国の破産で、債券が 全部紙切れ になりました。そう、夫は アイスランドとオランダの クォーターです。この 二拍子揃った夫が わたしが死んだら 財産を引き継いだ ななみ を引き取りに 飛んで来るでしょう、笑。

しかし、すでに オフショアの国に置いてある私の会社の定款の遺言書(My Will)には そのことを予期して あらかじめ手を打っています。彼らは まだ 本当の 私のポートフォリオは 知りません(母親のチャンヤーを両親に預けて 私が尋常性乾癬の自然食材の特効薬をカンボジアで探している間に、次の夫に言い寄られ、新しい子までお腹に もうけてていたのだから。それなのに、チェンマイから遠路はるばる何がしかの生活費を貰いに来ていた、笑。これは正に夫の差し金です。

私は 実は 夜間睡眠時無呼吸症です。私は これで随分と苦しんできました。この疾患で 例えばバス運転手が走行中に突然意識を無くして、大事故が起こす などの 恐ろしい事故も散見されています。(しかし、無呼吸症は 大方は悪い症状だが・・決して全部が全部 悪いことばかり ではない。例えば・・1分毎の無呼吸に耐えている間に、肺や赤血球が鞭うたれて より良い方向に適応、すなわち ミトコンドリアが増える、などの良い適応も一部の人に見られる。

実はタイの国策病院(病気の外国人を国策として呼び込む)の一つ、バムルンラード病院で、CーPAP(夜間睡眠時無呼吸の無呼吸をおきなくする器械)を 1日間の検査入院(2万バーツ)をやって、翌朝 晴れて 病院で買いました。しかし、タイの国策病院は所詮は株式会社です。儲けることは 200%がめついけど、病気を治す熱意は 各先生の都合で、 患者の体質を考えない いい加減さに陥りやすい。私の主治医は 機械の説明にも 機器の1人1人にあった設定にも、一回も立ち会わず、『ただの おっさん(医療機械屋)』 が 器械を持って病院に やってきて、合計20分程度の間 立ち会って器械を設定しただけ(それも一律に同じ設定、これでは 膨大な検査資料も ただ紙屑 )で、これでOKですとの賜った。

おかげで、自宅で器械をつけて寝た翌朝、恐ろしい悪夢で 目が覚めた。血圧を測ったら215にまで上がっていました。これが何日も続いたので 看護婦に言って病院に機械屋を呼び出し、その所在地を教えさ せ その店に文句を言いに行きました。すると中国人の女社長が出てきて、開口一番言ったのは、『あなた は どうして この店の所在地を知ったのか?』でした。文句を付けられるのが怖いので、誰にも教えていないことが よく分かります。

菊池君という友人の友人は国策病院で日本人患者にタイ語通訳をやっているが、この人が言うには 患者の6割方は、同器械が全然合わず クレームになるそうです。これは後で知った話でした。

私は、この女社長に 『お宅は このC-PAPで 私を殺す気か。これを付けて寝たら 悪夢で目が覚め そのとき測った血圧が215だ。これが その時の数値だ(血圧計を見せて)。 お宅は この器械を10万バーツで買わせた挙句、私を殺す気か!』と叫んだ。(検査費用2万バーツ+器械代7.5万バーツ・・・保険で買う場合は器械15万バーツ)

それで、器械を替えてもらったが 結局 それでも 同じだった。タイの国策病院と言うやつは 建物だけを立派にして、金儲け主義だけが 抜きんでている。C-PAPは その最たる例だ。それで 主治医はクレームの矢表に立たされないように、業者任せに しているのです。

それで、私は この器械を もう一切に使わないことにして、顔を下にして寝るか、右横を向いて寝るとを決意した。そうすると 舌根が喉を塞がない。これをやると 胸のあたりが苦しくて、肋骨などが痛むが・・もう これしか方法はない。このようにして、何とか 無呼吸が できるだけ起こさないよう努力している。

それで血圧は 今では 無呼吸が起きなかったら 135か140ですが、目が覚める直前に無呼吸が起こったときは(というか、無呼吸が起こって直ぐ 目が覚めたときは)170です。そして、深呼吸などしてから 10分後には 何とか 140くらいに下がります。以前は、無呼吸が始まっても 「長時間 目が覚めず、長らく無呼吸の時間が続い」たため、起きたときは 超高血圧で、その上、1日中 その (超)高血圧が下がらずに 夕方まで続いていました。

しかし、今は こんな次第で私は(通常は)元気です。
 
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読者の皆さんに、一つ良いことを教えましょう。

今世紀 最大の革命的新発見の一つは 腸内フローラについての 新しい役割の発見です。すなわち
腸内細菌叢に良い餌を提供し、増えたフローラ大切に育てると・・・最終的に 免疫システムが強化され、性格も活発かつ豊かになり、頭の働きも活発化でき、果ては 皺を無くしたりと、 素晴らしい健康と美容法が 手に入るのです。

それには 腸内フローラに優れた食物繊維をたくさん提供してあげること、そして 増えたフローラを大切に維し持してあげる(支援)こと です。、このように 腸内フローラは 第6の臓器と言われるほど 両生類、爬虫類、鳥類、そして人間などの哺乳類に至るまで 非常に大切な役目を果たしている。優れたフローラをもつ人の大便の重量の 約40%は 腸内フローラの死骸です。それほど腸内フローラは大規模で 大所帯なのです。
 
優れた腸内フローラ(←人間の)には 800から900種の腸内細菌が、合計100ないしは120兆個も住んでいます。だから 市販の”優れた働きの腸内細菌を増やす〇〇ヨーグルト” とか、納豆菌などの 個別の商品を気にする必要は 殆ど ありません。ヨーグルト菌も納豆菌も すべて 優れた人の腸内の800ないし900種類の腸内細菌の一部に過ぎません。

良い食物繊維には なにかある?
 
小麦のブランが一番 高濃度に含まれています(約40%も!)ブランとはコメの ぬか みたいな もので、小麦の固い果皮を削り取ったものです。これを食べやすい商品にしたものに ケロッグの All bran (食物繊維 28%)があります。その他 Oatsミール食品(オートミールと日本では言われる。同じく繊維は10%程度)スイスFibre(同 14%)など。

白く美味しいコメは、繊維が0.1から0.5%しか含まれていず、 ものすごく少ない。まるで話になりません。江戸時代は豪商などが うまい米と日本酒を好み、多くの方が 糖尿病などで 若死にしました。しかし、精米する前の玄米だけは 繊維を3%含むので ”腸内フローラ初心者”には食べる上での我慢もできて長続きできるので良いでしょう。
Soy
 
昔 池田隼人(元)首相が 貧乏人は麦を食え と言って物議をかもしましたが、これは今では 死語どころか 米よりも数倍高いので 貧乏人は米を食うしか ありません、笑。なぜなら、麦は繊維が 12%も含まれていて、高価な 健康食品になっているからです。

ちなみに 私は 小麦1カップ 赤米1カップ、黒米1カップ (時々は豆類も)をミックスしたものを 炊飯して 炊きます。赤米、黒米とも、玄米より食物繊維は多く、赤と黒色のポリフェノール(赤ワインのポリフェノールの一種)が 含まれています。まずいのは そのうち 慣れます(とても食えた物じゃない という人も。)今では あれや これや で 自分が 出来るだけ(可及的)長命になるよう、そして癌死しないように努めています。何しろ癌死は 高齢者の二人に一人ですからね。

あと、大切な グッズ は 腹巻です。これで、腸内のフローラを大切に保温します。甘酒を作るとき カメを保温するのと同じ原理です。こちら、タイの店 にはありませんが、60バーツショップ(ダイソーなど日系の店)で見つかります。ななみ は これを何時も付けています。

まだ8歳の ななみ にも分かった腸内フローラ。 腸内細菌の お花畑を大切に!        


これは、大分前に書いた記事です。現在、私は小麦ではなく、大麦(白麦、米粒麦、丸麦など)1カップに、大豆蛋白(Texturd Soy Protein   食物繊維20%)1カップを フード・プロセッサーで軽く粉砕してから、圧力釜で、やや、お粥ぎみに 炊きます(こうすれば、美味しく食べられる)。

あとは、食物繊維8g入り(Tipucoの特製,コップ1パイ200ml )または8,8g(Cereal ドリンク 特製、同左)のジュースを飲み、、
なおかつ目標量(自分の目標=水溶性15gと不溶性25g以上~)に足りないときは、CHIA SEED=チア・シード=食物繊維35% 添付スプーン2杯=20gを ジュースに入れて飲みます。

また、軽食用にライ麦パン(同5%)をトーストして これを焼いた板海苔(同30%)で包んで食べたり、

イタリアの同8%入りのスパゲッッティにフランスCasino製のパスタソース同6%入りを掛けて食べたり、

ライ麦粉(同14%)と大豆蛋白(前記のもの)と卵と挽肉とキャベツで お好み焼きを作って・・・・・・冷や汗がポタ、ポタ・・(笑っちゃう、誰が ここまでヤルカっ、つーの)

しかし、それだけに すっごい効果あり!!私のダイアベティスが直ってしまった。

日本人の主食の米、または玄米はどうしたかって?
  白米は私が罹っていた糖尿病の元凶、すなわち主犯だ。私にとって 静かな殺し屋(糖尿病の別の名前)以外の何者でもない・・・他のブログで、記事を改めて書いているので参考に!

 私は上で、気軽に ”糖尿病が根治した” と言ってるが、これは まぁ言って見れば 奇跡に近いことですよ。二十年以上前から続いた それも重いタイプの DM(糖尿病のこと)だったから、なおさらです。これが世界(世間)に広まれば、世界支配層の一員たる製薬会社や医療機関は 糖尿病治療の 甘い汁を 吸えなくなってしまうだろうね。


私は 医者は医者でも 引退した医者だから、それは平気だ。いままで病院経営で(並大抵の努力じゃなかった)儲けさせてくれたから、むしろ 恩返しのつもりで 言っている。DM系の医療機関が マンマを食えなくなってしまうが 国民のためには その方が良い。最後の方でその方法を教えますから、皆さん DM(糖尿病)の方に 教えてあげて 下さい、後で きっと感謝されるでしょう(私と同じ方法で 糖尿病が治ってしまと 感謝の心も消えてしまうものですが それはそれで良いでしょう)ただし、これは Ⅱ型DMのことです。I型は 効くか効かないか、やって見ないと 今は分からない。従って 1型DMのメイ首相は、治るか治らぬか それは分からない。


普通のオジサンは、またはオッサンは

人前で レストランで食事中 何か”厳かな気持ちで”または”奇をてらう気持ちで”インシュリン注射をしたり、あるいは 何種類もの薬を飲み続けて いるが・・


物凄く多い薬の一つに 糖の消化酵素が分泌されるのを 抑制する薬がある。 たとえば独のバイエル製薬の、グルコバイ(糖=グルコース に バイエル製薬 を掛けた名前)など。これらは 一生、食事のたびに 飲み続けなければならない。大変な副作用もある、尋常ならざる オナラとか。


それも、けっして、根治とは関係ない・・単なる対症療法にすぎないので。それで 製薬会社や医者が、患者が死ぬまで 儲かるという話になる。


しかも、糖は どうしても やはり 糖の代謝物であるソルビットとなって あらゆる組織に沈着してゆく。 年々 神経鞘や目の網膜や腎臓の糸球体にソルビットが沈着して行くので、神経障害(足の神経が酷く疼く など)、失明 、腎不全などに ゆっくりとだが確実に悪化して行く。


さて、さて・・

私は 身分職業は医者だが 医者の癖に、自分の体には 昔から わりと無頓着だった(外科系が専門)。それだけ、体には自信があったってことだが・・。
昔から 美味しい米飯が大好きで、小さいころは さばの煮付けや卵かけご飯で 何杯もおかわりした(最高5杯くらい、笑)。白米は確かに美味しい。それだけでも美味しく食べられるくらいだ。

しかし、そのツケは45歳から50歳になってハッキリと回ってきた。それは 日本酒を飲むことで いっそう倍加した。日本の厚生省(当時)は、お米や日本酒の害など なにも言わない、今も。言ったら農民票が そっぽを向くからだが・・。
今では 寿司や日本酒が健康日本の特産品で、特にお寿司などが 海外では 健康日本の代表的な料理として、まるで引っ張りだこになっている と言うのが 私には非常に悪質な冗談にしか見えない。米を食えば(半分の人が)DMになると分かっていて(厚生労働省や広報機関たるNHKなどが)言わないのは 未必の故意、犯罪と一緒だ。私に言わせりゃ 寿司と日本酒は 糖尿病の元凶だ。

国民が 美味いお米の所為で (約半分の)人が病気になり、どんどん悪化して、最後は スローキラー(ゆっくり遣ってくる殺し屋、ゆっくりと絞め殺す殺し屋)に 殺されてゆくのだ。農業がどうのこうという話ではない。農業は 別なものを作れば良いだけのことだ。


むかしNHKでやった篤姫、その若き篤姫の将棋友達だった薩摩藩の家老は、何ていったっけ、名前は忘れたが、この人など 弱冠29歳のという若さで 重症の糖尿病まで悪化して、足の動脈が詰まって足を切断したものの お亡くなりになった。これは白米と日本酒が原因だった(この経緯はNHKでは農業に害があるとして、敢えて全く放映されていない。お米離れを促すので・・)。しかし、かれの名だけは 今も 有名な お酒の名前(ブランド)になって生きているが・・。

そして・・・私は
糖の代謝物ソルビットが一番長い足の神経の鞘にこびり付くことで、ビリビリと過敏になり(漏電と同じ)、ついには神経障害を。幸いにして目の網膜と、腎臓には未だ障害は来て居なかったが。

これでは遺憾と、本気に糖尿病対策を考え始めたのは、引退してタイに来て子供を作って2,3年くらいたってから。随分と遅い出発だった。医者の不用心とは よく言ったものだ。そして、離婚を経て 子供が小学校に上がるようになると、この子と自分の年齢を比べてすくなくとも、二十歳になるまで健康に生きていなくてはいけない、と計算し、糖尿病やその他、様々な病気を直さないと分かり 今のままでは絶対にアウトだと、観念した。

それらを ひっくるめて直してくれる最大の味方、いや唯一の武器が 腸内フローラの存在 だと いろんな研究の末に たどり着いた結論だった。

そして 私は 今、終に 糖尿病を克服できたのだ。正確には 腸内細菌が 糖尿病を克服させてくれたと言うべきだ。  それも たった数ヶ月間で!

