nnanami2

癒しの国タイの 怠惰と享楽、酒と踊り、嘘と誤魔化し==日本人医師の啓蒙ブログ==このブログはタイを愛する人が一部タイ人の悪事に巻き込まれてタイが嫌いになってしまわないように 啓蒙することで、余計タイを好きになって欲しい、その気持ちで書いております。従ってタイやタイ人の欠点を書いた場合、一部の、という意味です== タイに13年近隣国に3年。あっという間に過ぎ去った16年間。その後半に書いてきた産経イザブログは2万6千人中、2位~10位のランキングで活躍しておりましたが、イザ廃止の憂き目に逢い、もうブログは辞めようかと・・が、引っ越しツールのお蔭で800タイトルを無事引っ越せたので、また活躍することになりました。ただ、面白知識全集など目次形式ブログではクリックしても無効です。ご面倒でも検索サイトで『タイトル名、nnanami2』で検索して下さい

2016年09月

シアヌークビルを10時に出てプノンペンに着いたのは、その日の夕方だった。

私は 彼を某所に案内する為に まず ななみを空港近くの、数え切れないくらい使った事がある有名なスーパーマーケットの二階の、子供の遊び場(閉鎖式遊園室)に連れて行った。そこで 食事も、いろんな物が食べられるので、ななみは数時間は楽しむ遊んでいられる。


私と某は プノンペンの南にあるパークウエイ・スポーツクラブ・・・ななみ や私は そこのスイミングプール=ななみ スポーツクラブ=私 の会員だった・・・を左に見ながら、なおも南に行った先にあるスラム街と思しき古いビルのすぐ近くにやってきた。50mほど南側には細長い大きな公園がある。


某の希望で 私は スラム化したビルの一階にあるプノンペンに唯一残る置き屋(半分朽ちた廃屋状態だが、現に営業している)の道先にて停車した。道から玄関まで約10mの両側は雑多な家や屋台が立て込んでいて、雑踏の通りからは玄関が奇跡的に見えるのだった。我々は車に乗ったままで、入り口の方を見てみると・・・

ドキッとするほど色白でスリムな若い娘が いすに座って玄関一杯に鎮座しているのが見えた。そんな事は滅多にない。普段は中に入ってから一人か二人いる女を見ながら お上さん交渉するのだが。この日は特別な日なのだろう・・・特別売り出し日とでも言おうか。娘は足を斜めに組む生意気な座り方ではなく、キチンと両足をそろえて 正面を向いて正座している。


と、どこからともなく女衒ではなく、娘の親と思しき男性(←顔が似ている)が車にやってきて、開口一番、小さな声で『50ドルです』と言った。無論ショートの値段だが、普通は10~15ドルだからレベルの高さが分かろうと言うものだ。


某は ハチャメチャ すっごく気に入った様子で、身振り手振り 男と熱心に交渉していたが、話が決まったのか、私はそこで某とアジアホテルで〇時に落ち合う約束をして、私は我が子の遊んでいる室内遊園地に向かった。


室内遊園地に ななみを迎いに行くと、ななみ は クメールの子達と一緒になって無我夢中で遊んでいるところだった。声を掛けても中々来ないので 一度大きな声を掛けておいてから ななみを待つことにして、私は他の客たちと同じようにテーブルに座って 2年前この近く(前に空港があり、国道4号線沿いで 病院一つ置いた後ろ側)に住んでいた頃の記憶を思い返していた。殆どの記憶がろくでもない事ばかりで、ロマンスと言える物は勿論の事 心はずむ楽しいことも何もなかった。一方、ななみが通うための日本語幼稚園や2年たったとき(=7歳時)通うべき日本人小学校もなかった。プノンペン補習校はあったが 週末数時間だけ開く学校で一体何が出来ると言うのだ。通常の小学校があってこその 補習校じゃないか。


そんな記憶を苦々しく思い返しているとき、ななみ は やっと傍に来た。私は ななみにご飯を食べたかを確認して、待ち合わせ場所のアジアホテルに向かった。


ホテルで某と落ち合ったのは夕方7時頃だった。

某と一緒に3人で夕食を食べに行こうという事になって、考えあぐねてビアーガーデンに行くことにした。某がそれとなくアバンチュールの見込める場所を望んだので、ビアーガーデンに決めたのだった。


ビアーガーデンでは、オープンプライス約100ドル、値切って実質70ドルの女達がいる。私は2年前日本語フリーペーパーに広告を打ったりして ななみのベビーシッターを探していたことがあり、ここで出会った或る若い女(前記の女達とは異なる)に。ベビーシッターの件で 彼女と外で会ったことがある。すると、家に連れて行かれ親父と会うことになった。親父が言うには『この子はまだ生娘なので、手放すには条件がある』と言って、”借金を肩代わりして欲しい”と言うのだ。私としてはOKの腹積もりで ななみと女と親父と4人でシアヌークビルに旅行したことがある。


ヌークビル港経済特区の南に位置するビクトリービーチに この近くのアパートに住む頭の薄くなった友人(50代の日本人で 教授と言うあだ名を私がつけた人物=非常に理屈っぽい男)を呼んで5人で飲食したり、その夜は親子2人のためにホテルを取ったりして、彼らの話を聞いてあげた。翌日の最後に”教授”が言うには『胡散臭いから止めておけ』と・・・。それで雇うのは御破算になったが、案外それは”教授”の嫉妬心または横恋慕から出た”胡散臭い”アドバイスだったかも知れない・・・そんな四方山話をしながら、我々は食事とビールを楽しんだのだった。


Ⅴ)に続く

 


Ⅰ)

飛行機で来タイのシェパード犬ラムちゃん♪大晦日~正月、チェンマイに遊ぶ♪ 90827


   ↓写真 ラムちゃんはジャーマン・シェパード・ドッグの 6歳のオス。

 

 飼い主のご主人は日本の中堅食品器械(食品に真空パック後、窒素封入包装する機械などの)会社を定年退職してタイの系列の会社に常務取締役として赴任。愛犬ラムちゃんと一緒にバンコク郊外のムバーンの庭園つき二階建て新築一軒家に住んでいます。



              ラムちゃんの飼い主 波谷さん(当時)

                    

              友人の奥さん                               その子供                  

   

     

シェパードが大好きだったドイツ人女史のエーファ・マリア・クレーマーが書いた≪世界の犬種図鑑(古谷沙梨訳)≫によるとジャーマンシェパード犬は・・・(写真の下に続く)。

 

↓一般的なジャーマン・シェパード・ドッグ(世界の犬種図鑑より)

 

その図鑑によると・・ジャーマン・シェパード・ドッグは

  ドイツ名  ドイッチャー・シェーファー・フントといい、1次大戦前にドイツで様々な改良が加えられた末に、完成した名犬。両大戦を通じて、前線において人間に優りるも劣らない活躍をしました。

 


↓ラムちゃんも、実に惚れ惚れするような、素晴らしいジャーマンシェパードですが、これはご主人の訓練の賜物でしょう。

 


良心的なブリーダーの手によって繁殖したシェパード犬は、素晴らしい作業犬、信頼できる家庭犬、惚れ惚れするようなスポーツ犬となり、稀に見る作業意欲と運動意欲を持ちます。

ラムちゃんも、どんな作業でも指示さえ与えれば、難なくこなします。

 

むしろ、飼い主は皆、愛犬のために、愛犬が専念できる仕事や、遊びを見つけて遣らなければなりません。

 

ドイツ・シェパード・ドッグは、アジリティー、オビディエンスのトレーニングなどお茶の子さいさい。もっとシリアスな仕事を与えなければなりません。


 

Ⅱ)

ジャーマン・シェパード・ドッグ ラムちゃん 90201

 ■ラムちゃんと、その飼い主(タイ滞在2年選手)らと一緒に、バンコクからチェンマイ初詣の旅(4泊5日)に出たのだが、この旅の経緯を綴ったブログを立ち上げた所、本体はパッとしなかったのに、その孫ブログのラムちゃんのブログが、あちこちのジャンルで13位から4位まで、昇りました。いや~想定外の人気でした。

 

 

 

 人気者のラムちゃんだったが・・・・

一緒に写ってる 友人の子供(1歳3ヶ月)も、実は笑いをとる天才バカボンだったとは、ビックリ桃の木山椒の木

 

■で、これは犬は犬でも、ジャーマン・シェパード・ドッグの人気によるものでしょう。

ジャーマンシェパードともなれば、軍用犬や警察犬として人気ナンバーワンの作業犬。

忠犬ハチ公じゃないけど、飼い主の意思と命令を最大限に尊重してくれる 人間よりも信頼できる存在なんでしょうか?

