ラオスを取材車両で行く 第7話その3

(携帯モデムで投稿中の為、写真は長時間かかるので順次掲載します)

 

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パラダイスを求めて!第7話ラオス

大気汚染度を雲の目視で簡単に調べる方法

パラダイスを求めてチェンライ~ラオス~サタヒップ

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9号線の最初の村を4時pm頃 後にした取材班は、13号線に戻り山岳国道を風光明媚なバンビエンへと急いだ。しかし山岳国道では時速50キロくらいでしか走行できないので、日が暮れてからも営業しているという往路で覚えていた食堂までは、まだまだ遠かった。日が暮れてもあいている食堂は、記憶する限り 山岳地帯ではここ一軒だけだ。

タイの国道では山岳地帯といえど道路に照明灯があるため、ほとんど何処でも薄っすら見えるものだが、ここラオスでは全く照明がないため、日が暮れると真の暗闇になる。行き来する車も全くと言って通らない為、もし車が古くて信頼性に乏しい時はヘッドランプなどが故障する危険性を考えて、夜明けまで走行を待機すべきだが、我が取材専用車はラオス走破に備えてバンコクのイスズで、直ぐ故障する軟弱なキセノンのヘッドランプのタマだけでなく器ごとハロゲンランプに交換するというアッセンボリー交換した上に、ディスク・ブレーキのディスク残存量のチェックや、オイル交換なども含む総点検をして万全の体制で来ているので安心して走行を続けた。

一寸、話しが脇道にそれるが、ヘッドライトシステムをキセノンからハロゲンにアッセンボリー交換した理由であるが・・・購入した当時のイスズD-MAX 4WD はヘッドランプがキセノンランプで明るいものの、片側1個だけで4万円もする高電圧発生装置が1年半ほどで駄目になり点灯しなくなるという馬鹿げた欠陥が有った(1年半毎に、きっかり故障した事実は、3回も繰り返えされた。両方で8万円なので、3回で24万円にもなったのだった)。この欠陥のためイスズタイランドとディーラー(経営者はタイ人)はリコールをすべきところ、純正のを取り外して、そっくり交換できる2個でワンセット約2000バーツと言う安いハロゲンランプシステムのアッセンブリー交換を取り入れていた。この交換が出来ることさえ、3回の左右交換(合計6個)の時、ディーラーサイドからは(利幅が大きいキセノンの高電圧発生器を売りたいがため?)三回とも全く教えてくれなかったのだ。その後、この手の4WDに装備されているキセノンは流石に客からのクレームが相次いだので廃止となり、もとの12ボルトで点灯するハロゲン球システムになった。そのような いわくつきのヘッドランプであったのでラオスに行く前に簡単なシステムである丈夫で安いハロゲンランプシステムにに交換したと言うわけだ。

参考:タイなどの日本車のディーラーはフランチャイザーこそトヨタタイランドとかイスズ・タイランドなどと日本メーカーの直営(従業員は全員がタイ人で、からくも日本から派遣された日本人駐在員が一人程度いるだけ)だが、フランチャイジーであるディーラーはすべて現地人経営者なので、『欠陥はメーカーとそのディーラーが保証する』という日本の常識は全く通じない。そう思っていた方が精神衛生上、良い。少なくとも取材班の経験では、タイでは販売者責任は全く取ってくれなかった、といっても過言ではない。『賢い消費者がメーカーを磨き立派に育てる』、と良く言われるが、タイの消費者は宗教観からかどうか分らないけれども、兎に角、上に対して文句を言わないように思想的に我慢するように躾けられてきた・・そう取材班は感じた。トヨタタイランドでさえ、ディーラーのこのような経営方針は日本の責任体制になれた日本人が特に指摘しない限り、放任しているように思われる(別項ブログ=世界のトヨタもタイでは、怠惰と享楽・酒と踊り・嘘と誤魔化し)

 

雲の上のレストラン

(前回ブログ:ラオスで持てた の最後の写真↓を参照)

 

 

このような事を考えながら夜道を走らせているうちに、ようやく我々は目的の食堂に到着した。休息もかねて、ここで 我々は皆んなで 晩の腹ごしらえをすることにした。

写真 2323山岳の食堂

 

この食堂はここ一帯では唯一の よろずや として日常品なら何でもそろうという感じのミニマートも兼ねていた。写真 2324

 

