2007年03月13日

ケニア 10月、11月

11月5日
昼頃成田着。京成線で帰路へ。

11月4日
インド。昼頃までテレビでクリケットを観戦。
ホテルのレストランで昼食を取ってから早めに空港へ。
ロビーでチェックインを待っていると職員が寄ってきて
「今日の東京行きはムンバイからでなく、デリーから
飛ぶのでデリーに行ってくれ」と言われ、振り替え搭乗券と
国内線空港へのタクシー代を渡される。国内線空港へ行き
しばらくうろうろしてから何とかインディアエアラインの
デリー行きに滑り込む。デリーに着くと「あと30分で東京行き
が飛ぶ」と言われ愕然。近くにいた同じ便に乗る人たちと急いで
タクシーに分乗しデリー国際線空港へ。同乗したブラジル国籍の
アメリカの弁護士の女性が激しくキレていた。国際線空港に到着し、
全員で長蛇の列を割りこみまくる。列に並んでいた大阪の
おばちゃんたちに激しく罵倒される。チェックインカウンターに
着くと結局東京行きの飛行機が飛ぶのはあと7時間後、と言われ
自分の中で何かが終わる。さっきの大阪のおばちゃんに
「間に合ったんやろ、よかったなあ。」と皮肉られる。
深夜2時頃搭乗。寝る。

11月3日
帰国。最後にオフィスでみんなに挨拶。
スタッフはその後全員フィールドへ。入れ替わりに
D.O.が来訪。彼の学生時代の専攻が自分と同じ国際法
だったことと、この滞在中自分の行動が情報屋を経由して
逐次D.O.の手元に上っていたことを知らされる。苦笑いするしかない。
奈緒美さんの迎えを待ち最後にナイロビでなぜかブラジル料理を食べる。
エアインディア機が案の定飛ばない。
ロビーで数人と会話をかわしつつ待機、数時間遅れで離陸。
深夜ムンバイ着。行きより数段豪華なトランジットホテルで就寝。

11月2日
ナセリアン村へ向かうも前日の雨で道路がぬかるんでおり
10時過ぎに車が水溜りでストップ。近くの人の助けも借りつつ
14時半頃ようやく脱出。15時から17時までトレーニング。
終了後遅めの昼食を取ってからオフィスへ。写真をCDに
移してからビジョンでスタッフと最後の食事。21時頃解散。
ギザイガとスウィートウォーターの隣のバーで1本飲んでから
部屋へ。即就寝。

11月1日
10時過ぎにナセリアン村に到着。農業トレーニング2日目。
11時過ぎにジョンとヤギの買出しに。途中雨に会い、雨宿り。
マサイの伝統的な家屋に入れてもらう。13時近くに教会に
帰着。16時頃までトレーニング。後遅めの昼食。17時頃
村を出て18時半頃オフィス帰着。しばしネット。19時頃
部屋へ。20時頃サバンナでニャマチョマを注文し、21時頃
食事。500グラムは食べきれず。そのまま就寝。

10月31日
11時頃ナセリアン村へ出発。昼過ぎから農業トレーニング開始。
パンとジュースの昼食を挟んで17時くらいまで。18時頃
オフィスに帰着し即解散。サバンナへ行くも空いておらず
ファーマーズの隣の店でニャマチョマテイクアウト。食後ビールを
飲みつつベンハーを観る。途中で眠くなり21時頃就寝。

10月30日
8時頃オフィスに来て30分くらい待ちぼうけ。ネットを使いつつ
簡単なスタッフミーティングに参加。11時頃ピックアップの
運転手が来たのでカレンに向け出発。13時頃奈緒美さんと合流。
必要な書類をもらってからナクマットで土産のコーヒーを買い
ネットカフェでネット、昼食。後奈緒美さん宅に移り、グッド
ウィルハンティングを見る。17時頃スタッフと合流。一旦タウン
まで戻りマークを迎えてから帰路へ。21時頃イシニヤ着。夕食
ビール後すぐ就寝。

10月29日
午前中ベッドでごろごろし、12時頃起床。13時頃
ハイウェイで昼食を取り、18時頃まで映画や読書、音楽。
19時頃ビジョンでフライをテイクアウェイ。食後残額を
気にしつつビールを一本。小説を読み終わり、22時頃就寝。

10月28日
9時頃奈緒美さんとジャバへ行きネット。10時頃ジャバを
離れ、カレンに向かい、10時半増古さんと合流。11時45分ごろ
イシニヤ着後軽く町を歩き、ニャマチョマを食べてから
フィールドへ。野生動物がおり一安心。15時頃イシニヤに戻り
薬関係や食べ物関係など帰国前に余りそうなものを渡してから
見送り。後部屋で音楽など。19時半頃就寝。
※田中先生、児玉谷先生コーヒーお土産購入。(500シリング受領)

10月27日
午前中オフィスでネット。12時半頃オフィスを出、昼食に
ピラウを食べてからマタトゥでナイロビへ。14時過ぎに
到着し、インド大使館でビザを受け取ってから15時過ぎに
バスでヤヤヘ。ネットをしながら待機。奈緒美さんと合流し
17時過ぎにタクシーで奈緒美さん宅へ。ビールを飲みながら
映画AIを観、終了後21時過ぎにホースマンへ行き夕食。
水タバコを吸うなど。白人黒人ペアにからまれ話が盛り上がった
後、24時半にタクシーで帰宅しちょっと映画を観てから就寝。

10月26日
ナセリアン村で種植え。ムティソも参加。11時頃から
2時近くまで耕し、ジュースを飲んで休憩してから16時過ぎまで
種植え。17時頃オフィスに戻りネット。18時半頃までやってから
サバンナでニャマチョマをテイクアウトして帰宅。食後ビールを
飲んでから寝る。なかなか寝付けず。

10月25日
朝9時頃奈緒美さんとジャバへ。ネットがつながらず
諦めてヤヤヘ。1時間くらいネットを使い、後、お土産の
絵を購入。最後の両替も終了。キフンバさんと待ち合わせ
先にナクマットカレンに向かい、コーヒーなどを飲んで
待っているうちにトラックが来たため、同乗してイシニヤへ。
14時半頃到着。全員フィールドのため、部屋に戻り待機。
19時頃みんながオフィスに着いたため合流。夕食を食べて
パソコンをいじってから21時過ぎに就寝。

10月24日
ラマダン明けの休日。朝8時頃起床。シャワーを浴びたり
朝食を食べたり。後読書をして時間を潰し、12時頃から
映画。途中さば缶とご飯の昼食。15時過ぎにタクシーを
呼びジャンクションへ。空DVDを買う。ジャバの無線ランが
使えずタクシーでヤヤへ。ヤヤも空いておらず、ヤヤの
隣のネットカフェでネット。18時半にジャイカ高橋さんと
待ち合わせ近くの韓国料理屋へ。20時半頃まで食べ、後
タクシーで帰宅。すぐ就寝。

10月23日
朝6時15分頃起床。風呂、朝食を済ませ8時半頃奈緒美さんの
運転でヤヤへ。両替、パスポート写真撮影を済ませ、タクシーで
インド大使館へ行きトランジットビザ申請。チケットのリコンファーム
も済ませ、12時半頃バスでヤヤへ。スーパーで土産のコーヒー、
たばこ、ビールを買ってから土産の絵を物色後ネットカフェ。
1時間ほどネットした後奈緒美さんと合流し、近くのレストランで
ランチ。後奈緒美さん宅に戻りエリック達の帰りを待ってから
ロシア人も入れて4人でマーキュリー→日本料理屋。食後もう一軒
寄ってから午前0時過ぎに帰宅。即就寝。

10月22日
朝9時過ぎにオフィスへ行きネット。昼過ぎに奈緒美さん
に迎えに来てもらいナイロビへ。14時頃カレンのレストランで
ランチ。ナクマットで買い物をしてから奈緒美さん宅へ行き
ビールを飲みながらデイアフタートゥモロー鑑賞。後夕食の
ソーセージとインドカレーを食べながらブレイブハート鑑賞。
22時頃観終わりリビングのソファで就寝。

10月21日
朝9時頃オフィスへ。午前中ネット。午後1時過ぎに
ハイウェイでピラウ。午後、部屋でプラトーン。
鑑賞後16時頃オフィスへ戻り再度ネット。19時頃
ピラウの店で夕食を食べてから部屋へ戻り、ビールを
1本飲んでから就寝。ラムヤのディスコパーティのため
深夜中爆音。

10月20日
朝8時すぎにオフィスへ。午前中ネット。午後から部屋に
戻り、水を浴びた後、読書、音楽鑑賞映画鑑賞。19時頃
サバンナでニャマチョマテイクアウト。19時15分頃停電。
ろうそくを借り食事。21時過ぎに復旧。音楽を聴いてから就寝。

10月19日
車の修理などのため遅れてフィールドへ。途中農薬散布器を
落としたり運の無い日。エマンバラスワイ村に行くも人が
おらず、種まきは延期。農具のみ渡すことに。後エンボリオイ村に
行き同様に農具を渡し、13時半頃オフィス帰着。他のスタッフは
ナイロビに行くため、一人オフィスに残りネット。15時頃
昼食を食べてから部屋へ。音楽を聴いたり映画を観たり。
19時頃ビジョンプラザでフライを購入。ビールと一緒に食す。
22時頃残りを食べて就寝。

10月18日
朝からフィールドに出、種まき。レンチャニ村。村人が
集まらず、急遽隣接する学校の生徒を動員。鍬や鋤で
耕してから昼食をはさみ、種まき。18時半頃オフィス着。
ファーマーズの隣の店でニャマチョマテイクアウト。
ビールを1本飲んでから22時半頃就寝。

10月17日
朝8時頃ホテルを出てダラダラターミナルへ。9時頃出発。
一路ナマンガへ。途中UN職員の事故現場に遭遇。軽症の
ようで何より。11時頃ナマンガ国境着。出入国を済ませ
ケニア側の食堂で昼食を取り、マタトゥでイシニヤへ。
13時頃イシニヤ帰着。すぐ昼寝。20時頃サバンナで
ニャマチョマテイクアウト。食後ビールを1本飲み22時頃就寝。

10月16日
朝5時半にホテルを出、ウブンゴへ。ダラダラがつかまらず
焦るも何とか乗り込みアカンババスへ。6時半発車。11時頃
ドライブインで昼食。16時頃アルーシャ着。メルーハウスイン
に宿を取り、直後にコーヒーショップへ。ミルクを入れると
おいしい。向かいの店でコーヒー豆を買い、ホテルへ。
途中みやげ物の布を購入。19時頃レストランでカレーを食べ
ビールを1本飲んでから就寝。

10月15日
朝6時過ぎにダルエスサラーム着。そのままサファリインへ
徒歩で向かう。チェックイン10時のためロビーでしばらく
待ち、8時頃バスの予約変更のため再びウブンゴへ。
カリアコオフィスに行くように指示され、再びダラダラで
カリアコへ。尋ね尋ね歩きようやく到着。予約変更後
途中スーパーで食料を買ってからホテルへチェックイン。
しばし昼寝。18時頃部屋を出て港までぶらぶら。雨のため
人はまばら。ホテルに戻りレストランでカレー。食後
部屋に戻り寝るも寝付けず、結局朝4時頃1時間のみ就寝。

10月14日
朝6時半頃ホテルを出、フェリー乗り場へ。7時半の便は
売り切れのため、12時半のフライングホースを購入。
昨日の若い男の人は普通にスタッフだった模様。
時間が余ったため、ウブンゴターミナルまで歩いてみる。
1時間かけても到着しなかったためダラダラに乗る。
アカンバを予約し、タウンへ。ラマダンのため極度の飢え。
12時半に乗船し、15時半頃到着。ストーンタウンをぶらぶらし
観光ガイドにつきまとまれたため、激しく気分を害し
帰還を決意。19時半の便を予約し、それまで港近くをぶらぶら。
18時25分にラマダン明け。食堂で夕食。40時間ぶりくらいの
食事。食後、たこ、いかなどの切り身を買ってみる。おいしい。
ファーストクラスに乗船後、すぐ就寝。

10月13日
朝6時15分、イシニヤでスカンジナビアバスに乗り
ダルエスサラームへ。21時頃着。信号機が日本と一緒。
タクシーでフェリー乗り場に向かうも窓口が閉まっており断念。
途中若い人に囲まれそうになり、タクシーの運転手と逃亡。
ホテルが空いておらず、28ドルのホテル泊。クッキー
以外何も食べずに就寝。

10月12日
11時頃全員でナイロビへ。EM販売会社を訪ね、後ニャマチョマ屋で
昼食をとった後、農具購入へ。ナイロビで強盗の現場を目撃。
最後にナクマットへ寄ってからイシニヤへ帰宅。20時頃到着し、
サバンナでニャマチョマをテイクアウトし食後翌日に備えすぐ就寝。

10月11日
朝5時起床、6時にオフィス前。6時半にフィールドへ。
エマンバラスワイ村に行く途中車が電気系統の故障。
3時間近く立ち往生。デビットがメカニックをバイクで
連れてきたので、修理中バイクを運転させてもらう。
意外といける。昼過ぎにエマンバラスワイへ。開墾は
終了しており、すぐに昼休み。村でギゼリをご馳走に。
後オセワン村に向かい開墾を開始するも土壌が硬く断念。
16時半頃オフィスに戻りネットを使ってから17時半頃
部屋へ。ファーマーズでニャマチョマを初テイクアウェイ。
今後の主力夕食になりそう。タスカーを飲み、音楽を
聞いてから22時頃就寝。

10月10日
朝8時半頃ギザイガ、デビッドとフィールドへ。開墾。
エマンバラスワイ、イルポロサット、レンチャニを
周り、最後にエンボリオイを20時頃イシニヤ帰着。ハイウェイで夕食後、
ムーンライトでビールを買い、部屋で飲んでからすぐ就寝。
サンオブザエンパイアー読破。