 

■ただし、このように大事な犬を一度 飼った以上は、旅に行くにも仕事や出張に行くにも・・・何をするにも常に、行動範囲が制限されることを覚悟しないといけないようです。人間の赤ちゃんと一緒の場合の制限より、はるかに制限が大きい・・・と飼い主の知人は、そう言っておられましたね。

要するにそれ位の制限や飼い主の義務を喜んで我慢できる人だけ、飼う資格があるってことでしょうか?

 

 

                 

               

 

 

篤姫の幼友の帯刀は大酒飲みで20代で糖尿病死、将軍家茂等は脚気死、将軍家の幼子も多くが我侭=真っ白い白飯(B1欠乏)と嫌いな野菜抜き=で夭死(脚気)。『八重の桜』の八重の兄は同じく白飯と米酒の摂り過ぎで糖尿病(ダイアベティス、DM)による網膜症(の疑い)。ちなみに帯刀(たてわき)は、有名な酒豪だったのと、呑みっぷりの良さ、が買われて、薩摩焼酎の銘柄になっていた。

 

次は私の近くでおきた文字通り『犬死!』という犬にとっては気の毒な実例を紹介しよう。

 

当時は友人であった日本の方に、中堅食品機械(エビセンのスナックなど食品の袋に、窒素ガスを封入する機械など)に長年勤めていた方で、退職を機にタイの卸先のタイ人経営の食品機械会社に 常務待遇(10万バーツ、タイでは高給)で招聘された日本人がいた。住宅として立派な一軒家や、乗用車も貸与されていた。その人が日本から赴任する際、人間の3倍もする搭乗料を払って連れてきたペットが、高級ジャーマンシェパードの愛犬ラムちゃんだ。

 

ところが、タイに住む退職日本人が大抵、食料品が超高い日本とぜんぜん違うタイの食料の安さにカルチャーショックを受けて幻惑し、もっと生活費を安く上げようとする傾向がある。そのように、この人もまた、その呪縛から逃れられなかった。

何を隠そう、かく言う私も、來タイした初期の頃はバックパッカー物のTV番組に影響されて 「安いの探そう」的な一種の流行り病(はやりやまい)に感染していた。私の場合『資産があるのに』だ。資産がある分、吝嗇の程度が悪質といえる。

それはともあれ

この方、高級シェパードラムちゃんの餌を、10キロ袋入りの中国製にしていた。中国食品は危険だという国際認識がまだなかったころの話だから、『これは栄養が凄いのに、安い』と、考えても無理はない。日本製でも10キロ入りは当たり前だったので、中国製の同じ10キロ入りを買ったのは、無理からぬ話だ。



その結果はタイにきてから僅か2,3ヶ月でやってきた。B1欠乏症つまり脚気である(ラムちゃんのブログは、ラムちゃん+nnanami2  で検索すると直ぐ出る)。

犬のB1欠乏症は次だ・・犬の脚気の症状はまず後ろの片足か両足に現れる。最初は足の痙攣や痛みがでる。症状を訴えられないない犬は、時々大声で吼える。その後、筋肉が麻痺して普通には、歩けなくなる。つまり引きずるようにしか歩けなくなる。それでも、なおも放置すると、心筋の麻痺にまで進んで・・数日で死亡する。

 

中国製の餌は、安かろう悪かろう、どころか、どうせ犬の餌じゃねえか、毒食で人間を殺したのとは訳が違う。行政の追求などある訳ねえよ、と先読みして作っているせいで、餌の栄養価など全く考えずに作っていると考えられる。製品に印刷された”栄養抜群”などの文句など全くの出鱈目だ。各国や世界を相手に確信をもって堂々と永久に嘘をつく(プロパガンダ政策の)中国の国民だけに、犬の餌の製造会社は毒餌など屁のカッパだ。

 

こんな餌は命にかかわるが、殺された犬は哀れだ。

 

ラムちゃんの話を更にさかのぼろう。

私は、この友人と一緒に、めでたい正月にチェンマイのカウントダウン(普通はカウダウと発音)の大花火大会を真下で見ようと、大きなアフターキャビンの付いたマイカーでラムちゃんを乗せて旅行したことがあった。例の中国製の10キロ入りの袋を積んで・・。旅行中、犬は餌を食べようとしない。私は、肉汁を含んだ缶入りの肉を上げてはどうかと、提案するとこの友人は言った。一度美味いものをあげると畜生の本能で癖になってしまい、今までものを食べなくなる』といった。それでもラムちゃんは中国製を食べないので、数回は缶入り肉を買ってあげていたようだ。

 

しかし、それは旅行中の間だけ。バンコクに帰ってからは、やはり中国製。ラムちゃんに異変が起きだしたのは、旅行から帰って1週間ほどたったときだ。その後しばらくして、ラムちゃんは死んだのだ。

 私は、死んだ時の症状を詳しく聞き、それは間違いなく脚気、ビタミンB1欠乏症ですと、説明した。このことをブログにしてもいいですか、と友人に聞くと、いやそれは不味い、とこの人はいった。

にもかかわらず、ブログにしたのは、中国製の悪質さを 公表することが公共の利益になるからと、考えたからである。中国製の餌を与えた人に問題があったのではなく、「栄養成分100%嘘の」中国製ということに悪質性はある。

 

さて話を江戸時代に戻そう。

精米技術は江戸時代すでに今と殆ど同じくらい進んでいた。つまり、江戸時代の白米は美味かったのだ。江戸時代の贅沢は、おいしい白飯をいっぱい食らうこととだった。ところが精米すればするほどビタミンB1が減る。そこへ酒を飲めば、B1を多量に消費するのでいっそう脚気になりやすい。

一方貧乏人の町人は白飯は高嶺の花ゆえに、あまり食うことが出来なく、まずい雑穀で我慢せざるを得なかった。

 

神様は強欲な豪商たちや、あくどい高級役人やちを懲らしめるため、このような仕掛けで、地獄のような苦痛という罰を与える一方で、貧しい人たちを、長生きとまではいえないまでも、慰めてくれたのかもしれない。

 

すなわち、白飯は、おかず無しで塩をまぶすだけでも美味しいので豪商や上級役人は、おしんこうなどのオカズで腹いっぱい白飯を食べた。また白米で作った日本酒をたくさん飲めることを、お金持ちの特権か天国のように考えて、毎日祝杯をあげていた。その結果は直ぐやってきた、つまり、糖尿病と脚気である。高血圧や痛風も当然だ。

 

脚気なら、足の激痛を起こし、すぐ麻痺して歩けなくなる。最後には心筋が麻痺して心臓麻痺で死ぬ。それはアッというまにやってきた。一方、糖尿病は脚気ほど早くは来ないが、このような生活を続けることで10年くらいで、まず腎臓(毛細血管で出来たろ過システムがソルビトールというブドウ糖の代謝物によって目づまりして腎不全になるか、網膜の同じ毛細血管網に目づまり起こして失明する。こうやって、強欲な豪商や高級役人どもを地獄の苦痛と共に罰したうえで死罪を与えたのだ。

 

一方貧乏人の町人たりは、まずい雑穀しか食えない。ところが雑穀には食物繊維が豊富なため、腸内の体に良い細菌のえさとなる。良い細菌は繊維をえさにしてビタミンB1などの各種ビタミンを作ってくれるので、概して脚気にはならなかった。またまずいので腹八分目しか食えないし、ましてや、高価な日本酒など殆ど飲めない。このような仕掛けで、神様は貧乏人を糖尿病にしなかったのである。

