nnanami2

癒しの国タイの 怠惰と享楽、酒と踊り、嘘と誤魔化し==日本人医師の啓蒙ブログ==このブログはタイを愛する人が一部タイ人の悪事に巻き込まれてタイが嫌いになってしまわないように 啓蒙することで、余計タイを好きになって欲しい、その気持ちで書いております。従ってタイやタイ人の欠点を書いた場合、一部の、という意味です== タイに13年近隣国に3年。あっという間に過ぎ去った16年間。その後半に書いてきた産経イザブログは2万6千人中、2位~10位のランキングで活躍しておりましたが、イザ廃止の憂き目に逢い、もうブログは辞めようかと・・が、引っ越しツールのお蔭で800タイトルを無事引っ越せたので、また活躍することになりました。ただ、面白知識全集など目次形式ブログではクリックしても無効です。ご面倒でも検索サイトで『タイトル名、nnanami2』で検索して下さい

2014年08月

タオ島は 絶海の孤島、綺麗な海に浮かぶタイ随一の海亀の住む島だ。
私は、2回行ったことがある。

一回目は、例の (子飼いの)酒飲み友達ネットと、もう一人のメバン(名は忘れた)を連れて、車でタイの南部地方(南はラノーンまで行った)を旅していたとき、寄った島だ。

このメバンは、私がボランティア団体を主宰していたとき、バンコクでも名前が売れた大規模タイマッサージ施設でマッサージ師をしており、(この店は、真面目な大規模マッサージ店で、ラッパオ=Lat Phrao をまっすぐ行った外れ、バンカピにある。大規模は健康センターも付属している)、受けたマッサージがあまりにも気持ちよかったので、、私の家で働かないか、と当時ボランティア団体の秘書をさせていたジャッキーに口説かせた。メバンの仕事のほかは、時々、マッサージをする約束で来てほしいというのだが・・ところが、その日の翌日に我が家に来てくれるという。ジャッキーの腕を最初はびっくりもし称賛もしたが、後で本人の訴えで、手品のトリックが分かった。

・・・・このメバンを口説いた方法は、何のことはない、『日本で医者をしていた この日本人の、お嫁さんに来ないか』、と言葉がお互いに通じにくいのを良いことに、大嘘をついていたのだ。このジャッキにはこの他も散々だまされたが、これについては後で触れよう。こいつは、後で分かったが、大変悪い奴だった。歌手として身を立てていた綺麗な奥さんを、汚い(仕組んだ)演技で物にして、挙句の果てにバイク事故で殺したのも、こいつの嘘八百が原因だ。

メバンは、なんと翌日に仕事を辞め、次の日には家族3人(うち1人は妹で、コンケーンの大学を卒業したばかりの若い女性)で引っ越してきた。私は、嫁にすることなど、何にもしらなかったので、就職祝いのご飯を食べに行くとき、助手席に座った彼女が、ギアーシフトを握る私の手を、やにわに、『ぎゅっ と握ってきた』のでびっくりした。私は、ユックリとしたしぐさで彼女の手を解(ほど)いて元の位置に戻した。女の歳は35で、12歳の子供が一人いた。旦那が大酒飲みで働かなかったので、離婚することになったが、その 慰謝料を稼ぐために、ブルネイで1年間働いたという。肌色はイサン地方には珍しく、真っ白だった。このメバンに腹違いの妹(こちらは色黒)が一人いて、大学卒業してすぐ、今の大規模店に受付として就職し、マッサージ師の姉と一緒に働いていた。

まあ、そんな変な組み合わせ・・ネット、メバン、私の3人がタオ島に渡ったのだ。

このタオ島に、どこから乗ったか詳細は忘れたが、確かスラター二の港から高速フェリー(Lomprayah のカタマランでない)にのって、シュノーケルツアーに参加したと思う。海も滅多に行かない、シュノーケルなどしたことがないネット、メバンの2人が、ぎこちなくも、マスクと足ひれをつけて足をバタつかせて、海と魚たちを楽しんでいたのを、はっきりと覚えている。私はPADIのライセンスを沖縄でとって持っているが、中国の海南島で潜ったことが一度あるだけで、タイでは一度として使ったことがない。しかも、ライセンスをとって初めて潜った海南島の海は、汚かった。何とか見える、といったところだ。