奇跡だった。

その処方箋を次に示そう。



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プノンペンのアパートの一軒家では、学生メイドに手引きされた強盗に入られた事もある。

タイで5年乗ったバンでプノンペンに引越してから1年半は問題なかったが、新車のナバラ(174馬力。ルーフには衛星放送のパラボラ(薄い奴)が付いていた。
)を
コーチビルダーに改造してもらった戦車のように大きくて格好がいい新車に変えてからの6ヶ月間、 この短い間に、なんと6回も車上荒らしにヤラレタ。盗んで逃げた奴は どいつも こいつも野球帽をかぶっていた。だから私は その後遺症で 野球帽を被った若い奴を見ると、無性に腹がたって来る
、今でも。

最後の一回は ガソリンスタンドでの出来事で、外に出てスタンド店員と話をしている隙に、座席においていた 財布(前の車を売った代金の一部7万バーツ)や買ったばかりのカシオのGPS付きカメラ(5万円 )や、親子のパスポート(再発行は日本のは1.5ヶ月、日タイ二重国籍の娘のは3ヶ月かかり、その間国境から出られなかった)などが入ったウエストポーチを、目にも留まらぬ早業で引ったくって、バイクで逃げられた。こいつも野球帽をかぶっていた。

しかし、圧巻は やはり、最初に話した メイドに手引きされた強盗だ。
この学生メイドの父親はトンレサップ河の中洲に住んでおり奥さんは身重で妊娠8ヶ月というとこだった。父親は10年前に通風で憲兵職を辞めたと言い、私に会っても一切ニコリともしない強面だった。この学生を雇ってすぐに父親から借金を申し込まれたまだ信用がないので、すでに働いた分だけ貸したが これでは足りない』と言われ、もっと沢山貸してくれと言ったので、断ったら、その矢先に強盗に入られた。メイドは強盗が入った深夜に、携帯電話を使っていた。犯人はこのメイドが通っている日本の田山日本語学校(無料、日本の財団法人が運営)の恐らくは関係者だと思われた。警察は大使館の警察上がりの館員に『被害者は日本から着ているボランティアで来ている医者だ』と言われたので、警察署の総員と、一部は本部の支援要員も加わり なんと合わせて40名以上の大所帯で来ており、一部の署員は入り切れなくて通りの迎い側で待機していた。

警察は一通りみてから、署長クラスらしいのが、捜査費用を幾ら出すか、と私に聞いたが、日本大使館では出さないように言われている(事実その通りだった)と言ったら、ガッカリした様子もなく、そのまま捜査は 少なくとも私からは見えなくなった(警察の利権の領分になった)。イソウロしていた友人も100ドルとかパソコンを持っていかれていた。我々は酒をタラフク飲んで 爆睡していたので、すべて朝になって分かったことだ。

また これらとは違うが、日本の同じ友人と私の車に乗っていたら、3人組の若い女性が呼び止める。何か?と思って運転席側の窓を開けたら、そのタイミングで一人が助手席側に回って窓を開けて!という。彼がその窓を開けたら とたんに手を物凄い早業で入れてきて、助手席のダッシュボードにおいていた彼の高級携帯を盗んで三方向に ちりじり遁走した。

このように、プノンペンは 盗人家業(ぬすっと かぎょう)の若い男女がウヨウヨしている町だった。これもそれも、原因は あの独裁者フンセン首相にある。フンセン、この中国系の小ざかしい男が首相に選ばれたというか成ったのは偶然ではない。20年間以上にわたって、一族の利権利益だけを追求して莫大な富を築く一方で、政治は無為無策。国民は貧しさから抜け出せず、貧民は食うにも事欠く有様だった。栄華を極めたフンセン一族の首都に建てた御殿を何時も横目で見ながら、フンセンの政治に やるせない反感を抱いた男女が無気力になり そして国中、とくにプノンペンに溢れた。

国政選挙はフンセンのカンボジア人民党が全国各地、通津浦裏に 国家の予算を使って人民をねぎらう家(人民党の家)を作っているので、フンセンが いつも絶対的に勝つ.フンセンが勝つように、計算し、作ろっている。
それで、多くの若い男女がヤル気をなくして、道路と言う道路に あふれている感じだった。(どんな嫌な仕事でも良いなら、仕事はあるのだが)怠け者だから、仕事もしないで、プータローしていると言うのが、この町の特徴だ。すなわち、泥棒家業や、マリファナ・覚せい剤に溺れるプータローである。

プノンペン最後のおまけと言うか 心尽きて もうこの国は懲り懲りだと思った最後の最後になって・・・
或る日 覚せい剤でラリッタ野郎の運転するボロ車が コーチビルドした私の新車に、ドカーンとブチあたって逃げた。私の車は 大破して、操車不能となるも(車軸が片方に1mもずれている)、相手は壊れながらも、ほうほうの体で、逃げていった。こっちは クソ、あの野郎!、と恨めしそうに言ったものの、動かないのでは、どうしょうもない。ぶつけられる恐れが全然ない道の端で、左折すべく待っていた我が車に ぶつかった来た野郎は、完全にラリッていた。

覚せい剤やマリファナに嵌っているクメール人は もとより多いが、日本人で嵌っている馬鹿も 結構いる。わたしが 非常によく知っている奴もいるし日本からそいつを頼って買いに来た奴もいる・・・また プノンペンにいる    
彼の友人は 完全に或る薬(くすり)に嵌っていた。
私の良く知っている彼は そいつから聞いて嵌った様だ)った。そいつは もとはプノンペンの独立記念塔近くで日本食堂をヤッていた中年の男だ。こっちは私の友人たちが くすりと縁を切って まじめに更生するように、たとえば警察に密告したところで、捕まっても恨むだけ。絶対に更生するような奴じゃない・・だから、言うだけ損だから、それで言わないだけ・・・。

そんな プノンペンに ほとほと嫌気がさして私たち父娘は、我が取引銀行のあるシンガポールに30分で行けるジョホールバルに引っ越そうと決心したのだった。そして、(ジョホールバル団地の一軒を購入して、韓国人の奥さん・子供と3人で住んでいる)在日韓国人の某の車で、私たち父娘はチャンギ空港からコーズウエイを通ってジョホールバルに向かうのだった。

さて、前回は、100万ドルを横領した主犯(若くして日本の富裕層から僅かな期間に合計800億円くらいの投資資金を集めた功績で、某銀行のエグゼキュティブ・ディレクターと言う高位に出世していた男)に 借金のかたに顎で使われていた在日韓国人の某から 是非ともカンボジアのコッコンに行こう と誘われた、と言う話で終わった(その1 )。


私としては、カンボジアは盗人稼業の若者であふれた国なので(ただし、地方では それ程でもないのだが・・)、もうカンボジアは金輪際ウンザリなのだが、馴染みの某と自分の車で一緒に行く、と言うことで、自慢がてらに案内してやることにした。

バンコクから365キロm、国境近くの町トラートに入ってから、 さらに約1時間で 国境のハートレックに着いた。それから出国手続きをして、1時間後にはカンボジアの最南西の町コッコンに入った。私はここを何回も行き来したので、すごく簡単だった。

さっそく 某が所望の、置き屋に 彼を案内した。いつもながらトンでもなく辺鄙で、かつ 朽ち果てた佇(たたず)まいだ。

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『ほほう、これがカンボジアに今でも残っている置き屋(複数形)ですか。日本人から見れば完全な廃墟だなぁ。ここに女がいるんですか、年増でなく若いのが。』

『何回も言うけど、私は 前立腺肥大で一滴も出ないから、むしろフラストレーション(欲求不満)を感じるので、やる意味が全くない。だから私は買ったことがないが、親しい友人達と何回か一緒に来て、彼等が買うのに付き合ったことがある。女に興味だけは 一人前にあるからね。

カンボジアはシンガポールやマレイシアと違って、年増は独りもいないよ。とくに ここは皆ハタチ前後の女だったな。顔は色々だ。ただしパッとしない不細工なのは いなかった。皆 人並みか、すこしだけ上のが多かった。時々オヤっと思うような、すごく可愛い娘も居たよ。そういう女の子は すぐ居なくなるよ。年季が明けたというより、昔の言葉で言うと”女衒”がスカウトしたのかも知れない。または気に入った男に身請けされ引き取られたのかも。親が借金できる額は、大した金でないからから、身請けしたり、スカウトして借金を支払っても 大した額でないから・・。』

『ええーっ!  ハタチ前後?目茶 若いですね。シンガポールと全然違う。シンガポールのゲイランは年増の上に、まったく事務的に処理する。本人はセックスしても敢えて行かない(絶頂感をわざと感じない)でいるから、ぼやぼやしてたら、何もないまま、ハイ終わり、と言うことになる。』

私『いわば、強制終了って奴ですね』
『はははっ、上手いこと言う、入室から退室まで精々30分って とこかな』
私『冷汗がでる・・』
『韓国のチョンの間よりは、マシですか』


『まず、言っておくが ここは雨を貯めた水しかないから。この雨水だけがすべて。従って、あそこを洗うのも 雨をためた汚い水。だからペットボトルを持っていったほうが良い。

ここ、コッコンの置き屋の女達は 先進国の外人に全く慣れていないせいもあって、逆の意味で(相手が慣れていないからこっちペースになり)時間は十分あるらしい。余韻まで楽しめる位に・・。年齢と言えば、すこし前の頃は16、17、18歳位のもいた。お上さんに 大声でドヤされて、みんな全員が しぶしぶ 客の前に出て顔を見せに来たとき、そんな若い娘は怯(おび)えた感じだった。だって 只でさえ嫌なことなのに、我々は外人だろう、しかも年が随分と違う滅多に来ない外人だ、普通の客はクメールの若者なのに。彼女等に取ったら外人はエイリアンとまでは言わないが・・怯えて当たり前だっちゅうの・・。殆どは親の作った借金を返すまでの年季奉公の形でね。普通1年位かな・・。余りパッとしないのは何年でも居るみたい。

短いのは2,3ヶ月で居なくなるが、そういう場合は よく考えてみれば、気に入った男に身請けされたか、女衒にスカウトされたとしか考えられない』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

某は ここが 存外 密かに気に入ったようだった。しかし、何故かその日も また次の日も 見るだけで、結局 買わなかった。次回 自分や 親友と一緒に来たときに どうせ目一杯やるんだろう、と思った。

しかし、今になって 分かったことだが・・・心の中で殺しを企んでいるときは、実際 女を買う どころでない。私は 当時はマサカそんな謀(はかりごと)をコイツが考えてるなど、コレッポッチも知らないから、案内だけさせて買わないのは おかしい奴だと思っていたが・・。

それから 某がカジノに案内してくれというので、海のすぐ傍の カジノホテルに連れて行った。コッコンのカジノはここしかない。そこで、カジノのルールを聞き、それから中で食事をした。それが終わって カラオケバーに行った。カラオケは堂々と出来るところなので 一定の地域に(フンセン首相の命令で) 何十軒も集まっている。むろん、あれが目的だ。瞬間的な自由恋愛とでも言おうか。

日は とっぷりと暮れていた。我々二人はコッコンから伸びている国道48号線に入った。舗装されているが低品質の舗装で、相変わらず 至る所 凸凹になっている。48号線の終わりの地点で、プノンペンからシアヌークビルまで伸びている国道4号線に合流、我々はそのまま南下して、カンボジア唯一の海浜リゾート都市、シアヌークビルに向かったのだった。

次に続く

   ※※前書き   メチル⇒メチルアルコールのこと=メタノール=猛毒 
    誤飲したときの症状から、まず最初に目が失明するので、俗に目散る(=失明のこと)アルコールと言う。    メタノールは天然ガスより作った1酸化炭素COに 水素

    を反応させて化学合成される。誤飲すると体の中で猛毒の蟻酸になり これで失明し死亡する。 
    これに対して 日本酒や洋酒は 細菌発酵により生じたエチルアルコール=エタノールが主成分。メチルアルコール
    とエチルアルコールを一緒に飲むと(=ミックスして飲むと)、エチルアルコールだけが まず最初に代謝されるので、メチルアルコール は後回しになりその間 体

   の中に蟻酸は生じない。犯人らは これらの反応の詳細を知らなかった。


シンガポールのプライベートバンクにしても、スイスのそれにしても、結局は RM(リレーションシップ・マネージャー)は自己の利益のためにやっている。それは当たり前のことだが、少なくとも、世間では、また理想論では、それと同時に、『富裕層の資産を守り増やす執事である』と、と言われてきたが、それは トンでもない妄想だ。

すべては富裕層が自分の資産を 『自分で管理』し、『自分で判断』して、『自分で決める』しかないのだ。これに尽きる。スイスのように、一任勘定で、全部任せる というのもあるが、これはこれで危険がある。また、一任勘定は総合手数料が高すぎる。ウン倍は高いと思う。

プライベートバンクは 富裕層の金を預かってくれるが、投資して儲けられるかは  ただ、自分の運と 時流と あと少しだけ ほんの才能しかない。RMに頼る、RMに任せる などというのは 邪道である。以前 オランダ系のプライベートバンクに所属していたときがあった。そこのシンガポリアンのRMは、ポアンとしたような人と言うか、ハッキリ言やぁ頭が毎日が楽しくて遊び呆けて ポーとしている としか言いようがない男性だった(多分、そのときは婚約したとか、結婚したとか、いや それより 何か不幸な非日常の最中にいて、何も考えられない時だったのだろう)。しかし こっちに すると、とんでもないと言う事になる。現に、首皮状態になったのだから。

しかし、彼のアシスタントに秀逸な男性が付いたいた。あくまで 職種はアシスタントだ。同じシンガポーリアンだが そのアシスタントが、RM以上の能力をごく普通に(さらっと)曝け出して、首の皮一枚で繋がっていた私のポートフォリオを リーマンショックから救ってくれた・・それだけでなく、リーマンショックで軒並み、クソ暴落していたもろもろの債権の中で 秀逸な会社の債権に、いろいろ 乗り換えるよう勧めてくれた。

結果、リーマンショックで首皮だった私のアセットを、逆に ずいぶんと儲けさせて くれたのだった。主たる担当者でなくアシスタントが儲けさせてくれるという、こんな幸運は 滅多に無い。通常は すべて 自己管理、自己決定が 原則だ。

ちなみに 私の場合、運の力は才能のそれよりも 大きい。従って、常にバランス感覚を持って、事にあたらないと、失敗する可能性がある。何々の専門家というやつの、勧めほど危険なものはない。専門家のご宣託ということで、安心してバーンと大きく張ってしまうから、危険なのだが・・。

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首皮状態だった私の資産は その後・・・信頼していた日本人RM、それもエギュゼクティブ・ディレクターの地位にあるRM(顔は端正で、細身の男。本人は れっきとした日本人だが 祖父や親が在日1世2世だった。)この男に、私は資産の一部100万ドルを横領されて、その上 命まで取られ掛けた。

今回は何回かに分けて その話をしよう。

首謀者のRMは、同じ出自(こちらは現在も立派な在日朝鮮人で、家には韓国人の奥さんもいた)の某に、お金を貸していたのだが、この某が返せなくて困っていたのを良いことに、その某を 顎で使う手下にして 自分の仲間に引きずり込んだ。殺す方法は 証拠が残りにくい手が込んだ手口を使った。彼らは終戦後日本の朝鮮部落の安い飲み屋街で流行ったメタノール中毒死にヒントを得て、私をメタノールで始末しようとした。これは 某のアイデアだった。メタノールは飲んで数日してから、猛毒性が効いてくる。すなわち、致死量を飲めば、当日ではなく数日後に死ぬか 運がよければ失明だけで一命は取りとめるが・・。つまり、すぐ その場で死なないのが味噌だ。
これを某は実行する段取りに入った。

つまり某はその一ヶ月前に 私を誘ってコッコンに行こうと提案した。私は以前プノンペンにボランティアの医者を兼ねて一軒家を借りていた。そのころ私は南ルート(海浜ルート)=コッコン経由 でシーラチャ付近を通って、頻繁にバンコクに帰国していた。それで知ったのだが、コンコンには未だに昔懐かしい置屋が残っていた。結構上玉がいると言う、もっぱらの評判だ。

私は前立腺肥大のため 置屋に行ってもアレが一滴も出ないことを既に知っているので 行く意味がない。そう言って、硬く固辞したのだが 彼の立っての要望と言うやつで 自慢がてらに案内してやることにした。彼はジョホールバールに住んでいたが、『食って寝るだけ』という あの禁欲の国 マレーシィア で、ジョホールにだけ(それも滅多に無い)濡れ場に精通していた。年増の女がポツン、ポツンといる程度らしい。

また、シンガポールのゲイランは年増ばかり、と言いながらも、その割には頻繁に行っているせいか、非常に良く知っていた。要するに 某は非常に精力が強いのだ。その証拠に(?)某は 頭の天辺(てっぺん)と その周りに ほとんど毛が無かった。だから頭がテカテカ光っていた。これは男性ホルモンの影響だ。毛の毛根に、男性ホルモン(テストステロン)が代謝されて出来た5ーαーリダクターゼ(5アルファ・リダクターゼ)が たまり、その影響で毛根が脂肪太りする。それで、毛は 過剰な脂肪の圧力で 血液の供給不全で 抜け落ちる。頭上から蛍光灯などに照らされたとき、某の頭は見事なセックスアピールに輝くのだった。

それがテカテカと輝く様子を見たいと言う物好きの方には、当ブログで写真を用意している。それは、私たち父娘がプノンペンから引越してきてシンガポールに着いた後、某の車でチャンギ空港からコーズウエーを通ってジョホールバルまで送ってもらった時の”貴重な”写真です。

写真は次

久しぶりに タイ人のごまかし(ちょろまかし)に出会った。ちなみに 漢字では”誤魔化し”と書く。

久しぶりに・・と言ったが、なにも タイ人は品行方正なので、滅多にないゴマ化しに出会っ
た、と言うのではない。通常、殆どの日用雑貨~食料品は大手量販店(ビッグCなど)で買うが そういう店ではキッチリ管理されているので ゴマ化そうにも誤魔化せないのだが、今回は たまたま、顧客がタイ人だけの、それも女店員一人で 切り盛りを任されている家具店に行くことがあったのだ。