 

NHKがかって放送した『篤姫』のなかで、篤姫の幼友達で帯刀(たてわき)という(最終的に薩摩藩の家老になった)人物がいるが、ドラマの中では善良で真面目な人物に、仕立て上げられている。しかしNHKは真実の姿の大部分を、わざと、隠していた。NHKはインチキといわれるのを防ぐために、ごく僅か病態だけは描いていたのだが。しかして、その実態は、彼はグルメで大酒飲みだったのである。帯刀は、藩政に没頭する真面目な人物とは程遠く、家老の立場を利用して藩の予算で毎日うまい白飯を、塩の効いたおしんこうで、たらふく食らい、朝夕、白米でできた日本酒をあびる様に飲んでいた男なのである。

 

その結果、帯刀は20代後半で既に重症の糖尿病と高血圧と通風にかかり、30歳になる前に、足の壊疽や失明や腎不全、すさまじい下肢の疼痛などで、もがき苦しみながら息絶えたのである。江戸時代に作られた歌♪朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで、身上(しんしょう)潰した♪ という歌は、江戸のお金持ちが日本酒と白飯を、ショッパイおかずで、毎日鱈腹食らったため、糖尿病と脚気と高血圧で身体を潰したと皮肉っているのである。

貧乏人もこのように考える、『貧乏でも、雑穀くらいなら何とか食べられる程度』ならば、大金持ちよりも、まだずっと楽に死ねるという特典があったのではなかろうか。

13/4/19

 恐るべき公正証書・保険契約付き 殺人方式の、殺人鬼のババーの話は有名だ。ご存じ、青酸カリ殺人鬼ババーこと千佐子。

今まで、既に7人の資産家の高齢者が、早い場合は、わずか1日だけ付き合っただけで 遺産を譲る公正証書を書かされて・・青酸カリ毒牙に掛かって殺された。すべて完璧なまでの、公正証書方式。一日だけ付き合っただけで殺された男性は、《 間違いなく あなたと結婚するから 安心のために公正証書を書いてよ 》、と遺産を全部譲るとの公正証書を書かされ、その日の内に殺された。バイクに一緒に乗ってから、致死量の青酸カリをジュースに入れて飲ませ、自分は何らかの口実を設けてバイクから急いで降り、青酸カリが効いてきたころ、男性は悶絶、もがき苦しんで殺された。男性はバイク転倒事故で死んだ、ということになった。

英国で起きたスーパー毒薬・ポロニウム(1グラム1億円)によるロシアン・スパイなみの殺人劇。国家(ロシア)の指示を受けて、国家的作戦として 決行するのと全く違い、最初から 個人的な遺産を狙った 極悪非道の連続殺人。青酸カリで毒殺された上に 資産まで乗っ取られた被害者たちの無念が、この殺人鬼の罪状を暴いたのだろう。


青酸カリは、赤血球のへモグロビンとの結合力が、酸素よりも遥かに強い。かつ、一度くっついたら、離れない。致死量を盛られたら、次第に酸素とくっ付いつく赤血球が少なくなり、次第に 息はしても酸素を取り入れられなくなる。終いには、息は激しくするが、赤血球は 青酸カリに占領されて、酸素は全く取り入れられない。この後、数分して 悶絶死、文字通り もがき苦しんで 死に至る。

バイクを運転中に青酸カリ入りのジュースを飲ませ、女は途中で降りる。その後運転中に急に苦しくなり、もがき苦しみだし、バイクは転倒。このような殺し方は、何度も青酸カリ殺人を手掛けた者にしかできない神業だ。ここ、タイでも、殆ど目にしない殺人鬼ババーの連続殺人。狂った兵士が ストレスで銃を乱射して多数を殺すのとは、訳が違う。鬼気迫る恐ろしい殺戮だ。なぜ こんな魅力も何もない恐ろしい殺人ババーに、老齢の男たちは、いとも簡単に騙されるのか。

昔(15年以前)は こんなに女たちは酷くは なかった。子供の遺棄を始め、子殺し、勝手に子ズレ里帰り離別、などなど。・・ましてや・・高齢者の男を遺産としか見ない殺人鬼の老女は いなかった。歴代の政権が女性の労働力欲しさに、女性を甘やかす政策をとり続け、次第に女性を悪くしたとしか、言いようがない。女性の労働力が欲しいからといって、女性を甘やかすのはどうかと思う。日本も愈々移民政策(現在は移民に消極的)を見直すときか来たようだ。アメリカ、カナダ、欧州、豪州では既に・・(論点から外れるのでこの話はまた稿を変えて・・)

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さて一方、ここはタイ。
この恐ろしい殺人鬼に比べたら、単純で直情的とさえ言えるタイの殺人犯。

殺人は頻繁に起こるが、きわめて単純、直情的で原始的だ。恋人が他の男客、または友人客と、イチャついているのを見て、女性の恋人の警察官が、嫉妬のあまり拳銃をぶっ放す、などなど。また、タイでは強姦事件でも、男が 被害者に、局部をなめさせようとすると、逆に これを食いちぎる。日本では今のところ私は聞いたことがない
が、犯人はギャッと悲鳴を上げて退散する。

また、殺されこそ しないが、ここ直情的なタイでは、お金が絡んだ原始的な、または直情的な結婚詐欺は物凄く多い。
ことほど左様に、歳が行ってからのタイや近隣国での退職者生活は、日本人夫婦同士でするのが安全だ。
嫁が居なくて高齢者が一人で行くと・・・
寂しさの余り、どうしても現地妻が欲しくなる。
しかし・・これが殆どの例で酷い目にあっている。

まず第一に言葉の壁が越えられない。これは大きい。

第二に貧富の差がありすぎて(女や女の一家が貧しいので)、金品を盗まれることが多い。

第三に、女と歳の差がありすぎ、かつ女に魅力があると、殆ど、若いタイ人が最低一人は付いているとみなさなくてはならない。これが厄介な種となる(恋人同士でグルになって悪事を働く)。

第四に土地付き住宅を女の名義で買う(外人は土地は絶対に買えない。タイなど東南アジアは皆同じ)と、日本に帰国するなどで、家をちょっと長く留守にした隙に、女に(=女の若いタイ人の男とグルで)家を売られてしまう。そういうことが半端でなく数多く起こる。

要するに、外国人の自分は、全然 風采の上がらない高齢の年寄り。たとえば・・顔が不細工で皺だらけ、体も関節が弱くなってヨボヨボ、体中の皮膚は委縮して皺だらけで、頭の毛はゴッソリ抜け落ちてモジャモジャで、前歯は抜け落ち・・。
そのうえ、言葉も殆ど通じず、面白くもな何とも無い。単に定年退職で貰った小金を一寸持ってるだけの老人。

ならば、若いタイ女が、少しでも魅力的であれば、そんな ミミッチい不細工な高齢者を本気で好きになるわけが無い!!単に、(少額の)お金が目的になってしまう。必然的に!これは真理だ。

そういうことだ。ただし、女が若くなく子持ちで、離婚歴=タイの場合は事実婚が多数を占めるので子供が数人居るのに戸籍(タビアンバーンという)の上では独身になっていることが多い=も、あるとかなら・・マア上手くいくかも。また もし女が男の国の言葉(たとえば日本語とか或いは双方とも英語)を話せるとかならば、うまく行くだろうが・・。
ただし、タイでは英語を話せるのは、大学出(ごく少なく、非常なエリート意識がある)くらいしか居ないし、日本語とも なると きわめて難しいので、もっと稀だ。成功例は滅多に無い。(滅多にないが、男性が東京で自動車販売店を数店やっていた高橋さん等の例はある。高橋さんは大学出で、同じく大学出のタイ人女性(チェンマイ大学)と結婚したが、極めて稀なケースだ。この例であげた女性は、日本に10年間、高橋さんと一緒に滞在して、日本語が通訳並みに上手くなった。)

ならば、普通の老人は、若い女との妻帯は諦めよう。
それでも、寂しさをストップして、なんとかタイで日本人夫婦のような幸せ感を得る方法はあるのか?
まあ、擬似的でよければ、満足感は十分ではないにせよ、以下の方法がある。

