nnanami2

癒しの国タイの 怠惰と享楽、酒と踊り、嘘と誤魔化し==日本人医師の啓蒙ブログ==このブログはタイを愛する人が一部タイ人の悪事に巻き込まれてタイが嫌いになってしまわないように 啓蒙することで、余計タイを好きになって欲しい、その気持ちで書いております。従ってタイやタイ人の欠点を書いた場合、一部の、という意味です== タイに13年近隣国に3年。あっという間に過ぎ去った16年間。その後半に書いてきた産経イザブログは2万6千人中、2位~10位のランキングで活躍しておりましたが、イザ廃止の憂き目に逢い、もうブログは辞めようかと・・が、引っ越しツールのお蔭で800タイトルを無事引っ越せたので、また活躍することになりました。ただ、面白知識全集など目次形式ブログではクリックしても無効です。ご面倒でも検索サイトで『タイトル名、nnanami2』で検索して下さい

2008年12月

旧タクシン派が政権に執着する限り、タイの民主度からして、王党派との間で、タイの政治の権力闘争は、止まる所を知らないはずだった。

 

政争は、バンコク都民のみならず全国民や外国企業、そして前回のように全旅行者までも巻き込んで、経済的にも、国際評価上も(ムーディースなどの格付けが下がった)、計り知れない大損害を与えた。

もし、旧タクシン派が今後も政権に居座るか執着していたら、その間、延々と更なる損害を与え続けただろう。

 

誰が良いか悪いかではなく、誰ならスムーズに巧く行くか!・・この現実主義こそがタイの民主度合いから見た限りでは、タイ経済にとってはベストな結論だ。

 

タイ経済の根幹が崩れたら、実もフタもない。

≪人間はこの世に投げ出される瞬間から、死によってこの世から引きずり下ろされるまでの全過程において、余す余地もなく、徹底的に不自由な生き物だ≫

 

最初にまず、相い慈しみ合う二人に万歳!自分が先に死んだら、などと弱気を出さずに二人とも(精神的存在に於いて)お元気に末永く頑張って欲しいものです。

 

それはさておき・・・・

しかしながら、物凄いショックを受けたのは小生だけではなかった。このニュースにショックを受けたと見られるブログをいろんなサイトでみて、小生は、考えた。そして、こう思った・・・・

 

人間は、生まれる時も、死ぬ時も自由がない。どこで、いつ、どんな生い立ちで生まれるか・・・理由も本人の納得も全くないまま、出生を拒否することも許されずに、この世に放り投げ出される。(例えば、戦時に生まれて徴兵され前線に送られる運命も、貧乏な家の醜男として生まれることも拒否できない不自由)

 

死もまた同じ。どんな風に、そして、いつ死ぬのか・・・理由も納得もないまま、この世から有無も言わさずに無念に引きずり下ろされる。

 

人間ほど、出生と死に関して不自由な存在はない。人間以外の動物は、このような自由、不自由の思想も哲学も自我意識もないから、自由でも不自由でもない。人間だけが死刑囚のように、絶対的に逃れる術(すべ)のない死によって、根源的に運命づけられた不自由な存在だ。

 

上にあげた種類の不自由などは、単に、肉体 つまり 外の不自由に過ぎない。

人間は外の不自由のみならず、内側の精神の上でも、非常に不自由な存在だ。

愛と憎しみ、快楽と苦痛、希望と絶望、歓喜と苦悩、果てることのない欲望とキリのない飽き性と傲慢さ。人間は、このような激しい情念の嵐から逃れる事の難しい非常に不自由な存在だ。(裁判官でさえ、片思いの苦悩の果てに、メールで犯罪を犯すくらい、情念に束縛される)

 

しかし人間は、単に内と外において不自由なだけではない。

人間はただ、社会や他人と関わる事に於いてのみ存在しうる。ところが、その社会、他人との関わりにおいてすら、対立や争いや過失によって自由を引き裂かれ、古い因習や集団のエゴ、横暴な権力者などによって、いつも あらゆる場面で自由を奪われている。

 

つまり、人間はこの世に投げ出される瞬間から、死によってこの世から引きずり下ろされるまでの全過程において、余す余地もなく、徹底的に不自由な生き物なのだ。

 

だから、逆に人間は自由でありたいと、いつも こいねがう。だが、現実には、徹底的に不自由なままだ。

しかし、このような、牢獄に閉じ込められた死刑囚も同然の人間にとって、一つだけ自由でありうる世界がある。

 

それは、人間の精神、魂の尊厳だ。

人間は、病気、老衰、事故など拒否する事の出来ない何らかの理由でこの世から引きずり下ろされるけれど、”その時が来る”瞬間までは魂の尊厳だけは、手放してはいけない。或る人々はそれを霊魂の不滅とよんでいるが・・・。

 

 

 

憲法裁判所に解党される前の元の与党のうち、主役だった市民の力党の外の3党は最初から烏合の衆だったから、解党された後、今度は政敵の民主党に鞍替えしようが、信念が痛むも何もあったものではない。何でもOK、タイ語で言うとまさにアライ(何)コダイ(出来る)。言うなれば、上から下まで、デモでも何デモ、あれ次第で何でもアライコダイって言うところだろうか?


タクシン政権以来、タイ政治の権力闘争は、下積み的な国民層・特に広範囲の農民票を集めて政権をとった旧タクシン派(タイ愛国党⇒市民の力党)と、旧貴族階級ないしは旧支配階級に基盤を置く、名門の王党派である民主党の間で戦われてきた。

 

全国民のトレンドをこの二つに分類するとしたら、

どちらが多数派であろうか。

 

選挙という民主主義の手続きを経ず、烏合の衆の寄せ集めも混じっていたPDAが、腕力やごり押し的に自分達の主義を通すのは、歴史の教訓から見ても、国際社会の評価から見ても、長い目で見れば得策ではない・・・・しかしながら、それが通ってしまうところが、タイらしくて、面白いところだ、とも言える。理想より現実主義ということだろう。

 

両派とも、いろいろ欠点もあり長所もあるが・・・・
民主党党首アビシット氏は、タイ政官財界に支配階級の人材を輩出してきた華僑系の旧貴族=ウェーチャチーワ家の出で、過去43年の人生の3分の1を、イートン校やオックスフォード大などで学びつつ英国で過ごされてきたと言う高貴な身分の生まれ。
 

タイの有力華僑はタイ全体の総資産のうち、非常に大きい部分を独占している。中国共産党は、かって客家出身の有力な華僑だったタクシンにしたと同じように、今度は同じ華僑の有力者のアビシット氏にエールを送った。これがタイの政争の結論だ。


タクシンの巻き返しは、果たして可能か?
 

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