白物の瀟洒な洋服ダンス大一個と 小間物を整理する左右に4段ある(夫々に戸が付いた)ロッカー(木製)を3個 注文した。その店員は やや中年の域に入った女性で(←若い時はイイ女か、それともアバズレだったか?)、始終何かと笑う癖のある女だった。注文は いずれも目の前にある展示品を見て決めたのだが、特に展示品のロッカーは 私が以前から探していた種類のもので、格好、機能、値段などが、まさにピッ足しの物だった。『この展示品は傷が付いているので これは困る。新品を3個お願いする』と言ったら、女は これは在庫が2個しかないと言うので、仕方なく2個だけ注文したのだった。

注文書を書く前に私は他の家具も 中々良いのがあることに気がつき、それらを見て回ると この女も一緒に付いてくる。私は店員がピタッと付いて来るのは苦手なのだが、この店員は、私や相手が何か言うたびに 始終笑うので、余り気にならなかった。しかし・・・女の笑いは ”誤魔化し笑い”に見えなくも なかった。

一通り見てから 注文書を書く段になったが、この女 ロッカーは3個と書いたのだ。オカシイ。それで『貴方、先ほどは2個しかない と言ったのでは?と正すと、『工場にきいたら、3個あると言ったので・・』と言うじゃないか。おかしい、何時電話を掛けたのか、しかも 時刻は夜の8時半なのに工場に電話?!
まあ、いずれにしても 良いのが3個注文できて言うことはないと思った。

さて、家具が到着した。タイのデリバリーは常に最低でも2時間は遅れると思ったほうが良いが、今回 あの女に くどくどと アレホド何回も言っておいたのに この店のデリバリーは3時間以上も 遅れて来た。敷地内に10のタワーがある大規模コンドウで所在地もすぐ分かる筈なのに・・・私は女に車から外したナビまで見せて それこそ『中学生にも わかるように・・』、コンドウの所在地を詳しく説明しておいたにも拘らず、この女はデリバリーの人たちに それらを全く伝えていなかった。それで、デリバリーは何度も電話を掛けて来ては アアでもないコウでもないと言って、何時になっても着かないのだった。

早速、工場の人がロッカーを組み立てている・・・。そのうち、オヤ、おかしい と思い始めた。良く見ると、組み立てが半分くらい終わった段階だったが、左右4段のあの展示品ではなく、一列4段だけの どう見ても半額くらいの安物を組み立てているじゃないか。

私は 待ったを掛けて、これじゃない、私の注文したのは左右4段のロッカーだ、と抗議した。たまたま その時間帯は 或る高等教育を受けたタイ人の客がいたので、そのタイ人を通して『店に注文したのは これとは全く違う』ことを デリバリーや女に完全に説明できたのだった。普通の日本人は 説明が難しく、それで諦めて まあ、これでも良いか!と妥協したり我慢する。奴隷根性のタイ人はそのことを経験的に知っているのだろう。なお、日本人などを騙すのは 大抵 女と相場が決まっている。外人と見れば、すぐ、クスねるイサン地方の屋台のタイ女と同じだ。

これが 別の言い方をすれば タイ 人仕様という奴だ。隙を見せれば すぐ誤魔化そうとする。
思えば 家具を見て回った際 女が くっ付いて回る間に 色々と私が頓馬に見られ兼ねない『多くの隙』を見つけて、この日本人は誤魔化し易い外人だと思われたのだろう。そして安物にすり変えてデリバリーして、高い家具の代金との差額を懐に入れるつもりだったのだろう。

そう言えば、この女、私を騙す前に どこから来たのか 何国人なのか と聞いていた。私は 最近は 上の次第で しばらくゴマ化されていなかったせいもあり、イープン(日本)と素直に答えてしまったが、昔のように カオリー(韓国)と答えるべきだった。当時、自分はカオリーというと、なぜか騙さなかった。しかしあるマッサージ屋でそう言ったら、嘘でしょう、韓国語を喋って見て、と言われ、口からでまかせで言い返したことがある・・・・ア二ヨメ(アンニョン) イカセヨ、ノボセヨ。ア二ヨメ(アンニョン) ケーセヨ。カミサンミダ、コマッテルニダ、二ダ、ニダ・・・
というと、あなたインチキね、とパツイチで破られた、爆。

その日遅く、同じ店に行ってみると、女が居た。私はツカツカと女の前に立ち、展示品を指して言った『工場に、これの在庫は無いのか』。女は 打って変わって、憮然とした表情で ニコリともせずに『一列一段のしかない』と言う意味の仕草を、手で3回ぱっぱっぱ、と乱暴に縦に仕切って見せた。女は仏頂面そのものの不細工な顔に変わっていた。

ここへ来る前は、「本当にデリバリーミスかも知れない」、、、、それならば、もう一度注文しようと思っていたが・・。こうなれば もはや聞くも、馬鹿らしい。この女、やっぱり最初から騙す積もりだった。
久しぶりに騙されたが、またもや クソッタレ タイ女だ。こいつもまたイサン(タイ東北部)出の女だろうか。言われてみれば・・タイ・ノイ人より 随分と色黒だ。

この女、何か言うたびに語尾に 媚びるような笑いを必ず添えてた・・・これは、安い賃金を(外人客の犠牲で)穴埋めするボーナスが手に入るという「シメシメ!」と言った感じの笑いだったのか?

貧(ひん)すれば貪(どん)する、昔イサン人はタイ・ノイの奴隷だったことがあるが、こいつらは今でも奴隷根性そのもだっ !

エルドアンはヒトラーに似ている。小さ目の国の独裁者によくある。只、大昔は あの巨大なオスマントルコだったので、その亡霊をこの男は背負っているのかな、笑。
小さな小さな国 カンボジア の独裁者 あのフンセンも 顔負け。

トルコ大統領、クーデター未遂で、18000人も 逮捕!これまた、エルドアンの強権体質は顔に(人相に)出ていて、見るたびに 私は不愉快になる。強権顔というか・・狂犬顔と言っても、あながち過言ではない。目と目の間が狭く、険しい狭量顔という奴だ。猜疑心が強い。そのため、2,3週間で逮捕者がうなぎ上り。クーデター未遂とはいえ、エルドアンの呼びかけで動いた国民が 繰り出した戦車の前に立ちはだかると、戦車は止まり、上の入り口ハッチの鍵を内側から開けて(戦闘中、または作戦中はハッチは開けないのが原則で、逃げるときは下の開口部から出る) その国民に挨拶しようとしたという。まるで(凶悪な)クーデターの様相ではない、むしろ紳士的な・・。いわばエ大統領の強権が行き過ぎたので、軍が抗議の意味で起こしたクーデター未遂なのだ。

このエルドアン、18000人だけで飽き足りず、更に数万人を逮捕するつもりだ。トンでもない人だ。まさにキ印?エルドアンは もしかしたら軍人をすべて逮捕しないと気がすまないではないだろうか。すでに手一杯になった刑務所に収監中の3万人超の人数分だけ、大規模な恩赦を出したと言う。つまり刑期2年未満の囚人が対象だというが・・国民には刑期2年未満の大量の犯罪者の方が はるかに危険だろうに・・。この観点からも 独裁者といえる。自分の身が危険になったら、大量の犯罪者を世に放してまでも、どんなことをしてでも わが身を守ろうとする身勝手で我侭な強権性格。

アメリカが単に思想的指導者に過ぎない(米国亡命中の)ギョレンを引き渡さないと分かるや 果ては米国がクーデターの裏幕かと言わんばかりの見当違いの激しい抗議をした。返す刀で ついこの間 領空侵犯で撃墜したロシアに正式に謝罪し、賠償を申し出て ちゃっかり手を結んだ。

まったく、悪がきを絵にしたような 感情の起伏の激しさ。
この男は まさにストイックで、利己主義者的宗教家だ。ロシア戦闘機を領空侵犯で撃墜したのも、良く分かる、激しい性格なのだ。

ギョレンは逆に 世俗的イスラム教徒だと言われ、厳格きわまる一般のイスラム主義ではない。

アメリカがギョレンをかばうのは当然だろう。

はやく、退場して欲しい、この鬱陶しい男は。しかし、こうh言う人こそ、何時までも 君主の地位に居座るものだ。であれば、この男もNATOの一員であるから、アメリカが主導してヨーロッパのNATO諸国で 何とかして欲しいものだ。 

エ大統領はそのような目茶苦茶エグイことが出来得る、すなわち エ大統領をして 彼にそれをさせうるって事自体、今のトルコ国民は民主主義からは程遠い存在だ。 

最近ブログ記事を書いていないので、気にしていたところ、ちょうど、友人へ、真剣に ある内容の手紙を書くことがあり、今回、それをブログの記事にしよう、と思った次第です。手抜きと言われれば その通りだが・・。

HN様

コンピュータが一度壊れて、悪名高いあのパンティップ・プラザで直したせいで、まだ、具合がわるく、たとえばメールを見ようとしても、最新の(= 一番最後の)メールがでません。それで、このとき最初に出たメールが貴方の、このメールでした。読んでみると、大分前に貰ったメールで、まだ 返事をしていない(返事をしようと思って、忘れたメール)でしたので、これも、何かの縁だと思い、今頃ですが 返事を書きます。

>先生にも教わりましたが、私は子供たちと孫を大切に育てていきたいです。(過保護ではないです。)

がんばっていますが、具体的なアドバイスを・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(まずはこの問題から)

過保護ではない!これは良いことです。欧米では 厳しく育てるのが 当たり前だとされています。日本の教育者をはじめ、日教組などは この点でも最低です。
体罰厳禁、褒めて育てる、などが主流ですが、トンでもないことです。まだ 考え方も 未熟な(または それ以前の段階)で子供の主観を大事にするも何もないでしょう。

欧米では 親が自信を持って、教育し、必要なら、体罰を (時には心で、仕方がないんだと 泣きながら)与えます。いろんな昔の映画でも ”肌の色が違う相手を恐れよ、と親から 学校から 徹底的に叩き込まれる”と。
私も、何度言っても ハイという返事だけで、実行しないときは、”ぶん殴り” ます(ただし女の子なので頭を軽く叩く程度ですが)。ただし、殴るにあたっては、殴られる意義を 事前に何度も言い聞かせてあります。つまり・・・・私の場合は

実はお父さんも 小さいとき 兄から、こんな事も分からないのか!などと言って 殴られて育った。その兄は、親や兄弟から受験勉強などでも 非常に大事にされたのに、地方の公立大学にも受からなかった。ところが お父さんは大学を受けるとき、両親が亡くなったせいもあるが、自分の力だけで 家族に頼らず頑張ったが、それは殴られたおかげだ。兄はお父さんを殴ったけれど、その兄は(兄を殴ってくれるその兄がいなかったため)、地方公立大学もうからなかった。なのに、殴られたお父さんは有名な〇大医学部に通った。兄に 殴られて良かったんだよ、実際 お父さんは当時は勉強もせずに、遊んでばかりの 怠け者 だったからな・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小麦やパンは与えない方が良いですか?

小麦は食物繊維が多いけれど、ほとんどが 不溶性です。主として大便の嵩を増すのに有効ですが、不溶性は水溶性の何分の1ぐらいの有効性しか、今のところ分かっていません。同じパンなら、ライ麦パンが最高です。これだとF IBERが5から6%も含まれ、さらに水溶性が4割です。これを水溶性と不溶性が半々の板海苔一枚に包んで食べると ライ麦パン一枚から2g、海苔1枚から1gのFIBERが取れるので、十分(これを続けると)体質は良くなるでしょう。

ついでに・・ライ麦粉を使ったお好み焼きもお勧めです。キャベツや卵を入れるのは同じ。ライ麦サワー味なので、甘みを増す為に 卵は二倍入れると美味しい。ライ麦粉はFIBERがなんと13%もあり、しかも その4割は水溶性です。これが小麦粉なら、2から3%で、しかも ほとんどが不溶性です(不溶性FIBERは、医学的効能はまだ良く分かっていない。大便の嵩は確かに増え、便通は非常に良くなる)。

一方、
主食は 大麦にしたほうがずっと良いです。美味しいが悪名高い白米(昔は銀シャリといってました、笑)は 日本酒と同じく、諸々の病気の原因(糖尿病など)以外の何者でもない。江戸時代から多くの金持ちがこれで、足を切断したり、目が見えなくなったり、腎不全になったりした挙句、25歳から30代の若さで、悶死した(薩摩藩の家老で篤姫の将棋友達だった人は 29歳で悶死した。彼の名前は お酒のブランドとして 今も尚 残っている)。
うまい精白米や日本酒ばかり飲食していると、糖尿病で若くして 悶死(足などを引きずり、痛がったまま、死ぬ)するのは確かだ。・・・
厚生労働省は、もし、国民に それを言うと、農業が崩壊し、票田をなくして元も子もなくなるので 口が裂けても言わないが・・。これは大げさではなく、真実は国民の前に 堂々と、言うべきだ。違う作物を作れば良いだけのこと。または精米せず、玄米のまま食べる習慣を促すとか・・。欧米の国なら そうするだろう。この伝で行くと、寿司もまた糖尿病の原因になりうる。上に乗っているネタだけが健全なだけで。このシャリを有難がって食べている欧米人には気の毒だが・・・知らぬが仏。寿司屋さんには申し訳ないが、寿司なんて昔は有難がったが、今は寿司などトンでもない、と思っている。現に、寿司職人には太った人が居ない訳は?自分では銀シャリは毒と知っているから食べないからだ。

それに比べて、大麦は 13gもFIBERが含まれているだけでなく、水溶性と不溶性の比率が逆転した最高の主食です。これをおいしく食べるには(私のように)大麦を圧力釜で炊いてから、水を加えて もう一度 お粥にすると、非常に按配がいいです。さらに 医学的効能を増すには これに、はと麦をいれる。はと麦は 英語圏でJOBsTEARと言います。(聖書に出てくるヨブが主の試練に耐えて流した涙が 鳩麦の形に似ていることから、ついた名で、実際これを美味しく食べるには非常に骨が折れる。また鳩麦は数珠玉 とも言うが、実際小さな穴が開いているので、糸を通して数珠にも出来た、昔は。)

この鳩麦をミキサーの小さい版の粉砕機(ブレーダー?)に入れれば、数秒で小さな粒に出来ますから、これを大麦と一緒に入れて、大麦は粒粒のまま 鳩麦はドロリとした お粥に出来ます。美味しく食べられる。騙されたと思って、試してみてください。

私は 4歳のとき 中耳炎になりましたが お医者はお金が掛かるから と呪い師の元に連れて行かれだけのため、両耳とも中耳炎が酷くなって 両耳性の高音性難聴(1000Hzで最大 40デシベル落ち)なりましたが それ以来、ずっと高度な難聴のままです。有名な国立大医学部に合格した際、この検査で引っ掛かりましたが、検査した教授が こんな病気で落とされたら 可愛そうだから、とお情けで 入学できました。

そんな私が 上の食事をして以来数ヶ月たったころ、ベンツでFMを聞いていて、(ベンツのFM受信機は超高性能なので、高音と低音がこ気味よく伸びる)、最近 何か高音がザワツくな、、オカシイな と思っていたら・・・そのうち一ヶ月くらいで、なんと何十年も続いた高音難聴が改善されてきました。 もちろん、ダイアベティス・ミリトゥス(〇〇病)もハイパーテンション(高〇〇症)も それから驚いたことに、スリーピング・アプネア(睡眠時〇〇〇)さえ、解消されつつあります

ただし、私は 上で上げた以外にも 水溶性FIBERを沢山取っています。食物繊維が35%も入っている奇跡のようなCHIA SEEDは、 FIBER入り(のジュース(コップ一杯200ccに8gも入ったジュースとか、8,8gも入ったジュースがある。)に混ぜて CHIA SEEDを流し込んで飲むだけ。繊維が足りないなと思ったとき、FIBERが必要十分に補える非常に便利な食品です。

※上の医学的効果には、個人差があります。

 私の住むタイのバンコク周辺で、11日から12日に掛けて 
爆弾テロが次いでいる。
このうち目を引くのがタイで最も気高い一族の離宮があるホアヒンの繁華街で 二回 爆弾テロがあった。死者も出た。
タイで有名な歓楽の島、プーケットでも同じく二回爆弾テロがあった。
そのほかを含めて計二日間で7件も爆弾テロが続いた勘定だ。
7件のうち 残り三件は従来どうりの場所だ。


私が特に想像をたくましくして思うのだが・・マレーシアとの国境で10数年以前より活発だったイスラムのテロ勢力(タイ南部の独立を掲げる)と、タイの農民派が女神と仰いできたタクシン派・旧インラック政権(タイの正統派軍事政権に倒された)の崩壊を恨む反政府勢力が、ついに手を結んだのではないか。これは怖い。国民投票で お墨付きを貰った長期軍事政権に対する 農民l過激派が 遂にイスラムと手を結んだか。(国民投票?国民投票なら タクシン派の農民のほうが多いのに、おかしいね。??)