みんなシユノーケルだけで、間に合うし それで十分、いや、2時間でも3時間でも簡単に出来るところは、ダイブより好い。ダイブになると、時間制限があるだけでなく、やれ、重たいタンクや、堅苦しいウエットスーツや、バランスの錘 とかで大変になる。それよりも、シュノーケルならどこででも出来るし、特に必要なものはない。それでいて、きれいな海と魚たちを見ることができる。ダイブとの違いは、深さと大規模な点だけ。ダイブ・ポイントもシュノーケルで出来ない所でダイブでなくてはならない所は、滅多にない。10m位なら、シュノーケルで5mまで潜れるから、その深さから十分見れる。フランス映画の素潜り映画=グラン・ ブルー を見たことがある人なら、何でもないことだ。

さて、タオ島では、シュノーケルで綺麗な海と、夥しい魚群を満喫した。なかでも驚いたのは、ナポレオン・フィシュやウミガメがいたことだ。ウミガメは体長が1mより、ちょっと大きく、ナポレオン・フィシュは1m内外の大きな奴だった。

タオ島には、その後、もう1回 行った。当時は暇だったので車でどこへでも行けたのだ。二回目の時は、私の嫁と ななみ の3人水入らずの旅だった。今回はチュンポンから、海の中に船の足がニョキッと出ていて、これだけで走る大型カタマラン(Lomprayah社のカタマラン)だった。この時は、出発港であるLomprayah社のビレッジのホテル泊まり(出発港にホテルがある。正確にはコッテージのあるビレッジ)、旅の間ずっとガイドが一人ついた(ガイドなしにもできる)。

乗ってから、特別席コーナーがあったので、それにチェンジした。十分な広さの中に設えられたリクライニングのきく席の区画だ。それでいて、当時はたった”50バーツ”。使わない手はない(今は料金が少し上がったが、大したことはない)。
航行中は揺れが殆どなく、快適だった。このカタマランはフルムーンパーティで有名なパンガン島にも行くので、欧米人がたくさん載っていた。

乗船券は、タオ島と同じグループのナンユアン島(ほとんど一緒の島々)での一服とバーベキュウの食事が付いていた。ナンユアン島ではそのバーベキュウを楽しんだあと、砂浜の両サイドにある綺麗な海で泳いだり水中写真を撮ったりした。今回は残念ながら海亀やナポレオン・フィシュは何処にもいなかった。ポイントが違うのか。

水中写真を1時間撮っているうちに、カメラに水が入り撮れなくなってしまった。オリンパスのカメラで、他にも欧米人の一人が 同じ機種に水が入ったのだろう、カメラの底蓋を開けて逆さまにして叩き水を排除しようとしていたが・・そんなことで直るはずもなく、途方に暮れていた(上がって帰る時、欧米人が)。

これで、水中写真は撮れなくなったので、諦めて岸に帰ろうとしたとき、黒い影が私の視界の片隅に入った。オーォ  サメだ・・・水族館でないところで見たのは、これが初めてだった。体長1.5m位の鮫が、岸辺近くを泳いで通った。私はビックリして大きな声を上げた・・  シャーク!シャーク!

それを聞いた周り(欧米人)がビックリして周囲を見渡した・・・欧米人も見た瞬間、サメは岸辺に、Uの字を描いて去って行った。サメが人食い鮫かどうかはわからない。でも、カメラが、こんな時に故障しなかったら、ちょっとしたスクープだろう・・。私は『チッ』 と舌打ちして、そして オリンパスのクソッタレ! と叫んだ。バンコクに帰ってから、保証書で取り替えてくれたが・・半年もしないうちに、というか、交換して最初のシュノーケリングの、チャン島のバンバオから出る4島(無人島)ボート・トリップ(シュノーケルツアー)で使っていたら、水深3m~4mくらいのところで、水が入って、また同じ。このオリンパスは、水深5mカメラとしては 最低だ。

そのことがあって数か月がたったころ、オリンパス社の経営陣の欧米人取締役による告発騒動が起きたが・・むべなるかである。。

メモ
ロンパラヤー社
  
         バンコク 02-629-2569~70 02-629-2641

         ホアヒン  032-533-739 032-532-815

         チュンポン 077-558-112~3  077-558-112
 

前にもマレーシアの家主の、悪口を書いたが、、、そして、このブログは悪口を書くのが目的では全くないが・・・マレーシアに関する限り、どうしても、悪口 になる。
マレーシアの家主は、思い出すたび にむかっと来る が、その詳細を明らかにすることは、私の二の舞を防ぐ意味で、公けの利益にも叶うかと考え、お知らせしたい。