10月9日
午前中スタッフミーティング。トラクター賃借について。
トラクターの持ち主がふっかけてきて大変。更にロノー
死去に伴うコントリビューション、有給の権利についての
議論など。ともかくどこにもお金がない。昼前に奈緒美さん
から電話があり、デビットと領収書のコピーを持って
ヤヤへ。奈緒美さんと合流後カレンの新居まで。後、
イシニヤへ直帰。(確か)ピラウを食べて読書後就寝。

10月8日
朝8時に奈緒美さん宅へ。引越し荷物の搬出を手伝い
10時頃3台の車でカレンへ向けて出発。11時頃新居に
着き、荷物搬入を手伝い。ソファが入らず途中家具屋を
呼んでソファの足を切ったり。15時頃一通り引越しを終え
近くのバーでニャマチョマ。モルト3本。17時頃奈緒美さん
達と別れ、スティーブの運転でイシニヤへ。18時半頃
イシニヤに到着し読書。20時頃ハイウェイで夕食を食べ
読書後21時半頃就寝。

10月7日
朝8時半頃奈緒美さん宅で朝食。朝11時頃奈緒美さんの運転で
ナイロビへ出発。途中デビットを乗せて、カレン方面へ。
途中ロノー死去のニュース。市内渋滞のため14時近くに
ふれあい祭り会場へ。ビールを飲み、焼きそばを食べ、
コロちゃんコロッケを買い。抽選では清水さんの券が
タイヤゲット。15時頃会場を去りイシニヤへ。16時過ぎに着、
20時半頃サバンナでニャマチョマ。22時頃部屋に戻りすぐ就寝。

10月6日
午前中オフィス。11時頃フィールドに向けて出発。
デモンストレーションファームの測量。16時頃オフィスに戻り
ギザイガ、ジョン、ゼラニとピラウを食べてからネットを使い
18時頃オフィスを後に。部屋に戻ってから千明さんから電話。
後ハイウェイで夕食。

10月5日
10時頃フィールドに向けて出発。トラクターが入手できなかったため
デモンストレーションファーム用の種を購入しにマチャコスまで。
必要な種を注文し、マチャコスタウンで昼食を取ってから種を受け取り
次にタスカーで農具一式を購入。後イシニヤへ。20時頃到着。
ムーンライトでトラクターレンタルの値段交渉をしてから解散。
ハイウェイで夕食を食べてから部屋へ。ビールを一本飲んでから就寝。

10月4日
午前中オフィスで領収書の証書番号確認など。
ハイウェイでピラウを食べてから、エリックの車で
ウェスリントーンズへ。ネットを使用し16時頃
タクシーでイシニヤへ。国際法やら読書やら。
18時半頃奈緒美さん宅で魚を食べ、20時前に部屋に戻り
読書音楽等の後21時頃就寝。

10月3日
午前中から領収書番号振り。昼食はハイウェイでピラウ。
昼食後引き続き会計作業。後ネット使用など経て16時過ぎに
オフィスを出、部屋で音楽を聞いたり、憲法をやったりし、
18時半頃夕食。水を買って部屋に戻り、21時過ぎに就寝。

10月2日
午前中オフィスでのミーティングに参加した後
10時頃ナイロビへ出発。11時過ぎにミスタームティソと
スタンリーホテルで待ち合わせ。ミーティング後
エリックのお母さんと遭遇。後エチオピア料理、
奈緒美さんの部屋探しを経てイシニヤへ。21時頃就寝。

10月1日
朝8時頃起床し、一人食堂で朝食。9時半頃ヤヤへ行き
エントランスの喫茶店でお茶。読書等。11時過ぎに
ネットを使い、エリックの迎えを待ち、合流後ヴィレッジ
方面へ行き昼食。後ウェスリントーンズへ送ってもらい
17時頃マーティンのタクシーを待ってイシニヤへ帰着。
(純粋理性批判読破)。19時半頃まで読書し、奈緒美さん宅で
カレーをご馳走になってから21時過ぎに就寝。

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ケニア 9月

9月30日
朝10時頃ハイウェイで朝食。11時半頃エリックの車で
ナイロビへ。ヤヤへ寄り、ネットを使ってから昼食。
ハンバーガー。時計のバンドを短くする。近くのアトリエに
寄ってから、クウォリティホテルへチェックイン。
18時頃まで部屋でシャワーを浴びたり読書したり。
後、奈緒美さんとペーブメント、ヒドゥンアジェンダ
(サリットセンター)、カーニバル、ペーブメントとはしご。
23時頃部屋に戻り即就寝。

9月29日
朝7時半にホテルを出て、JICAへ。計7名でエンブで実施中の
塩崎さんのプロジェクトを視察。TOからのアイセックの研修生と遭遇。
始めに建設中の農業学校と隣接した産婦人科医院を見学。
EMについての話も聞く。プロジェクト地の水源である木を
見てから次のフィールドへ。学校。自動車整備科やらいろいろな
学科がある。16時頃フィールドを出てナイロビへ。車中、
来週のふれあい祭りの抽選券を5枚購入。ナイロビ着後
高橋さんにヤヤまで送ってもらい、迎えに来たエリックとイシニヤへ。
ファーマーズの隣の店でニャマチョマとビール。22時頃部屋に戻り
即就寝。

9月28日
午前中、奈緒美さん宅でレポート書き。12時頃エリックの車で
ナイロビへ。ヤヤで短時間ネットを使ってからエリックの弟
モーセスを職場に送り、15時半頃奈緒美さんの待ち合わせ場所の
カントリークラブへ。18時頃まで滞在し、レンタカーの持ち主を
ピックアップした後、ホテル探しに回るも見つからず、最終的に
4件目の高級ホテル泊。寝る前にホテルの食堂で飲酒、夕食。
23時頃部屋に戻り、ネットを試すもつながらずそのまま就寝。

9月27日
朝から奈緒美さん宅で会計とレポート書き。昼にキテンゲラで
手紙送付。奈緒美さん宅帰着後、エリック作のピラウ。
17時頃デビッドの運転でウェスリントーンズへ。ネットに
挑戦するもつながらず、ビールを飲み、ピザを食べてタクシーに
乗り、20時半頃部屋に帰着。すぐ就寝。

9月26日
TOTに参加。種の選択から作地ローテーション等まで。
昼はハイウェイでピラウ。16時半終了。ネットにトライして
17時頃部屋へ。読書後18時頃早めの夕食。ハイウェイでギゼリ。
部屋に帰り、プライベートライアン鑑賞。シチズンビールを
飲んでから23時頃就寝。

9月25日
朝から奈緒美さん宅でファイナンスとレポート書き。
昼食をはさんで14時頃まで。後、タクシーでウェスリントーンズ。
ネット使用など。エリックも加わり、夕食も済ませイシニヤ着。
本を読んでからすぐ就寝。

9月24日
朝8時半頃起床し奈緒美さん宅で朝食。オフィスでネットに
トライするも不調。昼食を奈緒美さん宅でご馳走になった後
再度ネットにトライするも再度断念。13時半頃マタトゥで
ナイロビへ。バスでヤヤに向かいうろうろ。近くのパン屋で
本を読んだり、CDRを買いに行ったり。途中スーパーで平さん達
と遭遇。18時頃増古さん宅へ。山下さんともう一人の方も
途中参加。10時頃3人でタクシーに乗り帰宅。ニューケニアロッジ
で宿泊。夜中にのどが渇いて目が覚めたり。あまりいい眠りではない。

9月23日
朝食を奈緒美さん宅でご馳走になった後、二度寝。
11時頃起床し、若干オフィスでネットを使用した後
12時半にウェスリントーンズへ。ネットを使ったり
本を読んだりした後、17時半頃イシニヤ帰着。奈緒美さん宅で
プルコギをご馳走になり、21時頃部屋に戻りそのまま就寝。

9月22日
土屋さん帰国日。朝食後、朝8時半にデビットの迎え。
ナイロビ着後、ヤヤへ行き両替。後タクシーでナクマットへ
向かいネットなど。14時半に千明さんをJICAへ送り、
後土屋さんを空港へ。渋滞がひどく、千明さんの迎えは
諦めそのままイシニヤへ。着後若干ネットを使い、奈緒美さん
宅でインスタントラーメンを食後、部屋で読書、ムーンライト
で飲みつつニャマチョマ。21時半頃部屋に戻り就寝。

9月21日
第2次食糧配給。朝7時半頃オフィスへ。
11時頃食料を積み込み出発。日本人学生3人はエンキリギリの
2ヵ村へ。14時頃終了しオフィスへ。9月分会計など。終業後
奈緒美さんとキテンゲラのノーマッドで飲み。22時エリックの
車でイシニヤ着後、町をちょっと散歩し就寝。

9月20日
土屋さんと千明さんは朝からエリックとマガディ等観光へ。
午前中新聞読みなど。昼食は奈緒美さん宅でご飯と味噌汁。
後、ウェスリントーンズへ。ネットを使うも不調。18時頃
イシニヤ帰着。ファーマーズで奈緒美さんと飲みながら
ニャマチョマ。9時頃部屋に戻り、2人の帰宅を待つも寝てしまう。
11時頃2人が帰着。軽く話しすぐ就寝。

9月19日
午前中ネットや会計等。午後からフィールドでの、デモンストレーション
ファームのロケーション調整に同行。16時くらいにオフィス着。
2時間ほど新聞を読んだり9月分会計など。オフィスを出て、一度
部屋に戻ってからビジョンプラザでニャマチョマ。後、ラムヤで
ビールを1本飲み、小説を読み終わってから24時過ぎに就寝。

9月18日
朝6時頃ナイロビ着。タクシーでニューケニアロッジへ。
岡本さんと合流後朝食、エアインディアへ寄ってから
マタトゥでイシニヤへ。11時頃到着。荷物を置いてから
オフィスへ。奈緒美さんと再会。レポート作成等。
チーフアシスタントミーティングを見学後奈緒美さん宅で
ビールを飲みながらカレー作り。談笑しつつ、10時半頃
部屋へ戻り、音楽を聴いてから就寝。

9月17日
ルワハハ国境。ファルクのお父さんの家で朝食。
後、付近を散歩。途中ネリーからナイロビオフィスに
強盗が入りロノーがのどを撃たれたとのニュース。
後、国境を超えケニアへ。ケニアビザ延長完了。
ファルクの親戚を数件回ってからファルクの実家へ。
付近の岩に登り、実家に寄ってからブンゴマへ。
500シリングのバスに乗ってナイロビへ。

9月16日
朝8時頃出発。ナイル川、ナイル川の源流を回ってから
ファルクの親戚回り。トロロで魚を食べてからムバレ、
ルワハハ。宿を取ってからファルクのお父さん宅訪問後
就寝。

9月15日
朝5時半にブンゴマ着。マタトゥと徒歩でファルクの実家へ。
昼食をご馳走になってから国境超え。ムバレを経てジンジャ。
宿を取って夕食後、バーで1本飲んでから就寝。

9月14日
プランニング最終日。16時頃オフィスに帰着。
直後にファルクとナイロビに向けて出発。
20時にバス発車。

9月13日


9月12日
ネット作業後オフィスで会計作業。8月分の残りをまとめたり
順序を入れ替えたり。昼食はハイウェイでピラウ。
午後は読書など。17時半頃オフィスを出て、マーケットで
野菜を買ってから奈緒美さん宅。18時半頃ファルクとウガンダ
行きのミーティング。後、奈緒美さん宅で夕食準備。夕食。
20時半頃部屋へ戻り、ミクロを少しやってから就寝。

9月11日
朝6時にナイロビ着。タクシーでマタトゥ乗り場まで。
朝7時半にイシニヤ着。シャワーを浴びてからオフィスへ。
午前中ミーティング。農業トレーニング関連中心に。
午後はネットなど。午後17時頃オフィスを出て、奈緒美さん
宅へ行きマークと会話。18時半頃マーケットで材料を買い
奈緒美さん宅で夕食の準備。チャーハンとオムレツ。
20時頃出て21時頃までムーンライトでジュース。後部屋に
戻り、音楽を聴いてから就寝。

9月10日
朝7時頃起床。モイの食堂でハンバーガー。
後、リコニフェリーへ。島を渡り牛乳を飲んでから
マタトゥでシェリービーチへ。再度マタトゥに乗ると
リコニへ逆戻りしてしまい、仕方なくフェリーに
再度乗船。2〜3度行き来してから降り、近くの
ナクマットでのんびり。ジュースを飲んでから
昼食を取りにオールドタウンへ。マタトゥ乗車。
食後映画を見にナクルマ通りへ。映画鑑賞後スプレンディッド
ビューで夕食。後、暗い道を歩きコーストバス乗り場へ。
近くの食堂で時間を潰し、10時に乗車、発車。すぐ就寝。
窓の隙間から夜風が入り込み、やたら寒い。

9月9日
朝6時頃起床。昨日の食堂で朝食を取ってから
フォートジーザスへ。オールドタウンに回ってしまい
多少時間をかけて到着。海の見える食堂でジュースを
飲んでから中へ。入園料安くしてもらう。頭痛がはげしく
なったので、マラリアを懸念して病院へ。血液検査。
陰性で一安心。そのままオールドタウンの食堂でピラウ。
フルーツを買って部屋に戻り一旦昼寝。17時頃起きて
夕食へ。一度ジュースを飲んでからモイ通りの店へ。
食後部屋へ戻り、バーへ行くも閉まっており、就寝。

9月8日
朝6時起床。朝7時頃マタトゥでナイロビへ。
リバーロードのレストランで朝食を取ってから
コーストバス乗り場へ。朝10時発、夜7時頃モンバサ着。
ギザイガの義弟に迎えに来てもらいホテル決め。
ホテルの隣の食堂で夕食を済ませてからすぐに就寝。

9月7日
エンボリオイ村トレーニング最終日。村の葬式の都合で
午前中で終了。昼食を食べてオフィスへ。午後はネットを
使ったり本を読んだり。終業後マークとスウィート
ウォーターで1本。もともと体調がすぐれなかったため
気分が激しく悪くなる。夜はハイウェイでスクマとキャベツ。
土屋さんからもらった蚊取り線香を焚きつつ就寝。頭痛と
肩こりで眠れず。