・・・まずメバーン(女中さん、お手伝いさん)を、通いか、住み込みで雇う。ただし現在時点のタイでは、住込みのお手伝いさんは安くはない上に、そう簡単ではない。
ただしメバーン専用の小部屋を与え、一緒には決して住まない。彼女が如何にもメバーン風の風体(=パットしない)であっても、女はだれでも自然と自分は『イー女』だと思うものなので、妻と同じような権利意識が生じたり横柄になるからだ。従って、セックスなど、もっとまずい。

では女を抱きたいときは?、
マッサージパーラー(タイ語ではアップ オップ ヌワットという)に通って擬似恋愛するしかない。2000バーツから2500バーツ、最上級で5000バーツどまり。日本よりは遥かに安い。
でも、そんな金は そうそうは出せない、という貧乏居士の方なら・・・

置屋に行くしかないだろう。こちらのほうは、僅か250バーツか350バーツくらいで済むそうだ※ただし、それだけのモノだろう。※これは 日本語の最低級の低俗雑誌=〇〇〇で、以前 何回か立ち読みしたことがある。余りにも低俗紙ゆえ紀伊国屋には置いてない。東京堂書店、泰文堂、セブンなどにある。この紙名を〇〇〇と(名前を)伏せた理由は、単に名前を忘れたからであり、決して発行元に配慮した訳ではない。

その記事には『マハチャイ(バンコクの戦勝記念塔付近にミニバス乗り場がある。40分で行ける)で、港町のマリーさんに逢った』と言う題で、置屋には珍しく良い女だった、と若いこの月刊誌に雇われた突撃ライターが 女の顔写真入りで書いておった。置屋は部屋が汚く狭く、風呂やマッサージの場所など無いことから、まさにアレだけする所と認定されるから違法となり、今は警察の手入れによって滅多に無い。しかし、マハチャイ以外にも外国人の行かない大き目の町に行けば、警察のお目こぼしで、結構あるはずだ。

むろんパーラーも置屋は、いずれも後腐れはゼロだ。

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この辺で、若いタイ女と所帯を持った男の例を話そう・・・
ナコンサワンに長年すむ日本人の紹介で(紹介料を払って)女と一緒になり、家を建てようと思った。価格の半分の150万円相当を先払いして、宅地付きの家を建てていたが、半分ほど建った時点で、一緒に住んでた女が残り150万円相当を持ち逃げした。しかも、男性は、くそ丁寧にも日本とタイの両方で 婚籍を入れていため、日本のは抜けたが、タイの婚籍の方は女本人が居ないとして、10年たった今でも籍が入ったままだという。
一度、逃げた女に 何とか会えたとき、籍を抜いてくれと頼むと、30万バーツだせば応じるといわれたので、止む得ず今も、そのままにしているそうだ。



筆者註

この方は  ヘビー・スモーカーで、一日に最低2箱は吸っていた。それも 安価だが 非常に強烈なタバコを・・。私がジミーさん そんなに吸うと 命をチジメルよ、と暗に注意すると、「いや、大丈夫です。タバコは普通は 癌などの危険があると、警告されているけれど、それは飽くまで 一般論。私の場合、20年以上吸っているが、このとおり、元気で、ぴんぴんして いますよ、ハハハッ」と笑っておりました。でも、私には様々な老化の兆候が、と言うより、まさに著しい、かつ 多数の老化の証拠が 目の前に鎮座していました(=老化が現らわになっていた)。そして・・・。

昨年 突然、ジミーさんは、お亡くなりになられた。突然と言うのは 私らには 突然に見えただけで、本人は数ヶ月間、悶えて 苦しんだあげく、お亡くなりになったのでしょう。享年62歳。お悔やみ申し上げます。




だれでも自分だけはソウならない、と思っているものだが、実際には殆どの(上記のような属性の)高齢者の所帯例は、数年で頓挫しているはずだ。ただし、世の中には例外という奴がいつもある・・・高齢でも、格好の良いハンサム、もしくはダンディな方なら、上手くいくことは勿論である。この格好の良さの程度というのが、あくまでも『若い女性の格好の良さとの比較に於いて』、である。たとえ、72歳でも(チェンマイのコンドウ103に住んでいた友人で関根さんという方がそうだった)背が高くスリムで、都会的な顔つきでダンディ、またはハンサム というのであれば、若い男と十分張り合っていける。一方、大枚を使って若い良い女と所帯を持って早々と騙された方々の場合、どんな人たちだっただろうか?・・・・たとえば、頭は毛が薄いうえモジャモジャで、前歯は抜け落ち頬がコケて貧相で、実年齢より相当老けて見えるなど、何処からどう見ても、何時棺桶に入ってもオカシクないモウロク爺さん、そんな方々が多かった。

また、結婚相談所も、食わせ物が殆どだ思っていた方がよい。私の、今は別れた元嫁から実際に聞いた話だが、その元嫁の友人(若い女)は、日本人が作った結婚相談所で、『ヤラセのお見合い女』として勤めていた。カップル一組誕生で100万バーツかかるというのに、僅か3ヶ月かそこらで、女の方から別れ話をでっち上げ、もとの古巣に戻っては、何食わぬ顔で、同じ事を繰り返すのだそうだ。お金は会社と折半なので、すっごく儲かるから あなたも働きなさいと、私と会う前の元嫁に薦めたことがある。何処から、どう見ても、高齢者で、見た目も悪く、ダンディな魅力もないのにもかかわらず、それでも尚、数百万バーツ程度のハシタ金で若くて魅力的な女の心を買おうと思っても、それは無理ってこと。これは明らかに真理だ。

まあ、こう言う次第ですから、あなたも、正規の方法は諦めて、上記の、《メバーン雇用+ワカピチ擬似恋愛 》で満足するんですな。


タイに住んで30年という人に聞くと、20年以上まえなら、いくらでも15,6のピチピチした若いメバーン(お手伝いさん)が、まさにフィッシングの時の入れ食いの様に、家の前の路上で、ボンボン雇えたそうだが・・・・
豊かになった今では、特にバンコクでは、滅多に来てくれないご時勢、それも最低級のが。

お手伝いさんは、タイでも(都会では特に)下賤(げせん)な恥ずかしい仕事だと見なされているからだ。
しかも、昔のように8千バーツやソコイラでは全く無理だ。最低15000バーツ以上はかかる。えっ?それはオカシイね。企業なら中卒は6~7千バーツ、高卒なら10000バーツも出せば或る程度良いのが雇えるのに・・という方は、『ちゃんとした会社が雇用する従業員と、何の保証もない個人の家で、性的ハラストメントさえ受ける恐れのある お手伝いさん とでは、事情が全く異なる』ってことを忘れている。

また、たとえメバーンを15000バーツ以上も出して雇っても、まず、数回は、ロクなのしか来ない(中学佼さえ行っていない、どこの会社でも使ってくれないジャンク人材など)、と思っておいた方がよい。5回雇っても4回までは、使い物にならない人間のクズが来ると思っておこう。たとえば、こちらのお願いした簡単な仕事でも、相手の小学生なみの頭では理解できず、『どうして良いのか分からなくなり、パニックに』なって、ぱっと辞めてしまう(支度金でも最初に出していよう物なら、2,3日たった朝、突然、黙って辞めてしまう、っていう例が五万とあるらしい(現に、私の家でも、まったく、そうだった。お手伝いさんを募集しても、兎に角あまりにもヒデー女が多すぎた。『安かろう悪かろう』とは、東南アジアの人材のことを言うのかも


初期登録 2014/04/27

 
    


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               問題の説明箇所に 『ケシの花、ケシ坊主の鑑別方法』 収載





年末30日から正月3日までバンコクからチェンマイ4泊5日の4輪駆動の旅の或る日のこと・・・・

 

チェンマイのドイステープ山の山頂近くのドイステープ寺院に初詣したあと、更に山頂目指して我々は4輪駆動車を進めた。

 

非常に険しい山間の細い非舗装道路を縫い縫い、到着したのは山岳民族モン族の、とある村だった。チェンマイの北西150キロ離れたメーホーソンのロングネック・カレン族や60キロ離れたリソ族の村では、村を公開して何ぼの生計を立てていたが、ここでも同様に、旅行者のタイ人や外国人に生活を見せることで、生計を立てているようだ。

↓モン族の村へ行く途中で見えたチェンマイ市内の全景

 

↓山岳民族村の特産物の市場

 

↓雑貨を買った後で、ツーショットをちょっとお願いしました。モン族は日本人に似ているようだ。


写真の男性は、タイの日系企業の社長として招聘され バンコク近郊の住宅に単身赴任した波谷(はだに)さん(2009年現在)。


さてミュージアムとやらでも、見てみようかな。

 

写真の女性は 2011年ごろ別れた私の妻(チェンマイ人)で、おんぶしているのは今も筆者と一緒に暮らす ななみ(タイ日本協会学校に在学中 2016年現在)

 

↓そのあと裏の小高い丘に登って景色を撮っていた時のことだ。

更にその裏に何があるのか、我々は、それを知りたくてどんどん奥へと急坂を上っていった。

 

 

↓おやこれは何?

