唐代の杜氏春伝から題材をとった芥川龍之介の『杜氏春(とししゅん)』は、日本の義務教育の教材にも出てくる意味深い短編小説です。マツケンは、杜氏春の悟った『人間の最低限の条件』を死ぬまで悟らないのではないかと、友里さんの死に際して取った彼の行動から、私は思います。
皆さんも既にご存知であろうと思いますが、念のため杜氏春の物語の一部を下に要約しましょう。
唐の町で大金持ちの息子だった杜氏春は、莫大な資産で、友人知人や近隣の人々を集めて連日のように、若い綺麗な女たちに金銀の装飾を飾り付け躍らせながら、客人たちに豪華絢爛なパーティーをおごっていました。その結果、杜氏春は、あっという間に相続した全財産を食いつぶして、とうとう無一文になりました。無一文になった杜氏春には、誰一人として飲み水一杯さえも、くれようとはしません。或る日、杜氏春が乞食同然に洛陽の町をうろついていると、或る仙人が現れて杜氏春に言いました・・仙人は或る場所を指差し『そこを掘ってみよ、黄金財宝が埋まっている』と教えて立ち去りました。一夜にして大金持ちになった杜氏春は、また前と同じように友人知人を呼んで贅沢の限りを尽くしたため、たった3年で馬車いっぱいの黄金財宝を使い尽くしました。
こういう奇跡が、もう一回繰り返された後、再度3度目の無一文となって、ぼうぜんと町を歩いていた或る日、またもや、仙人が現れ、同じ事を教え始めましたところ、杜氏春はそれを制して、『私がお金持ちで、人々に贅沢をふるまう時だけは、チヤホヤしてくれますが、貧乏になると水いっぱいさえくれません。だから私はもうお金持ちにならなくても良いのです。それより私を仙人の弟子にしてください』と頼みました。
仙人は杜氏春を仙人の住む険しい剣のような山に連れて行き『私は用事があって暫く留守にするが、その間、いろんな悪霊が出てきて、お前を脅すだろう』しかし、どんなことがあっても決して声を出してはいけない、もし一言でも声を出したら、その瞬間にお前は真っ逆さまに普通の人間へと地上に落ちる。いいか、仙人になりたくば、いかなる場合でも絶対に声を出してはならないのだぞ』と教えて仙人は立ち去りました。
仙人が立ち去ると、教えどおり、ありとあらゆる恐ろしい悪霊どもが出ては消え、消えては出てきて杜氏春を脅しました。しかしどんな怖い目にあっても杜氏春は一言も声を出さずに耐えていました。しかし繰り返し続いた余りの恐怖で、杜氏春は死んだも同然になり、その魂が、体から霧のようにすーっと抜け出て行きました。魂が着いた先は地獄絵のような場所でした。かれの魂は、そこで火に焼かれたり、肉を八つ裂きにされたりの拷問を受けました。しかし杜氏春は、どんな目にあっても,仙人の言いつけどおり、一言も声を出しません。
すると閻魔大王は怒り狂って或る二人を、地獄の刑吏に命令して連れてこさせました。
杜氏春が呆然(ぼうぜん)として前を見ると・・・何ということでしょう、母親と父親が、胴体が動物の姿にされて現れました。可愛そうな気持ちになった杜氏春は、もう一寸で あっと声を出しそうになりましたが、ぐっと我慢しておりますと・・・・
閻魔大王は、刑吏に、この二人(両親)を八つ裂きにして殺してしまえ と命令しました。その瞬間、杜氏春は身を乗り出して、『やめて!』と声を出そうとしましたが、そのとき母親が、杜氏春に向かって、小さな消え入るような声で言いました。『杜氏春や、私たちは、お前が助かるなら、どうなっても構わない。決して声を出さないで』と言いました。それを聞いた杜氏春の目から涙があふれて、遂に『お母さん』と言ってしまいました。
そると・・目の前の全ての現象は一気に消え去り、跡には仙人が立っていました。仙人はいいました『お前が、この時も尚も、声を出さないなら、わしは遂にお前を殺していただろう・・
私は或る所に普通の家一軒と、ささやかな畑を持っている。お前にそれをやろう。普通に暮らすが良い』と言い残すと仙人は消えて行きました。
杜氏春の物語は、どんなに固い決心で『絶対私はこれをするんだ』と命を懸けて決意した石の様な人間でも、母親が死ぬ目に逢っている現場に直面したならば、その決心をも翻してしまう、それでこそ誠実な人間らしい人間なのだ、ということを教える物語です。
マツケンは、自分の不徳とする数々の所業のせいで、妻友里さんを重症の鬱病に追い込んだ。鬱病には重労働が自殺の最大危険因子とされることも医師らから聞いて知っていたにもかかわらず、一顧だにしないで、尚も友里さんに『大変な子育てや家事一切を丸投げ』して、自分は金儲けの仕事(将来自分が贅沢するための資産作り)と、その後の自分へのご褒美の快楽に明け暮れていました。己の不徳で追いやった妻の自殺に際しても、動揺も後悔にも心致すことなく、お金儲けの方を優先して、亡骸の元に帰りませんでした。最低限の人間らしさにも欠ける人ではないでしょうか。人間らしい心をもった杜氏春と比べて、マツケンは、非情なまでの金の亡者ではないか、と私は思います。
NHK歌謡でマツケンが丁髷(ちょんまげ)姿でマ…
註
この記事のマツケンに関する真実性の疑義については、上記別ブログの最後につけた巻末註をお読みください。