軍事政権は憲法を国民了承のもとに改正して、長期にわたって軍政管理下に政権をおくことを決めたのが つい、先日。
ホアヒンなどで僅か二日間でテロが7件も相次いだのは、これに付随している。



農民は つかの間の夢に終わったインラック政権の 復活を もはや諦めた と思ったが・・・

心情的には 弱きものの彼らに味方するが、血肉争うゴタゴタは 嫌だ。フランス革命のように、成功するには 何十年もかかるだろう。その間、血肉の争いがずーと続くのだから。また農民の地位が高くなるにつれ、相対的に諸物価も高くなり、外国人が わり を食わされるのが 落ちだから (バンコクやチェンマイで下層階級の男や女に 何度も空き巣、詐欺、傷害罪などで、苦しめられた)。私がタイに移住して以来、ずっとその繰り返しだった。

少なくとも 私の娘が 日本人学校を出るまでは、何事も起こらないことを ただ願うだけ、卒業すれば早稲田高校があるシンガポール かまたは日本に帰国・・というのは利己主義だろうか。

下記の記事は、初期登録より約5年経た現時点で 次の事項を修正して 再度 掲載するものです。

変更事項(記事更新)
自然食材2+α ですが・・・主たる自然食材は一種類だけ。初心者はこれで結構。 他の自然食材、つまり (1+α ) は 時間の経過とともに不要となる故に。 

初期登録=2011年5月10日


  ・・・・記・・・・

世界支配層の一員である製薬会社や、大学医学部など研究機関たちは 『非常に安価な 自然食材で ほぼ治癒可能な尋常性乾癬』を その方面では全くかつ一切 探求もせず、あるいは傍流研究で分かっていても 断じて それを教えず、  逆に 尋常性乾癬の最終的医薬研究と称して、『免疫(一部)を殺す危険なアダリブマムなど類似薬品』を超高価にて売りつけている。そればかりか 世界の患者たちに其れなくしては治癒不と思わしめることで 限りない搾取をするとともに 今後も 搾取し続けようと 欲する。

世界支配層たちのアクドイ商法を ペテン的医薬研究だ として ここに 断罪する。

要するに 彼らは医学のパイオニアと称して 世界を支配する一つの方法を 探求している輩である。(かく言う私こそ、医師であり かっては研究者であった。)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、実に不愉快な病気である難病=乾癬については、苦しんできた2年間の間の医学的自己観察と最後の数ヶ月間の自己治験によって 薬など全く使わずに症状をほぼ完璧に消失させる画期的な自然療法を発見した。その事は 以下に述べるように、真実であり嘘ではない。

 

まずはその証拠写真から

 

下は世界最悪といわれる車の渋滞世界の工場とも言われる工場からの煤煙で、大気汚染が著しく酷いバンコクで1年半目に発症した私の乾癬の症状。

癌の発生を招きかねないアダリブマブおよび同種3系統の薬以外では、最良と言われる(帝薬の)ドヴォネックス(REO社のダェヴォネックス)と最強ステロイド軟膏Dermovateの組み合わせなどで毎日必死に塗布治療していたが、次から次と新たに出て来る症状に、軽快が追いつかず、酷くなるので、二日おきに禁じ手のラップによる(全身ラッピング)密封療法ODTをやって、この舌の写真程度にしか抑えられなかった。

 

 

ある日転地療法として空気がマアマア綺麗でバンコク並みの便利さもあるパタヤから 12キロ離れた郊外であるナージョムティエンという地にあるVIP・Condominium 内の一軒家に引っ越した。汚染の少ない土地柄のお陰で若干良くなったが、数ヵ月後に、もっと免疫を改善しようと運動療法として海辺に面したVIPのPoolで泳いだ。ところが、何とたった1回(約1時間強)の水泳で 数日して顔から下全部が、下の2枚の写真の様な滅茶苦茶な惨状を呈してしまった。原因は、このあたりではサタヒップ水道局の公務員の怠慢と腐敗で 雨季でさえも月7割は断水する(公務員がリベートのため地下水売り業者と結託してるかとさえ わたしは疑った)。地下水業者から買い入れる水は当家の場合3トンで300バーツも掛かる。それゆえ、水の入れ替えを惜しんだVIPのOwener(=ChaineseThai)が塩素を大量に投入するだけで水を長期 にわたり替えない(NO CHANGE of WATER LONG TIME )ためであった。つまりプールの水の塩素濃度(PPM of Cloraidが非常に高かった(Very high)ために私に乾癬は惨状を来たしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の惨状が数ヶ月間続いたが上記2薬は殆んど効かなかった。そのころを境に、私の自然療法による免疫機能改善の研究が始まった。当時 既に私はウンザリするタイからマシな他国に引っ越していた。そして私は遂に免疫の狂いを改善する自然界にある安全かつ安価な二つの物質+α に辿りた。その結果、僅か1ヶ月で下のように、ほぼ完璧に乾癬を激減させたのである。ただし、毎日取り入れる必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

・・・バンコクで発症し環境汚染の無い各国をさ迷いながら2年間苦しんできた私の難病の乾癬。強い副作用のある最強ステロイド軟膏やドヴォネックス軟膏を毎日体中に塗っても(その上で就寝の間中、体中をラップで包んでしまう事も度々あった)次から次に出てくる症状に、軽快が追いつかなかった。

 

一方極めつけの特効薬に、最近アメリカなどで使われ始めたアダリブマブなど同系の3薬があるが(癌を併発する危険性がかなりあり)私は恐ろしくて使う気にはなれなかった。私は、これらの薬を一切に使わず、ある特定の自然界の安全物質である二種類+ワンを、1日2,3回のむことによって殆んど症状を皆無にできる事を発見して、当方拙ログにて言及したことがある。

 

これは真実であり全くその通りである。大げさではなく まこと、乾癬の症状を殆んど皆無に出来るのである。

それゆえ それ以来、ここ2年間、毎日毎日薬を塗っていても全身に出てくる不愉快な難病の乾癬から、今は全くフリーになってしまった。

 

研究者へのアドバイス ではないが・・

わたしがこの乾癬を自己研究によって直すために 採用した仮説は、免疫の一部機能が加齢と各種汚染環境などのため衰弱して、その為に敵と自己の皮膚、組織などを見分ける機能が弱ってしまった、それで 自己の皮膚を敵だと誤解して自分の免疫が自分を攻撃する(乾癬の場合 皮膚にサイトカインTNAαを放出するこれは既知の事実)事で起こると推定。

 

アダリブマブなどの劇的に奏功する新薬は、免疫機能の衰弱によって現在では自己の皮膚を攻激する事になってしまった当機能を この薬によって体から排除する事で乾癬を起こさせないのだ。しかし、これでは 乾癬は出ない代わりに この治療薬投与により 広範囲に免疫機能が抑制されるので危険な発癌など病気の可能性が著しく高くなる。

 

これに反して私は、自分の立てた仮説によって、この病気は 加齢や過労や不摂生、汚染環境などによって免疫システムの内自己と他を見分ける一部機能が衰弱している状態であるから、衰弱したその機能を、活性化し賦活する物質を取り入れる事で直せるに違いないと判断した。

 

2年間苦しんだ中の最後の数ヶ月間 私は乾癬の不愉快な症状と格闘しながら遂に特定の二種類+ワンの物質を突き止めこれらを1日2,3回取り入れる事で、見事にアダリブマブと同程度に 乾癬を激減させる事を発見した(症状は、この物質を毎日取り入れる限り、ほぼ消失する)。  

記事更新(註)記事を更新している(書き直している)現在、1週間以上何週間でも それを取らなくとも 尋常性乾癬の ”か”の字も 出なくなりました。要するに 根治に近く 直っている、と言うことです。

 

註 私は今後、私が15年来の持病(糖尿病、重い高血圧症、脊椎すべり分離症など)を強い意志で軽快させる必要が生じた(私が、前述の二つの病気で命を奪われると、愛児3歳半の近い将来さえも看て遣れなくなる)。

 

そのため、病気療養に専念する当分の間、ブログ機能を閉じさせて頂きます。長い間、多くの皆様の ご閲覧を賜り 有難うございました。

家庭用のモップの遠心力を利用した脱水機は 大方の人は誰でも利用、または、見たことがあるだろう。今それくらい普及している。しかし、これ、便利で重宝なのだが、半年かそこらで、動かなくなってしまう。ものを大事に使うよう教えられてきた私でも、2年間に3,4回も 新品に交換した。知り合いに至っては 乱暴な性格のメバーンが使うので、もっと、頻繁に新品に交換している。

私は、ある時、直せぬものか、思って分解を試みた。簡単に思って分解し始めものの、回転軸の中枢部分は、非常に手の込んだメカニズムなっていた。この時点で、オカシイと考え始めた。こんなに手の込んだ方法をとらなくても良いじゃないか、と。

とどのつまりは、あくまでも推理だが(決定的証拠は未だないが)一定の使用回数が過ぎたころより、錆などで回転軸が回り難くなるように、設計されているのだ。その おっざぱな証拠に、回転軸を外そうにも、中枢部は中々外れないように設えてあるので、謎の機構 は(適切な道具がないので)の解明は、やや難しいけれど、しかし、その分からないように設えた中枢部(秘密を隠すためのブッラクボックス?)は、それはそれとしてウッちゃったまま、ただ再使用という目的のためだけに 《直径10ミリのプラスチック製の回転軸を その軸受けの中の4本の凹みにシッカリ嵌まり込むための 高さ1ミリの4本の条 をカッターナイフで切り落としてツルツルにしてみたところ、どうだろう!完全にスムーズに回りだしたではないか。

そう、スムーズに回るためだけには、(ブッラクボックス化した)複雑なメカは不要なのだ。

回転軸が、或る一定期間使用すると回りづらくなる(=次第にブレーキが掛かる)仕組みのバラックボックスは素人には工具がないので難しいが、再使用する分には まったく問題はなかった。回転軸と軸受けが固定している4本の筋を切り落とすだけで 完全に足りる。

そのような目的のためには、非常に簡単な単なる回転軸で済むはず(かつ、それで必要十分である)なのに、一定期間使用すると錆とか汚れとかで(その原因はブラックボックス化されているのでハッキリとは分からない)、摩擦が大きくなってブレーキが掛ける、そんな仕組みのためにメーカーは 随分と手の込んだメカニズムを設えているのだ。

こんなことが 製品特許の上で、または社会的に、許されても良いものか。これは 良識にも規範にも非常に問題だ。
それで、メーカー名を探してみた(原産国知りたかった、こんなの考え出すのは 世界2位の あの国かと思って)・・・が、製品が入っていた箱に普通は印刷されているメーカー名・・・ありゃ りゃ、どこにも 印刷していない。  印刷してあるのは ただ製品の便利さと全体の写真のみだ。

ますます、怪しい。考えてみると、この会社は。半永久的に使える軸が単純な構造の遠心装置を売ったって、皆に行き渡ってしまったら、すぐ儲からなくなるだろう。それより、回転軸に秘密のメカニズムを使って(ブラックボックス化して)、半年くらいで動かなくなるように設えた方が(=半年か1年で新品に交換させた方が)遥かに企業としては 儲かる。

こういう悪徳会社は 私がやった様に、それを無効にしてしまえば良いのだが・・・
一般の主婦は誰も考えない。旦那さんも 忙しくて そんなことに構ってる暇は無いというのが実情か。

これを読んでる貴方・・非常に簡単だから試して見て!

沖縄県民が米軍出て行け、とか辺野古絶対反対とか、拒否反応的に反対するのは沖縄タイムズなど
沖縄のマスコミ各誌が県民を煽っている面が 否定できない。
この状態を打破すべく、政府は遂に 辺野古などの進展と地方税交付金はリンクしている、と言い放った。

これには、正直、知事も県民も内心 驚いているだろう。何しろ、今までは、地方税交付額は そんな事情とは関係ない、と少なくとも”理論上は”考えていたのだから。遂に本音を言い出したな、次に来るのは何?かと・・。

これに想像をたくましくするのは、沖縄の新聞各誌・・国税が動く(密かに)?
昔から、政府の敵は密かに国税が殺すと。

閑話休題
昔から 沖縄の人は 地元産のスーパーなどを贔屓していた。それで本土のブランドが進出しても、芳しい結果が得られなかった。ところが最近ではこの力関係が崩れて、本土勢のブランドが俄かに沖縄産の牙城を崩し初めていると聞く。その原因は若い世代の、良いものは良いんだと・・言う人が多くなってきたことだ。

ことほど左様に、新聞各誌も、本土の大新聞には 戦々恐々としはじめるのも時間の問題ではないか。
極度に偏向した弱小新聞は、本来、客観的で正確な(少なくとも正確であろうとする)本土の巨大新聞には 敵わないはずだ。弱小の偏向新聞は所詮、イデオロギーで勝負するしかなかったのだ。イデオロギーは今更流行らない。

交付税が辺野古などにリンクして減らされ、本土の巨大資本のスーパーが(安くてより良い商品で)地元産の弱小スーパーを凌駕し始めると、やがて県民の 基地あっての豊かさ を嫌でも認識せざるを得ないのではないか。もちろん そんな事は百も承知の輔、であって 若いドライな人たちから 次第に正直にそれを認める時代が 早晩訪れるかもしれない。

それにしても、あの知事の特徴的な深い皺だらけの顔が 気になって仕方が無い、のは独り私だけでは ないのでは 無いか・・。あの人為的な皺だらけの顔が気に食わない、という人もいるだろう?
あの額のキツイ皺といい、他にも刻まれた深い皺 は、とても自然に付いた皺だとは到底思えない。特に額の皺は、昔から 苦虫を噛み潰すような嫌な生活を(強制されて)してきた人に出来る 人為的な皺で、早ければ12,3歳ごろに、遅くても二十歳ごろには生じる皺である。それと同じような深い人為的な皺が、他にもある。
この知事は昔は(幼少時) どんな嫌な生活を されてきたのか。

しかし、今では基地経済の繁栄と言い、基地があるためリンクした豊富な交付金のお陰で、幼少時とは いささか事情が違ってきているはずである。一度付いた人為的な皺は、その原因がなくなっても元には戻せないが、少なくとも性格くらいは 明るくなって欲しい。

この文章は ジョークです、笑。

HN様

私は 担保の裏づけの元に、4億5千万円ほど、ローン(円で借りているので円安になると儲けられる)を借りています。これはドルで借りていたローンでしたが、民主党政権時代に円が1ドル78円になったとき(底を打った)、ドルから円に替えたので、それで円ローンに変わったのです(ドル転も円転もお金は掛からない)。

それで、つい3ヶ月ほど前に、円が120円かそれ以上になり、ドル転(ドルに替える)しようかと迷ったが(この時点でも8千万円儲かる)、安部ノミクスを信じて 円はまだ安くなると見越して、ローンをドル転せずに放置しました(欲が出た)。

すると円があれよあれよと言う間に2割も円高になってしまった・・。シマッタと思ったときは もう遅い。結局8千万円の損失です。いずれも利益を確定させていないので、飽くまでも見込みだが・・。
このとき、余りにも悔しくて 思いついたのが、そうだ、8千万円で命を5年間分だけ 買ったことにしよう、と・・。

そのため、酒(スピリッツ=ドライジン、ウイスキーなど、かなりの量を飲む)はキッパリと止めました。ただし、ビール1本か、半本は 体にむしろ良いので、飲むが・・。
      ・・・これで、約2年半は 長生きできる。

もう ひとつが、そう あの食物繊維で、命を長生きさせること。
トーストしたライ麦パンを、焼いた海苔で包んで食べる方法も、大麦をJOBsTEARを粉砕して一緒に混ぜ、 圧力釜と炊飯器で お粥にして食べる方法も、それから奥の手でFIBERが まだまだ足りぬと思ったときに、CHIA SEED(繊維が35%。水溶性は3分の1)をFIBER入りのジュースで流し込む方法も、すべて このとき損した8千万円分の元を取ろうと、必死で考えタ挙句、決心したのです。

    なにしろ8千万ですから・・・・・
              決心は 岩よりも固い!!

