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癒しの国タイの 怠惰と享楽、酒と踊り、嘘と誤魔化し==日本人医師の啓蒙ブログ==このブログはタイを愛する人が一部タイ人の悪事に巻き込まれてタイが嫌いになってしまわないように 啓蒙することで、余計タイを好きになって欲しい、その気持ちで書いております。従ってタイやタイ人の欠点を書いた場合、一部の、という意味です== タイに13年近隣国に3年。あっという間に過ぎ去った16年間。その後半に書いてきた産経イザブログは2万6千人中、2位~10位のランキングで活躍しておりましたが、イザ廃止の憂き目に逢い、もうブログは辞めようかと・・が、引っ越しツールのお蔭で800タイトルを無事引っ越せたので、また活躍することになりました。ただ、面白知識全集など目次形式ブログではクリックしても無効です。ご面倒でも検索サイトで『タイトル名、nnanami2』で検索して下さい

2014年04月

複数の韓国メディアは4月22日、評論家で日本に帰化した大学教授の呉善花(オ・ソンファ)(1956年に韓国・済州島で生まれ、83年から日本で生活し98年に帰化)が、セウォール号事件に関して韓国人を侮辱したとして、感情的に報道した。

彼はセウォール号海難事件で船長が真っ先に逃げ出したことに触れ『韓国人は反日の時は団結するが、(真の)愛国心はなく徹底した利己主義者』と主張した。
まったくその通りだ。乗船クルー15人のうち一人の女性クルーを除いた全員が、海難時の重要任務である乗客の避難誘導を放ったらかして、自分らだけ真っ先に逃げて救助してもらった、という動かしがたい事実が それを証明している。クルーが最重要な義務を放棄して利己主義に走ったことで、300人以上の高校生たちを無残な死に追いやったのだから、これこそ、まさに『韓国人の利己主義と理性の欠如が、如何に激しく酷いか』を如実に証明した明白な証拠である。

セウォール号事件は、韓国人の民度、国民の性格がどうしょうもないレベルにあるか、を如実に映し出した。
東南アジアの旅先、例えば一例だがタイやカンボジアのマッサージ屋を例にとろう。その規模の大小を問わず、時々 ギョッとするような激しい怒鳴り声で客がお店に文句を言っているときは、たいていが韓国人だ。タイ人はキーキアット(怠け者)な人が多いのは事実なので、マッサージについても日本人も不満に思うことは多々あるものだが、特段の大騒ぎを起こすのは、常に、韓国人だけ。大声で『お目の店はサービスが悪い、金を返せ』と。タイ人は大声でどなられると、切れる(そして激しく食って掛かる)ひとが多いものだが、韓国人の感情の激しさには、流石のタイ人も、手も足も出ないようだ。

韓国人は一般的に激しい感情が突出しており、理性的な抑制に欠ける・・・このことについては あらゆるジャンルで既に定評がある。日本に対する激しい反日感情も、この特性から来ている。
というよりも、今回の事件で 新たか になったように、韓国民は何か不運な大規模災害が起こるたびに、国民の激しい怒りの感情を、相手・所構わず ぶつけないではいられない!!そんな理性(的な抑制)が欠如した国民なのだ。現に今回でも出鱈目なのはフェリー業者であって、それへの怒りは もっともだとしても、直接的には関係ない政府・大統領にまで、テレビの前にもかかわらず罵倒し、水をかけた などの激しい感情が、そのことを示している。

韓国では何か不運な大規模事件(災害)が起こるたびに、直接は関係ない(ものの、多少の不手際はどうしても犯してしまう)時の政権が、激しい非難を受けて立ち行かなくなってしまうのが、韓国の政治と国民の性格の特徴だ。

要するに韓国民は民度としては未だ余りにも未熟で、発展途上(国)なのだ。工業的経済的には80年代に日本に学び、日本の支援を受けて急速に飛躍したものの、心や精神面では貧しかったころの”発展途上国のまま”だったわけだ。
日本への反日政策は、戦後の各時代の時の政権にとって、そのような感情的にコントロール不可能な未熟な韓国国民を束ねてくれる、唯一の、ありがたい打ち出の小づち だったのだ。

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今頃オバマらが慌ててアジアへのリバランスだとほざき乍ら、(西太平洋とインド洋から米国の覇権を排除しようとしている) 中国に睨みを利かせようと焦っても、時すでに遅し。

今、中国、韓国が米国の言うことを聞かないのは、もはや実質的価値のないポツダム戦後体制を維持したい戦勝国米欧の、退役軍人流の古色蒼然たる戦勝国のエゴで、中国、韓国の日本虐めを、許してきた当然の報いなのだ。

日本は、日本で独自に中国韓国に睨みを利かす戦略を粛々と構築しなければならない理由がここにある。

私は日本で医者を長年やり、引退とともにタイに移り住んだ。日本では病院の院長をしていたが、毎日早朝から
夜遅くまで患者が絶えず、いつも夕食は10時過ぎ(もちろん収入はその分多かったが・・)。多忙ゆえ子供を作るのは、もうちょっと後になってから、と常に習慣的に考えている内に、ある年にいろんな不幸が重なってシマッタ!で、不本意にも日本の女房とも別れることになり…気が付いてみると、いつの間にかこの歳になり、一人の子供もない浦島太郎と化してシマッタ! 
シマッタ!と気付いた時は もう遅い !