 

 

我々に続いて、トラックの運転手も食事にやってきた。

写真 2325 

 

 

雲の中のレストランなので、雲の水蒸気だろうか、湯気のような物が立ち込めており、肌寒いのでななみを厚着させパーカーも被せた。食事は、やはり日本人の口に合う。ビアラオで乾杯。

写真 2326

 

  食事の後、経営を切り盛りしていると思われた娘さんに、ラオ語が分るチャンヤーが我々がラオスを車で旅行しているなどと話しかけると、興味を示してくれ四方山ばなしが花開いた。別れの際、姉弟と一緒に記念撮影をさせてもらう。写真2327

 

14キロもある重い ななみを軽々と抱いてくれた娘さんは、弟と目鼻唇などが瓜ふたつだ。写真 2328

 

食堂を出て3、4時間ほど走ったところで、無事、山岳地帯を通りすぎ平地に入った。時刻は夜10時を越えようとしていたが、往路で泊まった(外観は古いが)室内は比較的綺麗だった例のバンガロウ風のホテルに到着したので、そこで泊まることにした。お陰で食事も、数キロほど一寸車を走らせて、往路で利用した中国人系のレストランで済ませることが出来た。

 

 翌日、朝早くホテルを出てバンビエンに向かった。往路では反対方向のため、見れなかった(日本では見ることが難しい)神秘な山々を正面に眺めながら、平地の傷んだ舗装道路を時速80キロくらいで注意深く走らせた。

写真 来た時見た景色(来た時にも色いろ見た神秘な山々 に変更)

 

写真 何度見ても凄いの一言2349

 

同 2353

 

 

飛ばした甲斐があって昼飯どきに何とか間に合う頃に、バーンビエン(今までバンビエンと記載してきたが、チャンヤーによるとバーンビエン・ラオというのだそうだ)についた。着いて先ずした事は、景色の綺麗で価格が手ごろな、お食事処を探すことだったが・・くまなく探しても、それに該当するお食事処は、(往路で利用した)眼下に川を見下ろす例の店しかなかったので、そこで食べることにした。行くときもそうだったが、この時もチャンヤーは車の中で休んでいた。その訳は、ななみがぐっすり眠っていると言う理由も少しはあるが、それ以上の理由として、彼女が車中でスナックの類をムシャムシャと食べ続けてお腹が減っていないせいだ。自分だけでなく ななみ にも目を離したら直ぐ、事あるごとに与えている。元来、人間は小さいころに身に付けた習慣が大人になっても改められないのが普通(三つ子の魂百まで)で、チャンヤーの場合は、小さいころ親から(痛ましいことではあるが)、食事と言えばインスタントラーメンのママカップ(10個入りで40バーツ、1個4バーツのアレ)。お菓子はママカップをそのままボリボリと食べること。たまにご飯を炊いたときには、タイ醤油すなわちナンプラーをかけて食べる・・いやはや・・気の毒だと言えば気の毒ともいえる。

恐ろしいことに、立派なプーヤイ(大人)になった今でも、癖を治すことが出来ないので、(冷蔵庫を開けば多種類の高機能野菜や魚があるのに、)面倒くさいのか、あまり好きでないのか知らないが、いまだにママカップか、ご飯に醤油をかけて食べているというテイタラク。たまに自分のために料理をする事があると、肉と野菜に莫大な量の油とか、プリック・キーヌー(プリック=唐辛子、キーヌー=ネズミの糞 すなわち ネズミ糞サイズの唐辛子 → これが最も辛い唐辛子だ。唐辛子は少量なら健康に寄与するが多量では黴菌にとって毒であるように人間にも毒物に変わる)、そのプリックキーヌーをドサッと加え、さらには唐辛子の赤粉を料理が赤くなるまで沢山かけて炒めている(ただし自分専用のときのみ)。ご飯とご飯の合間には引っ切り無しにスナック菓子の類を食べているというくらい口が卑しい。これでは後10年もすると老化が激しくなり皮膚がボロボロに老けるだけだぞ!と、いくら脅しても何処吹く風で、全くの馬耳東風だ。パテトラオの時代の共産圏のラオスで、ベトナム戦争の米軍の作戦利用されて勇敢に戦った為、その後もラオスからタイ(当時、米軍の後方支援基地だった)に逃げざるを得なかったモン族出身ゆえ、教育もロクに受けられなかった親爺には(同情を禁じえないし)、罪はないけれど、いかに小さいころの躾が大切かと言う、悲しい事例ではある。

