行かない旅 - お笑い編

笑いの世界はもっと広かった!あらゆるお笑い・コメディを精力的に、いや全力で探索中!

2009年07月

次から次へと(立川談志)

立川談志 ひとり会~第二期~第十八集
立川談志 ひとり会~第二期~第十八集
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「立川談志 ひとり会 落語CD全集 第十八集」(COCF-14538)

・芝居の喧嘩
 芝居好きと相撲好きの友人同士。「相撲より芝居の方が面白い」「いや芝居は立会いをやっても本気じゃないから面白くない」などとしゃべりながら、今日はふたりで芝居小屋へ行くことに。
 これからはじまろうかというときに小競り合いが起きて、やくざものと旗本衆の、本物のケンカがはじまってしまう。

 やくざものと旗本衆の強そうなヤツが次から次へと現われるのが面白い。映画「名探偵登場」で、次々と探偵が出てきてはドンデン返しするギャグを思い出した。

・権助提灯
 ある店の旦那は、奥さんや親戚も承知のお妾をひとり養っている。

 ある夜、奥さんが「たまにはお妾の家に泊まってきたら」と言うので、権助を供にして妾の家へ。ところがお妾さんは「とてもありがたいが、そこまで気を遣われると顔向けできない」と自宅で寝るようにお願いする。
 再び権助とともに家に帰るのだが、奥さんもやはり意地を張って譲らない。

 解説では「ヤキモチからくる意地の張り合い」と書いてあり、そう言われると確かにまくらでそんな話をふっていたが、本編ではあまりヤキモチの部分は感じなかった。

 のちに談志はこの噺をさらに変化させているそうで、CDにも収録されているらしいのでそちらを聞いてみたい。

・芸論列伝 其ノ壱 対談・桂文楽

 当時の東京落語のトップと言っていいだろう、桂文楽をゲストに招いての軽い対談。文楽の生い立ちや、芸人になった頃の様子を聞く。

 刈り込まれて完成度の高い、素晴らしいネタを聞かせていた名人桂文楽。この対談は「第8回ひとり会」(昭和41年)での録音であり、ちなみに文楽は昭和46年に亡くなっている。
 すでに72歳だというのに実に声にハリがあって、ハツラツとしている。あのひょうひょうとして甲高い声。
 やたらと嬉しそうにしゃべっているので、聞いてるこちらもつい笑ってしまう。本当に楽しそうで、談志のことをずいぶんお気に入りだったのかな。

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シーソー(立川談志)

立川談志 ひとり会~第二期~第十七集
立川談志 ひとり会~第二期~第十七集
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「立川談志 ひとり会 落語CD全集 第十七集」(COCF-14537)

・子ほめ
 八っつぁんが隠居に「友達にご馳走してもらいたければ、お世辞のひとつも言えたほうがいい」と言い方を教えてもらい、知り合いや、子供の生まれた友人に試してみる。

 前座噺の代表だろう「子ほめ」。若い頃の談志の録音は、伝統に従ったかんじのくすぐりも多いが、単純な噺のわりになかなか厚みを感じさせる出来。

「違ったって女は言わねぇもの。」

・五人廻し
 女郎屋で、客の掛け持ちをしている女郎に待たされている男たち。店の若い者木助は、呼び出されては「料金を返してくれ」と言われる。

 以前他の人でも聞いたことがあるが、ここでの談志は五人の客のキャラクターを強めに戯画化する方向で演じている。威勢のいい職人の歯切れのよさはさすがに若々しいが、軍人のように勇ましい男、気取ったしゃべり方をする男などは、珍しく笑いに走っているような演出。

 ひとつの演じ方として試みたのだろうが、戯画化で五人のキャラクターの笑いが強く出てきた分、舞台である廓の雰囲気は薄れ、全体的なまとまりはあまり感じられなくなってしまった。
 「笑い」という”部分”と全体の満足感が、シーソーのようになってしまう場合もあるんですね。

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安心の続編(チャールズ・シャイアー)

花嫁のパパ2 [DVD]
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「花嫁のパパ2」(1994年)
監督 チャールズ・シャイアー
出演 スティーヴ・マーティン ダイアン・キートン マーティン・ショート キンバリー・ウィリアムズ
"Father of the Bride Part II"
Charles Shyer /Steve Martin /Diane Keaton /Martin Short /Kimberly Williams