 

かたやフランス料理に欠かせないエシャロット、かたや 名前は同じでも ただの早取りしたラッキョで、元来 根ラッキョと呼ばれていたもの。 当時 東京築地の生鮮野菜店の常務であった川井彦二は 根ラッキョの名前では 余り売れず芳しくなかった、そこで悪知恵を絞ったあげく 勝手に国際的に有名な野菜であるエシャロット名を借りて命名。当時仏名エシャロット(英名 シャロット)は日本では殆ど出回っていなかった。するとドウだろう、以前は ほとんど売れなかったものが、有名な名前を真似したせいで これが飛ぶように売れ始めたではないか。

しかし、これは言うなればアクドイ商売根性そのものだ。
もし、エシャロット(本物の方)に著作権と言うものがあれば 完全に著作権侵害で訴えられても文句は言えぬ。今日、エシャロット(本物)とエシャロット(根ラッキョ)が混同されて世間を騒がせているが 当時の科学技術庁でも 根ラッキョの方を エシャレットと 変えた。

これは 逆効果だった。本物のエシャロットと偽者のエシャロッテ。余計に混乱が深まった。偽物のエシャロットのままなら このエシャロットの方は偽者で、要する根ラッキョのことだ と言えたのだから。なぜ、エシャロットの名に こだわるのか・・・これはヤッパリ当時の日本のお家芸である模倣文化のせいであろう。

私はエシャロットの恩恵を深く受けている。その私でさえも、最初はフランス名のエシャロット(英名 シャロット)と ただの早取りラッキョ、根ラッキョである日本名エシャロットを 混同していた。2001年製の食品分析表 (①東京書籍の食品分析表 ②一橋出版の新食品分析表)でも、日本産の根ラッキョがエシャロット として収載されている。本までが混同している節があり、非常に煩わしい。

これも それも 最初に 偽物に本物の名を付けた川井彦二のせいである。日本では、エシャロットの本物と偽物が混同されて余りにも紛らわしいので、本物のエシャロットをやむ得ずベルギーエシャロットと呼ぶことにした。これは言うなれば 根ラッキョが本家の名前を乗っ取って、本家が 仕方なく違う名前を名乗ったようなものだ。

しかし、ここタイでは ショッピングセンターでも デパートでも 日本産エシャレット(日本産エシャロット)なるものは まず存在しない。
本物のエシャロット(小さい玉ねぎの形)が 売られているだけだ。ただし、タイは英国びいき なので、英語名のシャロットと言う名が 付いている。

後ろから、地裁事務官の男が痴漢を働いているのを男性は目撃して、『アッ、痴漢』と叫んだ。すると驚いたことに真っ青の女性は前に立っている男を指さして『この人も、です』と。

この女性の話では二人が同時に、一人の女性に、痴漢していたことになる。これが事実とすると、痴漢史上、珍しい『前から後ろから・・』同時に痴漢を違う男が働いたことになる。

だが、ちょっと待ってほしい。

仮に一人の女性が電車の中で痴漢にあう確率を仮に100人に一人つまり100分の一としよう。この時、まったく同時に、かつ全く同じ場所の前部分を痴漢にあう確率は100分の1×100分の1× f(x)
一人の女性が違う時間に『また痴漢にあう』確率100分の1×100分の1 に 同時に遭う確率 であるf(x) を掛けたもの)  である。

これは想像以上に稀な確率だ。女性からすると『同じ場所を同時に痴漢されただけ』だが・・。この女性が、『絶世の美人で、同時に 二人の男が 犯罪にも拘らず痴漢を遣らかしてしまう程の超絶的な魅力があった』と言うことだが・・。

この場合、現行犯逮捕(国民は誰でも 現に犯罪が行われているときは、犯人を現行犯逮捕ができる)した男は、後ろからはのは目撃した。しかし、前からのはまったく目撃していない。

しかし前からのは、女性の錯覚である可能性がある。つまり、同じ男性が後ろから前から痴漢していた可能性がある。下半身に目はついていない。触覚は錯覚し易い。

痴漢事件は『目の前の男がしている』と錯覚しやすいものだが、痴漢を働く男は巧妙に分からない様にするものであって、一見、違う場所に立っていて、あらぬ方向を向いている(この場合は後ろの男)ことが多いと想像できる。


この痴漢事件は、少なくとも、前に立っていた男性は冤罪の可能性が大いに、ある。セクシーな女性だな とか思いながら にんまり 微笑んでいたら、この人も痴漢です、と騒がれて 冷水を浴びせられたような気持ちだったろう。

 楽しかった春休み 最後の1週間になった。意を決して、ゴーグル、シュノーケル、足ヒレを車に積んでパタヤに向かった。春休みに入って直ぐには、コーチャン島に行って2、3の無人島で魚たちを見て楽しんできたが、もう休みも後がないので、パタヤでゴマ化すしかなかったのだ。

最初は シーラチャの海の沖合の島にフェリーで行こうかと思ったが それは時間が限られる。それならば 時間に関係なく遊べる パタヤか、ジョムチエンのビーチで泳いだ方が得だと思った。
それが間違いのもとだったが・・・。

パタヤにつくまでの道すがら、先日 不動産の大川さんに連れられてパタヤとジョムチエンの中ほどにある半島が突き出たあたりのコンドミニアムを見に行ったとき、その坂の下あたりで見つけた隠れ家的なビーチを思い出してそこへ行こうと、決めた。あそこなら、綺麗な海とビーチが 楽しめるに違いない。

やっと見つけたそのビーチに 二人でゴーグルとシュノーケルと足ヒレを持って、ビーチに沢山並んだ海浜客のファランたちを横目に見ながら、長いビーチの東端へと 歩いて渡った。東端についてから、足ヒレを履いて、カニ歩きで 砂浜を歩き、 途中、痛そうな藤壺や牡蛎の殻がビッシリと付いた岩場も3mくらい用心深く切り抜けて やっと水辺に辿り着いたのだった。

さー、泳ぐぞっ、と腹這いになって 水の中を 進む。水が濁っていて、何も見えない。ななみに『これは、波に洗われた砂が舞っているだけだから。もう少し 沖まで泳げば 水は 透明になる。心配しないで 大丈夫!』と、私は言った。

ところが 一向に 水は綺麗にならない。おかしい。
なおも 沖合に進む。水は 全く濁ったままだ。途中で、空き瓶を目印にした 小さな漁網に出会った。漁網を張っているあたりの水は 普通は綺麗なはずだが、相変わらず 水は淀んでいて 大げさでなく 1寸先も 全く見えない。

これは!
岸辺近くの海の水が汚染されてただけでなく、このあたりの沖合まで、濁っていたのだ。1寸先も全く見えないのだ。これは パタヤの海が養いきれないくらいの、とんでもない多くの人間が、生活用水だけでなく、屎尿などを垂れ流してきたから 海がこんなに汚くなってしまったのだ。こんな不潔な海と知らずに ゴーグル、シューケル,足ヒレ など付けてきたのが 実に滑稽というか、あほらしかった。先日私とななみは、ここのビーチを大川さんと一緒に見つけて 『わァ、凄いな、こんなとこがあったんだ』、と喜んだが、それは ちょい見だけの浅墓さ。

海の中は 全く違った。ちょっと見ただけで、綺麗だと思い込んだが 完全に騙された。
遠目では 凄くきれいな海に見えたが その海の水は100% 汚染されている。パタヤもジュムティエンの海も、 もう死んでいる。汚い。いずれ、先日コーチャンからの帰り道に 海の水を採取しに行って見たシーラチャの死んだ汚染海岸と、遅かれ早かれ 同じになるだろう。 


『ななみ、帰ろう』私は ななみを連れて車のところへ戻った。ななみが ショボンとしていたので、『今日は 綺麗な海岸通り沿いのホテルに泊まって、明日早く 他の海を探そうね』 次の朝、マリンジェットを借りて ななみをパタヤの沖合を走った。ななみは 昨日と打ってかわって はしゃぎまくった。  

それ以来、私は 汚染の海で3,40分泳いだために、それ以来、 体のあちこちが 痒くて仕方がない。塩素ほどではないにしろ、1週間たった今でも蕁麻疹が出て来て、夜も 最強のステロイドを塗らないと、安眠できない。  

私は実はこのビーチを探していたとき、ボート係留地とコンドミニアムが一緒になった臨海の高級団地を見つけて、秘かに 人生最後の花をここで咲かそうか、と本気で考ええたのだったが・・・。なにしろ、私は タイに来る前日本でシーレイの16ft アフターキャビン艇(ベッド×3、シャワーヘッド×2付き)を持っていたのだ。すぐにでも可能な夢だった。

それなのに このザマだ。
パタヤのコンドミニアムなど クソ買わなくて 良かった!  

日本人学校が春休みになって1週間のことだ。
私と ななみは ななみのたっての要望で、2年ぶりにトラート(カンボジア国境近くの町)
にあるコーチャン(KOH CHANG =象の島の意味。バンコクから365キロ)にカーフェリーに乗って渡り、島の南端BANG BAO(バンバオ)より出ている無人島シュノーケル・ボートツアー(各社から出ている)に、参加しました。以前は ななみを 毎年数回 参加させていたので、各社あるうちの、SATTER TOUR社と なじみなっていました。4歳から6歳くらいまでの ななみ は もともと無料でしたが、8歳になった今回も(私は有料でいいと思っていたのに)、なんと、無料にしてくれたうえ、駐車スペースも地元民と同じく ダダにしてくれました。

ななみは 4歳から 深い海でも泳ぐことができる。プノンペンにいたころ、シンガポール資本の立派で大きいスイミングプールの会員になって泳ぎましたが、ななみが深いところで泳げるものですから、お客さんが よく、”気を利かして” 安全な浅いところに連れていかれた ものです。初めてサッターツアー(SATTER TOUR)に参加した時のことです。小さな島の周りで 船を海に停泊してから、乗客が救命胴衣、ライフジャケットをつけてに泳ぎだすと、ななみも みんなと一緒に泳ぎに海に出るのですが、海面にいたナナミがライフジャケットを捨てて素手で泳ぎだしたのです。すると それを見ていたクルー全員が船から乗り出す様して、ウアーと奇声をあげ、喜ぶやら驚くやら で大変した。

今回も無事ツアーは終わって、私たちは海辺のそばの 臨海ホテル戻りました。私とななみは 二人で我々の部屋から せいぜい50m内外の海で泳いでいました。私は昔、ここで、全長25センチはあるアカニシ貝に似た大きな貝が 浅瀬の岩に藻などで ビッシリ固くこびりついてるのを発見して、苦労して取ったことを思い出し、ななみに その話をしてやりました。

しかし、今は、当時の綺麗だった海とちがい、小魚や時折遭遇する20センチくらいの魚以外、貝のような取りやすい獲物は何もなかった。その後、海の中で 私は ななみと別れて とてつもなく大きな岩が 岸壁を 向こう側と此方に分けているのだが その向こう側 に行ってみました。海はやや荒かったが、水質は各段に綺麗だった。ここなら きっと獲物はいるぞ、と期待しながら探し始めた。

探し始めて直ぐに 私は まるで宝の様に きれいな宝貝(日本で子安貝と言い、南太平洋の島々の国家とか東南アジア、中国で、遠い昔に 貨幣として使われていた時代がある)を見つけた。それからサザエに似た よく動く酢貝も見つけた。貝を二つ取ったところで、私は ななみが心配になり そこを切り上げて ななみのところに戻り、収穫を見せてやりました。

『もう、そろそろ帰ろうかナァ』、とななみに言って 帰り支度をし始めた時、ななみが急に この貝を家で飼いたいと言い出しました。ん、それは良い考えだ、学習に役立つ。研究心が芽生えるかも。私は 後部キャビンに詰め込んだ3つのカバンとは別に 二つの貝を助手席の床のマットに置き、帰路ずっとななみと一緒に観察することにした。

私はカーフェリーを降りると、3号線をバンコクへ ヒタ走りました。酢貝は四六時中ひっきり無しに あっちこっちに移動していました。一方 宝貝は子安貝の名前の由来通り、ピクリともしませんでした。この貝、ちょろちょろ よく動くな、ななみと一緒だ。ちょろ助と名前を付けたらいい、と冗談を言った。ななみは 『ちょろ助は嫌だ、
よく動く方は ミーちゃんで、全く動かないこっちの貝は ミカンちゃんがイイ』 と ななみが言った。

車が折り返し地点のBANG BOONG(バン ブーン)村 つまりシーラチャ近くのパタヤー・バンコクモーターウエイ に近づいたとき、「貝を飼うには海水(と餌のプランクトン)が必要だ」と気付き、『ななみ、、貝を飼うのは中々難しいぞ。海水が要るんだ。その中に餌のプランクトンも居る。』と、言いました。難しいけれど一度やってみようか!遊びを兼ねて週一回パタヤに海水を取りに行けば良いだけ!という気持ちになった。そう思案しているうちにシーラチャについた。

海岸沿いに走っていると、100mくらい雑木林が生い茂っている 民家の全くない 地域に出たので、この奥の海岸が良いだろう と思い、何とか通れる道を探し当てて入っていくと・・。途中、海水をモーターとホースで取水して 魚などを養殖している施設がありました。その更に奥まった場所に 海水が取れそうな水路がありました。ここだ、と言いながら車を降りて水路に入っていくと・・『ウワーッ、これは 何だ?靴底に何か付いたぞ』
それは ドロか またはヘドロのようでした。
薄暗い夜だったが 途中のセブンで買った5L入りのミネラルウォターを空けて、 泥のような地面に恐る恐る 立って、かろうじて水を汲んだ。すぐ車の所へ戻って 車のライトで照らして見ると・・・こりゃダメだ。水は うす汚く 濁っていました。これじゃ使い物にならない。

諦めて大きな道路に戻る途中で途中で、養殖施設の高いコンクリートに上って中を覗くと、・・ありゃ、りゃ、何にもない。もし水が入っていたら・・と、期待したのだが。いやいや、こりゃダメだ と、ため息をつきながら 道を戻っていくと・・向こうに 若い警察官が二人待っていた・・・ああっ、こんな夜更けに 私が懐中電灯をもって アッチ、コッチと 動きまわっていたのを見つけて、警官が来ていたのだ。

何をしていたのか?一人の警官がタイ語で尋ねた。私は とっさにコップに入れていた二つの貝を見せながら、これ、日本人学校の学習用に取ってきたが、海水が要るので、ここに水を汲みに来たんです、とタイ語で言ったら、この人は日本人だよ、と もう一人の警官が言った。 そして『私は 今、日本語を勉強しています。日本語で結構なので 何をしていたのか 説明してください』と言った。私は ホッとしながら、微笑んで『あなたは日本語が上手ですね。私は今日パタヤに行ったとき、生きた貝をとってきました。これを生かすには海水が必要と気が付いて、急きょシーラチャに・・・』 

すると日本語の警官は相棒にペラペラとしゃべって説明した。それから言った『残念ですが あの養殖施設は 15年前に汚染で閉鎖されたのです。』

                               終わり

1 何故私はマレーシャに住もうとしたか?