9月6日
朝8時半オフィスへ。会計処理のため土屋さんのみ
フィールドへ行ってもらい、自分はオフィスで事務作業。
途中マークと奈緒美さんの電話の仲介も。午前中で大体
終了し、昼食はピラウ。頭痛、微熱。ギザイガがスペア
タイヤを届けにフィールドに行くとのことでタクシーで
同行。着いてからタイヤ不備が見つかり、一旦イシニヤに
戻って、修理をすませてから再度フィールドへ。
18時頃オフィスへ。19時頃オフィス着。すぐに夕食へ。
ハイウェイでサモサと目玉焼き。終了後部屋に戻り
冷えピタを貼って即就寝。

9月5日
土屋さん体調不良のため病院へ。ナイロビ、カレン病院。
14時頃検査を終え、帰路へ。ヤヤで両替、トヨタで部品交換を
終え、16時頃イシニヤ帰着。部屋代を払い、土屋さん用の
フルーツを買ってからオフィスで若干ネット。18時過ぎに
部屋へ戻り筋トレ等。20時頃夕食を終え、飲酒、読書後就寝。

9月4日
午前中スタッフミーティング。貯水池建設、農業トレーニング
月間予算等について。11時頃まで続き、後ネット作業。
12時半頃昼食。ピラウ。オフィスに戻ってから読書等。
17時半にオフィスを出てエリックと対面。18時頃部屋に戻り
19時半頃夕食へ。ンボガ25シル。部屋に戻り、映画鑑賞し就寝。

9月3日
朝8時頃近くのレストランで朝食。9時頃宿を出て
モンバサ行きのバスを予約してからマタトゥで
ナマンガへ。キリマンジャロは見えず。昼食をとり
タンザニアビザの値段を確認してから帰宅。
16時頃イシニヤ帰着。休憩、オフィスを経て
19時半頃夕食。後、プラトーンを観て就寝。

9月2日
朝、オフィスでネット。9時半頃マークとマタトゥで
ナイロビへ。ヤヤへ行き本を2冊購入してから昼食に
チップスを食べ、15時にヒルトンで丸山さんと待ち合わせ。
ニューケニアロッジに部屋を取り、屋上で談話。17時頃
3人で徒歩でマーケットへ。18時半頃部屋に戻り同部屋の
旅行者の学生2人と談話。20時頃丸山さんとバーへ。
夜のナイロビを小走りで到着。21時半頃ディスコへ行き
25時頃タクシーで帰宅。

9月1日
午前中会計処理。おおまかな部分は終了。
昼はアバデルでチップス。後、「何でも見てやろう」を
読破。若干散歩し、ハイウェイで軽食後、アバデル本店で夕食。
ラムヤでちょっと飲んでから部屋へ戻り、プライベートライアンを
観てから就寝。

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ケニア 8月

8月31日
レチャニ村最終日。16時半頃オフィス帰着。
オフィスでメールの下書きをしてからウェスリントーンズへ。
途中奈緒美さんから電話。ネットを使い終わり、イシニヤへ。
19時半帰着、ピラウの店で夕食。そのまま部屋に戻り、
タスカーを飲みつつ本を読んで就寝。

8月30日
レチャニ村2日目。18時頃オフィス帰着。
19時くらいまでネットをして、そのままビジョンへ。
フライを食べた後、部屋で飲みながら映画。
シンレッドライン。観終わってから即就寝。

8月29日
朝7時半にホテルを出、8時頃オフィスへ。
土屋さんにオリエンテーションとして若干資料を
読んでもらってからフィールドへ。レチャニ村。
18時頃戻り、19時からビジョンプラザでマーク
ジョンとニャマチョマ。一度部屋に戻ってから
ファーマーズでジュース。後すぐ就寝。

8月28日
朝一でスタッフミーティング。後、ナイロビへ。
トヨタナイロビで予約をした後、空港で土屋さんを
迎え。交通警察とICAナイロビ、ヤヤに寄り、イシニヤへ。
17時頃着後、アバデルで昼食。マークとムーンライトで
飲んでからマーク宅訪問。一度部屋に戻り、ファーマーズで
ニャマチョマ。ギザイガと遭遇。

8月27日
休み。午前中オフィスでネット。アバデルでピラウ。
部屋に戻って勉強など。15時頃ファルクと待ち合わせて
オフィスで音楽鑑賞。部屋に戻り勉強をしてから
夕食はアバデルで。ラムヤでディスコパーティのため
避難しムーンライトへ。ジョンと遭遇。後スウィート
ウォーターに移りギザイガ、バブーと合流。2本飲んで
奈緒美さん宅で就寝。

8月26日
休み。朝10時頃オフィスへ行きネット等。
11時頃ネリーと一緒にメール設定。1時頃ネリー宅で
昼食。ファルクと食べる。イシニヤで殺人があったらしい。
後サバンナへ行きサッカー観戦。再度オフィスへ戻りネット。
17時頃部屋に戻りごろごろ。ピラウの店で夕食、ビールを
一本飲み、若干憲法をやって23時頃就寝。

8月25日
朝一でナイロビへ。
途中マークを降ろした後、トヨタ、ICAナイロビ
と回り、ネット会社のワナニチ(スワヒリ語で「市民」)へ。
メルアド取得とブロードバンドについての情報収集。
終了後車を整備し、ICAナイロビへバーナードを送りに。
昼食はゴングロード沿いの店でククチョマ。その後
イシニヤへ。途中タスカーに寄り、17時頃着。
18時頃オフィスを出、19時頃アバデルで夕食。
ちょっと散歩し、部屋でビールを飲んでから就寝。

8月24日
ビレッジプランニング最終日。
写真スライドショーを上映して終了。
19時頃オフィスを出、ピラウの店でピラウを食べる。
ギザイガと遭遇し、隣のファーマーズバーで飲む。
3本飲んだところで酔いが回り帰宅、就寝。

8月23日
ビレッジプランニング2日目。
17時頃オフィスに戻り、18時までネット等。
部屋に帰って国際法をやった後、アバデルで
チップス、ハイウェイでチャイとチャパティを
食べ、ラムヤの2階で飲酒。部屋に帰っても
本を読みつつ合計2本ほど飲んでから就寝。
コオロギの音がうるさい。

8月22日
ナセリアン村でのプランニング初日。
ムティソも参加。自分はメモ係として参加。
16時頃終了し、オフィスへ。16時半頃到着し
写真をCDに移したり、ネットをいじったり。
18時頃部屋に戻り、国際法をやってから
ピラウの店へ。部屋に帰って読書、音楽等
しつつ21時半頃就寝。

8月21日
午前中のスタッフミーティングはなし。
ネットをいじったり、もらった資料を読み込んだり。
昼はジョン、ギザイガ、ゼラニとピラウを食べに
食堂へ。一度部屋に戻ってジュースを飲み。17時頃
部屋へ。熱っぽく、鼻も詰まっている。音楽を聴いたり
本を読んだりして19時頃外出、20分ほどうろうろして
アバデールでキャベツの煮込み。帰宅途中、ジョンと
遭遇し、イシニヤ警察のシニアの車に同乗。ムーンライト
→ファーマーズバー→ムーンライトとはしご。21時半頃
脱出。即就寝。

8月20日
朝8時頃起床、漫画を読む。朝12時過ぎにヤヤの隣の
パン屋で朝食兼昼食。1時半頃アデジャパメンバーが
サファリから戻ったとの連絡が入り、ゴングホテルへ
移動。スタツアメンバーのミーティングを見学後、
ジャンボ荘へ戻り荷物を持ってヤヤへ。1階カフェで
ボランティアの概要説明した後、吉とタウンへ出て
マタトゥ乗り場へ。18時半頃イシニヤ着。夕食後
部屋で読書等。21時半頃就寝。

8月19日
朝8時にオフィス集合。マーク、ネリーとナイロビへ。
ザッカヨが運転。ゴングホテル前で降ろしてもらう。
隣のウチュミで小栗さんと合流。小栗さんの朝食に
付き合ってからアデオオフィス、そのままTシャツ
印刷会社へ。商談終了後、シティホッパーでヤヤの
方面へ。20シル。大ちゃん宅へ。荷物を置いてから
小栗さんと昼食、後、大ちゃんの運転で健ちゃん宅へ。
ウイイレをやってから女性陣が作ってくれた料理を
食べ、のんびり。3時頃ジャンボ荘へ。即就寝。

8月18日
朝一でミーティング。農業プログラムのタイムラインや
向こう3週間の予算検討など。終了後、メリーさんの
葬式のアルバム作成。昼頃終了し、読書など。
スタッフは続々と帰省。17時半にオフィスを出て
19時頃マークの家へ。夕食をご馳走になり、サバンナで
ギネスを2本飲んで就寝。

8月17日
再びフィールドからナイロビへ。
ヤヤについてからコードを受け取り、牛乳とビスケットを
購入し、車内でデビットが戻るのを待つ。昼過ぎ頃イシニヤ
に到着し、そのままフィールドへ。昼食、記念撮影を終え
帰宅。風邪気味。ちょっと勉強し21時頃就寝。

8月16日
朝一でフィールドまで行った後、デビットとナイロビへ
PC受け取りに。途中絵葉書を購入。14時頃イシニヤ帰着。
イシニヤで昼食を取り、17時頃までトレーニングを見学。
オフィス帰着後、19時前にオフィスを出てエリックの家へ。
その後パンと牛乳を買って部屋に戻り21時頃就寝。

8月15日
朝食はハイウェイホテル。
エマンパラスワイ村へむけて出発。
トレーニング初日。
トレーニング中10キロくらい遠くで自然発火。
村民が消火に行くため、昼食後解散。
イシニヤ帰着後、PC会社に電話。明日ナイロビへ。
終了後マークとジョンとラムヤで飲み。
アバデルホテルでスクマを食べ、部屋で憲法。
23時頃就寝。

8月14日
奈緒美さん宅で朝食。
オフィスで最後の引継ぎ。地味にモチベーション上がる。
昼前にデビット、ギザイガ、ネリーとナイロビへ。
キテンゲラで昼食。チップス。奈緒美さんはエリックが
空港へ送ることになり、電話で帰国前の挨拶。
ナイロビでCDROMを購入し、イスマエルのおまるやらの
買い物に付き合う。イシニヤ行きマタトゥ乗り場を
教えてもらい、スーパーに寄ってから残りの2人と合流。
18時にムーンライトでファルクとウガンダ行き打合せ。
部屋の引越し。一番大きな11号室へ。スニールさんから
電話をもらい、ジェファソンと飲み会へ合流。魚を食べる。
小栗さんからも電話あり。11時頃帰宅。

8月13日
朝7時に集合し、ギザイガと早めに朝食。
8時頃出発。途中白い車の故障で1時間強足止め。
ナクルのギザイガの妹の家で昼兼夕食を食べる。
ナイロビに着いてから車を乗り換え、プロジェクト
メンバーは一路イシンヤへ。ムティソを送ってから
イシニヤ着。かなりの疲労。宿でダンスパーティー
をやっており、奈緒美さんとエリックが心配してくれる。
一晩中うるさかった。

8月12日
朝8時に集合しメリーさんの葬儀へ。
かなりの人数の参列者。アフリカの葬式。
次男のうろたえようが見ていて辛い。
日本人ということで途中立たされてむやみに
感謝される。16時頃終了し宿へ帰宅。
鶏肉を食べ、一人ギネスを飲んでから就寝。

8月11日
朝7時にオフィスに集合し、メリーさんの葬儀へ。
ナイロビでICAケニアスタッフを乗せ西へ。
途中、白い車の故障で立ち往生。
夜10時頃マークの実家へ着き、夕食。
後、近くの町のモーテルに宿泊。即就寝。

8月10日
トレーニング最終日。
昼食はチャパティとニャマ。
最後に水について話し合って終了。
トレーニング期間中の写真をプロジェクターを
使って公開。集合写真を2枚。
夜奈緒美さん宅でスーツ用の靴を借り、そのまま
ラムヤで飲み。

8月9日
トレーニング2日目。
16時頃終了。
夜食堂でチャイとマンダジを食べる。

8月8日
初めてビレッジトレーニングへ。
車で1時間程度行きイポロサット村へ。
参加者最終的には30人程度。
11時半くらいから開始。全体の流れの説明と
プラティカルビジョンセッション。
14時に昼食。16時半1日目終了。

農業、水への関心高い。

8月7日
朝7時半、マーク、デビット、奈緒美さんとナイロビへ。
まずインド大使館、エアインディアへ。その後ICAナイロビ。
会計についてのミーティング。次いでJICAでランチミーティング。
終了後、キテンゲラの銀行、ウェリントーンズ、キテンゲラの
バーへ。ニャマチョマ。日本在住のインド人、D.O.と会う。
22時頃エリックの迎えで帰宅。即就寝。

8月6日
奈緒美さん宅で朝食を食べてからオフィスへ。
国際法の勉強。13時頃一人で昼食。ピラウ。
16時頃オフィス退室。ムーンライトでジョン、
ギザイガ、奈緒美さんと飲み。ニャマチョマ。
19時頃辞し、読書、音楽。23時頃奈緒美さんと
話しに部屋へ。朝4時まで寝られず。

8月5日
朝10時頃までごろごろ。読書をし11時半。食堂で
朝食兼昼食。13時に奈緒美さんの部屋へ。
ウェリントーンズへ。ネット使用など。エリック
途中参加。18時頃まで滞在し、ンゴングロード途中の
レストランへ。ボイルしたヤギ肉。帰路シマウマの群れ。
22時頃部屋着。読書等して24時近くに就寝。

8月4日
朝7時半にスタッフ全員で出発。
ゼラニとネリーはジャンクションで降り、他は
ナイロビへ。ヤヤへ寄り、両替とマラリア予防薬購入。
奈緒美さんはビザ用写真撮影。後、国際免許証を
取得しに行ったものの交通規則の違いで断念。
ナクマットジャンクションでネット使用、アイスティー
ブリトー。書店をぶらついた後、ギザイガの運転で
イシニヤへ。ジョン、ギザイガとバーへ。マークも
終盤参加。ムーンライトへ場所を移しニャマチョマ。
2人の喧嘩で終了。22時頃部屋へ戻り読書、音楽後就寝。