 

さて、美味いラオス料理とビアラオでお腹も一杯になった。では探検に行くとしますか・先ず最初に対岸へ行く橋をさがす。レストランから3キロほど南下したところに有料の橋があった。それを通って向こう岸の川原にでた。

写真 レストランから見えた向こう岸2359-1

 

川岸から西を見ると屏風のように立ちはだかる奇岩の山が見える。写真 2367

 

川の西、つまり奇岩の山の方向は農村で、そこの子供たちが川原で水遊びをしている。

写真2369-1

 

ふと対岸を見ると、そちらは若干深いのか、若い白人女性が一人で泳いでいた。

写真 2370-1

 

若い白人女性はワビサビに興味があるのか、あるいは、気にならないのか分らないが、この女性は直ぐそばの川岸にある古びた民家風の宿に泊まっていた。日本人女性なら不潔っぽいと言って忌み嫌うような たたずまい ではあるが、このような事情は我々の目には、白人男性が元植民地だった国の黒人や色黒の異★人的風貌の女性を得意げに連れて歩いている光景とダブって見えるから面白い(太字の文章は、単なる実体験を記載しただけで、黒人蔑視などでは決してありません)。

写真 2372-1

 

川原の北側を見ると、地平線すれすれまで雲や山脈が明瞭に見え、その下の川の右岸には立派なホテル街が、左岸にはジャングル然とした木立と1,2軒の農家が見える。

写真 2371-1

 

川は遠浅で人が大きな荷を背負って歩いて渡っていたのが目を引いたが、通行料を倹約する為だろうか。

写真 2378-1

 

ななみ は?といえば川原の浅瀬でお玉じゃくしを見つけて戯れていたが、おたまじゃくしがいる水は公害で汚染されていない証拠だ。

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我々は取材車両の4駆を駆って慎重にぬかるんでガタガタの道を奇岩の山の方へと向かった。 途中、さっきの白人に似た女性がカメラを構えているのに出合った。一人で旅行しているようだ。白人女性は勇気がある?

写真 2388-1

 

観光名所の洞窟が沢山あるのか、あちこちに標識が立てられている。写真2390-1

 

100m先に4つの洞窟があるという標識の所から急に道が悪くなった。4駆かバイクでなければ通れないほどだ。

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しかし、進んでいくうちに次第に道の状態がよくなって来た。2397-1

 

途中で、道が二股に分かれていて、左の道に進んだところ寺院が前方に見えてきて道を間違えた事に気がついたが、寺院に立ち寄るのも悪くはないと そのまま進んで寺院まで行った。2413-1

 

ちょうど仏祭事が行われていたので9号線の村のことを思い出し、Nさんが様子を見に行ったが何の反応もなく、今回はパスして目的地に引返す。

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放牧の牛の大群に出会い、緊張する場面となった。牛は普段は大人しいが、驚かすと突進すると聞いていたので、そんなことになれば大変と、歩くよりもずっと遅く、カタツムリになった積りで牛の群れの中をジワジワ進んだ。2416-1

 

そうこうしている内に やっと、洞窟に近づいた。

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すると屏風がそそり立ったような奇岩の山の麓にでた。洞窟はあの下にありそうだ。

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地平線まで蒼然と澄み切った空と屏風岩の光景・・・一体、これは何なのか?と思わず呟いてしまいそう。

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洞窟に入る。

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しかし・・ありゃら、洞窟は大したことないじゃないか。私は、悄然と立ちすくんで洞窟内を撮影したが、Nさんはしっかり、近くの荒野や森林を散策をかねて見て回っていた。

洞窟よりもこの頭上の奇岩の絶壁の方が感動的だったので、すこし離れて車と屏風岩が一緒に入るように撮影したりしてNさんが帰るのをまった。2434-1 2433-1

 

Nさんが帰ってきたので、もっと凄い洞窟があるはずと思い、さらに奥まで車を進めたのだが、残念ながら 道が極端に狭くなってきて、イスズ4駆では不可能となった。乾いた空き地を利用してユータンしようとしたら、その場所にバイクで洞窟巡りをして帰ってきた白人のカップルにあった。彼らが持っていた観光案内地図を見せてもらったが・・この先もずーっと奥地までバイクしか通れない洞窟周遊コースが設定されていたので、『へーっ、白人の観光に対する徹底さは凄いな』と感服させられた。女性のお腹には2ヶ月の子供がいると言うのに・・。