 

私は、2012年9月から短期間だがマレーシャのジョホールバル、それもシンガポールまで車で30分という場所に滞在した。その直接の動機は、プノンペンに住んでいたとき、何らかの原因で、元来持っていた高血圧症が、睡眠時無呼吸症で酷くなり、血圧が異常に高くなったため、生命の危険さえ生じたことだった。それで、私は、救急で、バンコク病院系のプノンペンバンコク病院のICUに、半日入っていたこともある。

 

★(付録)小耳に入れておきたい東南アジア、タイカンボジアなどの医療について

ここで、ついでに、これからカンボジア長期滞在を目指す人のために、カンボジアの医療事情について少し触れておく。新生カンボジア人の新医師達(全員が新医師)は、はっきり言って、先のポルポトのエリート大虐殺(村長などの行政の長、上級役人、教師、医者、金持ち、地主など200万人がポルポト兵士によって虐殺された)で、医者が、ほぼ全て殺されたので、新生カンボジアには、経験豊富な専門医や先輩医師が根こそぎ消滅した。そのため、アカデミックなものが全て破壊されて何も無くなったプノンペン大などの医学部を卒業しただけの医師は、経験豊かで有能な医者は、まず全くといって良いほど、ほとんどいないのだ。先進国から来た外国人(欧米人)の間では『カンボジア人医師の頭の中は、ただ金儲け知識しかない。医療の知識などゼロに等しい』というのが定評になっている。

 

タイのバンコク病院は金持ちの外人患者を誘致するために、国策で作られた株式会社経営の高級病院の一つだが、治療費は日本などの医療先進国にくらばて超馬鹿高いので有名だ(アメリカの自由診療費並み)。それが、ここプノンペンにまで出張したのは、カンボジア全土は無論のことここ首都でさえ、ろくな病院が無い劣悪な医療環境に目をつけたからである。しかし、この病院は、大した治療もしないのに、アメリカなみの馬鹿高い治療費を請求する、という点が問題だ。私を担当した医者はインド人で、しきりに2日間ICU入院を奨めたが、日本で医者をしていた(ここでは言わなかったが・・)私には、この医者が2日入院の根拠とする論理の節々に、経営者からノルマを課されている商売根性がはっきりと見て取れた。

 

ICUに滞在した4時間くらいの間に、ARB系の降圧剤を二回飲んだのだが、4時間後に血圧が140程度に下がったので退院を要望した。するとその女の医者は、これは不味いと、他の同じインド人の同僚も呼んで来て、2日間入院の指導に加勢してきて、入院しろ入院しろと、ウザイくらい熱心に、時には死んでも知らんぞ、と脅したりもして、入院を奨めたのだが・・。私は最後に『自分は日本人医師で、あとは自分で自宅で診ることが出来るから大丈夫です』と、引導を渡して、やっと退院できた。

 

受けた治療は、ARB(血圧を上げる受容体をブロックしすることで降圧する)系の第一世代(基本中の基本の)の降圧剤であるニューロタンを2錠飲んだだけだった。後は血圧測定。それで治療費は1800ドル位だった。因みに2日間入院した場合、1日3000ドル+諸経費なので、計6000ドル+諸経費かかる・・・・・・・私は、ほとんど単なる経過観察だけに終わるはずの2日間の入院に、6000ドルも平気で(気持ちよく)払える お大尽じゃない。 

 

★ここで元の話の戻る。

 

もし、寝ているときに血圧が急上昇して脳出血が起これば、意識不明になって私の子供ななみ は私の資産も受け取れずに路頭に迷うどころか、悪い連中の餌食になり売り飛ばされるかもしれない。そういう心配から私は、万が一の際、プライベート銀行のRM(リレーションシップ・マネジャー)、担当者が 30分で来られるジョホールに引っ越したのだった。要するに、命の危険から、マレーシャに引っ越したのだ。

 

2 マレーシャの何処に住んだか

 

現地の日本人には評判のよいことで知られるアパートである、ストラング・ビュー・アパートメント Stulang View Apartment の●-●-●を借りて、ななみ5才と一緒に生活していた。そもそも、マレーシャが段々と徹底して嫌になっていった原因は、このアパートの一所有者が相当の曲者(くせもの)だったということだ。

 

所有者はストゥラング・ビュー・アパートメントの部屋を15年以上前に購入して住んでた中国系シンガポリアンだが、そのうち自分たちはシンガポールで働き始めたので、それで人に貸すことにしたそうだ。私が入居するまでの2年間近くの間、見に来た見学者は借りたいとは言わなかった。私が仲良くしていた守衛さんの一人はそういった。

 

この部屋は約130平米以上はあるが、ベッドといえるものは主寝室のダブルが一つだけ。子供部屋と、もう一つ何も家具など無い部屋がある。子供部屋にもあるベッドは、子供だましの他愛ないガラクタ・クラスに等しかった。

 

けれども、このアパートには中央に大きな25m変形プールがあること、屋根付き駐車場が、一軒ごとに決まっていること、近くに歩いていけるジャイアンというショッピングセンターがあること、などから、(子供部屋のガラクタ・クラスのちゃっちいベッドは、使わなければ良い事なので)、この部屋に決めた。

 

3.薄汚い中華系シンガポリアンのオーナー

 

住んで直ぐ、主寝室のお風呂のボイラーが最初から故障しており、そのお湯を、距離的に遠いキッチン用のボイラーから迂回して来ているのを利用していたため、途中で冷えてしまい、湯が熱くならないことが分った(ボイラーはキッチン用、メード用トイレ用、主寝室用の三つがあり、ルーフの上にある各々の貯湯槽はパイプを通じて繋がっていた。それで主寝室のボイラーが壊れたままでもお湯は何とか来たわけだ)。この欠点は本来なら事前に説明しなければならない物件の重大な瑕疵に相当する。

 

その他、三つあるトイレのうち、二つの便座が、裏のゴムパットが全く無いため、ぺらぺらで、座るたびにグニャりと曲がるので、不快感というか違和感があった。それで家主に以上の旨を訴えると、直ぐ相談に来てくれるといったが、そのとき、私のヒアリング力では2か月分を集金したいということだった。私は強度の難聴のため、家主が修理代として1か月分をくれと言ったかも知れないオーナーの勝手な希望を、聞き逃していたかもしれない。それで私は、ワザワザ来るのだから、2か月分欲しいんだな、と言ったんだろうと信じた・・・それが、そもそもの間違いだった。

 

4.家賃一ヶ月分を取って、自分の所有物である部屋の不具合を直す家主

 

私は前日に2か月分の家賃をジャイアンのATMでおろして、翌日オーナー夫婦が来たときに渡した。彼らは去年の分の領収書一枚ともう一枚の領収書をくれた。私はてっきりそのうちの二枚目が、今回の2か月分の領収書だと思っていたので、中身を確かめることをしなかった。これが苦々しい経緯の元となった。

 

彼らは慇懃な態度で私と対面してくれたあと、翌日便座の業者を呼んでくれた。マレー人の業者は、強度の怠け者で、便座の下の『陶器の受け』より5センチ以上も短いサイズの違いすぎる寸足らずの便座を取りつけて、平気な顔、知らん顔を している。これでは未だ前のほうが便器に触れず清潔だという点ではずっとマシだ。つまり、二つの便座は、その下の陶器の壷の天辺の長さより、なんと5センチも短い、不潔この上ないものに交換されたわけだ。

 

湯沸しも、同じ業者が、外つけの、安い小型湯沸しを取り付けていった。お風呂のバスタブの正面のタイルの壁に、ななみの勉強用の、あいうえおアンパンマン の綺麗なポスターを、テープで張っていたが・・・

この怠け者の業者は、完成後に見に行くと、『ポスターを剥がしますか』とも私に聞くこともしないで、ポスターの上から平気で電動ドライバーで何箇所も穴を開け、水道管を取り付けていた。

 

5.2か月分を支払ったのに、1か月分しか貰っていないと、オーナーがいう。

 

翌月、家主が、翌月分を早く入れよ、と言ってきた時、私はビックリした。それこそが、その後の長く続く不愉快な気持ちの始まりとなった。私は家主に催促されたので、うちに来てくれた貴方がたに2か月分を支払った、と言い張ったが、家主は、部屋では1か月分しか貰っていない、の一点張りだ。そして翌月分を支払わないなら、出て行ってくれとまで悪態をついた。私は、信じられない気持ちになり、長い不快な思索の後に、『湯沸しと便座は、家賃一か月分で取り付けたんだ』と、自分の頭の中で、言い聞かせ、観念しなければならなかった。

 

それにしても(業者から聞いたのだが)僅か400リンギットの湯沸しと、100リンギットの便座二つを取替えて、3000リンギット(タイバーツなら3万バーツ)も取るとは!中華系シンガポリアンが皆、こうだとは思いたくないが・・・。

 

こういうことで、この家主は実に汚い奴だな、と不愉快に思い始めた頃、タイル張りの床のアチコチが、妙に薄黒く汚れたままで、モップで幾ら洗っても、どうしても取れない。それでよくよく調べてて、あっと驚いた。なんと!床のタイルの割れた欠損部分や、(重いものを動かしたために付いた)ギザギザの深い傷の部分に、床のタイルと同じ白のペンキか石膏を塗りこんで綺麗に見えるように誤魔化していたのだ

 

最初見たとき、綺麗だったのはこのペンキ石膏で誤魔化してたせいだ。そのごは薄汚い黒ずみが、ペンキか石膏にこびりついて行き、ますます汚くなっていった。モップで拭くたびに、汚れがますますくっ付いていくわけだ。

 

綺麗に見せかける為とはいえ、まともなオーナーがこんなことするだろうか?いずれ直ぐ化けの皮がはがれるのに・・。

 

それ以来、こんな汚い手法で誤魔化してまで、店子を何としても掴もうとする家主なんだと、私はずーと不愉快な気持ちが頭から離れなかった。

 

それで、私は途中解約して出て行こうかと思った末に、仲介業者に『途中解約したら敷金より幾ら取られるますか』と、友人に聞いてもらったことがある・・・

 

6.強欲シンガポリアンの家主、途中解約なら敷金3か月分全部没収!という

 

私は、既に賃貸契約書を重要箇所はある程度読んでいたので、これはインチキだ、嘘だ、と直感。契約書の最後の部分には、はっきりと英語で『途中解約の場合、(3か月分の敷金から、)一か月分支払う』とちゃんと明記されてあるのを確認。仲介業者にメールで問いただすと、その通りでした、1か月分の間違いでしたと、返事が来た。この3か月分全部没収のアイデアは、仲介業者が家主に問いあわせて聞いて、それで3か月分全部と最初返事したんだろう。

 

7.10年間のビザ、マレーシャ政府のMM2Hの取得、指定業者に20万円、30万円払って取得する価値はあるのか?

 

最初の頃は、10年ごとの長期ビザであるMaraysia My Second Home ビザを取得しようと一生懸命考えていた。しかし、その最後になって自分の気持ちは、『こんな煩わしい書類を全部集めてまで、こんなクソ家主のいる面白くもなんともないクソマレーシャに、10年ごとに、ずーっと、滞在する価値が果たしてあるか』と、はなはだ疑問に思うようになった。

 

私は、今まで、タイでもカンボジアでも長期滞在ビザはビザ業者であるエージェンシーにお願いせず全部、個人でやってきた。まあ、それだけ簡単だったわけだ。それで今回もエージェンシー(エージェントはその組織であるエージェンシーのスタッフを指す言葉なので、よく使われている組織を指す言葉は、エージェンシーの間違いです) 。警察証明は領事館事務所経由(全市の指紋を専門用紙にスタンプで写し取る)で取り寄せ、子供は21歳まで同居させることが可能ですので、ななみの戸籍謄本を日本から取り寄せ、領事館事務所で英文に翻訳証明してもらい、個人投資家として資産や年収をシンガポールのプライベート銀行で証明してもらい、果ては近くのマレーシャの銀行で口座を開いて決められた額の預金までした(銀行口座は、普通はMM2H取得までは作れない決まりだが、シンガポールの銀行の資金の証明書のお陰で。OKになった(銀行の担当者はシンガポールに問い合わせていた)。アパートを借りただけでも状況次第で口座を作れた銀行の名前は、メイバンク。

 

そしてフォーマル化されている所定の経歴書、子供に関する書類など全8ページに記入、最後にジョホールバルにあるはずと思っていたMM2Hのジョホールのセンターに、ビザ資料を出そうと、探したが、一向に分らない。そこで(シンガポールのプライベート銀行の担当者に)クアラルンプールのMM2Hセンターに問いあわせてもらった。すると、提出先は首都にしかない、というではないか。それだけでなく呼び出しに応じて何回も行く必要があるということだった。

 

私が突如目が覚めた・・・これだけ頑張って色んな書類を集めたのに、まだ数種類の書類が必要?と分った時・・・この瞬間に目が覚めたのだった。不足した書類そのものはMM2H取得したい理由という単なる小作文と、あと、簡単な学歴だ。こんな書類こそ今までそろえた書類に比べて、簡単に直ぐできる書類なのだが、しかし、私は、この一瞬にこそ、遂に切れてしまった

 

なんでこんなクソ手間までかけて、こんなクソ面白くもない国に何度もお願いして、住まわせてもらわないといけないんだ!!ばかばかしい!

 

8.マレーシャのよさは・・・たかが

 

1.泥棒の少ないこと、

 

2.産油国ゆえにガソリンや電気代がタイ、カンボジアの6割程度と安いこと・・
これくらいしかない。

 

3.あとは英語が街中でマアマアで使えること(これは大きい長所ではある)それくらいだ。利点は以上の外は何も無い。

 

一方マレーシアの悪い点は

 

1.禁酒のイスラム国家なので、まずビールが洒落じゃないくらい超バカ高い。タイの2.5倍以上もする、カンボジアの4倍以上もする。タバコ(マルボロ1カートン)がカンボジアの8倍100リンギ=33ドルもする。(カンボジアでは、特定経済地域で買うと1カートンが僅か4ドル)。私は酒もタバコも、どちらも健康上の必死の事情から禁酒禁煙止していたが・・。
 

それから

2.恋愛などのアバンチュールなど、イスラム国家では望むべくも無い、なにしろ宗教上の戒めが厳重を極めるのイスラム国家だから。ここでは、つつましやかに、地味に、馬鹿騒ぎせずに、静かに生きていなければならない国なのだ。

 

9.地味に暮らさないといけないマレー半島、かたや、怪しい魅力の魔界のバンコクや、怪しげな場所が今でもあるカンボジア

 

マレーに比べれば、泥棒はクソ多いいけれど、タイ、カンボジアのほうが遥かに冒険趣味があり、男のロマンと夢があり、面白い。不味いマレーメシを食って、クソして、寝るだけ の、マレー半島とは大違い。

 

食は、人生のかなりの部分の楽しみの要素!といっても過言ではない毎日の『食事』の事情についていうと、マレー半島ではこれが最低なのだ(私個人の意見ではあるが)。つまりレストランの食事が不味い。単にお腹が空いていたら食べられる、というレベルだ。都市部の中華系にレストランに行けば中華料理などが食べられるが、タイに比べると余りにもしょぼい。

 

ショッピングセンターで売っている出来合いの弁当の類でも、地味でお粗末この上ない。これは本当に、私の真底からの実感だ。弁当の中身はは、不味い薄汚れた感じのご飯に、いためた鶏肉の小さい足(ふくらはぎ)が一本だけ。これで6.5リンギ。タイで65バーツの弁当の方はもっと種類がある。日系の店なら あと20バーツも出せば、美味しいジャポニカ米の白飯に、数点の気の利いた おかずが結構入っている。

 

レストランの貧弱な食事メニューは何処が起源か?

 

マレーシャ特有の地味なメニューしかない。それもそのはず!マレーシャは、食事が不味いので有名な(朝食だけが、まだマシといわれる)英国

植民地だっただけあって、何処へ行っても、ミーゴレン(マレー風ヤキソバ)、ナシゴレン(マレー風焼き飯)やカレー煮込みの魚か鶏肉、あとは何処へ行っても同じ種類のみすぼらしいメニュだけ。タイの何でも手に入り何でも食えるレストラン事情に比べたら、貧弱も貧弱、がっかりすること、この上なし。

 

おかげで、レストランへ友人を誘って食べに行くという楽しみも、当の昔に消えうせてしまった。だから私は自分の家で手料理のご馳走及ばず乍ら踏ん張って作り、先の担当者など友人を呼んでいた。

 

エキゾチックな、怪しい魅力を秘めた面白く楽しい外国に住みたい!という夢と希望も、このモスリムの国では、しょっぱなから、しおれてしまった。そんなマレーシャのMM2Hを取得するために、ジョホールから何度も遥遥、クアラルンプールの首都におもむき、係官に説明する努力をするだけの価値がある国とは、私には、この時点で、到底、思えなくなっていた。まあ、ストゥラング・ビューの部屋の所有主との不幸な出会いが、その気持ちに徐々に導いたといえるのだが、まあ、逆にいえば、このウザったいオーナーのお陰で、あまり面白く無いマレーシャに、間違って住まずに済んだともいえるわけだ。

 

10.原住民系のマレー人(マレー系マレー人)には、変な癖が!