8月3日
午前中新プロジェクトのミーティング。
昼は奈緒美さん宅でドーナツ。
午後から干上がった川や、小さな教会、
マサイの伝統的な家などの写真を撮影に。
夜はキテンゲラのインド料理店へ。胃痛。
本を読んだり音楽を聴いたりしてから22時半頃就寝。

8月2日
朝全ての荷物を持ってムーンライトを出る。
午前中少し会計の手伝い。エクセル入力など。
後、ギザイガ中心に新規農業プロジェクトの予算作成。
昼は奈緒美さんと近くの定食屋でピラウ。
ネットを使うためにウェリントーンズへ。
デビットに迎えてもらい18時頃イシニヤ着。
ラムヤホテル8号室にチェックインし荷物整理。市場で鍵購入。
夕食はビジョンプラザでニャマのフライ。
読書し22時頃就寝。

8月1日
午前中、ムティソさんを交ぜてミーティング。
後、リーダーミーティングのためにエンパラスワイ村に。
小学校の終業式、ポンプ式井戸を見学し、ミーティングへ。
参加者33名。1時間弱程度。途中野生のシマウマとキリンを見る。
14時頃オフィスに戻り昼食、後、お金の計算など。
17時過ぎにオフィスを出、奈緒美さん宅で1本ビール。
後、ラムヤのホテルを予約し、部屋に戻り読書。
22時頃バーでジョン、ギザイガ、ムティソと遭遇。
からまれ、24時頃就寝。

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ケニア 7月

7月31日
午前中スタッフミーティング。農業事業の実施計画。
メリーさんの訃報に関して。後、デビット、奈緒美さんと
マタトゥでナイロビへ。トヨタの自動車修理工場で
グリーンカーを受け取り(途中、隣のモールでシャンプー等
買い物)ヤヤセンターへ。キャッシュカードでの現金引き出し
不可能。次にジャンクションでネットを使い、デビット
とイシンヤへ帰宅。夕食はホテルのレストランで。
少し本を読んでから就寝。

7月30日
ケニア山へ。
見所をいくつか回る。
途中羊の群れに遭遇。
夜8時頃イシニヤ着。
ジョン、ギザイガ、奈緒美さんと食事。

7月29日
昼過ぎにエリックとザッカヨとケニア山へ。
夜はケニア山エリアの宿舎に宿泊。
夜はボイルしたヤギ肉。2本。

7月28日
スタッフは昼過ぎ頃から実家へ帰省しだす。
昼、奈緒美さんにチャーハンと天ぷらをご馳走になる。
夜はレンジャーズというレストランへ。

7月27日
午前中、7月分の会計の手伝い。領収書を台紙に貼り付け
日本語で項目を埋めていく作業。午後はウェリントンズに
行きネット利用。18時半頃デビットに迎えてもらい帰宅。
夕食は奈緒美さんとサバンナというレストランでニャマチョマ。
おいしい。22時頃帰宅。即就寝。

7月26日
朝食は滞在先ホテルのムーンライトでチャイとチャパティ。
スタッフ全員でマチャコスで療養中のICAスタッフメリーの
お見舞いへ。2時間程度で到着。話が盛り上がる。
昼食はご飯とキャベツの漬物とシチュー。
帰路、ICAのかつてのトレーニングセンターに立ち寄り
昔話で盛り上がる。17時にイシンヤに戻り、そのまま解散。
ジョンとギザイガとバーで休んでから、ムーンライトの
食堂へ移動し、奈緒美さんも交えて酒盛り。マークも途中参加。
ニャマチョマを食べ、10時頃に解散。即就寝。

7月25日
ICAケニアスタッフの見舞いが中止になり、代わりに
奈緒美さんとナイロビへ行くことに。銀行でスタッフの
給料をおろした後、ICAケニアへ行き、出納報告。
(ICAケニアは会計処理の不備で組織的に大打撃を受けたらしく
会計の改善がなされていて、その一環でイシンヤプロジェクトの
出納もチェックしたいそう)次に日本大使館へ行き在留届提出。
次にJICAへ行き、プロジェクトの進捗報告と自分の紹介。
児玉谷先生から紹介された増古さんとも対面。16時過ぎに退散。
最後にエリックが肉を卸しているホテルで商談。何故か酒を
勧められ、そのまま酒盛りへ。ヤギの肉やらを食べながら
タスカーモルトを4本飲む。相当の富豪らしい。
フラフラになり、夜10時くらいに解放され、イシンヤへ。
11時に到着し、即就寝。

7月24日
初出勤。
奈緒美さん宅で朝食を食べてからオフィスへ。
月曜はスタッフミーティングらしく、みんなが揃ってから
ミーティング開始。スケジュールやら作業担当者決めやら。
奈緒美さんにもらった資料に目を通しつつ黙って聞いている。
2時間半ほどで終了。ウェインさん帰宅の途へ。
M後、奈緒美さんにくっついてウィストリントンへ。
メールチェックと飲酒をしつつ、夜8時くらいまで滞在。
大体の関係者にメールを送り終わる。
デビットが迎えに来てくれて帰宅、即就寝。

7月23日
起きたり寝たりの繰り返し。
朝、沢木、チェーンスモーキング読破。
朝食を奈緒美さん宅でご馳走になった後、エリックと
ピクニックに行くことに。ウェインさんも参加。
車で2時間近くのマガディへ。景色がとても綺麗。
いまだに自分がケニアにいることが信じられない。
温泉のあるポイントで昼食を取ったり湯に浸かったり。
ちょっとビールを飲んでから帰路へ。自分のホテルのバーで
酒盛り。エリックとウェインさんをホテルまで送り再び酒盛り。
ヤギの肉とウガリを食べる。10時頃部屋へ戻りそのまま就寝。

7月22日
5時半起床。
ホテルの周りを探索。草原が広がる。
二度寝して9時に起床。ウェインさんと朝食。
今日はICAイシニアのメンバーが集まって食事。
昼前辺りからみんなが続々と集合。
みんなに紹介され、食事。カジアドの行政官も来たらしい。
食後ボロボロの道を走り初めてイシニアへ。小さな町のよう。
オフィスの隣のホテルに入り、リーダーのマークや
アシスタントのネリーの家などを見る。で、オフィス近くの
酒場でビール2本を飲み部屋へ。今日もすぐ寝る。

7月21日
早朝ホテル発。
ナイロビ行き飛行機へ。30代後半のカメラマンの男性と
知り合う。ナイロビ着、涼しい。男性とお茶をしてから別れる。
3時の迎えまで一人で待機。家に電話したりネットを使ったり。
迎え後、エチオピア料理店へ。うまい。タスカーというビール。
ショッピングモールで携帯を購入。フィリピンと同じ型。
サファリコム。近くのカフェで無線LANを使って通信。
交通がフィリピンに比べ整然としている。
ホテルに向かい、酒を飲んで、フィルターなしのタバコを吸って
くらくらになり、8時半くらいに早々と就寝。

7月20日
7時に出発。朝、マック。定刻より少し遅く離陸。
デリー経由ボンベイ着(想像以上に早かった)
茨城の教員と知り合う。
デリーボンベイ間の飛行機の人の少なさにびっくり。
ボンベイ着、雨。すぐにホテルの迎えと合流。
部屋着後すぐ就寝。

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2006年06月24日

6月23日 結語

そういうわけで出発1週間前から始め、2ヶ月半に渡って
僕のくだらない文章と味気ない私生活を書き綴ってきた
大公トリオです。

目を通してくれた方々がそれぞれどういう感情を持って
これを読まれていたかは想像が付きませんが書く側としては
公開の範囲が限られたこともあり、特に気負いもなかったので
基本的に書いてて楽しかったです。

また、やっぱり滞在中物寂しい時もあるわけで(写真がアップ
されてる日は大体それで寂しさを紛らわそうとしてます)
そういう際にコメント何かもらえた日にはPCの前で一人ニヤニヤ
してしまいました。コメントくれた皆さん、どうもありがとう。
今度何かおごらせてください。

Y時代から、研修生の「まとめ終わった感想」はよく見るけど、
その過程やその感想に至る材料ってあまり見る機会ないな、と思っていて
だったら、まとめない、単純に時系列の経験を曝してみるのも一興かと。
また一括更新になると、どうしても書いてる側と読む側のテンポが
ずれるので、できるだけみんなの生活と同じテンポで。毎日更新したいなと。
大公トリオの半分はそこら辺の気持ちからできています。
(だから多分、テンポが損なわれた今となっては、いくらブログを読み返しても
自分以外の人に取っては役に立たない駄文が連なってるだけなのではないかと)

1文1文はくだらないけど、そういうくだらないことの中に
研修の中でしか見えてこない現実(が本当にあるのかどうかは
わかりませんが)のかけらが1粒でも紛れ込んでいれば万歳なのかなと。

そういうわけで、敢えて文章の表現、全体の構成とも精緻なものにせず(嘘)
できるだけ経験を選別して切り捨てることはしないように
とにかくやったこと、思ったことを心に浮かんでくるままに
毎日(分)とにかく書きなぐることをルールにしていました。

研修を終えて。

研修と言っても研修先に同じものは一つとしてない(インサイト上にはたまに
ありますけど)し、感じることも人それぞれなので一概には言えません。
自分が2年生の時にこの研修をやっていたら何か違うことを感じていたかも
しれません。そういう、「研修」という語の非一義性(こんな言葉があるか
知りません)というか定義の困難さを前提しておいて、僕の2ヶ月の研修で何が
言えるかということを考えると
「〕夙知識」と「語学」について言えるのではないかと。

〕夙知識、あったほうがいい。当たり前。
でないと多分、研修の醍醐味である、提案、変化まで結び付かない。

これを、自身の過去の若干の@経験も鑑みた上で、視点を変えて「@ができること」
という立場から言えば、多分「プレパの充実」より先に「研修前段階での研修内容と
仕事における研修生の責任範囲の具体化、明確化」の作業を重視した方が効果があるかと。
そういう意味でプランプラーンや越南の活動は、もちろん活動の上での様々な困難が
あることを知った上で、それでも、方向性として決して間違っていないと思う。
この作業は研修生にとっても、また結果としてのより充実した研修にとっても
重要な要素ではないかと。

PR段階ではもう少し曖昧な「○○分野」とか「○○問題」とかの
表現の方がキャッチーな気がしますが、コンサル段階、マッチング
段階ではさらに踏み込んでこういったところまで説明できると
質(未定義)の面でもっと強くなると思う。

また、予備知識の一つには、いろんな研修を知ること、もあるかなと。
プレパの一環として過去の研修生の研修話(中でも困難や苦労などネガティブな
部分の方が多分貴重)を多く聞いてもらおうとする方向性には大賛成。
一つとして同じ研修はない、とは言っても、ある程度似た状況に置かれることはある。
そういうときに、過去の研修生達が何を考えてきたのかを知っておくのは、困難な状況で
自分の取るべき行動を類推する上で、とても意義深いことだと思う。
これは研修に来てみて実感できる。まあ自分も経験あるのでよくわかりますが、
自分の関わってこなかった人の研修ってよっぽどな理由がない限り、あんまり興味が
湧かないものです。でも研修に来てから、はじめて、知ってる研修実例の数が物を言う。

あと言葉、少しでも知っといた方がいい。また学ぶ姿勢は持ち続けた方がいい。
もちろん実生活上の必要性もありますが、むしろ周りの人に与える印象。
研修で一番最初にやらなきゃいけないのはとにかく信頼を勝ち取ること。
一番効率的な方法は言葉を学ぼうとして、そのコミュニティに入る意思を
見せることなのではないかと。やっぱり「2ヶ月もここにいて、まだしゃべれ
ないのか」といったプレッシャーも存在する。

また、「この国の何か」を知ろうとして、実際英語だけでは結局言葉の壁、
タガログを深めなきゃ入っていけない部分、の存在にぶつかってしまった。
フィリピンは無難に英語が通じる場所なので、かえって英語に安住した感もあって。
ここは反省したい。

言葉。便利な道具。

そういうわけで最後は小言臭くなりまして。恐縮です。

限られた経験から全てをまとめようとしすぎる危険性を
あるドイツ人に指摘されたので、もうこの辺にしておきます。

形容するなら研修で拾い集めたいくつもの粒を溶かして固めて鍛えて研いで、って
作業がこの後に待ってる(と思う)わけですが、こっから先は完全に
個人的な作業なので公開するのは若干恥ずかしい。自分の人生観とかも
注入しなきゃいけないわけで。

というわけで、短いようであまりに短い2ヶ月のフィリピン滞在と、そこでの
いくつかの示唆に富んだ経験の後、また新たな気持ちで僕はここにそっと
大公トリオの筆を置くのです。