 「花嫁のパパ」の続編。

 ジョージとニーナの夫婦、娘アニーと婿のブライアン、ブライアン方の両親、といったキャストは全て同じ。また前作で結婚パーティを仕切った業者のフランク(マーティン・ショート)がずいぶん活躍をする。

 前作から二年後に製作されているから、1がヒットしてすぐ作ったのかな。みんな雰囲気は変わっていない。

 パート1でアニー(キンバリー・ウィリアムズ)を花嫁に送り出したジョージ(スティーヴ・マーティン)とニーナ(ダイアン・キートン)。
 この生活にもだいぶ慣れてきた頃、アニーの妊娠の報せを受ける。

 みんなは祝福するのだが、孫ができて「おじいちゃん」になってしまうことにジョージは内心動揺している。一生懸命若作りしたりするのだが、そんな中また新たな報せが…

※追記(2010年3月19日)
 このエントリを書いたときは気づかなかったのですが、「花嫁の父」には続編「可愛い配当」があり、「花嫁のパパ2」はそれのリメイクです。
 以下で「オリジナルストーリー」と書いたのは間違い。失礼しました。


 「花嫁のパパ」では「結婚」という人生の一大イベントにまつわる出来事をそのままコメディにしていた。そうすると2のテーマは「出産」ということになるだろうが、前回よりはややストーリー性が加えられている。

 しかし各キャラクターはしっかり踏襲しているし、ストーリーの要所要所の流れも似ているので、前作を見た人が安心して楽しめる内容。
 「花嫁のパパ」は、そのリメイク元である佳作「花嫁の父」と比べて見てしまったが、今回はオリジナルストーリーなのでその点では分がいい。

 出来としてはそれなりに作られているが、パート1より若干落ちるかなぁ。パート1もそれなりだったような気もするが。

 後半のクライマックスに入っていくと、緊迫感が出始めたかと思ったらすぐ感動げなシーン、というパターンが何度も繰り返されてちとウンザリしてくる。この辺りのいくつかのギャグも、あんまり上等とは言えないしな。
 そういえば全体的にコメディ色もやや薄くなったかもしれない。

 まあ「花嫁のパパ」を見たら、一応2もセットで見てもいいかもね、くらいのかんじか。やっぱり最初の「花嫁の父」が一番。スペンサー・トレイシーの演技が忘れられない。

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救出できずっ!

 ハードディスクのデータ、一旦は救出できるかと思われたのですが…

 無理でした

 取り返しのつかないデータはさほど多くなかったとはいえ、なかなか大変。それより、つきっきりで救出トライし続けて疲れたわ。

 気分を変えよう、と最も好きなミュージシャンのアルバム"New Sights, Old Sounds"を取り出す。

Derek Bailey

 単純爽快なものでリフレッシュ、というのは僕にはあんまりピンとこない。ああいうものって逆に言えば型にはまっているので、こんなときにはそれが息苦しい。ノリノリの音楽で無理に腰を動かさせられるのもシンドイ。




 う〜む、デレク・ベイリー、素晴らし過ぎる。やっぱりあなたは偉大だ。

 …と、このブログはじまって以来はじめての雑談。

 にしても、一部がトンでしまったときの対策はしてたんだけど、ハードディスクがそのまま丸ごと逝ってしまうとはなぁ。
 もうしょうがないと諦めがついたので、ちゃんと直って帰ってくるのを待つしかありませんね。

 レビューは明日から再開する予定なのでヨロシク。

パソコンが壊れたァ〜

 昨日パソコンが突然止まって、うんともすんとも言わなくなってしまいました。

 サポートセンターに電話したり、パソコンを開けたりして格闘するも、結局動かないまま、月曜からパソコンくんは一週間ほど修理の旅へ

 なんとかデータは救出できそうなかんじなので、不幸中の幸い。でもDVDはパソコンを使って見てたからな。他のデッキは使えるかなぁ、確かめてみないと。

 現在緊急用のパソコンで書いていますが、来週いっぱい何を見ていくか、ちょっと考え中です。

出来の良さは個人技に依存していた(チャールズ・シャイアー)