↑ opium poppy!そう、ケシの花だ。



なんと隠微で、美しい花だろうか。茶めっけでちょいと傷を付けてみたら・・・・オーッ、乳白色の液が!・・・当たりを見計らって舐めてみるってーと・・・



ここの村の住人が、昔からの阿片を吸う因習をしめやかに続ける為、密かに栽培しているのか?

さて、それは分からないが、多分・・・

 


ケシ坊主、ケシの花の鑑別法

http://www.magarisugi.net/psychedeilcs/post-1353/




注意:

また、このような現地で吸引を薦められても絶対に加わってはいけません。報奨金目当てに密告され、現地警察に逮捕されます

 


民族衣装の若い女の運び屋に注意:

ある日本人(タイ人を含む)のグループが乗用車で、チェンダオの西50キロにあるリソ族の村の、直ぐそばを通っている県道を走っていた所、リソ族の民族衣装を着た若い二人の女性が、車を呼びとめ、チェンダオまで乗せていって欲しいと懇願してきた。グループ内のタイ人が、気の毒だから乗
せて行ってあげようというので、乗せる事にしたが・・・、途中で薬物運び人(が、警察から安全な日本人の車を利用する魂胆)かもしれないと気が付き、日本人の一人が安全の為カバンの中身を見せて欲しいと言った。が、彼女等は、何だかだと弁解をして見せることに応じなかった。そのため日本人は、車は山の中だったが、二人に毅然とした態度で車を降りてもらったと言う。正解です。
 

 

もっと見たい方は⇒blog
(申し訳ございません。このブログはすべてイザブログからの引っ越しなので、特記した通り、これは無効です。検索エンジンでnnanami2 か または nnanami_papa で検索してみてください)

 

 

http://nnanami2.iza.ne.jp/

/entry/872848/

ケシの花のツボミや茎や種を採取して所持すると、タイ及び日本で、麻薬所持は大麻や覚せい剤よりも重いので、厳罰(実刑)に処せられます。 

 ライブドア の 『読者、ブロガー』は以前は存在した産経ブログと 質が全然違うことに、最近気が付いた。こっちは一般的(ニュートラル)、産経ブログのときは マニアックであったような気がしてならない。

言葉を変えて言うなら、こちらは 大人しい人たちで その中には流行を追うようなミーハーもいる、一方あちらはマニアックな狂信家(愛国者)が多かったような気がする。

もちろん、全部がそうだと言うのではない。ライブドアにもマニアックな人もいるし、産経ブログには大人しい人たちやミーハーも沢山いた。
飽くまでも 大雑把な傾向を言っている。っていうか、根幹の人たち(中心層)の 考え方の傾向だ。

鶏頭牛尾・・そう、小さくても頭になってチョコマカ暴れ回るのが好きか、あるいは、牛のような巨大な組織で、安定した組織になる方が 好きか、の違い。

私も、衣が変わった以上、中身の本尊も 思想転換を図るべきだとは思うが・・・
ミーハーが多い読者層には とても付いていけない性分だから・・・残念ながら 転換したくても
できないような気がするのだ。

           より続く

日は とっぷりと暮れていた。我々二人はコッコンから東北東に伸びている国道48号線に入った。

舗装されているが低品質の舗装で、相変わらず 至る所 凸凹になっている。この道路は ”イワク付き?”の道路で、きっかり1年間に、完全にボロボロに破壊されるように  ワザと と言うか、敢えてというか、超低品質に作られた謎の道路だ。

『なぜか?』 
私は考えた・・毎年国連の(特に日本の)インフラ支援を受けるためのフンセンの悪知恵だと(その、余りにも低品質なのに我慢が出来ず 腹立ち紛れに) そう私は考えたのだ。走っている間中、大きな穴に気をつけて走らないと車が大きく凹む恐れがあるだけでなく、始終 低品質の道路の凸凹を拾って、車が間断なく煩(うるさ)いのだ。ガガガッ、ガタガタガタッ・・・。

他の幹線道路(たとえば4号線)と違って 道路を走る車の数は1桁も2桁も少ないレベルなのに カーブや上り下りが多いと言う理由だけで、これほどにも、道路が傷むのは どう考えても変だ。深さ30センチくらいの穴ぼこが、あちらこちらに開いており、1年たったら 100mも200mも完全スルーのズル剥けになってしまう所が 至る所に 見られるようになる。丁度その頃 道路が再び舗装(改修)される段取りになっている。私はタイに移住するまでは北海道に別荘があったので(スキー、スノーモービルなどウインタースポーツに)始終通っていて 良く知っている。極寒の道路はもろく、また温度変化による伸縮のため、ことのほか傷みやすいが、そうならないように作ってある。だから、年中常夏で温度差がないのに1年足らずでこれ程も痛むというのは聞いたことがない。フンセンは 極寒でも伸縮に耐える舗装道路があることを知らずに、この金のなる木を見つけたつもりで居たのだろうか。

他の道路より低予算で作る必要があると言っても、毎年道路を再舗装(改修)する方が 逆に はるかに高いものにつくのだから、この低品質は合点が行かない。重量の重いトラックが通るから、と言う理由も、怪しげな理由だ。重量が重いトラックなど殆ど通っていない。ここは山の中の道路みたいなもので、無論 一つ二つは工事現場が散見されるが、それを言うなら、幹線4号線の方が はるかに工事現場が多い。また48号線に入るためには 接続道路である4号線を通る必要があるので、そっちの道が壊れていないのに こっちだけが壊れると言うのも合点が行かない

このように、この噂一つを例にとっても フンセンが違法蓄財に精を出していると 国民の目にそう映っているのだ。このフンセン、最近カンボジアで開かれた国際会議で、議長国カンボジアの特権で 出席国のすべての意見に絶対反対の立場を貫き、議題を仲裁裁判所の判決に触れさせなかったばかりか、判決を大いに批判した。それもそのはずフンセンの祖父母は中国が祖国なのだ。この中国に味方するフンセンの活躍でボーナスとして、彼は中国より6億ドルもの援助を得た。この内のかなりの部分が確実にフンセン一族の懐に入る。こんな低俗で小汚い首相が支配している国に 日本国や日本人の有志は、カンボジア復興に多大な援助をしてきたのだ。馬鹿馬鹿しい限りである。

我々の車は約2時間余りで 4号線に合流した。1級道路だが片側1車線のため 追い越しは大変だが、先ほどの48号と違って非常に快適だ。この道は日本の援助で出来た道だから、そう思えばいっそう快適に感じる。その当時 このフンセンの嫌なニュースは未だ存在しなかったのだから・・。

小1時間余り走ると、やがて 小高い峠に差しかかり、車はまるで斜めに たなびく雲の上を走っているような感覚に襲われた。ちょうど長い雲の頂上についたかと思われたとき、下り坂の はるか向こうに 広大な海が見えた。シアヌークビルの町だ。4号線のどん詰まりにある港は最深度岸壁と言って大きな船が留まれる。去年この近くのホテルに連泊していたら、窓から日本の海上自衛艦が2週間ばかり停泊しているのが見えた。