どうもありがとうございました。
もう私生活を曝すのはイヤです。

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2006年06月22日

6月22日

最後の研修日。
ステイ先の家族に別れを告げ、重い荷物を抱えて、
途中まで日本人ルームメイトとタクシーに乗り出勤。

今日は完全に片付け。
お世話になった人にメールや携帯メールを打ちまくり
レポートを完全な状態に仕上げ、雑談という感じ。

昼食後、おつかいを頼まれて(それくらいボケっと
してた)近くのスーパーへ。望みの品が無かったので
散歩がてら遠くの別のスーパーまで歩くことに。

20分くらい歩いてスーパーへ。目当ての品を購入し、
何となくジョリビーへ。最後だし、と思いちょっと
奮発して食事。腹いっぱい。

オフィスに戻って以降も、いろんな人への挨拶。
途中、ナボタスのホストマザーがオフィスを訪問してくれたり。
びっくりした。

で、いよいよ16時半に今日泊まる予定の家のホストファミリーが
迎えに来てくれ、お別れ。みんなと抱き合って(この挨拶の仕方
慣れた)車に乗ってお別れ。

文章にできない、超複雑な心境。

で、そのままフェアウェルの待ち合わせ場所へ。
で、マスーが口にしたのが






「最後だし、ジョリビーにしよう」






へいへいへいへいへい、
同じ思考が6時間前に起こって、ジョリビー行っちゃったぜ。
とも言えるわけ無く。

大人しく本日2回目のチキンジョイ。
終了後カラオケへ。
小盛り上がりを見せ退室。

でもっかいホストファミリーに迎えに来てもらって
家に着いて今。

今日の日記、やっつけ、だよ。
ああ、明日飛行機乗るの楽しみだよ。とバカ発言。

明日は一度新歓真っ只中のデラサール大に寄って、
@のサークルオリにちょっと顔を出して空港に行きます。

※ちなみに6月24日に携帯を復活させるので、何か連絡の
ある方は24日以降、携帯に連絡いただけると助かります。

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2006年06月21日

6月21日

「ドタバタしない直前」はいかにして可能か。
帰国直前で(主に精神的に)ドタバタしています、佐藤です。

朝食の時間は、基本的にルームメイトの日本人との会話。
境遇が割と似ているので爆笑しつつも結構シビアな話をしている。

午前中ボスが日本へ出発。
感想の部分だけ埋めていない研修レポートをギリギリで提出。
これはエイチヤイとデラサールにも提出するつもり。
最後に、研修中に知ったプライバシー情報の取扱いについての
確認とこの2ヶ月間の活動へのねぎらいをもらい、こちらからも
感謝を述べてお別れ。まあ明々後日日本でまた会うんですが。

その後は日本行き関連のメールチェックとメール書きを中心に。
スタッフの滞在中、いくつか想定される困難があって、それを
事前に解決しておく感じ。スタッフの日本滞在に結構責任を
負って(しまって)いる状況なのでこの作業、意外と精神的な
負担が大きい。もし事前に解決できなかったらどうしよう、とか
帰国までに反応がなかったらどうしよう、とか。彼らを日本で
路頭に迷わすわけにはいかん、と変な責任感。

午後3時頃スタッフにエクスキューズしてマリガヤへ。
念願のレイズ渉外を、予定より45分遅れて待ち合わせ場所に
顔を出したマスーと一緒に。偏見を助長することになるとは
思いますが、間違いなく事実だから書いておくと、この滞在中
待ち合わせ時間を守ったフィリピン人にはほぼ会わなかった。
まったく、もう。と大事な渉外なこともあって、久しぶりに
若干イリテーション。結局僕も日本人の物差しなわけで。

渉外はなかなか良い感じ。
マリガヤの受け入れ意思と希望の人材像が明確で、マスーも
テンション上がり。基本的に自分は横に座って聞いてましたが
たまに「日本側から言うと」と補足。まあ「日本側から言うと」
って言いたかっただけですが。できれば来月中までにレイズ
できることを祈る。

帰国前最後の訪問と言うことでナオコさんに2ヶ月間のお礼と
今後の件を少し話してお別れ。再度オフィスに。

で、またメール作成に勤しみ。
今度はお世話になった方への帰国のご挨拶や、ゼミの先生への
帰国の連絡等個人的なメールが中心。今週はオフィスを出るのが
18時半を過ぎている。

で、帰宅。
そういえばこれが最後の「帰宅」になるんだなとしみじみ。
排気ガスが漂う町並みもいつもより綺麗に見えてみたり。

帰宅後は荷物のパッキング(明日終業後、ステイ先を出て
最後の夜は空港近くの一番最初のステイ先の家で過ごす
予定なのです。)と洗濯。
パッキングが何故か15分という衝撃の短時間で終了。

日本に持って帰らないものはルームメイトにあげまくり。
出発直前に親父に無理やり持たされたものの、やはり登板の機会が
なかった、かわいらしい子(こ)ミッキーマウスのハンドタオル×2も
喜んでもらってくれました。

ちなみにフェアウェルは明日に延期だそう。
マジか。パンパンのバックパックとスーツケースを
抱えて繁華街入りせねばならんのか。

明日は(フィリピン滞在中)研修最後の日。

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6月20日

シンドラー社エレベーター。

あれかっ。

基本的に動作が緩慢でたまに調子が悪くて
閉じ込められたことがあったわ。と流れに
乗って酷評。実は3階に住んでいた自分は
あまり利用してませんでしたが。

朝8時半オフィス着。
今日は東京からIOMのスタッフがミーティングのために
やって来るので、スタッフ全員いつもより早めの出勤。
服装も若干気合が入っている。

自分はあまり関係が無いのでスタッフの準備を横目に研修
レポート作成。9時前にIOMのスタッフ到着。以前帰国女性
に同行してきたフィリピン人女性のスタッフと、その上司
の若めの日本人女性。自分も軽く自己紹介。

別室でミーティングをした後、違う建物の部屋に移りバチスの
ここ1〜2年の活動についてボスがプレゼン。自分もパソコン
クリック係として同席。その後、今後の連携体制を確認する
ミーティング(だと思う。)このまま聞いててもいいのかな、
と思ってたら「彼はまだやらなきゃいけないことがあるので」
と暗に退室を指示され、すごすごと退散。

レポート作り続行。
で昼食時間になってケイタリングの中華を食べつつ情報交換。
ここでも下っ端は食後すぐに退室を促され。

で、レポート作成にあたって詳細がわからなかった点を
確認するためにブログの読み返し。今読むと、来たばかりの
時点での誤解や曖昧な点が目立って薄ら恥ずかしい。

実を言うとボスもいなくなることもあり、自分が予定していた
活動も全て終わってしまった今、あまり作業がないのです。
いろんな片づけをやってる感じ。

終業後ナボタスへ。
1時間ほどかけてホストファミリー宅に到着し、食事。
1時間ほど滞在して、家に帰ることに。彼らとは2回目のお別れ。
帰り際にこそっと手紙と自分の訪問時にかかった食事代、
交通費、写真の現像代等々を合わせて、ちょっと足りない
かなと思われる位のささやかな金額を包んで戸棚の上へ。

で22時近くに家に戻りすぐ就寝。
ルームメイト2人も寝るのが早いので、負けずに早寝。

明日は午後にオフィスをちょっと抜け出して、マリガヤへ
行く予定。最後の挨拶をかねつつ、@メンバーにも
来てもらい、やっとこさレイズの打ち合わせを。

というか、帰国はもうすぐ。23日は帰るだけなので実質22日が
最後の日。正直帰る実感が湧いてない。日本での予定が割と未定
なことも不安。やらなきゃいけないことはあるはずなのにどの日に
何をするかが全く見えてない。帰国直後と7月頭に合わせて1週間ほど
関西に行く予定なので、今このスケジュール未定状態は意外と
致命的。これは出国直前になって焦るパターンでしょうか。

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2006年06月19日

写真14

80ed09a4.JPGステイ先にある傘。

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6月19日

習慣や人と共有した過去ってそれだけで一つの言語ですよね。
2ヶ月顔を突き合わせてきた猫を見ながら実感。

朝7時15分くらいに起床。不貞寝が悪かったのか、
嫌な夢は見るし(2日連続)、いつもより起きるのは
遅いし、汗で体べたべたしてるし、ジャージ臭いし。
何でも不貞寝のせいにするのもよくないですが。

というわけでいつもより長めに水を浴びて身を清め。
水浴びの最中、たまにふと我に返った瞬間に、自分の
姿勢のコミカルさに衝撃を受けます。蛇口の前に全裸で
う○こ座りして左手に風呂桶を持ち、右手で蛇口をひねる。
桶に水がたまった瞬間、おもむろにその左手を持ち上げ
右足を後ろに引きつつ、右斜め45度の角度からその・・!
と、まあこれ以上の描写は避けますが。

で、いつもよりちょっと遅めに家を出発。
オフィスに向かうジープはとても沢山走っているので、基本、
できるだけ空いている(助手席が空いているとベスト)やつを
探して乗るようにしてるのですが、ただ、空いてるやつを選ぶと
ある程度客が埋まるまで走り出さないため、出発が遅くなると
いうリスクが伴う。まあそのリスクを承知で今日も空いてるやつを
選んだんですが、今日はちょっと違った。客は4〜5人しかいない状況。

警官乗車。

バス素直に発進。
今日も元気に行きまっせー。プップー。くらいの素直さ。
たまに、軍人さんとか警官とかが物々しいてつはうを引っさげて
乗ってくることがあるんですが、今日はそれに遭遇。所感では
ジープの運転手もさすがにそういう人を乗せるのはできるだけ
避けたいと思ってるのではないかと。一度手を上げてる軍人さんに
気づかないふりして走り去ったこととかある。そして乗っちゃったら
乗っちゃったで今度はすぐ降ろすことを目指すのではないかと。

特に警官は一度引っかかったら、客が乗ったバスでも平気で
1時間くらい止めて運転手に尋問することとかあるから厄介。
僕も知り合いから「(特に外国人は)道を聞くときは警官に
だけは聞くな」と半分冗談、半分本気で教えられた。ザ・公権力。

話がごっちゃになっちゃいましたが、まあそういうわけですんなり発車。

そして、実は今日は気合が入っている。
なぜならボランティアネットワークミーティングの準備、
今日こそラストスパートをかける日。明日は違う用事があり
それ以降はエヴァ作りに追われるわけで。

そういうわけで、今日は新聞読みもすっ飛ばして早速作業開始。
ひたすらメール作成とドキュメント作成。気づいたときには14時。
みんな日本行きの準備やらその他作業やらでテンパッてるので
誰も気づかないし、気づいても他の人には声をかけずそっと
一人で昼食を取りに行く。というわけで僕も一人で昼食。

午前中の作業で途中15分ほど、JFCクライアントのお母さんと
スタッフと日本パスポート取得に関しての相談。正直こういう
実務に関わる部分では何も手伝えない。

ところで、バチスのクライアントの中にも日本にもう一度行きたい
子供(JFC)の日本国籍取得手続きをして日本で勉強させたい、など
日本行きへの相談を受けることが結構よくある。いつぞやに書いた
人の移動の圧力を実感する瞬間。その圧力は本当に当たり前のように
しれっと、でも強引さを感じさせるほどずんぐりと僕の前に姿を見せる。
その自然さとその力強さ。たまに唖然としてしまうことがある。

バチスはいわば移住労働における不法な状況とその背景にある
社会状況に対しては介入していくが、日本に行く権利を持ってる
人が自発的に日本に行くのを止めるということはもちろんしない。
(というかできない。)考え出すと本当に難しいよね。いろいろと。

午前で根詰めてやったぶん、午後は比較的穏やかに。
訪問客で一人、めちゃくちゃ折り紙のうまいおじさんがいて
「何で千羽鶴は鶴じゃなきゃいけないの?」と聞かれ、貞子、とか
千鶴子とかヒロシマとか、たしか中学か高校の英語で学んだはずの
物語の端々をうっすらと思い出しながら苦しい説明。
誰か正しい説明を教えてほしい。

あと、先日バチスのことについてお話した日本人の女性が
オフィス来訪。ボスから説明を受けつついろんなところを
見学していました。スタッフ不足のバチス、久しぶりの
長期ボランティア候補、かつ専攻もばっちしど真ん中、という
人が来たため、いささか気合が入っていたよう。

そんなことがありつつ、基本的に午後はエヴァ作成。
いつぞやの第四回総会前の数日のことを思い出しつつ執筆。
研修生自身による評価であることを前置きして、研修前の
ゴール設定と評価基準と、個々の活動でやった事実を書き
出して、評価して、気付きを申し送って、サマリーと最後の
感想文を書く。レイアウトも凝る。あな懐かしや。

家に帰って、起きてる時間では初めて、ルームメイト3人が
部屋で遭遇。一人は法律書、一人はタガログ語辞書、一人は、、
虚空を眺め。

明後日@がフェアウェルディナーをやってくれるそう。
ほんと、最後だねえ。2ヶ月なんて、今来たばっかりです
って感じなのに。

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6月18日

朝7時起床。
休日の割に早く起きてしまったので、何気なしに洗濯。
手もみ洗い。洗濯機に放り込んでボタンを押して終了
の洗濯しか経験したことのない自分は、始める前に若干
気合を入れなきゃいけない洗濯ってのが初めて。

で、読書や音楽鑑賞、テレビ鑑賞を経て、11時半に外出。

ナボタスのホストファミリー宅へ、帰国前最後の挨拶へ。
近くのSMでジープからバスに乗り換えて行かなきゃいけない
んですが、そのSMの壁沿いにとてつもない長蛇の列。建物の
外周を取り囲むほどの人数。おそらく採用面接があるのでは
ないかと。みんな、履歴書が入っていると思われる封筒を
抱えて、暑そうに待機。募集定員が何人か知りませんが
このうちの一握りだけしか採用されないんだろうなと想像。

バスに乗り換え、モニュメント(という場所)まで行き、
そこから再度ジープでナボタスまで。勘違いだったら失礼ですが
多分、ジープで僕の隣に乗ってた少年は僕の荷物を狙っていたと思う。
ジープの走行中、何気なく彼のほうを見たら、僕のほうに伸びていた
手がスッと引かれて、知らん振り。「これは」と気づき、その後
ずっとそちらの方を見ながら牽制していたら、ちょっとしてから
運賃も払わないまま降りていってしまいました。

油断してそうな風貌をしていた自分、それを狙った彼、はたまた
日本人がフィリピンでジープに乗ったという事実、ジープ内での
スリ被害多発の現状、何を責めればいいのかよくわかりませんが。

1時過ぎにホストファミリー宅へ。昼食をご馳走になり
長女の子供達と戯れて、ほのぼのと時間を過ごし。これで
最後だなと思いつつ、また来年旅行で来れればなと想像。

実は将来かなえたい夢が一つあって、それは将来持つであろう
自分の家族、特に自分の子供を連れてこの家を訪ねること。
そして実は、その夢がかなったときに自分が一体何を感じるか、という
ことも既に大体想像済み。いろんな違いをとっぱらって僕を迎えてくれて
自分の大学時代に大きな影響を与えてくれたこの家族とはずっと
付き合っていきたいなと思っているのです。文章にするとクサいですが。
割と正直な気持ち。
まあ、本当に将来自分が家族を持てるかどうかはまた別の話ですが。