そんな私がタイ、バンコクに引っ越したのは2000年のミレニアムの年の それもまさに 正月のことだ。
希望に燃えていたのだが・・『タイで楽しく暮らそうね』と固い契りを交わしていた心優しい日本女性は、親の陰険なタイ移住絶対反対 / 秘密作戦の捕虜と化した。タイ移住反対は、陰謀そのもの であったが、目的は娘に自分らの面倒を見させるため。それだけの親のエゴだった。が、心が優しい女性だけに、親の『タイに行くなら、二度と敷居は跨がせない』という定番の殺し文句/切り口上には、どうしても逆らえなかったのだ。私は3年間の長きにわたって何度も日本に帰ては説得を続けるなど、彼女を待ち続けたが、彼女は遂に来なかった。まあ、世故知に長けた鋭い観察眼で評価するなら・・前記殺し文句以外にも 『金の切れ目が縁の切れ目』という 真理ないしは諺 の絡む 状況も災いしたのだが・・。

その間、私は毎日ウイスキー(一本)を飲み続けた挙句、色んな病気を合併ないしは併発した。高血圧、糖尿病、肝炎、多発神経炎・・などなど。私は落ちるだけ落ちた後、これではイカン!と一念発起。そこで始めたのが・・8人のタイ人と日本人2人を雇い、プロのミュージックバンド、ザ・バッチェラー(8人編成)と契約して、毎週バンコクの各孤児院を慰問するボランティア団体。バンコクに多々ある孤児院を慰問する。

たとえば有名どころではバーン・クルー・ノーイ(ノーイ先生の家)、ドンプラテェープ・ファンデーション(ドンプラテェープ財団)、王室系ではバーン・ラチャテェウィ(ラチャテェウィ・ガールズ・ハウス)・・など。 タンブン(寄付)をしてから、体育館などの広い場所に一同集まってもらった全孤児に、御馳走を食べてもらいながら、その前でザ・バッチェラーというバンドが、子供の好きな音楽、たとえばスモール・ワールドなど多数の曲を(本格的に)演奏し、それに合して、色とりどりのポンポンとハワイアン風の上着と腰巻を身に着けたタイ人女性5,6人と日本人女性一人が振り付け(ダンス)をする・・・ただし、王室系は外国人には非常に敷居が高いので、タンブンも慰問も不可能で、日本人の女性団員をボランティアとして一定期間派遣するに留めた。

これらで私は急に忙しくなり、彼女を失ったことによる寂しさ、心の中の大きな虚空の穴はなくなったが。しかし、私には、これだけでは何かが足りないと思うようになり・・・バンコクで3年過ごしてから私は意を決してチェンマイに引っ越した。

しかし・・・本当のことをお話ししない訳にはいかない。
私には、ガールフレンドで、インド美人風の(色黒だがキリリとした端正な顔をしていた)子持ちのタイ女26歳が、いて、一緒に住むのではなく、同じアパートの同じ階の隣りの部屋に住まわせていた。どこで知り合ったのかもう忘れたが、大人しくしていたのは最初の間だけ、化けの皮を自ら剥ぎ取って正体を現したのは、ほんの2,3週間後のことだった。この女、どうしょうもない怠け者で、その上、大酒飲みで夕方には何時も、悪い女友達と飲みに出かけ、グデングデンに泥酔して帰宅する、というあばずれ女、昔流に可愛く言えば ズベ公ってとこか。当然、いつもお金がない、お金がない、レッキトシタ給料を払っている私に、頻繁に たかってばかりいた。

そのくせ、もし私が他の女性との交流などしようものなら、基地外のように激しく怒鳴り喚き散らし、悪態をつく・・・こんな、あんなで、私はホトホト参っておった。まさにトホホ と心の底からの溜息が1日に10回は出るような悪女であった・・・・金を盗むなどの悪いことはしないが。
私はこの女が、チェンライの実家に2週間休みを取って帰っても良いか、と塩らしくも聞いてきたことがあった。私は、この時を待っていた、と ばかりに このチャンスを生かさずに置くものかとと、チェンマイに夜逃げを謀ることにしたのだった。

チェンマイに夜逃げしてすぐから私はラチャパット大学の日本語学科出身の男性にタイ語の家庭教師をしてもらっていたが、その人の紹介で、ラチャパット大学の日本語学科の4年生に義務づけられた『日本企業での1年間の日本語研修』先に指定され、マンションの自室で、3、4人の学生を教えることになった。

そのころ、それが縁となって、色の白い(日本人にしか見えない)チェンマイ女性(=教えた学生ではない)と一緒になり、翌年子供を授かった。それで、将来私の子が日本人学校に入ることを予め準備しておこうと、再びバンコクに戻ってきた。ただし、バンコクに舞い戻ったもう一つの理由は・・・高齢日本人退職者夫婦が多く住むチェンマイは、確かに比較的優しいタイ人が多く、悪いタイ人の少ない長閑な田舎ではあるが、その一方で山間部のため面白所や見どころが少ないので、3年も住むと厭きてきた?という理由もある。