シアヌークビル、またはシハヌークビルは コンポンソムとも言われ、前国王シハヌークの名前に由来する。ビルはville、つまり シアヌークビルは シハヌーク前国王の別荘がある村と言う意味だ。

我々は 最初にセレンディピティービーチのメルクマールのホテルでありうるダイアモンド・オーシャン・リゾートの前の大通りを通って、海に面したバンガロウに宿舎を確保した。このダイアモンドリゾートは1年前に一度泊まったことがある。そのときは友人のNKと彼の若い友人のために やや大き目の部屋をとったが、彼らはすでに友人と安宿を確保してあったので、その部屋はキャンセルして別の小さな部屋に変えてもらったことがある。彼らは 彼がカンボジアに来て何かを手に入れ、そしてここでそれを楽しむ為に敢えて別の安宿を取ったのだなと思った。

私たちは今回、海のすぐ傍の部屋を、某は その近くの部屋をとった。我々は まず腹ごしらえをするために、セレンディピティービーチのビーチ沿いに並んだレストランの一つで、波打ち際の一番前の席に座って 名物の海鮮焼き と ジョッキを頼んだ。料理もビールも格安だったが 合い変わらず 美味かったし、また 腹も一杯になった。海は美しく澄んでいた。時折大きな波が打ち寄せては 砂浜をかき乱している。

某はビーチ沿いの看板で ドルフィンと銘打った立ち飲みの店に入り、そこに 大勢がたむろしているストリート・ガールを物色するつもりだろうか、そこで私と別れた。私はバンガロウに帰って、ななみと一緒に部屋でくつろいだ。そう、私は今回の某と一緒の旅に ななみを連れてきていたのだ。そのことをすっかり忘れていた。ななみはタイ人でもあるので、タイのパスポートを使うことが出来て簡単に入国できるので、ななみの存在をうっかり放念してしまったが、ななみ の存在によって彼は私に何もすることが出来なかったのだ。

翌朝 起きてみると某は清清しい表情をして、私とななみに挨拶をした。『お早うございます』私とななみも同じ挨拶を返した。私は某に、プノンペンにはやはり行きますか? と聞いた。彼は『もちろん ですとも。』と答えた。特に私は盗人稼業の若者がたむろするプノンペンには用事はなかったが、約束だったので 一緒に行くことにした。


次に続く

(改正部分は 最後尾に)

初めて 生まれた 私の子供(娘)は 未だ 8歳です。だから 彼女が自分の意志だけで 物事が懸命に 決められる人に成長するまでは 健康に生きていないといけません。
そうです、それまで 絶対に死ねないのです。もし今癌とか事故死とかで、死んだらと思うと・・・。

タイ人の母親と,狡からいオランダ人の新しい夫がいます。kosukaraさ はオランダ人のistibu(私は大方のオランダ人だと思う)の人の性格として有名です。陸地の半分が海より下という 何世紀も続いた事情が そうさせたんでしょう)。この夫は オランダ人以外のほかに、もっと〇賢いアイスランド人の 血も引いている。人口30万の火山国アイスランドは数年前 国の首相が国家の破産宣告をしたところ。で、全企業、全国営企業が都合よくデフォルトしましたね。私は この国の州立銀行債権を持っていまして、この国の破産で、債券が 全部紙切れ になりました。そう、夫は アイスランドとオランダの クォーターです。この 二拍子揃った夫が わたしが死んだら 財産を引き継いだ ななみ を引き取りに 飛んで来るでしょう、笑。

しかし、すでに オフショアの国に置いてある私の会社の定款の遺言書(My Will)には そのことを予期して あらかじめ手を打っています。彼らは まだ 本当の 私のポートフォリオは 知りません(母親のチャンヤーを両親に預けて 私が尋常性乾癬の自然食材の特効薬をカンボジアで探している間に、次の夫に言い寄られ、新しい子までお腹に もうけてていたのだから。それなのに、チェンマイから遠路はるばる何がしかの生活費を貰いに来ていた、笑。これは正に夫の差し金です。

私は 実は 夜間睡眠時無呼吸症です。私は これで随分と苦しんできました。この疾患で 例えばバス運転手が走行中に突然意識を無くして、大事故が起こす などの 恐ろしい事故も散見されています。(しかし、無呼吸症は 大方は悪い症状だが・・決して全部が全部 悪いことばかり ではない。例えば・・1分毎の無呼吸に耐えている間に、肺や赤血球が鞭うたれて より良い方向に適応、すなわち ミトコンドリアが増える、などの良い適応も一部の人に見られる。

実はタイの国策病院(病気の外国人を国策として呼び込む)の一つ、バムルンラード病院で、CーPAP(夜間睡眠時無呼吸の無呼吸をおきなくする器械)を 1日間の検査入院(2万バーツ)をやって、翌朝 晴れて 病院で買いました。しかし、タイの国策病院は所詮は株式会社です。儲けることは 200%がめついけど、病気を治す熱意は 各先生の都合で、 患者の体質を考えない いい加減さに陥りやすい。私の主治医は 機械の説明にも 機器の1人1人にあった設定にも、一回も立ち会わず、『ただの おっさん(医療機械屋)』 が 器械を持って病院に やってきて、合計20分程度の間 立ち会って器械を設定しただけ(それも一律に同じ設定、これでは 膨大な検査資料も ただ紙屑 )で、これでOKですとの賜った。

おかげで、自宅で器械をつけて寝た翌朝、恐ろしい悪夢で 目が覚めた。血圧を測ったら215にまで上がっていました。これが何日も続いたので 看護婦に言って病院に機械屋を呼び出し、その所在地を教えさ せ その店に文句を言いに行きました。すると中国人の女社長が出てきて、開口一番言ったのは、『あなた は どうして この店の所在地を知ったのか?』でした。文句を付けられるのが怖いので、誰にも教えていないことが よく分かります。

菊池君という友人の友人は国策病院で日本人患者にタイ語通訳をやっているが、この人が言うには 患者の6割方は、同器械が全然合わず クレームになるそうです。これは後で知った話でした。

私は、この女社長に 『お宅は このC-PAPで 私を殺す気か。これを付けて寝たら 悪夢で目が覚め そのとき測った血圧が215だ。これが その時の数値だ(血圧計を見せて)。 お宅は この器械を10万バーツで買わせた挙句、私を殺す気か!』と叫んだ。(検査費用2万バーツ+器械代7.5万バーツ・・・保険で買う場合は器械15万バーツ)

それで、器械を替えてもらったが 結局 それでも 同じだった。タイの国策病院と言うやつは 建物だけを立派にして、金儲け主義だけが 抜きんでている。C-PAPは その最たる例だ。それで 主治医はクレームの矢表に立たされないように、業者任せに しているのです。

それで、私は この器械を もう一切に使わないことにして、顔を下にして寝るか、右横を向いて寝るとを決意した。そうすると 舌根が喉を塞がない。これをやると 胸のあたりが苦しくて、肋骨などが痛むが・・もう これしか方法はない。このようにして、何とか 無呼吸が できるだけ起こさないよう努力している。

それで血圧は 今では 無呼吸が起きなかったら 135か140ですが、目が覚める直前に無呼吸が起こったときは(というか、無呼吸が起こって直ぐ 目が覚めたときは)170です。そして、深呼吸などしてから 10分後には 何とか 140くらいに下がります。以前は、無呼吸が始まっても 「長時間 目が覚めず、長らく無呼吸の時間が続い」たため、起きたときは 超高血圧で、その上、1日中 その (超)高血圧が下がらずに 夕方まで続いていました。

しかし、今は こんな次第で私は(通常は)元気です。
 
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読者の皆さんに、一つ良いことを教えましょう。

今世紀 最大の革命的新発見の一つは 腸内フローラについての 新しい役割の発見です。すなわち
腸内細菌叢に良い餌を提供し、増えたフローラ大切に育てると・・・最終的に 免疫システムが強化され、性格も活発かつ豊かになり、頭の働きも活発化でき、果ては 皺を無くしたりと、 素晴らしい健康と美容法が 手に入るのです。

それには 腸内フローラに優れた食物繊維をたくさん提供してあげること、そして 増えたフローラを大切に維し持してあげる(支援)こと です。、このように 腸内フローラは 第6の臓器と言われるほど 両生類、爬虫類、鳥類、そして人間などの哺乳類に至るまで 非常に大切な役目を果たしている。優れたフローラをもつ人の大便の重量の 約40%は 腸内フローラの死骸です。それほど腸内フローラは大規模で 大所帯なのです。
 
優れた腸内フローラ(←人間の)には 800から900種の腸内細菌が、合計100ないしは120兆個も住んでいます。だから 市販の”優れた働きの腸内細菌を増やす〇〇ヨーグルト” とか、納豆菌などの 個別の商品を気にする必要は 殆ど ありません。ヨーグルト菌も納豆菌も すべて 優れた人の腸内の800ないし900種類の腸内細菌の一部に過ぎません。

良い食物繊維には なにかある?
 