そして、自分が家族を持つときまで、彼らがこの場所に(行政上)
不法な滞在をし続けられるかどうかもまた別の話。

で、まあそういう感じで、今回最後の訪問を終えよう、とした瞬間に
「火曜日にまた来い」と。知らないうちにコミュニティでパーティが
企画されたらしく、それに招待され。まさか「いや、帰国直前だから
結構いろいろやることが、、(だから今日来たわけだし、、)」とも
言えず火曜日、仕事終わりの1時間だけ訪問することに。帰る直前に
ブランデーを一気で飲まされて解放。

で、バスで家まで戻り、今度は現在のホストファミリーのために
日本食作り。また天ぷら。あと巻き寿司。他にもパンシットやら
クリスピーパタが。父の日祝いと、僕のフェアウェルを兼ねて
企画してくれたそう。親戚も数人参加。
天ぷらは火力不足で、もう少しってとこ。家庭で作る天ぷら。
みたいな出来。前回はガスバーナー使ったから火力も強いわな。

日本人ルームメイトと今日の食事の順位付けをして
「パンシットがめちゃくちゃうまい。でも日清の天ぷらつゆが
一番うまい」ということに。全く同感。つゆ、うまい。つゆ、万歳。
もうすぐここを発つ自分と違い、彼は今からこの家庭で人間関係を
築かなければいけないので結構頑張って家族と話しています。

食後、日本クロアチア戦を観戦しようということに。実は今日、
知り合いの日本人の方から一緒に観戦しようと僕とルームメイトで
誘ってもらっていたんですが、さすがにホストファミリーとの
ディナーを優先したかったので、せめて家で観ようと。

しかし、日本戦のことなんて知ったことじゃないフィリピン人一家は、
DVDでコメディー映画を観始め、何か邪魔できない雰囲気に。
部屋で二人、いろいろと「何とかしてテレビのチャンネルをサッカーに
合わせる」計画を練りつつ、空しく前半終了時刻。ネットで速報を見て
状況を確認し、後半終了直前に一家が映画を見終わった隙を狙って、
半ば強引にチャンネル奪取。

ペロ(=しかし)。
アンテナの不具合で画面ブレまくり。
砂嵐の画面、たまに映った玉田の顔もぐにゃぐにゃ。
レポーターも言いにくそうに、ゥヤナギサゥワーと連呼。

一気に萎えてしまったルームメイトと自分は、そっとテレビの
電源を消し、ぐったりと階段を上って部屋まで帰り、そのまま
不貞寝してしまいました。

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2006年06月17日

6月17日

お気づきの方は少ないかもしれませんが、
今日で日本を発ってからちょうど2ヶ月目です。

花見の際に4年生のみんなからはなむけの贈り物として
増量タイプの紙おむつをもらって(しかも厳密に言うとそれは
紙おむつではなく、それのみでは用を足せない、紙パッドだった
点も含め)それを板橋まで一人電車で持って帰らされたこと、
空港内に2回も呼び出しのアナウンスをかけるまでして何人もの人が
見送りに来てくれたこと、その割にはフライトの時間が延びまくって
全体的にダルダルな雰囲気が漂いはじめて何かよくわからないけど
雰囲気的に俺が悪いみたいな感じがしてきて申し訳ない気持ちで
いっぱいになったこと。

昨日のことのようだ、とまでは言いませんが、いまだにはっきり
覚えています。あと1週間後にはもうここにはいないことを考えると
やっぱり期間的には短すぎるのだと思います。

そういうわけでフィリピン最後の週末。
以前誘ってもらっていたバーベキューパーティーが残念
ながら延期になってしまったため、今日は期せずフリーに。
朝10時近くに日本人ルームメイトと一緒に外出。近くの
ジープ乗り場まで。彼は今日マカテー(この語を聞くたび
おまてーのことが頭をよぎります。)に行く用事がある
らしく、そこで別れ、自分は一番近いSM行きのジープへ。

お土産を買いに来たのです。

モール内のスーパーをぶらぶらしながら品定め。
安くて、おいしくて、フィリピンの実生活に即してるもの、
ということでインスタントパンシット(麺。やきそばみたいな)
を一袋10円で15袋ほど。何か表に堂々とKantonと書いて
ありますが。広東でないことを祈る。どちらにせよ上記3つの
条件にはぴったり当てはまってるから選択自体に問題はないはず。
あとは粉ジュース。これは完全にノリ。カラマンシー(柑橘)をチョイス。

実に300円以下で全ての知り合いへのお土産をセレクト。

あと、スーパーでふと気づいたんですが、こちらに来てから牛乳を飲んでない。
僕は自称牛乳の消費量がとてつもないのです。主飲料は牛乳です、と言える。

中学1年153cm、秋の中体連、慣れないライトながら初めてスタメンで出場した
名誉の初戦、終了後に親から「今打ちよるのライトの子やろ?ちっちゃかねぇ。
バットに振り回されよるばい、ち言われよったばい」と教えられ、無性に
悔しかった自分は、その日からとんでもない量の牛乳を飲みだしたのです。
それから2年後、中学3年167cm、最後の夏の中体連、副キャプテンの自分は
1番ショートで出場し、悔しくも地区大会で負けたものの、その初戦で
1本塁打、1二塁打、1犠打、チームの得点でもある3打点を叩き出したのです。

と。はいすみません、途中からただ過去の栄光を書きたかっただけ。
今度はいつか、高校野球バージョン「期待と挫折、その先に見えた光」を
書きなぐってやろうと思います。まあ、生涯最高到達点が175cm(+@)に
確定した今も、その名残が、という話。今僕には牛乳が足りていない。

品定めが終わってから本屋に移り、店内を探索。いろいろ見て回った中で、
ここの本屋にだけ法律書のコーナーがあって、結構充実しているのです。
どうせなら国籍や戸籍に関わる本を一冊買って帰りたいなと思い、悩んだ末、
結局45ペソで比憲法典を購入。

次に本屋の隣のタワレコに移り、CDの品定め。
昨日ルームメイトからいくつかフィリピンの有名なアーティストについて
聞いてるうちに、せっかくだから自分も買って帰ろうかと思いつき。
でも、パッケージだけじゃよくわからんな、と思って首を捻ってる瞬間。
店内に、at aalis, magbabalik.. テレビでもFXの中でもモールの中でも、
この比滞在中いたるところで聞いてきた、あの哀しげなメロディーが。
「どうせ買って帰るならこの曲がいいな」と前々から思っていた曲。
この機会、逃したらいかんぜよと、思わず土佐弁も飛び出すくらいの勢いで、
近くにいた店員に天井を指差しながら「この曲どこにありますか?」と尋ね。
お金の持ち合わせが無かったので、アーティスト名だけ覚えて帰ることに。
天井指差しながら曲の名前尋ねるなんて、生まれて初めてぜよ。

で、そうこうしてるうちに昼食の時間になったので移動。
またもや吉野家。日本での生活と変わりゃしません。白を
基調とした清潔感溢れる店内。広々とした印象を抱かせる
テーブル配置。ガラス張りの明るい空間。
隅のほうで一人牛丼を食う俺。

食後、よたよたとモール内の映画館へ。東京を舞台にした
カーアクション映画があったのでチケット購入。120ペソ。
残念ながら途中妻夫木が出てきたところくらいしか印象に残らず。
鑑賞後、次の映画へ。びっくりでしょ。2本連続。それくらい時間を
持て余してしまっていたのです。今度はホラー映画。100ペソ。
静かにしといて急に音でビビらせる、という手法は大概にしてほしい
と切に思います。最後のほうとか怖いっていうかうるさい、って感じ
だった。実はあまりホラーという感じでもなかったのかも。

ここまできて15時半。
最後に一番最初に土産物の品定めをしたスーパーに戻り購入。
いつも思いますが、この世に土産から誕生日プレゼントまで
全ての贈り物に関して、いかに様々な意味で魅力的な品を
選べるかという「ギフト力」というものがあるとするなら、
自分は確実にその力を人並みに持ち合わせていないように思います。
情報収集能力が低い上に天性のセンスとサービス精神も
イマイチなので自然ギフト力は高くはなり得ないわけです。

まあ、どうでもいいですが、ここまで終わってから一度帰宅。
で、残りわずかなお金を抱え、再度ジープに乗ってタワレコ、
今度はオフィスに近いほうのタワレコですが、へ。タワレコ
しか知らんのかと指摘されそうですが、あと国立のディスク
ユニオンも知ってます。

で、目当てのCDと他にいくつか買っていくためにCDを視聴。
で、結局昨日話題に上った、今一番ホットなアーティスト、
イレーザーヘッズなる4人組の最新アルバムも一緒に購入。
以上、アルバム2枚で500ペソなら何も文句は言えない。
こっちのタワレコはビニールが黄色くない。白です。

その後家の近くのドラッグストアに寄り、あと5日分の
シャンプーを購入。わけわかりませんが、先日、シャンプーを
無くしてしまったのです。ここ数日石鹸で髪洗っておりました。
買ったのは○&○とかが「貧しい国でもマーケティング次第で
儲かる商品は作れるんじゃい」とその成果を喧伝している例の
1回使い切り用の小分けになったシャンプー。単純に、ゴミ
めっちゃ出るのでは、とも思いますが、現実として確かによく
売れている。どこ行っても見る。

というわけで帰宅。夕食後これを書いています。

日々の研修とそこで感じたことをリアルタイムに伝えるための
刺激的なブログ「大公トリオ」なはずが、味気ない私生活を
無様に曝す文章で満ち溢れている現実。今日。土曜日。

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2006年06月16日

6月16日 サムシングイズハプニングアラウンドマイライトニー

僕の日記、当初に比べどんどん主観的な記述になっていってる
気がしませんか?“気づき”の記述や自分の状況やいろんな
情報を客観視した記述からはちょっと離れている気が。これが
「溶け込んでいく」ということなのでしょうかね。「溶け込んで」
以降は時間の進むのが早い早い。

ちなみに上記の現象は昨日日記を書きながらふと感じたんですが
これを読まれてる方、どう思います?過去のと比べてみて。
誰か意見くれるとうれしいです。この仮定がどれくらい妥当性を
持つのか知りたいので。

と、インタラクティブブログ「大公トリオ」を強調したところで。

午後から久しぶりに大雨。
今日も昨日と同じ時間にオフィス着。

新聞を読んでいると、「政治的な理由による活動家やマスコミ
関係者、環境分野の運動家(建設予定地の住民の生活を無視した
巨大ダムの建設に反対していたり)殺害の増加が著しいため、
フィリピンへ最も多くの資金援助を行っている日本はフィリピンに
対してのODA政策を見直すかどうかの判断を迫られている」と言う
記事が載っていました。

午前中でFAQ完成。一つの山場が終わった感じ。
変に詳しくもない情報を盛り込もうとしても中途半端になると思い、
日本国籍法の特に国籍取得の要件と留保の部分をQ&A方式で詳しく
説明するという形に。各種届けの提出期限みたいな重要情報は
特に強調して何回も解説したりして。午後にチェックしてもらいましたが
「This is informative」と。お世辞でないことを祈る。
曲がりなりにも自分がここで働いた証なので。

FAQって、何て発音すればいいのか迷いませんか?
まさかファッ○ューじゃないし。
まあエフエーキューって言えばいいだけですが。

午後は日本行き準備の最終確認ミーティング。
各人の担当作業の進捗を共有し、漏れがないかを確認。
主要な作業は漏れなく完了したことを確認し、未確定の
部分の日程とアコモ、細かな移動手段の確認を残すのみ。
久しぶりにスタッフ全員が揃ってのミーティングで
いつもよりオフィスが賑やかでした。

ミーティングが終わってからアウェアのオフィスに走り
アウェアが日本の関係者に送るメールの代筆。日本語で
メールを書く予定でしたがちょっと事情が変わって英語で
メールの文章をアウェアのスタッフと考えつつ、自分が
PCへ打ち込むという流れ。結構時間がかかり、しかも途中、
コレハオレガイナクテモナリタツサギョウナノデハという
取り返しのつかない事実に気づいてしまったこともあって
若干ヘコミ。

すぐにオフィスに戻ってボランティアネットワーク関係の作業
と日本でのアコモ、移動手段の調査をセコセコと。

スタッフにも指摘されたんですが、今日はちょっと疲れてた。
確かにりょこ・・あ、出張から戻って2日しか経ってないし
ちょっと作業が立て込んでてんぱってたこともあって。
てんぱりすぎて、名前を呼ばれたとき、「Opo」というところを
とっさに、そのときPCに向かって書いていた「かと思います。」
というフレーズを口走ってしまい、一人苦笑い。

結局、今日も自分が一番最後にオフィスを退出。来週は最後の
片付けとしてエヴァリュエーションの作成と来週フィリピンに
来るIOM東京スタッフとのミーティングが中心。出勤はあと4日。
普通にびっくりするわ。浦島太郎になってないといいですが。

帰宅後すぐに例の関西の大学生が部屋に帰宅。今日から
ルームメイトです。同い年のすごく感じがいい人で会話が自然に進む。
もちろん、話題の中心はもう一人のルームメイトがゲイかどうか。
当の彼は明日まで実家に戻るらしく今日は部屋にいません。

ちなみに書き忘れてたんですが、昨日、ソーシャルワーカー
としてバチスにアプライしてきた院生(?)がオフィスを訪問。
スタッフ不足がかなりフェータルな(cf.城之崎にて)
問題なので、ホント普通に来てくれることを願います。

最後に一番どうでもいいことですが、自分が今こちらに持って
きている3本の長ズボンのうち2本が「右膝上部の破れ」によって
そろそろ機能不全を起こしつつあります。前のジーンズも確か
「右膝上部の破れ」が原因で履けなくなった。

俺の右膝付近で一体何が。

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2006年06月15日

6月15日

ルームメイトと迎えた初めての朝。
朝6時半にフッと目が覚めて、ぼんやりと隣のベッドを
見るとそこには人の姿がない。どうしたんだ?!と
思って眼鏡をかけてみると、既に机に向かって勉強を
始めている彼の姿が。恐れ入りました。