花嫁のパパ [DVD]
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「花嫁のパパ」(1992年)
監督 チャールズ・シャイアー
出演 スティーヴ・マーティン ダイアン・キートン キンバリー・ウィリアムズ
"Father of the Bride"
Charles Shyer /Steve Martin /Diane Keaton /Kimberly Williams

 昨日の「花嫁の父」(1950年)のリメイク。

 ちょっと前ですが、ブログ「愛すべき映画たち」のエントリで<リメイク映画のベスト&ワースト、米EW誌が発表!>というのが取り上げられていました。
 まあこういうランキングがそんな頭っから信頼できるとは思っていないのですが、その中のベストのほうにスティーヴ・マーティン主演のコメディ「花嫁のパパ」が入っていたので、見てみようかってことで今回の「花嫁の父・パパ」特集となったわけです。


 パーティが終わったあとの散らかった室内を移動ショットで撮って、靴を直しながらグチる父親からはじまるのは全く同じ。

 登場人物の名前や職業などは多少変わっているが、エピソードはほぼ全て同じだし、さらに同じような撮り方を使っているカットも多い。
 余計なことをしていないリメイクと言っていいだろう。だからまあ出来はこんなものかなーという気もするのだが、でもやっぱり元の「花嫁の父」のほうが良かったよな。

 元の作品はなんと言ってもスペンサー・トレイシーの演技が素晴らしくて圧倒的に見所だった。今回の主役スティーヴ・マーティンはいつもきちんとコメディを演じてくれて信頼できる人だと思うのだけど、さすがにスペンサー・トレイシーが相手では格が違う。

 その分母親役の比重は少し増えているかな。ダイアン・キートンはいつもどおり良いです。

 スティーヴ・マーティンを生かして、軽いドタバタ系ギャグがいくつか加わっている。最初は内容と合ってるかな?と思ったが、これはこれで悪くない。もっと全体的にこのカラーを入れていっても良かったような気もします。
 ただ古いタキシードのくだりはどうなんでしょ?スティーヴ・マーティンって太ってないから、あのギャグはそのまま使っても成立しずらい気がする。

 監督の演出も、バスケット要素や雪などが入って若干甘口になりました。現代的に親しみやすいとも言えるが、ちょっと通俗的なヌルいかんじになっちゃいましたね。


 そもそも元の作品は、スペンサー・トレイシーの演技や、彼氏の男の頼りなさげな顔つき、あと前半のヴィンセント・ミネリのキレのあるコメディ演出などが見所となっていた。
 要するに「花嫁の父」の出来の良さは個人技に依存していたんだよね。だからリメイクで人が変わっちゃうと、突出した良さの部分がなくなってしまうのは当たり前で、そんなにリメイクに向いてなかった作品だと思う。

 スティーヴ・マーティンを生かしたドタバタギャグもさほど広げる気はなかったようだし、そうするとそれこそ父親役がスペンサー・トレイシーから例えばロバート・デ・ニーロになる、みたいなやりかたしかなかったんじゃなかろうか。

 極端に悪くなったところはないけれど、まあぼちぼちくらいの作品になった。この作品を見た人は「花嫁の父」のほうも是非見てみて欲しいですね。

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演技力にも深い笑いの表現がある(ヴィンセント・ミネリ)

花嫁の父 [DVD]
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「花嫁の父」(1950年)
監督 ヴィンセント・ミネリ
出演 スペンサー・トレイシー ジョーン・ベネット エリザベス・テーラー
"Father of the Bride"
Vincente Minnelli /Spencer Tracy /Joan Bennett /Elizabeth Taylor
 弁護士スタンリー(スペンサー・トレイシー)と妻のエリー(ジョーン・ベネット)には3人の子供がいる。息子がふたりと娘がひとりの5人家族。
 マイホームがあって使用人もひとりいるが、すごい金持ちというほどではない、平凡な中流の家庭。

 ある日ひとり娘のケイ(エリザベス・テーラー)が結婚を考えていることを打ち明ける。父スタンリーは動揺を隠せない。

 彼氏はバックリーという名前らしいのだが顔も知らない。とりあえずバックリー、そしてバックリーの両親に会うことになったのだが、娘の結婚相手にふさわしい男なのか、経済的にやっていけるのか、不安は尽きない。