小麦のブランが一番 高濃度に含まれています(約40%も!)ブランとはコメの ぬか みたいな もので、小麦の固い果皮を削り取ったものです。これを食べやすい商品にしたものに ケロッグの All bran (食物繊維 28%)があります。その他 Oatsミール食品(オートミールと日本では言われる。同じく繊維は10%程度)スイスFibre(同 14%)など。

白く美味しいコメは、繊維が0.1から0.5%しか含まれていず、 ものすごく少ない。まるで話になりません。江戸時代は豪商などが うまい米と日本酒を好み、多くの方が 糖尿病などで 若死にしました。しかし、精米する前の玄米だけは 繊維を3%含むので ”腸内フローラ初心者”には食べる上での我慢もできて長続きできるので良いでしょう。
Soy
 
昔 池田隼人(元)首相が 貧乏人は麦を食え と言って物議をかもしましたが、これは今では 死語どころか 米よりも数倍高いので 貧乏人は米を食うしか ありません、笑。なぜなら、麦は繊維が 12%も含まれていて、高価な 健康食品になっているからです。

ちなみに 私は 小麦1カップ 赤米1カップ、黒米1カップ (時々は豆類も)をミックスしたものを 炊飯して 炊きます。赤米、黒米とも、玄米より食物繊維は多く、赤と黒色のポリフェノール(赤ワインのポリフェノールの一種)が 含まれています。まずいのは そのうち 慣れます(とても食えた物じゃない という人も。)今では あれや これや で 自分が 出来るだけ(可及的)長命になるよう、そして癌死しないように努めています。何しろ癌死は 高齢者の二人に一人ですからね。

あと、大切な グッズ は 腹巻です。これで、腸内のフローラを大切に保温します。甘酒を作るとき カメを保温するのと同じ原理です。こちら、タイの店 にはありませんが、60バーツショップ(ダイソーなど日系の店)で見つかります。ななみ は これを何時も付けています。

まだ8歳の ななみ にも分かった腸内フローラ。 腸内細菌の お花畑を大切に!        


これは、大分前に書いた記事です。現在、私は小麦ではなく、大麦(白麦、米粒麦、丸麦など)1カップに、大豆蛋白(Texturd Soy Protein   食物繊維20%)1カップを フード・プロセッサーで軽く粉砕してから、圧力釜で、やや、お粥ぎみに 炊きます(こうすれば、美味しく食べられる)。

あとは、食物繊維8g入り(Tipucoの特製,コップ1パイ200ml )または8,8g(Cereal ドリンク 特製、同左)のジュースを飲み、、
なおかつ目標量(自分の目標=水溶性15gと不溶性25g以上~)に足りないときは、CHIA SEED=チア・シード=食物繊維35% 添付スプーン2杯=20gを ジュースに入れて飲みます。

また、軽食用にライ麦パン(同5%)をトーストして これを焼いた板海苔(同30%)で包んで食べたり、

イタリアの同8%入りのスパゲッッティにフランスCasino製のパスタソース同6%入りを掛けて食べたり、

ライ麦粉(同14%)と大豆蛋白(前記のもの)と卵と挽肉とキャベツで お好み焼きを作って・・・・・・冷や汗がポタ、ポタ・・(笑っちゃう、誰が ここまでヤルカっ、つーの)

しかし、それだけに すっごい効果あり!!私のダイアベティスが直ってしまった。

日本人の主食の米、または玄米はどうしたかって?
  白米は私が罹っていた糖尿病の元凶、すなわち主犯だ。私にとって 静かな殺し屋(糖尿病の別の名前)以外の何者でもない・・・他のブログで、記事を改めて書いているので参考に!

 私は上で、気軽に ”糖尿病が根治した” と言ってるが、これは まぁ言って見れば 奇跡に近いことですよ。二十年以上前から続いた それも重いタイプの DM(糖尿病のこと)だったから、なおさらです。これが世界(世間)に広まれば、世界支配層の一員たる製薬会社や医療機関は 糖尿病治療の 甘い汁を 吸えなくなってしまうだろうね。


私は 医者は医者でも 引退した医者だから、それは平気だ。いままで病院経営で(並大抵の努力じゃなかった)儲けさせてくれたから、むしろ 恩返しのつもりで 言っている。DM系の医療機関が マンマを食えなくなってしまうが 国民のためには その方が良い。最後の方でその方法を教えますから、皆さん DM(糖尿病)の方に 教えてあげて 下さい、後で きっと感謝されるでしょう(私と同じ方法で 糖尿病が治ってしまと 感謝の心も消えてしまうものですが それはそれで良いでしょう)ただし、これは Ⅱ型DMのことです。I型は 効くか効かないか、やって見ないと 今は分からない。従って 1型DMのメイ首相は、治るか治らぬか それは分からない。


普通のオジサンは、またはオッサンは

人前で レストランで食事中 何か”厳かな気持ちで”または”奇をてらう気持ちで”インシュリン注射をしたり、あるいは 何種類もの薬を飲み続けて いるが・・


物凄く多い薬の一つに 糖の消化酵素が分泌されるのを 抑制する薬がある。 たとえば独のバイエル製薬の、グルコバイ(糖=グルコース に バイエル製薬 を掛けた名前)など。これらは 一生、食事のたびに 飲み続けなければならない。大変な副作用もある、尋常ならざる オナラとか。


それも、けっして、根治とは関係ない・・単なる対症療法にすぎないので。それで 製薬会社や医者が、患者が死ぬまで 儲かるという話になる。


しかも、糖は どうしても やはり 糖の代謝物であるソルビットとなって あらゆる組織に沈着してゆく。 年々 神経鞘や目の網膜や腎臓の糸球体にソルビットが沈着して行くので、神経障害(足の神経が酷く疼く など)、失明 、腎不全などに ゆっくりとだが確実に悪化して行く。


さて、さて・・

私は 身分職業は医者だが 医者の癖に、自分の体には 昔から わりと無頓着だった(外科系が専門)。それだけ、体には自信があったってことだが・・。
昔から 美味しい米飯が大好きで、小さいころは さばの煮付けや卵かけご飯で 何杯もおかわりした(最高5杯くらい、笑)。白米は確かに美味しい。それだけでも美味しく食べられるくらいだ。

しかし、そのツケは45歳から50歳になってハッキリと回ってきた。それは 日本酒を飲むことで いっそう倍加した。日本の厚生省(当時)は、お米や日本酒の害など なにも言わない、今も。言ったら農民票が そっぽを向くからだが・・。
今では 寿司や日本酒が健康日本の特産品で、特にお寿司などが 海外では 健康日本の代表的な料理として、まるで引っ張りだこになっている と言うのが 私には非常に悪質な冗談にしか見えない。米を食えば(半分の人が)DMになると分かっていて(厚生労働省や広報機関たるNHKなどが)言わないのは 未必の故意、犯罪と一緒だ。私に言わせりゃ 寿司と日本酒は 糖尿病の元凶だ。