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起点の有料橋に着き、渡ろうとした時、行く時には気が付かなかったが、路面が、なんとも頼りなげな木の板で出来ており、一部腐ったような部分さえあるではないか。我が4駆は重さが2トンもある重量級の車。板が下へ抜けて落っこちはしないかと橋端で熟慮していたが、後方より現地人のバンが来たので『行く時も通れたんだから』と、蝸牛さながら徐行して通過する。2443-1

 

橋端に設置された爆弾模型の訳が、いま分って私は一人ほくそえんだ・・ピンポーン!ゆっくり走行せよ、さもないと壊れて落下する!

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バーンビエンを後にして我が取材車両は一気にビエンチャンに着くため夜道を飛ばした。時々放牧の群れが国道を占拠しているので油断できない。衝突すれば車と同じ重量なので、確実に(双方とも)お陀仏だ!2445

 

ビエンチャンに到着。着いて先ずする事はホテル探しであるが、最初と同じような市中のホテルでは能がないので今回はメコン沿いのビエンチャン市内よりは北の郊外のメコン沿いに沿ってホテルを探す。・・・おやっ、これは、酷い!汚物が捨て放題じゃないの。

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大統領官邸裏の公園を中心として、数キロの範囲はそうでもなかったが、それ以外はゴミの捨て放題って言うか、野放しにされていた・・・リバーサイドなのに勿体無い。2447-1

 

メコンに沿った道は継続して続いているのではなく、高級官僚が権力をかさにして分捕ったんじゃないかと推察されるようなデッカイ屋敷などがトウセンボしており、何度も国道に出ては川に向かう路地に入ると言う手法をやり直した。しかし、最初はこれが余りうまく行かず諦めて市内の方へ向かったりもした。すると、海外青年協力隊のビエンチャン支部があった。日本人の青年が1~2人駐在していた。同胞のよしみかラオスやビエンテャンの現況を教えてくれた。2448-1

そこの日本人と面会して、ビエンチャンでの活動などをお聞きした。

結局、市内側から川沿いを走って見つけたのがモンコルホテルだ。このホテルは併設している河畔のレストランと共に、実によかった。

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チャンヤーは例によってななみをほったらかして現地のラオス人と話しまくり、我々二人も料理に舌鼓を打ちながら旅の成功を祝って祝杯を続けているうちに、ななみがいないことに3人とも気がついた。おやっ、ななみは何処?すわこそ、これは大変と慌てて周囲に目を凝らすと・・・なんと、まぁー、こんな所に勝手に上がって歌手の真似事をしているではないの。

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これには客も従業員も大笑い!

人間は幼少時の脳による物事の覚え方の原理として、ミラー・ニューロン・システムという脳野が前頭葉にあることが1980年代に発見された。ななみ は、これが少し発達しているようだ。ミラー=鏡 ニューロン=神経 つまり鏡神経系。砕いていうと、母親などがする行為を赤ちゃんが真似することで覚えるとき、無くてはならない脳野であって、この機能のお陰で、赤ちゃんは、鏡に映った相手(母親など)の仕草が、この脳野に信号として映るので、赤ちゃんでも簡単に真似が出来るようになっている。

まぁそう言う訳で、ななみも何でも真似をしたがるのだが、それにしてもこれ には爆笑もんだった。

 

 おいおい、歌手の真似をするんなら、パンツみせちゃーいかんじゃないか。

えっ!未だ、二ちゃい なのでパンツじゃない、パンパースだって?(笑)2457-1

 

 

夜のレストランの写真は次。2464-1

 

 

 翌日一人でレストランに行って見ると昨日のタイ人二人が黒ラベルをのんでいた。写真を撮っていると、日本人か?と聞く。そうだと応えるとマアここに来て一杯やれというので善意を無視するわけにも行かず同席させてもらったのだが、昨日の少女の話をし始めたのだ。

