副題:大気汚染のない安息のパラダイスを求めて私は旅立った・・チェンライ~ラオス~サタヒップ

 

 

 Nさんをミラー財団が支援する山岳民族の村に残して別れてから丸三日、楽しいチェンライでの ななみの冒険も あっと言う間に終わった。

その翌日、私は ななみを連れてミラー財団に行ってみると、おやっ、誰もいないじゃないか。ミラー財団は、もぬけの殻だ。正月だから当たり前かなと・・・

そう、思いつつ、部落住民に聞くと、大晦日のカウダウのパーティーの席にいた白人参加者達やNさんらは、山岳地帯にある有名な国境の山岳民族の村プー・チー・ファーに、ミラー財団のミニバスで行ったと言う。

この町は昔から、正月の初日の出を見る場所としてタイ人には知られている。タイに来た当初から私はこのことを知っていて、かねがね行って見たいものだと思っていたが地図で探すと、この村は、実に、北部タイの東の最果ての辺境の高い山の頂上ににあった。この辺りは、険しい山岳国ラオスと国境を分つだけあって、高峰が連なっており、私はこの村が、あたかも雲の間にあるかのように感じられた。下図は北部タイの中でのプーチーファーの位置を示す。

                                          

 

タイでは、辺境の地には、人種的にはタイノイ(小さいタイ人)という正統派タイ人から、政治的にも制度的にも著しく差別されているタイヤイ、アカ、リソ、カレン、モン族等の被差別民族が非常に多数住んでいる。彼らの収入としては国策でやっている例えばカレン族の村に入るときの入村料の半分とか、高い山岳地域でも採れるリンチーなどの果樹園での収穫の季節に、日当一人100バーツで集められて収穫業務に就く仕事くらいしかない。

彼らは、オンボロのバンの荷台に ぎゅうぎゅう詰めで載せられて急傾斜に植えられたリンチーなどの果樹園に借り出されるのを、私はこの目で見た。

私は3年前に取材に行った時には、オンボロのバンがエンコした時、乗せられて帰宅する途中だった日雇いたちを我が方に乗せ換えてあげた事がある。年齢層は30歳台から5、60歳台までの男女。

若い男女がいないのは、若い間にしか出来ない高収入の風俗業に出稼ぎに行っているせいだ。ただし、彼らは部落に住む場合だけ居住を保証されており、そこから他の地、例えば風俗の仕事があるチェンマイなどに行くのは許可が必要だ。

全指の指紋を取ったうえ、彼らにしたら大金の数百バーツもの手数料も払って、やっと1~3ヶ月の許可がもらえる。このように悲惨な生活をしている数多くの山岳民族でありますが、プーチーファーの地図を出したついでに、海外支援医師の会がかって取材した、かれら被差別民族と関係した邦人たちの冒険譚(の標識だけ・・内容は別ブログにて)を同じ地図に書き込んで見ました。

         

この最果ての辺境プーチーファーにチェンマイやバンコクから行くのは大変だ。そのせいで、過去9年間、ついぞ機会に恵まれなかったわけである。

で、私は今こそチャンス到来と お腹にグッと力を込めた。

私は、チャンヤーとANNさんの二人を従兄弟の家に残して、 ななみ だけを連れてチェンライから150キロ離れたこの辺境へ向かうことにした。といっても楽々と行ける訳ではない。“道に道を継ぎ足して”の延べ34時間ものドライブだ。なにしろ最果ての辺境の村なので、直線的に行ける訳ではなく、それどころか斜めに走る数十もの悪路を継ぎ足して行くほかない。

村からあと十キロという箇所にかかったときのことだ・・・道が急峻な悪路(もちろん地面を掘り返しただけの道)となっていて、2輪駆動では急峻すぎてズルズルと滑るのだ。しかしタイ人ドライバーの場合はマイペンライ性格なのでトヨタのハイエースなどのタマダーの車でも、お客を満載して平気で行くようだ。

私は、もしこれが10キロも続くのなら、もう中止にしようかと決意した。

幼児を乗せていることもあり用心深く、私は、駆動切り替えスイッチを通常走行の2Hから、4Hを通り越して4輪ともに固定の4駆=4L走行にして恐る恐る走ったのだった。

                                        

幸いにして2,3キロほど走ると道は大分よくなってきた。行く途中には、いろんな山岳民族村があった。その一つに立ち寄って撮った写真が次

                                        

それらを通り過ぎて、遂に私と ななみ はプーチーファーに到着した。



 

なるほど有名なだけあって、数百かそれ以上もの車が各地から初日の出を拝もうとやって来ており村の頂上に行く入り口の検問所では非常の混雑していた。

                                        

それで私はその近くにあるお土産売り場で太陽を拝み、その横の登山道から2キロの見晴台での 

”初日の出”ならぬ≪初日の入り≫ 

で満足することにした。

下はお土産もの売り場に立つ ななみ


 ただ、見晴台までの2キロの道を、ななみを連れて歩いていると、ななみ の足では大変時間がかかる事が推測され、この分では見晴台に付いた時は暗くなって帰り道が危ないと判断して1キロのところで潔く中止して引返した。この潔さには、以前、カオヤイ国立公園でへウナロックの滝(地獄谷の滝)を見に行ったときの怖い経験が物を言っている。

 

あの時は・・・へウナロックには遅く着いてしまい、日が暮れるサンセットまで約20分前だった。難しいかも知れないが、折角来たのだからと、皆の反対を押し切って無理をしたのだ。高々1キロの距離だ、駆け足で行って駆け足で帰れば間に合うだろうと安易に考えた。走り出して半分まで来たとき狭い通路は歩き難く、非常に険しい階段が何箇所もあり、電灯一つ点いているでなし・・これは下手すると真っ暗闇になって帰れなくなるかも、と思った。

焦って出ため懐中電灯も海中電灯の代わりになる携帯さえ持っていなかった。帰れなくなっても連絡さえできない。

 

しかし私は、帰るべきか続けるべきか悩んだ末に、続行を選んだのだ。自分の計算では・・さらに早や足で走ればあと4分で到着して1分で写真を撮り、8分で戻れば危険ではない、と考えたから。そして、深く早く意識的に呼吸しながら ひーひーはーはーと息咳ききって、走って行った。険しい急峻な階段は手すりの鉄パイプに腕をガッチリ回して落ちないようにしつつ駆け下りた。

現場に着くや40秒位で数枚写真をとり、今度は、踵を返して心肺をドッキンドッキン、ゼイゼイ言わしながら見事暗闇になる前に辿り着いたのだ。

なんて馬鹿なんだ?(笑。でも半分は肝試しの気持ちも あったんだもん)

 

滑り込みセーフではあっても、それは恐ろしい経験で、深く反省したのだだった。

この間の経緯を含め、そのときの恐ろしげな暗闇に青白く映えるへウナロックの滝の写真は後で出てきます

 

次の写真は、半分ほど行った地点で撮った見晴台の写真。見晴台には見物客が鈴なりになっている

私は、ななみの安全の為、潔くあきらめて引返し、お土産物売り場での初日の入り こと 私にとっての”初日の出” を楽しむことにした。


 

海外支援医師の会

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