国民が 美味いお米の所為で (約半分の)人が病気になり、どんどん悪化して、最後は スローキラー(ゆっくり遣ってくる殺し屋、ゆっくりと絞め殺す殺し屋)に 殺されてゆくのだ。農業がどうのこうという話ではない。農業は 別なものを作れば良いだけのことだ。


むかしNHKでやった篤姫、その若き篤姫の将棋友達だった薩摩藩の家老は、何ていったっけ、名前は忘れたが、この人など 弱冠29歳のという若さで 重症の糖尿病まで悪化して、足の動脈が詰まって足を切断したものの お亡くなりになった。これは白米と日本酒が原因だった(この経緯はNHKでは農業に害があるとして、敢えて全く放映されていない。お米離れを促すので・・)。しかし、かれの名だけは 今も 有名な お酒の名前(ブランド)になって生きているが・・。

そして・・・私は
糖の代謝物ソルビットが一番長い足の神経の鞘にこびり付くことで、ビリビリと過敏になり(漏電と同じ)、ついには神経障害を。幸いにして目の網膜と、腎臓には未だ障害は来て居なかったが。

これでは遺憾と、本気に糖尿病対策を考え始めたのは、引退してタイに来て子供を作って2,3年くらいたってから。随分と遅い出発だった。医者の不用心とは よく言ったものだ。そして、離婚を経て 子供が小学校に上がるようになると、この子と自分の年齢を比べてすくなくとも、二十歳になるまで健康に生きていなくてはいけない、と計算し、糖尿病やその他、様々な病気を直さないと分かり 今のままでは絶対にアウトだと、観念した。

それらを ひっくるめて直してくれる最大の味方、いや唯一の武器が 腸内フローラの存在 だと いろんな研究の末に たどり着いた結論だった。

そして 私は 今、終に 糖尿病を克服できたのだ。正確には 腸内細菌が 糖尿病を克服させてくれたと言うべきだ。  それも たった数ヶ月間で!

奇跡だった。

その処方箋を次に示そう。



PA020305


プノンペンのアパートの一軒家では、学生メイドに手引きされた強盗に入られた事もある。

タイで5年乗ったバンでプノンペンに引越してから1年半は問題なかったが、新車のナバラ(174馬力。ルーフには衛星放送のパラボラ(薄い奴)が付いていた。
)を
コーチビルダーに改造してもらった戦車のように大きくて格好がいい新車に変えてからの6ヶ月間、 この短い間に、なんと6回も車上荒らしにヤラレタ。盗んで逃げた奴は どいつも こいつも野球帽をかぶっていた。だから私は その後遺症で 野球帽を被った若い奴を見ると、無性に腹がたって来る
、今でも。

最後の一回は ガソリンスタンドでの出来事で、外に出てスタンド店員と話をしている隙に、座席においていた 財布(前の車を売った代金の一部7万バーツ)や買ったばかりのカシオのGPS付きカメラ(5万円 )や、親子のパスポート(再発行は日本のは1.5ヶ月、日タイ二重国籍の娘のは3ヶ月かかり、その間国境から出られなかった)などが入ったウエストポーチを、目にも留まらぬ早業で引ったくって、バイクで逃げられた。こいつも野球帽をかぶっていた。

しかし、圧巻は やはり、最初に話した メイドに手引きされた強盗だ。
この学生メイドの父親はトンレサップ河の中洲に住んでおり奥さんは身重で妊娠8ヶ月というとこだった。父親は10年前に通風で憲兵職を辞めたと言い、私に会っても一切ニコリともしない強面だった。この学生を雇ってすぐに父親から借金を申し込まれたまだ信用がないので、すでに働いた分だけ貸したが これでは足りない』と言われ、もっと沢山貸してくれと言ったので、断ったら、その矢先に強盗に入られた。メイドは強盗が入った深夜に、携帯電話を使っていた。犯人はこのメイドが通っている日本の田山日本語学校(無料、日本の財団法人が運営)の恐らくは関係者だと思われた。警察は大使館の警察上がりの館員に『被害者は日本から着ているボランティアで来ている医者だ』と言われたので、警察署の総員と、一部は本部の支援要員も加わり なんと合わせて40名以上の大所帯で来ており、一部の署員は入り切れなくて通りの迎い側で待機していた。

警察は一通りみてから、署長クラスらしいのが、捜査費用を幾ら出すか、と私に聞いたが、日本大使館では出さないように言われている(事実その通りだった)と言ったら、ガッカリした様子もなく、そのまま捜査は 少なくとも私からは見えなくなった(警察の利権の領分になった)。イソウロしていた友人も100ドルとかパソコンを持っていかれていた。我々は酒をタラフク飲んで 爆睡していたので、すべて朝になって分かったことだ。

また これらとは違うが、日本の同じ友人と私の車に乗っていたら、3人組の若い女性が呼び止める。何か?と思って運転席側の窓を開けたら、そのタイミングで一人が助手席側に回って窓を開けて!という。彼がその窓を開けたら とたんに手を物凄い早業で入れてきて、助手席のダッシュボードにおいていた彼の高級携帯を盗んで三方向に ちりじり遁走した。

このように、プノンペンは 盗人家業(ぬすっと かぎょう)の若い男女がウヨウヨしている町だった。これもそれも、原因は あの独裁者フンセン首相にある。フンセン、この中国系の小ざかしい男が首相に選ばれたというか成ったのは偶然ではない。20年間以上にわたって、一族の利権利益だけを追求して莫大な富を築く一方で、政治は無為無策。国民は貧しさから抜け出せず、貧民は食うにも事欠く有様だった。栄華を極めたフンセン一族の首都に建てた御殿を何時も横目で見ながら、フンセンの政治に やるせない反感を抱いた男女が無気力になり そして国中、とくにプノンペンに溢れた。

国政選挙はフンセンのカンボジア人民党が全国各地、通津浦裏に 国家の予算を使って人民をねぎらう家(人民党の家)を作っているので、フンセンが いつも絶対的に勝つ.フンセンが勝つように、計算し、作ろっている。
それで、多くの若い男女がヤル気をなくして、道路と言う道路に あふれている感じだった。(どんな嫌な仕事でも良いなら、仕事はあるのだが)怠け者だから、仕事もしないで、プータローしていると言うのが、この町の特徴だ。すなわち、泥棒家業や、マリファナ・覚せい剤に溺れるプータローである。

プノンペン最後のおまけと言うか 心尽きて もうこの国は懲り懲りだと思った最後の最後になって・・・
或る日 覚せい剤でラリッタ野郎の運転するボロ車が コーチビルドした私の新車に、ドカーンとブチあたって逃げた。私の車は 大破して、操車不能となるも(車軸が片方に1mもずれている)、相手は壊れながらも、ほうほうの体で、逃げていった。こっちは クソ、あの野郎!、と恨めしそうに言ったものの、動かないのでは、どうしょうもない。ぶつけられる恐れが全然ない道の端で、左折すべく待っていた我が車に ぶつかった来た野郎は、完全にラリッていた。

覚せい剤やマリファナに嵌っているクメール人は もとより多いが、日本人で嵌っている馬鹿も 結構いる。わたしが 非常によく知っている奴もいるし日本からそいつを頼って買いに来た奴もいる・・・また プノンペンにいる    
彼の友人は 完全に或る薬(くすり)に嵌っていた。
私の良く知っている彼は そいつから聞いて嵌った様だ)った。そいつは もとはプノンペンの独立記念塔近くで日本食堂をヤッていた中年の男だ。こっちは私の友人たちが くすりと縁を切って まじめに更生するように、たとえば警察に密告したところで、捕まっても恨むだけ。絶対に更生するような奴じゃない・・だから、言うだけ損だから、それで言わないだけ・・・。

そんな プノンペンに ほとほと嫌気がさして私たち父娘は、我が取引銀行のあるシンガポールに30分で行けるジョホールバルに引っ越そうと決心したのだった。そして、(ジョホールバル団地の一軒を購入して、韓国人の奥さん・子供と3人で住んでいる)在日韓国人の某の車で、私たち父娘はチャンギ空港からコーズウエイを通ってジョホールバルに向かうのだった。

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