 3ヶ月後の結婚式までのドタバタを描く。結婚式に到るストーリー自体には何もひねりはないのだが、それでもこの人生の一大イベントにまつわるてんやわんやは十分コメディだ。

 似たタイプのコメディでは伊丹十三監督の「お葬式」とか、あと出産の話の「無ケーカクの命中男」などが思いつく(ところで伊丹十三の作品は大昔に見たきりだから見直しときたいな)。

 結婚、葬式、出産…どれもが経験したことのないことばかりがどっと押し寄せる大イベントだし、人間の出会いや別れが関わるだけに気持ちの揺れや決断なども突きつけられる。

 式に到る過程の細かいディテールをしっかり見せるだけでも面白いし、さらに「花嫁の父」では主人公である父親スタンリーの気持ちがとても良く出ている。結婚するのは娘のケイだけど、映画の主役は父スタンリーなのだ。

 娘の結婚相手への不安で眠れないのに、妻にそれをぶちまけるとスッキリして寝ちゃうし、相手の両親に会うと最初はおどおどしていたのに、娘の自慢話となると止まらなくなるし…

 いかにも男性の勝手さだとか見栄っ張りなところとか、よく表れたエピソードばかりで共感できる。

 そしてなんと言ってもそのスタンリーを演じるスペンサー・トレイシーの演技が素晴らしい。ハッキリ演じているのに大袈裟にはならず、思わぬところでハッとさせられる演技もあり、いつも実に的確なのだ。
 ちょっとしたタイミングや声のトーンだけでも、父親の内心が表現されていて、それが見事にくすぐりになってくる。”演技力”にも実に深い笑いの表現があることを改めて感じた。

 ミュージカルのイメージが強いヴィンセント・ミネリ監督だがなかなか軽快なコメディタッチがうまいし、そこにスペンサー・トレイシーの演技力によるくすぐりも加わるので、特に前半は笑いがかなり多く感じる。

 中盤以降はミネリ監督の演出の手数がちょっとだけ落ちたような気がするのは残念だが、それでもやはり面白い。こういうタイプのコメディとしても古典と言うべき、よくできた佳作だろう。


 バックリーが家に訪ねにくるのだが、彼がまた微妙に頼りなさげな顔つきで、見ているほうも「うん、こいつには娘はあんまりやりたくないぞ」と思えてくるのが可笑しい。

 バックリーの両親にも会わなければならないし、結婚式の準備や打ち合わせも大変だし、さらに経費のほうはかさむ一方。簡素な式をと望んでいたのに、なんだかんだで招待客の数は増える増える。
 この段階になると段取りはみんな女性陣がつけるので父親は用済み。やることと言えば金を出すことだけ、になってしまう。でも娘がいざ結婚を前にして不安になったりしたとき、やっぱり頼りになるのは父親なのだ。

 嵐が通り過ぎるようにして終わった結婚式。気づいてみるともう娘はいないが、家が離れても我が子であることに変わりはない。「結婚」という奇妙な儀式は、こうやって世界中で数限りなく繰り返され続けていく。

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神様も女の尻が好き(立川談志)

立川談志 ひとり会~第二期~第十六集
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「立川談志 ひとり会 落語CD全集 第十六集」(TC-10516)

・ぞろぞろ
 「以前はお社に来る人のおかげで繁盛していたが、最近はご利益が薄まったのか人も集まらないし、きちんとお参りしてるのにわらじひとつ売れやしない」とぼやく雑貨屋の主人。

 そう簡単に決めつけちゃダメよ、と娘は今日もお社にお酒を供えて、「わらじが売れますように」とお参りする。帰ってみるとわらじが急に売れはじめ、しかもぶらさげてあるわらじを引っ張って取ると、新しいものが次々出てくる。

 近所の床屋の主人は不思議なご利益の話を聞いて、自分もお社にお参りしに行く。

 人の良さそうな雑貨屋の父娘、繁盛しなくてふてくされている床屋、そしてやたら俗っぽい神様、とキャラクターが良くでている。
 解説によれば、主人公を女好きで人間臭い神様にし、またもともと雑貨屋の老夫婦だったのを父親と若い娘に置き換えたのは談志のアイディアだそうで、これは確かに非常に効果的な変更となっている。
 軽い噺だが大きく魅力を引き出しており、とても面白い。