昨日一日過ごしてみて感じたこととしては、超話好きで
若干(というか、かなり)カマッ気はありますが
おそらく、至極真面目な司法試験受験生。法曹を目指して
いるのは主に経済面でのインセンティブによるのだそう。

フィリピンの学生に接していると「自己実現」という
キーワードが大流行の日本の就活市場とは違い、生きるための
職業選択、という位置づけがかなり大きい気がする。@OBにも
仕事を見つけられないでフリーター状態の若者が多々いるし。
既に就活、というか進路選択の時期を迎えてしまっている自分
にとっては結構いろいろ考えさせられる現実。

まあ、そういうわけで朝一で受験生特有の緊迫感に接しショックを
受けた自分は、かなり気を遣い出発前に部屋で過ごしていた
時間を繰り上げ、いつもより相当早く出発。明日からもこんな
感じになるのでしょうか。

話は逸れますが、今回の比滞在で実生活上何がよかったかって、完全に
朝方生活に戻れた点。「あ、まだ7時だからもう少し寝よう、と思って
次に時計を見たら何と13時でした」とかいう何かもういろいろ
終わっちゃってるような生活にはホトホト嫌気がさしていたのです。

これでも大学一年生の前期は、たとえ人権無視の寮コンパの後でさえ、
朝6時半起床、「朝食を作って食べて」通学というそれはあまりにもキモい、
と寮の先輩にも言われまくった高齢者のような朝方真面目学生生活を
送っていた自分。いわば、原点回帰のフィリピン生活なのです。

いつもより40分以上早くに到着し、まだ誰もいないオフィスで
一人読書。ちなみにようやく中巻に入りました。
予想はしてましたが、この本は今の自分にとっては結構ニーズの高い本。
Xとは何かというよりXについて自分は何を知ることができるのか
って今の自分にとっては結構大事な話。そろそろ可能性の世界だけ
には留まっていられない年齢になっていくしな、と思う今日この頃。

カントは夕方毎日同じ時間に同じ場所を散歩する習慣があって
街の人はカントの散歩を時計代わりにしていたという話は結構
有名かと思いますが、この話、沢木耕太郎の「胡桃のような」
という結構好きな文章(来る日も来る日も同じような生活を続けて
きた高齢のタクシードライバーの話)に通じるところがあって
意外と好きな逸話の一つ。胡桃のように堅牢な人生を送れるのは
そんな風に生きることが何か特別なことだなんて思わない人だけ
なのだよ。いつの日かこんなセリフを吐いてみたいことだよ。

話逸れまくりですが、で、いつも通り、9時に始業。
今日はボスが日本渡航の際、いくつかの大学で行う講義で
使うパワポの日本語版作成。シートの数は65枚。65枚でっせ。
まあうち約半分は写真やら図表なので実質30枚強ですがそれでも。

プレゼン的にこれでいいのかと一瞬疑いを持ったこともあり
一時、やる気がパリパリっと削げていく音がしましたが
ここでこそ「to do list主義者」の面目躍如。
すぐ出来るシート、ちょっと時間をかけたいシートをわけて
それぞれ枚数を数え、作業の順番を決め、完成後の状態を
イメージできるようにしてから作業開始。まあやり始めると
結構楽しくなってくるもの。

結局何だかんだで最終的に一日費やしました。
こればっかりは自分の大好きな「何となく翻訳」をやっちゃいけない
資料なので、特に法律の条文やら統計やらの気になる点がある度に
スタッフにしつこく確認。で、ぎこちない日本語部分をよりしっくり
来る表現に変え。まあ無駄に2ヶ月ここで過ごしたわけじゃなし、
いろいろ勉強してプレゼンの文脈も大体了解してるので、無謀な訳は
ないはず。で、最後にアニメーションも付け。

最後にスタッフ数名に完成版を見せ。
うん、まあこれなら大丈夫でしょう、って感じ。

こんなこと言うと感じ悪いですが、正直、結構スタッフからの信頼は
得られてると思う。「指示」じゃなくて「相談」を受ける割合も相当
多くなってきたし。平気でお金関係のことやオフィスに留守番もさせ
られるようになったし。まあたった2ヶ月の短距離走だと気合を入れて
自分なりにも通常以上にいろいろ頑張ってきたつもりです。

明日がスケジュール上、日本行き準備の最終日。
最後のミーティングも予定されていて、そこで
自分の日本での行動予定も確認するとのこと。

FAQ作成も明日終わらせて、来週、最後の週は自身の研修の
エヴァリュエーションとボランティアネットワーク系の
最終調整を中心にやりたいところ。

終業後、久しぶりにバスでグリーンヒルズへ。
出張のための航空券代を立て替えてもらっていたので
その分のお金を下ろしに。口座残高はこれでもうほぼ
無いに等しくなりました。ドキドキ。

ちなみに明日からは一度部屋を見に来た関西の大学生も
この部屋に住むことになってます。一人じゃ持て余すくらいの
広さだったから、3人いると「自分のスペース」にすっぽりと
はまってる感じがしてかえって過ごしやすい。と思うのです。

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2006年06月14日

6月14日

朝4時半起き。
朝一で朝市へ。
ここダバオは、海の幸が豊富なことで有名なのです。
マグロを買いに。

マグロと豚肉を購入し部屋へ。自分は二度寝。
10時にチェックアウト。

空港へ。
今日買った魚と初日に買った果物の山は自分がマニラへ
持って帰ることになっていたので、一緒にチェックイン。

11時半過ぎにスタッフは次の訪問先、ビサヤ諸島ネグロス島の
イロイロへ向けて出発。
自分は13時過ぎまで待合ロビーで本を読んだりテレビを観たり。

マニラ着は15時過ぎ。
魚と豚肉と果物の箱を抱え、タクシーに乗り込み家まで。
メトロマニラの南端から北端まで、252ペソなり。
若干心配してましたが、いい運転手さんでよかった。
あと、当然のように「コリアノ?」って聞かれたので、前回の
経験を教訓にずっと曖昧にニヤニヤしていました。

16時過ぎに家に着いて荷物を置いてから急いでオフィスへ。
実に5日ぶりの出勤。
ダバオ訪問の報告と大詰めを迎えている日本行きに
向けての作業の最終確認。途中アウェアにも寄って
ビザ書類に関して翻訳の手伝い。最後にメールを
チェックして18時半にまたもや戸締りをして帰宅。
自分の研修も大詰めって感じです。

そんな一日でした。

スタッフにも自分の財布にも無理を言って行かせてもらった
ミンダナオ島への出張。予定よりも滞在が長くなりましたが
その分経験できたことは多かったかなと。メトロマニラ外の
しかも島外の生活の一端に触れることができたこと(東京だけを
知ってるのと日本には沖縄もあることを知ってるのとでは、日本の
見え方も若干変わってくる(と思われる)ように)、そこでの
生活と、帰国女性が取ってきた日本渡航という選択肢が少しだけ
リンクして見えてくるようになったこと。今の段階でこの旅の
成果を挙げるとすればこういう感じでしょうか。
もうちょっといろいろあると思いますが。

あとあんま関係ないですが、ちょっとした経験から、オリエンタリズム
について思いを巡らせた旅でもありました。エキゾチックな東洋は
一体どこにあるんだろうみたいな。帰ったらサイードを読んでみるつもり。
「帰ったら読みたい本リスト」が結構埋まりつつあります。

実際、3日分の日記をまとめて書くのはよろしくないですね。
時間もかかるし、実感が薄れている分、単調な面白味のない文章が続く。

反省。

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6月13日

最後のホームビジティング。朝、8時半出発。
タクシーに乗って待ち合わせ場所まで。

フィリピンではそこかしこで見かけるサリサリストア
(自宅の軒下で営業している小型の雑貨屋)をやっている家庭。

本人、両親、お兄さん、スタッフ、自分でサークル。
家庭の経済状況、今後のことなどを話して2時間程度で終了。
こういうとき、自分は基本的には(許可をもらって)写真を
撮っているか、聞こえた単語から類推して話の流れを汲み、
メモするかという感じで過ごしているのですが、今日は両親と
スタッフが話に熱中している間、突然女の子から「はい」と
電話を渡され、「日本語、日本語」と言われたので電話の応対。

日本で同じところに住んでいた(フィリピン人)女性らしく
彼女もつい先日ダバオに戻ってきたそう。電話口で「誰?誰?」と
聞かれ、「えっと、誰なんでしょう・・」としょうもない返答。
帰国女性(って書くと冷たい感じですが)爆笑。電話を切った後には、
写メを撮られ送信される始末。基本的にこういう扱い。

この女性もまだ日本へ行くことを考えているそう。
日本人のボーイフレンドもいるらしく。中年の方らしいですが。

昼食の時間になって、本人とお母さん、本人のフィリピン人の彼氏、
スタッフ、自分でお兄さんの運転するタクシーに乗り込み、移動。
まず自分たちの帰りの飛行機チケットを購入。自分は、明日昼過ぎの便。
その後みんなで昼食。不思議な面子。鯛か何かのマリネとイカの煮込み。

そのうちに、2日目に訪問した女性と、その友達が到着。
その友達も日本に働きに行ったことがある女性。若めの日本人との
結婚を考えているそうですが、その男性が現在結婚できる状態なのか
(戸籍から前妻の名前が除かれているか)が不明なので、まだどうなるか
よくわからないのだそう。いよいよ混沌とした面子。

何でも今日はみんなで遊ぶらしい。昼食の間にも日本人の「お客さん」
からの電話がかかり。もちろん日本語での会話なので、スタッフと親族は
聞き取れなかったと思いますが、なかなかびっくりな会話。どうやら
「お客さん」がフィリピンに遊びに来るよう。

ちなみに昼食の場で初めて会った女性に自己紹介したとき、向こうが
薄い反応だったので、何かなと思っていたら、後になって彼女が自分の
ことをフィリピン人だと思っていたことが判明。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!! ・・のか、これは。

昼食後、スタッフと簡単に買い物をし、ホテルへ戻り。
ホテルで待ち合わせていたクライアントのJFCとその祖父母と合流。
奨学金の給付をするのです。ホテルの食堂で簡単に雑談をしてから
奨学金の受け渡し。多分中学生くらいの男の子。これくらいの歳の
子供特有の何か気まずそうな表情。たまに恥ずかしげに笑ったり。

ここダバオには軽く万に上るくらいのJFCがいるとのこと。
以前あるプロジェクトで現状調査のためにダバオを訪れた
日本人研究者がその数の膨大さに一時愕然としたそう。

夕食は近くの食堂で。
夜は韓国トーゴ戦を観戦。基本的にサッカーに疎い自分は
終盤まで韓国の相手はジャマイカだと思っていました。

国旗の色使いが似てるな、と思いながら就寝。

明日マニラへ戻ります。

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6月12日

朝7時半発。
もう一人の帰国女性の家を訪ねて、今日は島を渡るのです。

タクシーで離島行きのバス乗り場まで向かい、乗車。
バスごとフェリーに乗り込むのです。まあ過去の自分の言動から
お察しの方も多いかと思いますが、当然テンションは上がりっぱなし。
ただ、隣にスタッフがいるのでその情動は内心に秘めつつ。

結局、フェリーは15分程度の短時間。対岸まで渡る感じ。
洞察力の鋭い方はお察しかと思いますが、当然テンションは下がり。

まあ、でも着いた場所は綺麗。
ザ「南の島」。強い日差しに青い海。陸には椰子の木。
バスは下船後、島をひた走り、自分たちは待ち合わせ場所の
ショッピングセンターで下車。

付近で朝食を食べている間に待ち合わせた女性が登場。
先日飛行機で隣になった、自分と同い年の子です。
家まで向かうトライシクルの中で、「家が貧乏だから
恥ずかしい」と笑いながらもしきりに訴えられ、若干困惑。

で、到着。林の中に建っている、そんな感じ。
昨日訪ねた家と比べても、確かに見劣りがする造り。
お父さんは既に亡くなり、ここに8人兄妹と母親で暮らしているそう。

本人、母親、スタッフ、自分で話始め、インタビューと今後に
ついての相談を1時間半程度で終了。昨日に比べて話があまり
弾んでなかった気が。最後に彼女の数年前の写真を見せてもらって終了。
何と彼女、ダバオのミスコンで優勝してるほどの美貌なのです。
確かに家族全員整った顔立ち。

で、鶏肉の煮込みとご飯の昼食をご馳走になった後、
帰りのバスが来るまで家の外で雑談。「お店には、自分くらい
(20代前半)のお客も来るのか」とか「日本人男性は平気で
女性を捨てる、というのは本当か」とかがテーマ。

ちなみに、先述の通り、彼女の家はなかなかガタが来ているのですが
本人の話によると、元お客の日本人男性にお金を出してもらって修理
する予定なのだそう。雇用主との関係は切れても、元お客さんとの
個人的な連絡は取り続けているようです。今回の帰国女性の中で、
彼女は特に日本への再渡航を望んでいるうちの一人。こういう時に自分が
今所属しているこの組織なんかはどういうアプローチができるのか。
女性が不法労働から逃れ、一旦本国の実家に戻るところまでをサポートして
終わりなのか、それともそれ以上の部分に敢えて干渉していくのか。

言ってしまえば何でもそうなんでしょうが、特に(開発系)NGOの活動は、
その引き際が難しいとはよく言う話。お金ではなく、Visionを元にしている
組織の難しいところ。心情としては一度始めた活動やその活動フィールドからは
離れたくない。でもいつまでもそこにいることが彼らの目的ではない。
むしろいかに早く引き上げるかが勝負の世界。だと伊勢崎氏は言っていたはず。

実際難しいよね。

再度船に乗ってホテルへ帰宅後、昼寝。寝まくり。
夕方近くになってからスタッフと歩いて近くの市場やらを
ぶらぶら。夕食もその辺で。シシグという豚肉の細切れの
炒め物。うまいんだけど絶対に体に悪い。今回の滞在、
正直かなり食べている。で、それと同じくらい寝ている。