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昨日の少女?実は・・・ 

昨日チェックインしてレストランに行って直ぐの時の話だが、ご飯を食べていたところ、先客のタイ人二人の席に少女(後でタイ人が話すには15歳だと・・)が二人、照れ笑いしながら遣って来て、なにやら話しをしていたが、暫くすると男女とも全員がホテルに消えたのだった。おおよそ見当はついていたが、15歳だと言うことが後で気になっていたのだが・・。

今日、その二人に再度、たまたまレストランで逢ったって訳だが、少女の話を暫くだまって聞きながら、その場にいると、凄く怖そうなイカツイ顔をした大男が遣って来て同じテーブルに座った。不思議そうに黙って見ていると、ロレックスの時計を3つも持ったタイ人の方から私の方を向いて、彼はタイ人だが今ではラオスでマフィアをしている。彼に言えば少女でも何でも斡旋してくれるから電話番号を後で教えてやるよ、と言うではないか。15歳ならタイでは直ぐ逮捕されるが、ここでは100%大丈夫だ、ともいった。私は、相手にしてみれば好意か自慢からかはしらないが、不愉快な話であったけれども、それを顔に出しては不愉快にさせるので、ウンウンと頷きながら神妙に聞いていた。

後でよーく考えたが、この二人のタイ人は別にしてこのような少年少女を斡旋する事は、

勿論買う行為も重大な犯罪として・・

タイでは『15歳未満の少年少女を金で買うことは妻である場合以外、懲役10年以上の刑に処す』と刑法の条文があり実際にこの行為をしたタイ人や外国人が罰せられている。

国際的には15歳以下の少女を金銭で買って姦淫した者は非人道犯罪として海外でした場合であっても罰せられる重大犯罪である。

現に日本では、アジアで15歳のを買った大学教授が日本で起訴され罰せられた。

 

ラオスのマフィアは次

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マフィアがタイ人二人にタイでは不可能な取引をしている光景は次 

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不快な話はこの辺でおしまいにして、旅行の話に移ろう。

次はホテルの部屋。古風だが広くて清潔なダブルとシングルの2階の部屋。

 

次も同じ。応接室も付いて13200バーツ以上だったがメコン沿い界隈に林立するホテルの中では安い方だ。

 

モンコルを出て、大統領官邸の裏にあるメコン河畔の公園に行った。2493-1

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市内に近いグリーンパレスホテルの玄関先でオウムや九官鳥を売っている露天商(とうよりもお爺さん?)に会った。

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オウムが気に入ったので1羽購入してフォーム製のアイスボックスの蓋を外してビニール(買い物袋のポリエチレン)を被せ四方の隅だけテープで止めようとした途端、見ていた4人の主婦が、大きな声で駄目駄目窒息して死んじゃう、と制止した。隙間が一杯あるから大丈夫だと説明して分ってもらうのに骨が折れた。教育にもよるがこの事情はタイでも同じで、『女は地図が読めない』という俗説がまさに本当らしく見えてくる話ではある。

かりに9割方の周囲をテープで止めたって、小鳥の肺活量など微々たるものなので元気でぴんぴんしていますよ。

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 購入して大事にタイに持って帰ったのに、太い竹の棒で出来た鳥かごに入れて、ベランダの日陰に置いていたら、翌朝僅か1日で、竹の棒を食いちぎってもぬけの殻になっていた。

 

 

高額の賄賂を鴨ろうとした警官に遭う2504-1

ビエンチャン観光で運転していた時、停車可能の場所に1分間ほど道路端に停めてドアウインドウを拭いていた所、交通警官がバイクで遣って来て、駐車違反だ、車の輸出証明書を出せという。

見るだけだからと言ったが、タイで免許証を見るだけだといった警官が全例そのままポケットに入れてしまい警察署に来いと結局賄賂を要求された例を散々経験したことなので私は駐車していない、1分だけ停めただけだと見せるのを拒否した。すると幼少時よりモン族の父親が警察や役所に散々苛められてきたせいで、警察や役人を見ると、それだけでも恐怖を感じるチャンヤーが、助手席側に立っていた警官に、勝手に国境を越えて運転するのに欠かせない重要書類(輸出証明書)を渡してしまった。すると案の定、警官は書類をわしづかみにして急に態度がいじょう高になりポリスボックスまで来いと乱暴に命令するじゃないか。

この続きは、別項の次のブログに詳しく書いているので参照ください。ラオスにマイカー入国!出国の日に”事件”は起こった