マンション名はえーっと、何だったっけ?余りにも、腹立たしいので、忘れてしまったか?シンガポールに最も近いジョホルバルの・・・
仮の名をストゥラング・ビュウ(Stulang Veiw)・アパートメントと書いておこう(当らずとも、近い)。その、Ⅾ棟の02-03号室に私は住んでいた。家主の名前はYiewitかなにか、それに近い名前。これは奥さんの名前だ。

入って直ぐ、マンションのお湯水が、バス(トイレ)だけ、生ぬるいのに気が付いた。湯温も30何ぼしかない。ボイラーが故障していてキッチンのボイラーのが、迂回してきているのだ。これは物件説明だは、なかったこと。これはお風呂というよりは、太陽で温まった生ぬるい水たまりの水、といったところだ。 
また、トイレは二つあるが、二つとも便座が、その下のボウルの全長より3センチも短く、ボウルに接触しそうで、汚ならしい。しかも、便座の下の、ゴム受けが取れていて、フニャリとして折れそうで、かつ、使い心地が悪い。

私は、これらの改善を家主に申し入れた。入って直ぐの事だ。

電話を掛けると、奥さんがでて、シンガポールから、夫と一緒に向かうから、2か月分用意して置くように、とのたまった。私は、これはあくまでも、最初の物件説明の時に、知らさなかった不具合だから、無償で直してくれるもの、と思っていた。

ところが、実際は、一か月分は修理代金だったのだ。修理と言っても、300リンギット(3000バーツ)の簡単な湯沸かし器をつけただけ。便座は、業者が来て附けたが、やっぱり二.、三センチ短い。この、2、3センチ短いのに何とも思わないのには、流石に面食らった。けれども、無償だと思っていたから、怒らずに、丁重に説明した。すると、他の業者が来て、1つだけ、大きいサイズに変えてくれた。値段を聞くと、80リンギット。

ところが翌月になって、二か月分の一つは、修理と便座の代金だと言うことが分かった。
有償なら、有償でやり様がある。まず、高すぎる!
300リンギットの湯沸かし器と、80リンギットの便座なら、口銭を入れても、500リンギットくらいなもの。それが3000リンギット(3万バーツ)なのだから、泥棒に追い銭 !!も、いいところだ。

これは最大の不満であるが、数としては、ほんの一部にすぎない。数え上げたら、切がない。その一つ、エアコンのガスの充てん は自分のお金で入れる・・。効きが良くないので周旋屋に言うと、自分で入れて!、と。周旋屋(不動産屋)は、完全に家主の方の味方だ。他の東南アジアとちがって、不動産屋は家主に圧倒的に有利だ。

そのほかのことで腹が立つ事の一つは、まともなベットが一つしかない!入るときは、もう一つの部屋にもベッドがあったが、入ってから調べると、これが、最低の安物。子供用にも、使えない。マットはペラペラのスポンジで、裏を見るとスノ子が10センチおきに細い木を並べただけの、安普請。こんなもの、子供だって、最安価のボロ!子供騙しのベッド!だとすぐ分かる。

これが、家を探す場合の、マレーシアの代表的な、標準だろうか。
今から、それを検証する。

地理上の位置が、マレーシアでもジョホルバルは、シンガポールに近い。
シンガポールは、90平米のアパートで一か月の借り賃が最低60万円する。また、エアコンも、充填は自分でやり、出ていくときは充填証明書を付けないといけない。狭い丁度淡路島程度の島に、5百万もの人間が住んでいるから、家賃が圧倒的に高い。家主はシンガポリアンだった。