・黄金餅
 西念というケチな坊主は病気でそろそろあとがない。隣に住んでいる金兵衛がお見舞いに来ると、あんころ餅を買ってきて欲しいと頼む。

 金兵衛に帰ってもらったあと、西念はこれまで貯めこんだ金をその餅にくるんで飲み込んでしまった。しかし息が詰まってそのまま死んでしまう。
 壁の穴から一部始終を見ていた金兵衛は、さっさと弔いを済ませて、焼き場で金を取ることに。

 談志の十八番となってゆく「黄金餅」。ケチなあまり金を飲み込んでしまおうとする坊主、焼いた死体から金を探る男、うさんくさい和尚など、アクの強いキャラクターばかりで独特の雰囲気を持った噺だ。

 この若い頃の録音は後年と比べるとややあっさりはしているが、やはり相性の良さを感じる出来の良さ。大きな噺だが、カチカチの構成力などに頼らずとも、自然に世界が広がっている。

 この噺の一番の魅力ってのはやっぱり個性的なキャラクターなのかな。キャラクターが引っ張っている、とするとそんなに噺を内容的にイジることはできないタイプだと思うのだが、今後どのようにが変化してゆくのか。

 弔いの道中の地名を並べ立てるおなじみの見せ場もあるが、ああいうのはオマケ程度で、さほど大した意味を持っているようには思えない。いやちょうど噺の真ん中あたりにあって、気分を変える意味はあるのかもしれない。
 でもここのくすぐり「言ってるほうもくたびれた」は知ってる客にはあまりにおなじみ過ぎて、志ん生以外ウケられないよな。「気分を変える」くだりだ、と考えれば全く別のものに入れ替えても良い気がする。

 談志のこのバージョンでは「覚えるほうも」に変えたり、現代の地名で言い直したりと工夫はしている。また志ん生を敬愛する、ある意味ノスタルジーからも、この部分を残しておきたい気持ちはあるのだろう。

 「ひとり会」CDシリーズにはもう少し年を重ねた頃の「黄金餅」も収録されているので、どう変わってゆくのか楽しみ。

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「小言幸兵衛」後半の解釈(立川談志)

立川談志 ひとり会~第二期~第十五集
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「立川談志 ひとり会 落語CD全集 第十五集」(TC-10515)

・六尺棒

 夜ふけに酔っぱらって帰ってきた道楽息子が、父親と戸ごしでやりとりする噺。押し問答したり六尺棒を持って追っかけ回したり。でも腹を立ててもどこか憎みきれない親子関係も感じさせる。

・疝気の虫
 医者の家で書生をしている男が、夢の中で疝気の虫に出会う。疝気の虫は蕎麦が好物であり、唐辛子が苦手だと言う。

 ちょうど先生が留守のところに疝気の患者の往診が入ったので、書生の男が出かける。

 ともに志ん生の十八番である「六尺棒」と「疝気の虫」。僕も以前聞いている。談志の出来もなかなか。

・小言幸兵衛
 家主の幸兵衛はいつも小言ばかり言っている。

 そこへ空き部屋を借りようと訪ねてきた豆腐屋。しかし幸兵衛は男の乱暴な言葉遣いが気に入らず、散々注意をしたあげく追い返してしまう。
 次に訪ねてきたのは仕立て屋。丁寧な男で幸兵衛も気に入るが、年頃のひとり息子がいると聞いて、問題が起きるのではないかと渋り始める。

 最初に長屋をひと回りして、みんなに小言を言っているシーンは省いている。

 幸兵衛と豆腐屋が罵りあう場面はすごい迫力。人物が生き生きしていてとても良い出来だな、と思ったのだが、後半で仕立て屋の男の話になってくるとイマイチ乗り切れない。

 仕立て屋が部屋を借りに来て話を聞くのだが、どんどん幸兵衛の妄想が膨らんで、それで怒り出してしまうという展開。

 テーマを見つけて噺をもう一度組み直してみるのが後年の談志のやり方だが、まだ若い当時もこの「小言幸兵衛」ではそういうアプローチを試しているように感じる。
 おそらく「”小言が過ぎる”というのは、その人の中だけでどんどん論理が先走って、他人に注意ばかりしてしまう状態なのでは」というテーマで組み立て直してみようとしているのではなかろうか。