 

原住民系マレー人とは、英国が植民地経営する前からすんでいた原住民のこと。英国総督府は、マレーは非常に人口(マレー系マレー人)が少ないので、植民地のスズ鉱山や、プランテーションなど、の植民地経営の上で、海外からの大規模な移民政策が必須だった。それで、イギリスは、中国人(鉱山に携わる)インド人(プランテーションに携わる)など、若い独身男性を、マレー人人口の数倍以上も移民させた。そのとき独身の(無論男性)移民のために、中国などから売春婦(中国人労働者が主な客)をシンガポール経由で多数受け入れた。日本からは有名なジャパユキさんがきた(中国人だけでなく各国人も客とした)。現在シンガポールのゲイラン地区にある売春街は、そのころの名残(なごり)で残った公認の公娼地区である。

 

マレー人の変な癖とは何か

 

中国系やインド系の移民がその勤勉さの故に、豊かになり、一方、生まれ付いての自然人間であるマレー人は勤勉でないため貧乏になった。それやこれで、中華系、インド系と、マレー系の貧富の差が、あまりにも酷くなりすぎた。そこで、マレー人を優遇する(逆)人種差別政策=ブミプトラ政策 を二十年間もの間代々のマレー政府は続けてきた。それでどうなったかというと、逆差別によるマレー人の怠惰さ、偏屈さ、独りよがり、原始的性格などが、大いに助長されただけだった。

 

その実例

 

私は、短期間ではあったけれど、ななみをイオンなどの大型ショッピングセンターなどで買い物をしている間、イオンの設けた遊園地(無料)で毎日のように1時間一寸、遊ばしていた。ここでで見た光景は、タイ、プノンペンの屋内遊園地で見た光景とは、まったく異質なものであった。それは・・・私はブミプトラの優遇策のせいだと思うのだが・・・マレー人の親が、白人など先進国の子供の他愛ない悪戯に、憎しみをモロに出すってこと。

 

たとえば、ななみが仲良しになったマレーの子供を追い掛け回したりすれば、父親が出てきて、こらー!追いかけるな!と激しく怒る。

以前こんなことがあった・・・

ななみ が、1時間の遊びで好きになったマレー人の子が帰るとき、悪戯か冗談の類から、子供の靴を先に取ってしまうことがあった。『もう一寸、一緒に遊ぼうよ』と思う動機で、その子の靴をななみが手で抑えるわけだ。するとその父親の怒るまいことか!他愛も無い子供のいたずらに本気で顔を激しくゆがめて、カンカンになって怒っている。それも非常にシツコク、だ。それを見た私が、頭を下げアイムソーリと何度か平謝りすると、今度は私に同じ顔を向けて凄い形相で怒ってくる。兎に角、実に激しく かつ しつこいのだ。私は心の中で、こいつらはまさにエテ公だ、と密かに思っって笑った。

 

マレー人の、親の、子供に関する、これに似た光景はアチコチでも何度か遭遇した。利己的な、原始的な自己主張が、非常に、かつ 法外に、強いのである。同じ肌色が違う色の白い人種でも中国系マレー人の子供に対してなら、こんなことは多分しないであろう。肌色が同じ白くても、日本人などの外国人になら、一寸した子供のいたずらにさえ、激しい怒りの表情を見せるのである。ここであげたのは一例であって、他にも同傾向の実体験をして、何て奴らだ、と心の中でうんざりしたものだ。

 

まあ、同じマレー人でも、中国系屋インド系はシッカリ勉強して来ているので、マレーシア政府のルックイースト政策(日本を見習おう)をよく知っているから、日本人には非常に優しく親切だ、これは大袈裟でなく、実にその通りなのだ。それは何度も経験した。

 

しかし、原住民系のマレー人の上記の振る舞いは、この美点をも台無しにしてしまう。

 

11.マレーとタイ、カンボジアの長所の比較

 

プノンペンは勿論、圧倒的に泥棒(←悪い奴全般を指して言う)が多い、そしてタイも多すぎる。両国とも、街の中で、ちょっと路地に入るってーと、『薄汚くて、何かが腐ったような、くさい嫌な臭いが、ぷんぷんしていたりする。』

 カやハエも多い。

 

KH、TH両国とも、ガソリンや(電気代は日本より安いが)、マレーシャよりは、ずっと高い。けれども、それでも、夢がある点ではマレーシャよりはマシだ。男だけでなく男女とも両国には、まだ大きな夢と希望がある。マレーシャは畢竟、貧しいマレー飯を食ってクソして寝るだけの国だ。

 

私が12年前何処に住むかを実地で調べるために、タイ、カンボジア、ベトナムを車やバイクで1ヶ月間旅行した後、こんどはタイからマレーシャに入って、(マレ-シャの国産車のレンタカーを借りて)クアラルンプールをはじめ、東海岸、西海岸を踏破した。そのとき、クアラルンプールで、身動きの取れないあり地獄の苦しみを味わった・・・どういうことかというと・・当時まだタイでもマレーシャでも今流の便利なナビが作られておらず、私は、どの道も蛇以上にクネクネ曲がりくねった道であるクアラルンプールの殆ど全ての道路で、どうしても目的地につけないあり地獄を味わったのだ。当時は私には結婚をすることになっていた大卒後すぐの、若い日本女性が居たのだが、二人で登山用の地図の入っていない原始的ナビを見ながら、目的地に行向おうにも、どうにもならない。道は、最初はいい方向に向かっていても、やがて、どんどんあらぬ方向に曲がって行ってしまうので、どうにもこうにも目的地につけないのだ。どの幹線道路もそうだった。これは、どうも、軍事的理由からワザと曲がりくねって作られているようだった。戦車で侵攻されても、どの道も蛇のように曲がりくねっていると、砲弾を目的地に打ち込みにくい。

 

そのとき、私は遂にきれて、大きな声で『こんなクソマレーシャには決絶対に住まない』と腹立ちのあまり、彼女の前で、独白宣言したものだが・・・

 

今回図らずも、12年たって、同じ結果になってしまった。

 

 

 2013/9/30 下書き 初登録

失恋苦だろうか、マリーさんは ななみが語ったところに寄ると 私が前日 マリーさんにご馳走するとき買って持って行ったスミノフのウオッカの半分残っていたボトルを 大部分のみほして ぐでんぐでんに 酔っ払っていた。二日間仕事は余りしなかったが、それで、この結末は 平和的に終わった。

それと関連した話だが・・・大分前の話だ。実は いきつけの 地域密着型のレストランの店の常連であるパナという中年の叔母さんが、 ななみに タイ語を教えたいと申し出た。謝礼は如何程?と聞けば、要らないという。それでも何がしかの額を申し出て ななみを叔母さんの家に連れて行った。

数日続いた日のこと・・・彼女の家まで ななみを迎かいに行くと パナとななみは 家にはいない。彼女らは 例の行きつけの店で、ななみと 彼女の娘と 3人で一緒に ご飯を食べながら 私を待っていた。
おやっ!・・・彼女の娘の鼻が 大きく腫れている。聞けば 今日タイの美容外科で 隆鼻手術をした という・・ゲッ!
それも 知り合いの医院で3分の1の手術代でやってもらったと得意そうに。その際 ななみも連れて行っていた。こんなに いとも簡単に 普通の親が手術をさせるだろうか・・タイ人というのはマッタク・・!!私は いぶかり びっくりした。前のほうが自然で良かったのに・・ ずっと可愛かったのに。この叔母さんも多分したのだろう、知り合いの医者というのは 自分の時の 主治医だったのだろう。

その後 何日間か タイ語教育は続いたが、ついに或る日・・・
彼女は本音を吐いた。
   
『あなたと私は、ななみの為に 結婚するのが1番です』、とこの女性は の賜った。今私と一緒に いる旦那は 家の3階に引っ込んでもらうから まったく心配ないと・・。チェンマイ大学卒というこの女の 非常識な見識が 見透かされた 瞬間だった。チェンマイ大卒 というのも完全な嘘っぱち で どうせ 良くてチェンマイ大・付属高校だろう。チェンマイにいた時 付属高校があるのは 大学に行って知っていたからね
下層階級のタイ人でこんなお気軽な考え方をする人は沢山いるが、中流階級以上の人で、大学まで行くような家庭の子息は 非常に保守的な考え方で知られる。この人は 中流だとしても 余りにも常識が無さ過ぎる。旅行代理店の社長をやっている人だったが まさに開店休業状態のようだった。お客さんなど見たことない。お金に困って、ベンツ・カブリオレに乗っている日本人の私の金に 目をつけたんだと この時、分かった。

そう考えて 私はこの女に『話は 余りにも急だったので、今一寸 お答えできない』 と言って 彼女の家を早々に後にして、自分の車の中で『トンでもない話だ、ッマッタク!』と独りごとを言いながら 家にななみを連れて帰った。ななみは車の中で それを聞いていて 『お父さんとケッコンなんて ひどいね。』と顔を、子供らしく しかめた。

翌日も そのまた翌日も ななみを連れていかなかった。電話も それこそ 何度も あったが・・・私は其のつど、その気が全く無い旨 丁重に答えた。また ななみのタイ語の勉強も 日本人学校が始まったのを理由に お断りした。

いま、こどもの誘拐がタイで流行っている。或る日 ”ななみちゃんをご飯を食べに連れていったら、何時の間にか いなくなって・・” といわれたら、お仕舞いだ。そして 大分 後になって、他の某組織から 身代金の要求・・・。身代金の要求があれば まだマシ・・お金と関係ない子供の誘拐も 今タイでは同じように流行っているそうだ。

君子危うきに 近寄らず。


ドイツ人の未亡人は名前をマリーさんという。そのマリーさん、英語の読み書きは勿論のこと、タイ語も書くこと以外は、ペラペラだ。実に甲斐甲斐しく ななみの面倒を見てくれる。だが、ちょっと困った問題が起きたのだ。それは・・・私に好意を寄せられそうで、実に困った・・・ということ。

昨日に次いで今日も、ななみの教師としての仕事ぶりに感謝していることを表わすため、昨日のシップサンリアン(本店 ムエタイのジムが併設されている所)に続いて、今日は チャオプラヤー河畔のレストランに ベンツ・カブリオレに3人で乗って行き、夕飯を食べた。そして マリーさんも 量こそ少ないものの ウオッカのソーダ割りを二,三杯飲んだ。

帰ってから マリーさん いわく。『今日、ななみは すごく 良い子にしています。今日 実は・・・』
ハッキリ言って、私は、私の好きな相手の型と、『ななみの先生 兼 ベビーシッターとしての素晴らしい女性』の型は 全く別だ。それこそ 全然 違う といっても よい。

私は 得がたい先生をゲットしたが、もし、勘違いされたとしたら・・どうしょうか。恋愛の相手としては全然反する女性なのに、相手にハッキリと それを(腹立ちなしに)分からせることは 非常に難しい、もしかしたら ななみの面倒はもう見ない(辞めたい)と言うかも知れない。 

今日、その苦悩 を 嫌というほど 思い知らされた。しかし、それとなく事あるごとに其れと知らせば、ドイツ人は賢いので、私が ななみの先生として非常に買っていること、そして それとは別に、恋愛は全く考えていない、ということを ちゃんと 分かってくれるはずだ。勘違いは、決してありえない、と・・・私は思っている。が、それでも、急に 馴れ馴れしくしてきて 体の あちこちに 触れてくるようになると、私は著しく困惑してしまう。こんなことは 初めてだ。ということは、今までは 日本人の場合も タイ人の場合も 勘違いは無かったが、ドイツ人未亡人というのは、自分への自信過剰から 勘違いすることも あるえるのだろうか?



タイの国策病院で7歳のななみを連れ添って 一日検査入院をした。翌朝 器械屋が来て 簡単な説明をしてC-PAPを8万バーツで私に売った。

検査技師は一晩徹夜で見てくれた。検査は2万バーツちょい かかったが、検査技師の腕は確かだった。彼女は、私の頭に脳波をとる電極をつけたり、C-PAPを装着したりしたのち、個室の私の部屋の隣室に陣取って、赤外線スコープを見ながらい全ての状況を監視し、必要な時には直接 見にきたりした。担当医師は検査前も、検査入院中も入院後も、只の一回も 立ち会うことがなかった。設定も医療器械屋の男(医療の上では、ただのオッサンにすぎない)にまかせっきりだった。その男が朝、病院にやって来て、30分間くらい、C-PAPの調整、説明して 帰っていった。それで お仕舞い。なんとお手軽なこと、すくなくとも患者が間違って使えば非常に危険な器械になる。値段的にも 28万円はする器械なのだ。

この日から、私とC-PAPとの 約一ヶ月の戦いが 始まった。

膨大な検査結果は単なる儀式だろうか・・・寝起きの私には C-PAPの調整値は 検査の結果によらず 最初から決まっている様に見えた。医療器械屋は膨大な検査資料を唯、申し訳程度に見て つまり 設定値を慎重に決定する振りをして、本当は 誰に対しても、同じ設定だったのは間違いない。最初から決まっているミニマム・プレシャー=6mm水銀柱と、マキシマム・プレシャー=20mm水銀柱、スタート・プレシャー6mm水銀柱、それから(患者が完全に寝るまでの、即ち、スタートプレシャーからマキシマムプレシャーに移行するまでの時間=)ランプ・タイムを20分間に設定した。このランプ時間のときだけは 私の意見を聞いて 少し参考にした。すぐ寝付ける方か など。

この日から 毎夜、私はC-PAPと格闘した。しかし何度我慢しても 寝付けない。爆発的に空気が押し込まれて、眠れない。私はC-PAPには向いてないのか。苦しんだ挙句、担当医師に苦情を言った。担当医は マキシマムプレシャーを半分に抑えた。それで、一晩だけ楽に呼吸が出来る日があった(もしかしたら これは私の錯覚で、呼吸器を無意識に外して横を向いて 寝たのかもしれぬ)、つまり呼吸器の世話になっていなかっということ)。このとき素晴らしく楽しい夢をみた。しかし その日以外は、いつも殺されそうになる恐ろしい悪夢をみた。

そのような悪夢があった日は、日がな一日中、血圧が200近くに上がっており、夕方か それ以降まで血圧が全く 下がら無かった。ある日、悪夢で目が覚めた後、私の血圧は215まで上がっていた・・・もう我慢なら無い。急いで、病院に行き、クレームをつけて、件の医療器械屋を病院に呼んで 器械屋の住所を聞き出した。この器械屋は最初その住所さえ なぜか教え様とは しなかったのだ。

私は 自分の車で この器械店に行き、スタッフを呼び、『私は日本の医者だ。あなた方は この器械で私を殺す気か?見てくれ、これは 私が この器械を装着して 朝起きたときの血圧だ。・・・器械を変えてくれ、この器械はオカシイ』と言った。するとしばらく置いて 女社長が出てきて、まず一等最初に 『あなたは どうして この店の住所を知っているのか?』と聞いた。『病院に来た器械屋の男に強く言って、教えてもらったのだ』怪しい質問だった。
女は頷いてから『この器械は新しい別の器械です。あなたの要望にそって交換しましょう。この新しい器械で、素晴らしい夢を見てください』と、心を見透かしたようなことを言った。

家に帰ってその日の夜、早速装着してねたところ、残念なことに 悪夢で目が覚めた。案の定、無呼吸が長く続いたのだろう、血圧が190近かった。
その日から 私は 器械はつけずに 『舌根の沈下を防ぐ 唯一の可能性=横を向いて寝る』を試そうと決心した。というのは、例の信頼できる女検査技師が 検査明けの早朝に言ったことば『あなたは 一分ごとに 無呼吸がおきているが、唯一 右を横にして寝ている間だけ、無呼吸が起こらないですね』を覚えていたからだ。

これは正解だった。ほぼ これによって初めて、早朝起床後の血圧が普通になったからだ。こんなインチキに近い呼吸器を売りつけられるくらいなら、余程 この原始的な方法の方が、見込みがある。私は この方法に人生をかけることにした。しかし問題は、右を横にして寝ていても その後 体位が変わってしまうことだ。そして 右を下にして寝つづけると、右胸半分の肋骨が非常に痛くなってしまうことだ。

この解決に私は ホームプロで、非常に柔らかいDunlopillo というブランドの英国製のマットレス(厚みが35から40センチもある)を購入した。いわく、Perfect sleep experiens とうたっている。このベッドは確かに気持ちが良い。しかし、朝になると、体位が変わっており 血圧は 無呼吸が生じたことを 示していた。

次に SKファニチャーで 或る種の ソファベッドを購入した。これは硬い幅広の枠が付いており、その内部は 重く圧し掛かると少し(最大の部分で10センチ)下がる。つまり 私の要望にあっている。そこへ右胸を下にして寝ると、しかも ソファーを半分だけ起こして( 背もたれ は2分割できるので、頭側の半分だけを起こす)ねると、朝まで体位が変わらないのだ。私はこのベッドで何日も実験を繰り返した。分厚くて しかも 非常にソフトな(羽毛に近い)布団を3分1に折たたんで更に厚くし、ソファベッドの最大10センチ凹む部分に敷いて寝た。その結果、無呼吸が起こらないことがわかった。そして右胸も全く痛くなくなった。無呼吸も起こらず、早朝起床時血圧は まさに140から135で収まっている。