この地理的位置、および人種からは、似通った所が見えてくる。しかし、問題は、これがマレーシア全土に広がっていることだ。

これはモスリムの不便に耐え忍ぶ、という性格から、来ているのかも知れない。不便に耐え忍ぶことが、家主の横暴にマッチしているのかも。

アパートとは違うが、ホテルの居住性も値段に比べて、劣悪なのは有名だ(他の稿、参照。)マレーシア、特にクアラルンプールのホテルの部屋の部屋代に比べての、みすぼらしさ は半端でない。130リンギット(1300バーツ)で、兎小屋程度しかない。冗談でなく、本当のことだ。Wベッドの他は半畳の踊り場を通ってトイレしかない。タイならバンコクの中心部でも1300バーツと言えば、どんなに狡からいホテルでもその4倍はある。カンボジアでは、首都のアジアホテル、ニューヨークホテルあたりなら、これに朝食までつく。一方アパートなら、(中階まで入れて)五階建て(部屋数8つか7つ)の、空港真ん前の 店もできるところが、400ドル。すこし(一軒分)奥まった所なら300ドル。これはタイバーツでは、1万バーツか1万3千バーツだ。

契約の中途で出ていく場合の返還金を聞いたら、(このアパートを紹介した人=奥さんは韓国人、旦那も同系=に聞いてもらったら『預けたお金、全部を罰金として取ります』、という。私が、『契約書の最後に一か月分を引き去る』と書いてある、と直談判したら、あー、間違いました、一か月分でした、と言う始末。マレーシアの家主も周旋屋も、ヤルことが汚い。思い出しただけでも、反吐がでるくらいだ。

とにかく、タイやカンボジア、ベトナム、ラオス、日本などとは、マレーシアは価値観が全然違う。マレーシアは、『不便を、神が人間に課したもうた精進するための課題であり宿題』なのだ。結果からは、そうとしか言えない。そう理解するしかない。消費者は神様です、はマレーシアは通用しない。家主、地主は神様です、と言い換える必要がある。マレーシアに元々住んでいる人は別にして、これらのアメリカナイズされた国から引っ越す人間の気がしれない。遊びの部分も全くない。神に反するからだ。イギリスが植民地にしている時代、中国、インドなどから、植民地で働く独身労働者をものすごく移民させた(マレー系よりも)。主として、中国人は錫(すず)鉱山の、インド人はプランテーションの労働用に。それに見合うように、女たちもシンガポール経由で入れた。この名残が、シンガポールのゲイラン地区として今も同じ商売で栄えている。中国からの女は中国人労働者の・・・、日本からはジャパユキさんとして中国・インド両方の・・・、インド人の女はインド人労働者の・・・。

MM2Hとは何か。先進国から10年間(更新あり)住む権利を、日本円でなら1000万ちょい等を用意すれば与える制度だ。私は、これを全部集めて、今まさに提出しようとしていた。
しかし、こんな国で、10年間住むことは、鉄格子はないものの、まさに食べるだけの幸せ(それもイギリス流の粗食)しかない”刑務所”じゃないかと悟って(=私は気が付いて)辞めた。

私は、煩悩を一身に集めた人間、つまり、煩悩の化身みたいな人間なので・・・そんなクソ面白くもない国、キッパリと  『御免こうむる』

うちの子に あいうえお を教えていると、4,6時中 かっかっ ときます。
自分が同い年のころ、算数国語など勉強した記憶がなく、ガキ大将を任じていたことも忘れて、
こんなことも分からないのか?たった今さっき、教えたばかりじゃないか!・・などと、時には御法度の体罰=頭を叩く=をやってしまう。教えている時、ものすごく、自分は短気になると、自分でもハッキリとわかっている。

思えば、私が急に学習熱に芽生えたのは、中一、か中二だ。それまで、ビリから数えた方が早かったのに、急に学年(300人くらい)で、2,3位になった。その秘密は、ある隣り町を、綬業をサボってサイクリングしていた時、偶然に入った非常に小さな教材店で、英語の試験に使われている学校教材を、見つけたことからだった。

学習塾で次のテストに出る部分の正解と解き方を教えてもらっていたのだから、2位になってもおかしくない。
ところが、英語だけ二位で、他の教科は全然ダメ、というのでは、すぐ秘密がバレルと私は考えた。
それで、他の教科も、急に勉強するようになった。

傑作なのは、私が教えてもらっていた学習塾だ。私が急に賢くなったのは、学習塾の所為だ、と噂が広まり、今まで数人しか塾生がいなかったのに、急に十倍くらいに増えた。塾の先生(今どきの学習塾ビジネス企業に雇われた若い学生ではなく、定年退職して自宅で教えているお年寄り)は その数の多さに ビックリ仰天。

今まで、一人も同級生がいなかったのに、急に知った人間が増えたため、私は、やりつらくなって、辞めた。


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