そのご私の糖尿病は悪化して、さらに、それに絡んだ(と、推測できる)尋常性乾癬も合併。この乾癬は、日本や欧米でも難病とされている難儀な病気ですが、私の場合、もっとも奏功するとされる種類のステロイドなどの軟こう(最強力の)Dermovateと、さらに奏功すると言われえるDaivonexドモネックスなどを塗っても・・・いや塗っても塗っても・・・塗ったところは消退はしますが、消退が次々新しく出るのに追いつかず、ほとほと、困窮しておりました。

最初タイに移住し多時に住んだバンコクで、すでに少し出ていた乾癬の斑点(腰の中央に一つだけ直径3センチの斑点があった)がチェンマイに住むとそれ以上悪化せずに同じ状態を保ったことを思い出して、乾癬は大気汚染も原因の一つではないかと推測できたので、、空気がきれいなら乾癬は治るのかを実験的に確認するため、妻子を連れてラオスに数週間暮らしてみたことがある。

結果は奏効とは言えないまでも有効だった。それで空気のきれいな(それでいて都会に近い)ナージョムティエンのVIPコンドミニアムに1年間住んでみた。しかし、そこのプールの水質であるが、塩素濃度が異常に強かった、。塩素含有率が目茶目茶に高かった。そのため・・私は1年間の間、そこで、一度、1時間だけ泳いだだけなのに、何と!翌日から、それこそ体中が、『乾癬の症状が最高度に増悪した状態』となり、体中が、真っ赤っ赤(まっかっか)に爛(ただ)れた状態(医学的には 糜爛ビラン という)になってしまった。これは大変だった。註=塩素が目茶目茶高かった理由=サタヒップの水道局の公務員は腐敗し切っており異常に怠慢だった。そのため、断水にならぬ様に、必要な業務をほとんどしなかった。それで、毎日、土砂降りの大雨が降るという雨季ですら、二日に1回の頻度で、一日中という長い時間断水していた。そのためVIPのプール管理者は、プールの水は殆ど入れ替えずに、単に塩素消毒剤だけを頻繁に大量に入れていた。

それで私はもはやここまで、と観念して、嫁と赤ちゃんをチェンマイの嫁の実家に預け、自分は一人この病気と闘うため、カンボジアに引っ越して、そこで、いろんな食材を食べて『乾癬に奏功するかどうか』を、体を直に使って調べる、という食材治験に踏み切った。約二年間住んで遂に私は乾癬が全治する或る食材に辿り着いたのだった。

この食材を毎日がもちろんベストだが、最低二日か三日に1回摂取すると、乾癬の難儀な斑点は出てこない。
日本人の10倍もこの病気の罹患者が多い欧米では、発がん性が濃厚にあるアダリブマムという薬が、やむ得ず、あたかも神様のように珍重されているが、こんな世界支配層の一員である大企業の製薬会社の企んだ儲け戦略に、頼らざるを得ない人々が 哀れでならない。私がした様に、多くの食材を研究すれば、特効薬的な働きをする食材が見つかり、金をかけずに一気に治ってしまうのに・・・
一文の儲けにもならない方向へは、医学部も医薬研究機関も、医者も病院も、絶対に動こうとしないものなのだ。この種の世界支配層は、形を変えて あちこちに潜んでいる。

さて、この私が見つけた食材は、普通の家庭では滅多に目にしない物で、まあまあ、特殊な食材の範疇にはある。しかし、さりとて、誰でも ちょっとした熱帯アジアの大きいマーケットでなら、或いは手に入れることも有りうる種類のものでもある。熱帯アジアの強い太陽のもとで生まれた植物が、太陽の紫外線に打ち勝つために植物自らが、進化の過程で自分を守るために創出した成分(一種のポリフェノール)が、この植物の中に存在して、人間の乾癬の原因(免疫システムの狂いまたは故障)をも補ってくれるのだ。

私のブログをよく訪問される方には『そのうち』お教えします
何故今すぐ教えない のかって??

その理由は・・・私は医師ではあるがすでに引退しており、学会発表は もちろん のこと、医療という業務に利用すること(ハッキリ言うと金儲け)にも、全く興味がない。さりとて、身を以て難儀な症状に泣き続けて、苦労に苦労を重ねて見出した、、食材実験に2年間の独居生活を費やした、、その結果 😢、😢、、、、嫁はオランダ野郎に寝取られた😢、😢、、、。

 このような貴重な物と引き換えに手に入れた極秘情報(乾癬をあっという間に出なくする食材情報)
を、まるでブログで挨拶するかのように簡単に、曝け出すことは、私には躊躇(ためら)われる。身につまされてきた苦労が絡む物事には、それだけ、人間は器が小さくなる!!ということでもある。
それでも、私は、乾癬で苦労している、または、その家族や友人の方には、そのうち 必ずお教え致したい、とこういう訳であります(私の身の回りの同じ病気の人または『乾癬と親戚の病気=自己免疫』の病気の人には、すでに教えています)。

その一 終わり 次に続く

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