チャンチャン。

余談だが もうバムルンラードなどは 無用の存在だ。そこのタイ人担当医にも C-PAPの苦情を言うことすら、馬鹿馬鹿しい、言うだけ無駄だ。患者の苦しみを餌に 高額診療費を稼ぐ。儲け主義そのものだ。どこの国策病院たとえば サミティべート、バンコク病院なども皆 金儲け主義がはこびっている。サミティベートは大分前に私の妻が子を身ごもったとき、医師の資格がない若い女性が、エコーで勝手に診断して 1万バーツも請求された。おまけに その診断は全く間違っていた。骨鼻孔を外鼻の穴と(素人が陥りやすい)間違って、『あなたのお子様は 鼻が広くて、穴が非常に大きいです』とトンでもない誤診をやり、当時の妻を嘆き悲しませた、最低のクソ病院だ。私は自信をもって当時のブログで こう断言した『器だけ大理石で着飾って、中身は 器に弱い日本人の叔母さん連中などを高額の診療費で誑かす』。医者の私から見ると、インチキとの差は紙一重だと思った。

バンコク病院の診療費の欲得ずくは私にはシッカリ分かっている。私と事故を起こしたバイクの保険診療費を目一杯使い切ると、患者を追い出した件の出来事(患者の主治医は 脳出血の可能性があるので加害者の私の保険を使って、開頭手術をしたいと 患者に クソのたまった。もし保険枠が残っていたなら 間違いなく開頭したであろう。その結果、脳出血もないのに、患者は 後遺症で長く苦しむことになる)で 看破した。プノンペンのバンコク病院のいい加減さについても 論破した(ブログ参照)。

B国策病院に勤める某日本人医師にも触れておこう。日本人医師(普通は日本人医師はタイでは医師資格がない)も タイの国策病院で働けば 株式会社B病院の金儲け主義からは逃れられない。当時、私は まだC-PAPと格闘して、無呼吸による高血圧に苦しんでいたころ、B国策病院の内科を受診して C-PAPに慣れるまで(高血圧の)降圧剤を処方してもらった。日本人医師は 日本のマスコミに槍玉にあげられた あのノバルティス薬品の、Exforge 150mg を処方していた。これは日本人が服用する同薬の4倍以上の量に相当する。これを何の説明もなく(薬局にきて貰うので、その医師は もう居ないし、説明もない)、薬局で投薬した。これは恐ろしく多い量だ。薬代は約4000バーツ。私は 仕方なく それを4分の1に歯でかじって分割して飲んだ(薬に分割できる切れ目はなかった)。その前に、担当医師は薬が何かをいわずに ただ 二週間分出しておきますか、と私に聞いたので、『いえ、一週間分で結構です』と答えておいたが、こんなの2週間も飲まされたら、何も知らない素人なら、防御できず 血圧が下がりすぎて アウトであろう。ちなみに この薬 国立皮膚科研究所病院の前の 多くの薬局などが集まった薬局街の1つに行けば、全く同じものが2倍量入って 約1000バーツだ。したがって 価格を8倍にして患者に投薬していることになる。全く タイの国策病院の金儲け主義は・・・。

比較的潔癖な日本人医師でさえも、タイの国策病院のコントロールに罹れば 株式会社化 するのである。

日本人医師は医師としての見識が或る些細な事柄に関してだが、少し 疑われることがあった。実は、その日の朝、血糖値を測定して貰ったのだが、 その日私は100%フルーツ ジュースの果糖を摂っていた。医師は今日は血糖値を上げるものを摂ってませんか?と尋ねたので、『はい、摂っていません。ただ、果糖は少し摂っています。』(果糖は、血糖値の上で、ブドウ糖とは ことなり、血糖値は上昇しない)。それを聞いて医師は『(ホホホッ、と笑って)ジュース内の果糖もブドウ糖と全く同じすよ、血糖値は上がります』、とのたまったのだ。私はそれを聞いて最初 自分の見識を疑い、自分の思い違いかと、何度か思案した。しかし、結局 この医者の方が間違っていた。

或る意味、こんな薄識の ”お医者様” が タイの国策病院には ごろごろ はこびっている?のか、どうか・・・それは分からない。

バンコクの或る有名国策病院で日本語通訳をしていた人(菊地直人氏の友人)によると、無呼吸症の日本人患者で C-PAP
の世話になる人は事の他多いという。ところが そのC-PAPを買った患者さんの 約6割が全然合わない、付けて寝ても 怖い夢をみて(息苦しくて)目が覚める と、強いクレーム を付けるという。これを聞いて私は 驚いた。あの医療器械屋の女社長が『どうしてこの場所を知ったのか?』と質問したときに 暗に こめられた内情(内幕)が これで読めた。不良品ではないにしても、専門医ではない医師の説明不足や、専門医で無いので器械を調整出来なかったり、あるいは 調整不良だったり などで 患者さんが この器械を使いこなせず 長く苦しむことになる。

久しぶりに ブログを書く気になったのは、長い間の数々の困難に ついに終止符を打てたからです。

まず、ななみ の日本人学校における 問題が、小生を悩ましていた・・・
1年生の最終期に ななみは 二年次より特別支援学級に入いることを余儀なくされた。大ショックだった。が 2年生になった時に いざ入ってみると ここは ななみに 合っており、ななみにとっては幸せだと わかった。ふれあい教室の専任担当講師の山川教師が言ったとおり、わずかの生徒の人数に対して、何人もの先生が手厚く 教えてくれるので、生徒の保護者の中には 何とかして 当教室に入いりたい、と願う親も いるそうだ。中には IQ上 天才並みの子供もいるという(それは、一部能力は天才並みかも知れないが、他の一般能力とのアンバランスのため 30人の普通のクラスでは扱えないから 特別支援教室で扱うのだそうだ。無論、ななみは それとは事情が違うが・・)。

一般クラスに居たときも ななみは(土日以外)1日3時間の家庭教師をつけていたが、二年次もこれは同じだが、新たに タイ語を教えることにした。ななみ は私が購入した学校の近くのスパライ ウ△リ△ト△ というタイでは有名なディベロッパーのコンドミニアム(3LDK)の共同登記名義者になっており、少なくとも高校までは バンコクに住むと決めて居る。そのためタイ語がネイティブに話せる必要があるのだ。

それで菊地くんという プノンペンの空港前のアパートに 6ヶ月間だけ一緒に住んでいた知人に相談したところ、最近 カンチャナブリ(日本と英米の戦いで有名なクエー鉄橋がある町)のホームプロに入社したが、反抗的な態度のため直ぐ辞めさせられた、それで車(トヨタ ヤーリス)の月賦が2ヶ月間も支払えないで困っているという25歳の無職の女性がいるらしい。本人は一人では住み込みは出来ないので、一緒に菊地君の細君もお願いしたいと・・。カンチャナブリだから当然住み込みなわけだ。

彼らは ベッドを用意してくれという。これはズッと働くという意味なのか。ちょうど第三室が空いていたので其処にダブルベッド諸々などを設えて 快適そのものの寝室にしてあげた。使ってみると、この二人はレズビアンだと分かった。毎日、甲斐甲斐しく 乳繰り合っている。それでも私は良しとした。

彼らは毎日12時までベッドから起きてこない。タイの下層階級特有の《キーキアットな若い女(無論 男も そうだが・・)》たち。それもOKとした。長く 居て欲しいので 小言は全く言わなかった。すこしだけ役に立って 且つ ななみにタイ語を教えてくれたら、よしとした。

ところが・・

勤めて一ヶ月前の前日のこと、ななみの髪の毛を整える役のジブが この日に限って 殆ど手を掛けないで 手抜きして結っていることに気がついた。また、ジプの夫役のスチラーも 殆ど唯一の仕事である床掃除なども形だけ した振り をしており そして 今まで見せなかった反抗的態度を急に私にぶつけた。

これはオカシイ!私は 給料を貰ったら、すぐ辞めるな、と気づいた。それで、前に引越しのための人足を二人分 お願いしたことがある日本人学校前の 小さな タイ人の店に相談して タイ語を教えてくれる人を紹介してもらう約束をしておいた。 そして 二人に給料を満額支払って どういう態度に出るか 様子を見ていた。あくる朝・・・。な、な、なんだ、これは?
  
二人の部屋はモ抜けの殻だった。ななみ だけが、大きなベッドで 一人で ポツンと寝ていた!

早い話、二ヶ月分の月賦が溜まって支払いに困り、1ヶ月間だけ 出かせぎのために 私を利用したのだ。クソ馬鹿馬鹿しい。一ヶ月なら雇わなかった。このときの私の心情でハッキリと言うならば、、、こいつらはクソだから。仮に一月だけ ということで部屋に置いたとしても3万バーツも支払わなかった。少なくとも 給料に見合う仕事など 殆どしていない。なんせ 仕事らしい仕事など 何もしない。殆ど寝ているだけ。一万バーツでも あの働きぶりなら(いや 言い換えよう)あの怠け振りなら 1万バーツでも 多すぎる。
だから 二人は一ヶ月間 お《苦労したくない、楽して居たい》 ので それで 私とななみを ずっと居ると信じ込ませて 購入したばかりの新居に居たのである。 

・・・・・私が寝しづまった深夜から未明にかけて 帰り支度をこっそり整え、夜陰に紛れてトヨタ ヤーリス で カンチャナブリまで逃げたのである
  
しかし・・・
彼らは 彼らの預かり知らぬところで 結果的に 私にとって 非常に良い作用を施した(こういう作用のことを触媒作用という)。私は 彼らに 『一杯食わされて、明日にでも逃げて行かれる』 という クソ悔しさ も手伝って 学校前の小さな店に 《タイ語の先生を紹介して欲しい》と真剣勝負さながら、お願いしたのだから。(注 日系の人材会社などは 家庭教師やメバーンなどの個人的雇用など 全く 相手にしてくれなかった)

しかも、その結果は思いも掛けぬすばらしい物だった。私は 東ドイツの未亡人で18歳の一人息子をドイツで自動車事故でなくして以降、20年間以上もタイに住み、タイ語も英語もネイティブに話せる『ベビーシッター兼メバーン』を見つけることが出来たのだから。

彼女は 東ドイツの臨海の小村ロストックで生まれ、フランクフルに近いバンべルクで結婚して子育てし 夫と別れてからはタイに移り住み 子供が18歳のとき自動車のメカの勉強をしに 一時的に(子供だけ)ドイツに帰っていた。ドイツに帰って1年後、子供は不幸にもドイツのアウトバーンで車の運転を誤り 死亡した。

私は この女性に結婚や恋愛などの感情は全くないけれど、しかし 彼女は 人間として また女性として 非常に人柄が良い。私は 前の クソやゴミ同然のキーキアットたちのお陰で この素晴らしい人物を得たのである。タイ人など足元にも及ばない勤勉さ。特に前の二人に比べたら雲泥の差がある。英語がネイティブなのはマア ドイツ人だから分かるとしても (注 フランス人は英語は駄目) タイ語が 信じられないほどペラペラなのだ。それは ドイツ人(ゲルマン民族)として 勤勉で頭が切れる ところから 多分くるのだろう。掃除、洗濯に、ななみの料理作り。なによりも ななみを可愛がってくれる・・・。タバコは ヘビースモーカーなのは仕方がない(笑)

前の二人はレズで底なしの怠け者の上、ななみへのレズの影響も心配された。こんなレズの男役をやっている怠け者の女を嫁にして 毎月2万バーツ何がしかの手当てを なけなしの中から工面している菊地直人氏に、存外 本気で 私は同情している。彼女は大分前に聞いた話だが 菊地氏によると パタヤのウオーキング ストリートの ゴーゴーバーで働いていた(ただし 受付系)そうだ。タイ語ができない日本人としては 私も含めて こういう手合いしか普通はゲット出来ないのだ。 

今や医療機関は診療費の持続のために悪魔にもなり得る。これは あらゆる事例に当てはまる。薬、手術、医療機器しかり。日本の医療機関も、ロックフェラーなどの世界支配層 に組み込まれている。

たとえば薬についていうと、降圧薬がいい例だ。昔 厚生(労働)省は3000万にも上る国民の高血圧症患者を抑えるため21日本 というキャンペンを大々的に打った。
塩分を控えましょう、6グラム以下にしましょう。

国民は皆 塩分こそが高血圧の原因だと固く信じてそれを守ろうとした。病医院の先生も、メーカーもしかり。

しかし、それで高血圧患者は減っただろうか?    
いや、全然減らなかった。むしろ増えたと言った方が早い。そればかりか、今度は熱中症患者が続出した。全国で死亡者が相次いだ。原因は大切な塩分が汗とともに体から抜け出てしまったからだ。すると21日本の立案者厚生省は、責任も取らず、あれほど塩分を控えよう、と言っていたことを忘れてしまったように
今度は塩をなめなさい、と言い出した。

これで高血圧が減らずに診療機関は安泰になった。高血圧患者がひっきりなしに病医院の窓口にやってきた。なぜか?塩は高血圧の主原因でなかったからだ。高血圧の主原因は 主食の米など糖だったからだ。
誰しも驚くだろうが・・・
糖は血中に入り、血管の内皮細胞のタンパク質に取り込まれ、固くなり、動脈硬化を引き起こす。これが高血圧の主原因である。コレステロールも動脈硬化の原因になるが、これよりも遥かに糖のほうが、動脈硬化の主原因になる。人間が米など(麦、トウモロコシ、ジャガイモなど)を作るようになってから多くの人間が養われるようになったが、一方、社会ができ、社会的地位や階級社会などが始まり、種々の争い事の原因となった。それと同時に、コメは糖尿病と高血圧を蔓延させた。米を主食にすると、糖尿病や動脈硬化、高血圧症になる。コメの主成分、糖(ブドウ糖)が体の中に入ると、体の中の蛋白質と結びつき(糖タンパク)、動脈硬化などを起こすとともに、糖尿病も確実に誘発する。どちらも 脳溢血、心臓疾患、腎不全などの死に直結する恐ろしい病気だ。


だから、本当は、米を食べるな、というのが正解なのだが、農業者を敵に回したくないから そんなことは言えなかった。

こうして、病医院の先生は今も尚、塩分を減らしなさいと 錦の御旗を振りかざす。これで高血圧が治らず何時までも降圧薬が必要になり病医院は安泰になる。糖を食べると、高血圧ばかりか糖尿病になる。糖尿病と高血圧、死の二重奏である。


ここで、本題に入ろう。、
わたくし事で申し訳ないんだが、私は最近、睡眠時無呼吸症が酷くなって、早朝高血圧に悩まされた。それで知り合いの先生がいるバムルンラード病院を受診した。この知り合いの先生というのが元日本の自衛隊で医官をしていた女医さんだ。一般にタイでは外国人の医師(本国の医師資格がある人)は診療できない。しかし、このの方は同じバムルンラードの男性医師と結婚して、必要な勉強も積んで、特別にタイの医師免許を取得した 非常にまれな方だ。

私はその方を受診して、睡眠時無呼吸症の切り札 シーパップCPAP(持続陽圧式呼吸補助器=舌根が沈下して呼吸が停止するのを防ぐ)に付いてお尋ねした。
すると、百武先生は、タイでは患者さんはCPAPを購入できるという。一泊して、夜寝てから朝起床するまでの間、無呼吸がどれ位の間隔で起きているか、その間 血圧がどの程度上昇するか、などの検査をして(隣室で夜間 専門の検査技師が各種の測定をする)から購入することができるという。(参考 CPAPは10万バーツ以内、夕方7時から朝10時までの検査料金2万バーツちょっと)。

私はそれを知って手放しで喜んだ。というのは今までタイの病院にCPAPが置いてあるかどうかさえ考えも
しなかったからだ。よく考えればタイの外人専用のこの種の病院(国策病院)は日本と同一レベルかある分野では日本より高度な治療ができる(費用もそれ以上に高いが・・)

かたや日本では、医師が機械を貸し付け(一定期間ごとに調整するという口実で)、決して買い切りにはさせない方法で、永久に患者を病医院に縛り付ける。かくて、病医院は安泰というわけだ。


その点、タイの方が遥かに合理的だ。日本は患者さんの犠牲において病医院の安泰を図ろうとする。許せない。

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