 それを感じさせるのが、妄想をしゃべりはじめるきっかけの、「なんだって心中なんて持ち込むんだ!」「(心中に)なるんだ」と強く決め付けるセリフ。もうこの時点で幸兵衛の中で全部論理が出来上がっており、あとは立て板に水のごとく、強い口調で説教がはじまる。

 …のだがこの決め付けるところはまだちょっと無理があって、消化しきれていない気がする。

 あと確信を持った強い口調でしゃべるだけに、途中で仕立て屋が「まだ越して参りません」と言うのに対してすんなり「越してきたらてぇ話をしてるんだ」と返すのも違和感がある(このやりとりは古典的なやり方を踏襲している)。
 仮定の話であることが分かってたら、こんなに強い口調なのは変だ。談志流の解釈でやるならココは、自分の論理に入り過ぎて、一瞬仮定の話であることも見失ってる、くらいでいいのではないか。

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神田伯龍から続けて聞く(立川談志)

立川談志 ひとり会~第二期~第十四集
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「立川談志 ひとり会 落語CD全集 第十四集」(TC-10514)

・短命
 伊勢屋の旦那が亡くなり、美人の一人娘に婿養子をもらってあとを継ぐことになった。ところがこの婿がすぐに亡くなってしまう。また新しい夫を見つけてくるのだが、仲も睦まじいのに、しばらくするとまた亡くなってしまう。

 三度も続けて旦那が早死にしてしまった、なんでなんでしょうね?と、男がご隠居さんに聞いてみる噺。

 登場人物も少ないし、前座噺のような軽めのネタ。全体的に出来は悪くなくて面白いんだけど、序盤の説明の部分で、先代の旦那夫婦が亡くなったことと、新しい旦那が三度早死にすることが混ざってしまって、そこだけちょっと分かりにくく感じた。

・小猿七之助

 昨日も書いたがこのネタは元々講談であり、談志が五代目神田伯龍のレコードを聞いて刺激を受けて、自分でもやりはじめた。そのときには五代目は既に亡くなっていたので、六代目神田伯龍に習いにも行っている。

 神田伯龍のCDから続けて聞いてみると、この若い頃の談志バージョンはセリフも言い方もほとんどそのまま踏襲しているのが分かる。

 別にウマく真似できてるからエライ、とは思わないが、でもこんなにすんなり消化できてしまうのは、やはり”しゃべる”ということに対するセンスの高さを感じずにはいられない。
 確かに真似ではあるんだけど、無理なかんじやイビツな違和感はなく、自分のものにできてしまう。

 一応ちょこっとイジっている部分はあって、七之助がお滝を殺す決意を固めるシーンは省略されていたり、あと話の切り方は、お滝が七之助を口説くところで終わらせている。

・羽団扇
 正月に初夢を見たら言い合おう、と約束した夫婦。

 寝てからすぐに夫は起こされる。寝言を言っていたから夢を見ていたに違いない、と妻に問い詰められるが「見ていないものは見ていない」と怒る夫。

 そこへ別の男が入ってきて仲裁するが、この男も「見たのなら正直に言え」と言ってくる…

 と、この前半の展開は聞き覚えがある。桂米朝志ん生でも聞いた「天狗裁き」と同じだ。このあと天狗も出てくるし、タイトル違いの同じ噺なのかな、と思って聞いていると、後半のストーリーはちょっと違う。

 「天狗裁き」と比べると、早めに現実離れしだして、どこまでが夢なのかすぐ分かってしまう。だからなんか適当に旅をしているだけで、あんまり緊張感がない。談志の演じ方のせいなのか、でも出来自体はまあまあだと思うのだが。

 「見ていない、と言ってるのにみんなが問い詰めてくる」というアイディアが中心にあった「天狗裁き」のほうがまとまりもあって面白い噺のように感じた。

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