ハゲ、メガネ、これはもはや決せられた運命。しょうがない。
デブだけは。家系が「すぐ太る」方の体質なので、気をつけないと
ホントにやばい。デブだけは何とか。僕だって人並みに、子供に
とってかっこいい親父になりたいのだ。

今日は独立記念日だったのですが、(残念ながら)関連の式典などは
見れず。テレビのニュースでマニラ付近で開催された式典なんかを
見ていました。

で、映画トロイをやっているのを発見したので、鑑賞。
トロイの木馬、ストーリーとして全体的にシュールだと思う。

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6月11日

今頃、自分の部屋にかの司法試験受験生が越してきている、はず。
結局、最後の10日間彼と相部屋ということになったのです。

朝8時にホテル発。
ジープに乗って1時間半ほどかけて、昨日送ってきた女性の家
(実家のすぐ傍に今回の日本行きを仲介した人物がいるため
まだ実家ではなく、親戚の家に滞在中らしいですが。)
まで。ジープが何かちょっとだけマニラと違う。がっしり
している。待ち合わせ場所で彼女と会い、トライシクルで
家まで。トライシクルも何かちょっと違う。こっちのやつは
5人乗りくらいの大きなトライシクル。

マニラのように混沌とした感じはあまり無く、交通も基本的に
穏やか。完璧に自分のイメージだけなので出身の方には悪いですが、
何故かずっと、山梨って感じが漂っていました。で、しばらく行くと
いきなり八丈島という雰囲気。山のふもとの家まで。

というわけで最初のホームビジティング。
家庭状況と日本での労働環境の確認と今後のことについて。
店の罰金制度やペナルティの仕組みなんかを説明してもらい。

日本人的な若干ストイックな仕事観がフィリピンの人にとっては
異常に見えることがあるかもしれないなとふと思いました。
彼女の説明の中に、もしかするとそれは日本人雇用主からしてみれば
ある程度当然の対応だったのでは、と思う場面があったので。

まあこういったケースの場合、特に給料関係での契約違反という
れっきとした違法行為を訴えている場合が多いようなので、
雇用主は悪くない、とは言いませんが、中にはちょっと弁護の
余地もあるかなという行為もありそう。労働力としての人の移動
という現象を考える場合「仕事観」の違いによる摩擦も起こりえる
のかなとふと感じました。一概に雇用主を非難できないケースも
ありえる、ということで。自分としては新たな視点。

1時間程で話を終わり一度ホテルへ。
途中チキンの丸焼き(レチョン)を購入し、ホテルの食堂で
食し。うまい、けど多い。

食後、ホテルにクライアントであるJFCの祖父祖母が迎えに。
これから彼らと一緒に2件の家を回って、情報共有と奨学金の
給付に向かうのです。1件目は不在。メッセージを残して次へ。
次はその迎えに来てくれた老夫婦の孫達。パッと見日本人には
見えないかな、という感じ。

おばあさん(と言ってもまだ若いおばさんくらいですが)が
女性団体で働いているらしく、仕事関係の情報交換が行われて
いた模様。ようわかりません。

1時間半くらい滞在してから辞し。帰りにモールに寄って買い物。
水やらおやつやらファーストフードやら。いやいやいや。今回
同行のスタッフのおばさんはダイエット中だということで食事中も
炭水化物は取らず、量も少なめなんですが、おやつはちゃっかり食べる。

ここら辺、ダイエット観の違いなのかなと、3年間の@経験で培った
自分のとは違う文化を受け入れる姿勢を発揮しつつ無理矢理納得。
まあ、最先端の理論にありそうだしね。「好きなものは好きな時に
食べるダイエット」みたいな。

モールを出ると雨。生ぬるい。
モールの入り口近くではタクシー争奪戦になっている。
どこがタクシー乗り場、と指定されてないから、並ぶ
という概念も出てこず、とにかくタクシーが来るたび
みんなで手を挙げまくる。自分たちも何とか乗り込み。

お気に入りのスマッ○ダウンを見ながら、ハンバーガーを
むさぼり、コーラを飲み。アメリカのデブ少年か俺は、と
心の中で偏見ツッコミ。あとちょっとサッカーを観て
今頃盛り上がっているであろう日本社会に思いを馳せ。
フィリピンではサッカーがポピュラーじゃないので、
何か雰囲気的にワールドカップに対してもどことなく
「だから?」って感じなのです。

で、温水シャワーを浴びて就寝。
「温水」「シャワー」。どちらも実に2ヶ月弱ぶりなので
いろんな気持ちがよぎってちょっとニヤニヤしてしまう。
自分もやっぱり時代の子。

マニラへの帰宅は水曜日になりそう。

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6月10日

かなり早くに起床。寝坊したらホントにありえないことになる
ということで大学生活で培った寝坊症も、生まれながらの
チキン体質には勝てなかったらしく、普通に起床。

アコモに、一緒に帰る女の子達を迎えに行ってから空港に
向かうため早めに出発。移動はもうお馴染みのODA車。

やはりどうしても思うのだが、このデザインは、結構見た人に誤解を
与えてしまうのではないかと。車体にデカデカとODAのマークのみが
乗っていたら「日本からそれをもらったフィリピンの団体の」というより
「日本(のODA関係者用)の」車だと思われてしまう気がする。
もちろん、それが意図なのかもしれないですが。

ただ、実際に信号停止なんかしたら路上生活の子供や大人までもが
寄ってきて手を差し出すことが結構ある。でもまあ、この場で自分が
何かできるわけでもなく、大抵の場合スタッフや自分がそっと首を振る
だけで終わる。それを見たりされたりする側の人はどう思うのかなと。
「何だよ日本。」ってことにはなりますまいか。僕はそう思うのですが。

そもそもいくら何でも「from the people of Japan」は若干クサくは
ありますまいか。結構駐車場とかで鼻で笑われてるのを見かけるのです。
そりゃ例えば逆の立場で日本でそんなこと書いた車がぷるぷる走ってたら
何だかぷぷぷっ、って感じじゃないですか。嘘こけ、みたいな。

別にODAのあり方自体の批判がここでの意図ではないですが、自己主張の
やり方にももう少し巧さを求めてもいいのかなと。もし「日本の利益にも
適う開発援助」が一つのゴールなのだとしたら、その実現のためにはもう少し
マーケティングとブランディングが必要なのかも。事情を詳しく知ってる
わけではないので的外れな意見かも知れませんが。

月曜日の独立記念日に向けてマニラベイ近くの通りでは軍隊が
パレードの練習なんかをしている。

アコモに寄って今日帰国予定の2名の女性と彼女達の荷物を
車に乗せ、空港へ。これって同時に日本での職場から、入管への
出頭、帰国までを共にしてきた他3名の女の子達との別れを
意味してるので結構しんみりしてるのではないかなと、想像。
まぁもはや携帯が普及しているこの社会。連絡を取り合うくらいなら
いつでもできる気もしますが。

空港で搭乗手続きを済ませ待機。
すると5名の女性のうちの一人が日本人の中年男性を連れて登場。
違う島の出身なので、一人違う飛行機で帰ることにはなっていたん
ですが、まさか日本人男性が一緒だとは誰も知らずスタッフも唖然。
ちなみにこの女性は、かつて日本人との間に一人子供ができたらしく、
事前に書いてもらった調査票の「今後バチスに求めるサポート」の欄
には、子供への経済的補助、と書いてあったそう。

ミンダナオ島での仕事が終わってから、スタッフだけが彼女の
家も訪問する予定なのですが「予定よりちょっと時間をかけて
話さないといけないかもしれない」とのこと。

で、自分達も違う機に搭乗。
機内で隣になったのは2人のうち自分と同じ年の方の女の子。
若干、気まずいよね。初対面(正確には2度目ですが)のタメ
同士って。ということでぎこちない会話がしばし続き。

2時間後にミンダナオ島南東部ダバオ空港へ。
彼女らにとっては半年以上ぶりの帰省ということで飛行機の
窓からじっと空から見える町並みを眺めていました。
まあ、そりゃ自分だって久しぶりの帰省ってなったらまじまじと
飛行機から故郷の町並みを眺めるので、こういう時の、いろんな
ことが入り混じった多重構造の心境は何となく想像できる。

で、彼女らは迎えに来た親族と一緒に帰宅。
スタッフと自分はタクシーで今日のホテルまで。
実は、今日は特にすることがないのです。

暑いがカラッとして過ごしやすい印象。
ダバオはなかなか厳格な市制を敷いているらしく、それだからか
どうかは知りませんが、マニラみたいにぼったくりをふっかけたり
するような商売人は少ないそう。タクシーも然り。

戦前戦後と日本人が多く移住してきたことでも有名なこの街。
今、自分は比から日本への人の移動に接していますが、過去には
他の多くの場所の場所と同じように、この場所でも日本から比への
人の移動があったわけで。彼らはどういう心境でこの街に移ってきたのか。

ちなみにイスラム系住民との独立紛争が続いているのはこの島の
遠く西部の方。イスラム系住民の自治区もその南部に位置しています。
この辺りは若干言葉は違えど、クリスチャンが多数の「フィリピン
共和国側」の街。フィリピンの中でも、むしろ安全なことで有名だそう。
ミンダナオ島はすんごく広いのです。

他に空きが無く、スタッフのおばちゃん(ホストマザーでもある)と同室。
エアコンと温水シャワー付き。2人で1泊575ペソ。安。

到着後すぐ昼寝。2時間くらい寝てからスタッフと一緒に近くの市場に
フルーツを買いに。大体マニラの半額。で、超甘くてうまい。
滞在中に食べるフルーツを買い込んでホテルへ戻り。

テレビ観たり本読んだりして10時くらいに寝ました。
ちなみに今、ワールドカップではなく、アメリカのプロレス
観戦にはまっています。大学2年の時に寮で見たのが最初ですが、
あれ、面白いよね。

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2006年06月09日

6月9日 僕は戸田奈津子じゃない

タイトルは今日の日記をつけてるときにふっと
湧いてきて、何か好きだったのでタイトルに昇格。

昨日の予定では帰国女性達がオフィスに来ることに
なっていたのが、ちょっと事情が変わり、スタッフが
アコモを訪ねる形になったので、自分一人オフィスに
留守番して、他のスタッフ達がそちらへ向かうことに。

朝9時半から11時にかけて一人。電話番ももう何か慣れた。
タガログで話されても動じなくなった。電話なら何とか
「ノリで押し切れる」ということがわかってきた。

オフィスに一人だけで、話す相手もいないので作業がとても捗り。
ネットを使ってチョコチョコ作業をした後、現在のメインジョブに
なっているFAQ作り。来週いっぱいかけて完成させる予定だったけれど
今日のおかげで既に80%くらい完成。

実はここでのいろんな作業が少しずつ収束に向かっていくのを
感じているところ。何と言うか、出国前2週間の時間の流れ方と
似た感覚。淡々と確実にある地点に向かって流れていく感じ。

ただし悪い意味でもない。「刺激」の季節はもはや終わってしまって。
ここら辺が後々になって本当に意味を持ってくる「経験」に近い部分
かもしれない、とふと思う。ただ、ここから先が本当の、というか
本質的な「経験」なのだとしたら、あと2週間ちょっとだけでは足りなすぎる。
嗚呼、短期研修。

ころころ話は変わりますが、去年身につけた習慣として、自分でも
なかなかいいなと思っているものの一つに「こまめにto do listを
作る」というのがある。こちらに来てもなかなか役に立っていると思う。
無駄な時間を省いて+@のことに回せる時間が増えている気がする。
まあ気がする。って程度ですが。

あと何でも思いついたことはとにかくメモする。これもいいなと
思える習慣。以前、0506が始まるか始まらないかくらいの時期に
何気なく、当時エルシイピイになりたてのキキ○ウ様にそのことを
話したら「うん。いいね。」と何故か上から目線で褒められたのを
思い出します。身分制度、という言葉に思いを馳せた日でした。
まあ、もちろん半分フィクションですがね。

こういうのってみんな結構やってると思いますが、器用ではない自分は
こういう器用っぽい方法を見つけ出すこと自体に時間がかかって
しまう程器用でないため、見つけたその後は結構重宝するのです。

昼食後、来日予定のアウェアのメンバーに依頼されて翻訳
手伝い(結構日本語が話せる人なので、語彙レベルでの
アドバイスが中心)。スピーチ後の挨拶なんかを一緒に作成。
「ご清聴ありがとうございました」から「本日のスピーチは
これで終わりますが、皆さんと私達との関係はここから始まる
ことを願っています。」というクサ目のシメの言葉まで。

何度か触れてる気がしますが翻訳は何かちょっと楽しい。
今日は口頭での翻訳だったけれど、自分なりにしっくり来る
表現がパッと浮かんできた時とか。
・・まあ、いいや。僕は戸田奈津子じゃない。

帰りも自分が一番最後。
オフィスの戸締りをして帰る研修生活が待っているとは
少なくとも2ヶ月前の段階までは想像もしていなかった。

ミーティングのため終日外出していたボスと19時に近くの駅で
待ち合わせ明日の飛行機のチケットをもらい帰宅。

明日から月曜日までミンダナオ島へ。
月曜日は(確か)スペインからの独立記念日のため休日。
西、米、日、3つの国からの独立を経験している国なので
「今日はどこからの独立の日だっけ」という設問が成り立つのです。
在比日本人の中でたまに話題になります。
ということで、3連休を使って行くことになります。
朝早いので若干心配。自分の起床力が問われるところ。

島南東部を中心に帰国女性の見送りとホームビジティング。
自分はミンダナオ島での活動後ルソンへ直帰し、ネグロス島へは
スタッフのみが行くことに。日本行きの作業が結構追い込みに
入ってるための選択なのですが、正直ちょっと残念。

あ、いや、別に観光に行く時間がなさそうだからって研修中の出張を
観光に見立てようとしてたとかそういう不届きな考えを起こしている
のでは決してない、と自分の中の少なくとも一部はそう叫んでいる。

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